Aug. 31 mon. 「八月は終わり、さらに戯曲を読み」
■29日(土)は、遊園地再生事業団の制作を手伝ってくれている笠木と黄木が家に来た。新たな名簿作りをする。このところ挨拶などのハガキ類をまったく出していないので、あらためて整理し各方面へ新しい体制で遊園地再生事業団が動き出したこと、来年の10月に久しぶりの公演があることなどお知らせしようと思っているのだった。
■笠木と黄木にすごく助けられた。この数ヶ月に新しくいただいた名刺をデータ化してゆく。いろいろな方にお会いしているにもかかわらず不義理をしていたのだ。あるいはこれまでさまざまにお世話になっている方々にも、住所が変わったこと、制作体制が変わったことなど、なんの報告もせず申し訳ないことになっている。
■さらに30日(日)は、遊園地再生事業団のメンバー上村が主導し、テキストを読む会を開いた。というのも本公演とはべつに、小規模のリーディング公演をやろうと思っており、上村が選んだ課題テキストは、ルネ・ポレシュの『餌食としての都市』(新野守弘訳・論創社)だ。論創社からシリーズで出ている「現代ドイツ戯曲選」の一冊。論創社といえば、以前、戯曲を出しませんかと声をかけていただいたことがあったが、それがまさに前の制作体制のときだったので、メールなど僕のところにはなくどなたからいただいた連絡だったのかとか、その後、当時の制作の者とどういう連絡になったのかなど、まったくわからなくなってしまった。というか、そのやりとりのさなかなにか失礼があったのではないかと、この場を借りてお詫びしたいのである。
■それはともあれ、アマゾンで『餌食としての都市』を注文したところこの日までには届くという予定だったが、結局、届かず(版元より取り寄せができないという説明だった)。サザンシアターがある新宿南口のほうの紀伊國屋書店に行ったら買うことができた。
■試みとしてルネ・ポレシュを取り上げたのは、以前観たポレシュの作品『皆に伝えよ! ソイレントグリーンは人肉だと』がものすごく面白かったからだ。上村から提案があったときすぐに賛同した。『餌食としての都市』は、『皆に伝えよ……』と同様の質を持つ。あるいは、くどいほど使われるグロテスクな言葉によって演劇が、たとえば三島由紀夫が語るような「様式」からあえて逃れることで、またべつの「美しさ」を生み出していると読めた。とても興味深い。この言葉づかいに刺激される。さて、その小規模の「リーディング公演(=わたしたちはそれを「ラボ公演」と呼んでいる)」だが、今回、上村が主導して勉強会を開いたこともあり、「リーディング公演」の演出を上村に任せたほうがいいんじゃないかと思ったのだった。まあ、ほったらかしってわけにもゆかないし、僕もアドヴァイスはするが、また異なる演出によって遊園地再生事業団の幅も広がるのではないか。
■ともあれ、ポレシュの戯曲を読む作業を通じて、またべつのことを考える。たとえば「戯曲の書き方」に関する本は数多くあると思うが、では、こうした作品を「書き方」という方法だけで発想できるのかだ。もっと根源的な「演劇への問い」があってはじめてこうした戯曲は生まれるだろう。とするなら、この作品を読む行為は戯曲について考えることになるのか。「戯曲」、あるいは「テキスト」について、ここからどうアプローチすればいいか。ある時代に生まれた「戯曲を文学から救い出す運動」は有効だったし、むしろいまではあたりまえのことになっている。とするなら、「現代ドイツ戯曲選」の一冊としてテキストが刊行されること、読むものとして流通することはなにを意味するのか。そのときしばしば感じるのは、刺激的な、あるいは新しい方法を持った舞台に出会ったとき、「この舞台は、どのようなテキストによって書かれたのか」という興味を強く感じることがあり、それは、「戯曲を文学から救い出す」とか、寺山修司が書いた「読んで面白い戯曲はそこで完結している」とは、どれも逆転するのである。つまり、舞台が刺激的だから逆に「読みたい」のだ。どんなふうに書かれているのか知りたいのだ。たとえば、唐十郎さんの舞台の戯曲はどういうことになっているのか。あるいは、平田オリザの同時発生話法はどう戯曲として表現されているのか。また逆に、チェルフィッチュは戯曲を先に読み、では、これはどのように演劇になっているのか、とても興味を持った。
■斎藤憐さんの『戯曲は愉し』の次の一文はどうもおかしい。
小説は読まれ、演劇は観られる。小説と戯曲が決定的にちがうのはここだ。(P108)
なにがおかしいかというと、最初「小説は読まれ、演劇は観られる」と、「演劇」という言葉を使っているにもかかわらず、そのあと「小説と戯曲が決定的にちがうのはここだ」と、後半では「演劇」ではなく、「戯曲」になっていることだ。統一するなら「小説は読まれ、演劇は観られる。小説と演劇が決定的にちがうのはここだ」と書かれるべきだ。しかしこうすると、きわめてあたりまえのことになってしまう。つまり、「鉛筆は書き、消しゴムは消す。鉛筆と消しゴムが決定的にちがうのはここだ。」と書いてもしょうがないのである。なぜならあたりまえだからだ。それで、後半「演劇」の部分を「戯曲」にした。それというのも、「小説は読まれ、戯曲は観られる」が言葉として成立しないからだろう。でも、斉藤さんが書こうとしていることの意味はわかる。だいいち、これは「戯曲」についての本だ。よくわかるものの、叙述としてうまくゆかないのは「小説は読まれ、戯曲は観られる」が不成立だからだ。
ということはですね、「演劇」と「戯曲」が異なるものだと、それを統一した論理のなかで使おうとすることに無理があるとしか言いようがない。寺山修司をはじめ、「演劇」と「戯曲」を対立させることも同様のことになるのではないか。だから、もう一段階なければこうした「論理の構造」は成立しないことになる。
小説は読まれ、戯曲も読まれる。その後、戯曲は演劇になって観られる。小説と戯曲が決定的にちがうのはここだ。
だから、「戯曲」の特殊性とは「演劇になる」ことだ。もっと簡潔にすれば「なる」のである。「戯曲」のもっとも大きな性質とは「なる」ものなのであり、「小説」がそれを原作として「映画」や「演劇」になるのとは異なり、「戯曲」はほぼ百パーセント「なる」。しかも「なる」を前提に「戯曲」は書かれる。この「なる」を「生成」と書いてもいいのかもしれないが、現代の演劇においてわたしたちが舞台を観に行くとは、「戯曲」を観に行くのでもなければ(繰り返すが観れないし)、「演劇」を観るのでもなく、この「生成」を観るのだろう。だからすぐれた舞台の多くは、「生成の瞬間」が舞台上に再現されたものたちだ。ことによったらその多くは、上演しているまさにその瞬間、「生成」されるのかもしれない。そのとき「生成」は「飛躍」になる。
■選挙はすでにごぞんじの通りの結果になった。この振り幅の大きさはどうなんだろう。なにかいやな気分にさせられる。振り子が次に反対側に振り切ったときのことを考えるとひどく不気味なのだ。
(8:55 Sep. 1 2009)
Aug. 28 fri. 「戯曲のためのノート2」
■ところで来年の遊園地再生事業団の公演、仮タイトル『ジャパニーズ・スリーピング』、あるいは『日本人の睡眠』、またべつの仮タイトル『女子にはない男子特有のなにか』の出演者オーディションの締め切りが迫ってきたのである(タイトルはあくまで、いま突然、思いついたものを書いただけだが、書いたあとで気に入ってきた)。郵便だと、九月1日必着ということになっている(ことによると遅れても許されるかもしれないが制作は断固、否定するだろう)ものの、メールで送るという方法がある。ぜひ応募していただきたい。
■さて、「戯曲のためのノート」を続けて行こう。
■で、きのう書いた「戯曲のためのノート1」は「ver.2」になっています。誤字脱字など訂正と、少し書き直した。
■ところで、「こんにちは」問題である。太田省吾の「こんにちは」は、わたしとはまた異なる意味のことを語っているが戯曲を考える上できわめて重要だと思われ次の機会にさらに検討したい。では戯曲において「こんにちは」を発する「位置」、あるいは、それが人物と人物とのあいだに、どのくらいの距離があって発せられ、そのことによってどんな「関係」が生じるか、表現されるかはきわめて演劇的だと想像する。これをもっと厳密に研究するには、たとえば竹内敏晴さんをあらためて読み直さないといけないが、しかし「戯曲」のこととして書くとき、戯曲にいちいち、ハムレットとオフィーリアは「2メートル50センチの位置で挨拶を交わした(シェイクスピア時代の長さの単位はメートルじゃないだろうな、知らないけど)」といったことをシェークスピアは書かなかったと思う。「沈黙」の時間を正確に指定した平田オリザならしないとは言い切れないものの、私の勉強不足かもしれないが「挨拶の距離」が書かれた戯曲、たとえば「やや、離れた位置で」といったニュアンスを感じさせる言葉はあっても数字にはしなかった(これにはさまざまな事情があったと思われるものの)。
■だが、この距離はかなり重要ではないか。小説は、「やや、離れた位置で」といったニュアンスで表現することが小説らしい描写になるが、戯曲は「数字」を書くことで、戯曲の本来性はかなり出現すると思われる。というのも、「戯曲」には、建築設計における図面に似た性格があるからだ。その直前にあるプロットは建築ににおけるエスキースか。とはいえ、そうして一面化することで「戯曲」の意味を狭めることは躊躇せねばならない。
■三島由紀夫は『私の遍歴時代』のなかで、小説と戯曲を比較して次のように書いている。この素朴な言葉がいまでは逆に新鮮だ。
戯曲を書こうとしてはじめて私には小説の有難味がわかったのであるが、描写や叙述がいかに小説を書き易くしているか、会話だけですべてを浮き上らせ表現することがいかに難事であるか、私は四百字一枚をセリフで埋めるのすら、おそろしくて出来なかった。第一、小説の会話はどちらかといえば不要な部分であり、(もちろんドストエフスキーのような例外もあるが)、不要でなくても、写実的技巧を見せるためだけのものであることが多いのに、戯曲ではセリフがすべてであり、すでに私が能や歌舞伎から学んだように、そのセリフは様式を持っていなければならぬ。(三島由紀夫『私の遍歴時代』)
しかし、「戯曲」と「小説」の優劣を考えたところで意味はない。なぜ、その人たちは「小説」を志したか、なぜその人たちは「戯曲」を目指したか。とくに現在よりも過去、たとえば久保栄の時代、あるいは三島の時代に遡って考えてみることは重要で、なぜなら、久保栄が文学者として(政治性を抜きにして)いまのわたしたちに比していかに偉大だったかあらためて思い知らされるからだ。重要なのは「戯曲」の意味がある時代を経て変容したことだ。そこに着目しなければいけない。だからこそ、「小説」と「戯曲」を対立させることの意味などあるか、その「疑問を成立させる前提」そのものを疑ってかからなければならないだろう。
■記者はなぜ、「小説」を書く劇作家に対して、「小説」と「戯曲」のちがいについて質問するのか。おそらく、ほかにする質問が思いつかなかったからだ。この質問に文学として本質的な意味はほとんどないと考えられる。ベケットに同じ質問をした研究者はいただろうか。いなかったと思うんだよ、俺は。同様の意味を持った表現物として「戯曲」も「小説」もとりあつかい、しいてその発表形態についての、作家としての感想を求めたのではないか。
■だが、だからこそ、いまあらためてこのことを考えるべきだ。というのも、そのことが「戯曲」とはなにかを考える手がかりとしては、わかりやすいからだ。三島由紀夫の「描写や叙述がいかに小説を書き易くしているか、会話だけですべてを浮き上らせ表現することがいかに難事であるか」という言葉はきわめて素朴だが、パフォーミングアーツとしての演劇は、いまやダンスとともに「身体」が前に出て、「テキスト」は後景に追いやられる傾向にあるからこそ、「言葉」はどこにゆくかを考えることが新鮮な問いになると思える。
■別役実は、なぜ安部公房の『友達』をあれほど痛烈に批判したのか。太田省吾は、別役実の『象』と、木下順二の『子午線の祀り』を比較して、『象』を圧倒的に支持したのか。それは「こんにちは」の問題だと思う。その距離によって生み出される「関係」についてだと思うし、それもまた「身体」ということになる。しかし、戯曲がそれを意識していたか、どうか。そのことが現代演劇における「戯曲」の意味だということをさらに深めて考えよう。(この項つづく)
(8:53 Aug. 30 2009)
Aug. 28 fri. 「戯曲のためのノート」 ver.2
■それでさらに戯曲のことを考えている。
■たとえば、斎藤憐さんの『劇作は愉し』を読んでいると、久保栄の自殺についてより詳しく知りたくなるが資料が手元にないのでいらいらする。ネットで調べるにしたってそれほど詳しい資料があるわけがないのだが、ネットでなんでも知ろうと試みるのが日常化してしまったとき(ネットで調べることについてある範囲においてわたしは否定的ではない。というのも、これまで病気のこと、どこの病院に行けばいいか、あるいは資料になる書物は刊行されているのかなど、あらかじめ知っておくべき情報をネットでどれだけ教えてもらったかわからないからだ)、しかし「久保栄」についてはあまり語られないと、そこで作業は止まってしまう。かなりまずい。つまりネット上にそれ以上書かれていない人物とは「そのような人物(=ネット上でそれ以上触れられない程度の人)」ということになりかねないからだ。久保栄はそうじゃないだろう。
■だから調べよう。って、それあたりまえのことを書いているのだが、ことさら現在的な問題になっているのもどうかと思う。
■アップルから、新しいOSが発売されたという。それよりいまは戯曲のことで頭がいっぱいなものの、やっぱり気になるし、新しいOSも出たことだし、近々、MacBook Proを買おう。だが、それよりいまは「戯曲」のことだ。
■小説をはじめて発表したとき、しばしば質問されたのは「小説」と「戯曲」のちがいについてだった。そこでよく答えていたのは、たとえば、小説における「こんにちは」という言葉は、「こんにちは」という文字によって記された言葉だが、「戯曲」の「こんにちは」は、「こんにちは」という「行為」のことだという説明だった。というのも、「こんにちは」と書きながら私は、言葉を書いているのではなく、そうしている人物の行為、そして「からだ」を書いているとしか思えなかったからだ。そのことによって生身の「からだ」を持った人物が動き出す。では小説に「からだ」は存在しないだろうか。そんなはずはない。「からだ」が描かれない小説は生き生きとしていないはずだ。
■だが、なにかがちがうのだ。というか、ちがうらしい。というのも質問者が、「小説と戯曲ではなにがちがいますか?」と質問するくらいだから、ちがいがあるはずだと私も考え、思いついたのが「こんにちは」のことだったのだ。
■ほんとうに「ちがい」はあるのだろうか。「ある」ということにしなければ質問者は納得しなかった。ほんとうにあるのだろうか。それをはっきり示した言葉はないのか。
■そこでまず引用すべきは、太田省吾さんによる戯曲の定義になる。「戯曲を読むこと」についてのエッセイのなかで、まず太田さんは、チェーホフの『三人姉妹』の冒頭のト書きを引用し、別役実の『あーぶくたったにーたった』のト書きと比較する。チェーホフのト書きを「なめらかに読むことができる」と書く。そして、『あーぶくたったにーたった』のト書きについて、いきなりこう断言するのだ。
いわばでたらめな世界である。
その「でたらめな世界」を引用する時間がないので原文にあたっていただくしかないが、別役戯曲におなじみの電信柱をはじめ金屏風があり、たしかに「でたらめな世界」である。そしてこうした比較のなかから、戯曲が戯曲であることの本質的ななにものかについて太田省吾はこう書く。
〈外に光の溢れるブローゾフ家の客間〉で〈こんにちは〉ということと、電信柱と金屏風のある空間で〈こんにちは〉ということはちがう。なにがちがうのか。作者の意識する舞台がちがうのであり、場面の構造的予定がちがうのである。客間の〈こんにちは〉は、想像世界の、そしてそこに固定された〈こんにちは〉であるが、電信柱と金屏風の前の〈こんにちは〉は、想像世界と現実空間とのあいだの〈こんにちは〉であり、いわば両面をかかえた不定な〈こんにちは〉である。
そして、この構造意識は、中間の不定な場面を可能とすると同時に、場面の分裂や転換を可能にする。つまり、想像空間として進行している場面は、つぎの瞬間にはここは舞台であるという現実空間となしうるし、それをいつのまにか、また想像世界へ戻すことも可能である。この、作者の予定する場面の構造的多層性が戯曲の発想形式の特徴であり、それが同時に想像世界に安定しない戯曲の読みづらさの内容を形成しているといってよい。(太田省吾『裸形の劇場』)
まあ、ぱっと読んでみると、なにを言っているんだこの人はと疑問に思うような太田さんに特有の思惟の言語化だが、とてもためになることが書かれているし、さらによく読むと、術語的な言葉で叙述されているのに、わりとふつうのことが書かれている印象を受けるかもしれないがそんなことはけっしてないのだ。よく噛み締めて読んでもらいたいのである。
■さらに戯曲についての勉強はつづく。夏は終わる。選挙は間近。やっておくべきことはほかにもまだあるのだが。「都市空間論演習」のための準備や、「サブカルチャー論」についてまだ資料にあたるべきこと、整理すること、考えることがあるが、いまはとりあえず戯曲だ。まあ、いまこのブログは勉強ノートになっているからな。
(8:52 Aug. 29 2009)
Aug. 27 thurs. 「帰郷。そして、戯曲のことを考える」 ver.2
■帰郷していたのだった。静岡県の掛川市だ。向こうでも原稿を書こうとコンピュータを持参して行ったがまったく起動しないまま、すごく久しぶりにのんびり過ごした。観光もした。二泊して夜10時過ぎに掛川を出て東京に戻ってきた。その家にはいま、母しか住んでいないのでなんとか頻繁に帰りたいが、そうもいかないのがむつかしいところ。高速で二時間の距離なのだが。
■秋が近づき気候もよくなっていた。あるいは、田舎は朝晩の空気が夏でもひんやりするので意外なほどよく眠れた。あるいは静寂さ。ほんとうに静かだ。東京では四六時中、遠くでクルマの走る音が低く聞こえる。なにかの機械音も小さく響いている。けれど、東京でしか生きられない者はふだんその音をあたりまえのこととして生活しているし、人なんていいかげんにできているから都市にいればいたでこれがあたりまえになっている。「人間の本来性」もまた曖昧だ。「自然」について誰もが全面的に支持するがそれが正しいのかわからない。なにしろ「自然」は人工的な都市に比べたらきわめて人に厳しい。だから比較した結果、多くの者が都市の生活を選んだのは、さまざまな意味での「快適さ」が安全で豊かだという結論になったという一面もあるだろう(ここ書き忘れたが、もちろん「経済」という下部構造によって出現させられた「世界の都市化」はぜったいにある)。一方、「都市性の豊かさ」を裏付け、そうだという価値を作り、イメージを生み出す資本の運動の渦中、「自然」「環境」「人間の本来性」などはまたべつの「外部」として人の生活の外側に置かれるから、「特別な出来事」、いわば「観光」みたいなものでしかなくなる。
■少し前、「座・高円寺」でフリーペーパーのために別役さんと対談をした話をここに書いた。そこで別役さんがある近代劇を現在に置き換える仕事がなかなかうまくゆかない話をしていたけれど、別役さんだから「方法(=どう)」なのかと思って話を聞いていたらそうではなかった。「なにを」のことだった。新鮮で、とても興味深かったし、いま考えることはむしろそこなんじゃないかと思えた。社会劇的な、というか、ぶっちゃけ(社会主義)リアリズム演劇の「視点」というか、「テーマ性」で劇を組み立てることに別役実という劇作家が、「テーマ」と自身の「言葉」とのあいだに齟齬をきたしたにちがいない。だからうまく作業できないという意味の話だ。簡単にするのはいいかどうかわからないが、たとえば「戦争反対」ってことをいま正面から作劇するとき出現してしまう陳腐さだ。この困難をどう表現するかでこの40年、いわば六〇年代の演劇以来、劇作家たちはさまざまな方法を駆使してきた。「都市」について書こうとすれば、やはり同様の陳腐さに陥りかねないのは、「都市/地方」という対応だけで現在を描くことのつまらなさをどう乗り越えたら、「外部」になってしまった「自然」をまたべつの言葉で語り出せるかに作家はおそらく躊躇せざるをえないからだ。異化。あるいは文節化することで、またべつの局面としてそれを描けるのか。いや、描く必要もないとするなら、なぜそうなってしまったか……いまでは、あきらかに陳腐なテーマだと……とりあげるまでもないと……まあ、わたしもそう感じてしまうけれど、……だからこそ、こうした種類の「疎外」をべつの描き方で舞台にできないのか。きわめて「政治的」な問題として。
■こんなことを考えたのは「戯曲講座」の予習である。もうずいぶん以前に贈っていただいた、斎藤憐さんの『劇作は愉し』を掛川で読んでいた。ためになる。ただ、やはりある時代の教養人という印象がどうしてもぬぐえず、たとえば、あとがきで千田是也が晩年(九〇歳近くになってから)、ソシュールを勉強し直そうと細かいノートをつけていたことに斉藤さんが目眩を感じたと語るエピソードなど、いまの若い劇作家たちはどう受け止めるか。べつになにも感じないかもしれない。というか、過去の演劇人の知識人ぶり、教養人ぶりを、異なる側面から乗り越えようとするなら、まあ簡単にまとめると意図された動物化しかないし、まあ、ラップに代表されるヒップホップが「ラップにおける八〇年代性」を乗り越えようとしたとき、結局、ギャングな表象、というか、まあ、ヤンキーですけど、そういった方向に流れ思想がきわめて単純な「右」になったとするなら、乗り越えは「そこ」にしかないのかと、演劇でも似たようなことが起きても不思議はないのかっていうかねえ……うーん……。
■たとえば、寺山修司が「戯曲」は読めばいい、それだけで終わるといい、戯曲が戯曲として完結するなら上演することはないと語った言葉は、いまではあたりまえである。太田さんも繰り返しそうした意味において戯曲を文学のなかで位置付けた言葉を語る。とすれば、それはまあ、あたりまえのこととして、いったん括弧でくくり、またべつの戯曲の読み方を提示しなければ、僕なんかが、戯曲について語ることの意味がない(という話はなんどかここで書いたか)。だからって、開き直るようにヒップホップがたどったような、きわめて動物性の高い方向にゆくのではなく、また異なる読み方があるはずだ、っていうか、なかなか動物化するのもむつかしいわけだよ。あの「からだ」を真似したところで、それは「ふり」でしかないのだから(六〇年代の演劇人は近代を乗り越えようとして「肉体」を強調したけれど、結局あれこそ、「ふり」でしかなかったわけだし)。
■斎藤憐さんの本をはじめ、そこかしこにヒントはある。「講座」というものを引き受けてしまったので、「講座という体裁を整えるための体系化」をしなくてはならないが、考えながら授業を進行しよう。まあ、大変だけどね。なぜ引き受けてしまったかいまになって後悔しているものの、なによりたいへんなのが、午前中に授業があることでしょうか。でも、まあ、自分のためにすることだからな。
■ところで帰郷したおりにわかったが、今年75歳になる母がまずいことになっていた。夜、眠っていてふと気がつくと寝室に猫が出ると言い出したのだ。人形ケースのなかにいたり、ガラス彫刻のような時計のなかにいると言うが、時計のなかの猫はかなり小さいのではないか。さらに、昨夜は猫が網に捕まってつり上げられているのが枕許に見えたという。となると、誰が捕まえているのかが問題だ。困ったことになってきた。
(10:29 Aug. 28 2009)
Aug. 24 mon. 「それでもまだ暑い」
■残暑である。
■いろいろな方からメールをもらってとてもうれしかったのだが、たとえば、和代問題に関して早稲田の卒業生のNから久しぶりに便りがあったり、桜上水のYさんからのメール、あるいは「作者本介」の連絡先をなぜか「BRUTUS」でライターをしているM君から教えてもらったり、本人からもメールがあったり。ありがたい話である。で、参宮橋の駅近くの繁みにあった石の標識を、僕には、「陸軍省所轄池」としか読めなかったが、ネットではさすがに調べている人がいるもので、そのことを舞台やドラマの脚本を書いているMさんという方が教えてくれた。あるサイトにまさにその「旧陸軍標石」について記されていたのだった。このサイトはすごいよ、渋谷のど真ん中、東急ハンズの前あたりにもいまだに「旧陸軍標石」が残っているのが記録されている。こんど時間があったらぜひ行ってみなければならないだろう。
■というわけで、ひとりひとりのメールに返事を書き、なにか言葉にしたいが、じつはこれから私は、帰郷しなければならないのである。つまり親孝行だ。忙しくてこの夏、田舎に帰れなかったのでこんな時期になって短い時間だが戻ることにした。メールのチェックはできるけれど、しばらくこのノートは更新が止まります。ここんところ順調に更新されていたのに残念だ。まあ、田舎に帰るとネット環境がほぼ壊滅なわけですよ。
■そういえば、夜、河出書房新社のTさんに会って、ようやく『時間のかかる読書』のゲラを渡した。まだ直しをしたい気分であったがこういうのはきりがないからな。それから雑談。東浩紀についてとか、北田暁大についてなど話して面白かった。
■それにしても夏は終わる。話は前後するが午後、早稲田の研究室に「座・高円寺」でやる戯曲講座のために勉強するため、参考資料となるべき本を取りに行った。まばらな人影。それでも夏休みでも大学には人がいる。うーん、勉強しておかければな。僕はいちおう戯曲の専門家だからしっかり勉強しなくてはと思うものの研究者にはかなわないわけだよ、どうしたって。だとしたら実作者としてできる講義があるはずだ。そんな試行錯誤を。でもそれを工夫することもまた愉楽になるのだ。人生は愉楽だ。学ぶことも愉楽だ。和代にはならないようにしつつ愉楽で生きてゆく。
■田舎に帰ってもそんなわけで勉強だ。むかし、もう20数年前、やっぱり八月の後半に帰郷したことがありなぜか海水浴に行ったことがあったが、八月の後半の海はさみしかった。あのころのことを思い出す。安全運転で東名を走ろう。
■というわけで、今週末、金曜日にはまた帰ってくるので、向こうで撮った写真などを掲載してこのノートを更新するだろう。それまでしばらくお休み。メールの返事も書こう。それでは。
(11:07 Aug. 25 2009)
Aug. 22 sat. 「夏の散歩」
■やはり早朝、ゲラの直しをしていたが、途中ですっかり飽きてしまったので久しぶりに明治神宮の森の中へ散歩にゆく。二月ぐらいのまだ寒い時期、毎朝のように散歩していたが、あれは手術後のリハビリだった。いまはリハビリというよりごく普通の散歩だ。
■参宮橋の駅前を通過して西参道に出る。途中、参宮橋駅近くの道路脇、草むらに、石のかなり古い標識のようなものがあって、文字が刻まれている。読みづらいが「陸軍省所轄池」というところまで読めた。戦前からここにあったとおぼしい。ということはですよ、参宮橋の駅近くには「池」があったということだろうか。古地図を調べてみなければと興味がわく。「陸軍省」というのは、いまの代々木公園にあった「陸軍練兵場」、のちの米軍キャンプ、そののち「東京オリンピック選手村」、で、代々木公園になったという変遷をたどった広大な敷地あたりのことだ。土地に歴史あり。東京の土地を調べるのはきわめて面白い。こうした古い石の標識はまだほかにも残っているのではないだろうか。そうして見つめる東京はかなり興味深い。
■で、明治神宮では、全国中学校弓道選手権というものが開催されるらしく、袴姿の女子中学生らが大型バスからぞろぞろ降りてくる。遠くから来たのだろうか。しかしなんですね、こういった情景を写真に撮ろうと思うと、児童ポルノ規制法によって取り締まられ、撮影するなんてもってのほかだし、所持していたって逮捕されかねない。どうなんだと思う。うーん、カメラを構えるとき常に気を使う。
■午後、早稲田の学生に会う。11月の早稲田祭の相談である。簡単に話をまとめると僕に戯曲を書いて欲しいという依頼だった。それは無理。いきなり来たね、すごいところからアプローチしてきたよ、早稲田祭までもう時間がないというのに。で、きっぱり無理だと伝えたが、なんとか考えてあげたいのだ。企画としては、いくつかの劇団が短い上演時間の舞台を連続して公演するということらしい。だが、各劇団が、自分たちの公演もあって忙しいから舞台の用意ができず、それで、僕に戯曲を頼めないかとうことだが(その戯曲を各劇団がそれぞれの演出で公演するという企画らしい)、各劇団も忙しいだろうけれど俺も忙しいのだ。
■早稲田を卒業した、山本こと「作者本介」はいまなにをしているだろう。山本に書かせるという手がないだろうか。連絡方法がわからない。これを読んでいたら連絡してもらいたい。あと、「作者本介」の連絡先を知っている人もいたら、メールを送っていただきたい。
■といったわけで、あとは学生たちと少し雑談。文学部、文化構想学部の学生ではないので、ふだんはまったく接触のない学生たちだった。いろいろな学生と話をするのは楽しい。
■そういえば、僕の授業にもぐっていた商学部のイシハラはなにをしているだろう。イシハラは自分で言っていたが、夏になると異常に足が臭いという。インドに行ったとき、インド人にすら「足が臭い」と言われたという。ほかにも、都市空間論演習にはイシハラとはべつの商学部の学生がもぐっていて、彼がまた、フィールドワークのあとすごくいい発表をしてくれた。商学部がすごいぞ。イシハラの足はくさいが。それからさらにもぐりの学生で、しかも横浜国大からわざわざ来ているアベは、押しかけ弟子である。で、アベとする「弟子ごっこ」が面白くてしょうがない。「弟子のくせにおまえなんだ」と、あらゆる行動を非難する。なにかというと「弟子がなぜそんなに酒を飲むんだ」とか。「弟子のくせに唐揚げを五個も食べるとはなにごとだ」とか「弟子のくせになぜスキップしない」など、いちいちつっこむのが面白くてしょうがない。
■深夜、また仕事。明け方、ようやくゲラのチェックは終わった。もう一回、見直しをしよう。きっちり仕事をしよう。納得のゆく仕事をしよう。
(7:35 Aug. 23 2009)
Aug. 21 fri. 「遠くからの声」
■午前中、六時ぐらいから近くのファミレスで仕事をする。繰り返し書くようで申し訳ないが、『時間のかかる読書』のゲラチェックだ。書き直しても、書き直しても終わらない。それからそれに飽きると読書。小熊英二『1968』のほか、東浩紀の『動物化するポストモダン』を再読。はじめて読んだときは、オタク的心性、オタク的消費活動をまったく受けつけられず流し読みしてほとんど記憶にない。あらためていま読むのは、もっとちがう批評的な読みがここからでき、次に考えることにつながると思えたからだ。東浩紀が書いていることはほとんど正しい。まったく正しい。正しいけれど興味が抱けないのは、以前、読んだときとあまり変わらない感想。
■外国に注文していたCDが届いた。「minilogue」の「animal」というアルバム。ある場所で試聴し気に入ったから注文した。ミニマルなエレクトロニカ。とても心地よい響きだ。どうやらPVっていうか曲を使ったアニメーションがDVDになっているらしく一部、YouTubeで見られるがとてもよかった。そっちも買おうかどうしようか悩むところ。
■それはそうと、いまや周囲で話題がもちきりなのが、「Twitter」だが、僕もやってみようかと思いつつ、フォローされて人と関わらなければならないと話に聞いて、それが面倒なのだ。たしかにフォローしてくれることで情報を手に入れることができるのかもしれないが、その利便さと、面倒を比較したとき、どっちを取るかだ。試しに一ヶ月ぐらいやってみて面白かったら続けることにしようか。ネットではさまざまなサービスが生まれ、アイデアが実現化され、また消え、廃れ、また生まれ、それを追いかけることの面白さはきっとあるのだろう。
■そういえば、このところ二通のメールをもらった。まず長野の「matatabi on line」のトモヒロー君からは、双子の赤ちゃんが生まれたという報告。すごい。立派だ。こんな時代に双子を育てる父親になることの勇気に感動する。さらに、ライジングサンに来ていたとメールをくれたのは、「津田沼ノート」のT君だった。それまで赤塚不二夫をあまり面白いと思っていなかったというが、僕の講義を聴いて、そのでたらめな前衛ぶりに新たな発見があったという。それはなによりだ。
■夏のメールもうれしい。秋のメールもうれしい。一年中、遠くから声が届くことのよろこびだ。
(9:11 Aug. 22 2009)
Aug. 20 thurs. 「教育テレビは素晴しい」
■午後、代官山へ。写真家の鈴木理策さんの事務所を訪ねる。来年の舞台のポスター、フライヤーの写真をお願いし、快諾していただいたことはすでに書いたが、挨拶に行ったのである。制作の黄木が同行してくれたが、黄木が持ってきた「企画書」のようなものが、A4用紙一枚に10行ぐらいの今後の予定など日程が記されただけのもので、それというのも、まだなにも決まっていないからだ。これには鈴木さんもめんくらう。申し訳ないことになっていた。それからいろいろ話をさせてもらった。
■鈴木理策さんは、新宮高校の出身とのこと。若い頃、ゴールデン街で中上健次に会い、やはり新宮高校出身の中上健次に「校歌を歌えるか」と言われたという。歌えなかった鈴木さんに中上は激怒したが、その後、さみしそうにうつむいてひとりぼそぼそ校歌を歌っていたという。あるいは、表現の話。映画の話。などいろいろ。いっそ一緒に新宮に行こうという話も。そこから舞台を作ってゆくのもこれまでの僕にはなかった試みだ。
■代官山駅の周辺は、僕が知っていた過去とはまったくちがい、ずいぶんおしゃれな街になっていた。そして気持ちのいい夏だった。日差しが強い。汗をかく。
■黄木を初台までクルマで送ってからすぐ家にクルマを置いて、オペラシティで、「したまちコメディ映画祭」の事務局のFさんと会って軽い打ち合せをする。というのも、9月24日、「したまちコメディ映画祭」のモンティパイソンを中心にした、「BBC特集」のような上映のとき、シンポジュウムがあってそれに参加するからだ。
■Fさんからいろいろ話を聞く。当初は、マイケル・ペイリンを招聘しようとしていたとのこと。で、だったらもっと、BBCで放送されたさまざまなコメディ番組を、まずふだん見られないような過去のものを上映できたらと希望する。もうそうなると、モンティパイソンというか、イギリスのある種の「笑い」についてのマニアックな研究になってしまうおそれもあるが。
■その話は、詳しくは、「したまちコメディ映画祭」のサイトで。
■それにしても、NHKの教育テレビはすごいぞ。
■夜10時25分から勝間和代が、いかにむだな時間をなくすか、自分にとっての投資になるような時間の使い方をするかについて「ありがたい話」をしていたそのすぐあとの、「視点論点」という番組では、詩人の長田弘さんが、まるで和代の話を聞いていたかのように「猫と暮らす」というタイトルで、まったく逆のことを論じていたのだ。「猫という哲学者」という言葉を長田さんは使う。和代にとっては猫は、猫でしかないだろう。
■わたしは正直、NHKがかなり好きである。こういったことをしてくれるところが好きなのだ。意図的としか考えられない番組の並びだ。編成だ。いいぞ、NHK。和代をなんとかしろ。香山リカさんは近著において幸福になる秘訣として「勝間和代を目指さない」と書いており、それも笑ったけれど、長田さんの話にわたしは感動したのだ。「美しいものでしかないもの」について語る、そのことの擁護として、詩をはじめとする文学の役割を長田さんは語っていた。「美しいものでしかないもの」は、和代的に言ったら、投資の対象にはならないにちがいない。「自分に投資する」と和代は言う。生産主義的なというか、合理というか、見事な生き方というか、知らねえよ、ばかやろう。
■オペラシティに向かう交差点で目にしたのは、知的障害と思われる二十歳前後の女の子が泣いている姿だ。心配になってなにか僕にできることはないか考えつつ、けれど、そんなとき、そうして同情する心性に潜む、いろいろな意味での甘さ、あるいは健常者による傲慢さがないか、そして文学として人を見つめる視線について考えざるをえないとき、では人を見つめるとはなにか、人間を探求するとはなにかあらためて考える。
■醒めた目で人を見つめようとして生まれる、ほんとうの意味での「人」への理解や、接近があるはずだ。文学とはそのようなものではないか。もっとグロテスクな人の意識があり、同情する気持ちの背後に残酷な優越感が潜んでいないか、そうして対象を見つめる自分自身をも客観化すれば、そこではじめてあきらかになるもの。自分がそのことに気がつけるか。
■俺は甘いなと思う。通俗的な同情、通俗的なヒューマニズム、甘い人間観しかそこからは生まれないではないかと。だが、なんとかしたかった、っていう、この気分をどうにもできないし、しかし、なにもしない自分の嘘くささも一方にあるのだ。差別者は、ときとして相手を対等な人間として認識し、もっと近いところでつなぎあっているのかもしれない。それが歪んだ態度になろうとも。人間を問うことの困難は、さまざまな、人がもつ複雑さを見つめる視線だ。泣いているあの女の子をなんとかしてあげたい気持ちはどうにもやりきれない。いろいろなことをわかったうえでそれをしたいと欲する側に自分がいると自覚したとき、ものを書くことにそれは甘さしか与えないのだろうか。高校生のときに抱いたようなそんな問いを交差点でじっと考えていた。
■水曜日(19日)は引き続き『時間のかかる読書』のゲラのチェックをしていた。ただただ、チェックである。うーん、自分の書いたものがなんか面白くないと感じつつ、それをどう面白くするか、というか、わかりづらい叙述が続くので、そこをできるだけわかりやすくしようと書き直す。「身体性」とか「からだ」とか「演劇的空間」といった言葉は、一般的にはぴんとこないだろうと思って、べつの言い回しというか、またちがう書き方があるんじゃないかとそこで苦労する。うまく直せない。これはきわめて奇妙な冗談のはずなのである。
■深夜にファミレスで仕事をする話はすでに書いたが、それで早朝の都内をクルマで走ると、道もすいているし、人の姿もまばらでまた異なる街が見える印象だ。夏の早朝は気持ちがいい。
(3:09 Aug. 21 2009)
Aug. 18 tue. 「深夜のファミレス、あるいは、キが置いてあった」
■授業の資料にと思って次々と本やDVDを購入しているわけだが、なにより問題はそうして集めた資料をどう整理するかだ。だいぶ八〇年代、九〇年代のサブカルチャーを概観するための資料の収集はできたと思うものの、これをまとめてどう授業に活用するかである。専門家というか、研究者はそれが仕事だから、きちっと体系化してゆくのだろうけれど、そんなまめな作業がわたしにできるわけがないではないか。
■こういった状態をどう言葉にしたらいいかだが、かつて、エッセイに「エンゲルス的な人」について書いたことがある。マルクスは『資本論』を「論」としてまとめようなどと考えていなかった。『資本論』のサブタイトルに「経済学批判」とあるように、既存の経済学者の研究を批判する膨大な文章を書いた。ただ書いていた。それをまとめたのがエンゲルスという人物である。エンゲルスのこのまとめ上手ぶりをどう考えていいのかと思う。まあ、マルクスの緻密な研究と、貧困のなか自分の子供たちが飢えて死んでも書き続けたその筆力のすごさはもちろん偉大だが(子どもの死についてはむかしからよく議論されたことではあった)、エンゲルがいなければ『資本論』はまとまらなかっただろう。
■こうした「独創性」と「整理力」ともいうべき、二つの資質をバランスよく持った人物もいるだろうけれど、たいていそんなにうまくゆくわけがない。しかも、わたしときたら、バランスがものすごく悪いのだ。いま、仕事部屋がたいへんなことになっている。資料類で足の踏み場もない。部屋の壁をすべてうめている本棚がほとんど塞がってしまった。あとは床に置くしかないので、本、雑誌類、DVD、CDなどがうずたかく積み上がる。どうやって整理すればいいのだ。これをどう系統だて、言語化すればいいのか途方にくれる。前期の授業でできなかったことを、また新たにしようと思っているけれど、資料を前に気が遠くなっている。しかも暑いし、総選挙は公示されたし。新聞の見出しがすごい。「与謝野財務相、出陣式で立ちくらみ」「選挙事務所荒らし相次ぐ、ジュース飲まれる被害も」「《注目・茨城1区》ばんそうこうで笑い誘う」。選挙もたいへんなことになっているのだ。
■それでも今年は、例年のような「熊谷で40度」といった猛暑のニュースをあまり聞かない。どこにいってしまったんだ夏は。猛暑だからこその夏じゃないか。
■筑摩書房から刊行予定の単行本のまとめはライジングサンに行く前に終えていたが、帰ってきて、河出書房新社から出る『時間のかかる読書』のゲラチェックを少しずつ進める。時間がかかる。仕事をしようと思うと眠くなる。久しぶりに、この夏、深夜のファミレスで仕事をする。かつて原稿が書けないとファミレスによく行ったのは、気分をかえるというか、なんというか、まあ逃避になるけれど、最近はそんなこともほとんどしていなかった。このところどうも家で集中できないのだ。で、気がついたけど、ファミレスが、かつてと比べるとかなりだめになっている。もちろんファミレスは、しょせんファミレスだろうけど、それにしたって。
(10:46 Aug. 19 2009)
Aug. 17 mon. 「北海道から帰ってきたらそこは東京」
■数年前にライジングサンに行ったときのあの楽しさはなんだったんだろう。今年は時間にあまり余裕もなくいろいろ見て回ることができなかったのもあり少し残念だった。仕事に行ってきたという感じ。まあ、仕事なんだけど。ただ、しりあがり寿さん(左写真)と、エレキコミックのヤツイ君とはよく話した。あと、「赤塚不二夫論」に自分のなかで新鮮味がなくなってきた。反復することのむつかしさ。これが「芸能」ということになるのかな。「芸能」という世界と縁が薄くなっているので、いろいろ戸惑うことはあるものの、でも、夏のフェスに漂うなんともいえぬ会場全体がかもしだす空気の気持ちよさ。どこかでずっと音楽が流れている。お祭り気分でわくわくするこの感じ。先乗りして一日、楽しめばよかった。
■前回はいろいろ見たが今回は、深夜にやっていた石野卓球ぐらいですか、見たっていえば、っていうか、むしろそれがいまの興味という、なぜいまさらかだ。八月の後半にあるテクノ系のフェスに行こうかなという気分ですらあるのだ。で、ジンギスカンを食って夜中の三時ぐらいにホテルに戻った。からだによくないよ深夜のジンギスカン。あと、まえは知り合いがいっぱいいてそれも楽しかったと、ホテルに戻ってから思い出す。しりあがりさんと、ヤツイ君がいてくれ二人に救われた。いろいろなミュージシャンがいたけれど、よくわからなかったな、小泉今日子さんに紹介されたが、以前彼女が竹中の舞台に出たとき話をしたことがあった。ああ、あのときは岸田今日子さんもいらした。
■それにしてもライジングサンの会場は広い。なにしろ出演者の控室になっているオレンジカフェ(ここの居心地がすごくいい)から僕たちが出演するブースまでバスで移動した。遠い。出番が来るまでそのブース周辺で待っていたら眠くなる。あと、講義には椅子を用意してくれていたんだけど、立ってやればよかったな。いつも大学でやっている講義は立っているからなんだか調子が出なかった。後半、しりあがりさんの「ライジングサン博士しりあがり寿」はばかばかしかった。途中からしりあがりさん、絵じゃなくて、文字を書いていた。笑ったなあ。できあがったイラストを会場に来ていた人たちにプレゼント。じゃんけんで決める。いい記念だな、もらった人は。なかにマガジンハウスの編集者がいた。なぜあんたに当たるんだ。
■翌日は札幌観光。北海道大学の構内へ。「クラーク食堂」。広いな、北海道大学。だからって都内の大学が郊外へ移るというのはぜったによくない。早稲田は、早稲田にあるから、早稲田だ。あたりまえだけど。札幌の地理に疎いのでよくわからぬまま彷徨うように付近をぶらぶら歩く。ホテルは札幌駅の近くだったせいか周辺はオフィス街の様相。日曜日のオフィス街は人もまばらだ。
■夕方、札幌の演劇の事業に関わり、以前、僕を「演出家ワークショップ」の講師に呼んでくれたSさんに会う。しりあがりさんと三人で夕食。ウニ丼を食う。うまい。それから、泊まっていたホテルの、というのは、札幌駅の駅ビルにあるわけだけど、そこの30数階にある展望台で札幌の夜景を見る。しりあがりさんはようやく札幌に来たと実感したという。うに丼でかなり北海道気分を満喫した様子。そこだったのか。でも、暇があればニンテンドーDSでドラクエをやっていた。
■それで解散。ホテルに戻ったら急激に眠くなる。深夜の四時に目が覚める。いきなりここで空腹になったので近くに深夜までやっているラーメン屋でもないかと思って人気のない街を歩くがあるのはコンビニだけだ。パンを買って帰る。帰りの飛行機はお盆帰りの観光客で大賑わい。羽田まで無事に着いたものの、リムジンバスまで二時間ぐらいあった。羽田のカフェで本を読む。佐々木敦さんの『ニッポンの思想』。夢中になって読んだ。でも眠い。飛行機といい、リムジンバスといい、こんなことはめったにないがうとうとする。
■家に戻ってほっとしたものの、まだ夏は続く。仕事だ。夏は修行の季節だからな。
■で、夜、七〇年代から音楽評論を書いているある方のロックに関する本を読んで思ったのは、たとえば社会学者がサブカルチャーを語るとき、きわめて安易に「ロック」がかつて持っていたのだろうカウンターの側面を失ったこと、資本に組み込まれたのを根拠に「サブカルチャーの衰退」のようなことを語ることの杜撰な論理は、要するにロックをちゃんと聴いてもいないのになにを言ってやがるんだこのやろう、ということだ。「笑い」でもそうだけど、音楽もね、あんまり聴いているわけがないよ、それが生きるのと同じくらいの重さで、彼ら研究者が、ロックを受容しているわけがないだろうさ、ずっと勉強をしていた人たちなんだから。だが、音楽評論家の言葉のなかににじむ音への愛情と、だからこそ、生まれてくる「ロック」をはじめとする音楽が、人の生に与える、低く、かすかな、けれど決定的な影響力を持った響きは、杜撰な研究者的な「まとめ」を凌駕する。それが音楽だ。それが音楽を通じて生きることだと、ライジングサンから帰ってまた、新たにそんなことを考えたのだった。
■いいよな、夏。わけのわからない、かつて持っていただろう、つまり僕もまた若いときがあったわけで、なにも知らず、ただ好きな音楽を聴き、好きな映画を観、好きな小説を、舞台に触れ、そんな気分が自分をふるいたたせるような、そんな青臭いことを思い出させてくれ、青臭くて恥ずかしい気分がよみがえる、こんな夏のよさとはいったいなにかと思わざるをえないのだ。去年は病院ぐらしだったからなおさら。ああ、だからこその、今年の夏だ。
(11:53 Aug. 18 2009)
8←「二〇〇九年八月前半」はこちら