Apr. 15 sat. 「いつまでもこんな気分じゃしょうがない」
■花見の季節だ。先週の金曜、買い物に出かけたときふと思いたって、中野通り(中央線中野駅から、西武新宿線を超え、新青梅街道まで)を走った。左右に大きな桜が植えられ、アーチのように道の上に桜が伸びる。例年、とてもきれいで、たとえばクルマで走りながらプライマル・スクリームの「スクリーマデリカ」を流すととてつもなく気持ちがいいのだが、今年はいろいろあったせいか、そんなことも忘れていた。夜になるとライトアップするのが慣例だがどうやら今年は「自粛」のようでその準備もされていない。桜はきれいだがどこかさみしい。
■なにも考えずに騒いでいるとしたら、いま避難所で困窮する被災者は気分を害するだろうが、被災者のためですからと「見える場所」ではあたかも「自粛」してるかのような態度の東京の人間を見たって、喜ぶはずがない。「春」という概念のようなものを、どうやってかの地に届ければいいだろう。
■久しぶりにこのノートを更新しようと思ったのは、「記録」は重要だと感じたからだ。もちろん、公的な記録なら、さまざまなデータとして蓄積されるだろう。個人がいま、なにを感じ、そしてどうしていたか、せめて自分のことだけでも、あの日からのことを記録しておこうと思った。
■「2011年3月11日からの短い言葉による記録」
○ 3/11 fri.
午後二時四六分、突然、激しい揺れ。東北地方で大地震。津波。壊滅的。自宅にて体感。仕事場の本が床に崩れ落ちていた。
○ 3/12 sat.
ワークショップの予定だったが、遊園地再生事業団ラボのメンバーらと相談して中止にする。
○ 3/13 sun.
森下にあるセゾンのスタジオでワークショップ。五日からはじめたワークショップはきょうフィールドワークの成果の発表だったが、地震の時間に街の言葉を採取していたグループもあった。
○ 3/14 mon.
「新潮」から依頼された書評のために高橋源一郎さんの『さよならニッポン』を読む。ニュースで東北の様子を少し見る。惨状。ワークショップに参加していた伊勢は大船渡だし、笠木は福島だ。二人ともすぐに地元に戻ったとのこと。
○ 3/15 tue.
『さよならニッポン』の書評を書く。早朝、メールで送る。少し長かった。夜、静岡県で強い地震。浜岡原発のことが心配になる。ただ県東部だったのでまだ安心しえていられる。
○ 3/16 wed
都内で買い占めが発生している。大学からメールがあり研究室の書棚が倒壊しているとのこと。気になって見に行った。すごいことになっていた。書棚は倒れ、本が床に散乱し、足の踏み場もない。朝日夕刊のしりあがり寿さんのマンガに救われる。
○ 3/17 thurs.
そんなわけで、ばたばたしているうち、岸田戯曲賞の選評を書いてなかった。せっせと書く。大学の卒業式が中止になったと知る。
○ 3/18 fri.
きょうまでには送らなければと、岸田戯曲賞の選評をメールで送ったが、分量が規定の五倍。やけに饒舌。べつに震災だからというわけではない。震災にはいっさい触れていないが、なぜか饒舌になったのだ。それも結局、震災の影響なのか。大学へ。研究室の様子を見る。棚が倒れ本は散乱。
○ 3/19 sat.
森下のセゾンのスタジオでワークショップ。できることをこつこつ進める。このワークショップではまず僕の講義があってそれから「からだ」を動かすことをしようと思っていたが時間的にそうもいかなくなった。各グループがフィールドワークで集めてきた素材をもとに小さなパフォーマンスを作ってゆく。
○ 3/20 sun.
またワークショップ。だいぶできてきた。それぞれ各グループの素材を構成しつつ「インタビューの演劇化」ということの試み。
○ 3/21 mon.
小汚いラーメン屋のくせにやけにマナーに厳しい店で女店員にやたら文句を言われるという夢を見た。卒業式、入学式が震災の影響で中止になり、さらに授業開始が五月からだと知る。四月、なにをしようか考える。まず新たに開講する「演劇文化論」の授業のための準備をしなければいけない。
○ 3/22 tue.
二週間ぶりにクルマにガソリンを入れた。ようやく落ち着いてスタンドもすいていた。夜、ワークショップ。そのあとInterFMに行って、桑原茂一さんがやっているパイレーツラジオにやついと一緒に「平常心ブラザーズ」と名乗って出る。すごくしゃべって楽しかった。
○ 3/23 wed.
東京の浄水場から放射能が検出されたというニュース。町ですぐにペットボトルの買い占めがはじまった。とんでもない話だ。水道水をごくごく飲む。新宿でこんどの舞台で使う音楽のためのCDを何枚か買う。
○ 3/24 thurs.
「新潮」に掲載された『ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット第三集』を読んだと桜井圭介くんから短い感想のメールをもらう。夜、ワークショップ。だいぶできてきた。短い時間なので完璧なものは作れないが、27日の発表までにきちんとした形にしよう。
○ 3/25 fri.
さらに夜、ワークショップ。森下まで行くのにクルマを使わずこのところずっと電車だ。できるだけ階段を使う。息が切れる。都知事選のこと、原発の作業員の事故など、腹立たしいことが多い。
○ 3/26 sat.
明け方まで、ワークショップ[春式]のリーディング公演のために音楽を編集する作業、あるいは、当日パンフの原稿を書くなどして、とにかく眠い。午後からワークショップで森下。だいぶできてきた。疲れたせいか、左目がかすんでよく見えない。
○ 3/27 sun.
ワークショップ[春式]の発表会。午後四時から。変な時間の設定だったが、わりと人が来てくれた。それなりに評判がいい。終わって打ち上げ。疲れた。さすがにきょうは荷物を運ばなければならないのでクルマで森下まで来た。久しぶりにクルマに乗った感じである。
○ 3/28 mon.
[春式]が終わってスタジオから外に出たという奇妙な感触。外に出ると現実が待っている。一日、ほとんどなにもしないでぼーっとしていた。眠い。ただ眠い。やけに眠った。少し[春式]の反省。「インタビューの演劇化」という方針だったがどうしたって言葉が、いまではありがちな「口語」になるところから、どうまた異なることができるか。など。テレビのニュースを知らなかった出来事のように見る。
○ 3/29 tue.
何人か、ワークショップに参加してくれた人たちから感想のメールをもらった。朝日新聞、読売新聞に『ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット第三集』の評が出る。ありがたい。夜、秋の公演のためにオペラシティのなかにある面影屋珈琲店でミーティング。状況は一変した。震災後になにが描けるか。
○ 3/30 wed.
天気がいい一日。代々木周辺を散策。甲州街道から代々木駅に向かうあたり、途中、小田急線の南新宿のあるあたりはいまだに時間が止まったような風情。そのうちここらも開発されるのだし、そこに住んでいる人たちにはいいことなのだろう。途中、「国木田独歩終焉の地」を記すモニュメントがある。
○ 3/31 thurs.
しなくてはいけないことがあると焦りつつ読書。読むものいろいろ。それでも今週はすぐに眠くなる。なにかおかしくなってしまったように眠い。夜、鍼治療。腰を治す。
○ 4/1 fri.
フランスの、大統領サルコジと、原子力企業のトップが来日というニュースを見ていやな気分になる。そうだ。4月1日だ。卒業生の多くが初出社の日。ツイッターでそのつぶやきを興味深く読む。時間がないんだよ、仕事をはじめると。
○ 4/2 sat.
ニューヨークにいる矢内原美邦からむちゃぶりのメール。12日に、渋谷の「トーキョーワンダーサイト」という空間で震災に対するチャリティーのリーディングをしないかという内容。深夜、そのためにあっちこっちに連絡する。ツイッターでそのことをつぶやいたら、[春式]に参加してくれた人たちから協力したいというメールをたくさんもらった。ありがとう。なんだかんだ、メールで打ち合せなどして朝までかかる。
○ 4/3 sun.
さらに、矢内原の無茶ぶりのために奔走。[春式]でやったことをもとに、笠木や上村に出てもらうことにする。そのための準備で疲れた。
○ 4/4 mon.
眠った。桜井圭介君に誘われていた「マームとジプシー」の公演を見逃す。失敗。なにしろ夜まで眠っていたし。だめな四月の最初の日曜日だった。
○ 4/5 tue.
佐々木中さんの新刊をamazonに注文して届いたが、同じ本を河出書房新社から送っていただき二冊になってしまった。ありがとうございます。仕事の依頼のメールがいくつか。悩む。夜、録画してあった「ブラタモリ」を見る。今シーズンの最終回。それが「渋谷」だ。「池袋」「新宿」と小説に書いてきたので、次は「渋谷」かなあと思っていたので、なんだかタイムリーだ。
○ 4/6 wed.
仕事をぜんぶ引き受けてしまった。これはもう、自由業を始めてからの習い性というか、引き受けないと、次の仕事がないんじゃないかという強迫感。夜、演劇人たちとあるミーティング。どこにいっても話題は東北の震災だ。
○ 4/7 thurs.
夜、新潮社のN君、M君、K君と、恵比寿で食事をする。日本料理店。いちおう小説の打ち上げ。N君が担当してくれて、小説の単行本が七月に出る。しあわせな話だ。食事は美味しかった。酒が飲めたらもっと美味しいのだろうなあ。話題はさまざまなことへ。だが、やはり地震の話、原発の話になる。家に帰って原稿を一本書く。
○ 4/8 fri.
クルマで買い物に行ったついでに、桜が見たくなって、中野通りを走る。いつもの年ならおそろしいほどきれいだが、今年はどこか、地味だった。ライティングもないのだろうな。自粛か。
○ 4/9 sat.
大学からの知らせで、研究室の棚を元に戻し、金具など修理をしてくれたとのことだったので、研究室を見に行った。棚は元の通りだが、本は床に積み上げてあった。でも、それ以前は、たいへんな混乱だったから、積み上げてもらえただけでもありがたい。夜、ツイッターで知ったのはYouTubeにアップされている斉藤和義の歌。
○ 4/10 sun.
都知事選。投票へ。人から知らされるのは花見をしていることだ。まだ少し肌寒いが「花見」なのだな。自分がどう考えるかはそれぞれだろうが、上から「自粛しろ」なんてい言われて、素直に従えるかってんだ。もちろん被災者の人への思いは持ち続けつつ。そして統一地方選は全国的に残念な結果。茫然とする。ただただ、茫然とした一日。それとはべつに、高円寺では「素人の乱」の松本君たちが中心になった反原発デモ。行こうと思ったが原稿を書いていた。USTで見ていたがたいへんな盛り上がり。一万五千人集まったという。そっちでは気持ちが高ぶる。松本君の挨拶が印象に残った。「きょうは警察が敵ではありません。原発です。警察官のなかにも原発おかしいと思ってる人がきっといますから」と。よかったなあ。
○ 4/11 mon.
夜、森下のセゾンのスタジオで稽古。あしたのトーキョーワンダーサイドでやる震災チャリティーのための「リーディング公演」の稽古。少しできた。大丈夫だろう。みんなに協力してもらいほんとに助けられている。笠木、上村、田中のおかげ。そして、参加してくれた役者たち、手伝いに来てくれた人たち。ありがたい。
○ 4/12 tue.
というわけで、そのチャリティー公演の本番である。はじめて現場に行ったのだ。いい空間だが狭かった。ただ、こういう場所(ふだんは美術展が多いのではないだろうか)で公演するのも面白い。それから、[春式]と同じ方法のリーディングの作り方に、秋の公演、というよりこれからの遊園地再生事業団の方向が見えた気がする。なにかはきっと、偶然、みつかるものなのだ。矢内原からニューヨーク土産だと、わけのわからないコーヒーをもらった。いろいろな人が見に来てくれた。ヨーロッパ企画の本多君がいて、いいなあ、本多君、なにかあるときはいつもいてほしい。
○ 4/13 wed.
リーディング公演を終えてメールやツイッターなどで感想をいくつか聞かせてもらった。考えることいろいろ。夜、わけあって人を病院に運ぶ。救急で診察してもらった。こういうときクルマは道具としてとてもすぐれている。
○ 4/14 thurs.
地震と津波、そして原発の事故で忘れていたが、あらためて「90年代サブカル」について。ツイッターにいろいろ書いたところ、すごい反響があって驚く。いろんな意見を聞かせてもらった。このことを書くきっかけになった話を教えてもらったことに、そもそも、感謝しなくちゃいけない。そしてなぜこれほど僕は、「90年代サブカル」(青山正明、村崎百郎が代表した文化状況の一部)にこだわるか。おそらく自分の問題だ。自分のなかにあのときなにかが発生した。当時の自分の意識の変容だ。そして、現在の状況のなか、文化がどう変容してゆくかを考えるための手がかりとして、「90年代サブカル」があると思える。たとえば、神戸でも震災のあとでもPTSDは問題になったが、それとはべつに、じわじわ「心的な傷」がわれわれを襲っているのではないかと思えてならない。それが「鬱」に通じるのだとしたら、「90年代サブカル」と「鬱」という、また異なる切り口が見つかるように思えるのだ。
○ 4/15 fri.
夜、福島県出身のある人に会ってずっと話をする。どうしたって震災の話になる。そうならざるをえないし、原発の事故が今後にどう傷を残すのかについて、しかし、われわれはまだ、なにも知らないということを思い知らされる。震災から一ヶ月以上が過ぎた。次の言葉を語り出すために、どう言葉を発したらいいか、表現者が苦闘していた、時間だったのではないか。
久しぶりに「富士日記2.1」を更新した。書くことだな。書くことでようやく思考が動き始める。これからも少しずつ書いてゆく。
(16:53 Apr. 16 2010)
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