富士日記 2.1

Apr. 29 tue. 「手短かに」

本日は手短に。
朝、あるメールを書いた直後に、相馬からメールがあり、ブログを更新したという内容。それで早速、ネグリが来日して参加する予定だった東大でのシンポジュウムのレポートがあったので読んだ。ああ、そういうことになっていたのか。相馬のブログではじめて知った。この件に関しては、たまたま、朝書いたメールとリンクするところがあったので、奇妙な符合に驚く。というか、相馬のブログを先に読んでいたら、朝書いたメールもまた異なる内容になっていたかもしれない。
昼間は家で仕事。小説など書き、大学の準備をし。夜、その相馬と会って、サイトの更新について相談にのってもらう。もう、かなり相馬におまかせだ。僕の希望としては、「富士日記」はともかく、トップページを更新が楽にできる方法などを頼んだのだった。あれって、まだテーブルでレイアウトを組んであるから、いろいろ面倒なのだった。スタイルシートを使い、この「富士日記」のように簡単に更新ができたらいいと思うわけだ。深夜、また大学の準備と小説。創作をしなくては。ただ、読まなければいけない本がまだたくさんある。

(10:05 Apr. 30 2008)

Apr. 27 sun. 「興味深いこと、興味のないこと」

魔法研究会の勧誘をする学生

というわけで、忙しくてこのノートも滞りがちだ。大学の授業のことばかりでは、まったくの教員なので、作家として創作もしなくてはならないと思い少しでも時間があると小説を書く。こつこつ書いている。一日に一枚とか二枚のペース。先は長い。
というか、週末は大学のことで疲れきっている。さらに、土曜日(26日)は、wonderlandが主宰する「劇評セミナー」で二時間ほど話をした。おかげで、23日の水曜日(多摩美の非常勤講師)からなにかしら講義をしている一週間だ。あいまをぬって小説。特に木曜日(24日)は、三つもコマがあって、話した話した。終わるのが夜の九時十分だったけれど、その「サブカルチャー論」がひどく疲れるということがわかったのは、学生が興味のあるなにかにちょっとでも触れると、授業が終わったあと、その件について語りたい者が出現するからだ。このあいだ書いた「関心領域マッピング」のなかに、PerFumeという名前があり、目立っていたので取り上げたところ、熱心に語る学生が出現する。しまった。やってはいけないことをしてしまった。なにしろ、PVを流したら、終わったあとに拍手さえ起こっていたしな、いやな予感はあったのだ。いまもっとも取り上げてならないものを取り上げてしまったらしい。あと、ディランの映像を見せようと思っていたのに、コンピュータのなかに入れ忘れたので、あわてて教室に付属するコンピュータをYouTubeにつなげ、ぱっと目に入った「ライク・ア・ローリングストーン」を流した。すると、「あの映像はだめだ。あれじゃ、ディランの評判が悪くなる」と文句を言いに来た学生がいて、おまえが生まれる前から俺はディランを聞いていたと言い返したいが、なんにせよ、めんどくさい授業だよ、「サブカルチャー論」はじつに。
といったわけで終わったころにはぐったりしている木曜日だ。そこへゆくと、金曜日(25日)の「サブカルチャー論演習」はすごく面白い。「関心領域マッピング」のなかから二つの項目を取り上げ、それぞれ記入した学生にプレゼンテーションしてもらう。今回は、「渋さ知らズ」対「ABBA」だった(ほんとは最初の「B」の文字が逆向きになっている)。この無謀な対立もどうかと思うが、次回は、「声優」対「ゴダール」という、夢の対決が実現することになった。というか、ふつう対立させないだろう、この二つの問題項は。ここで楽しいのは、プレゼンテーションのあいだも僕が、発表してくれる学生に質問をしつつ、黒板に図を書いたりいろいろ補足を書きこんだり、それが出現したことの意味などを分析してゆくのが面白いからだ。で、学生のプレゼンテーションを聞き、分析しているうちに「渋さ知らズ」の過剰さに興味を持った。だって、ドラムとベースがそれぞれ二人いるバンドって、いったいなんだよ。「声優」対「ゴダール」はどうなるだろう。楽しみで仕方がない。

ゴールデンウイークは、それほどゴールデンウイークではないまま過ぎてゆきそうだ。ふつうに大学の授業がある。「都市空間論」の勉強もしておなかければならないし、創作がある。そういえば、いつのオリンピックのときでも、聖火リレーにはなんの興味もない。

(2:33 Apr. 28 2008)

Apr. 21 mon. 「アルタ前のアルタとは、ここのことでしょうか?」

配送の人は半袖で台車を押す

やけに天気のいい日だった。家で仕事。主に大学の準備である。D・ヘビディジの『サブカルチャー』(山口淑子訳 未來社)はいい本だ。とてもためになる。それを読むことをはじめ、このところ大学の授業の準備ばかりしている。「都市空間論」の勉強もしなくてはな。このあいだ白水社のW君にもいろいろ相談にのってもらったが、とにかく勉強不足だ。だめだなあ。
そんなわけで小説を書く時間がなかなかまとまってとれない。なにしろ、このあいだ書いた「関心領域マッピング」にしても、「サブカルチャー論」で実施すると百数十枚(あとで調べたら230枚以上あった)が集まってしまうので、それをチェックしているだけでも時間がかかる。読んでいると面白いからつい夢中になるが。
あと、「都市空間論演習」の授業で学生に、資料をまったく参照せずにイメージだけで新宿の地図を描いてもらったが、これがまた、すごかった。位置の把握がかなり曖昧なのでどうやって読めばいいのかわからない地図が多数ある。もっとも笑ったのは、新宿駅前にある「アルタ」について、四角のなかに、「アルタ前のアルタとは、ここのことでしょうか」とあった地図だ。これ、書名にしようかと思うくらい秀逸な言葉だった。ともあれ、まだ読むべき本がある。「サブカルチャー」にしても、現象を、社会学見地とでもいうか、そういった視点で分析し解釈するのは僕のする仕事ではないし、そもそもそういったことに興味がない。D・ヘビディジの『サブカルチャー』や、カルチャルスタディズ的な見地からの、「サブカルチャー」の、主に、ヨーロッパで語られるような政治性の高いアプローチから、たとえばレゲェがどのように生まれ、進化したかなど、その文化がはらむ本質的な意味が語れたらいいけれど、っていうか、そのことを学ぶことに興味があるんだな、俺は、サブカルチャーってものに。

ただ、学生たちと接触するのは楽しいし、いまは大学のことが面白くてしょうがない。でも、小説だ。連休になったら小説に重点を置きつつ、大学のための準備もする。きょうは午前中に用事があって新宿に行ったけれど暑いほどの陽気だった。もっと暑くなればいいと思う。

(2:59 Apr. 22 2008)

Apr. 20 sun. 「日曜日の散歩」

壁に生えた草に埋もれているカーブミラー

土曜日の夜は、「シネマアートン下北沢」で、七里圭監督の『眠り姫』のアフタートークに出演。七里さんと話をさせてもらった。このところアフタートークによく呼ばれるが、話を切り出すタイミングというものがむつかしい。大阪の劇団の演出家とアゴラ劇場でアフタートークをやったときもそうだったが、相手が話を進めてくれるものだと思って待っていると、なかなか話し出さないので、こちらから話しを切り出さなければいけない。というか、その空白に僕ががまんできないというか、七里監督もやはり、作品と同様に時間の感覚が長く、沈黙がべつに気にならないのかもしれない。仕方がないので僕がインタビュアーのように話を聞く。亡くなられた太田省吾さんとシンポジュウムに参加したことがあるけれど、太田さんは発言する前にかなり時間があり、しばらく考えているので、参加している者は皆、じっと太田さんが話し出すのを待っていなければならなかった。そのときと同様の感触だ。作品(『眠り姫』)に流れている時間にもよく似たものを感じる。でも、もう少しうまく話ができなかったかと、帰り道、なにか反省して落ち込む。
劇場には、ユリイカのYさんや、幻冬舎のTさんが来ていた。それから、司会というのでしょうか、最初に七里さんと僕とを紹介してくれた女性は、以前やっていた「テキスト・リーディング・ワークショップ」に来ていたという。七里さんは、早稲田の映画サークル時代、笠木と知り合いだったそうだ。それから『眠り姫』に関連するイヴェントで松倉が歌ったというので、その日が七里監督とは初対面だったのにもかかわらず、どこかしら接点があるのは面白かった。その日の劇場は満員で、人ごとながら、それがうれしい気分にさせられる。『眠り姫』はけっして派手な映画ではないが、評判もいいらしく、多くの人が見てくれるなんて、こちらが勇気を与えられるのだ。
ちょうどスズナリは(シネマアートン下北沢は、ザ・スズナリの隣にある)東京乾電池の公演だった。外に出ると、柄本明さんがいらした。軽いあいさつ。柄本さんは、僕に気づいていなかったようだが。

日曜日は久しぶりになにもない一日だった。きょうはなにもしないと決める。それで、午後になってから近所を散歩する。東京オペラシティの裏手には、不動通り商店街があるが、日曜日ともなると、商店街ではなにかしらの催しをしているのか、この日も、お不動さんの境内でフリーマーケットが開かれていたり、スタンプラリーのようなものが開催されていたり、ところどころで、屋台みたいに焼きそばを売っていたりする。意外に子どもが多い。のんびりした日曜日の午後だ。食事をとってから、近くの住宅街のなかをぶらぶら歩く。細い路地を歩くのは面白い。歩くスピードだからこそ見えるものがある。

(3:50 Apr. 21 2008)

Apr. 18 fri. 「週末は雨」

壁にぎっしり生えている植物の緑

授業から、またべつの授業へ移動するときが、とにかく忙しい。次の授業のための資料を取りに研究室に戻ろうと思うと、当然、その時間は学生たちも移動する時間なのでエレベーターが混雑するのだった。というわけで、今週からいよいよ、大学の授業も軌道に乗りはじめ、僕も講義をしながら楽しくなってきた。まず、水曜日は多摩美へ非常勤で戯曲を教えに行く。木曜日と金曜日が早稲田で2コマずつ。多摩美は半期だけだからといって、引き受けたが、意外に大変になりそうだ。というのも、戯曲を書かせなくちゃならないからで、それはしいては、その戯曲を読んで意見しなくてはいけないといことだし、うまくアドヴァイスができるかというと、もう根本的にだめだった場合、どこから話しはじめればいいかこれはむつかしい。なんということを引き受けてしまったのかと思う。
さて、先週の「サブカルチャー論演習」では、「関心領域マップ」というものを作ったのだった。じつはこれは、多摩美のクラスでもやった。縦軸を時間、横軸を社会的位置として、中央に、タテとヨコの線がひかれてある。つまり、一枚の紙を二本の線で四つの領域にわけるような感じだ。上に行くほど現在に近くなり、下にゆけば過去になる。右側は「マジョリティ(=多数派・メジャー)」で、左は「マイノリティ(=少数派・マイナー)」という図。そこに各人が関心を持つ事柄を記入しマッピングして行く。その位置は各人の主観になるが、現在であり、マジョリティというか、メジャーって言っていいか、そこにはたとえばある学生は「インターネット」という言葉を配置した。そうやって何人もの学生のマッピングから特徴的なものを拾い出し、総体的な「関心領域マッピング」を作成したのだった。で、早稲田と多摩美で実施し、二枚の地図ができた。それを比べるとこれがたいへんに興味深い。
人から聞いた話だが、ある心理学の研究者が都内の一般大学と美術大学で授業を持っていたとき、あるアンケートをしたという。質問は、「あなたは子どものころ、頭を強く打った経験はありませんか?」というものだ。結果がすごい。圧倒的に美術大学の学生のほうが、子どものころ頭を強く打っていた。打ってるんだよ、美大生は、頭を。考えてみれば、私もそうだった。子どものころ、いとこに肩車をしてもらっているとき、そのまま、うしろに倒れて後頭部を強く打ったのだ。それで美術大学に入ってしまった。二枚の図を比べて興味深いのは、まず、早稲田の学生はとてもバランスがいいことだ。各領域にまんべんなく言葉が記されている。ところが、美大の、っていうか、多摩美だけど、そちらの図はいびつである。「過去・マイナー」の領域(これを授業では便宜上「D領域」と呼んだ)がどうかと思うほど充実している。まあ、多摩美のほうは女子の割合が高かったのもあるが、たとえば、多かったものに「球体関節人形」があるし、その上に「夜想」という雑誌の名前がある。「澁澤龍彦」の名もある。面白かったなあ。こうした結果からなにかを導き出してゆこうと考えているが、この「関心領域マッピング」はさまざまな集団でやってみたくなったのだ。学生だけではなく、たとえば、暴走族とかね。自衛隊のある部隊とかね。面白いだろうなあ。

で、金曜日の授業が終わったあと、岡室さんや、やはり早稲田のSさん、助手のK君、院生のK君、そして白水社のW君らと戸山キャンパスの近くにあるスープカレーの店に入ったのだった。カレーの辛さが指定できる店だったが、僕はまあ、どんな辛さの店か知らないので、「3」くらいのカレーにしたが、さすが、激辛王準優勝のW君はすごかった。なんと「100」というやつを頼んだ。ちょっとだけ味見をさせてもらったが、来るね、かなり来る。ちょっと舐める程度で汗が出た。それをW君は何食わぬ顔で食べている。僕は「100」の味見をしたあとだったので、「3」がまったく辛くない。普通のスープを食べているような感じだ。食事をしながら、ようやく落ちついてみんなと会話ができた気がする。というのも、とにかくこの数週間、慌しくて落ち着かなかったからだ。楽しい食事になった。その後、W君と打ち合せ。考えることは、まだまだある。やらなくちゃいけないこともいろいろだ。
大学は疲れた。だけど、とても充実している。二年前にやはり、客員で早稲田で教えていたときはわからないことだらけだったが、だいぶ全体像がわかってきた、っていうか、だいたい、はじめは、ある教室に移動しようとしてもまったくわからなかったのだし。

(18:16 Apr. 19 2008)

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