富士日記 2.1

Jan. 30 wed. 「日々のこと」

きのう朝起きたら首を寝違えてたいへんに痛い。選考会の準備と、選考そのもので少し疲れたのかもしれないが、首を寝違えるって、なんていうか、ほんとに腹だたしい事態だ。その後、多摩美のシラバスを書いていた。それから小説を二枚ぐらい。早稲田の方から電話をいただき、やはりシラバスの締め切りが間近だとの内容。まずいよ。前後期合わせて、八コマぐらいある。そのシラバスを書くことを考えると憂鬱になっているのだ。
相馬からメールがあり、MacProで二層のDVDが焼けるか調べてくれたという。相馬のブログにそのことが書かれている。ありがたい。それで促され、DVD Studio Proのマニュアルを読んで基本的なことがわかった。いろいろ細かいことはあるものの、とにかく可能だ。二層目に切り替わるとき、一瞬、映像が静止してしまう状態になるので、その切り替えのポイントに注意すべきだとマニュアルにあった。切り替えのポイントがむずかしい。『ニュータウン入口』って、ほとんど暗転がない。暗転がはっきりあればそこにポイントを持ってこれるがどうなのか。その作業もいろいろ仕事が一段落してからになるだろう。
小説が思うように書けないので、小説を読んでいた。なんだかよくわからないけどね。さらに、リージョナルシアターのアドバイザーという仕事をしているので、熊本の劇団0相の河野君の戯曲(まだ途中までしか書かれていないが)を読んで短い感想をメールに書いて送る。いい作品になりそうだ。いいなこれは。背景にあるのは怖いテーマ。三月にリーディング公演がありますが、その詳細など、こちらのサイトで確認してください。そういえば、岸田戯曲賞にノミネートされた矢内原美邦の『青の鳥』は三度読んだんだけど、まず、通読してから、登場人物の性別がよくわからないのでそれをチェックするために二度目を読み、さらに、構成がどうなっているのかと思って三度目を読んだ。で、結局わかったのは、戯曲を書く段階で他者性がないことだった。つまり、知らない人が読んだらどうかについて意識されているかどうか。これ、もう少しうまく書けばなあ。また異なる評価につながっただろう。まったくもう、とか思いつつ、矢内原のブログを読んだら、実家の納屋が全焼したと書かれていた。本が全部燃えたってあったけど、それはことによると、矢内原家のかなり貴重な蔵書ではなかろうか。

(8:59 Jan, 31 2008)

Jan. 28 mon. 「戯曲を読むこと」

岸田戯曲賞の選考会の日だった。昨夜は深夜まで、感想というか選考のための資料をまとめ、それが思いのほか時間がかかって、あまり眠らずに選考会のある神楽坂に向かった。朝11時半からだったのだ。早いよ。いつもだったら眠っている時間だが、選考委員の方たちのスケジュールの調整が厳しいので仕方がないし、そもそも、社会的にはあたりまえに労働の時間である。井上ひさしさんの到着が少し遅れるというので、ほぼ正午から開始された。第一回目の投票。そこですでに大勢はきまったといっていい。前田君に票がかなり集まった。それから議論がはじまったが、またしても、井上さんの戯曲の読みに驚かされる。たとえば、京都の山岡徳貴子さんによる『静物たちの遊泳』という作品は、団地の向かい合った棟にある二つの部屋が舞台で、それを井上さんは「鏡」だとおっしゃった。だから、それを象徴するように「各務(かがみ)」という登場人物がいるという解説。なるほど。それは「適確な読み」であると同時に、井上さんの独創ともいっていい、読みの妙技だ。ほかにもいくつかの作品で井上さんはそうした「読み」をする。
もっと戯曲の読み方を勉強しようとあらためて思うが、それはおそらく、多面的な読みということになって、僕なんかまだ、一つか、二つぐらいの読みの視線しか持っていないのを感じたのだ。やっぱり戯曲研究会をやらなくてはと。戯曲という文学形式を擁護するためにもやりたいと思った。いつだったか、同じようなことを書いたら、かつて「戯曲研究会」というのは実在しており、そのメンバーの一人が井上さんだったと教えてもらった。実際、こうして選考会があるたびに、こちらがむしろ勉強させてもらっているような気分になるのだ。それぞれの読みがある。とはいっても、単なる感想とか、主観というのではなく、きちんとした分析の上での読みは、立場がそれぞれだから異なっており、しかし、「候補作」をテーマに演劇について、いま思考していることのぶつかりあいが生まれる。それはとても刺激的な場だ。候補者には申し訳ないが刺激的な体験になる。だからこそ、あらためて、もっと読まなくてはと思った。雑誌「東京人」の連載が次の号で終わる。戯曲を読む連載だった。どこかでまた再開したい。勉強のための連載。
そして、もう報道もされているように、今年の岸田戯曲賞は前田司郎君の『生きてるものはいないのか』に決まった。前田君の今回の作品は不条理劇だ。ベケットの言語からも、別役さんの言語からも逃れえた不条理劇だと思い、僕はそれを評価した。しかも、相変わらず、いいかげんな書き方をしている。岩松さんが、前田君のいいかげんさに「だまされたくない」と語る言葉に共感しないではないし、過去の作品と比べると少し落ちているようにも思えたが、受賞に異議はなかった。

審査会が終わり会場にあてられた日本出版クラブ会館の建物の外に出てもまだ外は明るい。妙な気分になった。しかし、あとで考えたが、今年の候補作はやけに楽に読むことができ、楽はあまりいいことじゃないんじゃないか。坂手君が「全般的にわかりやすい書き方がされている」という意味の発言をしていたけれど、そういうことだったのかもしれない。家に帰ってもしばらく今年の候補作について考えていた。しばらく、引きずってしまいそうだが、でも切り替えて小説に取りかからなければ。あと、いろいろな仕事があるけれど、ともかく小説。

(9:22 Jan, 29 2008)

Jan. 26 fri. 「小説のこと、そして、さらに戯曲を読む」

国立競技場の空

戯曲はその後、三本読んだ。読んで考える。考えながら読む。残りはあと一本。読み終えるのが惜しいような気持ちになった。感想を書きたくもなるけれど、選考会までは黙っていよう。沈黙。一切、語らないね、俺は。
早朝、「webちくま」の連載原稿を書く。少し眠ってから、午後、新潮社へ。「新潮」のY編集長、M君、Kさんに会う。Y編集長とは初対面である。いろいろお話をうかがう。三月に発売される「新潮」の四月号に掲載されることになった。で、2月8日までに書き直す約束をしたが、適確な意見に納得しつつ、そんなにうまく書けるか自分のほうが心配になるよ。岸田戯曲賞の選考会はこんどの月曜日だ。それが終わったら小説に集中しよう。ほかにも仕事はいくつかあるけれど。うーん、まずいな。でも、なんていうんですか、ごまかさず、最後まで逃げず、ねばろうと思った。って、あたりまえのことだけどさ、そのためにはけっこう体力がいるな。あと八王子とはべつに行きたい場所が新たにできた。地図で調べたら意外に近い。近々、行ってみよう。それはまたべつの話。
深夜、『ニュータウン入口』がBSで放送された。コンピュータにっていうか、つまり、Final Cut Proでキャプチャした。作品は二時間二〇分ぐらいあるはずだからこれをDVDに焼くとなると一枚で可能なのかな。二層のDVDってやつがあるけれど、あれで一枚に記録することがコンピュータでできるのだろうか。よくわからない。そういえば筑摩書房のIさんからもネグリが来日する件について、仕事でもらったメールで教えてもらったのは、「高円寺ニート組合」のというか、「素人の乱」の松本哉さんが、ネグリとともにシンポジュウムに出席するという話だ。これは必見である。だけど大丈夫なのか。ネグリが機嫌を損ねなければいいが。ほかにもさまざまな催しがあるようだ。そうした件については、こちらのサイトに詳しい。さて、岸田戯曲賞の選考のために最後の一本を読もう(と書いているうちに候補作を全部、読み終えた。これから考える)

(9:01 Jan, 27 2008)

Jan. 23 wed. 「戯曲を読む」

その後も小説を直していた。推敲をすればするほど、直したいところが出てくる。「新潮」のM君と、Kさんから電話があり、感想を聞く。おおむね好評だったのでほっとする。金曜日に新潮社に行って話をすることになった。それで連載原稿をひとつ書き上げ、さらに、岸田戯曲賞の候補作を読む。戯曲を読むのが面白くてしょうがない。すいすいと四作読んで、あと半分。しっかり読み込み、分析をし、選考に備えよう。できたら、気になった作品は二度は読んでおきたい。それが選考する者の、候補者への礼儀ってものじゃないか。ほかにもやっておかなくちゃいけない仕事はある。
ところで、MacBook Airだけど、なんとなく、過去に発表され世間をあっと言わせたAppleのいくつかのメモリアルな製品のことを思い出していて、たとえば、Macの20周年に発売されたスパルタカスとか、あとキューブとか、ああいったものを想記させられた。あの一連の製品の登場はどうだったんだ、その後の評価としては。でも、高いよな、MacBook Air。だけど、マシンパワーはあまり高くない。意外と重い。拡張性が低い。デザインはすごくいい。スパルタカスのようだ。それよりiPhoneが日本で発売されないかな。と考えていたら、ソフトバンクがディズニーと提携して携帯電話を出すという話がニュースになっており、これは決まったな、iPhoneはドコモからそのうち出る。まあ、そんなことはどうでもいいか。
東京にも雪が降った。外に出るとひどく冷えた。株価は下がる。ニュースでは痛ましい事件が報道されている。それから、かながわ戯曲賞の下読みとか、さまざまな仕事をなさっているのでときどきお会いするMさんからメールがあり、アントニオ・ネグリが来日すると教えてもらった。ぜひとも話を聞きに行こう。

(10:59 Jan, 24 2008)

Jan. 21 mon. 「小説を書き終えて」

ようやく小説を書き終えて「新潮」のM君にメールで送ったのは日曜日(20日)の夜だった。八十六枚の小説になった。送ったあとでさらに気になって推敲。よく読むとまちがいも多々ある。おかしな文章になっているところなど、なぜ、気がつかなかったかと思うね、しかし。名前を間違えてたりするからね。最後のあたりでかなりあせった。あせるとろくなことがない。また書き直しだ。でも、これで少し落ち着いた。落ち着いてやらなくてはいけないことをひとつずつ片付けなくては。そうこうしているうちにニブロールを見逃した。申し訳ない。でもなあ、岸田戯曲賞の候補に矢内原があげられているんだよな。いま会ってしまうとなあ。冷静に判断できない気もしていたのだった。
でもまだやることがある。連載原稿をひとつまだ書き上げていないばかりか、「webちくま」は毎週のように締め切りがある。で、はじめ、あの連載は3枚から4枚程度ということになっていたが、ウェブでの連載だからあまり枚数にこだわることもないんじゃないかと考え、毎週、書きたいことを書いているうち、九枚とか十枚ぐらい書くときもあり、平均すると八枚ぐらいは書いているのではないか。で、もうかれこれ二百枚ぐらいになったらしい。なんというハイペースだ。あっというまに単行本になってしまうではないか。ああ、そう考えていたら、幻冬舎のTさんにも早く会ってなにか新しい仕事の話をしなければとか、「en-taxi」のやはりTさんとはもう何ヶ月も前から食事をしようと連絡を取りながらつい忙しさにまぎれて会えずにいるなど、不義理ばかりで申し訳ない。なかでも岩崎書店のHさんとは絵本を作ろうと話してからもう十年近くなっていないだろうか。迷惑をかけるにもほどがあるというものじゃないか。
白夜書房のE君からも新たな提案があり、ほんとにありがたいことです。「一冊の本」の連載もそろそろ終わりに近づいているので、その相談もしようと朝日新聞社のOさんとメールでやりとりしているのだが、終わりそうで、なかなか終わらないよ、この連載が。もう十年以上も連載している。どうなんだ。単行本化するにあたっては通読して書き直しをしなくてはいけないだろうな。
そんな日々のなか、いま、「戦後」についてあらためて考えていたのは、三島由紀夫のことをふと思ったからである。三島が憎悪した「戦後」についてもっと考たいと思うのは、僕のような世代が、「戦後」を実感した最後だと考えるからで、その感触をもとに観念の問題としての「戦後」はようやく浮かび上がるのではないかというか。生前の三島由紀夫と寺山修司の対談を読むと、文学について二人は語っているが、表面にあらわれない、二人が共通して抱いていたなにものか、それがきわめて昏いまなざしだとしても、背後に潜んだ「それ」をあらためて読み直す必要がいまこそある。それはけっして単純に語られるような「政治的」な言説じゃないし、同時に、だからこそ、きわめて現在的な政治性を帯びた思想なんだろう。昏い。ひどくそれは昏い。彼らの昏いまなざしがやはり文学だったから、では、新しい文学や演劇のために読むべきことはなにか、その「なにか」を考えることを「したい」と思ったのだ。

(5:42 Jan, 22 2008)

Jan. 19 sat. 「焦燥する日々」

ずいぶん、更新が滞ってしまった。こんなに書かなかった月は、こうしたノートを書きはじめてからいままでになかったのではないか。いろいろなことが重なって忙しかったり、しなくてはいけない仕事ができずにうつうつとしていたりと、あれこれあったのである。書かなくてはいけない仕事関連のメールにいまだに返信ができていないのだ。早稲田の岡室さんから四月からの授業について問い合わせがあったのに、どうしようかなあとか、シラバスも書かなくちゃいけないんだけど、授業の内容についてイメージが曖昧だとか、いろいろあって返事ができなかったのだ。そうか、まずそのことを返事に書くべきだった。その他もろもろ。連載原稿、イレギュラーの原稿など締め切りもあったし、なによりそれらと平行して小説を書いていた。あとひといきになった、っていうか、ほぼ書き終えた。推敲しつつ、最後の部分が納得できず、書いては書き直し、書いては書き直し。
なにをやっていたんだ、この間、俺は。小説のことでわからないことがあったから、また八王子に行ったのはきのうのことだ。で、古い八王子の住宅地図をさらに子細にながめていて、あることを発見。それについてどうしても目を通しておきたくて六〇年代に刊行されたヌーヴォーロマンの小説を神保町の古書店まできょうは買いに行った。
それでもって、やらなくちゃいけない仕事が次々と迫り、焦燥しているうちにこのノートも書けなかったという次第。ニブロールも観に行きたいが、いまは焦燥感ばかりつのって落ち着いて舞台を見る余裕がかないよ。来週からは、岸田戯曲賞の候補作を読もう。それも焦る。毎日、焦っているうちに、深夜、小説を少しずつ書き、だめだ、おれはなにをしているんだ、とうつうつしているうちに眠くなって明け方、床に入る。そんな日々。もっと落ち着いたら、書きたいことはいろいろあるから、更新もさらに続くだろうと思う。まずはメールを書こう。書かなくてはいけないメールがたくさんある。

(5:05 Jan, 20 2008)

Jan. 13 sun. 「Something in the Air」

Macの世界ではいま、「Macworld Conference & Expo 2008」の開催を目前にして、たとえば、とても薄いMacBookが発表されるのではないかといった話題でもちきりだ。今年のキャッチコピーは、There's Something in the Airだという。それを受けて一部ではワイヤレスのなにかが発表されるといった憶測も登場しているが、私はこの言葉を目にしてすぐ、次の歌を思い出していたのだった。というか、この歌に想をえてこのコピーを作ったと思える。

 Thunderclap Newmanの、「 Something In The Air」という曲。スティーブ・ジョブスにはそうした感覚があるのではないか。アップルという会社にはこの精神がどこかに存在していると思えてならない。10年以上前に公演した『箱庭とピクニック計画』でこの曲を使った。映像にかぶせて流したが、映像のなか、ボクデスの小浜が自転車でものすごく走ったのもいまはもう懐かしい話。
で、予約してあった『広辞苑』(岩波書店)の第六版が届いた。予約すると「広辞苑一日一語」というものが付録についてくる。新書版の大きさの、ぱっと見、まさに黒い色をした「岩波新書」だ。これがすこぶる面白い。このことは、「webちくま」の連載に書こうと思うのだ。その後、掛川から帰り、また仕事だ。小説をちょっとずつ書く。やけにきょうは冷える。

(2:38 Jan, 14 2008)

Jan. 11 fri. 「仕事で大阪へ」

ずいぶん更新が滞っていたのにはわけがあって、まあ、小説のことで焦っているというのがいちばんだけれど、いま、私は掛川にいる。大阪で仕事があって、その行き帰りの途中、父親に会っておくための帰省である。大阪では講演の仕事。平田オリザ君から去年の12月に連絡があって、平田君が開いている若い演劇人を対象にした研究会におけるイレギュラーの特別講師である。僕がかんちがいしていたのは、一般にも公開されたものだったことだ。僕は小規模な勉強会のようなものだと思っていた。ここで宣伝しておけば、またたくさんの人に来てもらえたのではなかったか。失敗した。
で、また三時間ほど話をする。終わってから会に参加した方たち、それから事務的なことを進めてくれた、二人のI君らと居酒屋へ。途中、平田君も加わって、深夜、おそくまで話をした。大阪の小劇場の人たちの活動など、いろいろなことを聞いた。深夜、お開きになって、中心になって、僕をこの研究会に呼んでくれ動いてくれた、「フランスパン」という大阪を中心に活動している劇団のI君がホテルまで送ってくれた。I君とはそこで別れたが、来月、彼の舞台がアゴラ劇場であってスケジュールが合えばそのアフタートークに出るかも知れない。この日は寝不足だし、少し疲れていたので、部屋に入ったらばったり倒れるように眠った。
で、きょうまた掛川に戻る。父親が介護を受けている病院に顔を出した。かなり意識がもうろうとしている父親は、人の名前が思い出せなくなっているが、なぜか、僕の名前だけはすぐに出る。これがいま、わが家における謎になっている。なにしろ、妹の名前は思い出せないのである。とはいうものの、意識がはっきりしているんじゃないかという謎の行動もときにはすると、介護を手伝っている妹から聞いたが、看護士さんのなかにとても太っているかたがいるらしく、その人が通り過ぎたあと、父親がぼそっと、「横綱」と呟いたという。ぼけてんだか、なんだか、よくわからない。

NHKのNさんからメールをもらった。『ニュータウン入口』は、今月、1月25日(金)の深夜24:10から、BSで放送されるとのこと。さらに4月に地上波の芸術劇場で、再構成版が放送されると決まったとのよし。この再構成版のために一仕事しなければならないが、これはこれで面白そうな仕事だ。新たにロケシーンを加えてまさにテレビ放送用の『ニュータウン入口』になるだろう。少しずつ小説は進んでいる。ただ、移動などで忙しく、ほんとに少しずつの進展。でも、あと一息。

(7:29 Jan, 12 2008)

Jan. 5 sat. 「空シリーズ」

空と、片隅に写る森

空と、片隅に写るマクドナルドの看板

なぜむかしの人は、「このままじゃ、年を越せない」と言っていたのか考えるうちに正月も終わってゆくが、正月を迎えるにあたって、大掃除をし、身辺を整理し、借りていたものは返し、いらないものは捨て、いやなことは忘れ、これを機会にリセットするのが年越しということだったのだろう。借金があったりすればリセットができない。リセットのタイミングが一年という時間で、これがけっこう人の生活にとっては都合のいい時間だ。三ヶ月おきにリセットでもよかったんじゃないかと思うが、それはせわしなく、かといって四年にいっぺんのリセットは長すぎる。年は越したかったんだ、誰しも。リセットして新鮮な気持ちで、また、一からやりなおしがしたかった。
年明けを両親の住む掛川で迎えるため東名を走ったのは大晦日の夕方だった。ラッシュを避け、年が明けるまでにと思ってクルマを走らせた。少し渋滞。「自然渋滞」というやつはどうして発生するのか、そのメカニズムをなにかで読んだ気がするが、しかしやはり釈然としない。それで、元旦を掛川で迎えたものの、一年の計は元旦にありともいうので仕事をしていた。小説を書いていたのだ。それについて読むべき本を読んでもいた。またこの一年も忙しいだろうな。舞台の予定はまったくないが大学がある。早稲田と、多摩美に教えに行く。多摩美はきわめて実践的な戯曲の講座だ。でも、システム化された教育が僕にできるとはとうてい考えられない。実践的にはほとんど役に立たない戯曲講座になってしまうおそれがある。新藤兼人監督にシナリオ入門のような本があり、これが、よくある「シナリオの書き方」といった種類の本とはちがって、最初はめんくらったが、とてもためになった記憶がある。また読み直してみよう。
驚いたのは、ある教科書会社から、このサイトの文章を教科書に使いたいという話が来たことだ。そこまで来ましたか、ウェブってやつは。年賀状もたくさんいただきました。年賀メールもいただきました。ありがとうございます。しかし、あれですね、田舎は空がとても広くて気持ちがいいです。で、メールをもらってこのノートの感想をもらい、なかに写真を楽しみにしてくれる方がしばしばいらっしゃり、考えたのが「空シリーズ」です。メインが「空」という写真をテーマにときどき載せてゆこうと思う次第です。それでカメラが欲しくなった。デジタル一眼レフのカメラをさ。ほしいものはいろいろ。欲しい気持ちがわいてくると、それについて調べるのが楽しくなるから困る。そんなことをしている場合じゃないが、ついいろいろ調べて、あのカメラと、このレンズがいいんじゃないかとかね、データを集めたり、人の評判を調べたりするのが愉楽になってしまう。これで実際に、ブツを手に入れると、とたんに飽きるんじゃないか。そこなんだよ、問題は。飽きるんだよ、すぐに飽きる。今年の目標は、日常に耐えることだ。仕事をまめにやろう。小説をたくさん書こう。舞台のことも考えよう。いま、新作舞台のタイトルだけは思いついた。『あたらしい遊園地』だ。『遊園地再生』という舞台を上演してからもう18年。「再生」は終わった。その「あたらしい遊園地」は、新しくて希望にみちているだろうか。べつになにも変わっていないかもしれないし、ことによったら悪くなっているかもしれない。あ、タイトルで思い出したが、いま書いてる小説のタイトルは誰に話しても笑ってもらえる。それもお楽しみに。といったわけで、新しい年がはじまった。

(6:01 Jan, 6 2008)

Jan. 1 tue. 「謹賀新年」

年賀状

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。遊園地再生事業団と、そして、「富士日記2.1」への支援、そしてご指導を心よりお待ちしております。宮沢は今年こそは久しぶりの小説を発表するでしょう。皆様にとっても今年がよい年でありますように。世界が無事であってくれればと、そして、すぐ近くにいる誰かが幸福であれば、なにより自分がいちばんですけれど、遠くにいるまだ知らぬどなたかについて想像を働かせ、ささやかでも、私にできることがあれば、たとえばつまらぬ僕の話で笑ってくれればと願っています。今年もこのノートはどこまでも、性懲りもなく続くでしょう。

(1:45 Jan, 2 2008)

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