『トーキョー/不在/ハムレット』

  本公演 (2005年/1月) より

『ニュータウン入口』

  本公演 (2007年/9月) より

『ジャパニーズ・スリーピング』

  本公演 (2010年/10月) より

『トータル・リビング』

  本公演 (2011年/10月) より

『夏の終わりの妹』

  本公演 (2013年/9月) より

『ヒネミの商人』

  本公演 (2014年/3月) より

『子どもたちは未来のように笑う』

  本公演 (2016年/9月) より

『14歳の国』

  本公演 (2018年/9月) より

Aug. 19, 2019

三月、山崎一君がラジオのゲストに来たとき

 僕がレギュラーを務めていたNHKラジオの番組の最後のゲスト(というのも僕が3月いっぱいで降板したから)が、俳優の山崎一君だった。はじめて山崎君と舞台を一緒にやったのは1990年の『遊園地再生』だ。その後も『ヒネミ』の再演などにも出演してくれたが、ラジオに来たとき、なぜか94年に上演した『砂の国の遠い声』の台本を手にしていた。砂漠を監視するという、ほとんど意味のない仕事に従事する「砂漠監視隊」の話だ。

 ケラリーノ・サンドロビッチ君がその作品についてTwitterで次のように書いてくれた。

傑作。/記憶が確かなら、宮沢章夫氏の砂漠監視隊シリーズは、ラジカル・ガジベリビンバ・システム「亜熱帯の人」にスケッチのひとつとして初登場後、同ユニットの最終作「砂漠監視隊」、遊園地再生事業団の「砂の国の遠い声」「砂の楽園」そして第一期遊園地再生事業団最終作「砂に沈む月」の全5作。

 そして山崎君は台本を開いて、彼が主宰する劇壇ガルバで、これ、再演させてもらいたいんですよ、と言ったのだった。ゲストに来たくせにやぶからぼうになにを言い出すんだ。「いいよ」と軽く応えてしまった私もどうかしている。公演は2020年の7月。オリンピックよりは、ずっといいと思う。出演者オーディションもあるようです。

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牛の知らせ もう一年が過ぎ夏も終わる 2019/08

 TOPPAGEを少し作り直し、過去の上演の記録はべつのページに移動しました。

 まったく更新を怠っていたのは、私がまるでだめだったからだ。「富士日記2.1」もほったらかしだ。バックナンバーを示すリンクの表を見ると、数年前までは死ぬほど書いていたのだがなあ。あと、あれですね、いま社会の傾向としてコンピュータを持たず、ネットはもっぱらiPhonをはじめとするスマホで閲覧という方たちが多いようだ。そりゃあそうだ。365日、PCMacを起動しっぱなしにしているならともかく、起動のたびに待たされるより、さっと開いてなにか知りたい情報があったらスマホで検索するのが一般的になりつつある。そんななか、「富士日記2.1」を更新するのもむなしくなっていた。さらに、Twitterで情報を発信することも多くなっている。あとサイトをスマホ用に作り直すのが求められている。どこのサイトに行ってもスマホ専用になっているので、あ、そうなんだと、ようやく気がついたわけだが。とはいえ、その作り方を勉強するのが面倒なんだよ。いまさらなんでそんなことをしなくちゃいけないのだ。だが、やってみたい。やってみたいんだよなあ、それはつまり趣味です。

 そんな夏だけど、短い小説を書きました。『母または母』というきわめて私小説に近い作品。まだほかにも小説を書こうと準備中。1990年に上演した『遊園地再生』という舞台作品の小説化など。そのように今年もなんだかんだで忙しい。仕事があって幸いですが、あのね、ひとつ困っているのは、ばかばかしいエッセイを書く媒体がないことだ。ああ、書きたいよお、でたらめなことを言いたいよお、意外とまじめな原稿依頼があって、それはそれで嬉しいものの、僕の本来は、「でたらめ」ですからね。『砂漠監視態』もでたらめな舞台だった。秋はまた、いくつか知らせたい仕事がありますが、それはまた今度。

                       ──宮沢章夫


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