Mar. 15 sun. 「ミーティングをする」ver.1.5
■東京地方は久しぶりにいい天気だった。朝の散歩も気持ちがよかったし、午前中は、窓を開けて仕事をした。まだ風が少し冷たい。
■夕方から、遊園地再生事業団のミーティングだ。きょうから、『ニュータウン入口』でカメラマンを演じた今野(つまり映像班として)と、このサイトのデザインをしてくれる相馬(ということは、ウェブデザイン班)に参加してもらった。2010年10月の本公演に向けて着々と準備する。劇場は「座・高円寺」だ。その前に今回もまた、リーディング公演をやろうと計画しているが、場所はどこがいいか相談する。僕が考えたのは、リーディング公演だからといって小さな場所でやるのではなく、いきなり帝国劇場とか、パルコ劇場とか、コクーンとかいいのではないかという提案だ。まったく問題にされなかった。では、なにか劇場とは雰囲気の異なる場所、たとえばカフェみたいなところ、美術館、画廊などの「非演劇的空間」がいいのじゃないかと考えたのだ。どこかいい空間があればいいが。
■ミーティングが一段落ついたところで、ものすごく辛い食事にした。以前、白水社のW君と行ったブータン料理の店で食べた大根のスープのようなものが美味しかったので、それを家で再現したが、煮込めば煮込むほど、日が経てば経つほど、辛くなる。きょうのは、まだまだたいしたことはないが、じんわり汗をかき、代謝にいい。気持ちもいい。頭皮から汗をかき、頭がかゆい。
■そういえば、いま浅草に住んでいる今野は引越しを計画しているという。不動産屋に問い合わせると職業を質問され、そこで「フリーター」と応えようものなら、まったく相手にされないそうだ。そういえば、あれはバブル経済が崩壊したと言われた一九九三年ごろ、ほとんど仕事をしていなかったわたしも部屋を探していた。不況の影響からか部屋が見つからずにひどく苦労した。いまもまた、世界的な不況と言われているが、その実態は、こうした今野の話に現れている。「不況」をはじめ、「経済」が衰弱、停滞すると、その影響をもろにこうむるのが弱い層になり、「好況期」にあっては富裕層に有利になる、という仕組みなんだな、結局、いまの経済のシステムは。
■で、それはいかにも凡庸な図式のようだが、現実の細部とはそのようなものだし、まるで社会に反映しないかのような、かすかな、そして小さな具体性、固有性が、薄紙が重なるようにして現在を形成していると感じる。かつて、バブル経済のさなか、わたしなんか、なにもいいいことはなかったし、バブルが崩壊してもたいして変化はなかったものの、自由業者が部屋を借りるのはほんとうにむつかしかった。そういったときの不動産業者の態度の悪さ、それに対する腹立たしさをどう政治化すればいいのでしょうか。この閉塞。
■九〇年代の半ばを考えるとき、「閉塞」を政治化ではなく、もっと異なる方法で突破しようとしたのが、このところ問題にしている文化的な潮流ではなかったか。ドラッグでもきめなきゃやってられないというか、精神世界で異なるステージに上がらなければやっていられないというか、突破は外部への働きではなくむしろ自閉、内閉するというか(つまり、オタク化ね)、そういったこと。しかし、「オウム」と「震災」のあとにやってきた、安全と保守主義への意識の高まりは「ノイズ排除」に向かったが、一方、それに反するかのように、「悪趣味」「カルト」「鬼畜」「ドラッグ」「グロテスク」といったものにある層が注目しはじめるのはやはり興味深い。単なる反動ではないはずだ。そんな単純な構図ではないと思う。現象を追うだけではなく、ここはやはり、現在を解く専門家による理論的な分析と、思想の力を借りるしかない。って、それ、俺の仕事か?
■以上のようなことを考えるのがいまの私の愉楽なわけですけど(いつ飽きるかわからないけれど)、同時に、いまの流行りは「ミーティング」だ。きょうの集まりは楽しかった。少しずつ作業が具体化してゆき、これからの展望が開けてゆく。
(21:00 Mar. 16 2009)
Mar. 14 sat. 「マダガスカルは遠い」
■ある本をネットで検索したら、タコシェのブログにたどりついたが、そういえば、幾日か前、タコシェの中山さんからメールをもらった。ドイツのアーティスト集団リミニ・プロトコルの『カール・マルクス:資本論 第一集』について書いたことからある新聞記事を紹介してもらったが、それ、リベラシオンの記事だった。いきなりだなあ。フランス語がわからないよ。
■あと、この記事はどうやら、マダガスカルについて書かれているのだと思うが、日本の報道ではいまマダガスカルがどうなっているのかまったく伝わってこないので、ネットがきわめて有用だと思うのはこういった記事にアクセスできることだろう。
■マダガスカルはかつてフランス領だった。もう20年前、マダガスカルに行ったとき知り合った柔道をやっているあの国の青年もパリに行きたいと言っていた。北朝鮮のことは当然、この国では連日のようにニュースになるが、世界は、この東アジアの小さな地域のできごとを、どんなふうに見ているのだろう。マダガスカルのことをもっと知りたくても私にはよく見えない。見えないな、まったく見えないよ、ほんとうに遠い国だ。
■それはそうと、タコシェがヒットするというのは、やはりある傾向を持った文化潮流を私はグーグルであたっていたわけだし、ネットを通じて、九〇年代における「いわゆるサブカル」に関する書籍を次々と古書店に注文している。まあ、いま興味のあることについて考えることこそ、なによりの愉楽であるものの、愉楽だけで人は生きられず、仕事はしなくてはいけない。あと、いくら愉楽だといっても、それがいったいなんになるのかってことはあって途方にくれるものの、面白いことは、まったくもって面白いんだから困る。
■さて、散歩は続いている。朝、少し雨が降っていた。傘をさして参宮橋まで歩くと、そこから新宿までは小田急線だ。いきなり散歩なのに電車に乗る。新宿南口から甲州街道を初台まで歩いた。たいした距離じゃない。かつて京都に通っていたころは、帰り、必ず南口から大きな荷物をがらがら引きながら歩いて帰ったものだ。しかも甲州街道は、初台に向かってずっと下り坂だ。いちばんきつかったのは、小田急の地下ホームから改札まで出る階段をのぼったときだ。呼吸はそれほど乱れなくなったし、かつてのように少し動くと背中が痛くなることもなくなったが、足にくる。
■赤塚さんから、お父さんの作品集など、大量に送っていただいた。とてもうれしい。なかに赤塚キャラクターがプリントされたサッカーボールがあった。これ、蹴れないだろう。バカボンのママだっている。パパはともかく、ママは気がひける。サッカーといえば、Jリーグがすでに開幕しているのであった。ジュビロがひどい負け方で開幕から二連敗だ。なにかいやな予感のする春である。
(12:52 Mar. 15 2009)
Mar. 13 fri. 「妄想の再生に向けて」
■小説のことを考えつづけているうち、ふと思いついたことがあり、あ、そうかと、こういう手があるかと、なにか光明が見えてきた。
■考え続けることが大事だった。するとなにか思いつくものだけど、まあ、出てこないときの苦しさといったらなく、かつては「芸術家の苦悩」といったものなど、なにやらたいそうなこと、というか、なに深刻ぶってやがんだよ、それで自死したりするなんてばかばかしいと醒めていた。忙しいと、ひとつことばかり考えているわけにはいかず、やらなくちゃいけないことにせっつかれ、焦燥する。
■それで、小説にしろ、戯曲にしろ、妄想と、きわめて明晰な論理、あるいは構成力、そして技術が必要だから、まあ、忙しい。なかでも妄想する力は重要だと、いまになってつくづく。というのもさあ、人間、妄想力って、中学生ぐらいのときがもっとも大きかったのではないだろうか。できないことが多く、大人からさまざまに規制され、抑圧され、それでも情報を得る力もあり、ただただ、あらゆることを(もちろん性的なことも含め)イメージするしかないからだ。その力をいまになってあらためて蘇らせよう。妄想こそが表現の原点だ。極論かもしれないけど。
■少し光明が見えてきた金曜日もまた、朝は散歩だ。健康的だ。明治神宮まで歩く。境内をぐるっと散歩。このところ朝方はやけに天気が悪いな。曇り空だ。一時間半ほど歩いた。気持ちがいい。境内の森のなか、たいてい柵に囲まれ立入禁止だが、一部、芝生の広大な庭のような空間は歩いてもいいらしい。ここがすごくいい。土を踏んで歩く。遠くに西新宿の高層ビル。かすかに甲州街道あたりのクルマの雑踏。一日が始まる気配だ。
■長いあいだ使っていた、いわゆるコピー、FAX、プリンターがひとつになった大きな複合機がもう古くなっていたし、しかもランニングコストがすごくかかる(企業並みにリースだったわけです)ので、その一年分のコストより安価な、インクジェット方式の複合機を買った。こんどの機械には「コピー、FAX、プリンター」のほかに「スキャナー」もついている。たしかに以前までのはレーザープリンターで高速だったが、いまのインクジェットはかなり高品質でプリント速度も速い。このほうがぜったいに経済的だ。そのセッティング。うまくゆく。コンピュータともLANで簡単に接続できた。
■「サブカルチャー」、ないしは「サブカル」についてまたあらためて考えていた。八〇年代の「すかした文化」を乗り越え、九〇年代の「カルト・鬼畜・グロテスク」が時代を先行してゆく背景に、八〇年代的な「消費されるだけのアート」という、それもまた「サブカルチャー」のひとつに過ぎなかったもの(一見、芸術の外観をしていた)の「虚妄」「ウソ」「インチキ」「ペテン」を暴こうという意志があったと思える。
■しかし、「芸術」は「芸術」だったんだ。「ファインアート」は明確に存在していたが、まやかしとしての、「消費されるだけのアート」、あるいは、「アートらしきウソ」も蔓延していたことも否めない。だから逆に、「芸術」は確固として存在し、それは揺るがなかったし、そこにどう届けるか、届かない者はまた、やはり呻吟した。それが「サブカルチャー」を生む。正しい意味での「サブカルチャー」が。
■と、書いてみたものの、なんかちがうかな。また考える。
(12:32 Mar. 14 2009)
Mar. 12 thurs. 「九〇年代のこと、そして現在へ」 ver.2
■初台のオペラシティをぐるっと一回りしてから新宿中央公園を抜けて新宿西口へ。すごく冷える朝だった。
■公園に出る直前、いまは更地になっているかつての公団跡からその先の路地を歩くと、ごちゃごちゃした住宅街になり、建物のひとつに、見事に古ぼけた看板で「ヨドバシカメラお届けセンター」とある。いったいいつの時代の看板なのか。公園をぶらぶら散策し、都庁の先を歩く。京王プラザホテルのなかを抜けると新宿駅の西口はもうすぐそこだ。
■散歩を終えて家に戻り、このノートを書きながらいろいろ考える。小説のことなど。あと、今年度の授業の予定とか、表にしてまとめ、大雑把な計画を考えるが、そういった作業をするのはある種の快楽であろう。そうなるとは、というか、計画通りになにごとも進行するわけがないが、「計画すること」ではなくて、「表を作る」ことが愉楽だ。つまり手を動かすことの悦びとでもいうか。子どものころからそういったことは好きだったが、けっして実行はされない、というか、「計画表」がきれいにできたところでもう満足だったのだ。つまりそれは、デザインする意志というか、レイアウトする精神というか、ものを作る基本が結局、それのような気がしてならない。
■でもって、小説がうまく書けない。「新潮」のKさんに電話をして相談しようとしたのは、一昨日だったかな、で、そのあとKさんから何度か電話をもらったがそれに気がつかなかった。留守電に心配してくれるメッセージが入っていて、申し訳ない気分になる。
■ところで、「青山正明」という人に興味を持ったのは、青山が編集した雑誌「危ない1号」(データハウス)が創刊されたのが「一九九五年」だったからだ。「ノイズ文化論」のなかで僕はこの年を、「オウム」「震災」という大きな出来事があった年として、時代の切断と書いたが、文化状況もまた、同じように変容していたのを「危ない1号」の創刊が示していたのではないだろうか。サブカルチャーに詳しい、ばるぼら氏が、ある場所で青山正明について論考しており、そのなかに、九五年当時の「サブカル状況」を次のように書いている。八〇年代の後半、バブル期に前後して青山は、『阿修羅』という雑誌を編集し、あるいは、未刊だが『ヘッド・ショップ』『エストレーモ』といった雑誌を計画していた。
まさにその時代の感じはよくわかる。たしかに、そのあたり、バブルが終わったあと、西武セゾン系の文化が衰退するのと逆に、「カルト、鬼畜、グロテスクなど」が大きく取り上げられていったし、その直前、九一年には松尾スズキが「悪人会議」として、「ふくすけ」を上演しており「カルト、鬼畜、グロテスク」の下地は充分できていたとおぼしい。そして、九五年になる。「オウム」「震災」「危ない1号」によって形作られた時代とはなんだったか。それをあらためて考えるのは興味深い。1987年9月13日発行の『阿修羅』も同路線で、冒頭にカルト・ムービーの紹介、真ん中に「ゆきゆきて神軍」などの紹介、後ろにメルツバウの秋田昌美インタビュー、カードゲームレビューなどが載っている(編集スタッフには力武靖の名前も)。編集後記では「年末発行予定の季刊『ヘッド・ショップ』は、過剰の果てを見据えた空前絶後のギャグ・ブックだ」と新雑誌創刊の予定に触れられているものの、大正屋はその後倒産し、未刊となったままである。ちなみに、1986年9月にも『エストレーモ』というサブカルチャー雑誌を立ち上げる予定だったそうだが、それも未刊。
想像が許されるならば、『ヘッド・ショップ』も『エストレーモ』も、たとえこの時点で出ていたとしても、大きな流れは生まず、カルト雑誌の一つとして後年発掘されるに留まっていただろう。カルト、鬼畜、グロテスクなどが脚光を浴びるのは、80年代後半から始まったバブルが崩壊した後の、1993年頃からだからだ。 (天災編集者! 青山正明の世界 取材・構成・文=ばるぼら)
■で、俺、その「危ない1号」ってやつを持っていたか書棚を探したがなかった。どこかで手に入れよう。とはいえ、あんまり気が進まぬ。だいたい中身が想像できるからだ。いやだいやだ、死体写真とか、動物虐待もののあれとか見たくないよ。ところでその当時、わたしはなにをしていたのか。「青山正明」と、その仕事に、さほど興味も感じず、ことによったら毎日、「オウム」のニュースを見ていたかもしれないが、コンピュータに夢中になっていた時期でもある。『知覚の庭』という舞台を青山円形ホールで上演したのはその年の秋だ。あるいは、中上健次のことばかり考えていたかもしれない。
■つまり、日本における「サブカルチャー」を考えるとき、わたしの意識からぽっかり「九〇年代」が抜け落ちていた。早稲田の「サブカルチャー論」という授業は、わたし自身の発案ではなくあらかじめ与えられたテーマだった。はじめどこから手を付けたらいいかわからなかったが、こうして考えてゆくと、いろいろと面白い。私の興味の埒外だが(それはたとえば、八〇年代に「ボートハウス」といったようなブランドが流行ったり、竹の子族が流行ってもまったく興味がなかったのと同様だが)、現象として九〇年代に「危ない1号」があった。それがいまに響き、いまを形成する要因の一側面になったとすれば、「ボートハウス」や「竹の子族」とは異なる「なんらかの影響力」があるからこそ興味をいだく。それはつまるところ「青山正明」への興味だ。あまり使いたくない「サブカル」と呼ばれる言葉に向けて。そして、九〇年代から〇〇年代へと、この潮流はつづいたにちがいない。
■だけど、いまは小説なんだよ。書けないよ。散歩をしつつ、だけど、苦しんでいる。
(16:30 Mar. 13 2009)
Mar. 11 wed. 「新しいデジカメを買った」
■いつもの朝とはべつの方向に歩き出したのは西新宿で、明治神宮方向とはまったく逆だ。新宿中央公園を通り抜け、都庁をさけるように、高層ビルの下、地下の通路を抜けて新宿西口に出た。
■「公園」といっても明治神宮の森に比べると、公園らしさはあまりないし、しかも、かつてはあれほど野宿者が住んでいたのにいまはほとんどいなくなってしまった。「中央公園」という名前からしてニューヨークのセントラルパークみたいにしたいのかもしれないが規模が小さすぎるし、渋谷の宮下公園では野宿者を追い出すためにフットサル場を作ったように、ここもちょっとしたグラウンドを作ってなにやら健全さを出そうとしている。そうはいくか、もともと、西新宿の奥、角筈といったら歓楽街の土地である。健全になるわけがない。
■また歩いた。朝の散歩。気持ちがいい。朝は散歩し、家に戻ってこのノートを書き、それから昼寝だ。南の島の生活のようだ、って、南の島の生活がどんなか知らないけれど。しかも島では、生活のために農作業をするんじゃないだろうか、海に出て魚を捕るんじゃないだろうか、ここは東京、そんな自然があるわけがない。そういえば、きのう久しぶりに鍼治療をしてもらいからだがほぐれた。コンピュータを前に、原稿が(主に小説)が書けないとうんうん苦しんでいると、肩がこり、からだが固まる。ストレスはいけない。しかも、例の本(『2-:+ / ドラッグ特集』)になにやらやられているのだ。
■そのことも含め、午後、幻冬舎のTさんと電話をした。文庫化(『自殺されちゃった僕』)のいきさつなど話を聞く。九〇年代のいわゆる「サブカルチャーシーン」というやつがあり、思い出せば、八〇年代の「カルチャー現象」とはまったく異なる、あるいはその「すかしぶり」の反動のように、バッドテイストなものが溢れ出したのだった。「鬼畜」という言葉が異なる文脈で使われ出したのも九〇年代の半ばではなかったか。
■それを「サブカル」と呼ぶ傾向があり、この空気のなか、「サブカルチャー」と「オタク文化」が融合して、九〇年代後半から、〇〇年代へと繋がっていったのではなかったか。「ドラッグ」がヒッピーカルチャーのなかから出現したのとも異なりまたべつのスタイルで蔓延し、また音楽においては、九〇年代に「レイブ」「テクノ」が拡大したとき、「セカンド・サマー・オブ・ラブ」として六〇年代的な空気がリバイバルしたけれど、それら混沌とした空気が九〇年代だったのだろう。
■僕は演劇をやっていた。演劇のなかで、精一杯、旧来の演劇的なものに抵抗していたつもりだが、また一方で、「八〇年代に仕事をはじめた人間」として「九〇年代型サブカル」には嫌悪感を持っていたかもしれない……いや、一部、ひかれていた部分もあるが……。
■新しいデジカメを買った。使い方がよくわからない。慣れだな。なにごとも機械とうまくつきあうには慣れることがいちばんだ。たとえば、キーボードがある。文章を書くのに慣れないキーボードほど腹立たしいものはない。とはいえ、書けない。小説がちっとも書けない。健康的な毎日を送っているのにどうにも書けない。夕方、気晴らしにクルマで郊外のホームセンターに買い物に行きほしかったデッキブラシを探したら、298円だったのに驚くって言うか、信用ならないだろう、そんなデッキブラシ。いかがなものか。で、そのあと、新宿のヨドバシカメラで新しいデジカメ用に予備のバッテリーを買おうとしたらこちらは思いのほか高い。なんだか腹立たしい気分になる。
(9:44 Mar. 12 2009)
Mar. 10 tue. 「渡されたその本のことで」
■すでに告知したが、ボクデスの小浜が公演するという。単独公演『スプリングマン、ピョイ!』(構成・演出・出演:小浜正寛(ボクデス)3月19日(木)・20日(金・祝)@スーパーデラックス)だ。興味のある方はぜひ。
■このところ日々の中心が「散歩」になってしまった。写真は、きのう明治神宮を横切って参宮橋方向から原宿に達したとき駅前にある喫煙スペースにいた人たち。いまや東京で写真を撮ろうと思うと喫煙スペースにいる人たちしか面白みがあまり感じられない。もっと危険な場所、それはたとえば、新宿なら歌舞伎町あたりに行ってみたらいいのだろうか。で、デジカメの調子がいよいよ悪くなった、というか、もうほぼだめなので新しいものを買うことにした。一眼のデジカメは欲しいが、でかくてきっと肩がこるからという理由で小さいものにする。
■午後、桑原茂一さんと電話で話す。仕事のこと。いくつか依頼されたが、あとになって落ちついて考えるとスケジュール的に無理なものがある。大学の授業と、「座・高円寺」の講座と、その準備がすごく忙しくなるだろう。幻冬舎のTさんとも話した。そうじゃないかと、どこか予想していたところもあったが、Tさんは、先に書いた文庫版『自殺されちゃった僕』の担当だったという。その後、僕は、その本に登場する自殺した妻が作った『2-:+ / ドラッグ特集』という本と、それを渡されたときの、相手の表情が記憶の中にちらついて、なにやらおかしな気分になっている。とりつかれたような奇妙な気分だ。Tさんからもっと話を聞こう。聞いておかなければと思ったのである。
■「新潮」に渡す小説は、「観覧車再考」というタイトルの予定だ。ちょっとここにきて変えようかと思っている。去年書いた「返却」は「返せなかった図書館の本の話」だ。けれどいま、「渡されたことによってなにか不気味な気分になっている現在のわたしに、わけのわからない響きかたをする本」という小説を書こうと思ったのは、「本」にまつわる話として連作になると思ったからだ。しかも、渡された本がよくないよ。ドラッグの本。とてもきれいでいい本だが。
■夜、鍼治療。小説に集中しようとして苦労する。どうもうまくいかないな。部屋が片付かないし、気が散るし、いろいろなことで考えもまとまらない。悩む。
(10:02 Mar. 11 2009)
Mar. 9 mon. 「今週は小説を書く」
■川勝正幸さんがようやくヒロシの本『丘の上のパンク --時代をエディットする男、藤原ヒロシ半生記』を上梓したと知ったのは、その本を送っていただいたからだ。ありがたい。
■数年前から作業中という話を聞いていた。「80年代地下文化論」の講義をしているときも、あとになってそれを単行本にしたときも、なぜ「ヒロシ伝」が刊行されないのか、「ヒロシ伝」があったら、もっと八〇年代について話しやすかったのにと川勝さんを恨んだ、というのは冗談だけど、ともあれ、すごくいい本に仕上がっていた。時間をかけたぶん「使った時間」が詰まったような内容の濃さ。いいものを作ったな。すごい。川勝さんの代表作になるのではないか。しっかりした仕事をしようと励まされる。時間をかけて納得のゆくものを作らなくてはとつくづく。
■さて、本日の午前中の散歩は、参宮橋から明治神宮へ、神社の大きな森を横切って原宿駅に出ると電車に乗って新宿、紀伊國屋書店へ、でもって雑誌を三冊ほど買い、百円バスで西参道、そして家に戻るというコースだった。徒歩、電車、バス。それぞれの交通手段。明治神宮を横切ると意外に家から原宿が近い。もう通勤時間は過ぎていたからだろう山手線はさほど混んでいなかった。で、家に戻ると昼寝だ。こんなに極楽なことはない。ただ、少し歩きすぎて足首のあたりを痛めた。がんばりすぎてもいけない。なにごともほどほどがいいらしい。
■さらに、ボクデスの小浜が単独公演『スプリングマン、ピョイ!』(構成・演出・出演:小浜正寛(ボクデス)3月19日(木)・20日(金・祝)@スーパーデラックス)をやるとのことで、緊急告知である。「スーパーデラックス」というのは六本木のクラブであろう。きっと面白いと思うのでみんなで行こう。
■ミニストップのソフトクリームについてメールをもらった。最近味が濃くなっているという。そこまで厳密に吟味していなかった。世の中はなんでも味が濃くなっているという意味のことがメールにあったが、そうかもしれないと頷きつつ、一方、「ラーメンの麺が太くなっている近年の傾向」をどう考えたらいいだろう。俺は細い麺が好きなんだ。そんな力を入れて語るようなことではないが、太いのは、なんっていったらいいか、東京のラーメンって気がしない。東京のラーメンは細麺の醤油味だ。こってりより、さっぱり。そういった意味では、ミニストップのソフトクリームの味が濃くなっているという傾向に苦言を呈す気持ちもわからないではない。
■あるいは、「大宅文庫専門家」と名乗る人からさらにメールが届き、なんでも調べますよという内容だが、そう言われると困る。ぱっと思いつかないからだ。しいていえば、一九五五年(昭和30年)あたりの雑誌に出た、三島由紀夫の「ボディビル」の記事やグラビアがあればいいが。しかし、なんだろう、「大宅文庫専門家」。メールでは、大宅文庫周辺、京王線八幡山駅周辺の事情も詳しく解説してくれている。おそるべし、「大宅文庫専門家」。だったら、松沢病院内の将軍池にいるガチョウにえさを与えてほしい。
■ほんとは今週、「新潮」のM君、Kさんに会う予定だった。小説がほとんど書けていないので、ただ会うだけでは申し訳ないから、来週にしてもらった。打ち合せもいくつか来週にしてもらい今週は小説に集中する。散歩しつつ小説。ものを考えつつ小説。まあ、小説に限らず、とにかく創作しなければ。川勝さんの仕事に刺激されつつ、ま、できるところから、ひとつずつだ。
(10:34 Mar. 10 2009)
Mar. 8 sun. 「ふと思い出したこと」
■このところ私は健康的である。朝八時半ぐらいに目を覚まして散歩に出かけることにした。きょうのルートは家から歩いて小田急線の参宮橋駅方向だ。参宮橋の商店街に着くと駅前の坂を上がって西参道に出る。信号を渡り、明治神宮に入ると、そこから近くを走っていたクルマの音が消え、木立のなかの道は、ここが東京のどまんなかだと忘れさせるほど、うっそうとした森である。境内は広大だ。本殿まで森のなかを歩くようにして進むが人の気配はあまりない。本殿に出るとようやく参拝する人の姿に会うことになる。早稲田の学生たちと合宿に行ったとき、鎌倉の鶴岡八幡宮でも結婚式があったが、日曜日だからかここでも花嫁の姿を見つけた。カメラにおさめる。また歩く。気持ちが悪いほど健康的である。体重が増えてからだが重くなったのでそれを落としたいのもあるけれど、歩くのが単純に気分がいい。
■その後、来た道を引き返して、参宮橋に戻り、そこからなぜか小田急線に乗った。参宮橋からふたつで新宿に着くが、なんか面白そうだからと思って南新宿という駅で降りた。南新宿はごちゃごちゃ込み入った住宅街のなかにあるすごく小さな駅だ。そこから初台の方向に戻ると、途中、文化服飾学院の裏手にミニストップがあるのを見つけた。ミニストップを見つけたらソフトクリームだ。ソフトクリームを買うのが礼儀というものである。早速買った。歩きながら食べずに家まで持って行くことにした。溶けてしまわないように足早になる。
■気持ちのいい朝の日課になってきた。歩きながらいろいろなことを考える。つまらないこともいろいろ。たとえば、新しいデジカメがほしいとか、そういったことで、なにしろいま使ってるのがもう、だめなんだよ。あるいは音楽のこと、大学の授業のこと、小説のこと、舞台のことって、それほどたいしたビジョンが浮かんでいるわけでもない。ただ歩くとさまざまに想念が浮かびそれだけでも意味がある。明治神宮の森は家の近所でもあるしぜっこうの散歩ルートだ。ただ歩けばいいな。気が向いたらお詣りをしよう。
■きのう書いた、『自殺されちゃった僕』(吉永嘉明 幻冬舎アウトロー文庫)という本のなかに、やはり自殺した著者の妻(巽早紀)が、生前作ったという本が紹介されている。『2-:+ / ドラッグ特集』だ。タイトルは覚えがないが、その内容の傾向、つまり、ドラッグ関連の本だということ、あるいは、誰かに贈呈されたといった記憶が、よみがえってくる。意識のどこかに引っかかる。ことによったらその本を僕は読んだことがあるんじゃないか。本棚を探した。すぐに見つかった。薄いみどりがかったイエローのビニールでカバーされたそれは、どこも痛まずきれいに書斎の棚に並んでいた。誰かにもらったはずだ。なんのときにもらったか記憶が定かではないが、たしか、編集者か、ライターだったか、なにか取材を受けたとき「その人」から渡されたのだと思う。ドラッグなどと無縁のような人に見えたので、渡されたとき戸惑った。あるいは、それまでにこやかに話していた人の、暗い部分が一瞬、垣間見えたような恐ろしい心持ちにさせられた記憶もよみがえる。写真もきれいだったし、中身にも興味をいだいた。とても気に入った。それをたしか伝えたと思う。
■だが、それがいつのことで、渡してくれた「その人」が作ったのか、好きな本だからとくれたのか、あるいは、関係者か、記憶がない。ただ「その人」のことはかすかに記憶がある。細かいことは曖昧だが全体像はぼんやり記憶している。そして、『自殺されちゃった僕』のなかに、それがどこの人だったか類推する手がかりもあった。自殺する少し前、著者の妻(巽早紀)が鬱になっているころの話だ。
こうなるとかなり絞られる。なにしろ、「演劇雑誌」が少ない。まして、「大手出版社の演劇雑誌」といったらほぼ一誌になる。「せりふの時代」だ。それで過去のこのノートを調べた。こういうときの記録はなんと役立つか。『トーキョー・ボディ』を上演する前、かなり取材を僕は受けている。で、ノートによると(2002年11月26日)、「せりふの時代」の方たちとはかなり長い時間一緒にいたらしい。なにしろクルマに乗って稽古場まで一緒に移動している。『2-:+ / ドラッグ特集』はその年の五月に刊行されている。彼女はフリー契約で大手出版社の演劇雑誌の編集をしていた。その仕事がまた彼女を追い詰める原因となった。とにかく「ダサイ」というのだ。そして「ダサイのが我慢できない」とも。
本を渡されたその瞬間の、その映像だけはくっきり記憶している。なにか、危ういなあ、と彼女を見て僕は思ったのだし、『トーキョー・ボディ』のオーディションで、リストカッターの女の子がナイフで手首を切って血を流したのを見て、そうした傾向を持つ女性の、一瞬見せる暗い視線がいつも気になっていたのだ。本を渡したあと、やはり彼女もそんな目をしていた。ただ、わからない。たしかなことはなにもわからない。いくつかのことが符合するというだけだ。
■書店に行くと、「サブカルチャー」という棚があり、それは僕が考える「サブカルチャー」の概念とはかなり異なる場合があるけれど、「ドラッグ」は必ず入っているし、いわゆる「危ない」と呼ばれるような文化傾向が取り上げられている。「サブカル」っていうとそうなるのだろう。そして、「自殺」「鬱」「ドラッグ」といったある種の「精神世界」を支配する文化がきわめて不健康に、しかも不健康でなければ「サブカル」ではないかのようにカテゴライズされていると感じる。
■それはどうなのか。「笑い」には「毒」が必要だし、いま書いたような「精神世界の文化」を背景にした「笑い」は(テレビじゃできないわけだし)ぜったい面白いにちがいないのだが、いろいろわかってそれをするか、単なるパッケージだけかで、まったく異なる表象を生み出す。きのう書いた、文庫解説の春日武彦氏は「死は凡庸」だと言った。なぜなら、誰でも死ぬからで、それは、さまざまな生理現象と同じことだと切り捨てる。そういう態度がもしかしたらサブカルチャー的なのではないか。その客観性と批評性こそがサブカルチャーだ。もっとこのことは考えよう。これを力になにかを変えるためだが、考えていることが面白いから、そうしている。
■『2-:+ / ドラッグ特集』という本を僕にくれたのは誰だったのだろう。つっこんで調べればきっとわかると想像する。「せりふの時代」にあたり、当時の編集者を調べればいいからだ。でもわかったところで仕方がない。僕にその本をくれた人が「巽早紀」だという可能性もあれば、まったく勘違いかもしれない。ただあのとき、もう少しその本について、ほかにもいろいろ、話すことができればよかった。あるいは、なぜその本を、僕に渡そうと思ったのか。
(18:16 Mar. 9 2009)
Mar. 7 sat. 「金曜日の夜のこと、あるいは、未知の方からのメール」
■金曜日(3月6日)はたくさんの人が「Naked Loft」に来てくれてありがたかった。松本哉君と、山下君と会うことができたが、松本君とはずっとすれちがっていたのだ。最初に今回のようなイベントが企画されたのは去年のわりと早い時期だったと記憶するが、お互いのスケジュールがあわなかったし、いったん九月に決まったにもかかわらず、僕が手術をして入院が長引き参加できなかった。ようやく会って話しをすることができたし、これからもなにか一緒に面白いことができればいいと約束したのである。
■それにしても長時間にわたるイベントだった。長いよ。なんだったんだろう。来ていた方たちには申し訳なかった。椅子に座れた人はいいけど、なかには立ちっぱなしの人もいた。早稲田の学生たち、卒業生もけっこう来てくれた。客席にその顔を見つけるとうれしかった。10年ぶりぐらいに会う懐かしい顔、上村や相馬もいたし、いくつかの出版社の編集者の方々が熱心に足を運んでくれた。桜上水のYさんは、いまは「素人の乱」大阪店の店長をしているM君と一緒に来ていた。あるいは、「80年代地下文化論」「ノイズ文化論」の読者だと話しかけてくれる人もいた。
■想像では、歌舞伎町のなかにあるロフトぐらいの広さだと思ったら、「Naked Loft」はもう少し狭い空間。だけど通りに面してカーテン一枚で隔てられているのが面白い。松本君と話をするのは楽しかった。いい夜だったが、いろいろ疲れもしたのだ。で、話の途中、俺、沖縄そばを注文しちゃったんだよな。食べながらトークするっていう、ずるずる音をたてながらトークという、どうなんでしょう。
■土曜日の午前中は、天気がいいので近くを散歩した。あてもなくぶらぶら歩いた。晴天の日はたしか、花粉が多く飛んでアレルギーの人はひどいめにあう。あるときを境に、僕はまったくアレルギーがなくなった。子どものころそれで、鼻や目の痒みに苦しんでいたり、ぜんそくだったりしたものの、いったいなんの根拠があったか知らないが「そんなの大人になりゃ治るよ」とある日、父親が言い、まさかと思っていたのにほんとに治ったから不思議だ。父親、おそるべしだ。なんの根拠があったのかいまだに謎だし。だから、たいていの人には「大丈夫だよ、大人になれば治るから」と話すようにしている。なにしろ、ここに、っていうか、私だが、それを実証した者がいるのだ。
■で、読まなきゃいいのに、『自殺されちゃった僕』(吉永嘉明 幻冬舎アウトロー文庫)というゴミのような本を読んでしまった。というのも、やはり自殺した「青山正明」という人物に興味を持ったからだけど、四〇も過ぎて「されちゃった僕」じゃねえだろうと。あと、脆弱すぎるぞ、精神が。芸人を見習えと。悲惨だぞ芸人の生き方はと。べつに「強く生きろ」とかいった精神論を持ち出すつもりはさらさらないし、同情するつもりもないし、なぜ芸人の話を持ち出したか自分でもよくわからないものの……解説の春日武彦氏の文章に救われる(ただ、著者を擁護するわけではないが、春日氏は解説のなかで「愛」という言葉を少し誤解して読んでいる気がする、というか、著者が異なる意味の「愛」を混同して使っているのか……)。ま、いいか。
■幻冬舎といえば、『資本論も読む』を文庫本にしたいとの話を、単行本時の担当で、いまは幻冬舎にいるTさんから連絡をもらったばかりだ。このあいだ書いたドイツのアーティスト集団リミニ・プロトコルの『カール・マルクス:資本論 第一集』を観たTさんが、なにやら興奮したていでメールを送ってくれたのだった。忙しくなるけど、それもぼちぼちやるし、筑摩書房からは、ネット上で連載していたエッセイの単行本化と、『チェーホフの戦争』の文庫化、それがのびのびになっているからなんとかする。
■いくつか、未知の方からメールをいただいたのは、大宅文庫専門家と名乗る人が検索を任せてくださいという頼もしい内容のものと、いま研修医をなさっている方が、「e-days」に書いた、「音楽が消えた夏」や去年の手術以降のこのノートを読んで、手術後の人がどんなふうに過ごしているか参考になるという内容のメールだ。どちらもうれしかった。ネットってやつは、思わぬ出会いを生んでしまうな。それはときとして不幸もあるものの、おおむね、いいことじゃないかと私は未来に希望を持っている。
(11:33 Mar. 8 2009)
Mar. 5 thurs. 「大宅文庫に行ったり、原稿を書いたり」
■画像は前回の使い回しだ。
■というわけで、これを書いている本日(3月6日)が本番である。詳しくはこちらへ。松本君のところの告知を使わせてもらった。
■調べものがあって、水曜日(3月4日)は八幡山にある大宅文庫に行った。雪も降ろうかというあいにくの天気だったが、いろいろ都合がよくてこの日、前から調べたかった資料を探した。だけど、デジタル化っていうのか、コンピュータで検索できるのがどうやら一九八八年からだと知って、以前コンピュータで検索したときそうだったか思い出せない。「80年代地下文化論」の講義をはじめたころだから、もう三年半ほど以前になる。どうだったかな。でも、八〇年初頭の資料をコピーした記憶があるのだが……。で、いろいろ手間取って作業に時間がかかってしまった。慣れてくるとものすごい勢いで資料を請求でき、さっさとコピーを取るのだろうと周囲を見ながら思ったのだ。みんなライターとかそういった人たちじゃないかと想像する。平日の昼間にこうしてここに来られるってのはそうである確率がかなり高い。
■「e-days」で連載している「プログレッシブ人生」だが、担当のMさんからメールをもらって驚いた。「e-days」のトップページの左下あたりに、「アクセスランキング」の欄があるが、驚くべきことに、僕の書いた「音楽が消えた夏」が一位である。斉藤和義を押さえ、ピーター・バラカンと萩原健太を押さえ、堂々の一位だ。どういうことだそれは。なにかのまちがいか。それとも陰謀か。だけどありがたい。おそらくこのページから飛んでくれたのだろう。みんなのおかげである。で、その「音楽が消えた夏」というエッセイのなか、メールで指摘されたのだが、「いま私はすっかり建康になったが」の「建康」は、「健康」のまちがいだ。ただ、直したくても直し方がわからない。うーん、困った。
■さて、「プログレッシブ人生」だが、第二回の原稿をさっきアップした。自分でアップさせてもらえるのはいいものの、ただ、上記のようなミスをあとで発見したときどうすればいいかだなあ。今回は、「カーディガンの季節」というタイトルだ。お読みいただきたい。
(11:49 Mar. 6 2009)
Mar. 3 tue. 「急な告知と、この一週間ほど」
■さて、新宿にある(職安通り)「Naked Loft」で、3月6日にトークライブがある。出演は僕と、高円寺にあるリサイクルショップ「素人の乱」の店長、松本哉君、それからほかにも、松本君たちがやった「三人デモ」に参加したメンバーが登場とのこと。松本君のことは、「ノイズ文化論」などで取り上げたけれど、会うのはこれがはじめてだ。
■「Naked Loft」が作った内容紹介によれば、「2009年、百年に一度の大不況がやってきた。これから、社会は一体どうなってしまうのか。何も持たない私達のような凡人たちは、臆病風に吹かれ縮こまっていく世界に、何とも嫌な思いをするばかり。そんな窮屈な時代を逆走するかのように、社会から下らないと見捨てられてゆくものに向かって全力で踏み込んでゆく二人が、ハローワーク新宿の向かい、ネイキッドロフトで初対面する!!二人のトークが下らない話になるか、熱い話になるかはともかく、とりあえず軽い気持ちで、来るべき素人のために、ピンチはチャンスと言ってみる」とのこと。
■詳細は、「OPEN 18:00 / START 19:00。前売¥1,000 / 当日¥1,000(共に飲食代別)」となっている。時間のある方はぜひ来ていただきたい。というか、きっと面白くなる。ぜひとも来い。
■「考える人」(新潮社)の連載が書けなくて呻吟しているうち、また更新が滞ってしまった。このところ滞りがち。しかも書けなかったなあ、原稿が書けなくてほんとにだめだった。ほかになにもできなくなってしまった。原稿を書こうとすると眠くなるし。メールも出せなかったし、うんうん苦しんでいた。停滞だ。うーん、やらなくちゃならないことは数多いのに。
■先週の土曜日(2月28日)は、にしすがも創造社に、ドイツのアーティスト集団リミニ・プロトコルの『カール・マルクス:資本論 第一集』を観に行った。演劇というコンテクストで考えたら、いろいろでたらめなことをしつつ、しかしその実験性が難解じゃないのが興味深かった。いくつか注目すべきこと、あるいは肯定すべきこと、考えること、否定的にならざるをえない部分もあったが(まあ、どんな舞台でもそうなんだけれど)、なにより、この「でたらめ(=実験的)なのに難解じゃない」ことがいいと思えたのだ。こうでありたい。
■ただ、ベースにあるのがマルクスの「資本論」だから、むつかしいと言えばむつかしい印象を受けるものの、でもよく観ているとそんなの関係ない。たしかに、『資本論』を読んでいれば、あるいは、マルクス主義経済学について多少なりとも知識があるといろいろすとんと理解できるところはあって、たとえば「商品」の概念(これが死ぬほどむつかしいんだけど)とか、「市場」「交換」「労働」についてわかると、登場する人物たちを理解するのに役立つ。けれど、わからないなりに、そこで自分のことを語る人物たち(全員が本人であり、俳優がいない)の、その身体がそこにあること、語る内容とともに、語り口のなかに演劇性がこめられているのだろう。
■だけどなあ、演劇ってなんだろうって、つくづく考えてしまう。なにしろ、訓練された「演劇的と呼ばれるような身体」はそこに存在しないのである。なんだいったいこれは。だからこそいいんだけど。
■月曜日(3月2日)は佐藤信さんにお会いするため「座・高円寺」に行った。空気は冷たかったがすごく天気がいい日。
■佐藤さんからいくつかのことを依頼されたが、まず、この劇場で来年、舞台をやらせてもらえることになった。公演はつまり「2010年10月」である。ほかにも、「座・高円寺」に付属する「劇場創造アカデミー」で今年から僕も講義をするのだけど、来年度の授業にフィールドワークをやってくれないかという内容だった。つまり、早稲田でやっている「都市空間論」でのフィールドワークのようなことだが、いろいろ考えて面白くなりそうだ。さらに、別役実さんとコントを創る仕事。最近、いとうせいこう君と仕事で会う機会がなんどもあったが、いとう君からコントを書けとしばしば言われ、そういえば書いてないと、とはいえ、面白そうなんだけど、昔に比べて下手になっている気がする。コントはきわめて洗練された細かい技巧を求められる仕事である。むつかしい。楽しくなればいい、というか、楽しくするのは自分だけれど。
■といったわけで、また忙しくなる。とはいっても、それぞれの仕事が面白そうだ。いつのまにか三月になってしまった。なにやら焦燥するけれど、もうすぐ春だと、花見もできるじゃないかと思えば、先が楽しみだ。っていうか、一気に夏になってほしい。夏がいいじゃないか。汗をかくし、陽にも焼けるし。
(11:24 Mar. 4 2009)
2←「二〇〇九年二月前半」はこちら