Mar. 29 sat. 「頭痛の日」
■むかしはそうでもなかったが、この20年ぐらい、頭痛というものになったことがないのだった。ただ、特別なことがあると頭が痛いということはあり、たとえば人間ドックに入って、CTスキャンだったかMRIだったか、あの機械のなかに入り高周波の電磁波のようなものを浴びたあと、もう何年かぶりで頭痛がしたものの、めったにそういうことはない。しばらく「頭痛」がどんなものだったか忘れていたのだ。ところが、きょうは頭痛がした。からだの右半分がこっていたことによるのではないか。高円寺の古本屋で撮影があった日、かなり長い時間立っている必要があって腰が痛くなり、それが右肩のこりになり、だんだん上にあがって目がかすみ、右側頭部が痛くなった。高円寺での撮影がかなりこたえたな。舞台の稽古には、からだが慣れているけれど、「撮影」という仕事はまったく異なるからだの使い方だと感じた。
■そんな頭痛を抱えながら、ふと小説の書き方をひらめいた。一度、完成させ、それから直しをしていた『ボブ・ディラン・グレーテストヒット第三集』をずっと書きあぐねていたが、またべつの方法を思いついたのだ。それには、いまやっている『ニュータウン入口』芸術劇場版の編集で、ずばっとカットしていることも大きくて、カットすることで、それまで説明が過剰になっている部分、というか、ここまで語らなければ伝わらないと思っていたことが、しかし語らなくても伝わるし、むしろそこまで語らないことによって、より語りたいことが明確になることを発見したからではないか。なにごとも経験である。いろいろなことが人を覚醒させるとでもいうか。それを思いついたのは、目がかすんで活字がぼやけるなあと思いつつ小説を読んでいる途中だったが、思いついたら、突然、書こうという気力が俄然わいた。
■といったわけで、一日、ぐったり横になっているような日だったけれど、それがまた、いやな気分にもさせるわけで、アントニオ・ネグリ来日のためにいくつものイヴェントが組まれていたのに、それに行こうと思ってもからだが動かない。フィジカルとしては動かそうと思えば、動いたはずだが、その気力が出てこないので、からだが動かないことよりいよいよだめだ。ほんとにだめだった。横浜では、山縣太一が両親とやっているカフェライブの公演があったはずだが(南波さんも出演している)、それにも行けず、花見にも行けず、O君と約束した映画も観られず、目がかすんで、頭がいてえなあと、うつうつとしていたのだ。来週になったら鍼治療に行こう。
■金曜日(28日)は夜、またNHKに行ってテロップを入れる作業をしたが、それまでにNさんが画面の調整をしておいてくれ、かなりきれいな映像になっていた。でかいモニターで見るとハイビジョンはすごくきれいだ。巨大なモニターで観られる場所で上映会を開き、みんなで観たいとすら思った。このあとまだ音を入れる作業が残っている。音が入ればもっとよくなるだろう。三月は、ほとんどこの『ニュータウン入口』芸術劇場版の作業で終わったが、最後までしっかり粘らなければな。『ニュータウン入口』のワークインプログレスの一環として、リーディング公演があったのは去年の四月だから、それからちょうど一年が経ったことになる。もちろん舞台が最終的な場所だが、一年後に、舞台から派生して新たな作品が生まれたような、不思議な気分である。これはあくまで映像作品だ。また異なる作品として多くの人に観てもらえたら幸いである(放送時間を夜10時25分と書いたけれど、30分かららしい。新聞などで確認していただければと)。
■でもって、私は小説を書こう。小説でなにかべつのことをあらためて語ろう。いま私にできるのは、それくらいのこと。ネグリに刺激され、さまざまな人たちの活動に遠くで刺激され、そして自分の仕事をしっかりやろうと、四月を前に、ただ愚鈍にそう考える。
(4:20 Mar. 30 2008)
Mar. 27 thurs. 「夜、首都高を走って」
■雑誌「東京人」の仕事で「東京におけるイルミネーション、ネオンサイン」について原稿を書かなければならない。そう思って夜、かなり眠かったけれど都内を首都高で羽田まで行ったり、六本木や渋谷を走ったりと取材にクルマで走った。なぜ、かなり眠かったかと言えば、きょうも朝からNHKに行っていたからだ。今週は芸術劇場版『ニュータウン入口』の編集で一週間がつぶれてしまった。こんなに時間がかかると思っていなかったものの、ただ、だいぶいい「映像作品」になってきた。NHKのNさんの熱意もあって、かなりなところまでこだわって作ることができた。
■で、そうした編集作業のあいまに原稿を書かなくてはならず、そのための準備がやっかいなのは、「東京におけるイルミネーション、ネオンサイン」を探すのがけっこう時間がかかるからだ。引き受けなければよかった。この忙しいときになぜ引き受けてしまったのだ。都内を走っているうちにだんだんばかばかしい気分になってきたのだ(写真はべたなところで六本木ヒルズの例の数字の現代アートの作品)。ところで、「論座」のネグリ来日に関するイヴェントレポートの仕事は、ネグリ来日中止を受けてなくなった。イヴェントにも行く気はまんまんだったが、こちらもネグリが来ないとあって、モチベーションががたんと下がった。政府による来日に対するある種の妨害はこのことなのだな。ただ、ネグリが妨害されたことで主宰している側は、またべつの盛り上がりになっているようだ。行きたいが、NHKの仕事で私はいま、ぐったりしているところだ。予想外にぐったりしている。へとへとだ。
■しかし、あれだな、舞台が終わるとその記録された映像を観ることが僕はほとんどなく、今回ほど繰り返し観たのははじめてかもしれない。それはそれで勉強になった。考えることがあった。で、放送は4月11日(金)の夜10時30分からである。ぜひ観ていただきたい。ビデオやDVDに記録しよう。いろいろな技を使って、舞台とはまた異なる作品になっていると思う。
■しかし、疲れたな。まだ作業は途中の段階。さらにこれから仕上げに入る。あした金曜日もNHKに行く。テレビってこんなに忙しかったのか。驚いた。なにかぐったりしたなか、このあいだ『血と薔薇』の復刻版を貸していただいたYさんや、かつて関西で開いたワークショップに来ていたK君からメールがあり、少し心がなごむ。K君のメールには碑文谷公園にある「動物コーナー」の写真が添付されており、かつてよく行った場所だ。懐かしい。かつて、というのはいまから20年近く過去だが、「動物コーナー」には当時、かなり気分を慰められたのだった。だいたい、「動物コーナー」ってその名前がすごいよ。
■桜は満開だという。花見はできそうにないな。大学の授業の準備をしなくちゃならないと思うと、ぎりぎりと焦燥感にさいなまれる。小説も書こう。あといくつか、やらなくてはならないこと、人に連絡することもあるし、O君と約束した若松孝二さんの映画を観に行く予定がぜんぜん立たない。だめだなあ。家に戻るとぐったりしてしまっているのだ。体力だな。ないんだよ、それが。原稿の締め切りは毎週来るし。チェルフィッチュの舞台に関する考察のつづきはまたこんど。相馬からウェブのリニューアルを手伝ってくれるという電話をもらった。ありがたい。
■少し落ちつきたい。温泉に行きたい。せめてサウナに行きたい。岩盤浴にも行きたい。そんなことをしているうちに、三月ももう末になっていることでいよいよあせる。
(5:55 Mar. 28 2008)
Mar. 25 tue. 「日々はあわただしく、やることは山積」
■父の死に際し、心遣いしていただいた方たちにお礼(香典返し)をきちんとした形で送ろうと思っているうちに、日々は過ぎてしまう。それにもあせりつつ、いま発送の段階までようやくたどりついたが、社会的な常識というものに、まったく疎い私はこういったことがほんとうに苦手だ。やらなくてはと気ばかりがあせる。父が死んでからようやく、私は社会的な存在であることをあらためて自覚した。しっかりしなくちゃならないのだな。仕事をしはじめてからもう20数年になるが、そろそろ「名刺」というものを作ったほうがいいんじゃないかとすら考えているが、それより、まずこのサイトに新しい事務所の連絡先・住所などを早く公表するべきだろう。去年の暮れから考えているうちにのびのびになっていた。それで申し訳ないことになっている。サイトを全面的に改良しないとだめだな。相馬に助けてもらおうかと思っているが、相馬もかなり忙しそうだ。
■午後、またNHKに行って編集に立ち合った。だいぶ細部まで形が整ってきた。あとはさらによくすること、画面の加工、それから整音の作業があって、まだしばらくNHKに通わなければいけない。でも、映像作品として面白くなってきたと思う。もっとなにかできたか。もっとでたらめになったかと思いつつ、いろいろなことが重なった二月から三月だったので、頭が回らなかったのも正直なところだ。でも、最後の最後、とことん粘ろう。大幅なカットをして、俳優のなかには怒る人、がっかりする人もいるだろうけれど、作品のために、ここはひとつ我慢していただければと思うのだ。
■それから、チェルフィッチュについてまとまって長文を書きたいが、ただ一点だけ、書かせてもらうと、せりふを発していない登場人物が、舞台上を支配する法則のもとにたたずむ姿に、表現としての整合感のようなものを感じていた。それは桜井君がブログで、
そこで鍵となるのがパフォーマーの「身体」だろう。あくまで何となくの感じだが、今回、言語(観念・想念)がミニマル的操作によって現前化されることと平行して(引き換えに)、身体の現前(物質性)が減衰していくことになっていないだろうか。もしそうだとするなら、それは「演技による観念およびキャラクターの現前化」即ち「俳優個人の消去」という近代演劇のイリュージョニズムと同じような構図に結果しているということにならないだろうか。しかも、『フリータイム』の場合、キャラクター=役というものは(固定的には)ないので、残るのは観念・想念、(そして形式・構造)である。その点、『ゴーストユース』では、仕掛け上、「20歳の学生」という「現前」する「身体」が作品すべての土台になっているのであった。
と、ここまで書いて、頭がボーっとしてきた。この問題はホント難しいよ。で、いきなりレベルがガクっと下がった物言いになりますが、つまり(?)「パフォーマーがなんかイマイチ活き活きしてなかったなー、それは何でだろう?」という、僕的には「例によって」なアレがあって、それでまあ、ない頭をしぼってしまうのでした。
のとは裏返しになるかもしれないが、簡単にまとめるのを許してもらえるなら、「作品の整合感」と「俳優の自由度(=生き生き度)」といったものは、かつてからしばしば言われることだった。僕もかつてよく言われた。だが岡田君は舞台表現として、せりふのない俳優を舞台上に配置することによって、舞台の造形とともに、テーマのひとつだろう「浮遊感」を演出していたと感じられ、それは一定の成功をしているのではないか。「生き生き度」が薄いと桜井君が感じるのだとしたら、そこまで演出を徹底することで生まれるものを考えに入れた岡田君の意図を、べつのものとして受け止めていたとも読める。仮に「身体の現前化」が薄かったとするなら、それは、「近代演劇のイリュージョニズム」と桜井君が書いたことを誤解して受け止められることを覚悟の上で、『エンジョイ』にあった、仕掛けの多さによる煩雑さをさけ、シンプルな仕組みによって整合感を統一しようとしたことのあらわれだったと感じる。その評価をどう考えるかになる。『ゴーストユース』を観ていないのでなんとも言いようがないが、
『ゴーストユース』では、仕掛け上、「20歳の学生」という「現前」する「身体」が作品すべての土台になっているのであった。
それはいわば、ある種の「特権」だと考えられる。「20歳の学生」という「現前」する「身体」は、再現が不可能だからだ(再現しようとしたとたん、「近代演劇のイリュージョニズムと同じような構図に結果している」ことにならないか)。不可能を回避し、また異なる方法と表現を考えるなら、「整合感」というものへとチェルフィッチュは向かわなくてはならない、といった意味で、これはまたひとつのべつの段階へのステップになっていたのではないか。そして、本作が示したものは、受け取る者によっていかようにも変化する「テーマ性」であり、私は、私がいま問題化している視点から、これを見たことで、作者も意図していなかっただろう、「現在的な貧困」についての劇だと読めた。そのことはまた書こう。そこには作者のきわめて残酷な視線による現在へのまなざしがあると思えてならなかったのだ。この項、つづく。
■ネグリの来日が中止になったと報道で知った直後、すぐにメールと電話をしてきてくれたのは、相馬だった。東京芸術大学で非常勤で働いている方からメールをもらい、少し事態の裏側を知ったが、外務省のやり方はあきらかな、ネグリ来日阻止のための無理難題である。芸大のイヴェントにも行きたいが、『ニュータウン入口』の最終仕上げはまだあるし、大学の準備はしなくてはならないばかりか(勉強しとかなくちゃならないんだ)、父の死にご厚誼いただいた方にもお礼をせねばならぬし、次の小説もある。いませっぱつまって、とても眠い。せっぱつまってくると眠くなるのはいったいなぜなんだろう。もう春だ。花見もしたい。最近、あまり多くの人からメールが届かない。なんでもいいから便りがほしい。それがせめてもの救いなのだから。
(9:08 Mar. 26 2008)
Mar. 24 mon. 「ネグリ来日中止、いとう君の闘い、チェルフィッチュ」
■撮影が終わってぐったりし、少し休みたいと思ったがそれもできぬまま、日々が過ぎ、書きたいことはいろいろあって、なかでも「ネグリ来日中止」のこと、「チェルフィッチュの舞台」、そして「いとうせいこう君の活動」なども触れたいが、時間がない。原稿も書いているけれど、その後、『ニュータウン入口』の編集にも立ち合ってやっぱり忙しいじゃないか。ここで、『ニュータウン入口』の出演者にお詫びしておかなければならないのは、放送のための尺合わせのために、かなりカットした部分があることと、ある映画監督の作品からの引用が権利問題でだめだというので、その部分が使えないことがわかってカットせざるを得なかったことがある。ほんとに申し訳ない。
■いろいろ苦労は絶えないし、それにしたってネグリの来日に対して、外務省が突然、いちゃもんをつけてきたことはなにか政治的な背景があるとしか思えず、いよいよ腹立たしい思いをした。そんななか、いとう君は闘っている。遠くからそれを応援したい。僕にできることがなにかあるかと思いつつ、このノートを使ってでも、声をあげたいと思う。
■チェルフィッチュの舞台についても書かねば。それは現在を考えることにも通じるし、単に演劇の問題だけではなく、「ネグリ来日中止」「いとう君の闘い」とも、どこかで通じていると考えれば、それが現在だ。現在とつながり、演劇が、演劇という枠のなかで完結するだけではなく、いまのなかでこそ、表現そのものに有効性があるからこそ、すべてのものとリンクしている。語られることではなく、「表現」がそうなのだ。だから刺激を受けている。NHKの仕事は、まだ編集があり、MAがあり、驚くべきことに忙しい。O君と若松孝二さんの映画を観に行きたいがその予定がうまく立てられない。上映が終わってしまわなければいいが。といったわけで、急遽、日々の報告であった。とりあえずメモとして。伝えておこうとおもう。ネグリがなあ。なんということだまったく。
(8:25 Mar. 25 2008)
Mar. 19 wed. 「数日のこと」
■疲れた。この数日のことを、たとえば、日曜日(16日)に観たチェルフィッチュの舞台について書きたいことがあるけれど時間がなかったし、いくつか連絡をしなくてはいけない仕事があるものの、それもできないほどめまぐるしかったのは、芸術劇場版『ニュータウン入口』の撮影があったからだ。
■17日(月)は朝八時半にNHKに集合。ニュータウンへ撮影に行く。去年からいったい何度ニュータウンに来たことか。アンティゴネ役の鎮西と田中がロケに参加。天気がいまひとつだったのが残念だった。ロケ車に乗ってまずは南大沢へ。前日はなかなか眠れず、あまり眠らないままだったが、それでもからだがもったから、自分で書くのもあれだけど、なかなかにタフだった。でも、制作のAさんは深夜2時から撮影の準備をしていたとのことで、こういったときのプロの仕事ぶりはやっぱりさすがである。各プロがそれぞれにきちっと仕事をする。あたりまえと言えばあたりまえの話かもしれないけれど、そのいちいちに感心する。
■18日(火)は朝「一冊の本」の原稿を書く。夜、高円寺のロケ場所になっている古書店に、美術のセッティングを確認するために行く。この仕事にかなり集中して、ほかのことがうつろになっている。古書店はロケ場所としてとてもいい感じである。
■19日(水)、またしてもNHKに朝八時に集合。とてつもなく長い一日だった。一日中、朝から深夜まで古書店で撮影。最終的に私はものすごく疲れてしっかり演出ができなかった。ほぼ立っていたので腰が痛い。この日はムーンライダースの鈴木慶一さんが参加。照明さんが、とても丁寧な明かりを作ってくれていい絵が撮れたと思う。ただ、長くないか、この再撮影部分が。これはもう、舞台とはまた異なるべつの作品になる。編集後の完成が楽しみだが、舞台撮影部分、再撮影部をシャープにして全体的に、テンポのいい映像作品になればと思う。鈴木さんの存在感は、ほかの俳優とはまた異なるので、これを編集するとどういった印象になるのだろうか。それにしても疲れた。家に帰ってからぐったりした。
■といったこの数日。詳しく書きたいことは山ほどあるが、あしたにしよう。なかでもチェルフィッチュについては書きたいこと、それを書きながら考えることがある。いろいろ考える契機にもなり、喚起されることが多かった。テレビディレクターのO君からメールがあり、若松孝二監督の新作を一緒に見に行きませんかという内容だ。彼は一度、観ているそうだが、もう一度、観たあとに誰かと話がしたくて、それで僕を誘ってくれた。北海道文化財団のMさんから、小説『返却』の感想をもらいうれしかった。そういったことも含め、またゆっくり書く。撮影から帰ってすぐに眠ったが、こんな時間に眼が覚めてしまったので、ノートを書いた。これはメモ。あらためて書こう。撮影がすべて終わって一段落ついた。すべての俳優とスタッフに感謝。そして『ニュータウン入口』にかかわってくれた、すべての人に感謝だ。疲れた。それにしても疲れた。
(7:21 Mar. 20 2008)
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