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遊園地再生事業団 .
池袋コミュニティカレッジを中心に活動している宮沢のワークショップの紹介。

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World Technique
Summer School

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KaruizawaSpecial


WorldTechnique
 箱庭治療の原型になったのが、この「ワールドテクニック」でした。その方法が日本に持ちこまれ、「箱庭治療」と名づけられました。私のワークショップは精神治療とはまったく関係ないのですが、この言葉を日本語にしたときの、「世界技法」が、ワークショップでやろうと考えたこととどこか通じるものを感じたのです。「俳優」にとって、まったく、ためにならないことばかりします。そのことを通じて、「俳優にならない」ことが目標です。なぜそうなのかについては、ためしに受講して、作業を通じて考えてください。きっとわかるはずです。「職業的な俳優」を目指すなら、そうした種類の「演劇学校」や、「俳優養成所」に行ったほうがためになります。私のワークショップを受けても、絶対、俳優にはなれません。だから、これは、俳優のように立つのではけっしてなく、「ただ立つ」ための作業です。ただ立ったとき、世界と自分との差異を発見するためにあるワークショップです。
 町に出てフィールドワーク、それを元にしたエチュード作りや、「役に立たない肉体訓練を考える」、印象に残った映画を五分間表現する「ミニマルマルセ」、そして、テキストを使った実習など、様々な方法を試みます。
 ゲスト講師・桜井圭介による「ダンス教室」。ビデオによる講義と、受講者の考えたダンス。どんな表現だろうとダンスになると、様々なスタイルのダンスがここから生まれる。
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SummerSchool
 WorldTechniqueが、「俳優にならない」ためのワークショップだとしたら、こちらは、「俳優という考えすら忘れる」ためのワークショップです。ただ遊んでいる。正しく遊ぶために、厳しい課題が毎回、提出されますが、課題さえできればあとは楽しい。
最近、行われた、SummerSchoolの課題に見る、受講者たちの奮闘ぶり。
死体になろう
 この課題は、東京現代美術館に、受講生たちとシンディ・シャーマン展を見に行って決めたものだった。そのなかに、レイプされた女性にシンディ・シャーマンが扮している作品があり、なんだか面白かったので、じゃあ死体だ、ということになったのだった。
作品1
『ビルから落下した若者』

 どことなくリアリティがあるものの、飛び散った脳が、豆腐にしか見えないのが悲しい。(受講者=定職のない24歳・男)

作品2
『実験中の事故で飛ばされた理科教師』

 これは、ほとんど、ばかなのではないか。(受講者=日大芸術学部の2年生・女)
 このほかにも、「尾崎放哉に学ぶ俳句教室」「気持ちのいいものを探そう」「池袋東急ハンズで何か買う」「町に自分の作った張り紙を貼る」など、ろくでもないことを次々とやっています。
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KaruizawaSpecial
 九月二十一日から二泊三日の合宿形式によるワークショップを行いました。もちろん、池袋、その他で行われていることと、内容的に特別なものはありませんが、ただ、一日中、受講者と一緒にいるというのは、かなり特殊な状況です。参加者は、十七名。それに、私の手伝いということで、これまでのワークショップ経験者が三人、加わって、全員で二十人になりました。
 こうして合宿形式で行うとどういうものになるのか、私も未経験でしたので、興味がありました。たしかに、共同作業としてはずっといっしょにいるのですから、それなりの成果はあるものの、では、個人としてそこに参加し、自分と向かい合うという部分ではどうだったのか。二日目の夕方、誰にも頼らず、一人で外に出ていって、町を観察する課題を出しました。その後、最終日の各自の感想の中で面白かったのは、ある女の子の言葉です。
「こんなに人と一緒にいるというのは特殊な状況で、一人で町を観察したとき、一人になることがこんなに大切なものだったかと、あらためて感じた」
 この感想は驚いたな。逆説的な意味で、個であることの再確認という意味が、合宿にはあるのかとも考えたのです。
 それから、グループ単位で町に出、観察する課題があります。それを元に、エチュードを作る。その時あるグループが、軽井沢の地図を見て「ここが面白い」とあらかじめ決めつけて外に出て行きました。エチュードは失敗しました。はじめから、こうだと決めて外に出ていっても意味がないんでしょうね。どうしたって、それは観念的になる。それより、別のグループが何も考えずに外に出て行き、軽井沢銀座という場所で売っていた小さな瓶に入った牛乳の発見のほうがずっと面白かった。その牛乳、飲む前によく振らなくちゃダメだと書いてある。で、牛乳を飲む人がみんな振っており、その姿が面白いし、自分で振ると、なんだか、人よりよく振ろうという気持ちがわいてくるという。これはもう、牛乳を振った、彼らの勝ちです。現場に行って、牛乳を発見し、それを実際に振った彼らのほうがずっとすぐれていました。
 結局、予見のようなものを持って外に出ていっても、意味はないんでしょうね。先に結論があってもなんの意味もない。最初に面白いと思ってしまったこと以外、何も目に入らなくなる。
 今回のワークショップの最大の発見はこのあたりまえのことでした。それにあらためて気づいただけでも、軽井沢に行ったかいがありました。




1997/09/21-23
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