Jul. 9 fri. 「都市空間論のこと、建築のことを考えつつ、そして現在へ」
■久しぶりの更新です。
■このノートがすっかり書かれなくなったのは明白な理由があり、それはもちろん「ツイッター」のせいである。それまでブログを書いていた多くの者らが「ブログ書かなくなったね」ともう半年前から口にしはじめたが、どうかと思うような更新頻度と、分量、そして多少、人に読んでもらうだけの内容で注目されていたこのノート、「富士日記2.1」だが、いっこうに書かれなくなり、思い出したころ記してもメモ程度のものになっていた。むしろまだブログやってます。「富士日記」まだありますんでとばかりの更新でしかなかった。
■私は反省した。いまわたしの生活が乱れ、うつうつとしているのはこのノートを書くことで脳を活発に動かしていないからではないか。なにより私は、書くことではじめて考えるタイプだったはずなのだ。書かないでなんのために生きているとすらいいた。そして、そこから私の専門である「演劇」について、あるいは「文学」について、大学で講義している「サブカルチャー論」や「都市空間論」を考えることができるはずだが、さぼっていた。もっと考えなければいけない。
■けっして「ツイッター」を否定していない。その意味は確実にある。伝播力の高速化(そこにはデマが飛ぶという弊害もあるが受信する側により高度な批評性が求められる)、情報の集積。ただ、「ツイッター」でついのせられるのは、しばしばつぶやかれたり、公式RTされたり、普通にRTされて紹介される本について、盲目的に信頼してしまうことがあることか。読まなければいけないのはたしかなものの、時間も、購買のための資金だって限界がある。それをどういった基準で判断するか。「ツイッター」がさらに成熟すれば受け手もまた成長するだろう。そのことに期待する。
■「都市空間論演習」に向けて、今期、わたしはさぼっている。というか、学生のフィールドワークを前提にした発表が充実している班が多く、終わってから彼らに質問し、あるいは学生から質問を受けていると時間がなくなる。いきおい僕の発表の時間がなくなって、つい考えなくなるのだ。もっと「都市」について考えよう。そんなとき紹介されたのが、坂口恭平さんの『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』という本だった。僕が考えている「都市論」とは異なるものの、またべつのアプローチから都市に迫っていると読むことが出来る。
■吉見俊哉さんが、『都市のドラマツルギー』で触れているのは、「盛り場」という言葉の、「盛り」に含まれた性的コノテーションだが、だからこそ、「二流の盛り場のある特別な活気」はあると解釈すれば、新宿がそれを失っていったのはなぜか。もちろん「盛り場」はセクシーだからこそ活気を帯びるが、その「セクシーさ」、あるいは「性的なコノテーション」の種類が更新されていないだろうか。だから新宿ではなくなているのかもしれない。べつに、「風俗街の並ぶ歌舞伎町のような空間」がそれを具現しているわけではけっしてない。コノテーションとしての性的なるムード。それをどこにまた、見つけたらいいか。
■あるいは、「巨大ショッピングセンター」の問題を抽象化し、単に現象を並べ立てるだけではなく、現象の背後にある人のライフスタイルの変容と、それが時代のなかでなにを意味し、そこにたとえばシネマコンプレクッスが建てられること、またショッピングセンターを中心に(かつてだったら鉄道会社が沿線に開発していたはずの)宅地開発をしていることの構造的変化をまたちがったテン年代的な視座をあらたに発見して読み解かなくてはだめなんだろう。そして、六〇年代の「二流の盛り場」が持つエネルギーを表象する代表的な街区の「新宿」、九〇年代の「渋谷」、ゼロ年代の「秋葉原」「(ある限定のなかにおける)高円寺」と見てきたとき、一瞬、これからさらに面白くなるなと思った秋葉原も「AKB48」のせいですっかり「ある特別な文化圏域としての土地」の魅力を一気に失った。もちろん、新宿にも、渋谷にも、そうして「こんどここ、いけるんじゃないの、これからは新宿じゃないの」とか言う、軽薄なプロデューサによって蹂躙される歴史はぜったいにあったはずだから、「AKB48」を乗り越えつつもさらに魅力的な「二流の盛り場」にふさわしいコンテンツがやってきたらそこに、むしろ「AKB48」以降の、より強靱な文化は生まれるように感じている。
■だから、注目しよう。下北沢にも注目しよう。高円寺にも注目しよう。それはべつに、「次はなにがくる」的なトレンド探しとはまったくべつの態度だ。一九九五年以降の東京をあらためて考えてみることからそれははじまるように思え、近未来のことではなく、過去のなかに消えてしまったものをフィクションとして蘇らせてみよう。見えない、もうひとつべつの二〇一〇年代を、なんらかの作品として書くために。
(7:59 Jul. 10 2010)
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