富士日記 2.1

Nov. 30 sun. 「横浜へ、高円寺へ」

高円寺のフリーマーケット

こんなに充実した一日を過ごしていいのか、しかも天気がいいし、いいことづくめで、逆になにか悪いことが起こるのではないかと思うほどの吉日だ。三ヶ月以上になると思うが、久しぶりにクルマを運転した。レンタカーを借りて横浜に行ったのである。レンタカーは12時間のコース。横浜で用事をすませてもまだ時間がある。それで思いきって高円寺に向かったのは、次の「都市空間論」の学生の発表が「高円寺」だからだ。僕もフィールドワークすることにした。すると、会うかもしれないと思っていた学生たちに、ほんとに会ってしまったから驚いた。向こうもフィールドワーク中。ま、それはあとで詳しく書くことにして、ちなみに写真は、高円寺の「素人の乱」というリサイクルショップのある通りでフリーマーケットが催されている様子。
横浜に行ったのはクルマを買うためだ。ネットで下調べをしたが、試乗させてもらい、即決。ほとんど迷わずに決めた。どうなのか。それにしても横浜までレンタカーで向かうとき、久しぶりの運転は怖かった。国道246号線を東名の入口のある用賀まで慣れるために走る。だんだん勘を取り戻してきた。東名で「横浜町田」のインターまで。意外に近い。レンタカーにはカーナビがついていたが、やっぱりカーナビは面白く、というのも、いくら道をまちがえてもいやな顔ひとつせず、音声案内の人は、まちがった位置からの道をすぐに探してくれる。「ちっ」とかなんとか、そういった素振りはいっさいみせないけど、ま、カーナビがね、「ちっ」と言ったら腹立たしいけどさ。あと、トヨタのクルマだったが燃費がすごくいいので驚かされる。聞くところによると、プリウスというエコカーはさらに燃費がいいとのことで、知人は、自分のクルマを修理に出しているあいだ、代車として乗っているときあまりにガソリンがなくならないので計器が壊れたのかとさえ思ったという。
そんなおり、私はあまり燃費がいいとは思えないクルマをまた買ってしまった。申し訳ないような気持ちだけど、誰に対して、申し訳なくなればいいのだろう。子どもたちへか。未来の人へか。自然を守るためにクルマで現地に向かうようなことを人はする。森林の伐採を危惧する都市の住人の、いま住んでいるその場所だって、かつては森だった。森林伐採の歴史はかなり長い。とはいうものの、地球はあきらかに危機だ。いまの経済システムが続く限り自然の収奪が止まるとは考えられない。ドバイはすげえよ。いまのドバイを見て、かつてのトーキョーの愚かさを思う。

横浜から高円寺へ。ぶらぶら町を歩いた。それでフリーマーケットをやっているのを見たし、フィールドワーク中の学生たちにも会った。「素人の乱」の松本君に学生たちが話を聞くとのこと。ただ、松本君はフリーマーケットで忙しく、話を聞くのは夜だというので、僕はまたこんどにした。挨拶だけでもすればよかったかな。九月に松本君とトークイヴェントをやる予定だったが、僕が入院していたので延期になったのだ。
歩きながらいろいろなことを考えた。それで南口の古着屋などが並んでいる通りを歩いたら、「前衛派珈琲処」という店を見つけて休憩。なかに入るとたしかに「前衛派」だった。というか、「表層的な傾向」としての「アングラ風味」か。あるいは「ある種の美大系」っていうかなあ。それでまた、考えたのは、「オタク的なもの」とは異なるこうした指向性もあること。わからなくなってきた。
あと「中央線」と「ロックミュージック」の親和性についても考えるべきことはあるのじゃないか、と思いつつ、さらに歩く。「Auviss」というレンタルビデオ屋へ。メールで教えてもらったこともあるが、それ以前に、なにかのきっかけでなぜか知っていた。すごくマニアックな品揃えだ。レンタル以外にも、セルDVDもあったが、どう見てもブートレッグの音楽DVDだ。西新宿にあってもよさそうな店だが、ただ、レンタルのビデオを置いているのは、またちがった傾向。よく歩いた。早起きだったので帰りは疲れた。レンタカーを返して帰宅。夜になるとかなり寒かった。

で、いま知ったんだけど(このノートのアップからおよそ30分後)、「素人の乱」の大阪店というのができていたのか。お店のブログによれば、開店イヴェントに大阪のM君が参加し、松本君と同席しているではないか。わからないものだなあ。そして、「素人の乱」的なるムーブメントの拡大がたのもしい。えらいよ、みんな。そのブログに載ってる「電車のなかで寝ているすごいかっこうの人の写真」が笑う。

(8:41 Dec. 1 2008)

Nov. 28 fri. 「どう考えたらいいのか」

Rolling Thunder Revueのディラン

仕事のことや、いろいろあったことは、まあ、毎週書いてかわりばえしないから省くとして、私がきょう、ちまちまやっていた作業のことを書こうと思うのは、「いかに私は大学の授業のために映像素材を作ろうと努力したか」という記録のごく一部として、こんなことをしている自分があきれたことになっているのと同時に、それが楽しくて仕方がないことがある。
さて、前提として、ボブ・ディランのライブ映像を記録したブートレッグ(海賊版)DVDがあるのを想像していただきたい。映像もあまりたいしことことがないんだけど、なにより気になるのは、音である。手元にあるのは、「Rolling Thunder Revue」という一九七五年頃の映像だ。音がだめだ。どうにも気に入らない。これを授業でそのまま流すのは納得できないのだ。そこで、映像とはべつに、『The Bootleg Series Vol.5 : Bob Dylan Live 1975, The Rolling Thunder Revue』という音源がある。この音源を映像に合わせたらどうだろうと思ったのだ。ただ、「Rolling Thunder Revue」というライブは各地をツアーした総称だから、あの映像がどこの土地で撮られたかわからない。音源を録音した場所とは異なると思われる。簡単に同期するだろうか。で、Final Cut Proに映像を取り込み音の部分を削除。そこに「The Bootleg Series Vol.5 : Bob Dylan Live 1975, The Rolling Thunder Revue」の音源を入れる。微妙に、一コマずつ、ちまちま合わせているうちに、なんとなく合ってきた。よーく見ると、歌と口が合っていないところがあるが、ほぼ違和感がない。ちまちまやった。ほんとうにちまちまやっていたのである。タイトルのテロップも入れて素材はできた。Quick Timeで書き出して完成。楽しかった。なんという愉楽だろう。
といったわけで、今週もまた、木曜日の二コマと、金曜の二コマを終えて一段落だが、金曜日の「サブカルチャー論演習」の授業をやっていると、いわゆる「オタク」と呼ばれ、そこから派生した(と思われる)さまざまな現象をどう考えていいのか、どう向き合ったらいいのか、よくわからなくなる。なにしろ自分の関心領域について取り上げ発表してもらうとものすごい勢いで「オタク的なるもの」「腐的なるもの」が押し寄せ、のみこまれそうな気分になるからだ。だからって、(一般的には)そういう者ばかりではないだろう。みんながみんなアニソンが好きじゃないだろうし、夏はフェスに行ってロックを聞いてるやつだってあれだけの数がいるわけだし、演劇を観る者もいて、マニアックな映画を観る者もいれば、小説を読む者がいる……、で、するとなおさら、文化圏の棲み分けの構造がわからなくなってくるというか、もっというなら、「かっこいい」の輪郭がぼやけてくる。価値のありかが見えなくなる。授業が終わったあと、研究室でいつものように学生も含めてくつろいだが、白水社のW君とそうした話題になった。これも、「都市空間論」を本にするとき内容に含めよう。かつて、「新宿」「原宿」「渋谷」を実感するときに存在したのはおそらく「かっこいい」というある特別な価値のあり方だったはずだ。秋葉原で大量殺人を犯した加藤は、渋谷を通り越して、秋葉原に向かった。なぜか彼にとって「現場」は秋葉原でなければならなかった。僕には「秋葉原」は、電気街とはべつの側面として、ただ泥臭い土地にしか見えないが。

木曜日も、金曜日も地下鉄を乗り継いで帰宅。木曜日は夕方の六時から授業があり、金曜日は、四時過ぎから七時半までだから、二日ともとにかく腹が減る。授業が終わったあと、研究室でなにか食ってやろうか、炊飯器とかレンジを買って食事してやろうかと思うほどだ。

(15:17 Nov. 29 2008)

Nov. 26 wed. 「ほぼ一日、コンピュータの前にいた」

自転車の少女

ずっと家で仕事をしていた。メールをいくつかもらったのはテレビに出たのを見たという内容。ディレクターのKさんのほか、以前、早稲田で僕の授業にも出ていたSの姉で、NHKでやはりディレクターをやっている、当然というか、姉妹だからSさんだけど、そのSさんからもメールをもらった。
いくつかの原稿やゲラのチェックを週末から週明けにかけて仕上げてあったので、予想より大学の準備がしっかりできた。仕事がたまっていたので、今週はだめなんじゃないかと思いつつ、大量の絵をスキャン。それをファイル化して、Keynoteに読みこむ作業をせっせとやる。しかし、Keynoteで授業をするときいちばん気になるのはスライドの順番だ。きちんとメモしないと、次に来るのがなんのスライドだったか忘れる。メモを作る作業がきわめて面倒だけど、あれ、人はどうしてるんだろう。なにか楽にできる方法があるのだろうか。メモを作り終えてから、あらためてKeynoteをチェックすると、ここにもう一枚入れたいと思ったときなど、スライドを入れるのは簡単だが、メモの訂正がまた、しちめんどうなんだよ。うーん、なんかあるんだよな、たとえば、テキストエディタとか、ワープロとか使うんじゃなく、表計算ソフトみたいのだと順番を入れ替えるのが楽だとか、そういったこと。
かといって、表計算ソフトでできた「表」が物足りないのは、話す内容をどうメモしてゆくかになる。するとどうしたって、ワープロソフトが必要になるじゃないか。授業の準備は、まず話すテーマに沿って、だーっと、とにかく文章を書く。すると考えが少しずつまとまってゆく、あるいは新しいことを思いつきもし、「書く」のがきわめて大事になる。で、そのできた文章に補足のデータを入れてゆく。というのはつまり、人物だったら、その生年、あるいは享年といったデータだし、参照すべき事柄も含まれる。ただ、こういうとき、「書いたもの」をそのまま読めるかっていうと、「原稿を読む」というのはどうもうまくいかず、だいたい、その文章を無視して、あらましを自分の言葉、話し言葉に翻案して話す。そういうふうにしかできない。このへんも、なにか方法があるのだろうか。あと、授業全体が、パフォーマンスのようなつもりで、一時間半近くの公演のつもりで全体を作ってゆくのは、べつにうまく授業をやるとかではなく、それが楽しいからだ。つまり創作であり、表現であり、Keynoteを使った作品だ。まだまだ、未熟だが。

いまは、ありものの映像素材を使うのがほとんどだ。オリジナルの映像を作れたらいいな。で、いろいろ探して出会ったのは、Jemapurという日本のミュージシャンのサイトで紹介されているPVを作っている映像作家たちの作品。とてもいい。こういうのを観ると、現代アート、メディアアートなどアート系と、PVとか、わりとコマーシャルな映像とのあいだにあるようで、そこに惹かれる。でもジャンルじゃなく、いいものはいいのだが。あと、Jemapurの音楽も気持ちがいい。
夜、幡ヶ谷まで買い物に行く。行きは電車。一駅。帰りは歩き。遊歩道をてくてく歩く。夜の散歩。

(10:35 Nov. 27 2008)

Nov. 25 tue. 「秋の気配のなかを歩く」

新宿中央公園

午後、クルマのショールームに行こうと新宿中央公園を抜けて西新宿の向こうまで歩いた。冬の冷気で木の葉はすっかり色づいていた。くすんだ黄色の落ち葉が地面の芝の上に積もっている。かつてこの公園は、野宿者たちで小さな街ができていたが、いまはもうすっかり排除されていた。ほんの数人、ほかに行くことろがなくて戻ってきたのか、まだ生活しているようだった。たしかに、あのころより公園は公園らしくなったが、あれだって、公園だったはずだ。どっちの公園がいいか。誰が利用するかで、公園の意味は当然、変わるとはいえ、しかしどこにも行けなかった彼らが簡単に排除の対象にされるとしたら、そんな無力な政治はない。
きのう(月曜日)は雨。ほとんど家を出なかったので、きょう、クルマを見に行くのを楽しみにしていたのにショールームは定休日だった。がっかりだ。西新宿をのんびり歩いた。一日あけたら、すっかり天気がよくなっている。風は少し冷たくても歩くのは気持ちがいい。西新宿をゆっくり歩いてあらためて見ると、かつてと基本的な地形は同じなものの、少しずつ変化しているのがわかり、小さな変化の連続がまったく知らない町にしている。新宿駅の西口から百円の循環バスに乗って家に戻る。原稿を書く。「考える人」(新潮社)の連載。町を歩きながらも、連載に掲載する「考えない写真」を撮り続けていたのだった。「考えない写真」がけっこうむつかしい。なにしろ、考えないだけに、どう、そうであればいいか悩む。たまたま変なものが落ちていたとか、そういった写真が多くなってしまう。もっと画期的な、「考えていないっぷり」が撮れればいいが。
原稿を書き上げてから、「サブカルチャー論」の準備を始めたのはもう夜も遅くなる時間だった。すると僕の出たテレビがはじまった。恥ずかしいなあ。恥ずかしいくらいなら出なければいいが、つい出てしまったのだ。で、深夜、取引をしている古書店の方からメールをもらったところ、事務的な言葉のなかに、テレビで僕を見たことが書かれており、また赤面したのだった。テレビって、思わぬほどの数の人が見ているから驚かされる。

(16:43 Nov. 26 2008)

Nov. 23 sun. 「やけに天気のいい日曜日だったよ」

『メイエルホリド 演劇の革命』(水声社)

まったくご縁がないにもかかわらず、水声社という出版社の方から、『メイエルホリド 演劇の革命』( エドワード・ブローン/著 浦雅春・伊藤愉/訳)という本を送っていただいた。まだ手にしたばかりで読んでいないが、本を手にし、ぱらっとページを開くととてもいい感じだ。すごくうれしかった。送ってもらわなければ買っていたと思うので、むしろ、こうして贈呈されたことが申し訳ない気分になった。読んで感想を書こう。それがせめてものお礼になるだろう。
その後も、ケルアックのことを考えていた。『オン・ザ・ロード』の読み直しと、調べたらケルアックに関する本はかなり出ており、少しずつ読んでゆこうと思ったのだ。いまごろになってケルアックってのも、なんかあれだけど、もっと若いときに読んで感動し、旅に出ようとか、生き方について考えるとかあってもよさそうなのに、いったいなんだろう。
ただ、僕は三十歳を過ぎたころ、それまでの仕事をぜんぶやめて外国に行ったのだった。バックパックを背負っての貧乏旅行だ。あれがその後の自分を決定づけた。一緒に旅をした、私の旅の師匠、福間はどうしているだろう。いまでもどこか外国にいるのではないか。もし、この日記を読んだらメールを送ってくれればうれしいが、ネットのいいところは、それが不可能じゃないところだ。ことによったらということがある。もう、あの旅から二十年になる。

やけに天気のいい日曜日だったよ

借りていたDVDを返しに午後のまだ早い時間に渋谷まで行った。山手通りからバスに乗る。やけに天気がよかった。公園通りでバスを降りると通りは人が少なかった。おかしいな。まだ時間が早いのか。どこかすかーんとしている。連休の中日というのもなにか関係するのだろうか。空気は少し冷たかったが気持ちがいいので、公園通りから、神南小学校の方向へ歩き、そのまま、スペイン坂に向かう。左右の店を見ながらぶらぶら坂を下ると、井の頭通りを越え、いつのまにか、センター街に出た。DVDを借りるのはたいてい夜だし、渋谷に来るのは暗くなってからが多いから、あたりの景色がいつもと印象が違って見えた。歩いてきた道々、ずいぶん、店の感じが変わったし、かつてここにはなにがあったか、すっかり記憶が薄れている。
歩きながらものを考えていたら、なにか奇妙に、やる気があふれてきて、なんていうんだ、新しいことができそうな不思議な気分になったんだけど、それはたとえば、時代を変革してやるぞ、変わるぞ、きっと変わる、といった大それた気分だからいよいよおかしい。これはことによったら、「躁」というやつなのではないか。精神的な病としての「躁」の人は大活躍することがよく知られているが、大活躍してしまったらどうするかだ。みんなの迷惑になるんじゃないか。だけど、なんかできそうだ。
またバスで家に戻り原稿を書く。大活躍のわりには、地味に原稿を書いているのであって、いきなりオバマ新大統領にこれからの日米関係について提言するため手紙を書き送るとか、そういったことはしない。ああ、気分がいいな。おそらく天気がかなり関係しているんだろう。いい天気だった。でもって、夜はカレーを食べにインド料理屋へ。あ、そういえば、土曜日はなにをしていただろう。疲れていたので一日中、家にいて、本を読んだり、コンピュータで映像を加工したりしていたのだな。コンピュータにおける映像の話はいつかまとめておこう。「いかに私は大学の授業のために映像素材を作ろうと努力したか」という記録である。

(8:23 Nov. 24 2008)

Nov. 21 fri. 「街を見る」

オペラシティ恒例のばかさわぎ

かなり冷えてきた。「都市空間論」の授業はフィールドワークに出るための準備をはじめた。こんなに寒くなってからってのも考えてみたらふさわしくないわけで、もっといい時期があったんじゃないか。けれど、こういう季節にならなければ空気の冷たさは実感できない。
前期のこの授業では、毎週、学生が街に出て行きレポートしてくれた。指示は「固有の街」だったので、たとえば「秋葉原」というキーワードで街を歩いた。後期は、コンセプチャルなテーマを設定した。そのひとつに「観覧車」がある。かつて都市の近郊には(向ヶ丘遊園のように)遊園地があった。鉄道会社によって人を郊外へと導く事業だったはずだし、郊外電車の意味もそこにあったのだろう。そのような都市の構造が崩れると都市近郊の遊園地の役割は終わる(郊外が、すでに郊外以上のものになっているのは、多摩ニュータウンがかつてよりずっと拡大しているのを見ればわかる)。ところが、観覧車だけが街に突然、出現するのは、お台場とか、横浜とか、もっというなら大阪の梅田駅前のことを見ればわかる。観覧車とはいったいなんだろう。観覧車が象徴する都市とはなんだろう。そんな授業。そのあと「サブカルチャー論演習」があり、韓国からの留学生が「ゲイ」について発表してくれ、そのなかに出てきた「クィアコード」の話が興味深かった。
といったわけで、早稲田をあとにして地下鉄を乗り継ぎ初台に戻るとオペラシティは例年のようにクリスマスツリーが建てられていた。今年のツリーはなにか電気的な細工がしてあるらしい。ボタンを押すと、照明かなにか、音楽かもしれないが、なんらかの変化があるらしく、会社員たちがボタンに群がってる姿が変だった。ともあれ、「都市空間論演習」が面白くなってきた。これももっとじっくり考えよう。なにかが発見できる気がする。

(13:05 Nov. 22 2008)

Nov. 20 thurs. 「大学の日々」

紀伊国屋書店の催し

今年の五月ぐらいからしばらく、いろいろな方よりメールをもらっていたのに、返事を書けなかったのは、体調が悪かったからだ。で、結局、夏に入院になってしまったわけだが、過去のメールをようやく調べる余裕が出てきたので、少しずついまごろ返事を書いている。ほんとに申し訳ない次第だ。しかも、入院してからはそれを心配してくれた方のメールもあるのに返事ができずじまいで、こちらも少しずつ返さなくてはいけない。と、ご連絡といった感じで書かせていただきました。まだしばらく時間がかかるかもしれませんがいましばらくお待ちください。

「サブカルチャー論」のある日だ。つい、「サブカルチャー論」のことばかり書いてしまうが、六限からは「戯曲を読む」という演習の授業をやっており、ようやくきょうチェーホフの『三人姉妹』を読み終えた。次はブレヒトの初期作品『夜うつ太鼓』だ。この演習も大事だ。というか、テキストを読みながら、こうした形式で読むからこそ気がつくことがあるように感じる。それにしても意外に学生が漢字を読めない。どうなってんだ。「腕白小僧」を「ウデシロコゾウ」と読んだ人がいて、笑った笑った。
といったことで、「サブカルチャー論」は、またぎっしりの教室。暑い。暖房が効き過ぎているのか、汗をかきそうだった。ようやくケルアックの話を終えて、「一九五〇年代論」が終わった。自分が生まれた時代だ。まったく知らない時代だけれどそこになにか魅力を感じる。しばしば語られるのは「六〇年代」だが、それを準備したその時代は、準備しているからこそ「なにかが胚胎した時期」として興味深いのではないか。舌足らずの部分がかなりあった。もっと語るべきことがきっとある。なにかでまとめたいものだ。
新潮社のN君からメールをもらった。「八〇年代」について、論考ではなく、もっと異なる言葉で書いたものが読みたいとあった。津野海太郎さんの『おかしな時代——「ワンダーランド」と黒テントへの日々』についてN君は、まだ「名付けられないもの」としての「アングラ演劇(=六〇年代演劇)」を記述しようとした「試み」ではないかといった意味のことを書いてくれたが、同様に、「八〇年代」もまた、当初は「名付けられないなにものか」だったのであり、その後、「スカ」と言われたり、さまざまに定義づけられたが、暗中模索のなかで僕もまた、必死にやっていたように思う。生きなければならなかったからな。よくわからず夢中でやっていた。生きるためと、生きるためだけではなく、自分がしたいことだけをしようとしていた。あの時代のことがなにかで書けたらいい。覚えてないことのほうがずっと多いのだが。

授業を終え、家に戻って、「都市空間論」のことを考えていた。いよいよ学生たちを街に出そう。フィールドワークの開始だ。その作業のコンセプトを考えていたのである。この授業も面白くなってきた。もっとなにかあるな。じっくり考えて、来年、これを本にしよう。そんな大学の日々。

(11:05 Nov. 21 2008)

Nov. 19 wed. 「珍しく水曜日に書く」

授業のため、ジャック・ケルアックのことばかり、この数日、考えていた。もう語りつくされただろうケルアックの、なにかオリジナルな読み方がないかと思っていたのだ。かつての翻訳では、『オン・ザ・ロード』は、『路上』と訳されていた。けれど、「オン・ザ・ロード」という生き方があり、ケルアックの真意を正しく言葉にするには『オン・ザ・ロード』でなければいけないということを、池澤夏樹さんが(というのも、新訳は池澤さんが編纂した世界文学全集に入っているからだ)書いている。それは、「路上にあるということ」ではないかと考えた。いったい、「路上にあるということ」とはなんだろう。それを数日、考えてあぐねていたのだ。うまく解けない。
気晴らしにクルマのことも想像する。以前、乗っていたゴルフは、手術を機に、買ったお店の人に引き取ってもらった(車検も切れたからな)。新しいクルマがほしかったわけだ。『オン・ザ・ロード』の旅は大半がクルマだし、あるいは、バスだ。ものすごく広い国だな、アメリカ。授業の準備は苦行のようだが、クルマのことを考えるとわくわくする。
久しぶりに水曜日に書いたとはいえ、少し短い。ただ、いつも授業がある週も終わりのころになると更新がストップするのもなんだと思って、書いてみた。夜、渋谷のTSUTAYAにDVDを借りに行った。渋谷は夜の10時を過ぎてもにぎわっていた。そんなことより、授業には間に合わないけれど、これもなんかの縁だと思って、ケルアックの『オン・ザ・ロード』を何度も読んでみよう。何度も読むことではじめて気がつくことがあるのじゃないか。それにしても、寒くなってきた。外に出るとかなり冷えた。ただ、冷たい空気が気を引き締めてくれるようだ。手術をしてから、からだの調子も、精神的にもかなり調子がいいが、それと同時に、なにかストイックな気分になったのも不思議だ。からだをしぼろう。だらだらしている場合ではない。

(7:54 Nov. 20 2008)

Nov. 17 mon. 「さ来年の話をしよう」

風邪薬のシーズン

毎年、この時期になるとかならず風邪をひいていたが、今年は調子がいい。これも手術のおかげか。こうなるともう、なんでも手術のおかげってことになり、いい原稿が書けたら手術のおかげになるし、いい作品ができたらそれも手術のおかげで、すごいな、「手術」のやつ。万能である。まあ、考えられることはほかにもあるが、いろいろあって、今年の冬は健康である。気分もいい。
土曜日(15日)が過酷な一日だったので、その翌日の日曜日はほぼ一日、眠っていたといっても過言ではない。三度ぐらい眠った。眠くなったら寝た。いくら眠ってもすっきりしない。
そんな日(16日の日曜日)、笠木が家を訪ねてくれて、遊園地再生事業団の今後についていろいろ考えてくれたのだった。助けられたというよりは、勇気づけられた。感謝してもし足りない。遊園地再生事業団の次回公演は再来年2010年)になるだろう。来年は作品制作のための集団の再編のために一年を費やそうと思うのだ。気が向いたら、きわめて小さな規模の舞台をやるかもしれない。それも集団をあらためて考えるための練習というか、ウォーミングアップだ。
ところで、笠木はきょうから山形だそうだ。映画のロケ。監督は『パビリオン山椒魚』の冨永君とのこと。ロケが三週間ぐらい続くというが、若いころから一緒に自主制作映画を作っていた冨永君、あるいは杉山彦々君らと、こうしてメジャーの現場で仕事ができるなんて、なんて幸福な話かと思う。まあ、プロの仕事、メジャーな仕事には条件がいろいろつくだろうし、面倒なことはいっぱいあると思うが、だけど、楽しそうじゃないか。

ヒヨコ舎という会社の編集者が取材に来た。かなり以前からお話はいただいていたが、いろいろあって、少し先に予定を延ばしていただいたのだ。何人かの方の仕事場を取材した本を作る。机の周りを写真撮影し、それに文章を添え、本にまとめるとのこと。僕の仕事机の周辺にはよくわからない機械が並んでいる。だいたい、ケーブルが多いよ。机が部屋の中央にあるのは、コンピュータ類の裏に回ってケーブルの抜き差しが簡単にできるためだ。カメラマンさんが写真を撮っているあいだ、編集の方から取材を受ける。
「新潮」に頼まれていた書評原稿を書き上げた。津野海太郎さんの『おかしな時代 「ワンダーランド」と黒テントへの日々(本の雑誌社)。一度、眠ってからあらためて推敲。手術以来、久しぶりにきちんとした原稿を書いたのではないだろうか。そうこうするうちに、「考える人」の連載の締め切りが来た。さらに『レンダリングタワー』が文庫化(文庫のタイトルはちがったものになります)されるが、そのあとがきも書かねばならぬのだな。さらに、「考える人」の連載もまとめて単行本を作る予定だが、担当のN君が、ほかに単行本に収録できるような適当な原稿がないか探してくれた。自分でも、どこにどんな原稿を書いたか忘れてしまった。N君によれば、今回のエッセイ集に入れるのにはあまりふさわしくない、演劇の話などが多いという。でも、なんかばかなことを書いた気がするのだ、俺はもっと。手術と入院があって、中断した筑摩書房の本とか、文庫とかの作業も再開しなければいけない。意外と忙しい。
そういえば、金曜日(15日)の授業には『ニュータウン入口』に出ていた時田が来たけれど、「稲庭うどん」を土産に持ってきてくれたんだった。家で食べた。すごくうまい。結局のところ、酒はもともとやらないし、煙草もやめたので、食べることだけが楽しみになっている、っていうか、口ざみしくて、つい食べる。まずいな。食べてばかりいる。きわめてまずい。

(4:07 Nov. 18 2008)

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