富士日記 2.1

Jan. 16 wed. 「久しぶりに更新する」

はじめにお伝えします。2月13日、ドイツ文化センターで「遊園地再生事業団ラボ」の公演があります。詳しくはこちらへ。ドイツの劇作家ジョン・フォン・デュッフェルの作品『バルコニーの情景』のリーディングです。今年は本公演が10月にありますが、それとはべつに「ラボ」の研究活動をあれこれやってゆこうと考えているのです。その一環としてドイツの劇作家の戯曲を取り上げリーディングします。演出は、去年はドイツに遊びにだか、勉強だかに行った、遊園地再生事業団のメンバー上村聡です。これまでの遊園地再生事業団の舞台とはまた異なる演出が見られるのではないでしょうか。
で、わたしは、ト書きを読む。つまり出演者である。やりたかったんだ。読みたかったんだ。というかラボでの研究活動中、たまたまみんなでこの戯曲を読んだとき、ト書きをわたしが読み、それが面白かったという事情がある。また戯曲自体が面白い。どうか、劇場に足を運んでいただきたい。
いま、わたしたちにできるのは、こうした小さなことの積み重ねのようです。というか、それしかできないのだけど。いろいろ考えてゆく活動のなかから、またべつのことを発想できたらと願っている。べつにむつかしいことをやろうとか、立派なことをやろうというのではなく、まず自分たちがやっている作業そのもの、そのなかに愉楽がなければだめだ。いま遊園地再生事業団は制作体制もゼロから出発し、たいへんなことばかりだけど、まあ、ばかばかしいことを口にしつつ、いつでも新鮮な気持ちを維持しながら活動できればこれ以上のことはない。とにかく、ちょっとずつだけど、前へ。

さて、気がついたら、もう年があけて二週間以上が過ぎていた。早い。いまさら「あけましておめでとうございます」もあったもんじゃないので、「寒中お見舞い申し上げます」だ。
たしかに「寒中」をお見舞いしたいほど、この数日、寒かった。日本中、雪がやけに降ったようで、地球の温暖化はどうなっているのかと思わずにいられないものの、それはそれとして、なにせ正月に静岡に帰ったら珍しく雪がちらついていたのだ。静岡で雪はかなり珍しく、この10年でもっとも寒い正月を迎えた。なんどもいうようだが、どうなってんだよ、温暖化。専門的なことを詳しく調べていないのでうかつなことは書けないものの、「温暖化を憂う世界の傾向」を疑うある種類の学者の言葉もばかにできなくなる。こうなると。
そして大学の授業はもうとっくにはじまっているのだ。今年に入って、「サブカルチャー論」の授業には、『バルコニーの情景』の演出もする上村に来てもらい、九〇年代初頭の「テクノ」の話をきっかけに、そうした流れで続く、「90年代サブカル」について授業を進めている。授業後は研究室で、文学部のSとか、もぐりで来ている、そもそも素生について誰も知らない青年とか、商学部のイシハラ、上村らと、ずっと音楽の話をしている。文化構想学部がいないじゃないか。あ、先週の金曜日は、珍しく昨年度、僕の授業を取っていた文化構想学部のアベが研究室に来たのだな。まあ、みんなよくしゃべり授業が終わってから三時間ぐらい平気で話している。それもまた愉楽。愉楽のなかでなにかが発見される。

ブログの更新がとどこおりがちだ。書きながら考えなくてはいけない。
ところで、「90年代サブカル」のことを考えていると(あくまで、「90年代サブカル」というこの国の一九九〇年代に出現したある特別な文化潮流であり、本来的な意味での「サブカルチャー」とは異なるなにか)、小熊英二が『〈民主〉と〈愛国〉』や『1968』という大部の著作で説いた「戦後史」についてあらためて考える必要を感じる。たとえば、なぜ九〇年代の、なかでも「一九九五年」に、ある「切断」が生まれ、その後に続く「時代の変容」がさまざまな状況に反映したかを考えるとき、単に、現象だけを見てもしょうがないのは当然にしても、それをうまく解くと、きわめて興味深い、「文化が変化する様相」そのものの姿をそこに見いだせる予感がある。それはまた、さまざまな意味での政治性にも反映するし、あるいは「演劇の現在」という固有性にも反映しているはずなのだ。たとえば、小熊が「70年代パラダイム」と書いた七〇年代以降の新しい政治的な視座は、現在もまた強く意味を持ちつつ、しかし機能しなくなるだけでなく、むしろ対象化される事態が九〇年代の後半以降に起こったとしたら、現在の演劇状況の意味もそうした側面から考えることができるだろう。
そんなことを考えているのが面白くてしょうがない。だから授業も面白いんだけど、でも、わたしも作家なので、なにより、書かなくてはね、書かなくてはいけないのだな。

そんな、2010年。また時代の節目である。

(8:20 Jan. 16 2010)

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