富士日記 2.1

Jan. 12 mon. 「さらにフィールドワークはつづく」

コストコ

また私はフィールドワークをしてしまった。まず午後の早い時間、「イオンレイクタウン」とのちがいを確認しようと「六本木ヒルズ」に行った。あきらかにちがった。というか、資料として館内の案内図を手に入れるのが目的だったわけだけれど、手に入れて確認すると、開館したばかりの頃に手にした案内図とは少しデザインがちがうものだった。建物のなかをぶらぶらする。デジカメで「六本木ヒルズ」の「路地ぶり」を撮影。たしかに、入り組んだ通路は「路地」といえなくもない。どこをどう歩けばどこにたどりつくのか、まったく見当がつかなかった。そしてなにより印象に残ったのは、悲しいかな、「レイクタウン」とはあきらかに客層がちがうことだ。場所の問題だけではないと思う。東京に住んでいたって、みんながみんな、ヒルズに来るわけじゃないだろう。まして、レイクタウンのある埼玉からだってヒルズに来てしまうばかものもいるはずだ。「階層」とか、「格差」ということについて、あらためて考えたが、考えれば考えるほど、凡庸な答えしか出てこない。というか、それはきわめて単純な話にしか回収されないのではないか。
いろいろなことを考えつつ六本木をあとにした。きょうの写真は川崎にある「コストコ」という大型量販店だ。僕の舞台にもよく出ていた笠木を誘って行くことにした。芝公園のあたりから高速に乗って横羽線を走る。「大師」というインターで首都高をおりた。この「大師」は川崎大師のことだ。その先、産業道路という、高速の下を走っている道路を横浜方向に走ると左手に「コストコ」が見えてきた。以前、南大沢だったか、あっち方向のニュータウンにある「コストコ」に行ったが、こちらのほうがずっと近かった。「コストコ」はものすごい。ものが大量にあるが、そもそもそれがでかいのだ。なんというでかさだ。みんなが引いているカートがそもそもでかいし。また歩いた。店内をぐるぐるめぐっては、大量に積み上げられた商品にうんざりし、なにかひどく疲れた。写真を大量に撮る。あと、「コストコ」は安い。330ミリ缶のコーラ24本入りが998円で計算すると一缶40円ぐらい。ビールのことはよくわからないが、見れば客の大半が大量にビールを買ってゆくところをみると安いのだろうと思われる。異常にでかいピザとか、異常にでかい瓶に入った胡椒とか、ものすごくでかいベビースターラーメンとか、なにかが狂っている。基準がおかしい。ここはアメリカか。

疲れたなあ。すごく疲れて東京に戻り、環八沿いにある、「D & Department」というカフェで休憩。なぜかそこにいた鈴木謙一、上村聡と合流。食事をし、話をし、楽しい時間を過ごした。上村はいま、部屋を探しているというが、このあいだ結婚し、式まであげたくせに、まだ新居を見つけぬまま、夫婦がそれぞれ実家に住んでいるという。なにを考えているのだ。ばか話で夜がふけてゆく。安いものをつい買ってしまい、いつも後悔している笠木の座右の銘は、「安かろう悪かろう」だそうだ。どうなんだろう。
ある大きなCDショップに勤めているK君から「路地」についてのメールをもらった。「品川駅東口(港南口)を出て正面、近年整備された広場の向こう正面にある一角は、とてもイイです。以前は東京新聞社の先にある都営住宅に住んでおりましたので、この一角はよく探検いたしました。再開発が進んでいる地域ですので、近い将来姿を消すラビリンスだと思います」とあった。さまざまな姿をした、興味深い「路地」がほかにもまだ数多くあるにちがいない。もっと歩かなくては。それから、きのうも書いた「メインストリートから一本外れた通り」から見る「都市」もまた、視点として面白いのではないか。「一本はずれた道」とはいわば、「傍流」であり、飛躍して考えればそれこそが「サブカルチャー」だ。
三連休はこうして、大型量販店めぐりで終わった。最初に行った、「IKEA港北店」には、柔道の山下さんがいた。なにを買おうとしていたのだろう。いろいろなことを発見した。さまざまに思考がめぐる。ただ、文献にあたっていないのがだめだ。フィールドワークのあとは読むことだな。考えるヒントはどこかにきっとまだ潜んでいるにちがない。というわけで、「岸田戯曲賞」の候補作も読まなくてはいけないのである。しっかり読もう。戯曲を読む力を仕事を通じてもっとつけなくてはと。それにしても、この三日、歩いたなあ。少し疲れた。風邪をひきそうにもなったし。

(5:42 Jan. 13 2009)

Jan. 11 sun. 「今度は越谷に行った」

イオンレイクタウン

イオンレイクタウンで

横浜港北のIKEAに引き続き、越谷にできた国内最大というショッピングモール「イオンレイクタウン」に行ったのである。もちろん、「都市空間論」のフィールドワークだ。けっして買い物に行ったわけではない。そもそも、買いたいものなどそれほどないのだった。クルマを走らせ山手通り地下の高速から外環道を抜け、どこで下りたか忘れたが、そこまではよかった。すいすい進んだ。高速を下りてから「イオンレイクタウン」までが渋滞している。かつては田園地帯だったのだろう土地を開き、人工的な商業施設によって構成された街と道路が建設されていた。
ようやく駐車場にたどりつく。駐車場も莫大な規模である。ものすごい巨大な施設。ひとたびなかに入ればお祭り状態だった。どこにどんな店があるかさっぱりわからず地図のようなリーフレットで確認するが名前がわかってもそこがどんな店かわからないし、地図だけ見ても莫大に広いとわかってもうその時点で歩くのがいやになる。それでも、「KAZE」と「MORI」の二つの区画を歩いた。途中、動く歩道もあり、空港のような通路になっていたが、なぜか私は一九七〇年の万博を思い出していたのだった。人がすごく多い。ビレッジヴァンガードが二つくらい店を出していた。で、最初に手に入れた店の地図を開いたとき思い出したのは、六本木ヒルズの施設案内図だったのだが(サイズやデザインがどこか似ている。これはIKEAにも通じる)、それで店を調べると、ヒルズが高級ブランドを並べているのとは異なり、ここに入っているテナントは(ここも東京でよく見かける店が並んでいるが)、どこか大衆性がある。ヒルズでは、誰がこんな高級品を買うのかとオープン当初の混雑のなかで思った。ここはそういった意味でもっとリーズナブルだし、普通に買い物に来る場所だろう。買い物プラスお祭りだ。お祭りとしか考えられないにぎわいである。疲れた。
先週、金曜日の「都市空間論」の発表は「路地」をテーマに「押上」を学生がフィールドワークした成果だったが、「イオンレイクタウン」もまた、「路地」の再構築と考えていいのではないか。「路地」を組み合わせた「街」の創成。たとえば人は、「ひまだから新宿にでも行こうか」とか、「銀座をぶらぶらしようよ」と休日を潰すものだが、埼玉の越谷周辺ではいま、「レイクタウンでも行くべえ」と北関東の言葉で語っているのではないだろうか。「ファスト風土化する郊外」という言葉には街道上の風景への異和が根底にあると思うが、人工的に作られた都市の「ファスト風土化」とはなんだと考えればいいのか。今回は店を目指してしまったので、国道16号線を走れなかったが、郊外の街道としての「16号線」をもっと丹念に調べなくてはと思うのだ。

その後、越谷からほど近いJR武蔵野線「新三郷駅」付近に行き、また「IKEA」に行ってしまった。駅前にはまたべつの大型店舗の計画があって工事が進行しているようだった。「コストコ」などができるのだという。これ「コストコ」ができたらとんでもない土地になるぞ、「新三郷」は。興味深いけれど。
このあいだ、学生から教えてもらったのは、「路地」を英語で表現するのを外国人の先生に質問したという話。その外国人によれば、「ラビリンス」だという。「ROAD」でもなければ、「STREET」でもないというのだ。たしかに、「路地」を彷徨う感覚には、どこか、「labyrinth(=迷宮)」感があるように感じる。まして「迷宮」には「めまい」の要素もあるし、「路地」が生み出す物語性はそうした感覚を麻痺させることとどこか通じているのではないか。
「ストリート」が「文化」を発生させる場所(それはおそらく、まさにストリート的なサブカルチャーになるだろうが)として機能したのとまた異なる意味で興味深い話だった。こういったことを考えるのがいま面白くてしょうがない。あ、そうか、「レイクタウン」には、にぎわった通りから一本外れたさびれた通りがないのが「街」と異なる。「街」が「街らしい」のは、一本はずれた道があることだ。その通りにまぎれて道に迷う怖さが街にはあって、それがまさに「路地」の「迷宮感」なのだろう。

(6:23 Jan. 12 2009)

Jan. 10 sat. 「授業がはじまり、街へと出て」

IKEAに行く

新年の趣などまったくないまま、なしくずし的に一月の授業ははじまったわけだが、僕の授業がある8日がそもそも大学の休み明けだったらしい。「メディア論」「戯曲を読む」「サブカルチャー論」の三コマ。いきなり忙しかった。翌日の金曜日が、「都市空間論演習」と「サブカルチャー論演習」だったが、それぞれ学生の発表がある。「都市空間論演習」は僕もフィールドワークをした「押上」を学生が歩いた記録の発表。テーマは「路地」である。発表からいくつかのことを喚起された。考えるヒントが生まれ、ここからなにか生まれるような予感を抱いたのである。
また例によって、二日とも授業が終わってから学生たちと研究室でだらだら話をする。それにしても金曜日は雨も降ってひどく寒かった。つい寒さに負けクルマで早稲田まで行ってしまったのだ。大学は電車とバスを乗り継ぐという方針が新年から崩れた。正月に食べ過ぎて体重が増えているのを実感しておりからだが重いのがひどくいやだよ。軽くいたい。動きが軽快でありたい。なにごとにつけ。
さて、「都市空間論演習」の次回の発表は「スーパーマーケット」がテーマなので、「大型量販店」のひとつとして、きょうは夕方、横浜港北にある「IKEA」に行った。ばかでかい敷地である。ものが大量に並べられ、見れば価格がどれも安い。夢のような店である。二階がディスプレイゾーンになっており、商品がきれいにあたかも部屋を模した空間にレイアウトされている。理想的な「生活」の姿が提示されておりそこで客は夢を見る。そして一階に下りると、ただの倉庫があった。無数に商品が積み上げられており、極力サービスを排することで価格を抑えると説明にあるが、この売方自体がすでに、IKEAをはじめ、たとえば生活雑貨、食料などを大量に売る「コストコ」にも通じる「モノを売る新鮮なスタイル」になっているのではないか。モノと人との奇妙な関係だ。

店には子どもたちがいっぱいいた。新生活をはじめるのだろう若い夫婦とおぼしきカップルたち。子どもはベッドのある場所に行っては蒲団にもぐりこんでいた。楽しそうだ。ちょっとした遊園地のようなおもむきである。木製の電車と線路がセットになったオモチャを買ってほしいとぐずっている子どもがいた。若い父親がたしなめている。父親の言い分もよくわかるが、子どもの気持ちがまた、痛いほどわかって、かつて自分もこんなだったと思うのだ。僕が子どものころはまだ、大量消費社会ははじまっていなかったし、社会全体が貧しかったのでなにかを買ってもらうこと自体の敷居は高かった。ただ、買って欲しい「モノ」の数はそんなに多くはなかったと回想する。つまり、モノ自体がそんなになかった。IKEAにはモノが異常な量ある。大量消費社会を代表するかのように、モノは積み上げられ、すぐ手の届くところにあるから、ほしいものが子どもの目の前に無数に提出される。かつてだったら、親も買うのを躊躇できるほどばかにならない値段だったが、ここでぐっと我慢させて教育するには、親も我慢しなくてはならないほどIKEAでは安い。
「なんでも安い」というこの感覚が不思議でならないのだ。たしかに生活必需品が「安い」のは大事だろう。けれど、そうでもなく、でもあったらきっといいだろうと思うような微妙なモノが安いのである。店にあったポスターにIKEAが売っているもの、というか、販売のコンセプトのような言葉が並んでいた。そのひとつに、「IKEAはデザインを売っている」という言葉があった。それは無印良品にも通じるシンプルなデザインで、僕も嫌いではないが、なんでもそうなってしまったとしたらそれもつまらないのだろう。かといってなあ、デコラティブなデザインの趣味の悪さは断固否定したいし。だから、「大量消費」と、「シンプルなデザイン」の親和性のようなものって、どう考えればいいかと思ってしまうわけだ。むつかしいな。そもそも「デザイン」とはなんのことだ。
IKEAの次はまた異なる種類の大型量販店に行こうと思う。学生たちも行ったらしい埼玉にあるジャスコレイクタウンがすごいことになっているらしい。フィールドワークをまとめ、そこからなにか新しい切り口を見つけるためには、文献にもあたるべきだが、でも、俺、べつに社会学者や建築家ではないので、どういった態度で立ち向かえばいいかと思うものの、ただ考えることに興味があるからそうしている。この授業をしている。「サブカルチャー論」と「都市空間論」を一年間やってきて見つけたことがいくつかあり、それは創作についてヒントにもなるが、もっと単純に、「考えること」の面白さだ。地図を見ながらさまざまに妄想することにもそれは似ている。

(10:06 Jan. 11 2009)

Jan. 6 tue. 「仕事はじめ」

アップルの人

楽しいテレビ

かつては、新しい本が出たり、なにか告知があるとこの上に小さなバナーを並べていたが、デザインを変えて以来、下の方に告知があるので自分でも掲載するのを忘れる。去年の暮れに新潮文庫から『アップルの人』が出ていたのである。これはかつて「MAC POWER」の連載をまとめた、『レンダリングタワー』の文庫化だが、単行本には収録していないエッセイが半分近く入っているので、お得だろうと思う。ぜひ読んでいただきたい。久しぶりにばかばかしい本になりました。

さて、本日(6日)は本年の仕事はじめであった。
25年前に作った「スネークマンショー」のビデオ『楽しいテレビ』(僕は脚本で参加している)DVD化されるとのことで、パッケージに含まれるブックレット掲載の鼎談を、俳優の伊武雅刀さん、いとうせいこう君としたのである。いやあ、じつに楽しかった。伊武さんとはいったい何年ぶりに会ったか忘れたがかつてとほとんど変わっていない。相変わらずの「いい声」だ。当時(一九八三年)のことを三人ともほとんど覚えていなかったが、驚いたことに制作した会社に当時の資料(脚本、スケジュール表、スタッフ・キャスト連絡先など)がかなりの量、保管されており、それを手がかりにいろいろ思い出す。ああ、そうだった、そんなこともあったと記憶がよみがえってきた。懐かしい。鼎談をまとめてくれるライターの方が、スネークマンショーにしろ、ラジカル・ガジベリビンバ・システムにしろ、よく知っているので、気持ちよく話が進行したのも大きかった。でも、意外に僕は、やけに細かいこと、どうでもいいことを記憶しており、この場面の撮影のとき、この女優さんは喘息の発作でそうとうつらそうだったとか、べつのシーンの撮影はあたかも実際の場所のようだがセットだったなど裏話をする。
それで、どういった話の流れでそうなったかよくわからないが、スネークマンショーのオリジナルメンバー、伊武雅刀さんと小林克也さんとで、漫才をやるということになったのだ。しかもM−1に出なければだめだと、いとう君が強力にすすめる。本は僕が書くと約束。もう、ただのスネークマンショーファンとしてその漫才はぜったいに見たいよ俺は。とても楽しい鼎談になった。天気もよくていい日だった。ことによると今年はいい年になるのではないかと思えるような「いい日」だったのである。ちなみにきのう(五日)は、帰郷の疲れが取れずだめな一日だったが。楽しかった。久しぶりに楽しい時間を過ごせた。

(4:05 Jan. 7 2009)

Jan. 4 sun. 「慌しかった年末年始」

初詣

昨年の暮れ、父の実姉が亡くなられたので、通夜、告別式が29日、30日にあり、身のまわりを片付ける余裕もないまま、それで上京していた母をクルマに乗せ30日の深夜に掛川に帰郷したのである。その日は、告別式のあと予約してあった髪を切ってもらう店に行きその後、二時間半クルマを運転してぐったりした。だいたい、通夜、告別式で、いまは坊主をしている従兄弟が、まあ、会えばきまって金のことしか口にしない大馬鹿野郎のなまぐさ坊主なわけだが、その従兄弟の相手をするので疲れてもいたし、親戚がみんなもう老人だから相手をするのも大変である。父が亡くなり、その姉もなくなり、母の実の姉も去年亡くなったりと、そういった年齢の人たちが自分の親の世代だから、去年は葬儀つづきだった。
戦争を体験した人たちである。その人たちの親の世代は兄弟が三人とか、四人といった数なのに、この世代、つまり戦中派がすごい、だいたい八人ぐらい兄弟がいて、「生めよ増やせよ」という国の政策でだいたいの家族が子だくさんだ。戦争が終わって、彼らは成人してゆくが、戦後の日本の労働力はこのときの「生めよ増やせよ政策」によって増大したのではないかと想像できる。だから高度成長が可能だったのかこの国は。とはいっても、みんな子どもが多くて苦労したと思われ、莫大な労働力によって国が活性化しその恩恵を受けたのは一部の「資本家」だったにちがいない。その世代が死んでゆく。ものすごく働いた人たちが老人になってゆき、数が多いだけに、いまとなってはその介護をどうするかという深刻な、またべつの問題が起こっている。子どもの数が少なくなって、逆に老人は増え、老人が老人を介護するという悲惨な現実はいまやあたりまえのこととしてそこかしこに頻出している。
それにつけても、金のことしか口にしないなまぐさ坊主の従兄弟をどうしてくれようかと思っているのだ。ざっくりした言葉で表現すれば、「ばか」としか言いようがないが、まあ、「金」というか「経済」は社会の根底にあって人の生を規定しているとはいうものの、仮にもこいつ宗教家じゃないかと思うといよいよ腹立たしい。もちろん僧侶のすべてがそうじゃないはずだし、尊敬すべき宗教家も数多くいるが、従兄弟は「ばか」の見本である。というか、「ばか」が袈裟を着て歩いている。

それにしても年末、すべきことはほとんどしなかったわが家だが、もちろん大掃除はなく、昨年の二月に父が亡くなっているので新年の挨拶をお断りする知らせも出さなかったものだから、まったく失礼なことになってしまい、わが家の社会性のなさをどうしたものかと。遊園地再生事業団と私個人の挨拶は「寒中見舞い」としてあらためてお送りしなければな。だめな新年だ。
帰郷したおり、初詣にも行き、雑煮も食べ、正月らしいことはしたものの、母親と妹が次々に繰り出してくる、デジタル家電攻勢に私はたじろいで、家に戻ったら、地デジが映る液晶テレビだの、地デジ対応DVDだの、日本の家庭はどうなっているのか、そんなにテレビが進化してなんになるのかと思わずにいられない。液晶テレビがきれいなんだよ、すごく、腹立たしいことに。だったら、ソフトをなんとかしろ。まあ、いい番組、面白い番組もあるのだろうけれど、目立つのはだめなプログラムだ。ほんとにだめだなあ。企画してるやつのことを考えると悲しい気持ちにすらなる。あと、正月はなにかとよく食べる。それも腹立たしい気分になって、太ってゆくのが目に見えてわかるから、それがまたいやな気持ちにさせる。なぜ、正月なんかあるんだ。あ、あと小学生時代の同級生の伊地知にも会った。相変わらずばかだった。
四日の深夜に東京へ。Uターンラッシュも収まりわりと早く東京に戻ってくることができた。今週はもう授業がはじまる。その準備もしなければいけないけれど、まずは正月疲れを取ろう。「正月」という言葉に幻惑されて怠けてしまったわけで、からだを元に戻さなくてはいけない。やらなくちゃいけないことがまだ無数にある。

(13:52 Jan. 5 2009)

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