富士日記 2.1

Sep. 17 thurs. 「鍼治療のこと、その他」

午後、河出書房新社のT君が家まで、『時間のかかる読書』の再校ゲラを受け取りにきてくれた。腰が痛いので、わざわざ家まで来てもらったのである。これでようやく終った。あとは本になるのを待つばかりだ。楽しみである。今回はT君の熱意に助けられた。さらに『文藝』の10月発売号に、いとうせいこう君が書評を寄稿してくれるとのことで、さまざまな方に感謝している。なにしろ連載をはじめてから12年ぐらいだから感慨もひとしお。そもそも、連載を続けさせてくれた朝日新聞社出版の「一冊の本」に感謝したいが、よく書かせてくれたよ、この奇妙な連載を。そのあいだずっと担当してくれたO氏にもなにかと助けられた。ありがとうございました。
その後、夕方になってまた鍼治療に向かう。きのうにもまして、腰にこれでもかというほど鍼を打つ。痛い。ものすごく痛いが、しかし、そのおかげで、だいぶよくなった。治療後、家に戻ってただぼんやりした。テレビをぼーっと見ていたら酒井法子のニュース。ちょっと、あれじゃないか、劇場型犯罪という言葉があるが、劇場型を通り越して警察によるショーアップというか、(事情はあるにしても)「湾岸署」に酒井を移送したあとの仮釈放などやけに「演出」されていないか。なにかと。警察から出てきた被告はメークしていなかったか。どこかおかしいぞ。おかしいといえば、その後、押尾はどうなったかだ。酒井法子より、死者が出た押尾の事件のほうが怪しいではないか。死体発見からの、あの空白の時間になにがあったか、あるいは、押尾がなにも語らない(酒井法子は記者会見までしているというのに)のも奇妙。
最近、「勝ち組/負け組」という言葉をあまり聞かなくなった。ある一時期、六本木ヒルズは「勝ち組の搭」としてもてはやされたが、その繁栄を象徴する「搭」において、薬物でひとりの女が死んだのである。女が死んだ。なにかが終焉したことの象徴なのかこれは。しかし、そうして構造が変化したとき、抑圧は、むしろ弱い者のほうにやってくる。押尾の背後になにがあったか知らない。六本木ヒルズの腐敗がどんなものだったか誰も語ってくれない。「勝ち組/負け組」の構造が世界の恐慌一歩手前のなかで変容し、弱い者だけが取り沙汰されるから、結局、酒井も、押尾も、スケープゴートか。見えない場所でなにかが動いているとしか思えない。いやだなあ。そんな世界とはかかわりになりたくない。のぞきたくはあるが。

腰はだいぶ落ちついてきた。もう少しだ。もうちょっとがまんしてじっとしていよう。ただ、椅子に長く腰をおろしていると痛くなる。仕事にならないよ。この文章もいま、ものすごい勢いで書いている。ときどき立つ。腰を伸ばす。痛いな、まだ少し。窓からは秋の空気。天気はいい。

(8:33 Sep. 18 2009)

Sep. 16 wed. 「ピンチだった」

先週は、吾妻橋ダンスクロッシングで刺激を受けたり、戯曲を読んだりと絶好調だったが、今週になってがたっと様子が変わった。月曜日。まず、土曜日の「戯曲を読む勉強会」のとき京都帰りの相馬が土産だと言って買ってきてくれた「生八つ橋」を冷蔵庫にも入れずそのへんにほっておいたまま二日、で、食べたら、下痢と嘔吐に苦しめられた。あきらかに八つ橋にあたった。わはしはこう見へても、もう三〇年間、吐いたことがなひ。吐き気はするひ、吐けば楽になる気はするが、吐き方がわからなひのだ。忘れてしまった。どうやったらあんなふうに自由に人は吐くことができるというのだ。さらに、腰がだめになった。椅子に座ってずっと仕事をしていたところ、何かの拍子に変な動きをしたら、腰がぐきっとなって、もうお手上げ。痛い。動けない。でも仕方がないからがまんしてじっとしていた。
翌火曜日(15日)は朝から、「座・高円寺」で「テキスト読解」の講義である。で、その朝、かなり調子がよくなっておりだいぶ歩けるようになっていたのは、一晩、じっとしていたおかげだと思っていたのだ。ところが、講義のため、時間がないから休憩も入れず二時間座りっぱなしでいたら、また腰が痛い。症状は一進一退である。よくなったり、わるくなったり、激痛に襲われたり、なにもなくぼんやりできたり。
「テキスト読解」は、別役実さんが、安部公房の『友達』について書いた評論を取り上げ、そこから戯曲と文学の関係について話してゆく。「演劇的ダイナミズム」とはなにかだ。講義を終えたのは昼の12時過ぎ。「座・高円寺」のSさんと終ってから話をし、いくつか来年の授業についてなど相談を受ける。また忙しくなりそうだ。っていうか、来年は僕も公演がある。緊張感をもって来年を生きよう。家に戻ってから、河出書房新社から出る『時間のかかる読書』の再校のゲラチェック。再校だから、そんなに直しはないと思ったが、細かいところで少しずつチェックしてゆく。思いのほか仕事は進む。だが、腰は痛い。

本日。昼間は再校のゲラチェックを終了させ、夕方、鍼治療に行ったが、その途中、「座・高円寺」に寄って書類に印鑑を押す。きのうその書類の処理をする予定だったが印鑑を忘れたのである。「座・高円寺」の二階にある「カフェ・アンリファーブル」では、「戯曲セミナー」というものが開かれており、講師は平田オリザ君だった。それから鍼治療。ものすごく痛い。痛いが歩けるようになった。鍼の力はすごい。
鍼治療は、いわば、からだに傷をつけることだし、神経を麻痺させたり、刺激を与えることなので、治療を終えるとからだが火照り、さらに眠くなる。家に戻ったらぼんやりしてもうなにもする気がしない。だいぶ腰はよくなった。これならあしたから正常に活動ができるだろうと安心したのもつかのま、いったん眠って、眼が覚めたのは深夜というか、明け方の四時。また椅子に座ってコンピュータに向かっていたところ足が冷えると靴下を穿こうとしたら、こんどは、ぐきっというのとはまた異なり、きゅいんといった、妙な感じ、これも何度か経験があって腰痛ではもっとも重症のランクに位置付けられる症状だが、それがきたのだ。痛い。また歩けない。はってトイレまでゆく。
で、それらの話とはまったく関係がないが、太田出版のU君からメールをもらった。13日付のこのノートに引用した、毛利嘉孝さんの『ストリートの思想』の言葉について触れた内容。うれしかった。そして、かつて僕が『演劇は道具だ』に書いた、「何周も自己紹介をする」について「自分のブログ」で触れていたことを教えてくれたが、あの自己紹介についてはいろいろな方がとりあげてくれ、それがとてもうれしい。ほかにも、「おしゃべり」についてなど、示唆される内容のメールだった。ブログに書けば誰かが遠くで読んでいてくれる。このことのよろこび。ありがたい。

とにかく身体だ。なんとかしなくては。いまは小康状態。文章を書けるんだから、まだ、いいほうだ。もうすぐ大学がはじまる。時間があるうちにもっと勉強しておきたかったのだが。やりたいことが多すぎる。フライフィッシングもしたかったんだ、俺は。釣りのなかに哲学を見いだしたかったんだ。レイブにも参加したかったんだ。ストリートにもっと出て行きたかった。読む本は無数にあった。聞いておくべき音楽はまだあり、観ておくべき映画は、無限。時間が足りない。鳩山内閣にはそれなりに期待しているのだが。

(8:43 Sep. 17 2009)

Sep. 13 sun. 「ストリートの思想」

先週の話。そう、火曜日(8日)は「座・高円寺」の「劇場創造アカデミー」のひとつ「テキスト読解」の授業の初回だったのだ。受講者は30人ほどだっただろうか。俳優志望で、実技の講座も受けている者や、こうした講座だけを受けている方たちもいるという構成。ぐるっと見回すと、見た顔がいくつか。というのも早稲田の学生がけっこういるからだし、『ニュータウン入口』で演出助手をしていた白井もいる。あと、京都造形芸術大学のころ教えていた卒業生が二人ほどいたのには驚いた。
二時間は長いだろうと覚悟してきたが、はじめ挨拶とか、今後の予定、あるいはなぜ朝十時から授業があるのかという話などし、さらに「言葉について」の話をしていたらあっというまに二時間が過ぎた。途中、去年の手術の話など、「テキスト読解」とはなんの関係もない話をしたせいでもある。おかげで、予定していた話は三分の一くらいしかできなかった。残りは次週へ。
大学とはまた異なる雰囲気だ。受講している人の年齢もばらばらである。熱心に話を聞いてくれるのがうれしかった。授業のサポートをしてくれたのは、劇場のSさんと、鴎座の「ベケットカフェ」で、『わたしじゃないし、』を演出していた川口さんだ。川口さんはこちらで仕事をしている。このあと佐藤信さんの舞台の演出助手をするという。授業をしつつ「戯曲」のことを考える。というか、僕が戯曲について勉強するために話をしているといっても過言ではない。受講者の質問に応答しつつ、そのなかで、戯曲のことを考えなければならない。こたえつつ考える。むつかしい。私だって戯曲についてぜんぶわかっているわけではないというか、研究者のような戯曲の読解なんかできっこないのだ。しないのではなく、できない。

そんなおり、「吾妻橋ダンスクロッシング」の翌日は、遊園地再生事業団の「戯曲を読む勉強会」だった。みんながいろいろな戯曲を持ち寄って考える。来年の秋にある「本公演」と、それに付随する「リーディング公演」とはまたべつに、「テキストリーディング」の小さな公演をしようという試みのための勉強会だ。
カトリン・レグラの『私たちは眠らない』(翻訳:植松なつみ 論創社)を読み合わせ。いま世界は同じことを問題にしている。というのも、何ものかによって「世界がひとつ」にさせられた、あるいはそう思いこまされたからだろう。そしてまた、戯曲がまさに、現在的だし、ちょうど「吾妻橋ダンスクロッシング」で、いとう君と、飴屋さんのグループのパフォーマンスを観た直後だったので、そうした印象がより強まった。あるいは、共時性というものはあり岡田利規君の戯曲にも通じるものがある。あるいはドイツのリミニ・プロトコルもまたよく似た方法によって表現しているではないか。だけどそういった表現の傾向に名前をつけるのだけはやめよう。そうすることでひどくつまらなくなる。
戯曲について考える。考えるといえば、「座・高円寺」での「テキスト読解」の授業では、あの「長田弘」さんによるNHKの番組「視点論点」をみんなで観た。観ながら、この「テキスト読解」の授業は「ことば」について語るべきではないかといきなり方向転換を思いついたのだった。現代詩について、あるいは、またべつの「ことば」へのアプローチを考えたのだ。なにかないかな、またべつの、「ことば」へのアプローチ。

ところで、毛利嘉孝さんの『ストリートの思想 ── 転換期としての1990年代』を読んでいたら次の部分が印象に残った。

おしゃべりは、私たちの思考の枠組みでは通常、価値が低いものとみなされている。おしゃべりとは時間を無駄に使う他愛もないやりとりのことだ。それは、議論とは異なり、より良い答えを弁証法的に求めるものではない。伝統的な公共圏では、議論は生産的なものとして重要視されたが、おしゃべりはノイズと考えられていた。けれども、私たちは、多くの情報をおしゃべりから得ているのではないか。今日の権力は巧妙なやり方で、おしゃべりを無駄なものとして排除しようとする。とすれば、新しい公共性はおしゃべりのなかから生まれるはずだ。(P166)

 演習の授業などで議論をしようとしたとき、それが、毛利さんが書く「おしゃべり」のように「新しい公共性」を内包する空間としての「教室」を生みだしこれまでとは異なる種類の「生産性」、いや「創造性」(あとで書き直した)につながればいい。ところが、なにか質問はとか、意見はないかと問えば、誰も「おしゃべり」しなくなる。この困難、というか、制度化された「教室」の硬直した空気はどのように壊せばいいのか。

(8:05 Sep. 14 2009)

Sep. 11 fri. 「吾妻橋へ」

今週は、まず「座・高円寺」で開講した「テキスト読解」の授業について書くべきところだが、いまはなにより、吾妻橋ダンスクロッシングの話だ。
飴屋法水さんと、いとうせいこう君のパフォーマンスに素直に圧倒された。異なる表現方法なのはもちろんだし、刺激され感銘を受けた「こと」の質も異なるが、しかし久しぶりに心をすごく動かされた。見に来てよかったとつくづく。終演後、すぐ近く、僕の前の席にいた知人の方と、そのことを興奮して話してしまったが、知人は、「それまでのことを忘れてしまった」と少し笑って話していた。「それまで」というのは、最後の二本の演目、いとう君と飴屋さんのパフォーマンス以外という意味だろうが、申し訳ないが僕も同じ感想だった。先にも書いたように異なる質だ。だから比較するのは意味がない。で、飴屋さんの作品が放つこの「よさ」はなにごとなんだ。この数年のなかでこんなに感動したパフォーマンスもそうそうなかった。
もちろんほかにも、「鉄割アルバトロスケット」など面白かったけれど、とにかく飴屋さんの作品に興奮したまま会場をあとにし、そのまま、たまたま見に来ていた、笠木と、早稲田のミノ、イシハラを連れ、話がしたいから家に連れて行った。じつは数日前、少しいやなことがあり、それほど気にすることでもないのに落ちこんでいた。落ちこんでる場合じゃないのだ。みんな表現に対して格闘している。そして、笠木、ミノ、イシハラと話していたらすっかり気分が晴れた。深夜の三時近くまで話し込んでしまった。楽しかった。それ以上に、こちらを刺激し、そして次の作品へ気持ちを高ぶらせてくれた表現者たちに感謝するしかない。

といった「吾妻橋ダンスクロッシング」だが、思いのほかダンスが少ない。パフォーマンスが主流になっている印象。だからって悪いわけではないだろうが。そういえば会場で久しぶりに宮城聡君に会って少し話をする。「ある種類」の演劇界の人たちが集まった社交場のような印象でもあったよ。だが、ここにはけっして姿を見せない分野の方たちもいるにちがいない。だが、ここだよ。ここを無視して次の時代のパフォーミングアーツを語ることはできないであろう。まあ、これ、どうかな、という作品もなきにしもあらず。
あと、わたしがかなり暴力的な気分になりそうになった瞬間があった。休憩時間のことだ。それも「なんか」ということだろうが、トイレにビデオカメラを持ちこみそれを会場のスクリーンで流すという趣向をやっている「なんか」があって、あやうく、そのビデオカメラを蹴り飛ばしそうになった。蹴ったら怒るだろうなあ、と思いつつ、そっちが「なんか」ならこっちもパフォーマンス。相手が暴力事件と言い出したら、トイレにカメラを持ちこむのならそれこそ犯罪だと警察を呼んでシロクロつけさせ、それ全体がパフォーマンスになる。もっと事態は面白くなるだろうと思っていたので、かなりの確率で蹴るところだった。でも、めんどうなのでやめた。終演までトイレをがまんする。映されたかねえよ。
で、休憩が終わり、そんな暴力的気分も、いとう君、飴屋さんのパフォーマンスでまったく忘れてしまったというわけだ。康本さんのダンスもよかった。いつもなにか面白いことをしようとしている康本さんは(というのも、そういう質を持った人ではないと感じるからだ)、なにもしなくていいのにもったいないなあ、と思っていたので、そのからだの魅力がすこぶるよかった。あと、「鉄割」の戌井君はくだらないなあ。素晴らしかった。あの身体こそ「くだらなさ」を見事に発する身体だ。

「吾妻橋ダンスクロッシング」の話が長くなってしまった。「座・高円寺」での「テキスト読解」の授業の話などはまた次の機会に書こう。更新が空いてしまったのは、その授業の準備で忙しかったのだ。九月である。次は大学の準備もしなくてはいけない。創作ができない。だが、刺激された。なにかわたしも作らなければ。そして、いとう君と、飴屋さんに共通していたのは、表現に対するまっすぐな視線だ。なにか素直にいま語るべきことを表現にしていた。そう感じた。もちろん、表現に価するのは、言葉にできないこと、形にならないものを、しぼりだすように発するそのきしむような声だろうが、しぼり出したその声がとても直線的に感じた。それはけっして悪いことではない。だから、僕は素直に感銘を受けたように思える。

(8:19 Sep. 12 2009)

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