富士日記 2.1

Jul. 20 mon. 「読む、読む、読む」

さて、先日もお知らせした「ゴダールシンポジウム」の日程も迫ってきた。ぜひ足を運んでもらいたい。当日は参考上映として『アワーミュージック』も見られるし、そもそも入場は無料である。お得である。フジロックよりぜったいにいいと思われる。詳しくはあらためてこちらへ。ところで、ここにきて急にフライヤーのデザインが変わった。学生が慌てて作ったデザインがあまりよくなかったのでいろいろ注文したのである。かなりよくなった。最初から落ちついてこうしたデザインにすればよかったのだ。
さて、今週で大学の授業は終わるが、そのあと学生のレポートを読む仕事が待っている。去年は入院中の病院で朝から晩まで読んでいた。「サブカルチャー論」は280人以上が受講しているからそれくらいの人数分レポートを読むのだな、この夏も。というか、すでに「社会演劇学」の論述テストを読んだのである。こちらもけっこうな量があった。
そのテストで僕は、清水邦夫さんの『ぼくらが非情の大河をくだる時』と、岡田利規君の『三月の5日間』について触れた。で、解答のなかに、なにを思ったか、清水さんの戯曲を『ぼくらが川をわたる時』と書いた解答と、岡田君の戯曲を『最後の5日間』と書いたものがあり、申し訳ないが爆笑。『ぼくらが非情の大河をくだる時』を、『ぼくらが川をわたる時』にすると、いきなり、のんきな芝居に感じるから不思議だ。一九七二年の、まさにきのう書いた、あの事件を背景にした作品なのに。でも、みんな基本的によく書けていて感心した。

で、その合間を縫って、いくつかの本を読み、それはたとえば、小熊英二の『1968』だが、第3章と第4章の「セクト」に関しての記述はだいたいわかっているので新鮮さはあまりなく、むしろ、第2章における、「日本における六八年の文化革命は神話だった」という論考に興味を持った。
もちろんいくつか知っていたこと、読んだことのある引用、たとえば渋谷陽一が「ビートルズ世代など存在しなかった」という意味の言葉などあるものの、「あの時代」と「文化」について、すでに「サブカルチャー論」で語ったあとだったので、あたかも六〇年代末の「若者文化」は「ある」という前提で話していたが、小熊さんが語るのは、当時の「若者文化」の担い手のほとんどが、「前世代」だったという指摘はまたべつのことを示唆する。しかし、考えてみれば、だいたいそうなんじゃないだろうか。時代の文化を牽引してゆくのは、受動する者(若い世代)が憧れ、時代を象徴する世代だったのではないか。つまり受動する者らより年長の。
「六八年の文化革命は神話だった」となると、たとえば日本における六〇年代の「小劇場演劇運動」もまた、幻想であり、あとから形成された神話だったことになる。小熊さんが論述するように、たしかにその担い手は、全共闘世代ではなく、六〇年安保世代だったが、「小劇場演劇運動」を支えたのは作り手だけではなく劇場に集結した「観客」だったとも言える。むしろ演劇は観客が生み出す側面が色濃い表現領域ではなかったか。まして、あの時代の演劇にはそうした性格が滲んでいる。映画における大島渚はさらに前の世代だ。支持する若い世代がいたからこそある種の文化は熱を帯びた。あるいは、「アートシアター新宿」のことをどう考えるべきか。小熊さんが論述しているのはまた異なることだろうか。

連休は終わった。夜、クルマで少し徘徊したら、繁華街もひっそりしていた。あしたから仕事だ。そんな空気が漂う夜の街の風景だ。

(10:00 Jul. 21 2009)

Jul. 19 sun. 「夕方、虹が出ていた」

この夏、北海道のRISING SUNというロックフェスでわたしは、しりあがり寿さんと一緒にステージに立つのだった。祐天寺に行き、桑原茂一さん、しりあがりさん、クラブキング(茂一さんの事務所)のMさんと打合せをしたのは三日ほど前(木曜日)だ。
茂一さんの要望で、「赤塚不二夫論」をまたやることになっているが、ほかにも、しりあがりさんとなにかやろうと計画。そこで思いついたのが、「ライジングサン博士・しりあがり寿」だ。前提として、しりあがりさんは、ライジングサンに出演しているバンド、ミュージシャンにやたら詳しい人ということになっている。それで僕が、まったく知らないという前提で、しりあがりさんに教えを受ける。タイムテーブルを見て、「この50回転ズっていうのはどんなバンドなんですか?」と質問すると、しりあがりさんがその場で絵を描いて説明してくれ、まあ、説明といってもでたらめなんだけど、すごく単純に「50回転」していた。ぐるぐる回っている様子が絵で表現されていた。しかも笛のようなものを手にしているらしい。「どんな音楽をやるバンドなんですか、回ってるし、笛持ってるみたいだけど?」とさらに質問すると、「フォルクローレっていうか、アンデスのですね、あっちのほうの、コンドルは飛んで行く的な」としりあがりさんは言う。意味がわからない。笑ったなあ。ほかにもいろいろなバンドやミュージシャンを描いてもらった。それだけでしばらく二人で楽しんだ。いい大人がすることでしょうか。これを北海道でえんえんやると思う。
ところで、祐天寺にはほんとうに久しぶりに行った。というのもいまから二〇年近く前、ここに住んでいたからだ。駅前のロータリーはあまり変わっていない印象だ。お店はずいぶん様変わりしているようだった。ほんとはむかしを懐かしむように、渋谷から東横線に乗って来ようと思っていたのに、寝坊し、遅刻しそうだったので慌ててクルマで来たのが失敗だ。散歩でもしたかったが授業の準備があるので、しりあがりさんを渋谷まで送って家に戻る。というのが、このあいだの木曜日の話。その夜は大学。いい日だった。

ところで、このあいだ丸善で買ったコミックは、山本直樹の『レッド』という作品だが、小熊英二の『1968』を手にしたとき、すぐそばの棚にあったからだ。描かれた作品のテーマが六〇年代末の学生運動から端を発し、『1968』と共通するから近くに並べて置かれていたのだろう。『レッド』を覆うのはひどく昏い沈鬱な空気だ。物語の結末は見えている。なぜ、彼/彼女らが、そんな場所に向かったか、いまそれをあらためて考えること自体、ひどく人を暗い気分にさせる。若松孝二さんの『実録連合赤軍』を見るのを躊躇したのはそこに漂う空気に耐えられるかわからなかったからだ。いやだなあ。なにかひどくいやな気分になる。以前、週刊誌に、連合赤軍の永田洋子と、当時、グループのなかでもまだ若く下部メンバーだった人物の、二人の手記が同時に掲載された。二人の言葉には「ずれ」があり、その「ずれ」がひどく醜悪に感じられた。吐きそうになったほどの醜悪さだ。ひどくいやなものを読んでしまった。それでも、山本直樹の『レッド』を手にした。異なる表現によってあの出来事が描かれていると期待して。
作品とはまったく関係のないことを考えていたのは、つまり、「時間」のことになる。「連合赤軍」の事件から、もう37年だ。では、事件のあった一九七二年の、その30数年前になにがあったか。たとえば、36年前の一九三六年。「連合赤軍」が立て籠っていた「あさま山荘」に警察が突入したのは2月28日。一九三六年の2月26日は、「2・26事件」の日だ。二つの事件にはなんの関係もないが、72年に中学三年生だった私は、「2・26事件」をはるか遠い出来事、歴史のなかの出来事にしか感じていなかった。とはいうものの、小学生のとき「2・26事件」に興味を持っていたのでいろいろ調べたが、まあ、それはいい。
遠い過去として把握していたのには、一九四五年の「敗戦」というこの国における大きな切断があったことが、「時間に対する感覚」に強く影響していると思う。その日を境に、世界が変わってしまったのだろうと想像していたからだし、それ以前は、なにか靄でもかかったように時間がよく見えず、文字通りの「歴史」として考えていた。つまり時間の連続性が稀薄だった。では、いまの中学生に「連合赤軍」の事件を話したとして、彼/彼女らはどんなふうに受け止めるのか。あるいは、逆に、僕が中学生だったころ大人たちは、大人にしてみれば「たった36年前」の「2・26事件」をどのように感じていたのか。

小熊英二さんは、『1968』の序文で、自著である『<民主>と<愛国>』とのちがいについて、『<民主>と<愛国>』では知識人の言説を引くことで戦後思想を検証したが、今回やろうとしたのは、一九六八年当時の、全共闘運動をはじめとする「若者の叛乱」に参加した当時の若い世代の、知識人とは異なる「言語化されないなにものか」を掬いとってまとめ、時代の意味を読もうと試みたという意味のことを書いている。

「あの時代」の叛乱では、参加者が若かったこともあり、言語化能力に優れた論者は少なかった。そのため本書で研究対象にしているのは、大部分が無名の学生や青年労働者たちが遺した文章や談話、回想、そして行動のエピソードなどである。/それを通して、彼らの言説だけではなく、言語化できなかった心情(メンタリティ)や慣習行動(ハビトゥス)の枠組みを明らかにし、その枠組みのなかで彼らがどのような実践(プラティーク)を行っていたかを検証して、「あの時代」の叛乱の性格とその遺産を探るというアプローチを本書はとっている。(小熊英二『1968 P16

 この「言語化できなかった心情(メンタリティ)や慣習行動(ハビトゥス)の枠組み」の分析は、なにかヒントになると思われる。「サブカルチャー」も「都市」も、知識人による言説だけでは語り尽くせない「言語化できないなにか」によって動いていると思われるからだ。たとえば、『東京スタディーズ』で北田暁大が解く、八〇年代的な都市の変容は、本来は言語化できない「動態」ではないだろうか。北田暁大のアプローチが成功しているか判断するのはうまくできないが、ただ、僕が興味を持ったのは、つまりそのこと、本来的には言語化できない「動的な空間」の「都市的な動態」とも異なる、あたかも身体性にも似た、それこそ、サブカルチャーに領域化されるようななにかに/を、接近しよう、語ろうと試みていると読めたからだ。

日曜日の夕方は虹だった。近所の人たちがみんな外に出てきて、いっせいに、携帯で写真を撮っていた。変な光景だったけれど、僕もまた、その一人。

(7:43 Jul. 20 2009)

Jul. 17 fri. 「人生はいきあたりばったり」

今週はわりと大学が楽だった(授業のコマが先週より少なかった)とはいうものの、「サブカルチャー論」「都市空間論演習」の授業のための準備は相変わらずたいへんだ。というか、いまこのふたつの授業について考えるのがきわめて楽しい。ただ「都市空間論」の勉強が足りないので、もっと考えることはあり、あたるべき資料、読んでおくべき本があるはずなものの、時間がなかなかとれず、この夏の課題だから、けっしてフジロックには行けないだろう。行かないけど、もともと。ところで、「都市空間論演習」の授業のレジュメ類を、印刷するとき、いつもモグリのGが手伝ってくれる。ありがたい。というか、そういう学生がいてくれることが精神的な救いになっている。
「サブカルチャー論」は、そもそも僕がそうした文化潮流が好きだったこともあり、いろいろあたって考えれば考えるほど、また新しい視点が見つかる。けっして、「サブカルチャー」は「サブカル」ではないが、その「ずれ」を考えるのも面白く、どこで、どう言葉の変容と同時に(まあ、「サブカル」と初めて略されてジャーナリズムに登場したのは、新潮社の「03」という雑誌だったとわかっているが)、意味内容の変化がどのように、あるいは、どうなって、いまの「サブカル」という言葉になったかさらに考えたい。って、俺、「サブカルチャー研究者」になろうかな、面白いし。古雑誌にあたるのが愉楽である。
一方、授業をどう進行してゆくかが悩むところで、「演習」という授業をいかに進行するかむつかしい。困難な課題。ただ、「都市空間論演習」の学生たちの「フィールドワーク」はすごい。ものすごくよく街を歩いている。何度も街に出ている。ただなあ、それが授業の発表に生かされていないのが残念なところだ。プレゼンテーションというか、発表というか、その方法を教えるべきだろうか。きょうの演習では、「夜の街にひそむもの」というテーマで、駒込、西日暮里、谷中霊園を深夜に歩いた成果を発表してくれた。たとえば、動画で自分たちの動きを紹介していたものの、夜だけに、なにも映っていないという、真っ暗っていう、しかも三種類見せてくれたが、みんな真っ暗なんだよ。変化がわからなくて、それが逆に笑う。がんばったんだけどなあ。ものすごく熱心にフィールドワークしてくれたが、どうそれを掬い上げたらいいのだろう。

というわけで、きわめて似つかわしくなく、教育する人のようなことを考えているわけですけど、そんなことを考えるのも面白いし、人生はいきあたりばったり、いま面白いことしかしないわけで、先のことを計画なんかするものか。平田オリザ君とはちがうんだ、俺は。
ところで、河出書房の編集者が、こんど発刊が予定されている、あの、横光利一の『機械』を12年間近くにわたって読んだ連載をまとめた単行本について、エッセイのような、批評のような体裁をしているが、しかし「小説」ではないかとメールに書いてくれ、とてもうれしかった。しかも、「後藤明生」さんの作品群を思い出したとさえ書いてくれ、それは身に余る、というか、むしろ申し訳ないほどの言葉である。なぜかわからないがしばしば言われる。『サーチエンジン・システムクラッシュ』もそうだった。『返却』のとき、登場人物のひとりが「赤木」という名前で、これ、僕はすっかり忘れていたが、後藤明生さんの『挟み撃ち』の登場人物だ。そして徘徊する。あてどなく徘徊するとき、出来事はこれといって起こらないが、そこに小説らしからぬ、けれど、本来的な意味での「小説」があるのかもしれない。「赤木」を指摘してくれたのは、批評家の前田塁さん、つまり早稲田のあの方だ。それもうれしかった、というか、そこまで丁寧に読んでもらえたことにとても感謝した。
小説のことも考えている。演劇のことも考えている。「演習」の授業をどう進めてゆくともっと活気が出るか考えてはいるものの、「サブカルチャー論」にしろ、「都市空間論」にしろ、それが小説に直接、関係するかわからない、というか、ほとんど関係ないかもしれないものの、なにかを私に与えてくれているのだと思って授業の準備をし、学生にいどむ。きょうも授業が終わったあと、研究室に学生を呼んで、いろいろ話す。マリファナのことばかり話してしまった。いいのかそれで。楽しかったな。この幸福感だけでわたしはいいのだ。先のことなんか知ったことか。人生はいきあたりばったりだ。

(5:21 Jul. 18 2009)

Jul. 13 mon. 「久しぶりに書いてみたよ」 ver.2

松倉如子

少し書き直した。というのも、「ゴダールシンポ」について詳しい情報先がわかったからだ。ついでにやや細部も。

都議選の開票結果とニュースを夜遅くまで見てしまったのは、このあいだあった静岡県の知事選が驚くべき結果になったからだろう。どちらも民主党が勝つという結果になったとき印象に残ったのは、たいてい選挙の直前になると発せられる、いわゆる「体制」に有利に働くイメージ操作としての「過剰な事件報道」(たとえばいまなら北朝鮮のミサイルのニュース)が、まったく一連の選挙には意味をなさなかったことだ。過去の政治図式がまったく変わった。そこにいくつかの意味がある。民主党とはいったいなんであるのかという問いもそのなかにあるにちがいない。
自民党を利するはずだった「小選挙区制」が、逆に自民党を追いつめるだろうと想像させる二大政党制の皮肉な兆候が、都議選の一人区で民主が勝ったことに潜んでいる。とはいうものの、二大政党制でいいのかっていったら、アメリカがどうか知らないが、そんなことはけっしてないはずだ。小さな声はどう政治に反映するのか。
いきなり話が変わるようであれだけど、つくづく夏である。そんな日曜日、投票所まで歩いたら汗をかいて気持ちがいい。帰り道、さらに汗をかこうと少し散歩した。去年の七月はずっと病院だったので、こうして夏の暑さを感じられるのはなんと幸福なことか。

お知らせをふたつばかり。
7月25日(土)に「ゴダールシンポ」という催しが早稲田で開かれる。15時から、20時まで。/ 15時より参考上映『アワーミュージック』/ 1645分より「桜井圭介×大谷能生」パネルトーク/  1825分 より「宮沢章夫×佐々木敦」パネルトーク/ という概要である。その後、CINRA.NETで紹介してくれましたので、そちらで詳しい情報をあたってください。
それから、松倉如子が吉祥寺のスターパインズカフェでライブを開く。7月30日。ベテランのミュージシャンたちにサポートされた本格的なライブになるだろう。こちらのライブについて、詳しくは松倉のブログで調べていただきたい。

それにしても忙しい。ノートの更新もままならなかった。このところ週に4日、大学に行く日々で、いろいろメールをもらっても返事が出せず、あるいは携帯に連絡をもらっても出られなかったり迷惑ばかりかけている。で、土曜日(11日)は東京駅の近くにある丸善まで行き、小熊英二さんの『1968 若者たちの叛乱とその背景』など、何冊か欲しかった本を手に入れた。なかにはコミックもあり、その話もどうしても書きたいが、またにする。なぜなら、小熊英二さんの『1968』がですね、写真ではわからないかもしれないがとても大部で、読んでいるとそれを持った腕がひどく疲れるほど、その本の状態がすごいからだ。六八年だからか、6800円+税。しかも、まだ上巻しか出ていない。すごいなほんとうに。まだ内容はよくわかりません。少しずつ読む。というかほんとうは、今週の「サブカルチャー論」に間に合わせたかったがそれはどだい無理。
「サブカルチャー論」はようやく「六〇年代論」にたどりつき、あと二回で授業が終わる。今年から、授業の日数が増え、七月の第四週まであるが、「都市空間論演習」と「サブカルチャー論演習」のTAをする近藤が、よりにもよって、最後の週はもう、授業がないだろうと、ろくろく調べもせずに、予定を入れてその週は来られないと言う。聞いたら、フジロックに行くというのだ。ほかの用事だったらいざしらず、フジロックとはなにごとだ。まったく許せない話である。
「社会演劇学」という授業のために、試験問題を作ったのは、丸善で小熊さんの本を買った土曜日(11日)のことだったが、試験に引用しようとした戯曲が研究室にあるのを思い出したのはその日の夜で、少し遅くなってから早稲田まで本を取りに行ったのだった。それから問題を作る。やけに長い問題になってしまった。というか、大学の試験問題がどんなものだったか、すっかり忘れてしまった、というか、考えてみたら大学時代に試験を受けた記憶がない。だいたいが、作品を提出する「課題」というものだった。試験、受けたっけな、まったくなかったはずはないのだ。語学があったはずなのだから。

ひどく蒸し暑い一日。政治は動いているが、大文字で書かれるような「政治」でしかなく、もっと小さな声でしか語れない、そしてこれまで政治問題として扱われなかった「政治」について考える。あるいはもっと大きな、世界が問題になる政治があり、いま、ここから見える風景だけではないなにかを、あらためて見る。ゴダールの『アワーミュージック』でゴダールは、あのラスト、頭を柱かなにかにぶつけるけれど、あの態度をどう考えたらいいか。あれが現在のゴダールのきわめて巧妙に仕組まれた政治表明と読むべきか。かつてパレスティナ問題に強くコミットしていたゴダールが、いまなにを考えているのかという意味で、あの行為をどう解釈すべきか。『ニュータウン入口』について映画監督の青山真治さんは、ある場所で、「あのこと」という言葉を使って語ってくれたけれど、ゴダールが語ろうとし、しかし逡巡するように口ごもる「あのこと」についてそれは指し示し、いまわれわれが取り組むべき問題、つまり「あのこと」をやはり青山さんもまた、口ごもりつつしかしきっぱりと語ったのではなかったか。
「あのこと」のために、「あのこと」についてもっと考える。『ニュータウン入口』では描けなかったことがある。なぜなら、「あのこと」が不徹底だったからだ。それを見付け出すことそのもの、それが次の舞台になりそうだ。夏休みはそんなことを考え、資料にあたり、本をよく読み、小説を書き、やることは無数。っていうか、大学の先生方も日々、大学運営、会議、会議、また会議でひどく忙しそうだから、いったい研究活動をどこでするのか気になってしかたがない。研究のできない大学はいかがなものか。

(5:25 Jul. 14 2009)

6←「二〇〇九年六月前半」はこちら