富士日記 2.1

Apr. 30 thurs. 「音楽について」

告知があります。
ライターの押切伸一君が湯島にミュージックバーを開店したのだった。その名も「道」。地下鉄・湯島駅すぐのビルの三階である。そこで、この5月9日、僕と桜井圭介君の二人で、それぞれが持ちよったレコードを聴きながら話をするトークライブがあるのだった。ぜひ足を運んでいただきたい。いまのところ企画としては、「わたしはジャケ買いでこんなに損をした」がある。ただジャケットにひかれて買ったはいいものの、ちっともよくなかったレコードをかける。「道」には押切君が持ちこんだターンテーブルや、DJ用のCDのミックスマシン、さらに真空管アンプもあって、こだわった音でレコードが聴けるが、しかしながら、「ジャケ買いレコード」の数々をかける。いったいどんなかっこいいジャケットと、どんなにだめな音楽かだ。
さらに、僕の興味で「90年代サブカル」について語ろうという話になったが、しかし、トークライブの主旨としては音楽を聴くところにあって、では、九〇年代にわたしたちがどんな音楽を聴いていたかとなると、そんなに新しいもの、当時の新しいものをあまり聴いていなかったという話になった。まあ、九〇年代前半では「渋谷系」ってものが席捲していたらしいが、そんなものにわたしたちは、まったく関係がなかったらしい。
ともあれ、5月9日(土)に、ミュージックバー「道」で会おう。店内もこったインテリアやポスターでレイアウトされ、この日だけではなく、居心地がきっといいと思うからぜひともなじみにしてあげていただきたい。湯島と言えば、ミュージックバー「道」だ。こんど僕も、en-taxiのTさんとか誘ってまた遊びに行きたいと思う。まあ、ずっとウーロン茶を飲んでいるだろうけどさ。居心地がとてもいいのだ。

しかしながら、「90年代サブカル」のことを考えていればいやでも当時の音楽に触れずにいられないわけで、「テクノ(といっても、Perfumeとかのいわゆるテクノポップではなくてね)」や、そのころの「ハウス」をいま意識的に聴いているが、当時買ったレコード、CDをごそごそ棚から出してきて、ネット上にある、どんなに得体の知れない輸入盤だろうと、どんな音源だろうとその詳しいデータがわかるサイトで調べると、意外なことがわかって面白いのだった。俺、こんなの「ジャケ買い」してたのかよと。
でも、いろいろ調べて当時の音源を探しているが入手困難なものが多い。そりゃそうか、考えてみればもう15年以上も前のことだ。僕らにとっては(というのは、桜井君、押切君ということだが)、さほど遠い過去ではない印象だが、15年はそれでもやっぱり長い時間だ。しかも、六〇年代のロックがスタンダードになってどこにいっても手にはいるのとは異なり、テクノやハウスの多くは、たいして振り返られることもなく、一部のマニアにとっては貴重だが、ポピュラリティはない。むしろ、いまごろそうした音楽を聴いていると人に話せば、なにを物好きなと思われかねないし、そもそも、話が通じないかもしれない。
で、桜井君、押切君と三人で話しているところへ、またべつのお客さんが。彼女たちが最近、秋葉原にある、「オタ芸」が見られる「秋葉原のクラブ的な店」に行き、そこで踊る者らが面白いから観に行くべきだと、いまサブカルチャーを論じるなら、それを観ないでなにを観るとまで言われるが、まったく興味がわかない。あれは十年前だ。桜井君や数人の友人たちと「いまのカラダを観に行くツアー」というものを実行した。青山、西麻布、六本木のクラブを回って踊る者らの「からだ」を観察したけれど、それがそののち『サーチエンジン・システムクラッシュ』という小説を書く参考になったけれど、だからってさ、「いまのカラダ」として「秋葉原」に行くのがいやなのは、はっきり言って、ただひとつの言語しか浮かばない。「かっこわるい」だ。ほかにどんな言葉が必要だというのだ。どんなに論理を語られようが、説得されようが、「かっこわるい」はだめだ。いいも悪いもない。好きも嫌いもない。文化的ヘゲモニーの問題だ。文化的なヒエラルキーのことだ。

雑誌「WonderLand」1973年創刊号

四月が終わる。いよいよいい季節である。五月である。
ノートの更新も滞っていた。
■それというのも、小説に苦しんでいたからだ。もうひとつうまく書けなかった。とはいえ人はたいてい書けずに苦しむものだから、「いやあ、書けちゃって、書けちゃって、こりゃ参ったな」と呻吟する人もまれだろう。それで逃避するかのように「サブカルチャー論」の素材を作っていた。また、凝って作る。作るのが楽しい。そんな先週末は、土曜日(25日)は雨も降って気温もぐっと下がったのに、日曜日(26日)になるとからっと晴れ、この変化に驚かされつつ、天気がいいからと散歩したりして過ごす。小説を書くべきである。火曜日(28日)に「新潮」のM君、Kさんに会って小説の話をする。その前にほんの少ししか進まなかった小説を読んでもらっていたが、ほんの少しだったのであまり話に進展はない。申し訳ないことになっていた。水曜日(29日)、社会は休日だが、早稲田は授業があった。「サブカルチャー論」。学生は「昭和の日」の意味をほとんど知らない。まあ、みんな平成生まれだしな。そのことに驚かされつつ、そこかしこで街宣車がまた大活躍だから、いやになる。

あと、学生からメールをもらったのだが、このノートをずっと読んでいて気になっていたのが、下の日時のデータの数字が、ずっと「2008」になっていたことだという。言われてはじめて僕も気がついた。大慌てで直す。そんな四月の後半。

(7:18 May. 1 2009)

Apr. 23 thurs. 「筋肉痛になる」

■夕方から「戯曲を読む」の授業。岡田利規君の『マリファナの害について』を読む。ふつう『三月の五日間』を読むのが妥当だろうけれど、はじめの三回、僕の戯曲の話をからめて読むから、岡田君の戯曲のなかでも短めのこの作品を選んだのである。少し読んでは学生から意見を聞き、あるいはそれに応答するように僕が話し、ちょっとずつ読んでいった。今週で『マリファナの害について』は終了。次回はブレヒトを読む。
このあいだも書いたが、二文、つまり第二文学部は学生の数がどんどん減っているので、授業を取る学生の数も少ないけれど、もぐりの学生を含めて20人ほどいてちょうどいい感じだ。教室は以前とはべつの場所に移動し、狭いけれど、AV機器など充実しているし、落ち着ける環境と、なにより机がしっかりしているから使いやすい。コンピュータを繋ぐのも楽だし、例によって、Keynoteで映像を出す。今年の「戯曲を読む」はこんな感じでやってゆく。環境が授業の内容や質を変える、といった感じ。秋から「座・高円寺」で戯曲についての講座があるけれど、講義しつつ、その準備をしつつ、とはいっても自分のための仕事だ。そうでなければ意味がない。「戯曲を読む」の授業もそのようにある。
高田馬場まで歩いたあと、筋肉痛になったというか、眠っていたら、足がつるような状態になった。激痛。しかも、ふつうの「足がつった」とも異なり、すねのあたりの筋肉が痛いという(たいていの「足がつる」はふくらはぎ側だと思う)、これまで経験のない痛み。しかも痛みがおさまるのをただ待っているしかない。なんだろう、まったく。といった木曜日は、「都市空間論演習」の準備。日々、やることが次々とある。そんななか小説を書く。あるいは、「90年代サブカル」にからんで、いまさらのように「デトロイトテクノ」や「アシッドハウス」ばかり聴いている。

(7:12 Apr. 24 2009)

Apr. 22 wed. 「やるべことはなんであったか」

■気がついたら十日近く過ぎていた。
そうこうするうち、富永君の映画『シャーリーの好色人生と転落人生』(佐藤央、冨永昌敬)のアフタートークに出演したのも数日前(19日)になり、その日のことは、四月上旬の相馬のブログや、『シャーリーの好色人生と転落人生』の公式ブログにある冨永君の文章(20日付けのブログ。しかし、いきなり出てくる写真はいかがなものか)を参照していただきたい。
MacBookが壊れた痛手から立ち直り、せっせと仕事をしていた。大学の準備などいろいろ。で、「新潮」のKさんからすぐにメールがあって、MacBookのことを心配してくれたけれど、いや、むしろ、いらぬ気をつかわせてしまったと申し訳ない気持ちになった。しかし機械が壊れるときは一気にやってくるもので、それというのも、MacBookがだめになった直後、音楽ビデオなど録画するためだけに24時間稼動しているWindowsマシンの外付けハードディスク(これにデータをためていた)の調子がすこぶる悪くなったからだ。一部のデータ、それはたとえば、教育テレビのETV特集とか、ジミー・ヘンドリックスのライブ映像だけど、それがどこかに消えてしまった。で、「ファイル名を指定して実行」から「CHKDSK」というコマンドを打ったら復活したものの、こんな不安定なハードディスクじゃおちおちデータをためてもいられない。
そして壊れたMacBookは、アップルが、先週の木曜日(16日)に引き取りに来て修理工場に行ったが、土曜日に戻ってきたので驚いた。三週間預からせてくださいとサポートセンターの人から聞いたが、ことによったらほとんど壊れていなかったのではないか。だが、メモリだけはどうにも認識されず、アップルからの指示では「純正のメモリを使うように」とのこと(サードパーティ製のメモリを増設してあったのである)。まあ、ね、そうだろうけどさ。純正は高いと思いつつもアップルストアーで購入。空になっていたスロットにメモリを入れると、なにごともなかったように起動した。でも、メモリ不良のとき、起動させるとビープ音が鳴るはずなんだけど、最初に調子がすこぶる悪くなったときはビープ音なんかしなかったのだ。ボードのどこかがいかれたと思っていたがそうじゃないということか。不明。詳しいことはなにもわからない。

遊園地再生事業団のミーティングで会ったとき、俳優の上村がテクノについて、それはたとえばデトロイトテクノのことだが、野田努という評論家がよく書いているという話をするので、気になってアマゾンで注文して届いたのが、写真の『ブラック・マシン・ミュージック──ディスコ、ハウス、デトロイト・テクノ(河出書房新社)だ。
届いて手にしてはじめて、もう読んでいたのを思い出し、書棚を探したら、あったあった、同じ本が二冊になってしまったけれど、アマゾンで買い物をするようになってから、いやネットの古書店でも同様、手に取らないので気がつかずに同じ本を二冊買ってしまうことが多くなった気がする。だめである。
そういえば、このあいだ、いかに「phpファイル」をローカル環境で読むか相馬に相談したが、帰ってきたMacBookでもそれをやろうと思ったがもうやり方を忘れている。また相馬に頼るわけにもいかないし、やろうと思ったのが明け方だったこともあり、記憶を頼りにあれこれ操作。やはりこいうことはネットであった。誰かが教えてくれる。無事にMacBookでも、「phpファイル」が読めるようになった。とはいうものの、先日、相馬にやり方を教えてもらった基本がなければできなかったと思う。「Apache」の動きも漠然としたイメージすらそれまでわかっていなかったのだ。少し意味がわかった。

本日は「サブカルチャー論」の授業だった。用意していった素材(映像や写真など)が多すぎた。半分ほど紹介しているうちに授業が終わった。授業後、学生の一人とゆっくり話ができたのはとても心なごんだし、あと、「素人の乱」の松本哉君と百人町の「ネーキッドロフト」でトークセッションをやったとき会場に足を運んでくれたという学生が授業後、声をかけてくれ、それもうれしかった。
とはいうものの、なんか授業はだめだった(まとまりに欠けていた)。それで、落ちこんだのだけれど、家に帰ってからこの「落胆」を分析したが、紹介したなかに青山真治監督の『サッド ヴァケイション』があり、青山さんのしている仕事、『ヘルプレス』『ユリイカ』、そして『サッド ヴァケイション』と、脈々と流れる芯の太い物語創造に比べ、自分はなにをしているのかと。サブカルチャーについて考えるのは楽しいけれどもっとするべきことがある。それでいやな気持ちになっていたのだろう。ぜったいにあるんだよ、やるべきこと、するべき本来の仕事。なにしろわたしは創作者である。授業は、それをすることが「創作」に近いところがあってすごく面白いとはいえ、その面白さの誘惑に耐え、しなくちゃならないべつの仕事がある。
帰り、早稲田から高田馬場まで歩く。古書店をひとつずつのぞきながら歩いていたら、あれよあれよというまに高田馬場の駅に着いた。

(10:21 Apr. 23 2009)

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