富士日記 2.1

Nov. 24 tues. 「小説のことを考え、そして歩く」

今週も目が回るほど忙しかった。ぜんぶ自分で整理しなくちゃらないので、ダブルブッキングはあたりまえ。だめだこりゃ。ほっとくととんでもないことなるぞ。そうか、かつては永井が整理していてくれたからスムーズに行っていたのだな。迷惑ばかりかけてしまった。すまん。そんな永井もいなくなったので、わたし一人でかんばらなくてはいけないのだ。なんだって自分でやるんだ。地方へ行くときのスケジュールだって自分で確認するが、ときどき忘れる。このあと、いわきと福岡に行くことになっている。大丈夫だろうか。
そんな23日の休日、池袋コミュニティカレッジで、『時間のかかる読書』のトークをいとうせいこう君とした。楽しかった。しかも小説について、あるいは表現そのものについて、あれこれ話ができたが、基本、ふたりとも笑わせたい気分に支配されているので、観客は腹をかかえて笑っていた。いままで、話では「腹を抱えて笑う人」を聞いたことがあるが、ほんとうに「腹を抱え」、しかも「笑う人」がこんなに大勢集まるとは思っても見なかった。驚いた。
さて、小説は着実に進んだのである。あと少しというところで、「新潮」のM君、Kさんがいくつか意見を言ってくれるがうれしい言葉ばかりで恐縮しつつ、うれしかったわけだが。さらに続きを書こう、とにかくどんどん書く。

いくつか舞台の感想などについては小説を書き終えてからにします。書きたいことはやまやまなんだが。それはそうと、きょうはフィールードワークに午前中出発し蒲田を歩いた。不思議な人が多い町だ。だから面白い。金曜日にある「都市空間論演習」の準備だったが、どうしたってフィールドワークの日がきょうしか無理だった。でも、ともあれ、小説。ぜったいにこの数日で書き上げる。週末にいわきに行くのが面倒だ。

(9:52 Nov. 25 2009)

Nov. 19 thurs. 「30日に予定していたリーディングはなくなった」

このあいだ「一幕劇」について原稿を書いた演劇誌『悲劇喜劇』を読んだが、『真田風雲録』などの劇作家・福田善之さんが、亡くなられた竹内敏晴さんについて書かれたエッセイ、さらに「一幕劇」について書いた長谷川孝治さんの原稿を興味深く読んだ。ぼくは竹内さんの本を何冊か読んで刺激されたが「ぶどうの会」をはじめ演劇活動についてほとんど知らない。そして福田さんがそのエッセイに書いているのは、竹内さんを通じて福田さんが演劇を学んだことの意味、学びの仕組みの重要さではないだろうか。小劇場演劇以後、しばしば忘れがちなのは、どう演劇教育を受けるかということ、演出家はその方法をどう学ぶか、劇作家は劇作法をどのようにして学ぶか。小劇場ではしばしば我流がまかりとおっている。それが正しいかどうか、「学ぶ」について、あらためて考える。
高校の教員をずっとしていた長谷川孝治さんは、また異なる環境で「書くこと」、あるいは「舞台を作ること」についていて論じ、これもまた面白かった。条件が舞台作法を生む。どうしたって長谷川さんも、劇団員も昼間の仕事を終えて夜に稽古をはじざるをえない。そうした条件で舞台を作ることを持続するためにその経験のなかで学んだという話だ。なるほどなあ。どちらの文章もとてもためになった。僕とはまったく、異なる環境がそこにあって、あらためて考えることだと、自分が舞台を作る方法について反省を促される。
そして今週、「座・高円寺」の「テキスト読解」の授業が最終回だった。最後は、ベケットの『行ったり来たり』と「新しいドラマツルギー」について、佐藤信『阿部定の犬』、唐十郎『少女仮面』について話す。たいへんだったなあ、この講座は。毎週、とても苦労して授業をしていたが、いろいろ学ぶこと、発見することはあった。またべつの読解の方法を考えることにもなった。うーん、来年もあるのか……大丈夫かなあ……正直、死にものぐるいである。しかし、この講義がなくなって火曜日の午前中に「座・高円寺」に行かなくなると、「カフェ・アリファーブル」で昼食ができなくなるのがさみしい。ランチが安くて美味しかったんだ。魚料理が毎回、美味しかった。まあ、お昼ごろ自主的に高円寺まで行って食べればいいだけの話だが。

「サブカルチャー論」は「80年代論」の第二回目。「80年代論」はこれからさらに、数回続くと思われる。『80年代地下文化論講義』のなかから抜粋しても、話したいことはいろいろにあるのだ。
そういえば、「ツイッター」で、「イシハラの話を聞いていると、松本人志の「面白がり方」に影響されているのがわかる。京都時代にもよく似た「面白がり方」をする学生がいたのを思い出し、その「観点」の背景を考えていた。つまりこれは……。これ、長くなるからブログで。」と書いたが、いまはその時間がない。じっくり考えて書きたいと思うし、それはべつに「松本人志論」ということでもなく、そうした「面白がり方」はしばしば、これまでも存在し、ではそれが「面白い」としたらそれがなにか、あるいは、同じような「面白がり方」を言葉にしても、「面白い人」と「面白くない人」がいるとき、それがなにかを考えたいのだ。
本日、午前中、雨の中を京王線「芦花公園」まで行き「ゲーテッドシティ(要塞都市)」の周辺をフィールドワーク。中に入れなかったのは残念。夜は「演習44」の授業を終えてやはりイシハラともう一人、グラフィックデザインを学ぶという学生の話を聞いた。長話になったが面白かった。外に出たらひどく冷えた。しかし、忙しいなあ。こんなに働いてしまうとは思いもしなかった。いまこれを書く直前まで授業の準備をしていたのだ。忙しい。忙しい。忙しい。

あ、それから、11月30日にドイツ文化センターで予定されていたドイツの戯曲を読む「リーディング公演」は、作者が来日しなくなったので公演が中止になっておりました。まあ、いろいろあったのです。その話もまた。

(9:20 Nov. 20 2009)

Nov. 14 sat. 「週末もまた気が休まらないが」

更新の頻度を上げようと思うのにどうしても忙しさに負ける。
今週は、一週間で五日もなんだかんだと講義をしていた。しかも、半期に三コマだけ担当している(つまり複数の教員で受け持つ)「メディア論」があったのできわめて忙しかった。毎日三時間睡眠とかでがんばったな。というのも授業そのものより、授業のための準備が忙しいからだ。そのへんの事情はやはり「ツイッター」でつぶやいてしまった。このノートが更新されない理由のひとつに、「ツイッター」で、「書きたいことは書いてしまった感」があるのは否めない。
9日(月)「ドイツ文化センター」へ行く。ある仕事。10日(火)「座・高円寺テキスト読解」。11日(水)「サブカルチャー論」。12日(木)「メディア論」「演習44戯曲を読む」。13日(金)「都市空間論演習」「サブカルチャー論演習」。14日(土)というのはつまりきょう、「ENBUゼミでの特別講義」。
働いた。すごく働いた。そのあいだ、三つの講義で「口口口」の『ヒップホップの初期衝動』をかけた。なんかねえ、リリックにちょっと泣きそうになっちゃうんだよな、この曲は。あの頃、というのはつまりヒップホップが日本に輸入されたころの時代(八〇年代)と、風景がよみがえってくるし、いとうせいこう君が、ヒップホップの方法論を、その後、さまざまな分野に応用していったときの、その初期衝動をあらためて確認し、あれからもう20年以上が過ぎてなお、また新しいことへそこを起点に試みようとする姿勢に打たれるのだろう。

そんな忙しさで混乱しいろいろなことがわからなくなっている。身のまわりの整理がつかない。いろいろ事情があって仕事はほとんど自分で管理しなくちゃならなくなったし、だけど、そんなに管理能力にたけてはいないので、まあ、だめなことだめなこと。すぐになにか忘れるし。身のまわりはがたがた。本が読めない。仕事に必要だから戯曲をはじめ仕事関連の本は読むが、もっとこう、いますぐ必要とか役立つとかじゃない、ゆったりとした読書の時間は誰にとっても大切だろう、と、あたりまえの話。
ただ、授業が終ったあと、学生たちと話をするのは楽しいし、唯一のなごみの時間だ。水曜日の「サブカルチャー論」が終ったあとなどつい長話をしてしまう。ここんとこ、ほとんど毎日のようにイシハラとアベには会っている気がする。二人にはなにかと助けられる。あと金曜日のTAをしてくれる近藤にも助けられ、三人と一緒の帰り道なんかはほんとに心がなごむ。
で、金曜日の「都市空間論演習」が終ったあと、「新潮」のM君とKさんが研究室まで来てくれた。小説についての相談だ。で、結局、21日と22日の二日間で、小説を書き上げるという無謀な計画をたてた。それくらいの勢いと、一気呵成でないと、この忙しいなか小説を書くことができないという、二人の配慮である。そんなにまでして待ってくれることにほんとに感謝する。ほったらかしにされたってしょうがないのに、まだ声をかけてくれるし、アドヴァイスもしてくれる。こちらを尊重して丁寧に礼儀正しく接してくれる姿勢に頭がさがる。

で、おそらく小説は22日に書き上がっているわけだが、その翌日の23日は、いとうせいこう君と池袋で、『時間のかかる読書』の発売を記念したトークがある。いとう君と公の場で話をするのも久しぶりだ。それも楽しみである。
また「ツイッター」でなにかとつぶやいているでしょう。そちらものぞいてもらえるとありがたいです。

(6:45 Nov. 15 2009)

Nov. 8 sun. 「週末もまた気が休まらないが」

すでに「ついったー」では何度もつぶやいたように、先週の金曜日(6日)は慶應大学SFCに行ったのだった。名前の通り神奈川県の藤沢市にあり、懐かしい湘南台の駅からバスに乗るのだった。というのも、湘南台市民シアターは、かつて太田省吾さんが芸術監督を務めており、そのころ僕は、市民と一緒に舞台を作るため一ヶ月ぐらいここまで通ったのだ。地下鉄が通ったのは知っていたが、駅の姿がすっかり変わってしまった。市民ホールとは駅の反対口からバスに乗った。しかも、二両編成という珍しいものに乗ったのだ。で、この日も、商学部のイシハラと弟子のアベは一緒である。それで慶應のMさんに引率されるようにしてSFCのキャンパスに着いた。とても広い敷地に、緑と土の多いキャンパスだ。なだらかな傾斜。芝生。見たことはないが、アメリカの地方にある大学のようだった。見たことはないんだが。
福田和也さんにお会いする。今回、ここに来たのは、福田さんのクラス(ゼミ? 研究会と学生たちが呼んでいたように記憶もするが)で特別の講義をすることになっているからだ。で、そんなことを「ついったー」で呟いていたら、それ、かなりあとの話になるが、桜井圭介君からついったーにダイレクトメールがあり、福田さんと桜井君は大学時代同級生とのこと。そうだったのか。早く知っていれば話の種になったのだが。
講義のテーマは「サブカルチャー論」でも話した「笑い」について。一時間を少し過ぎたぐらいでなんとかまとめる。いろいろな映像を流しました。ラジカル時代のスケッチも流したし、そもそも、授業がはじまる前にラジカル時代の舞台『スチャダラ』の映像を、あるルートを使って僕を呼んでくれたMさんが入手して流していたのだ。僕も忘れてしまった舞台の映像が流れたらしく(僕はそのころ、福田さんと話をしていた)、むしろ恥ずかしい気分になった。まあ、貴重な舞台映像だな。まだ、竹中直人もいとうせいこうも、大竹まことも、みんな若かった。話は楽しくできた。そういえば、en-taxiのTさんも来ていた。そして授業の打ち上げは新宿。またものすごい場所まで来て打ち上げである。朝の五時過ぎまで学生たちと話をしてしまった。それもまた、こんな感じは久しぶりだったのでとてもいい時間だった。OBも何人か来ていたがなかには青土社に今年入ったばかりという人がいた。上司が、「ユリイカ」に僕が連載していたころの担当だったYさんだ。
そして朝。新宿の、三丁目というのは、明治通りを挟んで伊勢丹の向かいの一画だが、あのあたりから家まで歩いた。歩くのは平気だが、MacBookが重い。あと、午前五時過ぎに歩いたおかげで新宿通りにある謎の八百屋の秘密が解けた。この話はまた、なにかの機会に。

それで土曜日は午後の遅くまで眠ってしまった。変な時間に昼食。やはり疲れた。一日、なにもする気が起こらぬまま、ぼーっとしていたが、ぼーっとすることにかけて私はベテランである。本を読もうと思うが集中力が出ない。やらなくてはいけないことが山のようにあるのに。
本日は秋葉原にハードディスクを買いに行った。それからそばを食べ、夜は遊園地再生事業団の会議。来年のことなど確認作業。今週は、木曜日に「メディア論」という、数人の教員が担当している授業があり、その順番がわたしに回ってくるのだ。これは忙しい。準備が忙しい。しかも、その前に火曜日に「座・高円寺」の「テキスト読解」の授業もあるしな。読解するテキストはチェーホフの『桜の園』。『チェーホフの戦争』(筑摩書房)のあとから考えた、チェーホフの技法面での特徴、しかしそれがまたこの作家の人間へのまなざしにもなっているという部分を読み解こうと思うが、それはつまり、人の出入りである。かなり緊密に計算されている。登場人物たちは、舞台になんらかの意味を持って出現し、そして去って行く。だが、よく読めば、誰が舞台上に残っているか、そこにいったい誰がやってくるかによってドラマは進行し、けれど、「劇的なるもの」はたいてい舞台の外で起こっている。この「人の出入り」の巧みさからチェーホフをどうあらためて読むかだ。うーん、時間がない。
そして、俳優の佐藤慶さんは、すごくかっこいい。

(3:51 Nov. 9 2009)

Nov. 5 thurs. 「一週間はまだまんなかあたり」

毎日、ブログを少しでもいいから書こうと思いつつ、ついなまけてしまった。考えることはいろいろあるのだし、たしかに大学の準備は忙しいとはいうものの、書けないはずはないんだ。このところ日々のことは「ついったー」に書いているが、だからって、それとは異なる呼吸で書くことができるのがこのブログ。ただ、「ついったー」は携帯電話の人たちに情報を伝えることができるのでかなり意味があるだろう。
告知。情宣。情報。伝えておくことは数多くあるし、われわれは、新しい小さなメディアを手にいれたのだから、ブログにしろ、ついったーにしろ、これを利用することでさまざまな大きな力に対抗することができるはずだ。だから書き続けること。飽きないこと。持続すること。それがなにより必要。というのも、少し離れていたブログや、サイトが閉鎖されているときのあの寂寞感といいますか、いったい、あの人たちはどこでなにをしているのかと、それだけでひどく虚しい気持ちにさせられるのだ。だから言葉を残して欲しいし、たまには、なにか言葉をどこかで発して欲しい。生きてますよと、それだけでいいから。いいからって、えらそうな態度だが、ただ素朴にそう思うのだ。
だから僕も、書きますよ。ブログも書く。小説も書く。ついったーも書く。劇も書く。求められればどんな原稿でも書く。書いて書いて書きまくる。きょうは(あけて6日のこと)は藤沢の慶應大学に行くのだった。福田和也さんのゼミで話をすることになっている。学生に呼ばれたのだ。とても楽しみである。しかし、じゃあ早稲田は力を抜いているかといったらそんなことはなく、「サブカルチャー」では「ホールアースカタログ」や、七〇年代の『宝島』というサブカルチャー誌を取り上げた。まあ、私の青春時代というか、思い出話になってしまうきらいはあるので、そこをぐっと押えつつ、歴史とそうしたメディアが持っていた意味を話す。

本日(5日木曜日)は「演習44」の「戯曲を読む」という授業だ。今週からブレヒト。むつかしい作品を少しずつ読んでいる。終ってから教員ロビーで岡室さんとまた長話。この時間がとても楽しい。近くには、商学部のイシハラ、弟子のアベがいるわけだけど、授業のことなど話すと、こうしてゆくともっといいのじゃないかと、まったくもって教員のように考えてしまう。でもそれが面白くて考えてしまうのだが、このあいだ、演劇博物館で開催されている「太田省吾展」に、文化構想学部の学生が、僕が授業で「みんな観に行くように」と声をかけたことに呼応してくれ見たと、アンケートを書いてくれたという。演博のUさんからメールをもらって知ったがとてもうれしかった。というのも、文化構想学部には、演劇にあまり興味を持っていない学生、演劇を知らない学生が多いのだけど、見ればきっとその魅力を知ると思うのだ。
だからこういったきっかけで演劇に触れてくれることはとてもいいことだ。うれしかった。
さて、このあと慶應で講演。楽しみだ。早く寝なければ。こんな時間になってしまった。

(7:09 Nov. 4 2009)

Nov. 3 tue. 「フィールドワークと、授業の準備」

フィールドワークの一日であった。学生で、べつに今回のフィールドワークとは関係ないのに、僕が歩くと話したら着いてくる申し出てくれたタニガワとタナブの二人、さらに、建築関係の仕事をし、さらにミュージシャンでもあると最近知ったSさんと、そのお友だちのKさんと新宿の西口で待ち合わせ。午後、出発である。
とりあえず中央線に乗って吉祥寺まで各駅で降りようと思ったが、休日の中央線はいくつかの駅を止まらないのだった。うーん、「中央線文化を探す」という目論見がもろくも崩れてしまった瞬間である。総武線で移動。中央線じゃなければだめなんだ。だけど、最近の中央線はずいぶんと新しくて小綺麗なのは気になる。そんな折、どこの駅でだったか、かつてのオレンジ一色のあの懐かしい車両が走っていた。すかさず、鉄タクのタナブが解説してくれる。なんて便利なんだ。
そして、伝統を誇る早稲田ジャズ研の幹事長(幹事長になるとタモリさんに会うことができるらしい)のタニガワが、中央線沿線のライブハウス分布地図を作ってきてくれた。これがいい味を出してるんだ。素晴しい。

といったわけで、わーわー、にぎやかにフィールドワークだ。これといって目的はなく歩いているうちになにかを発見する歩きである。総武線に乗り、各駅で降りてホームの写真を撮る。西荻窪の「アケタの店」というジャズ系のライブハウスに行こうと思ったのは、名前だけはもう30年近く前から知っていながら、一度も行ったことがないので店の前だけでも行きたかったからだ。だが、西荻窪のホームに立ったらその閑散とした空気に、なにやらさみしい気持ちになってスルーしてしまった。だから吉祥寺へ。井の頭公園に行った。コーヒーを飲む。
そしてもっとも散策したのは杉並区役所もある阿佐ヶ谷だった。高円寺もいいが、高円寺にはもう何度も行っているので、阿佐ヶ谷を歩くことにした。まず一番の印象は「和菓子屋が多い」だ。当然、あんこののった餅は食べたさ。美味しかった。それからパール商店街を歩く。くまなく歩く。路地に入り、先を進み、細部を見つめ、家にもどってわかったがデジカメで200枚以上写真を撮った。そのなかからいいものをこの次の「都市空間論演習」で見せよう。そして「中央線文化」について調べて、学生とはまた異なる視点の発表をしよう。ただ、阿佐ヶ谷は「和菓子」だった。どうなんだろう。
そして、阿佐ヶ谷北口にある「夜のひるね」という喫茶店で、休憩。というか、もう外は暗くなったのでフィールドワークはこれでおしまいにし、みんなで真剣に討議をした。あはは、あははと笑いながら真剣な討議である。ところで、「夜のひるね」は昔風のいい喫茶店だ。これこそ中央線文化の一端だ。もっとほかにも隠れた店があるにちがいない。ライブハウスも探すべきであった。夜になればストリートミュージシャンも出現するのではないか。話を聞くべきだったか。

夕方、みんなとわかれて帰宅。食事をしたあとすっかり疲れてぼんやりしてしまったが、深夜になって不意にあしたの授業の準備をはじめた。ないものがあるんだ。70年代に出た「Rolling Stone日本版」の創刊号が見つからない。あした紹介したかった。うーん、日頃から部屋を片付けていないからだ。だめである。レヴィ・ストロースのニュースを聞く。あまり正しい読者ではなかったがそうして先人が亡くなられるニュースに接する機会が増えているように感じる。もちろん若いときだってそうだったはずだが、ある影響を受けた人たちの死がより増える。だからまたべつの想いを受ける。
いま、メールをチェックしたら、タニガワとタナブからお礼のメールが来ていた。なんて礼儀正しい学生なんだ。

(5:04 Nov. 4 2009)

Nov. 2 mon. 「いよいよ冬である」

書きたいことは山ほどあるのだがいまは時間がないので帰ってきてからあらためて本日分(11月3日分)をゆっくり書こうと思う。ただし、一回の長さをこれまでより短めにし目標としては毎日書く。このところ大学の準備で忙しくてかなり不定期だったので反省したのである。誰に対しての反省か。よくわからないが、こんなことではいけないと、自戒し、ここが私の本拠地だと、ここから言葉を発し、表現してゆくのだとあらためて考えたわけである。
とはいうものの、ときとして話は長くなる。というのも読んだ本などについて論考したくなるときがあるからだ。ただずっとそうだったが映画のことをよほどのことがないと書かないのは、あまり意味がないけれど、書いていると深みにはまり、自分の表現している領域とは異なるくせに長くなってどうでもいいことを書きそうだからだ。あ、でも仕事が来ると、書いていたのだな。「仕事」の力はすごい。
この数日、先週は火曜日に「座・高円寺」の「テキスト読解」、大学で「サブカルチャー論」「都市空間論演習」「サブカルチャー論演習」と、自分で書くのもなんですが、かなり調子よく講義を進行したのだった。だいぶ大学の授業に慣れてきたっていうか、いまさらかよ、っていう、いまからが勝負だなあと、わけのわからないことを考えつつ、授業をすること、その準備をして、たとえば「サブカルチャー論」「都市空間論」について考えるのがことのほか興味深い。その一方で、「戯曲」を読んでそれを読解する方法をあれこれ試行錯誤することの快感がある。まあ、というわけで私の日常が、「大学の授業」になっているのだけれど、こはもう天職なのかとさえ思いはじめている。作家じゃなかったのか俺は。

ところがふと「小説を書く気分」がふつふつと湧いてくるから不思議だ。書こうと思ったのだ。時間を作らなければ。「時間がない」なんて言い訳だからな。こつこつ書く。そしてまた、11月30日に私たちは「ドイツ文化センター」と協力して、ドイツの現代作家ファルク・リヒターさんの戯曲『氷の下』をリーディング公演することになった。これにはメンバーの上村の努力があったのだが、まあ、突然の話で申し訳ないし、まだはっきりしないこともあり、おってまた、詳しいことはお伝えします。詳細な情報を待っていただきたい。
あと、来年の2月にやはりリーディングの舞台を遊園地再生事業団が主宰で上演する。やはりドイツの戯曲だ。ト書きを私が読むと決めた。なぜならその戯曲のト書きを読むのが面白いからだ。そちらもお楽しみに。
それにしても秋である。気温が急激に下がった。風邪だけはひきたくない。ましてインフルエンザは。いろいろ日常を記録したいが、とりあえず記憶に新しいのはきのう河出書房新社に行って新刊『時間のかかる読書 横光利一の『機械』をめぐる素晴しきぐずぐず(河出書房新社)にサインを書いたこと。50冊ぐらい。こちらも頼む。この数日の記憶が曖昧だ。思い出したらまたしっかり記録しておこう。演劇のことでまた新たに考えたことも記しておかなければいけない。それにしても、あれだね、「ついったー」やってから、メールがぱたっと来なくなったのが不思議である。みんなつぶやきを読んで、もうメールはいいということになったのだろうか。メールは単に仕事だけのツールになってしまったのか。だとしたら、「ついったー」すごいよ。

(9:50 Nov. 3 2009)

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