富士日記 2.1

July. 29 tue. 「残念な夏」

ご心配をおかけしました。メールをたくさんいただきました。ありがとうございます。
手術の日程はかなり早まりそうなものの、べつの病院に移らなければ施術はできないらしい。カテーテル検査が終わればすぐに退院かと思ったら、手術まで「待機しろ」と言われた。そこで、「八月十日に取手でアートプロジェクトの審査がある」とか、「大学の成績をつけなければいけないからなあ」と、「俺は忙しいんだ」ということをそれとなく主張して、なんとかいったん退院する方向にもってゆこうとしたが、ことごとく否定されてしまった。また、愕然とした。この夏はずっと病院ぐらしか。だったらさっさと手術していただきたい。もう、あした手術してもいいんだ、俺は。
夕方、笠木と、映画監督の富永君が見舞いに来てくれた。いろいろ話をする。少し気が晴れた。そういえば、先週、大学で僕の授業のTA(授業のアシスタント)をしているK君とT君がやはり来てくれ、そのときも気が晴れたけれど、このふたりのコンビがなんかいい。新潮社のN君からは、あれからすぐに、『定本・日本の喜劇人』(新潮社)が送られてきた。申し訳ない。もちろん、『日本の喜劇人』は晶文社版の「定本」だけではなくすべての版を持っているが、新潮社版(文庫版ではなく、新装版)はあらたに所収された文章が入っているようだった。

これから毎日、「血管バイパス手術」について、細かく記録しておこうと思う。なにかの役に立つんじゃないだろうか。同じような病気の人にとって参考になればいい。それから時間があるので小説を少しずつ書いてゆこう。いまできるのはそれくらいか。学生のレポートを読む仕事があるのだが。

(6:20 July. 30 2008)

July. 28 mon. 「検査の結果にひどく落胆する」

カテーテルの検査の当日であった。
まあ、検査にいたるまで、それから、検査後、止血のために六時間動かずベッドで横になっていなくてはならない苦痛も、たいへんといえば、たいへんだったが、それより検査の結果が予想外に重大だったことと、それにしては、元気に生活している自分がおかしいとはいえ、ともあれ愕然とした。まあ、話をぜんぶすると長くなるので簡単にすれば、心臓に重要な三本の血管があって血液を供給しているが、その三本がぜんぶふさがっていた。で、ふさがっているものの、その血管がえらいもので、あらたに血管を作ってべつの血管とつなげていたのだ。ただ、本来の元気な血管ではない。障害がある。結局、血管のバイパス手術という大きな治療をしなくてはならないことになったのだ。
手術はいい。いつだって受ける覚悟はできたが、時期がね、秋からの授業はぜったいにやりたいのだ。いま、この入院を利用し、いろいろな本に目を通し、話したいことがいくらでもあるのだ。というか、話さずにおれない。いまだからこそ、話さなくてはならないことや、たとえば、「サブカルチャー論演習」で、演習だからこそ、やりたいアイデアを思いついてそれを実行したい。大学に行きたい。授業をしたい。学生たちに伝えることがまだまだある。

幸いにも、しばらく舞台の予定がなかったが、それもなにか予兆というか、巡りあわせというものか。舞台の予定が入っていたらたいへんなことになっていたな。まあ、予定がなかったというか、次の舞台への展望がまったくなかったわけだが。いろいろ低調な状況にあります。からだのこともそうだが、遊園地再生事業団も。ともあれ、からだを治さなくては。それにしても、あの心臓の状況で、よくがんばっていたなと、見せてもらったカテーテル検査の結果の画像を見ながら自分の心臓に感謝した。その画像を見ると煙草を吸う気がまったく起こらなくなった。だって、死ぬよ、このままだと。
まだまだ、やりたいことはいくらでもあるのだ。

(22:26 July. 28 2008)

July. 24 thurs. 「日焼けする入院患者」

『ニュータウン入口』に出た三科が見舞いに来たのは、きのうの午後で、その後、夕方になって早稲田の岡室さんが来た。いろいろ話しができて楽しかった。「メディア論」という授業のレポートを岡室さんから受け取った。なかに、やけによく書けたレポートがあって、調べたらネットにあった粉川哲夫さんの文章の完全なコピーだった。コピー・アンド・ペースト。引用してそこから自分の考察が加わっていればいいが、なんにもないわけである。コピーだけ。単位をやるわけにいかない。こちらが気がつかないと思ったら大間違いだ。
昼間、近くの公園にあるグランドを二周した。汗をかいた。気持ちがよかった。けっこうな距離がある。入院患者なのに日焼けしてしまった。あとは呼吸器系の検査。検査機械がかなり進化しており、こういった検査は一度もこれまで受けたことがないと思ったが、鼻に洗濯挟みのようなものをつけ鼻からの呼吸を止め、それから息を吸う時などに、先生が「もっと、吸って、もっともっと、もっと頑張って」とものすごい形相で言うのを聞いて、かつて同じような検査を受けたのを思い出した。検査の結果はあまりよくない。煙草のせいか。
カーテーテルの検査次第だな。深刻な病気でないことを祈る。とにかく退院したい。カーテテルの検査が怖い。なにしろ心臓までカテーテルが来るって、それ考ええられないような状況だ。いやだいやだ。修行の日々。やはり、「夏は修行の季節」である。

(2:56 July. 24 2008)

July. 23 wed. 「それからさらに病室で」

気がついたら十日が過ぎていた。
なかなか退院させてくれない。カテーテル検査がある日まで少し時間ができるから、一時的に退院させてくれるという話だったが、先週の金曜日の検査で、「ベテラン医師の勘」で入院が先送りされた。「勘」だったのかよ。おかげで入院費はかさむ。買いたかったものはがまんしよう。いろいろあったんだよ、買いたかったもの。あれも、これも。でも健康じゃなくちゃなにもできないのでここはがまんだ。ただ、退院できないことで落ち込んだというより、なにかいろいろなものから取り残されて行くような不安で、ひどく落胆したのだった。ずっとそんなふうに仕事をしてきたからここでひとり置いてきぼりになるような、まわりはみんな精力的に仕事をしているのにひとりなにもできないような、そんな不安にいつでもかられている。
「心不全」と言われても、自覚症状がないのでどこがどう悪いかよくわからない。しかも、医師もまた、「勘」である。カテーテルの検査ではっきりするのだろうか。毎日、塩分の少ない(量も少ない)食事を摂り、時間があれば病院内や、近くの公園を散歩し、本を読み、ネットを徘徊といった日々だ。まめに入院記録を付けていればよかった。書く気力がなかったのだ。

たくさんの見舞のメールをありがとうございました。そして、その後も何人も見舞に来てくれた。差し入れしてくれる本がどんどんたまる。新潮社のN君、M君、Kさんが来たとき、差し入れはなにがいいですかと直前に電話で聞かれたのだが、小林信彦さんが新潮社から新たに出した『定本・日本の喜劇人』を頼めばよかった。あとで思い出した。でも何冊か本を差し入れてくれた。しかも、新潮社以外の本が多かった。なぜ?
三坂が女子高生のかっこうで見舞いに来たのは、まあ、三坂だったのでさほど驚かなかったが、それよりそのとき、矢内原美邦や、ニブロールの映像を作っている高橋君、笠木、伊勢らがいたが、そこへ担当医のマンダイ先生が来て僕にいろいろ説明してくれたものの、マンダイ先生が、どうも三坂のことが気になっている。そりゃ、気になるだろう。どう考えてもそれはおかしいのだから。そこで「この人はおかしな人なので気にしないでください」と説明をしたものの、それで納得できたかどうかはわからないし、そのおかげで、僕の退院も延びたのではないか。
しかし、そんなおかしな三坂をはじめ、みんなに励まされ力一杯、入院生活を過ごしている。とにかくいまは休養しろということだろう。なにかに促されたのだろう。心不全で、心臓が少し不調ということになると、これまで計画していた外国に長期滞在とか、そういったことも現実的ではなくなってしまった。あと、大学のことが気にかかる。みんなに迷惑をかけている。この夏に病気を少しでも回復させ秋からの授業に備えなければ。

(8:50 July. 23 2008)

July. 13 sun. 「さらに入院中、その途中経過」

深夜に眼が覚めてしまった。これを書いているのは、正確には、14日の午前二時過ぎである。かれこれ10日以上入院しており、しかも、体調は回復傾向にあるので、さすがに入院生活に飽きてきた。ところで、七月に入ってからまったく煙草を吸っていない。このまますんなり禁煙できると考えるのがふつうかもしれないが、そうは簡単にゆかないのじゃないかと、それが不安だ。煙草とは長いつきあいだった。さすがに二十歳ぐらいになってはじめて吸ったが、たとえば、いま大学の授業が終わったあと、体力的というより、精神的にぐったり疲れたとき、気をゆるめるのに、煙草がどれだけ救ってくれるか。
このご時世、煙草を吸わないとどれだけ、楽に生きていけるかよくわかっているつもりだ(全面禁煙のレストランに入れる。図書館で勉強ができる。大学の研究室で作業ができる)。吸わないにこしたことはない。建康のことがまず第一だし。だけど、禁煙を推進しているやつらの顔を思い浮かべるとなんだか腹立たしい気分になるのだ。自分が禁煙しても、ぜったい、禁煙運動には否定的でいよう。むしろ、自分が吸わなくても、喫煙者の権利は守る側に立とう。
それにしても、その後、体調のほうはぐんぐんよくなっているものの、これからもっとも難関の心臓カテーテルによる検査があって、これが俺はいやだよ。いますぐ逃げ出したい気分なのである。でも、ここでしっかり検査して治療を受け、後期からの授業をまっとうしたい。夏休みにはさらに勉強をして「都市空間論」と「サブカルチャー論」を充実させたい。前期はまだ曖昧だった。そんなおり、入院生活に飽きたので、アマゾンで、三万円近くするゴダールのDVDボックスを買ってしまった(個人研究費で)。もう、こうも暇だとなにかネットを利用して買いものをするしか気分の発散ができないではないか。

その後、何人もの人が見舞に来てくれた。本の差し入れはともかく、三坂がウクレレを差し入れてくれた。意味がわからない。みなさんに心配をかけましたが、だいぶ体調は回復しております。ありがとうございました。早稲田の授業は、岡室さん、千葉さん、TAの学生らのおかげでずいぶん助けられているのです。まったくもって申し訳ない次第です。ぼんやり病室で時間をつぶしているあいだに、次の創作に向けてまた新しいことを考えております。でも、まだなにかに喚起され、示唆され、刺激され、これを書こうという「テーマ」や「素材」に出会っていない気がする。刺激されるなにものかに出会いたい。大学の授業をしているなかでなにかが発見できるように思えているのだ。

(2:45 July. 14 2008)

July. 9 wed. 「入院中」

ただいま、入院中です。たくさんの方にご迷惑をおかけしております。大学も休講続きになってしまい、学生に申し訳ない。さらに、一日付のこのノートに書いた、イメージフォーラムでの「作家研究連続講座vol.1- 川部良太『アパートメント・コンプレックス』」のアフタートークにも参加できなくなってしまいました。すいません。
六月から体調が悪かった。週末になると、ぐったりしてなにもできずにいたが、疲れているのだろう、ぐらいの感じでたかをくくっていたのだ。先週の木曜日(3日)、あまりに体調がひどいので病院に行き、そのまま入院することになった。肺に水がたまり、それを抜いたら一リットルもあった。どこにそんなに水がたまっていたのかと驚かされた。しばらく検査と治療で、退院できるのは先になりそうです。まだご迷惑をおかけしますが、体調を万全にしてから、仕事に集中したいと思います。時間があったら、このノートも更新します。病院に入ってから食事制限と、水分の制限があり、さらに利尿剤を注射されているので、まるでボクサーのような生活です。体重が一週間で七キロくらい落ちました。では、またなにか書きます。

(14:26 July. 9 2008)

July. 1 tue. 「体調は悪いが、どうしても伝えなければならないこと」

いま、これを書いているのも、必死の状態なのだが、とんだ失敗をしたので、それを報告しなければならないのである。
イメージフォーラム・シネマテークのページをごらん頂きたい。

作家研究連続講座vol.1- 川部良太「アパートメント・コンプレックス」

 という上映会のお知らせがある。そして、タイムスケジュールがあり、その下に「アーティスト・トーク(各回上映終了後。半券で参加できます)」というのが目に入るだろう。そのスケジュールである。とんだ間違いをしてしまった。すべては私のほうの問題だったのだ。現行のスケジュールだと、

7/12 7:30 川部良太
7/13 2:00 対談:宮沢章夫×川部良太
   4:00 川部良太
7/18 5:00 川部良太
   7:00 川部良太
7/19 7:30 川部良太

 となっているが、13日、私はどうしても都合がつかなくなってしまったのだ。このスケジュールはフライヤーなどでも告知されているとのことで取り返しのつかないことになってしまった。大学のことなどもあって、一日だけ私に余裕が奇跡的にあり、それが
「7月12日(土) 午後7時30分」
 である。関係者のみなさまに、たいへんご迷惑をおかけしました。すいません。取り急ぎのお知らせでした。私の体調は相変わらずである。いま、これを書くのもへろへろである。とにかくだめだが、いろいろな方からアドヴァイスをいただき、とても助かっております。ありがとうございました。

(14:20 July. 2 2008)

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