「富士日記2」をいつも読んでいただきありがとうございます。「ニュータウン入口」公演のための特別限定ノートのページを九月に入ったら作ろうと思っていたのですが、忙しさにかまけてできませんでした。それでようやく新たに、「ニュータウン入口NOTE」のページができました。公演までの短い期間ですが、そちらをお読みください。初日まで、そして公演中については、「ニュータウン入口NOTE」のページに詳しく、そして、毎日更新する予定です。とはいえ、デザインはあまりかわっていませんが。あと、チケットの予約は、こちらのページにてお願いします。
Sep. 4 tue. 「よろこびの記憶の再現」
■残暑が少しうっとおしい一日、稽古はまた続く。少しずつだがよくなってきた。
■本日の写真は、根本洋一役の時田である。『ニュータウン入口』のサブタイトルは、「私はいかにして心配するのをやめニュータウンを愛し土地の購入を決めたか。」だが、この「私」はドラマの上では、この根本のことになる。とはいえ、「私」はもっと無記名の、ごく一般的な多くの人たちのことになる。このお話には、アンティゴネという軸となる人物がいるが、しかし、根本も大事な役になるし、少しむつかしい役になる。というのも「巻きこまれる人」だからだろう。いろいろに巻きこまれる。主体はもちろんしっかりありながらも、やってくる出来事に翻弄され、すると、どのように出来事の渦中でふるまっていいか複雑だからだ。最初からこの役は、ある程度、年齢のいった人がいいと思っていた。時田は三十代の半ばである。その妻の和子を演じる三科もたしか同じくらいの年齢で、そうでなければ出てこない表現の質がきっとあるのだ。
■時田はよく質問する。もちろん芝居についてだが、リーディングの稽古のころ、まだこの稽古に慣れていないせいか、いまよりずっと質問が多かった。それを見ていた杉浦さんが、リーディングの打ち上げで「質問する男はもてないよ」と時田に言っていたのが面白かった。もてるか、もてないかは知らないけれど、その質問に答えようとすると、それはたしかに疑問に思うべき戯曲の問題部分なので、それであらためて僕も考えた。「書く」もまた、身体的な行為だが、その「書かれたもの」を俳優が身体的に形象化する過程で、戯曲の異なった読みをすることになる。書いている私がそれを読むのとはまたちがう読みになる。時田はそうして、よく「戯曲」を読む人だ。以前も書いたことがあったと思うが、ふだんは野村萬斎さんのもとで舞台をやっている。今回のような作り方は時田にしたら、また異なる性質のものだろう。そこらをどう感じているのか僕はよく知らない。しっかり話したことがない。今回の俳優はみんな、『ニュータウン入口』という作品に真摯に向かってくれるが、なかでも時田は、映像の撮影のときもクルマの運転手として参加してくれたし、とても協力的で、それがうれしい。みんなで作っている。これは時間をかけ、そして、俳優をはじめスタッフとともに、みんなで作っている。でも、通しをしても、ダメ出しは時田がいちばん多いのだ。それはねえ、べつに悪いわけではなく、もっとよくなると期待してのことだ。もっとよくなるにちがいないのだ。あと、時田は映像の撮影の日、運転の助けに来てくれたのに、なぜか何度も着替えをしていた。それがよく理解できなかった。
■昼間はまだ未整理だった場面などを稽古した。ずっと悩んでいた、アンティゴネ、イスメネ、オブシディアンの独白が続く場面をやってみる。オブシディアン役の田中の読みがなあ、もうひとつだなあ。もう繰り返し繰り返しやるしかないね。ただただ、読ませること。その反復のなかでなにかをつかめばいいと思う。それはこの作品ということではなく、田中にとってもっと大きな意味があると思いながら稽古を見る。うまく読めばいいってもんじゃない。うまい朗読はものすごい数の人ができる。というか、新劇の養成所なんかいったらものすごくいるだろう、そういう人が。まして新劇の俳優はみんなテキストを読むのがすごくうまいに決まっている。それに異を唱えたある時代の演劇から、さらにまた遠い位置にいまわれわれはいるが、一般的に「へた」と呼ばれるのもどうかと思うが、「うまい」が最大の魅力じゃないだろう。そして田中にとっては、表面的な「うまさ」なんかぜんぜん必要のないことだ。まして、「うまくやろう」なんて考えるのがいちばんだめだ。若い俳優にはもっとべつのことを求める。もっと深い表現のなにか。
■夜は通し。細部でまだ、ここはこうしたほうがいいと思う箇所はもちろんあったが、全体的にはかなりいいできだった。あるいはひとりひとりの変化を感じたが、南波さんが、なにか確信のようなものを持ったという印象。休み前とは、かなりちがったので、特にそれを感じた。それまであまり南波さんにだめを出していなかったが、というのも、少しずつ変わってゆくだろう、いま、なにか自分のなかで整理できていないものがあるのだろうと待っていたら、やっぱりそうだった。若松さんも、そういったことがあり、稽古のたびにやることが少しずつちがうが、それもまた、自分のなかでいろいろ試しているのだろうとわかる。杉浦さんが稽古後、いろいろ試させてくださいと、きょうわりとだめが多かったのでそう声をかけてくれた。僕はかつて、すぐに答えが出ないといやだというほどに、そう、僕自身、かなりせっかちだったが、最近は待てるようになってきた。演出において「待つ」は大事だな。だからこその稽古。時間をかけての創作だ。
■きょうは、ある場面での鄭が笑ったなあ。ものすごく面白かった。しかも無自覚なのがいい。べつに面白くしようとしていないのがいい。一生懸命なのがいい。若松さんも笑っていた。僕の隣の席にいる音響の半田君も笑っていたが、半田君はねえ、稽古場にいると、なんだかいいんだよな。ときおり意見もしてくれてそれがうれしいし。森下スタジオの小さな稽古場で、わたしたちは、こうしてこつこつとものを作っている。どうして僕は稽古が好きなのかよくわからないんだけど、ただ、ある一瞬、それはまれにあるかないかのことだけど、はっとするような発見が稽古場に出現するときの、あのよろこびに出会うからこそ稽古をしているように感じる。それはきっと、はじめて芝居にかかわったころに感じた、舞台を作るよろこびの記憶の再現だ。それを失ったら舞台をやる意味がない。
■家に戻ったら、さらにべつの原稿(「考える人」新潮社)の催促があったのだった。だめだ。書けない。「webちくま」がなあ。筑摩書房のIさんには迷惑ばかりかけている。毎日、届くメールがどんどん悲鳴に変わってゆく。それはそれで面白いので、さらに書かないとどうなってしまうかとすら思う。きょうはかろうじて、劇作家協会が刊行している「ト書き」という雑誌の、太田省吾追悼特集への短い原稿を書いた。南波さんが7月14日付けのブログに書いていた太田さんの言葉(反対語の話)を引用させてもらった。あしたは雑誌の取材を受けます。
(7:23 Sep, 5 2007)
Sep. 3 mon. 「取り急ぎの報告」
■いろいろあってこのノートが更新できない。少しでもいいからメモを残しておこう。2日(日)は「通し」で出来のよくなかった前半を返し少しずつ詰めてゆく。ライブ映像の場面を演じるのは舞台奥だが、映像のために稽古場に照明を吊ってそこだけすごく暑い。暑いなか、何度もくり返し稽古しているうち、三科がからだの不調におちいった。それでべつの箇所を稽古。少しずつ修正し、あるいは、よく考え深めてゆく作業。削れる台詞は削る。そこまで覚えたのに申し訳ないが削除。シャープにしようと思ったのだ。通しのとき、ラストの場面がもうひとつ納得いかなかった。うーん、答えが出ない。このあいだ直してよくなったと思ったがなにかちがう。さらに考える。で、その日は少し早めに稽古を終え、僕はそのあとすぐに、クルマで静岡に向かったのだ。家の事情である。静岡の家では到着するなり、ものすごい勢いで眠る。稽古と運転でひどく疲れていた。妹も帰っていたので久しぶりに家族で対面。「家族」とか「親族」について考えていた。そんなおり、このニュースを知って、大島渚の『少年』という映画を思いだした。なにかやりきれない。家に戻ると、たいてい親戚の誰それがどうしたという話題になる。それがいちいち面白く、またいつか、そうしたことをなにかの作品にしてみたい。もちろんそれをいかに解釈するかだが。普遍的な物語として言葉にすることができるか。これから十月も忙しいので帰郷するのはむつかしい。父親に会っておいてよかった。で、夜、東京に戻ってきた。メールチェックすると原稿の催促が次々と。申し訳ない。書けないなあ。困った。そして、また稽古だ。いい舞台にしよう。たくさんの人に観てほしい。
(6:05 Sep, 4 2007)
Sep. 1 sat. 「ニュータウン入口の九月」
■あまり九月になった感慨もないまま、稽古場に向かう日だった。本日の写真は舞台で無謀にもギターを弾かされることになったジャスパー役の橋本である。だが、はじめぜんぜん弾けなかったのが少しずつ上達しているから驚くべきことだ。人間、その気になればなにごともできる。
■橋本は、カメラ担当の今野と同じ京都造形芸術大学の出身で、この春、東京に出てきた。もともとは大阪の生まれだ。大学の二年生のとき僕の授業を受けて、一本、舞台を作った。毎年、そうだったが映像コースの学生が何人かその授業を受け、あまり演技経験というか、舞台の経験はないが、映像コースには面白い学生が多かった。一年時の僕の授業をはじめ、からだを使ってなにかすること(ダンス、能楽実習など)に興味を持った者が、舞台コースに移ることがよくあった。たとえば、松倉などもそのひとり。橋本は映像コースのままで、今野らと映画を作ったりしていたようだし、それから、伊丹のアイホールで公演した岡田利規君のワークショップをもとにした舞台にも参加しているので、舞台にも興味があったのだろう。『ニュータウン入口』のオーディションを受けてくれた。もちろん芝居はほとんど未経験に近いとはいえ、僕はあまりそういうことは気にしない。またべつのからだとしてそれはそれで貴重だ。
■稽古の、あれは初めての顔合わせのとき(四月)、自己紹介がわかりに、それぞれまったく異なる場所で芝居を経験してきた者同士、それぞれがこれまで受けた訓練のようなものをみんなに教えるということをやった。鈴木メソッドの杉浦さんが、歩きのレクチャーをしたとき、わりとみんな形がよかったが、橋本のぜんぜんだめなからだが面白かった。ほんとにだめだった。わけのわからないからだだった。原理主義的な演劇の人にしたら、もう絶対に許せないようなだめなからだだ。僕はそういうものを面白がるところがあって、笑った笑った。いったい橋本のギターはどこまで上達するだろうか。しかもギターを弾きながら歌も歌う。でも、絶対にできる。できるにきまっている。
■稽古場に行く前に、新宿の石橋楽器で、中古のエフェクターを買った。このあいだヤフーオークションで落札できなかったものだ。安く手に入って満足だ。まったくなんだよ、オークションに使ってしまった時間がなんだったんだってひどく後悔した。これを橋本が使っているギター(といってももちろん僕のギターだけれど)につなげて稽古が終わったあと遊んだ。面白いなあ。音がゆがむ。そのゆがみだけで、いきなりロックな感じになる。稽古が終わってからの楽しみになった。ま、それは稽古とは関係のない楽しみの世界だ。
■この三日間、まず前半の三分の一を作り、翌日、まんなかあたりを細かく稽古。そしてきょうは午後、後半部分を稽古した。稽古の直後、いま稽古した箇所はかなりできがよくなるが、一日でも間があくとよくない。というのも、夕方から「通し稽古」をしたら、それが如実に出てきたからだ。九月になってこれを何度もくり返し、安定感を増さなくてはならない。少しずつの前進。繰り返しそれを反復することでもっとよくなるはずだ。反復、反復。そして、その反復のなかで、またべつの深い表現を見つけられたら。
■通し稽古をしたら、少し長かったので、どこかを短くしたい。一場面を短縮するのはせわしないので、ばっさりどこかを切るべきだ。とにかくしばらくやってみて、緊張感というか、できのよくない部分を削ろうと思う。その決断がなあ。どこを切っても、物語に不具合がでるから、そこがむつかしいのだ。そして「間」は丁寧に残さなくては。ただ、少し長いとはいっても、見ているぶんには長さをまったく感じなかった。せわしなさからも逃れ、そしてシャープに。いい舞台にするために、最後まで考えつくそう。三科の芝居に、斎藤が笑っちゃってしょうがない。笑わない稽古を自主的にやっていたが、そんなことをしなくても、僕が、突然、「笑うな」と声を荒らげて一喝すれば、すぐに笑わなくなるにきまっている。これまで何度も同じようなことを経験している。そういうものなんですよ、俳優というのは。
■家に戻ってテレビをつけたら、「世界陸上」をやっていた。誰もが感じているのは織田裕二の異常なテンションの高さだ。為末が四〇〇メートルハードルの予選で落ちたとき、「やっちゃったよ、タメ」と為末を「タメ」呼ばわりした織田裕二は、きょう4×100メートルリレーに出場した末続について、「でも、スエは、よくがんばったよ」と言っていた。なんだろう。いったいあれは、なんだろう。それはともかく、九月になって一気に気温がさがった。きのうだったかな、深夜、風邪気味になって目がさめた。鼻の奥が痛い。典型的な風邪の症状。薬を飲んであらためて眠ったらすっかり治っていた。いやだなあ、風邪はいやだ。さあ、九月、初日まで時間がなくなってきた。映像のことを含めやっておかなくてはならないことはまだある。まだまだ忙しい。
(6:31 Sep, 2 2007)