Feb. 26 thurs. 「ポツドールを観たこと、そして赤塚さん」
■今週は火曜日にポツドールの『愛の渦』をまもなく閉館してしまうシアタートップスに観に行ったので、そのことを書いておきたいが、このあいだの『グランド・フィナーレ』のことも書いていないので、感想というか、批評というか、考えたことをしっかりまとめておかなければ。でも、きょうはちょっとべつのことをどうしても書きたい。
■はじめて西武新宿線の下落合に行った。クルマをコインパークに停めると、少し早く着いたのと、トイレに行きたかったので駅のほうに歩きどこか喫茶店でもないかと探した。けれど下落合の駅前はなんだかさびしい。ようやく喫茶店を見つけて入ったが、そんなことよりここに来たときからなにやら私は興奮していたのである。
■なにしろ、前日、なぜか、まったく眠れず一睡もしないで出かけたので仕事がきちんとできるか心配だったのだ。妙な興奮状態のため眠いなんてまったく感じなくなっていたのだから不思議だ。そして、赤塚不二夫さんのお嬢さんである、りえ子さんと対談するためフジオ・プロに向かった。少し入り組んだ場所にフジオ・プロはあった。りえ子さんに迎えていただき、そして通していただいたのは、映像では見たことのある赤塚不二夫さんがお酒を飲んだり仕事をしていたリビングだ。それだけで興奮するなってほうが無理な話じゃないか。赤塚さんの御霊前にお線香を上げさせていただいた。(写真は、上から「フジオ・プロ外観」「リビングの赤塚さんが座っていた場所」「テーブルには赤塚さんが煙草で焦がした跡がいくつもある」)
■正直、赤塚不二夫さんをもっとも熱心に読んでいたのは小学生から中学にあがるころだったと思うけれど、子どものころ自分のヒーローだった方に少しでも近付けたかと思うとじわじわと感慨がわいてくる。部屋には赤塚漫画のグッズや、キャラクターのイラスト、写真、さまざまなものが並ぶ。ここにいることの幸福。「下落合」「フジオ・プロ」「バカボンのパパ」と、伝説的なというか、かつて遠くに存在していたものをいままとめて目の当たりにしている。幸福感にひたり、感慨にふけり、興奮した。さまざまなものがここにはある。ただ、ひとつ存在しないのは、赤塚不二夫さん、その人だ。会いたかった。会いたかったけれど、会えば会ったで、緊張してなにも話ができなかったと思う。
■対談には、「dictionary」のスタッフ、そして桑原茂一さんもいらした。それから早稲田で僕の授業を聴講し、それを録音してまとめていたライターのM君も来ていた。M君が授業の内容をまとめてくれ、りえ子さんに読んでいたいただいたので、話も進めやすかった。話したなあ。すごく話してしまった。赤塚不二夫さんはシャイな方でお酒がないと人と目も合わせられなかったという。僕もそうなんだけど、なぜか、きょうはよく話ができた。そして、りえ子さんから赤塚さんの貴重なエピソードなどもいろいろ聞かせていただいた。面白かった。というか、りえ子さんがまた、とても面白い人、と書くと語弊があるかもしれないが、魅力的な方だったのだ。
■NHKでまたあらためて赤塚不二夫さんを特集する番組を作るそうだが、その取材のカメラが入り、すごく近くでカメラを回している。近いんだよ。その近さがわからないし、あと、あきらかに放送ができない種類の会話をしているとき、音声さんが、やけにマイクを近付けていたのも気になった。なにをしたいのだ。いろいろ話しているうちに予定の時間はあっというまに過ぎてしまった。まだまだ話足りないくらいだ。なんで赤塚不二夫という人をあいだにすると、話はつきないのか。楽しかった。眠っていないのが嘘のようにやけに調子が出たのだった。
■家に戻ったら「考える人」の締め切りがあしただったことを思い出したのは、担当編集者のN君からメールがあったからだ。まずいな。
■で、ポツドールのことを書きたいのだが、原稿があって書けないものの、考えてみたらまだ公演が三月の後半まであるんじゃなかったっけ。書くといろいろ不都合がありはしないか。いわゆるネタバレ的なあれがありはしないか、でも、それでも書きたいことがあるのでそれは稿をあらためよう。また、舞台について考えることが生まれた。刺激を受ける舞台に出会うこともまた幸福だな。あと、西巣鴨で公演している「リミニ・プロトコル」というドイツの集団の『カール・マルクス 資本論 第一巻』も観に行かなければ。今週は忙しい。
(8:55 Feb. 27 2009)
Feb. 23 mon. 「静岡から帰ってきた」
■静岡から帰ってきた。法事をすませ、日曜日(22日)の夜は小学生時代の同級生伊地知の家族、それからやはり当時の同級生だった中村さんに会っておだやかなひとときを過ごした。伊地知は神秘主義的なというか、大衆的な「怖い話」とか、「運命の話」や「生まれ変わり」の話といったものが好きで、一生懸命話してくれるのだが、どこをどう楽しめばいいのかまったくわからなかった。むしろ、「ああ、そうですか」としか言いようがない。でも、このところは田舎に帰って伊地知と会うのが楽しみになってきた。なにしろ、生きている空間のちがいというか、志向がまったく異なる人と話をするのはそれはそれとして、とても面白いのだ。あ、あと、伊地知の娘がNHKの「のど自慢」に出たという。それでいろいろあって、親子げんかをしていた。あー、面白い。
■それにしても父親が死んでもう一年というのがいまだに信じられない。いないということなのだ。この世のどこを探してももう父がいないことの不思議について考えざるをえないし、「死」とはなんであるのか、「生きている」とはどういったことなのか考えざるをえないと思っていたところへ、アメリカのアカデミー賞の外国映画部門で『おくりびと』が賞を取ったというのは、これがきわめて普遍的なテーマとして人に重く響き、外国であること、宗教とか、思想とか、文化とか、さまざまな差異とは関係なく存在したのだろうと、父の一周忌と重なったので、がらにもなく、そんなことを考えていたのだった。いい映画なんだろう。いい映画に決まっている。だからなんだって気もしないわけではないが、まあ、すぐれた作品だったにちがいない……観てないんだけど。
■ただ、伝聞によると主演の本木さんが、情熱をもってこの作品に関わったという話を聞くにつれ、そうした熱意は映像に重みを増すのだろうと……観てないけど……そう思ったわけだ。「いい映画を作ろう」なんてことを凌駕する、作品に対するもっと異なる熱意は、たとえば、それが「笑い」でも同様のはずで、「面白いことがしたい。人がやっていない面白いことを作ってやる」といった野望こそが、売れる売れないなんて関係なく、面白さを作るにちがいない。ものを作るってのはむつかしい。なにが作品に光をあてるのか、いやらしい、よこしまな根性でいいものが生まれるとは思えない。愉楽。なにより愉楽。作っているときの愉楽。しかし、愉楽だけでは足りないし、それプラス、妥協しないなにか、運、なにかの偶然、論理では片付かないなにか、って話になると、最初の伊地知の神秘主義に戻ってしまうが、わからないなにか、論理では片付かないなにかがあるからこそ、ものを作ることは面白いにちがいない。
■日曜日の深夜に掛川から東名高速道路で帰ってきた。ETCカードはいろいろ問題ありだと思うけれど(プライバシーを国家が管理するとか)、それにしても深夜割引がすごいよ。掛川から首都高に乗って三千円くらいだった。あとぼんやりしていたら、なんとなく160キロ出てしまって大慌てだ。あぶねえあぶねえ。自分だけ死ぬならともかく、ほかのクルマを巻き込んで事故なんか起こしたら大変なことだからな。
■こちらに戻って、やらなくてはいけないことが山積ながら、ぼんやりしてしまい、とりあえず早稲田に行きある書類にサインと捺印。久しぶりの早稲田は入学試験の期間だから構内に入るのが厳しかった。やらなくちゃいけないことは死ぬほどある。小説だ。小説の構想を練っていた。メモにしてなんとなく形になってきた。書くぞ。書くぞ。死にものぐるいで書くぞ。とか言いながら、復刻版『遠くまでゆくんだ…』(白順社)を読んでいた。あと「サブカルチャー」という言葉が日本で初めて使われたのではないかと言われる「美術手帳」の「一九六八年二月号」を古書店で手に入れて読む。
■とまあ、六〇年代末の時代を資料的に読んでいるが、しかし、やはり「サブカルチャー問題」としては、「一九五〇年代論」を深化しなくてはいけないと思っているのだ。で、このあいだNHKのBSで「日めくりタイムトラベル」というのをやっていて、その「昭和30年」を録画しなかったことをものすごく後悔したのだ。なぜなら、当時の風俗として「ボディビル」を取り上げていたからだし、当時、「ボディビルブーム」が起こったニュース映像を流していたのと同時に、三島由紀夫はそれがきっかけかどうか、やはりボディビルをはじめたという映像が流れていたのだ。失敗した。ぜひとも録画しておくべきだった。NHKのNさんとか、誰かに頼めばダビングさせてもらえないだろうか。これは大学の授業で流そうとしているわけで、「教育」である。「教育」は著作権が許されているはずなのである。なんとかならないのか。再放送もしてほしいんだよ。なにしろ、「昭和30年=一九五五年」だ。「サブカルチャー誕生としての五〇年代」を語るにあたってきわめて貴重な資料になるのである。
■春めいたかと思った天気がまた冬になってしまった。寒い。冷える。いやだいやだ。今年は梅ヶ丘に梅祭りを見に行くことができなかった。
(13:17 Feb. 24 2009)
Feb. 20 fri. 「この一週間ばかり」
■WEB上での連載をはじめたのである。e-daysで、「音楽」のカテゴリーでの連載。タイトルは「プログレッシブ人生」だ。まあ、もうひとつべつのブログだと思って読んでもらえるとさいわいである。隔週くらいで連載してゆく予定。しかも、更新は僕自身がやるということで、まさにブログのような要領だから、なにか思いついたり発見したら、毎日書くかもしれない。チェックをお願いします。でもなあ、舞台と小説など、創作にも力を入れないと。
■また更新が滞ってしまった。
・13日(金)少し前に買ったコンピュータ機器についてネット上で調べたり、あるいは、小説の構想を練っていたが、どちらもいわば愉楽の時間だ。小説という「世界」を作る欲望の面白さ。
・14日(土)「キラリ☆ふじみ」で『グランド・フィナーレ』を観た。原作者の阿部和重君と久しぶりに会い、アフタートーク。
・15日(日)眠ってばかりいた。
・16日(月)「新潮」のM君、Kさんに会って小説の話。
・17日(火)白水社のW君と会って単行本の打ち合せ。
・18日(水)ほぼ一日中、DVDを観ていた。
・19日(木)いろいろな仕事をメールで依頼された。
そんな日々。なぜか、仕事は一度にどっと押し寄せてくる気がし、それを整理し、できるかどうか、というのもあきらかにスケジュール的に無理なこともあるからで、判断しなければいけない。原稿が書けなかったり、ものすごく遅くなってこれまでどれだけ迷惑をかけてきたか。以前から話のあった仕事はもちろん引き受けたいが、でも、創作をしっかりやらなくてはと思うと、いろいろむつかしいのだ。
■といったわけで、これから私は帰郷するのである。それというのも、父親の一周忌だからだ。もう一年が経ってしまったのだな。その節はさまざまな人に気を遣っていただきありがとうございました。去年は、そのあとに僕が手術をし、長期入院があってと、なんだかよくわからない一年になった。なにかの節目なのかと思ったけれど、なんの節目だ。
■いろいろな仕事をいただいたなかに、桑原茂一さんが出しているdictionaryの「漫画特集」で「赤塚不二夫論」を僕がまとめるというプランがある。赤塚作品については大学の授業で話したことがあり、聴講に来ていた「BRUTUS」でライターをしているM君から依頼があった。で、楽しみなのは、赤塚さんのお嬢さんであり、フジオ・プロの社長でもある赤塚りえ子さんと対談できることだ。聞いてみたいことはものすごくある。
■あと、「キラリ☆ふじみ」で観た、『グランド・フィナーレ』について感想も書こうと思うし、アフタートークで阿部和重君と話をしたことも書きたいものの、時間がないので、またこんどにしよう。繰り返すようだが、これから帰らなくてはいけない。東名を走らなくてはいけない。掛川への、二時間半ぐらいの旅。
(16:46 Feb. 20 2009)
Feb. 12 thurs. 「伊豆にも行っていた」
■今週は学生たちと伊豆へ合宿に行ったのである。
■合宿というのは、舞台の稽古などしているとよく冗談で、「じゃあ、合宿して徹底的に稽古するか」と言ったりするような、あまり大人になってすることじゃないと考えており、まさか、この歳になって「合宿」に参加するとは思ってもみなかった。伊豆の川奈に宿泊ができる早稲田の施設があった。むかし……それこそ、学生のころの夏、山中湖にある大学のセミナーハウスで合宿をしたものだった。この感じは久しぶりだ。学生に誘われ参加することになったが、バスで早稲田を出発したのは8日の朝10時である。早いよ。睡眠不足だ。そもそもバス旅行が懐かしい気分に人をさせる。表象メディア論系に属する学生の合宿だというので、観光バスの、よくあるあの例の、前面にどこの団体か示す掲示に、「表象メディア論系」と記されていて、それがなんだか面白かった。そして首都高に乗りなぜかバスは鎌倉に向かった。なぜ鎌倉なのか。釈然としない思いをしていたが、天気がよくて春めいて感じた鎌倉がやけにいい。表象メディア論系の教員、千葉さん、岡室さん、嶋田さんたちとカフェに入って昼食をとり、さらに鶴岡八幡宮など観光した。学生たちは鎌倉のフィールドワークをする。
■それからバスは湘南の海岸に沿って伊豆半島へと向かうわけだが、まあ、その夜は学生たちにじっくりつきあったり、翌日、フィールドワークの成果を発表したりといろいろあったけれど、あとは省略。楽しかったな。というか、たった一泊だけの合宿だが、こうして時間を気にせず話をすると、大学で会うのとはまたべつのなにかわけのわからない親密さが生まれる。その微妙な感じが不思議だった。
■ずいぶん更新が滞ってしまった。ノートを付けていなかったほかの日はなにをしていたのだろう。簡単なメモにしておこう。自分用に。
・4日(水)久しぶりに落ちついて本を読む余裕ができた。
・5日(木)いつも通っている五反田の病院ではなく、呼吸器系の医師の診断を受けるため東京共済病院に行った。
・6日(金)夜、ある人と会っていろいろ話をする。
・7日(土)天気がよかったので新宿中央公園あたりを散歩する。
・8日(日)合宿へ。
・9日(月)合宿二日目。そして東京に戻る。
・10日(火)夜、締め切りが過ぎてしまった岸田戯曲賞の選評を書く。
・11日(水)大型量販店をめぐり買い物をする。
そんな日々だった。
■去年の四月だったか、大教室で「サブカルチャー論」の授業をやったあと、学生の一人が片付けをしている僕のところにやってきた。『牛への道』の文庫本を手にしている。面白いと声をかけてくれた。とてもうれしかった。『牛への道』を出したのはもうかなり前のことになるが、こうして新しい読者にまた会えるのが本のいいところか。もちろん、僕の本業は演劇だし、小説もしっかり書こうと思っているが、エッセイもまた大事な仕事のひとつだ。その「大事さ」がなにか、言葉にするのがむつかしいが、僕を支えてくれているもうひとつの柱だ。また異なる方法で現在と切り結ぶための方法でもある。小説とはまったくべつの方法だし、もちろん、「からだ」という具体的な要素を通じて表現する演劇とはさらに異なる。
■で、この二月、三月にやっておかなくてはいけないことは数多く、小説はそのなかでも大きな位置にあって、なぜそうなのか、なぜ小説を書くかっていうと「頼まれたから」と、質問されるたびにそう応えていたし、へたをすると、なにか評価されたいとか、賞がほしいって話になるけれど、それとは異なりもっと個人的な、書く者の意識の深い部分に入ってゆくようなところが小説にあると思えてならない。べつに私小説を書くといった意味ではなく、演劇ではできないこと、エッセイでも書けないこと、方法、というか、言葉そのものにおのずと私の深層が反映する。まあ、表現ってみんなそうだろうけど、いまさらこんなことを書くと恥ずかしくもなるけれど、自分との向かい合い方のちがい、自身の掘り下げ方のちがいとでもいうか、実存への迂回しない接近というか……うーん、よくわからなくなるが。
■ということで久しぶりの更新になった。観た映画や、読んだ本のことも書くべきかもしれないが、よほどのことがないと書きたくない。美味しいものを食べたのを書かないのと同じだ。
(8:44 Feb. 13 2009)
Feb. 3 tue. 「福岡に行っていたのだ」
■岸田戯曲賞の選考が終わって落ちつく暇もなく一心不乱で学生のレポートを読んでいた。それで福岡に行ったのは、先週の土曜日(1月31日)である。福岡市文化芸術振興財団が主宰する「FFAC企画 創作コンペティション『一つの戯曲からの創作をとおして語ろう!』」があった。五つの集団によるプレゼンテーションを受け、五月にある「上演審査」に出場する三つの集団を選ぶ。その審査をする仕事だ。
■東京を出る直前まで学生のレポートを読んでいたが、飛行機のなかでも読み続ける。読んでいたら羽田から福岡まではあっというまだ。九州に来るのは何年ぶりだろう。福岡空港は、福岡の繁華街から近い印象。というのも、帰り、宿泊したホテルの近くから地下鉄に乗るとすぐに空港のある駅に着いた感じがしたからだ。で、「FFAC企画 創作コンペティション」の会場になっている施設には空港からタクシーで向かった。まったく地理がわからないのでどっちの方向に進んでいるのかすらわからない。
■審査をする四人の方にお会いした。去年のこのコンペティションでグランプリを受賞した、M.M.S.Tという集団で演出する百瀬君、福岡で活動している「空間再生事業劇団GIGA」の演出をする山田さんのほか、新聞記者の方が二名。あいさつをし、それから雑談などする。九州に来るのはたしか二度目になり、かつて来たときは北九州と長崎に行ったが、福岡はちらっと寄る程度だったので、ほとんど記憶が残っていない。
■さてコンペティションでは五つの集団のプレゼンテーションを見せてもらった。もっととんでもない表現があるかと思ったが、だいたい予測のつく感じだった。課題の戯曲はチェーホフが若い頃に書いた「結婚申し込み」だ。まあ、コントみたいな本。このテクストから演出の力で異なる舞台の力を出すとしたらどんな方法があるか。むつかしいな。結局、三劇団が選ばれ、五月にこんどは、それを福岡にある「ぽんプラザホール」で上演する。そのなかから、最優秀作を選ぶということになる。つまり、私はまた、五月にこの福岡に来るのだ。今回は大学の成績をつけなければならなかったので忙しかったが、次は少し余裕をもって九州をぶらぶらしたい。行ってみたいところはいろいろあるのだ。
■会が引けて打ち上げ。九州の演劇事情の話などいろいろ聞く。どこでも大変だ。結局、世界中どこに行っても似たような暗澹たる話になるんじゃないだろうか。翌日、どこか福岡周辺を観光しようかと思ったが東京での仕事が気になってすぐに帰ってきた。
■それからまた、レポートを読み続け、成績をつけたが、すると久しぶりに肩がこった。からだの左半分が痛いったらない。去年の七月に入院して以来、肩がこったと感じたのは半年ぶり。
■で、きょう早稲田まで成績簿を届けに行く。戸山キャンパスの正門前にある穴八幡宮ではなにかお祭りのようなことになっており、出店みたいなのが出ていた。天気がよかったのと、仕事を終えたので晴れ晴れとした気分になった。単純である。これで一段落。ようやく落ちついて本を読む時間がとれる。来年度の授業や、次の舞台に備えていろいろ読まなくてはいけない。なんだかんだと読んでばかりの人生だ。
■それから大学の仕事ばかりではなく、やりたいことがいろいろあって、この二月、三月は、そういった活動の期間だ。でも二月は、週末ごとにいろいろ用事があって落ちつかず、たとえば、14日は、「キラリ☆ふじみ」で公演される、『グランド・フィナーレ』のアフタートークに出席し原作者の阿部和重君と話をする。それぞれ楽しみでもあるのだが。
(8:44 Feb. 4 2009)
1←「二〇〇九年一月後半」はこちら