Oct. 27 tue. 「時間のかかる読書」
新刊『時間のかかる読書──横光利一「機械」をめぐる素晴しきぐずぐず』の「刊行記念トークショー&サイン会」が開かれます。
『時間のかかる読書』(河出書房新社)刊行記念
会期:11月23日(火・祝)午後2時~ (開場は午後1時30分)
会場:池袋コミュニティカレッジ20番教室
ゲスト・いとうせいこう
参加費:1,000円(税込)
定員: 50名様
トークショー参加希望の方はリブロ池袋本店書籍館地下1階
リファレンスコーナーにて参加券をお求め下さい。
参加券は、なくなり次第配布を終了致します。
トークショー終了後、サイン会も開催致します。
『時間のかかる読書』(河出書房新社・税込1680円)は、
11月9日発売予定です。
※お電話での受付は承っておりません
お問い合せ:リブロ池袋本店03-5949-2910
いろいろ書きたいことはありますがきょうはこの宣伝だけ。ここんとこ近況は僕の「ついったー」につい書いてしまうので、なんだかブログのほうにあらためて書くのに新鮮味がなくなっている。ここと、あそこで、書くことにちがいをつけよう。このノートはべつの役割があるはずだ。
■あと、画像が多くてページが重くなっているのも申し訳ない次第です。うーん、「新潮」のKさんに連絡しなくては。小説を書くこと。創作すること。でも、『アンティゴネー』やブレヒトの読解をしている、「座・高円寺」での講座の仕事、大変だと思っていたものの、すごく勉強になったし刺激的だった。やってみるもんだね。勉強してみるもんだよ。ということで、ブログはブログで読んでいただきたい。
(12:52 Oct. 28 2009)
Oct. 24 sat. 「フィールドワークと〈究活〉について」
■(*唐突などうでもいいことですが)「研究活動」略して「研活」は、「究活」になりました。
■「創立記念日」の翌日、22日(木)も大学が休みだったのは、つい最近、書いたことだが、振替え休日で月曜日に休日が増え、すると月曜の授業がかなりなくなってしまうためそこを休まずべつの曜日に休日を振り替えるということだった。思わぬ連休になったが、それで22日は「都市空間論演習」のためのフィールドワークをすることにした。
■家の近くから渋谷の公園通りまでバスに乗り、そこから歩く。公園通り、井の頭通り、さらに東急デパートの方向に歩いて東急文化村の前に出た。周辺の風景は、過去と現在が混在しておりその変容が著しいと感じたのは、個人的に、僕はかつて(20年以上前)このあたり、というかその先、松濤に住んでいたからだ。地図で見たときの地名で表現すれば、ここらは、「道玄坂」「円山町」ということになる。もともと花街であり、ホテル街であり、少し怖い土地だったけれど、いまはライブハウスができ、クラブができ、しかも「ユーロスペース」と「シネマヴェーラ渋谷」という映画館が入っているビルさえある。ここの一階にあるカフェで、あのパンを大量に研究室に持ってきてくれた三年生のOがバイトしているはずだ。のぞこうと思ったが、もしいたら照れ臭いので建物の写真だけ撮ってまた歩く。
■人の流れが変わった。もちろんいまでも公園通りは人通りも多くにぎわっているが、かつてのようなパルコを中心にした、北田暁大が語る「広告都市」の象徴ではなくなっていると読めるし、だからって円山町界隈がそういった表象に特徴づけられているかといえば、けっしてそんなことはない。この変容は九五年以降、「渋谷系」という言葉が稀薄になったのと平行しているにちがいない。いったん道玄坂に出て、少し駅の方向へと坂を下ってから左手の路地、百軒店を入る。「ムルギー」というカレー屋、岩松さんや別役さんが原稿を書くことで有名な「名曲喫茶ライオン」の前に出る。あたりをぐるぐる回る。ラブホテルがいくつもならぶ。平日の昼間だから人があまりいないが、日曜日とかはすごい。というのも、少し前、佐々木敦さんに誘われてこの近くのライブハウスでトークに参加したとき、まあ、それはそれはよく理解できない若い女たちがものすごくいたのだ。
■渋谷をあとにし、やはりバスで六本木方面へ。西麻布で降りて歩く。ここから歩こうと思ったのは、八〇年代にあった「シリン」という店がどのへんだったか確認しようと思ったことと、地下に自由劇場のあったガラス屋さんの写真を撮りたかったからだ。自分が考えていた以上に、ガラス屋さんは六本木から離れていた。六本木まで、当時(まだ七〇年代である)は日比谷線しかなかったから、その駅から歩いたはずだ。けっこう距離がある。その「旧自由劇場跡」と、その近く、チェルフィッチュも公演をした「スーパーデラックス」を比較して考える。街が見えてくる。ヒルズを素通りして六本木交差点まで歩く。夕暮れになってきた。交差点付近でたたずむ。
■ミッドタウン付近に行く。ミッドタウンの正面、大きな道路を挟んで、国立新美術館に向かう通りの真ん中に地下に通じる奇妙な建造物がある(写真一番下)。地下鉄の入口でもなさそうだ。地下駐車場に行くらしいが、この唐突に存在する感じがよくわからない。ここまで歩いたところでかなり足にきていた。疲れが足に出た。以前は、少し坂道を登ると胸のあたりの筋肉が痛くなって、ただの肩こりみたいなものだとたかをくくっていたら、まあ、心不全だったわけで死ぬかも知れなかったが、去年の手術のあとどんな坂道を登ってもまったく苦にならなくなった。ただ、足にくる。足が吊りそうだ。しかも水分をとるのを忘れていた。この日、家を出る前に病院で処方されている利尿剤を飲んでいたので、まあ、何度もトイレに行って水分を排出していたから、夏だったら倒れるところだった。
■しかし、歩いたな。なにか発見があったかというと、それほどないが、でも歩きながら考えることは重要だ。いろいろなことが浮かんでくる。記憶。現在。あるいは「九〇年代サブカル」。都市。建築。地図。道路。劇場……。久しぶりに歩くこと、その経験が重要だ。でも、これ毎週、できるだろうか。たまたま、今週は水曜日と木曜日が休みだったからできたことで、週末は、「座・高円寺」の「テキスト読解」や、「サブカルチャー論」の準備をしなくちゃいけない。でも、今期の「都市空間論演習」は、東京23区をくまなくフィールドワークする計画なので、これ自分でもぜんぶ回っていたらすごい財産になる。あ、で、いま思いついたが、グループ分けした学生たちに、毎回、同じ場所をフィールドワークさせるという、いわば「定点観測」というのはどうか。それぞれの視点の変化が現れるだろうし、ある地域の諸相が幾重にも出現するのではないか。来年の前期はそれをやるのも面白そうだ。いづれにしても「都市」は面白い。いや、「面白い街」はない。「街の面白さ」はあるのだ。
■で、金曜日。久しぶりの授業。「都市空間論演習」で学生のフィールドワークの成果を発表してもらい(あまり歩いていないな)、さらに僕の話。時間がなくて途中になる。「サブカルチャー論演習」は人が多いから発表がものすごくせわしない。毎回ギリギリでやっている。うーん、「サブカルチャー論演習」は試行錯誤だ。むつかしいなこの授業。発表のクオリティに頼るようになってしまうし。ただ、それをきっかけに僕が話ができればいいわけで、その構造をがっちり固めるということか。
■さて、本日は、遊園地再生事業団の制作の手伝いをしてくれる笠木と、メンバーの上村が家に来て打ち合せ。二人が、このあいだも書いた「ラボ公演」のことで僕のかわりによく動いてくれる。それで11月30日、ある外国の現代戯曲をリーディングする公演を予定している。まあ、これがまったくの「研究活動」だ。でもって、その作者であるドイツ人作家と、僕のトークも予定される。詳しいことは近日発表。急にいろいろ決まる。「研究活動」、略して「究活」は、面白いことになりそうだ。もっといろいろな方と仕事がしたい。話がしたい。「究活」がしたい。
■その後も、「Twitter」でつぶやき続けている。iPhoneでも書くようになり、フィールドワーク中もつぶやいていた。このあいだ、白水社のW君と話していたんだけど、「いつ飽きるか」が問題だ。なんだって飽きるからな。ただ、目的意識があると事情はちがうと思うのは、このノート「富士日記2.1」は遊園地再生事業団の広報という性格が強いからこうして持続しているのだろう。「Twitter」にもそうした側面がある。「つぶやき」もばかにできないはずなのだ。あるいは、もっとべつの使い方があるにちがいない。
(7:12 Oct. 25 2009)
Oct. 21 wed. 「創立記念日だった」
■火曜日(20日)は朝から「座・高円寺」で「テキスト読解」の授業。前半『アンティゴネー』を読み、その読解が終ってから受講者にブレヒトとその作品『肝っ玉おっ母とその子供たち』(岩淵達治訳)について発表してもらった。
■『アンティゴネー』をあらためて読み、それについてノートをまとめていたら、「悲劇」について「考えること」それ自体、とても面白いことに感じた。もっとじっくり読めばよかった、っていうか、まあ、読めばいいだけの話だが、授業で話をするためにもっと考えるべきことがあった。時間がなかったな。『ニュータウン入口』のときから何度読んでるか忘れてしまったけれど、次の機会も『アンティゴネー』を取り上げもっと読もう。ジュディス・バトラーの『アンティゴネの主張』によってうながされること、刺激されることも数多くあった。なかでも、ポリュネイケスを埋葬したことを問いただされ、アンティゴネが、「やったことを認めます。やってないとは申しません」と応答した言葉についてのバトラーの解釈がすごくいい。
■つまり、クレオーンという王が支配する言語体系のなかで、女たちが内部化されているとしたらそれに抗うアンティゴネは、言葉によって体系の外側に出ようとするからこうした奇妙な発話が生まれる。なにしろアンティゴネは、単に「やりました」と応答すればよかったところを、なぜか、「やってないとは申しません」とひどくまわりくどい発話をするのである。バトラーはこの発話を「ふるまいを打ち消さない行為」と解釈して次のように書いている。
「わたしはわたしのふるまいを打ち消さない」は、「わたしは打ち消さない」、わたしは打ち消すのを無理強いされない、わたしは他者の言語によって打ち消すのを無理強いされるのを拒否する、わたしが打ち消さないのはわたしの行為である、ということだ。ここでの行為は所有されるもの、すなわち、彼女に強要された告白が彼女によって退けられる場面でのみ意味をなす、文法上の所有格のふるまいなのである。言葉を換えれば、「わたしはわたしのふるまいを打ち消さない」という主張は、打ち消す行為を拒否することである。だがそれは、正確には、行為を主張することだけではない。「いえ、わたしはそれをやりました」は、その行為を主張することであるが、それは、まさにその主張のなかでのべつのふるまいをすること、自分の行為を公にするふるまいであり、もとの犯罪的な行為を倍加させ、それに取ってかわろうとする新しい犯罪的なふるまいをおこなうことである。(竹村和子訳)
ああ、面白い。ここで重要なのは「行為」だ。ある条件下において「行為する人」としてのアンティゴネーが描かれる。「やりました」は「行為」にならず、「やってないとは申しません」とまわりくどい発話によってはじめて「他者の言語によって打ち消すのを無理強いされるのを拒否する」からこそ、「行為」が生まれる。しかもそれは、「新しい犯罪的なふるまい」である。そうした種類の「行為体」としてのアンティゴネが語られてゆくとき、ヘーゲルがアンティゴネから読みとる思想が、「親族/家族」を基本とした「国家」を支える根源的な理念になるとしたら、その支配的な言語体系を「行為」によって問うことでバトラーは体系全体を攪乱してみせる。そのことが刺激的だ。だから面白い。
午前中で授業が終ったあと、「座・高円寺」の二階にある「カフェ・アンリ・ファーブル」で食事をするのが恒例になった。このごはんが美味しい。しかも昼時だからか店はにぎわい、なんか雰囲気がいいのである。ほとんど眠っていなかったが終ったあとのこのさわやかな気分はなんだろう。
■「サブカルチャー論」があるきょう(22日)は大学が「創立記念日」だった。それで休み。早稲田の学生にはあたりまえかもしれないが、創立記念日も、休みのことも知らなかった。それを知ったのは、「Twitter」で僕がフォローしている慶應の学生が「つぶやいて」いたからだ。「サブカルチャー論」にもぐろうと思っていたら、弟子のアベから連絡があったとのこと。ただ、確認のため岡室さんにメールをした。でも、「つぶやき」を読まなかったら、なんの疑問も持たず大学に行っていただろう。「つぶやき」すごいよ。授業の準備はしていたのでそのまま来週に回せる。このまま次の週の準備もやっておけば余裕ができる。毎週、余裕がなくてあわただしかったのだ。
■そんな「Twitter生活」である。ほかの人たちと比べるとフォローが僕は少ないが、もっとフォローして、いろいろな人の「つぶやき」を聞くべきだろう。それがなんになるかよくわからないが……。それにしても「Twitter」、ときどきサーバーのキャパシティを越えるときがあるらしく、接続できない旨のメッセージが出る。世界中の人がつぶやいていると思うと、膨大なデータ量が想像でき、それを考えるとそら恐ろしくなる。どんだけ人はつぶやいてるんだ。こうしてコンピュータ上で「つぶやく」から数量化されるが、人類の歴史における「つぶやき」はすげえなあと、しかしかつては、さっと消えていた。いまは残される。この不思議。
■夜は、青山の髪を切ってくれる店へ。さっぱり坊主頭。あ、そういえば、『時間のかかる読書』(河出書房新社)の「刊行記念トークライブ+サイン会」だけど、時間をまちがって書いていた(混乱するといけないので直してあります。すぐ下↓)。あらためて書くと、11月23日(月・祝日)午後一時半開場で、二時から開始だ(会場・リブロ池袋店:コミュニティーカレッジ)。どうかおこしいただければと。
(12:27 Oct. 22 2009)
Oct. 19 mon. 「ついったーに夢中になる」
■先週の土曜日(17日)、かつて三軒茶屋のパブリックシアターにいたMさんに会って、来年の2月に予定している「ラボ公演」について相談にのってもらった。「ラボ公演」というのは遊園地再生事業団による、こんな書き方が適当かどうかわからないが「研究活動」の一環である。メンバーであるところの上村が中心になって、「ラボ公演」を進めているが、ほとんど日本で紹介されたことのない戯曲をリーディングしようという試み。この夏、ドイツに行った上村は、あちらで刺激をいろいろ受けたらしくかなりこの活動に積極的になっている。これまで、遊園地再生事業団は、僕が中心、というより、むしろ僕だけの集団だったがこうして上村が積極性を持つのはとてもたのもしい。
■それで上村、それから制作の手伝いをしてくれている笠木、あるいは田中もだが、ドイツ文学の研究者、あるいは、東大の内野さん、フランス文学関係の方々、英語圏の戯曲の研究者などにコンタクトをとり、テキストを探している。僕が忙しいのでかわりに積極的に動いてくれるが、きょうは時間もあったのでMさんにお会いした。いろいろ話を聞く。有益なアドヴァイスをいただきMさんにただただ感謝。ありがとうございます。またMさんとも、なんらかの形で仕事ができたらいい。舞台を作ることができたらと思う。三軒茶屋のころ、ずいぶんお世話になったからな。
■といったわけで、わたしの日々は、すっかり「Twitter」に書くことが多くなってしまった。まあ、なにかじっくり考えごとをする場所ではないから、それこそ、日常のつぶやきだ。さっき書いたのは(いまこれを書いている現在における「さっき」)、「座・高円寺」で毎週やっている「テキスト読解」の講座の準備をしてほとんど眠っていないが、眠ろうか、それともこのまま行くか悩んでいる「つぶやき」だった。
■結局、眠らずに、ブログを書くことにしようと決断したのは、午前8時半。講義は午前10時から。眠ったとしても、高円寺まで行く時間もあるしで、一時間そこそこの睡眠、眠ってもしょうがない。という結論になったわけで、それも「つぶやいて」しまった。いろいろな人の近況がわかって面白い。近況だけ知りたいな。その人のナマの言葉(それこそつぶやきだろう)が聞きたい。それがブログとも、ネット上に書かれるほかの種類の文章とも異なるところか。ただ、どうやって情報を探せばいいかだけど、「キーワード」からの検索機能があるのだな。
■しばらくは楽しもう。けっこう続くかもしれない。
■先週もまた、大学の日々だった。家と大学の往復。というか「座・高円寺」の準備がけっこう時間がかかる。ただ勉強。いまの楽しみといえば、ヤフーオークションで、九〇年代半ばのクラブミュージックのCDを500円くらいで落札することかくらいか。こういうとき、野田努さん、三田格さんとか、佐久間英夫さんといった方の著作がとても役に立つ。「九〇年代サブカル論」の資料はどんどん充実してゆく。これがいったいわたしにとってなんになるのだ。
■創作しなくちゃなあ。葛藤するものの、早稲田の図書館はすごくいいし、なにかと環境がいい。学生と話をするのは楽しく、ときとして刺激され、ほかの教員の話にも刺激され、いいことばっかりじゃないかってわけで、贅沢な悩みなのか。死んだ気になるしかないね。僕なんかより、ほかの教員の方たちの忙しさは尋常じゃないし。
■あと、空港問題についても書きたいことがあったが、またにしよう。羽田のハブ空港化、国際線空港化には賛成、とかって旬な話話ではなく、もう二ヶ月くらい前から考えていた、「静岡空港」の話と、「飛行機バカ」の話である。
■眠い。
(8:57 Oct. 20 2009)
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