リーディング公演 12月9日、10日(下北沢スズナリ) 本公演 2003年1月22日〜2月2日 世田谷パブリックシアター・トラム 問い合わせ 03-5454-0545 ariko@kt.rim.or.jo

 BackNumber
 10 | 11 | 12 | 1

牛乳の作法・本画像

『牛乳の作法』筑摩書房刊



 Published: October 1, 2002
 Updated: Feb. 2 2003
 Copyright (C)2002 by the U-ench.com


  | PAPERS | 京都その観光と生活 | 市松生活 | 小説ノートsend mail |



  *遊園地再生事業団二年ぶりの新作『トーキョー・ボディ』公演までにいたる宮沢章夫の日々の記録
   (『トーキョー・ボディ』案内はこちら→CLICK



四ヶ月に渡って書き続けてきた「トーキョー・ボディ」は公演終了をもって閉じさせていただきます。閉じるとはいうものの、このままここに残しておきますのでなにかのおりにまた読んでいただければ幸いです。三年ぶりにの公演はいろいろ考える課題を与えてくれました。稽古をする段階で「からだ」についてこれまでとは異なる受け止め方ができたのは、俳優たち、パフォーマーたちのおかげです。これはまだ結論ではないのでしょう。先は長いです。結論なんか出ちゃったらおしまいだし、そもそも、「結論」ていったいなんだ。舞台を終えてまた次へ。ぼちぼち新しい小説も書こうと思っているところです。今後のことは、暫定的ノート「富士日記」でお読みください。




Feb.2 sun.  「楽日。さよならだけが人生だ」

■京都から、研究室のKさんとたくさんの学生が来てくれた。ほんとうにありがとう。すごくうれしかった。「京都からわざわざ足を運んでくれた学生に見せる」というのは一つの目安だ。それだけのものを作っていなければいけない。学生たちに送るメッセージとしてもっとも大きなものになる。そうでなければ、実作者が大学で教えることの意味がない。
■ただ、大学は今年一年だとつくづく思うのは、ものが書けないからだ。「演出」の腕はたしかにあがっているような気がする。ワークショップや大学の実習を通じて集団でものを作る仕事に熟練したと思う。ただ、書く勉強をもっとしたい。端的には「小説」ということになるわけだけど、岩松さんに指摘されたように、「劇というテクスト」を「書く」ことがもうひとつおろそかになっていると感じる。もっと深い場所に向かいたい。それがどんな「テクスト」になるかわからない。なにかきっとあるはずだ。
■そのための時間が不足している。大学にしろ、ワークショップにしろ、教えることばかりうまくなってゆく。刺激され、学ぶことも多いが、「書く」という孤独な作業のなかでべつの意識を覚醒させたいと思うのだ。書くことに集中したいと言ってもいい。ただねえ、「やめます」とどうやって学科長の太田さんに切り出すかで悩んでいるのだ。太田さんにずいぶんお世話になりました。ひどい目にも遭いました。詳しくは書けないけれどひどい目にあった。とにかく壁だなあ。立ちふさがる壁。でも、「やめます」と切り出し、「そうか」と引き留められもせずやめることになる可能性もあり、それもなんだか悲しいので、ことは複雑、人はばかな存在である。
■ただ、大学をやめたあと大学の悪口をいっぱい書いてしまうおそれがあってですね、それだけはなんとか抑えようと思っているのだった。学生が好きだからね。

■楽日だった。階段まで人が埋まる盛況。超満員だ。
■ざまあみろ。いや、誰に言っているわけでもないけれど、ざまあみろだ。で、恒例ですけど、たとえば資本主義を演じる吉田が飲むお茶に「酢」を入れておいた。吉田が困惑する姿が面白かった。ほかにも様々な観客にはわからない役者を困らせるいたずらが満載されていた。楽しかった。楽屋のほうも、楽日というなにやらわけのわからない熱気。それでもやりきった。三ヶ月近くというか、ワークショップ形式のオーディションから考えれば4ヶ月。この仕事にかかりきりだった。
■終わってしまえば、あっというま。いたずらは満載だったが最後まで集中力を切らさず舞台をつとめてくれた出演者たち、スタッフにほんとうに感謝している。それぞれの熱意と協力がなかったら、ある程度の完成度による再出発はできなかった。ほんとうにありがとう。苦しみに耐えてくれた。ばたんと倒れる稽古をどれだけしたか。みんなからだがぼろぼろだ。投げ出さず、倒れる恐怖に耐えてくれた女優たちにはほんとうに感謝している。

■終わって打ち上げ。みんなにメッセージを書いたカードを送るのも僕の舞台の恒例。泣くぞお。泣くぞお、と思っていたら、案の定、何人かが泣いたのでしてやったりの気分だ。それが私の楽日の楽しみ。女の子たちが何人か泣いている。三坂号泣。笠木も泣いたな。ざまあみろ。繰り返すようだがしてやったりだ。笠木に渡すカードの文面などはもう三日ほど前から念入りに準備していた、「泣かせるからな」と本人に繰り返し予告もしていたのに泣いたので面白くてしょうがない。
■打ち上げには、関西からかけつけてくれた寝屋川のYさんはじめ、以前まで参宮橋に住んでいたT君ら、何人か、ワークショップや去年の三月にやった池袋サーチエンジン・システム・クラッシュ・ツアーの参加者たちも来てくれてうれしかった。そしてもちろん、劇場に足を運んでくれた大勢のお客さんにとても感謝している。遠方から駆けつけてくれた方たちもたくさんいらした。メールで感想をいただく。ほんとうにありがとう。返事が書けないけれど、この場でお礼申し上げます。
■二次会も終えると外はもううっすら明るくなっていた。解散の時間になった。わかれがたいけれど劇団ではないのでここでお別れ。いつまでもぐずぐず固まっているわけにはいかない。わかれぎわ、僕はみんなに言った。

「もう二度と会うことはないと思うけれど、さようなら。ぜったいもう会うことはないだろうけれど、さようなら」

 そうだ、「さよならだけが人生だ」。だけど、最後にみんなに言っておくべきだった。「俺が死ぬまでは、ぜったいに死ぬな」。

■家に戻ったのは午前六時過ぎ。とても疲れていたのにしばらく眠れなかった。ただ、たいてい舞台が終わったあとというのは、ぼーっとしてしまう期間があるものだが終わってすぐに、次のことを考えた。まずは「小説」。そして「劇作家」としてもっと精進しよう。もっといい劇が書きたい。もっと学ぶべきことがある。そのためのこれが再出発の舞台。少々客がきたからって満足はできない。やるべきことがある。次がある。

(4:25 feb.5 2003)


Feb.1 sat.  「岩松了さんが来た」

■劇作家の岩松さんが来て終演後、いきなりロビーで声をかけられた。ゆっくり話をしてくれた。というより、どうしてしまったのかわからないほど、長い時間、劇について話をしてもらえ感動した。西堂さんが話してくれたのとはまたべつの種類の内容で、劇作家として対等との位置からいま観た劇への感想を率直な言葉で語ってくれたものだ。今回はいろいろな人が見に来てくれ、話をしてくれたけれど、こんなにうれしいことはなかった。
■で、いまその内容と僕の考えをかなり長く書いたのだが、楽日に劇場に足を運んでくれる方たちのことを考慮し、公演終了後にあらためてアップすることにしよう。「公演のまとめ」だ。でも、ほんとうにうれしかったんだよ、岩松さんの感想。べつにほめことばじゃなかった。見事な分析。これはですね、以前も書いた、インターネット上に流布するばかどもの言説、「言説」などと書くのもばかばかしい「ばかの感想」など比べようもないほど鋭かった。
■以前まで参宮橋に住んでいたT君の日記に松尾スズキの本の引用があったが松尾が指摘したインターネット上の「ばかの感想」が「カラオケだ」という言葉もうまい。ああ、そうか、あれはカラオケか。しかもものすごく歌のへたな連中が集まってする小さな世界でのカラオケ大会。そのなかでもへたなくせに周囲からまつりあげられる、へたの王様、ばかの王様がいていい気になっているのだろう。ばかはほんとうに、ばかである。まあ、ばかはほっておけ。

■さて、土曜日。昼夜二回公演。立ち見の出る大入り。それが数日続いている。ありがとうございます。舞台上の出演者たちが客席から熱気すら感じたという。こういった種類の作品でそんな熱気が発生するのも僕の経験からすると想像していなかったことだ。もっとクールなものになると思っていた。なんでしょうね、これは。
■でもって、昼の回、静岡県袋井市からばかものが来てしまった。小学校の時の同級生の伊地知が、『月の教室』で共演した鈴木君親子と一緒に来てしまった。鈴木君親子はいいが、伊地知はないじゃないか。上に書いたインターネット上のばかとは異なる種類のばかが遠方からわざわざ来てくれ、ほんとうにうれしかった。だって、ほんとうにばかなんだこれが。なにしろ色紙を用意していたね、あいつは。で、サインをしたけれど色紙を用意するような人はいませんよ、こういった場所に。あとキティちゃんの鏡をプレゼントしようとする。なぜ、キティちゃん? さらにビデオで僕を映す。俺を映してなんの得があるんだ。氷川きよしファンの男にビデオなんかで撮影されたくないんだ俺は。
■なんだかよくわからない伊地知の情熱。
■そんな友人を持って私は幸福だ。いや、幸福なんだかそうじゃないんだか、よくわからない。伊地知のわけのわからなさに巻き込まれているうちに、すぐ次の仕事が待っている。シアターテレビジョンのインタビュー。

■それからひとまずダメ出し。そのあと、ブリキの自発団の銀粉蝶さんがいらしてお会いする。とても面白かったとのこと。それにしても僕よりずっと年が上だと思うが銀粉蝶さんはとてもきれいな人である。いまの演劇状況をながめわたしたなかからの意味として「元気が出ました」と言葉を残して銀粉蝶さんは帰っていった。よかったな。それがなにより。岸田戯曲賞の選考委員でもある岩松さんも言っていたが、ろくな戯曲がなくていま演劇がどうなっているのかよくわからないという。挑発すること。問題提起すること。そのためにこの舞台が存在できたらそれ以上、うれしいことはない。

(10:20 feb.2 2003)