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Published: Feb. 4, 2005
Updated: Mar. 1 2005
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Feb.4 fri.  「まだ、耳鳴りがしているような毎日だ」

■この数日、ノートを再開しようと気は焦るものの、どんなデザインにしようか、タイトルはなににしようか迷っていた。で、結局、「富士日記2」になったのである。落ち着くところに落ち着いたな。なにがだよ。いまだに耳鳴りが続いているような毎日だが、みんなはどうしているかなど、これまでの舞台ではあまり考えなかったことが気がかりになっているのは、やはり一年が長かったせいだ。だけど、他人から見たら、たいしたことではないだろうし、いまも数多くの舞台が世界中で上演され続けている。ここに立ち止まっているわけにもいかない。
■で、『トーキョー/不在/ハムレット』のことを自分としてどうまとめたらいいか、考えることはいくつもあって、そのひとつが、「一年間の稽古」についてだ。いったい誰が「ほぼ基準となっている稽古の時間」を決めたのだろう。それはたいていが、一ヶ月から、長くて二ヶ月となっており、長い経験のなかでそうなったのだろうか。というか、一年間に何本上演するといったスケジュールによって定められた基本かもしれない。過去の例から(たとえば、スタニスラフスキーがいたモスクワ芸術座とかね)細かく「稽古時間」を調べる方法はないものだろうか。それらを分析すると「稽古とその時間」についてあきらかになる資料を作ることができるように思える。「一年間の稽古」がことさら新しいことだとは思えぬのは、「劇団」はそこに所属する限り、基本的には所属していることがすでに「稽古」だと感じるからだ。基本トレーニングもあるだろうし、試演のようなものはしばしば実験的に行っているのではないか。ここらに関しては研究者的な興味ももちろんあるが。
■そんなことを考えている私は、「演出家」である側面が強くなっているが、それでもやはり、「劇作家」でもあるので、「劇作」についてまだ自分では納得のいかないことをもっと学ぼうと思い、それにはやはり公演をするしかないのだ。『トーキョー/不在/ハムレット』のような規模の大きめな舞台ではなく小さな公演のために、書きたいことを書けるような環境を作りたいと思い、「いま、このことを書きたい」と思いついたらすぐに書き、すぐに上演できるようなシステムがあったらこれにますさるものはない。あるいは、過去に書いた戯曲を書き直して簡易な上演形態で発表する方法もあるように思える。

■2月1日(火)、夜、新潮社のN君と、M君に会って食事をする。こんごの小説の話などだ。いま書いている『28』はもう460枚ほどになっているが、これをいったん忘れ、百枚ぐらいの作品を書いたらどうかという提案がM君からなされ、で、この百枚といった長さの小説が僕にはうまく書けない気がしてならず、そこにはなにか「技法」があると想像する。30枚ほどの短編は書いた。50枚にしようと思っていた小説は、気がついたら250枚になっていた(『不在』文藝春秋)。100枚っていったいなんだ。二人はともに、『トーキョー/不在/ハムレット』を見てくれうれしい感想を話してくれた。それで話している途中で、二人だけの対談になって対談のテーマは「私のこと」である。本人を前にして二人は、私を分析するのだった。二人には勇気づけられる。よしぜひとも書こうと思いつつ、さて、なにを書こうかとそこで立ち止まる。書きたいことは無数にあったはずだが、いまうまく切り出せる言葉がみつからない。単純に面白い小説を書きたいとしか口にできないもどかしさだ。そして、新潮社のPR誌「波」にエッセイの連載をしようとN君の提案。まあ、仕事の話ばかりではなく、クルマのことなどいろいろ。
■2月2日(水)。休む。なにかしようとするのをぐっとこらえ、休むことにした。
■2月3日(木)、朝から、「かながわ戯曲賞&ドラマリーディング」の候補作を読む。最終審査に残ったのは四作。去年は11作。応募総数は去年を上まわっているという話を聞いたが、第一次審査の段階でこの四作に絞られた意味が知りたかった。読みつつメモを取り、いろいろ考えているうち一日仕事になった。六日に横浜のSTスポットで公開審査がある。もしひまだったら足を運んでほしい。前から読もうと思っていた、森達也監督と姜尚中さんの対談本『戦争の世紀を超えて』(講談社)を読む。舞台が終わり少しずつ本を読む余裕ができてきた。出すばかりだったので、入れなければと思う。しばらくは入れることに集中しようと思った。だけど、先に書いた「かながわ戯曲賞&ドラマリーディング」のリーディングの稽古が三月からまたはじまってしまう。どの作品が選ばれるかわからないが、『トーキョー/不在/ハムレット』に出演した何人かには作品に合わせて声をかけようと思った。でも、みんなも忙しいだろうな。なにより、バイトをしているのではないか。生活しているのではないか。

■そういえば、『トーキョー/不在/ハムレット』の感想は様々な観点があって、興味深かったが、たとえば、映画『
be found dead』の大阪上映で奔走してくれた神戸のKさんのブログでは「衣装」についての面白い考察があってなるほどと思った。杜李子の青い衣装は「日常的にありそうで、絶対存在しない虚構性がある」という感想はまったくそのとおりで、つまり、ここにおいてあれは「死に向かう衣装」として期せずして効果的だったようだ。あるいは、精神病院のパジャマはなぜボタンなしの白衣のようなものとたいてい決まっているかKさんは疑問を呈し、出所はどこかと書いていたが、その出所はおそらく、『カッコーの巣の上で』だ。
■2月4日。朝、「
Mac Power』の原稿を書く。送信。また演劇のことを考えていた。「かながわ戯曲賞」の候補作を読むことでいろいろ考えることがあり、喚起というほどではなかったにしても、それをきっかけに考えることは少なからずあった。それにしても、このページを作るだけで少し疲弊。文章を書くのはなんてことないがデザインが悩む。あと11日のイベント(テアトル新宿・夜11時半開演)にはできるだけたくさんの方に来ていただきたい。これでひとまず、『トーキョー/不在/ハムレット』は完全に終わる。そして次はあれこれ書く仕事が待っている。「書きなさい」と声をかけてくれる人がいるだけでもほんとうに幸福なことだ。

(9:35 feb.5 2005)


Feb.7 mon.  「考えることはいろいろあるものの」

■ノートの更新がとどこおっているのは、けっして忙しくて書く暇がないというわけではない。『トーキョー/不在/ハムレット』の稽古から公演のあいだは、単に、なにか書きたい、あるいは書かねばならない気分になっていたが、あのころのほうがずっと忙しかった。逆に時間に余裕ができるとノートを書く意欲もあまりなくなり、忙しいときは脳内になにがしかの物質が大量に出ているのであろうと思われる。あるいは、刺激されるなにかに出会ったときにもそれは出てくるにちがいなく、もっと刺激し、喚起してくれる「人」や「もの」に出会いたいと、つくづく。
「かながわ戯曲賞」の公開審査が日曜日(6日)にあった。候補作四本を、審査をする三人がそれぞれの視点から解析し、意見してゆくが、内野さんも松本さんも、丁寧に各作品を読んでいるので感服した。批評家であり研究者である内野儀さん、演出家の松本修さん、そして劇作家の私と、バランスがかなりよかった。とはいうものの、最初に取り上げた戯曲について二人が話しているのを聞いているうちにそのことに気がつき、だったら僕は劇作家として話をしなくてはいけないのじゃないかと自覚し、あらかじめ用意してきたメモからなんとか劇作家らしいことを話そうとしたつもりだが、じゃあまったく異なる意見になるかといえばそうでもなかった。やはりよく似た感想になってしまうのは仕方がなく、審査をめぐって対立することがほとんどなかったのは、どこか共通した演劇観を持っている三人だったからだろう。あとになって、べつの戯曲賞の話を聞いたが、選考がかなりわかれたとのことで、詳しく選考委員の傾向など訊ねたが、そのメンバーを見れば、もめるのも仕方がない顔ぶれではあった。
■そんなとき、岸田戯曲賞の今年の受賞者が決まったニュースを知ったが、たしか、受賞者のひとり、岡田君というのは、「かながわ戯曲賞」の下読みをしてくれた岡田君なのではないかと、はっきり確認したわけではないが、白水社のW君のメールで岡田君がSTスポットの契約アーティストだと教えられてそう推測したのだった。宮藤君はいまさらな気もしないではないが、でも受賞はよかったと称えたい気持ちになった。で、関係ないがW君は北川辺町に行ったという。そういえば、まだ北川辺には行ったことがなかったのだな。『トーキョー/不在/ハムレット』のパンフレットを作ってくれたり、京都の公演まで観に来てくれたりと、すっかりこのプロジェクトにコミットしてくれていたので当然、北川辺には行っただろうと思っていたのもばかな話で、ふつうに考えると、人はあまり、北川辺に行くことはないのだった。

■話はさかのぼるが、土曜日(5日)は、東京オペラシティのなかにあるNTTインターコミュニケーションセンターで「アート・ミーツ・メディア――知覚の冒険」展というものを見た。ちょうどトークのようなものをやっていて、そのむかし(もう20年近く前)、ある本について書評を頼まれうっかり「ばかやろう」と書いてしまったことが私にはあるが、その本の著者であるところの、ある人が話をしていた。若気のいたりである。さて、「メディアアート」といったジャンルの美術作品には興味があるものの、どこかきわものめいたところがあって、よほどのことがないと感心しないが、しかしなにか喚起されることもないわけではない。あるいは、簡単な印象だけで作品を判断し見過ごしていることも数多くあるのではないか。もっと考えればそこから刺激され、べつの領域の、それはもちろん演劇のことになるけれど、創作にとってヒントになることはきっとあるはずだ。なぜなら、きわものめいているとはいえ、面白い試みがいくつもあるからだ。ただなあ、単にコンピュータをはじめデジタルなものは面白いですといったレベルの作品はいまやどうでもいい感はいなめない。
■そして「かながわ戯曲賞」の選考が終わった翌日の月曜日(七日)、三月にあるリーディング公演のため「かながわ戯曲賞&リーディング公演」を担当する制作の方に会って出演者などの打ち合わせ。あちらの意向は、いまの潮流であるところの「どちらかといえば観客動員が期待できるキャスティング」だった。そうなのか。こういった場所でもやはり、そういう傾向にあるのか。世田谷パブリックセンターでも去年のいまごろスコットランドの戯曲でリーディング公演をやったが、やはり指定がいろいろあった。そうした傾向を否定するつもりはないとはいえ、みんながみんな、そうなっていることに奇妙な思いをし、で、それはある種の合理主義だと考えていたのだが(つまり、舞台をひとつ作る全予算をどう配分するのが有効かと考えたとき、観客動員が望める俳優を呼ぶことにお金をかけたほうが賢いという合理主義)、またべつの構造も見えてきた。わかったぞ。わかったけれど、いまはまだ、それを書く時期ではない。ま、そんなにたいした話ではないが。
■あ、そういえば、選考会のあと松本さんに見せてもらったのは唐十郎さんの新作の台本だが、驚いたのは、「ガリ版刷り」だったことだ。「ガリ版刷り」の台本が糸で止めてきれいに製本されている。すぐに想起したのは古典芸能の、たとえば浄瑠璃などの台本のことだが、ああ、そうか、そうなのだな、「ガリ版刷り」にこだわるこのやり方は、すでに「古典」という領域の「形式」や「様式」を重んじる世界でのふるまいだ。驚いたなあ。驚いたけれど、「ガリ版刷り」はなかなかに味があるから困りものだ。まあ、そういったことも含め、考えることはいろいろあるものの、今月こそは「ユリイカ」の連載を書かねばならないと思っているのだ。

(15:39 feb.8 2005)


Feb.8 tue.  「タワーレコードで」

■家からいちばん近い繁華街は新宿になるわけだが、新宿周辺にあった大きめのCD屋が次々なくなっていることが気がかりだ(まあ、新宿西口あたりの小さなレコード店がどうなっているか、最近、とんと行っていないのでよくわからない)。で、以前、そこにCDを買いに行ったら風邪のウイルスをうつされたことからずっと敬遠していたタワーレコード新宿店に決死の思いで出かけたのは、なにかCDを大量に買わずにいられない気分になっていたからだ。だが、なにを買おうか悩みぬいてフロアをぶらぶらし、いろいろ試聴したりもしたが、結局、なにも買わずに店を出てしまった。もちろん、買う寸前まで心が動いたCDがなかったわけではない。たしかにいまこれに興味を抱くが、果たしてそれはほんとうに私にとってぜったいに必要な音楽だろうかと考えているうちにですよ、いや、これはちがうな、こっちもちがう、これを聴くような年齢じゃない、とかよくわからないことを考え、さらに考え、だからってこんなかっこ悪いものは聴きたくないといったことをなおも考えていたら、なにも買えなかった。いまではすっかり舞台の音楽は桜井君に任せているものの、たとえば去年のプレ公演で流していたのは基本的に僕の選曲だ。舞台で使う場合と、日常的に聴こうと思う音楽はちがう。
■渋谷にあるレコードショップ「
CISCOのサイトはこのうえなく便利にできている。試聴ができて通販もしてくれる。その視聴できる曲の尺が長いのでそれをきいているだけでもけっこう楽しめるのはありがたいし、かつてなら、「CISCO」に行かなくちゃ手に入らないレコードもけっこうあった。いまはもうなくなってしまった「パイドパイパーハウス」とかね。で、インターネットは便利だ。こうなるともう、全国どこにいたって関係ない。ただ、それは「amazon」で本を買うのも同じことだが、レコード店に実際に足を運ぶことでべつの感触をそこから得ることもまた、「からだ」にとって意味のあることではなかろうか(地方にいて、東京はいいよな、なんでもあってと、悔しがることもまた、「からだ」になにかをもたらすのはいうまでもない。というか、中学生のころの僕がそう感じていたわけだし)。
■と、そんなことを書いたのは、この春から新しい大学で教えるにあたって授業でなにをやるか考えていたからでもある。京都の大学ではまず一年生には「身体表現基礎」といった内容で、「からだ」を様々に動かすことをしたし、二年生以降の学生とは舞台を作る授業をした。基本的にはよく似た授業内容になると思うが、なにかもっとできるような気がする。つまり、「からだ」への異なるアプローチがまだあると思える。以前まで、「身体解放とはなにか」でずっとそんなことを書いていたが、それからすでに年月は過ぎ、『トーキョー・ボディ』『トーキョー/不在/ハムレット』という二本の舞台を経験したことでまた異なる「からだ」への考え方が生まれつつある。それがどういったものになるか、見通しはぜんぜんたたないものの、授業を通じてなにか見い出せたらと思うのだ。で、早稲田には「演劇専修」と「文芸専修」のクラスがあって、「演劇専修」は、まあ、「演劇」の授業になるのは当然にしても、「文芸専修」の授業はもっとちがうことをしたい。もちろん基本的には、小説や戯曲についての講義ってことになっているが、その内容はいろいろ工夫できるように思え、たとえばいま思いついたのは、毎月はじめにやるのが面白そうな、「今月の文芸誌を読む」だ。たとえばそれは、「表紙」のデザイン比較とか、「裏表紙」になんの広告が入っているかとか、全何ページあるか、すると一ページあたりの値段はいくらになるか(というのはかつて、蓮實重彦さんが小説そのものについてやっていたのだが)、「各文芸誌」の今月の目玉など、よくわからない内容だが、とにかく、私自身が面白ければそれがきっといい授業になるにちがいない。

■それでしょうがないからまた紀伊國屋書店に行き、何冊かの雑誌を買う。その一冊、「大航海」は「身体論の地平」という特集だった。大澤真幸さんの文章が読みたかったから手にした。で、偶然というものはあるもので、青山真治さんとはじめて会ったのは、京都大学の大澤ゼミが主宰したシンポジュウムのようなものに参加したときだが、それを主導して会を開いてくれた当時は京大の学生だったS君から『トーキョー/不在/ハムレット』京都公演を見たという感想のメールをもらった。読む者を意図的に戸惑わせるような感想だったというか、正直、なにが書いてあるのかよくわからなかった。でもわざわざ劇場に足を運んでくれ感想メールを送ってもらったことにとても感謝した。
■それにしても、きのうも書いたようにある主流というべき傾向(観客動員が期待できる俳優による舞台)がこの国の演劇を一方で形成しているが、まあ、それはそういったもんだろと思いつつ、人から話を聞くところによれば様々な試みがぽつぽつ出はじめているのを知り、それを一括りにすることはけっしてできないにしても、そうした潮流もなければつまらない。つまらない状況になってしまう。それはおそらく、オルタナティブ(このあいだ、新潮社のN君が僕の舞台について話してくれたなかで出てきた言葉だが)なものとしてこれからもっと注目されるにちがいなく、それに可能性がなかったら、つまらない劇の状況はどこまでも閉塞してゆくだろう。まだ、もっとなにかあるはずだ。だからきっと、なにを聴けばいいんだといらいらしながら、私はタワーレコードのフロアをうろついていたのだ。

(16:51 feb.9 2005)


Feb.12 sat.  「エリ・エリ・レマ サバクタニ」

■五反田にあるイマジカで、青山真治監督の新作『エリ・エリ・レマ サバクタニ』の初号試写を見たのはもう10日(木)のことになるが、いろいろあってずいぶん以前のことのように思いつつ、11日(金)の深夜、テアトル新宿で『
be found dead』DVD発売記念オールナイトイヴェントに来ていただいた、「en-taxi」のTさんや、『亀虫』の冨永君と、『エリ・エリ・レマ サバクタニ』についてかっこよかったよねえ、といった話をしたのだった。で、映画のことを書きたいがまだ初号試写だし、これからまだ音を変更するらしいと冨永君から話も聞いたし、もういっぺん観てからなにか書こう(書けないかもしれないが)。とにかくひどく単純な表現で申し訳ないが、かっこよかった。めちゃくちゃかっこよかった。これじゃ大人が書く文章しゃぜんぜんないがいまはそれだけ記しておこうと思うのは、これから観る方に申し訳ないのもある。
■九日(水)のことがまったく思い出せない。あ、サッカーを観たか、テレビで。
■時間感覚が奇妙になったのは、「オールナイトイヴェント」のせいで11日の深夜から12日の朝まで起きていて、ということはつまり、11日がやけに長く感じたせいだろう。で、イヴェントには『トーキョー/不在/ハムレット』に出演した俳優たち、『
be found dead』の各監督、『トーキョー/不在/ハムレット』の映像を作ってくれた高橋君、同じニブロールの矢内原美邦さん、先に書いたen-taxiのTさんや、白夜書房のE君、そして、きょうのトークの進行役を務めてくれる白水社のW君も来てくれた。トークはですね、私は緊張感がまったくないまましゃべりすぎたとあとになってひどく反省した。へこんだ。各監督の作品の上映もあったがそれぞれ面白かった。当然といえば当然だが、作品にその人が如実に出る。刺激もされる。また映画を作りたいような気持ちになった。
■で、舞台も観に来てくれたある青年がやはりテアトル新宿に足を運んでくれてうれしかったが、それというのも、この10年以上、舞台があるたび必ず来てくれるし、僕の舞台がどんなに質が変わり、方法や考え方が変わっても必ず観てくれる。そして劇場で顔を合わせると「やあ」と軽い挨拶をし、少し話をするけれど、図々しいところがまったくなく、いつも遠慮がちにそっと声をかけてくれるその距離の取り方がとても気持ちのいい人だ。名前を聞いたことがあっただろうか。聞いたことがないような気がするが、劇場で、彼の顔を見るとほっとする。僕の劇を観てくれる観客はどんどん変わってゆくけれど、でも、こうしてずっと観続けてくれる人がいると思うとそれだけでうれしい。その彼はいま、ある集団を作って舞台の活動中だとの話だが、女性中心で作っているというその集団の名前がすごかった。どんな舞台かなんとなく察しはついたが、まあ、エロティックなものであろうと思われた。わたしはべつに否定はしない。けっして否定してはいないのだ。どんどん活動に邁進していただきたい。観てみようかなと思ったほどだが、ただ、「毛皮族」とか、あと「月蝕歌劇団」もそうなのかな、あるいは、「ロマンチカ」、「ボクデス」の小浜や山崎一君がかつて所属していた「パラノイア百貨店」、あるいは、「東京グランギニョール」も含めていいと思うが、ある傾向やテイスト、特別な趣味によって組織、ないしは構成された劇を作っており、なかなか批評言語としてとらえることがむつかしいというか、演劇の体系として把握しずらい人々がいる。しかし、それもまた劇だ。そうした劇をどんなふうに考えたらいいかは、もうずいぶんむかし、15年前ほど前に文章に書いたことがある。いまだにわからないが、ただ言えるのは、なんにせよやはり、完成度や表現の深さが議論の対象になるのはまちがいない。というか、そうした劇はしばしば「趣味」で完結しそれ以上にならないことが多いからだ。それにしても、その彼の顔を見るたびうれしくなる。とても励まされる。

■そして、このイヴェントをもって『トーキョー/不在/ハムレット』の一連のプロジェクトはすべて終わった。きょうも劇場に来てくれた俳優たちにはほんとうに感謝した。終わってからあまり話しができなかったのは残念だったが、終わったようなまだ終わっていないような、どこからがはじまりで、どこが終わりなのかよくわからないまま、『トーキョー/不在/ハムレット』はあった。それは仮に作られたこの一年限定の集団の名前だったのではないかといまでは思うのだ。劇場の外に出たのはもう午前六時過ぎだった。がらんとした新宿の靖国通りを歩くとひどく寒かった。まだ空は明けていなかった。

(17:15 feb.12 2005)


Feb.14 mon.  「原稿に苦しんでいる」

■作家の生まれた年や、享年が何歳だったかぐらいは知っていたが、命日のことなどなにも知識を持っておらず、あれは何年前になるのか、たしか、なにかの芝居を観たあと新宿の飲み屋にいたとき用事があって携帯電話で誰かと話していた。電話の相手からある作家が死んだことを教えられた。少し驚いた。すぐに同席していた松尾スズキに、「中上健次が死んだよ」と話したことをよく覚えている。あれはいつだっただろう。松尾君に声をかけたその状況はしっかり記憶しているが、時間はまったく覚えておらず季節さえもうすっかり忘れている。後藤明生さんの『日本近代文学との戦い』(柳原出版)を読んでいて、夏目漱石が死んだのが、大正五年(一九一六年)の十二月九日だということをはじめて知った。人なんてものは、自分を中心にすえて世界を見がちなので、ここではどうしたって、「十二月九日」という日付に注目することになり、さらに、「一九一六年」が気になった。それからちょうど四〇年後の十二月九日に私は生まれたが、だからなんだって話だ。ただ、もしも漱石が百歳まで生きていたら、私が十一歳ぐらいまで同時代を生きていたかもしれないということに軽い驚きもある。可能性はあったという驚きだ。
■『日本近代文学との戦い』の「二葉亭四迷」について書かれた小説(これぞ小説だ。ちょっと読むとエッセイか、小説論が書かれているかのようだが、「物語」ではなく、まぎれもない小説だ)を読んでいて、しばしば出てくる坪内逍遙でひっかかるのは、何年か前、筑摩書房から出された『明治の文学』の「逍遙の巻」の解説を書いたあの苦闘の日々を思い出したからだが、人間、これはきっと不可能だろうと思うような仕事をしたほうがいいということをこんなに思い知らされたことはない。まず無理だろうと最初は思った。だって坪内逍遙だよ。で、逍遙の小説、シェークスピアの逍遙訳、文学論を読み、さらに逍遙について書かれた文章をいくつも読んでさていよいよ原稿を書くころには、どんどん面白くなっていき、これがまたどうかと思うほど勉強になった。引き受けてよかった。で、20枚と依頼されていた原稿が、50枚になってしまったわけだが、それを25枚まで削ったのもいい経験になった。いまでも後悔しているのは、「文學界」のOさんに依頼された柄谷行人さんの『トランスクリティーク』の書評を書けなかったことだ。柄谷さんが、カントと、マルクスを論じている。引き受けたはいいものの、この三人の名前で尻込みし、とうとう書けなかった。いや、逍遙のときのように、可能な限りカントを読み、マルクスを読み、格闘するべきだった。それがどれだけためになったかいまではひどく後悔している。書くべきだった。人間、無理だと思うことをしたほうがいいのだな。Oさんにも迷惑をかけたし。
■いまのわたしには、「ユリイカ」の「チェーホフを読む」という連載がそれにあたり、これほど勉強になることはないが、それはもう毎回、死にものぐるいだ。この数ヶ月ずっと休載している。舞台があるからという理由で休ませてもらっていたが、もうその手は使えない。このノートを書く暇があったら原稿をさっさと書けばいいようなものだが、それとこれとはべつだ。よくわからないが。

■それでわたしは、アップル社の
AirMac Expressというものを買ってしまった。Windows機でも使えるはずだが、これが驚くほど便利だ(同じような機能を持ったWindows機専用のものもあるのかもしれないが、AirMac Expressは安価なのも魅力だろうと思われる)。わたしは、PowerBookで使っている。無線でネットに接続できるだけではなく、AirMac Expressをオーディオ機器に接続するとPowerBookから簡単に音楽が流せる。ケーブルがいらないところがポイントで、家のどこにいてもいい。音質も、まあ、ふつうに聴いているぶんには問題ないだろう。音質のことを考えはじめたらオーディオのことやらなにやらでもうきりがないじゃないか。
■さらに、岩淵達治さんの『ブレヒトと戦後演劇』(みすず書房)を読んでいる。演劇というものは、せいぜい記録として残された写真や、読むものとしての戯曲、そして、こうした証言でしか過去を知ることができないのだな。面白いなあ。そういうことになっていたのか。で、いま急に思い出したのは、最近すっかり評判の悪いNHKのことだ。「NHKアーカイブス」や、淡々と報道するニュースなど、わりと私は好意的に観ていたが、つい最近あった、ラグビー中継をめぐるごたごたなど見ていると、そのニュースすら信じられない気分になる。すると、過去のある出来事が記憶によみがえり、NHKのプロデューサーの権威主義的な態度に腹を立て、「うるせえじじい」と言ってしまったのは、やはり正しい行為だったと思うのだ。

(5:42 feb.15 2005)


Feb.16 wed.  「いっぱいいっぱいの日々」

■連載している「
Mac Power」が届いたので僕の文章にイラストをつけてくれる宮本ジジさんの絵を見ようとページを開き、で、自分が今月なにを書いたか確認しようと読んだら、Macについて一行も触れていなかった。なにを書いてもいいとT編集長に言われているとはいえ、今月はそのことをまったく忘れていた。宮本ジジさんにはこのあいだ京都ではじめてお会いした。舞台を観に来てくれたのだった。驚いたのは女性だったことだ。ずっと男性だと思いこんでいたのもどうかと思うが、思わず、「女の方だったのですね」と言ってしまった。申し訳ない。
■それでいま、
Macについて思うところを書こうと考えたがやめた。ただ、iPodがすごく売れているのはよく知られているが、アップル社は、MacユーザーとWindowsユーザーの、どっちがどれくらいiPodを買っているかの割合を発表していないのは奇妙で、というか、ぜったいWindowsユーザーが多いのだろうと思われ、発表できないのだろうなあ、どうしたってそれは。
■そんな私はいま、「ユリイカ」の原稿が書けず、うんうん苦しみ、一行書いては苦悩し、また一行書いては呻吟し、いっさい電話に出ないで家に引きこもっているのだ。するとすぐに眠くなるのは不思議でやたら眠る。ときどき本を読む。そうこうしているうちに、一月に舞台をやっているころイレギュラーの原稿依頼を何本も引き受けていたことをいまごろになって思い出し、みんな同じ時期に締め切りが来る。舞台が終わって気が抜けていたが、ぼーっとしてる場合ではない。ブレヒトの勉強をしようと思っていたがその余裕がない。で、一方で「Jノヴェル」に連載していた「資本論を読む」は終わることになった。いろいろあってもう終わりにしたほうがいいのではないかという結論になったのだった。「Jノヴェル」のTさんにも迷惑をかけてしまった。そんなところにまたべつの仕事の依頼がきたが、安請け合いしては迷惑をかけるので、よく考えてからにしようとあたりまえのことを思うのだった。いろいろな方からメールをもらっていながら全然、返事が書けない。ただしっかり読ませていただいているし、それがとても励みにもなっている。ありがとうございます。ひとつずつ返事をしようと思うが、追いつかないのだ。なにしろ、原稿に苦しんでいるのだ。いま、いっぱいいっぱいである。

(7:52 feb.17 2005)


Feb.19 sat.  「いっぱいいっぱいの日は続いているものの」

■当然のことながら、原稿が書けなくていっぱいっぱいな日は続いている。
■で、気晴らしにと思って、18日(金)は日比谷にある「東京會舘」に行った。芥川賞・直木賞の授賞式だった。阿部君にひとことおめでとうと言いたかったからだが、大きな会場は満員で、誰か知っている人はいないだろうかと少し探したがぜんぜん見あたらない。「群像」で阿部君にインタビューをしていた音楽評論家の佐々木敦さんを探したのは、先日『トーキョー/不在/ハムレット』について丁重な感想のメールを送ってくれたからで返事をだせばいいが、直接、話をしたかったからだ。佐々木さんはとうとう見つけられなかった。忙しくて来られなかったのだろうか。青山真治監督とお会いする。会ってすぐの青山さんの第一声は「もう酔っぱらってます」だ。夕方の四時からすでに飲んでいたという。舞台を「再演してください」と言われたが、「演劇」はほんと一過性のものでそれができたら幸いだと思うものの、諸般の事情で難しいのが現状だ。再演したいのは山々だ。ところで青山さんの『レイクサイド・マーダーケース』が三週間で打ち切りになったという話を聞いて、暗澹たる気持ちになったのは、僕の劇だって観客数は少々厳しい状況になっており、人ごとではないからだ。だめなのか。なぜなんだ。あれはもっと子を持つ三十代の夫婦が見るべきだし、ぜったい損をしない映画だ。
■なんだかいやな閉塞を感じる。人ごとながら、いや、自分にもはねかえってくる問題と、この状況をなんとかならないかと悩むよ。新作『エリ・エリ・レマ サバクタニ』も公開がいつになるかわからないと青山さん。いまじゃなければだめだ。あれは、ぜったいいま公開してこそ意味がある。妙な映画は公開されるというのに、どうなってるんだこの国の映画界は。そして、『エリ・エリ・レマ サバクタニ』チームの戸田君、斉藤君、杉山君、さらに冨永君にも会った。そして白水社のW君も来ていたし、『介護入門』のモブ・ノリオさんも紹介してもらった。「文學界」のOさんがいるのは当然にしても、いるわいるわ、編集者がすごくいる。みんなに挨拶。いろいろな人に取り囲まれている阿部君にもひとこと声をかける。『エリ・エリ・レマ サバクタニ』に出ている姿を見てもそう思ったが、中原昌也君の目は怖かった。いろいろな方を紹介してもらった。でも、久しぶりにこんなに大勢の人がいる場所に来て疲れた。

■19日(土)。夜、曙橋にあるENBUゼミに行き、いま演劇クラスを受講している俳優志望の人たちを相手に講義をする。百人近くいる。もちろん演劇の話だ。これまで考えていたことに、さらに、『トーキョー/不在/ハムレット』以後の考えを付け加え、それでも、かなりの部分をはしょりながら話した。予定では夜七時から九時までだったが、大幅に延長し、終わったのは十時半近くになっていた。しっかり話さなくちゃいけないことがあるんだ。閉塞しているこんなときだからこそ、どうしても伝えたいことがあった。
■それで深夜になって少し原稿を書く。ここにきて、いろいろな仕事を頼まれている。なんといいますか、欲がないとでも言いますか、単行本を作ることにあまり熱意を持ったことがなくて、連載がたまったら、結果的に単行本になっていたというのがこれまでの成り行きだ。でも、もう少し本を出そう。舞台に軸足を置きつつ、それ以外にも仕事をしようと思うのは、身の回りの閉塞に負けちまいそうになることから逃れるためにも、ここはひとつ、こちらから、果敢な攻撃に出なければと思うのだ。今年も「出す」ことになりそうだが、それでもやはり、「出す」ばかりじゃなく入れなくてはと思う。こんなときだからこそ入れる。そして、「入れるべきもの」は無数にある。果てしないほどある。
■そういえば、大阪の寝屋川で事件があったとき、ニュースを見ながらこの小学校の近くに「ここではありません」のYさんの家があったりしてと思っていたら、ほんとにそうだと、Yさんの日記で知って驚いた。寝屋川って、あの小学校と、Yさんの家しかないのかもしれない。まあ、それはそれとして、気になっていることはいろいろあって、最近の報道に関してなど、まあ、書き出したらきりがないのだが、おいおい書いてゆくことにしよう。

(6:23 feb.20 2005)


Feb.20 sun.  「少しずつ」

■たまってしまった原稿を少しずつ書いていた日曜日だ。
■で、突然なにを言い出すんだと思われるかもしれませんが、アコースティックギターが私は欲しくなって、「
Martin D-28」を買いたいとネットで値段を調べたら30万円弱だった。やっぱりそれくらいするのだろうな。悩む。かなり悩む。そんなことで悩む必要があるのかと言われると困るのだが、悩んだんだよ。しょうがないじゃないか。ギターが弾きたくなったんだ。そんなことより原稿を書いたらどうだと言われるかもしれないが、じゃあ、こうしよう。原稿を書く。その原稿料を貯金してギターを買うのはどうだ。文句あるまい。
■そういえば、ほんとはWebデザイナーなのにずっと舞台の演出助手をしていた相馬のブログで、古井由吉さんの『仮往生伝試文』(河出書房新社)のことが書かれていたが、このあいだの受賞パーティで私は古井さんを目撃した。もちろんまったく面識がないので、挨拶もできなかったが、さらにその横に、筒井康隆さんもいらして、以前、私の小説をある賞の選考で評価して頂いたのでお礼を言おうと思ったがきっと迷惑だろうと考え声をかけるのを遠慮した。さらに言うなら、わたしはいま、ドイツのサッカーリーグ、ブンデスリーガーの順位が気になっている。高原の所属するハンブルガーSVが四連勝し、五位まで順位をあげてきた。試合数は残っている。高原の調子はいい。まだまだわからない。そして三月になればJリーグも開幕するのだな。
■で、原稿を書いたり、ギターのことに悩んだり、ハンブルガーSVのことを気にしているとはいうものの、もちろん「新潮」のM君に言われた百枚ぐらいの小説のことも考えているのだ。なにを書こうか、いくつかプランは浮かぶし、これまでに書こうと練っていたテーマや題材もあるが、百枚のものじゃないと思われ、これだという決め手に欠ける。また地図を見て考えようか、それとも、まったく異なることからアプローチするか。百枚の小説について考えている。百枚のことを考えている。でも、そういうことでもないな、小説を書くというのは。枚数ではない。

(19:04 feb.21 2005)


Feb.21 mon.  「きょうはいい天気だったのだろうか」

■もう二十年近い過去のことだが、ある映画評論家に、いちばん好きな日本映画はなんですかと質問され、「いちばん」を選ぶのはむつかしくて口ごもっていたが、そのときぱっと浮かんだのが岡本喜八監督の『肉弾』だったので、そう話した。すると映画評論家は、「え、ATGじゃないですか。岡本喜八だったらほかにもあるでしょう、『独立愚連隊』とか。あれはどうですか、『殺人狂時代』」と言われた。たしかに、『殺人狂時代』は日本映画には珍しく乾いた喜劇として傑作だし、『大誘拐』のなかで僕が唯一興味を持ったのは「タンスが倒れるエピソード」だったように笑いのセンスがきわめてシャープな人だが、そのセンスを持った人が「戦争」をテーマにした『肉弾』にはその片鱗がそこかしこにあって、黒板に文字が書かれ仲代達也のナレーションで語られる冒頭の場面の奇妙な味わいが好きだった。重いテーマを淡々と表現するその語り口が好きだったといってもいい。
■岡本喜八監督が亡くなられたニュースは少しショックだった。『肉弾』を見たのはどこの映画館だったか記憶にない。池袋文芸座地下だったろうか。『日本のいちばん長い日』は小学校五年生くらいのときに田舎の映画館で見ている。なんだかわからないが、なにかが面白くて小学生の私はその映画を二度か三度、見ているはずだ。いったいなにが面白かったかいまになってはもう思い出せないし、そもそも、それが岡本作品だというのはずっとあとまで知らなかった。それでいままた、『肉弾』と『殺人狂時代』が観たい気持ちになった。
■映画の話で言えば、『亀虫』の冨永君から、「こんどテオ・アンゲロプロスの話をしましょう」とメールが来た。アンゲロプロスの作品にはいつも驚かされ、あれはアンゲロプロスにしかできないが、『トーキョー/不在/ハムレット』でアンゲロプロスをやっている人がいると、うれしいことを書いてくれたが、いや、しかし、そんなはずはなく、なにしろ、『トーキョー/不在/ハムレット』は映画ではないからだ。そういえば、このあいだの芥川賞の受賞パーティで会った戸田昌宏君が、『トーキョー/不在/ハムレット』について、「伊勢がかわいく見えたのがむかついたなあ」という意味のことを言っていて、戸田君らしいと思って笑った。「いや、でも、伊勢、よかった」と補足していたものの、戸田君とか岩松了さんとか、柄本明さんもおそらくそうだと思われるが、つまり東京乾電池系の人たちの、女優に対する厳しさはなんだろう。そもそも岩松さんの戯曲にはいやな人間しか出てこないが、なかでも、女のほとんどがろくでもなかったりする。あれが僕には書けないし、演出ができない。でもまあ、岩松さんは一人いればいいわけだが。

■で、わたしが最近、ぜんぜん芝居を観ていないことはよく知られているが、なにか若い集団の劇を見に行こうかと思っているものの、なにを観るべきかよくわからない。っていうか、ほっとくとわたしは、ひきこもる。一歩も家を出ない。「きょうはいい天気でしたね」といったメールをもらうことがしばしばあるが、そうだったのかと、気がつかないことすらあるのだ。誰か俺を外に誘い出してくれ。

(12:07 feb.22 2005)


Feb.22 tue.  「様々なメール」

■ギターのことを書いたら、「下北沢スタジアム」のO君や、かつて僕の舞台に出たこともある、やはりO君から「ギター情報」のメールをもらった。ありがとう。「下北沢スタジアム」のO君は、アコースティックギターもいいけれど、エレアコはどうかという提案。少し心が揺れるものの、いや、信念を押し通そう。後者のO君からは、黒澤楽器新大久保店のことやクラシックギターの話、さらにカメラの話を教えてもらった。そんなに人の物欲を刺激してどうするつもりだ。僕もハッセルのカメラがほしくなっちまったじゃないか。写真家の鬼海弘雄さんの影響である。で、さらに調べたら、一九六〇年製作の、「
Martin D-28」は124万円だとわかった。クルマ買おうかな、それだけ出すんだったら。
■外に誘い出してくれという話にもすぐに反応があって、ライターをなさってるFさんから芝居の誘いを受けた。ありがたい。そういえば、最近文庫本になった、『サーチエンジン・システムクラッシュ』だが、文庫ではじめて読んだという人から感想のメールをもらい、しかし、自分でも忘れていることがあったので読み返してみたのだった。忘れていることが意外にあるものだ。こんなことを書いていたのか。あのころ池袋を何度歩いたかわからない。『不在』を書いたときも北川辺に何度か行ったが、「池袋」を歩くのと、「北川辺町」に行くのではまったく異なる意味があり、まずいちばん大きいのは、免許を取ってクルマに乗るようにならなかったら北川辺に行かなかっただろうと思うことだ。で、池袋はよく知っているつもりの町を、何度も歩くことでべつの視点から見つめる作業だった。『サーチエンジン・システムクラッシュ』は、いちいち、でたらめなことになっている。わけのわからない人物が次々出てくる。ほとんど冗談で書かれている。しかし、どちらの小説も、まったくカタルシスがない。なんの謎も解決されない。そうだ、こんどは、はじまると同時に、謎が解決する小説を書こう。いきなりなことになっている小説だ。で、そこから500枚ぐらい、謎の解決してしまったのちの、どうでもいい日常がえんえん続くというのはどうだ。
■『サーチエンジン・システムクラッシュ』を書いていたころ、桜井君や何人かと一緒に、「いまのからだを見にゆく」という催しをしたのだったな。西麻布や青山あたりのクラブに行って踊っている人を見たが、そのとき見たクラブのことが小説のなかに生かされている(きわめて偶然だったが)。あれからもう五年以上経っているのではないか。きっとまた変化しているだろう。いま、音楽シーンになにか新しい動きがあるのかいろいろ探っているところだが、すごくストレートなロックをCDで聞くと、フジロックみたいな夏の大きなライブなんかではきっと盛り上がるだろうなと想像し、でもCDだけで聞いているとあまり面白みを感じない。で、いろいろネットのリンクをたどってゆくうち、すでに「渋谷系」という言葉は死語ではなかろうかと思っていたところ堂々と書かれているサイトがあって、それ、鹿児島で活動している人たちのサイトだったんだけど、どうなんでしょう、「鹿児島の渋谷系」というものは。それはさておき、「渋谷系」の次は、じゃあ、「池袋系」かといった話ではなく(むろん「秋葉原系」でもないよね)、つまり「系」で考える文脈がもうとっくに無効になっている。ような気がする。ではいったい、いまはなにか。
■そんなことを書いているのは、「流行」とか、「風俗」を追いかけるといった話ではなく、私の中では、きっぱり「文学」の問題としてある。「演劇」を含めた「文学」だ。「文学」というと、そうした現象と無関係に、「小説らしい小説」「文学らしい文学」「演劇らしい演劇」が生まれがちだが、そっちのほうがずっと「通俗」だ。つい、ネットでなんでもわかった気になってしまうのもどうかと思うような現象に私もはまりがちだが、これもまた、現在的。しかし、なにかを見にゆかねばならんのだな。ちょっと思ったのは、中国の偽ブランド品生産工場を見にゆくという旅だ。でも、それ命がけだからいやだよ。で、さらに、音楽を通じて読む「日本語」のこと(たとえば、サンボマスターとかね)を書こうと思ったが、それはまた次回に。

(12:10 feb.23 2005)


Feb.23 wed.  「夏の北海道」 ver.2

■夏のロックフェスのことをきのうちらっと書いたが、偶然、クラブキングからそうしたフェスティバルへの出演依頼が来たのは、いやべつに私がバンドをやるということではなく、トークかワークショップのようなものをやらないかという話だった。「
RISING SUN ROCK FESTIVAL 2005 in EZO」というものだ。そのなかで桑原茂一さんの企画があるらしい。場所は北海道だ。夏の北海道は行ったことがないので、単に旅をするだけでも楽しそうだ。仕事が終わったあと北海道をぶらぶらしてみたい。ギターを持って行こうかなと考えるほど、それで私はこの一日、ギターのことばかり考えていた。さらにギター情報をもらったがちょっと非公開。いろいろあるのですね。でも、俺、素人だし、べつにそんな百万円以上の楽器を買おうとは思わない。
■で、『トーキョー/不在/ハムレット』できわめて評判のよかった「詩人の六分四十秒にわたる独白のダンス」だが、ああいったものだけの舞台をやりたいと考えた。もちろん、まずは「テキスト」がなくてはいけないので、当然だがそれを書く。それで五分程度の「テキストの読みによるダンス」が十二本。音楽をほとんど使わないダンス公演。一時間程度の作品ができないものか。まあ、構成はいろいろ考えられる。そして、どんなテキストを書くかだ。「ポエトリー・リーディング」とか、「リーディング」、「朗読会」といったものとも異なる試みだ。しかし、あのダンスができるのに、詩人役の南波さんは、「リーディング公演」の稽古から八ヶ月ぐらい、あの言葉を読んでいたのだった。でなかったら、あの激しい動きの中で言葉を発することはできなかったと考えますと、また、たいへんなことになる。ただ、そこからいろいろな方向に考えは広がる。「劇」ではなくなってしまうが、また異なる試みにきっとそれはなる。
■さて、私が演出する、「かながわ戯曲賞&ドラマリーディング公演」の受賞作『最高の前戯』(作・岩崎裕司)のリーディング公演は、三月十三日(日)の14時から(神奈川県民ホール小ホール)だが、出演者が決まった。吹越満、宮川賢、片桐はいり、南波典子、上村聡、田中夢の六人だ。田中の役は、初演時には十六歳の高校生が演じたという。あれを、高校生が。どんな高校生だ。というか、戯曲を読んでいない方はなんのことだろうと思うでしょうが、まあ、公演に足を運んでいただき確認してもらいたい。もちろん面識はあるが、片桐はいりさんとだけは仕事をしたことがない。吹越君とは、遊園地再生事業団の第一回公演『遊園地再生』以来、もう十五年ぶりの仕事になる。リーディングだから、戯曲をいかにきちんと伝えるかに演出の私は努力したい。ただ、ちょっとやってみたいこともある。ぜひ劇場に足を運んでください。

■ことの本質が旧メディアと新しいメディアの闘争というだけではないと感じるのは、ニッポン放送をめぐるフジテレビとライブドアの出来事だが、記者会見に登場したニッポン放送の亀淵昭信社長といえば、僕が中学生のころ、「オールナイト・ニッポン」のパーソナリティをやっていた人だ。ディレクターだったのに出てきてしゃべるという、作り手が表に出る走りのような人だった。よく聞いていた。まあ、そんな感慨以外にこの出来事に対してなにを考えればいいのだ。「株」のことはよく知らない。だいたい、ニッポン放送といっても、関東以外の人間にはなんのことだかぴんと来ないのではないか。あ、そういえば、俺、二〇代の頃、ニッポン放送のディレクターに対しても「うるせえじじい」という意味のことを言って番組を降りたことがあったな。報酬もいっさいもらわなかった。っていうか、そこにKという私より年長の放送作家がいて、ニッポン放送の経理に電話したら(当時の報酬に銀行振り込みはまだ一般的ではなかった)、「Kさんが代理だといって、受け取りに来ました」というのだ。どいつもこいつも、インチキ野郎だ。っていうか、それ、泥棒じゃないか。その後、Kの名前は聞かない。ものの見事にあの業界を代表するいんちきぶりの人物だった。

(12:03 feb.24 2005)


Feb.24 thurs.  「言葉について」

■柏書房のHさんと、Hさんに紹介された河出書房新社のNさんと会う。小説を書かないかとうれしい言葉をかけてもらったが、もっと精力的に書いてゆくべきなのに、なにをぐずぐずしているんだろう。失敗を恐れたり、いい小説を書こうとか、妙にいやらしい気持ちが入っているのかもしれず、いい小説を書こうとして、いい小説など書けないのではないか。小賢しい狙いなどすぐに見抜かれる。いま、これが書きたいんだという自分に忠実に、人の視線など気にせず、書くことができればいい。いいところを見せようなんて、かっこつけたってだめだよな。つい、かっこつけたくなるけどさ、そんな「構えて考える自分」はばかのようだ。
■そのとき、Hさんから「宮沢さんは、詩を書かないのですか」と質問されたが、きのう書いた「独白によるダンス」「言葉によるダンス」におけるテキストは、いわば、「詩」に似たものになるかもしれない。ところが、私のどこかに「詩」に対する負い目や、「詩」という言葉自体に対する含羞がある。「詩を書かないのですか」という言葉には即答できなかった。誰だって、「詩を書いてしまう時期」があるのではなかろうか。それも無自覚に書いてしまって赤面するような時期が思春期にはあって、あとでそのノートを人に発見されたりすると死ぬほど恥ずかしい思いをする。私もかつて書いていた時期がある。どうかと思うほど恥ずかしい。いまは、もう少し自覚的になり、「詩」に対して、「言葉そのもの」に対してべつのアプローチから接近できるかもしれない。「言葉によるダンス」はそうした意味でもやってみたいことのひとつだ。
■『トーキョー/不在/ハムレット』の「詩人の独白」は小説の一節を台詞にしたものだが、「詩」に近いといえば、そういえるものだった。あるいは、詩人の台詞の多くは、現代詩からの引用で、どういう意味があるかと問われると困るが、というか、ほとんどなにも考えずに引用した。吉増剛造を意識的にまとめて読んだのは何年か前の夏だった。すごくいいと思ったけれど、あまり書くものに影響を受けなかったのは、もうそういう年齢ではなかったからかもしれない。ま、当然だけど年齢だけの問題じゃない。大学での授業で、「テキストを読む」という課題を毎年、出す。自分の好きなテキストを選び、ただ読む課題だ。去年は谷川俊太郎を読む学生がやたらに多く、これはもっぱら、テレビCMの影響だろうと想像する。聞いてもらえればわかると思うけど(っていうか、きっとテレビで一度は聞いたことがあると思うけれど)、ちょっとこれずるいよね。人は言葉を通じて世界を見るので、どんな言葉に出会ったかは大きな意味があるにちがいない。最初に母親の言葉がある。両親の言葉がある。教師の言葉がある。教科書の言葉がある。そうした言葉から逃げ出そうとするある年齢があり、それを「思春期」と呼ぶことが一般的なのかもしれないが、そのころ出会った言葉によってまたべつの自分が形成されるのだろう。また大学で教えるにあたり、「テキストを読む」という課題は必ずやりたいと思う。べつに「読み」がうまければいいわけではない。で、ときどき、すごくいい読みを聞かせてもらうときがあって、それはなんだろう、その人のなにがそうさせているのかと、聞いているこちらがはっとさせられる。京都の大学で四年間教えていて少なくとも五人はそういう学生がいた。

(14:31 feb.25 2005)


Feb.25 fri.  「舞台のことばかり考えているが」

■急遽、シアターテレビジョンが撮影してくれた『トーキョー/不在/ハムレット』の舞台映像をチェックしなければいけないことになった。夕方、家にビデオが届いて今晩中にそれを見、チェック箇所をメールするという急ぎの仕事だ。なんでこういったことは急な話になるのだろう。ほんとは一週間ほど前に仮のものを渡されていたが、プロデューサーの方が「仮編集」を見て気に入らずあらためて編集し直したとのこと。だから遅くなったとはいえ、あまりに急な話だ。舞台を映像化するのは一般的にむつかしいが、『トーキョー/不在/ハムレット』はさらにやっかいな舞台だ。それを映像化しようとしてくれたのはうれしいし、うまく映像化しようとしているのはよくわかるが、でもやっぱり、生中継の映像部分、ダンス部分など、気になるところがいくつかあった。というか、これ、映像化はまず無理な舞台だとしかいいようがない。なにかあったかなあ。もっとべつの方法。
■そんなわけで、ほんとは夕方から早稲田の懇親会というものがあったが行けなくなった。あとになってO先生から電話があった。申し訳ないことをした。ほんとは懇親というか、春から授業を迎えるにあたって挨拶をしておきたかったのだ。やっぱりはじめてのところで仕事をするのは不安である。京都の大学のときは、はじめ、なにをどうしたらいいかまったくわからなかった。誰も教えてくれない。それで授業をはじめたらこちらが考えていたことなどまるでできず、ひどく悩んだ。その後、少しずつ「大学で演劇の基礎を教える方法」を覚えたが、また早稲田ではどういうことになるか心配だ。ただ、大学で教えることの楽しさだけを肯定的に考えることにしよう。少しはやり方を覚えたのだ。きのう書いた、「テキストを読む」という課題でこちらを驚かせるような「読み」をしてくれる学生にまた会えるかもしれない。あと、私にとっての、「自由な授業」をしたい。授業の枠を越えた、授業らしくない授業はできないものか。
■私は、自分の舞台をあまり振り返らないので、記録されたビデオをあらためて観るようなことは基本的にいやなのだった。というか、舞台が映像化された時点で伝わらない部分があることにいらだちすら感じる。それでも映像化してもらうと知らない誰かに少しでも印象を知ってもらう意味はあって、シアターテレビジョンにはいつも助けられる。でもやっぱり観るのはいやだが、これもビデオチェックのため。だったら可能な限りよくしたい。日によって舞台は芝居が変化するが、収録された日は、あまりいいできの日ではないようにも感じる。正視できない場面もある。あと、舞台が暗いよ。公演が終わってから映像を見るのはほんとにいやだ。あきらかにそれは舞台で作られたものではないし、その空気が伝わってこない。記録としては意味があるとはいえ、舞台を観ていない人にとってはそれがこの舞台だという印象しか残らない。しょうがない。

■で、ビデオを届けに来てくれた制作の永井と「遊園地再生事業団」の今後の活動方針を相談する。世田谷パブリックシアターから依頼されている舞台など、なんだかんだと、二〇〇八年まで予定がつまっているのを知った。で、来年(二〇〇六年)の秋ぐらいに遊園地再生事業団の本公演をやろうかと永井に持ちかけたが、「ちょっと急ぎすぎだろうか」、「あんまり間がなさすぎるだろうか」「せわしないだろうか」といった話になったものの、ふつうの演劇の集団だったら、この一月に公演があれば、次は五月くらい、さらに秋に公演があるといった話をするものだ。二年近く先の話だというのに「期間が短い」と感じるのはいったいどういったことなのか。でも、それくらい「間」があったほうがいまの僕はやりやすいし、ものを考える時間ができる。またプレ公演を重ねての公演にしようと思い、それが今後の作り方になるだろう。そのための基本的な整備も、ある団体の援助もあって『トーキョー/不在/ハムレット』よりもっとよくなる予定だ。そして、「戯曲を書く」という課題がある。
■で、何度も書いている「テキストで踊る」といったものはまたべつに考えることにしてですね、そのために、定期的な勉強会をやりたいと思ったのだな。まず「テキスト」、それからその「読み」があり、そして、「ダンス」だ。ここで私にできないのは「ダンス」の振り付けだ。もちろん矢内原さんに協力をお願いしたいところだが、ニブロールはニブロールで忙しいだろうし、この長い時間が必要になる試みをどう受け止めてくれるかわからない。そこをどうするかだな。あと、「テキストの読み」ができて、さらに、踊れる人(ないしは、ある程度、動ける人)がどれだけいるか。っていうか、勉強会というのはそういった人を発見したり、育て、トレーニングするための場所になるだろう。
■こうして、書いていると、わたしはまるで舞台のことばかり考える勤勉な人のように思われるおそれがあるが、こういったノートというものは、「なにが書かれていないか」にこそ注目すべきポイントがある。公開を前提にしたノートにほんとうのことが書かれていると思ったら大まちがいだ。どんなに私がだめな日々を過ごしているかだ。だめなほうの日々は日々で、またべつのノートになるくらいだ。だが、けっして公開されないだろう。その公開されない部分にこそ、私がなにか作る上での大事なものが含まれているのだから。

(12:02 feb.26 2005)


Feb.28 mon.  「二月も終わる」

■天気のよい週末だった。このまま春になるのかと思ったらまた寒い日が来ると天気予報。あまりに凡庸なことを書くが、今月が28日しかないことに私はほんとうに困っている。すごく損した気分だ。
■「ユリイカ」(青土社)の最新号の特集は、「ポスト・ノイズ 越境するサウンド」だ。とても興味深く目を通し、ある意味、青山真治監督の新作とシンクロしているのを感じながら読んでいたが、それで、むかし(八〇年代半ば)聴いたノイズ系の音楽のなかでも印象に残っている、「
Laibach」がどういったことになっているのかネットで検索したところ、音楽だけではなく、「演劇、インスタレーション、絵画なども手掛けているアート集団」だと、あるサイトで知って驚いた。どういった舞台をやっているのか観てみたかったというか、考えてみれば、集団自体、いまでも存在しているのだろうか。もう遠い過去だ。ノイズミュージックというと舞台で使いやすかった記憶がある。なんでもない場面で、薄く流すとかね。いきなり大音量で流すこともあった。いづれにしてもむかしの話だ。その後、いかにして舞台で音楽を使わないかを考えたのが九〇年代以降になるが、ある日ふと思いついたのは、「舞台に音楽はいらない」という結論だった。空間を埋めるために音楽を流すのは八〇年代以前によくやられていた手法で、そんなものに飽き飽きしていたこともある。それでも音楽を流したいと思ったのは、単に音楽が好きだったからだ。それで、作曲の桜井君、音響の半田君が協力してくれて、演劇における「音楽の方法」をいろいろ考えた。いちばん成功したのは、おそらく、九三年に上演した『ヒネミの商人』だ。無意味な場所で、無意味に淡々とした音楽が流れた。いかにして、意味のない場所で音楽が出せるかについて半田君は努力したが、せりふが切れたところで出したり、妙に間がいいと失敗である。だめなほどいい。間が悪いほどいい。そんな舞台があるものか。そのとき桜井君に僕が頼んだのは、「フェリーニの映画音楽をすべて手がけたニノ・ロータが、もし小津映画に音楽をつけたらどうなるかといった感じの曲を作ってくれ」だ。この無理難題をものの見事に形にしてくれた。あれ、面白かったな。そういったことをやたら面白がっていた。
■いまは、「演劇における音楽」について曖昧な姿勢である。新しいことをあまり思いつかぬまま、迷いつつ音楽を使っている。ただ、必要以上の音楽はいらないという姿勢は保っているつもりだ。なにしろ、原則的には「演劇に音楽は必要がない」のだ。そう考えていたのだ。音楽が効果としてなす役割のほとんどは、「俳優のからだ」によって作り出すことが可能という基本姿勢は変わっていない。映画と決定的に異なるのはおそらくそこだ。演劇において主体となるのはぜったいに俳優だという基本があり、その「からだ」の存在を、私はどこまでも信じている。

■あるミュージシャンの方が自身のサイトに、「表現の自由を手に入れるためには最低限の技術は必要だ」と書いていた。「表現すること」があたりまえになりすぎていて、「表現の自由」という言葉自体がいまでは陳腐になっているきらいはあるが、「自由」を獲得する理念の出発点が「技術」であるところに新鮮なものを感じた。もちろん、そのミュージシャンの方も、「技術」がすべてではないと書いている。しかし、「最低限の技術」は必要であり、その根拠が「表現の自由」を擁護するためだという論点は新鮮ではないか。この何年もずっと、私は、「技術」とはなにかを考えていたわけです。「うまい」にこしたことはないが、じゃあ、「うまい芝居」とはなにか、うまけりゃそれでいいのかと考えて、しかし、曖昧な言葉でしかそこを語り出すことができない。だから、「うまい俳優は五万人くらいいる。しかし、魅力的な俳優は五人しかいない」といった言葉にしかならなかった。「技術」についてどう考えるかはずっと課題だったし、そのトレーニング法にはなにが必要かで悩む。わからない。まるっきり。
■ひとことで「演技術」と言葉にしても様々な方法があり、訓練法も様々だ。たとえば、「ういろう売り」という有名な俳優訓練法がある。あれを私はばかにしていた。たしかに滑舌がよくなるかもしれないが、「ういろう売り」をやるメンタリティーというか、それをやってしまう(素直にできてしまう)俳優が果たして面白いかどうかってことがきわめて疑問になるじゃないか。あるいは、発声や滑舌がいくらよくても、ある都内の有名な私立大学周辺の劇団から出てきた俳優が私にはだめだった。気持ちが悪くてしょうがない(まあ、最近はその周辺も様々な種類の劇が生まれ、変わっているとは思うのですが)。その気持ち悪さを感じる心性をはっきりした言葉にしたいが、それがうまく言葉にならず、もどかしいのだ。
■そうしたとき、先に引用した言葉を発見し、そこに「技術」について考える手がかりがあると思えた。だが、やっぱり、その先の言葉が続かない。なんかあるはずなんだ、ここまで、出かかっているんだ。で、いま気がついたのは、「ノイズ・ミュージック」において「技術」はどう考えられているかだ。超絶技巧のギターのような種類の「技術」とは無縁だとはいえ、あれだって、単にコンセプトの面白さだけじゃないだろう。こうして話は元に戻る。そして、また「ユリイカ」の最新号に目をやれば、そうだ、原稿を書かなければいけない、いま途中になっている、「チェーホフを読む」を仕上げなくてはいけないと思いだし、また苦しむのだ。

■不意に、架空のバンドのサイトを作りたいという思いがふつふつとわいたのだった。すでにそうしたサイトはあるだろうか。あったら教えてほしい。この世に存在しないが、着々と活動をしているバンドのサイトで、CDリリースの告知や、バンドメンバーを写真で紹介したり、ライブ風景も紹介されている。大まじめに作りたい。で、作るのが大変だから、コンセプトやアイデアを僕が出し、あとは相馬に作ってもらおう。勝手だなあ。そこで、バンド名を募集したい。いっそのことレーベルのサイトを作って次々と新しいバンドや、ミュージシャンがCDをリリースしていたり、ライブやっているのを告知するのはどうか。というか、スタニスワフ・レムの「架空の書物の書評」のように、「架空のCDの音楽評」を載せるのはどうか。で、考えてみたら、それは「架空の劇団」でもいいわけだし、さらに考えれば、ただ「架空」ではなく、ネット上でしか活動していない演劇の集団があってもいいじゃないか。そういえば、『トーキョー/不在/ハムレット』に出ていた上村や鈴木将一郎がやっている「ラストソングス」は、最初、それだと思っていた。ほんとにライブをやったというから驚きだ。

(5:56 mar.1 2005)


「不在日記」二〇〇五年一月はこちら →