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May.15 mon. 「稽古場の開示」


■どんなに稽古で忙しくても、舞台の初日があけるまでは、このノートを書きつづけるのを、「オープンソース」というか、「方法の開示」、あるいは、「稽古場の開示」として課してきた。なんでも書いて、稽古場の様子や、僕のやり方などを外部に出したいと考えているのだ。今回は、いろいろあって中断することが多かった。『トーキョー/不在/ハムレット』のときなんかほとんど欠かさなかったつもりだが、今回はばかりはいかんことになっているのだ。まず、睡眠だな。眠ることはできるのだ。ところが、2時間くらいで目が覚める。午前2時に眠ったが、いったん、午前4時に目が覚めた。それから少し仕事をして、7時に眠りにつき、正午に起きれば稽古にもまにあうし5時間は眠れると思ったのだ。ところが、目が覚めたら、まだ午前9時である。その瞬間の、時計を見たときの残念な気分といったらない。がっかりした。
■それからあらためて眠ろうとしたが、やはり「眠っていないから、きっと自分は眠いにちがいない」と考えること自体をやめることにした。二時間かそこらの睡眠でも大丈夫なのだと思いこんで稽古場に行ったら意外に調子がいい。このところ、何人かの見学者が稽古場を訪れる。きょうは、『演劇は道具だ』を編集してくれて、こんどの舞台の当日、劇場に手伝いにも来てくれるという打越さんが見学してくれた。
■いま稽古している西巣鴨の「にしすがも創造舎」はいいところだが、稽古場で煙草を吸えないと、喫煙室が遠いところにある問題が、いろいろなことに影響しているのを感じているのだった。「にしすがも創造舎」は元中学校だ。いまは「音楽室」というところで稽古しており、そのすぐ隣が喫煙室になっている。以前までは普通の教室のようなところで稽古していたが、すると、喫煙室までが遠い。休憩になると、僕はすぐに喫煙室に行ってしまう。ここで、稽古場が、「喫煙者」と「非喫煙者」でわかれてしまうのである。コミュニケーションがほとんどない。具合の悪いことに、『トーキョー・ボディ』『トーキョー/不在/ハムレット』でなじみのある、小田さん、岩崎、鈴木将一郎、そして僕が喫煙者。はじめて舞台を一緒にやる高橋さん、下総君が非喫煙者。稽古場がまっぷたつだ。これをなんとかしなくちゃいけない。演出家であり、今回の舞台を仕切っている俺がなんとかしなくちゃならないと思うものの、煙草を吸わずにはいられないのだった。いやあ、稽古場が寒いよじつにどうも。俺がなあ、煙草を吸わずに稽古場にいて、休憩中など、みんなに話しかければいいが、できないんだよ、それが。しかも、俺って、人見知りじゃない、って、同意を求められても困ると思うが、人見知りをしているあいだに、初日まで、ほぼ一週間である。申し訳ない次第になっているのだ。人見知りの演出家っていかがなものか。しかも横暴な部分もあるしな。

■稽古のあいまに、小田さんと演劇について話しをした。小田さんは早稲田小劇場出身なので、鈴木忠志さんについて、その演劇観や方法の発見の話などをうかがう。ためになるなあ。穏やかな口ぶりでその経験などを話してくれる。けっして誰のことも悪く言わない。できないな、俺には、俺、ことあるごとに悪口を言っているのだ、いや、かげでこっそりではない、本人に向かってはっきり言う。あるいは、鈴木将一郎に、もっと図々しく芝居しろと伝えたのだが、すると通しのとき、いい感じでできていた。
■高橋さんから衣装について提案がある。高橋さんとしては、芝居の流れで衣装を考え、それが演技する生理になるという意見だと思うが、僕と衣装の林さんとしては、高橋さんがより魅力的に見えるはずだと思って、ある場を、ワンピースにとプランをたてた。この食い違いをどう考えたらいいのだろう。実際に芝居をする俳優の気持ちはよくわかる。だが、それを客観的に見ている僕や林さんは、それが俳優にとってもきっといいはずだと考えている。とすると、これは、「主観」と「客観」の問題になり、平田オリザが語った「主観的な表現」とはこういうところに出現するのだろう。いわば衣装プランの問題だけではなく、演劇観に通じる。むつかしいぞ。
■通しを終えて、ダメ出しをすると、どうしても小田さんにダメが集中してしまう。ほんとは、全員にしっかりダメを出すのも演出の仕事だと思うが、もっとも気になるところから語り出すとそうなるのだな。たくさん舞台をやってきてわかったのは、こういうとき、ダメを出されないと俳優は不安になるものらしいことだ。ダメがないならそんなにいいこともないだろうとつい考えてしまうが、そうじゃないと知ったのは、もうずいぶん以前のことだ。だから仕方なしに無理矢理にでもダメを出し、「髪型が変な具合になっている」とか、「稽古着がよくない」とか、ほんとにどうでもいいことを言ってしまう。いいのかそれ。

■それにしても、このノートを、俳優が読んでいることはもちろん、いつもの芝居のたびに意識している。むしろ、このノートを通じて語りかけている部分もある。あるいは、僕の舞台に関わっている人たちだけではなく、かなりの演劇人が読んでいるらしいことも知っており、たしかにそれを意識し、書くべきではないことは書かないようにしているが、これもまた、「舞台の作り方」のひとつの試みではないだろうか。稽古場が開示されるのだ。できるだけ密室性をなくす。そのことからなにが生まれるかはよくわからない。原稿が書けなくてもこのノートをつづける。それもまた舞台の外側にある作品の一部だと考えている。編集者の方たちには、つくづく、迷惑をかけているけれど。

(11:44 Mar.16 2006)


May.14 sun. 「正座するからだ」


■睡眠不足で稽古場へ。ものすごく調子が悪いなか稽古を続ける。よくねばったが、それよりねばってもらえた俳優、とくに小田さんの部分をなんども返したので、小田さんに頭がさがる。しかも少し激しい動きをしたあと、はあはあ息を切らせているが、その状態でなおも声がしっかり出ていることに驚かされた。きょうは発見がひとつあった。ドン・キホーテ的人物の愚かさを小田さんがうまく出せないので、いろいろ考えていたが、正座してまじめにせりふを言うとなぜか、愚かである。
■その場面を見ながらいろいろ考えているうち、試しに自分でやってみたら、正座で腕を組み、胸をそらしてなにか言葉にすると、意識がかなりばかになるのである。小田さんにやってもらった。かなり愚か者である。これだ。そうなんだ、ドン・キホーテ的人物の愚かさをそこで表現しなければならなかったのだ。なんども返しているうちに見つけたことがとてもうれしかった。「からだ」は奇妙だ。ある状態にからだをすると、意識も変化する。そこに「からだ」の面白さがある。
■夜9時を過ぎたところで、わたしの限界が来た。でも、ある場面がかなりよくなったのでがんばったかいがある。きょうはほとんどなにも食べられなかった。食べる力がない。家に戻ってなにか食べようとするとひどく疲れるのだ。口を動かすのがしんどい。あごを動かすのもだめなら、箸を持つ手があがらない。疲れたなあ。なんだこれは。松浦寿輝さんの書評の締め切りだが書けるわけがない。このノートもいまやっと書いている。でも、松浦さんの本がことのほか刺激的であった。『方法序説』(講談社)にある「意味」についての論考など感動すらした。もう少しねばろう。稽古に集中しよう。よく眠ればいいんだろうけど、おそらく、眠る体力もないのかもしれない。

(10:50 Mar.15 2006)


May.13 sat. 「稽古など、いろいろ」


■稽古は相変わらずやっている。
■少し前からのことを書こう。
■早稲田の授業のある木曜日(11日)。久しぶりに学生たちに会ってたいへん健康的な気分になった。まず、一文の表現芸術専修の授業は「演劇ワークショップ」である。ゴールデンウイーク中に「東京現代美術館」に行けと課題を出したが、4分の1ぐらいの学生が行かなかったとわかる。なにをしていたのだ。そして、一人がまちがえて「東京国立近代美術館」に行ったという。「藤田嗣治展」を観たらしいが、まあ、なにも見なかったより100倍ましである。それでそれぞれの感想を発表してもらい、そのあと、「美術館に行く」ことからどうやって「身体表現」に結びつけるか、様々なヒントを出して今週の授業は終わった。現代美術に触れるのもめったにない学生たちばかりだが、なかには熱心な学生もいて頼もしい。そして、よくわからないものに触れる戸惑いのなかから表現することが発見できたらきっといいだろう。
■そして、「戯曲を読む」の授業は、ベケットを取りあげる。学生が準備してきた資料は、たいてい早稲田で教えている岡室さんの書かれたものなのだが、その岡室さんが授業に参加し学生にまじって戯曲を読んでいるのである。しかも専門家の岡室さんがいると大変たすかった。解説してくれる。学生の質問にも応えてくれる。僕は僕なりの切り口でベケットの、『行ったり来たり』を読むことにしたが、岡室さんにはかなわない。でも、この授業は受講者も多いし、なにか熱気があってとてもいい感じになっている。
■金曜日は文芸専修の授業で、「いろいろな声を聞く」という内容である。先週、できなかったので、「声と言葉」というテーマをより範囲を広げて話すことにした。これは一方的に話すばかりの授業だが、それはそれで面白い。話しながら思いつきことがあったり、自分の考えが広がるのである。

■それはそうと、ほとんど気がつかないと思うが、この「富士日記2」のデザインを大幅に変更したのである。一から(というと語弊があるが)書き直した。で、まだよくわからないことがあるので、おかしなことになっているのじゃないかと思う。発見した人は連絡をください。MacSafariだときれいに表示されるが、WindowsIEだと表示がおかしくなったりなどして、それを直し、手間がかかった。Web標準だというがこんなに表示にちがいが出ると、ほんとうに標準なのかよくわからない。不眠が続くので書評の仕事のために本を読んだり、こうして、デザインを直したりいろいろ。まあ、そんな感じだ。
■稽古は疲弊。いろいろな意味で疲れた。稽古場で気をつかっているうちに神経がまいったのか睡眠異常になってきょうも3時間しか眠っていない。ま、しょうがない。僕に全部の責任があるのだ。だが、最後までねばっていい舞台にしようと思う。時間はもうなくなっているけれど。

(11:07 Mar.14 2006)


May.10 wed. 「くたくたになった」


■少し遅れて西巣鴨の稽古場へ。といっても、いつもより一時間以上早い。「ぴあ」の取材があったからだ。それで稽古があり、夜は10時過ぎに衣装の打ち合わせを林巻子さんとして深夜までつづき、へとへとだ。しかも、いつものようにあんまり眠っていないのだ。で、こうなると、睡眠時間が八時間ぐらいないといけないと思うから、気分的に、眠っていないと思いこむからいけない気がしてきた。人は眠らなくてもいい。三時間ぐらい眠ればそれで十分だと考えれば問題はないのだ。
■たしかに、クリアな意識で稽古ができなかったとはいえ、きのうの通しであまりよくなかった第一場をゆっくり稽古することができ僕も集中力があまり切れなかった。問題は夕食を食べたあと、満腹になると眠くなることで、それさえなければどうってことはないのだ。夕食を食べなければいいのだ。ただ、昼間、がーっと稽古した小田さんに休んでもらおうと思って夕食の休憩をしっかりとった。すると永井がなにか食べ物を買ってきてくれるのでつい食べてしまうからいけない。
■小田さんは、不器用な方だと思います。私は不器用な俳優が大好きである。竹中直人がすこぶるつきの不器用な人間だった。そこへゆくと、いとうせいこうの勘のよさ、器用さ、頭の回転、切れ味はすごかった。それぞれにいいところがあるのだと思う。僕も不器用だ。せっせと時間をかけ、なにかを獲得するしかないが、その獲得するまでの時間にきっと意味がある。そう思わずには、不器用な人間はやりきれないじゃないか。でも、小田さんとこれまでなんどか舞台をやってその不器用さゆえに、時間がからだにじっくりしみこみ、最終的に出てくる表現が深くなるのを感じる。でも、苦しそうだったなあ、きょうの稽古は、なかなかいろいろなことが同時にできないのだ。するするっというわけにはいかない。その苦悩に意味がある。だから、ぜんぜん心配していない。ただ、相手役の、高橋さん、下総君が、やりにくいこともわかる。二人には、もう少し待ってもらいたい。若い田中が高橋さん、下総君らの芝居をよく観て、少しずつよくなっているのがわかる。二人からもいろいろ話しを聞いているようだ。経験のある人たちからのアドヴァイスはとても貴重なもので、こうして稽古のなかで成長するのは若いことの特権なのだろうな。

■夕方から通し。きょうは、第四場がぐだぐだだった。ただ、ダメ出しをしているときも緊張感がある。私の持ち味であるところの、「笑えるダメ出し、うそをつくダメ出し」があまり出ないのは、この緊張感のせいである。いつもの舞台とはちがうのだ。そして、僕は戯曲の不備が気になって仕方がない。もっと書き方、描き方、表現の仕方が戯曲段階であったと思うが、それは稽古中、せりふを削ったり、あるいはやり方を変えたりしながら、推敲している。一度、去年のうちにリーディング公演をやりたかった。今回もせっぱ詰まっていたからな。オーソドックスな家庭劇があるかと思えば、メタレベルから劇を見つめる部分もあり、これは少し前のポストモダンな気がしないでもない。そこから僕は逃れたいのだが。
■文学座の高橋さんは、はじめて会ったとき、稽古の初期の段階は緊張していたのだろうと思うが(まあ、ふつう当然だ)、どんどんリラックスしているのが面白い。なにしろ、きょうはすきがあれば、歌っていた。いまはハミングだが、いまに歌詞を歌い出すのじゃないかと気が気ではない。でも、それもいいな。下総君は本を深読みする。俺、そこまで考えていなかったと思うことを「これはこういったことですよね」と意見してくる。それで気がつくことがある。無意識に書いた部分だ。
■で、きょうの課題であったところの「第一場」は、小田さんのせりふがだいぶ入ったこともあり、かなりよくなった。舞台に流れる空気も緊張感が出てきた。まだ、よくなる予感がする。むかし、「竹中直人の会」に岸田今日子さんが出演していた。せりふをぜんぜん覚えなかったし、本番でもだいぶ間違えていると竹中が苦言を口にしていたが、なにも知らない観客として見たとき、岸田さんがいちばん面白かった。からだから発するものがぜんぜんちがうように思ったからだ。劇作家としては戯曲をまちがえないことが大事だが、でも、俳優は「身体」だ。それがせりふ以上のことを語っているとしか思えなかった。「通し」になって小田さんがだいぶせりふも入り、(多少はまだミスはあるが)すごくよくなった。自信をもってやってくれればいいと思う。

■稽古を10時ぐらいに終わってから衣装の打ち合わせ。それから、「週刊文春」からまたべつの書評の仕事がメールで届く。人を殺す気か。でも、つい引き受けてしまった。一日で読んで、三時間ぐらいで原稿を書こう。松浦さんの書評もあるのだな。やっぱり人を殺す気か。あした(11日)は俳優は稽古が休み。僕は早稲田の授業。またちがう緊張感。でも、授業はまたべつの回路でやっているから楽しい。あ、そういえば、林さんの衣装の提案だが、林さんらしいアイデアにみちていてなかり面白くなりそうだ。衣装合わせの日が楽しみである。

(7:41 Mar.11 2006)


May.9 tue. 「演劇観について」


■時間がないので手短に。
■きょうは稽古場に行くのに近道をしたつもりが逆に遠回りだったので損をした。少し遅刻。稽古はきのうの通しであまりよくなかった第五場を主にやる。夕方から稽古。で、きょうの注目すべきところは、高橋さんの意見だった。演劇集団円に所属する岩崎に僕がその動線や細かい動きをダメ出ししていると文学座の高橋さんが、「岩崎君は足がしっかりしてないのよ」と、かなりテクニカルな点を注意した。まったくその通りだと思ったが、さらに高橋さんは、「同じ新劇として黙っていられない」という意味の発言をしたのだった。とても興味深かった。ほとんど「新劇」に縁のないわたしだが、高橋さんの言うこともわからないではない。しかも、「文学座」と「円」である。黙っていられないなにかが岩崎の技術にあったのだと思う。そしてその高橋さんの発言で稽古場がぴりっとした。もちろんいろいろな演劇観を持った俳優がいる。考えもちがうかもしれない。たとえば僕は九〇年代以降、「だらしない身体」を標榜していたので、むしろ足がしっかりさせないようなことをさせていた。その考えが少し変わったのは二〇〇一年以降だが。だから逆に高橋さんの発言が新鮮だった。あまり経験のないことが稽古場に出現したのだ。そしてそれは、演劇そのものを考えるうえでも、意味のあることだと感じた。それはまだ、考えるに価する出来事だ。稽古が終わってからもそのことを考えていた。夜、通し。小田さんが重い。重いのは悪いことではないが、というのも、僕の劇はある種類の演劇人に言わせたら、「軽い」わけですよ。しかし「重さ」にも種類があると思う。あまりよくない重さだ。なにかに拘束されているようなからだの重さだ。小田さんがなにかに呪縛されているように生き生きとしたところがない。そこをすっと抜け出ることができたらきっといいだろう。全体的には、まだ、稽古が足りない。だけど夜九時ぐらいを過ぎたら僕のエネルギーがかなり切れた。申し訳ない。もっとよくしたい。
■このあいだ工場地帯を撮影した素材を舞台で流す映像に編集したものを、岸が稽古場に持ってきてくれたのでチェックした。まだ直す箇所はあったが、よくできていた。舞台で流すのが楽しみだ。家に戻ったらものすごく眠い。食事をして少しなにかして眠ったのは午前一時。眠った直後、足が吊って、激痛で目が覚めた。そしてまた眠り、覚めたら午前五時。八時間ぐらいびしっと眠りたい。それでこのノートを書いている。本を読む。あした(10日)は「ぴあ」の取材で朝が早い。まずい。

(5:59 Mar.10 2006)


May.8 mon. 「シュタイニッツの憂鬱」


■変則的な睡眠の異常は日に日に増しているが、すでに、病のようになっている。とうとう、眠れぬまま、午後の稽古に行けなかった。いやもちろん、いったん深夜に眠るのである。すぐに目が覚める。それでいつもならもう一度、短くてもやはり眠ることはできるが、きょうはどうにも眠れなかった。ようやくベッドで意識が薄れていったのは、午後二時近く。制作の永井からの電話で起きたときはぼんやりしていた。それから稽古場へ。少しずつからだも動きはじめた。
■眠れないあいだ、どうにも困って仕事をする。その読書がまた、人を眠らせない方向にむけたのかもしれない。松浦寿輝さんの『青の奇蹟』(みすず書房)である。とても刺激的な論考に満ちている。と、これ以上書くと、書評に書くことがなくなってしまうのであまり詳しく書かずにおくが、松浦さんは東大の表象文化で教える教員であり(ということはつまり、『モーターサイクル・ドン・キホーテ』のプロデューサー内野さんの同僚であり、僕も非常勤でそこに行っているが、この三人は、ほぼ同年齢である)、そして、作家であり、詩人だ。実作者としての視点から様々な領域の表現を語るエッセイはきわめて刺激的だ。たとえば、音楽家シェーンベルクについては次のように書いている。

 すでにあらゆる手法もモチーフも試しつくされ、磨り減らされてしまった時代に性を享け、人一倍熱っぽい叙情的な魂を持ちながら、それをそのまま表白したらたちまち陳腐なロマン主義の紋切型に堕しかねないといった宿命を正面から引き受けて、ついに強靱な方法論と濃密な官能性とも結婚させる革新的な音楽を築きあげたシェーンベルクは、しかし、そのことによって同時に、今世紀のあらゆる詩人と作曲家の不倖を準備してしまったと言える。

 これは、「現代詩」や「現代音楽」だけの問題ではないだろう。一部の「現代演劇」にもあてはまる。「現代文学」の問題でもある。「現代美術」だって同じだ。で、そのことは書評でまた書くとして、それ以上に私が、からだが震えるような思いで読んだのは、シェーンベルクについて書かれた文章の少し先にある、「シュタイニッツの憂鬱」という文章だ。なぜなら、これがきわめて精緻に、そして巧妙に書かれた、「冗談」に読めたからだ。なにしろ、シェーンベルクや、モネなど、様々な表現者のあいだに唐突に、「チェスの名人」について書かれた文章がまぎれているのである。以前、松浦さんは新聞の文芸評で僕の『不在』を取りあげてくれた。そして、「これは冗談としても読める」という意味のことをおっしゃっていた。そう読んでくれることに僕はうれしかったが、さらに、『青の奇蹟』には、僕の『青空の方法』(朝日文庫)に掲載していただいた「解説」も収載していただいており(読んでいて気がつき驚いたわけだが)、望外のよろこびとともに、松浦さんのどこかに、「冗談の視線」ともいうべき力があるとうすうす感じていたのだ。まあ、松浦さんのべつのエッセイ集『散歩のあいまにこんなことを考えていた』(文藝春秋)には、飼い猫が死んでしまったことについて、それはおそらく新聞連載のエッセイだと思うが、何回にわたっても書いている。猫の死にたいしておいおい泣いている。これはもう(本文でも引かれているが)、内田百間だ。
 猫の死に対してたじろく大人の悲劇(=喜劇)もまた、その自身を客観化する時点でかなり「冗談の視線」があるが、「シュタイニッツの憂鬱」は、また別の種類の「冗談」と読める。からだが震える思いをした。うまいなあ。見事な筆である。シュタイニッツのチェスの戦略、システムが当時のチェス界にあっていかに革新的であったかを解説したあと、突然、こんなことを書く。

 シュタイニッツのシステムには、しかしうわべの楽天性の背後に、それと裏腹の何か途方もなく陰鬱な退屈が隠されているような気がしてならない。

 このなにくわぬ顔をして口にする冗談のような言葉に私は少し笑ったのだった。しかし、私のエッセイが松浦さんによって「ほとんど意味がない」と評されたのとは異なり、その冗談にも読める論理が最終的には、近代の表現の変遷と不幸についてのまたべつの側面からの批評になっているからよけいに読み応えがあるのだ。と、ここまで書いて、このまま「書評」として東京新聞に送ろうかという気分になった。だが、これはベータ版。原稿は製品版としてもっときちんと書くのは言うまでもない。

■さて、僕が大幅に遅刻したので俳優たちに迷惑をかけた。夕方から少しある場面を稽古したあと、「通し稽古」だ。だいぶできてきたとはいえ、もっとクオリティも高まるだろうし、深さも出るはずだ。半分を少し超えた感じだろうか。で、僕がこんなだから(睡眠異常)俳優たち、スタッフに迷惑をかけてほんとに申し訳ない次第になっている。いったい、演出って何歳までできるわけですか。やっぱり体力など、管理しないとできないと痛感。ところで、『モーターサイクル・ドン・キホーテ』はこれまでとはまた異なる種類の戯曲だ。もちろん同じ人間が書いているので一定の傾向はあるが、これを書いていたら、もっとうまい戯曲を書きたい気持ちになっている。
■まだ稽古はつづく。時間はあまりなくなってきたが徐々にできあがってゆく。もっとシャープになるだろう。ぎゅっと引き締まるだろう。舞台に漂う空気が濃密になるだろう。そのことを目ざしてさらに稽古だ。

(5:53 Mar.9 2006)


May.7 sun. 「舞台のことばかり考えて」


■稽古が休みだったので、べつの仕事をする。やはりきょうもやけに早く目がさめた。午後、少し眠ったあと、きのう映像班が撮影したビデオをチェックする。三時間以上あるので、早送りしつつ、気になるポイントを見る。なかなかにいい映像が撮れていた。ただもっともいいと思われる工場群の映像から、突然、夜の絵になったので、なにかと思ったら、撮影した映像の上に重ねて撮影してしまったらしい。撮影したのは当然、『トーキョー/不在/ハムレット』で様々な伝説を残した岸である。せっかくの映像がない。同行者によるといちばんいい映像が消えていた。撮り直しに行かせたいくらいだ。夕方から、その岸を含め、今回の映像のオペレーターをしてくれる鈴木君、そして制作の永井がうちに来て、その作業。まず、ビデオの映像から僕の指示した部分をコンピュータに取り込む。それと、舞台で流すにはどんな映像にするか打ち合わせ。参考資料など見せつつ、こんな感じでとかなりアバウトに伝える。そのまま、編集にもつきあおうと思ったが、するとですね、僕の仕事ができなくなるのと、稽古に支障が生じるので、ひとまず、岸に任せることにした。編集したものを見て、また指示を出せばいいと思う。
■作業を終えてみんなが帰ったのは、もう午前になっていた。それですっかり疲れたのは、肉体的というより、精神的なもので、これはなにかといろいろ考えていたが、やはり、『トーキョー/不在/ハムレット』のとき映画を作ったあの地獄の日々を思いだしたからにちがいない。精神的にどんよりしてきたのだ。といったわけで、稽古は休みだったが、稽古より疲れた。気疲れというやつか。
■気疲れで思いだしたが、稽古のとき、あるスタッフの一人が、役者が演技しているときしばしば眠っている。僕は気にならないものの、それを目の前で見ながら演技している俳優たちがどう思うか想像すると、気が気ではないのだった。なんで、そんなことに俺は気をつかわなくちゃならないのか。そのぶんを取り戻そうと、俳優が演技しているとき、必要以上にリアクションを大きくしたりなど、演出しているわたしまでが演技をしているのである。演出するのは、ほんと、いろいろ疲れるよ。いい人なんだけどなあ。優秀そうなのだが、眠くなったら、外で眠っていてくれると助かるのだが。というわけで、休みだったとはいえ、疲れはとれぬまま、またあしたから稽古再開。いよいよ大詰め。あしたから通し稽古だ。芝居に集中。仕事の原稿が書けない。やらなくちゃいけないことがいろいろある。今週も大学の授業だ。憂鬱になる。だが、いい舞台を作ろうと、ただ、いまはそれだけ。

(2:39 Mar.8 2006)


May.6 sat 「少し前進」


■もう連休も終わりその前に稽古に一段落をつけておかなくてはと思っていたのだった。それでいくつかの場面をじっくりやってみる。もっとよくなると思いつつ、その深め方について見ているという稽古だった。もちろん、気になるところはダメ出しをするが、ただ見ることで考える。うまく言葉にならないが、まだもう少しちがうように感じることから、なにを見つければいいか。それは、見ることしかないのだった。細かい注意ややり方の変更は必要だがそれ以上に大事なことがあると思える。この部分、もっと本に書き込めばよかったと思うところがないわけではない。しかし、上演時間が意外に長くなってしまった(といっても二時間)ので、足すこともできない。きっと書きはじめたら長大になる。公演も間近に迫っている。うーん、現在の条件で、さらに劇をよくしたい。
■せりふが入ってきた小田さんのからだから重さが少しずつ取れてきた。ぜったいに大丈夫だ。不意に、下総君と高橋さんのある部分のせりふを短くした。なにか凡庸な言葉に感じたからだ。せっかく覚えてくれた二人には申し訳なかった。しかし、芝居は関係のものだなあと感じるのは、『トーキョー/不在/ハムレット』ではわりと年長者のようにいた岩崎が、ここでは、やけに若いのだった。まだ若いなあという気がする(実際、若いんだよ、岩崎は、そうは見えないかもしれないが)。周辺が経験の多い人たちで、そもそも年齢の若い役をやっている鈴木、田中は、それ相応の感じがするが、岩崎には無理をさせているようにも感じる。不思議な感覚である。
■小田さん、高橋さん、下総君は経験のある人たちで、ややもすると、すぐにできてしまうようなところがあって、なにも言うことがない気にさせられるが、しかし、せっかく僕の舞台に出てもらうのだからなにか発見してもらえたら幸いだ。こちらから、なにかうながすことができないかと。高橋さんにここでしかないなにかを発見してもらいたい。それで僕も考えるが、うまいからなあ。その時の調子のよしあしはあっても、これ以上、なにを俺が言えばいいのだと考えたりするものの、きっとあると思うのだ。むしろその技術を逆に引くことで生まれる表現の力があるかもしれない。深さがあるかもしれない。もう少し時間がほしい。小田さんにかかりっきりであまり高橋さんに意見していないのが申し訳ない。いや、小田さんがいけないわけじゃない。小田さん、ほとんど出ずっぱりで、これはもう、ほんと、膨大なせりふの量。同じような言葉を微妙に変化させているせりふとか、いろいろ、迷惑をかけているのは、私の問題。下総君は、立っているだけで魅力的である。今回は50CCのバイクにしか乗らないが、このあいだ、小田さんに250CCのバイクの乗り方を伝授するのに少し乗って見せてくれたが、そのかっこよさよ。そもそもバイクが好きだからか、やたらきまっている。

■夜から半田君が来て音楽を入れると、芝居が変わるなあ。音楽の力ってなんだろう。それに頼ることに抗いつつ、今回は音楽がいろいろ鍵をにぎっているのだ。あと、半田君は稽古場にいるだけでなんだか人を安心させてくれる。なんでしょう、この感じは。酔っぱらうと始末にわるいが。
■で、稽古は10時ぎりぎりまで。今回のこの戯曲を英語に翻訳してくれたり、あるいは、このプロジェクトの企画者スティーブン・グリーンブラットさんとメールでやりとりなどコーディネイトをしてくれる、エグリントンみかさんが、この企画についてグリーンブラットさんに報告書を書くというので、僕はすぐに稽古場を出てエグリントンさんと巣鴨のファミレスで話しをした。エグリントンさんの質問に僕が応えるという形式。なかで、戯曲のなかに登場する人物の名前のひとつが、大きな間違いをしていることにエグリントンさんの指摘で気がついた。それは僕も、なんかちがうような気がしていたが、やっぱりそうだったという話。「ドン・フェルナンド」のことを、「ドン・フォセ」と書いていたのだ。誰だ、その、「ドン・フォセ」ってやつは。
■いろいろ質問してもらえて僕自身も、考えがまとまる。とてもいい時間だった。で、これまでもシェークスピアをモチーフにして舞台を作ってきたかと聞かれ、考えてみたら、意外に多いことに気がついた。『ヒネミの商人』(93年)がそもそもそうだったよ。もちろん、下敷きにしているのは『ヴェニスの商人』だ。『ヒネミの商人』は機会があったら再演したい。初演と同じメンバーでできたらいい。あした日曜日(7日)は稽古が休み。月曜日から「通し稽古」に入る。少しずつ表現を深めたい。

■ところで、映像班がきょうは、鶴見、川崎周辺の工場地帯の映像をクルマに乗って撮影に行ってくれた。まだ映像をチェックしていないのでわからないが、なかなかにいい絵が撮れたという話。僕も行って指示を出したかったが稽古を優先である。いい絵を撮るために高速道路を30キロで走ったという。引きで撮影したいために反対車線を逆走したという。勝手に工場の鍵を開けてなかに入ったという。天気もよくてよかった。舞台は少しずつできあがってゆく。

(6:49 Mar.7 2006)


May.5 fri. 「都内の道はすいている」


■稽古は午後2時からなのに目を覚ましたのは、1時過ぎである。もちろん午後の。というか、ほんとは一度、朝の6時ぐらいに起きたがその後、眠れず、このノートを書いたりしていた。また寝る。連休のあいだ都内の道はすいている。大あわてで稽古場へ。稽古は、夜10時近くまで。少し長めに通しつつ、まだ未整理な部分を抜きで稽古する。だんだんよくなってきた。きょうは鈴木がたまらなくおかしい瞬間があった。笑ったなあ。それが再現できるかどうか。ただ、鈴木のもっている魅力は確実にある。あれはなんだろう。少人数の稽古場は淡々としている。芝居に関して意見を交わしたり、俳優からの提案で、動線をあらためて確認したりと、まだ考える余地はあるし、そこでは語りあう。休憩の時間は僕は喫煙室にいるから俳優たちとはあまり話しをしない。誰もいない喫煙室には日が差して気持ちがいい。ぼんやり考えごとをする。
■稽古を終え家に戻ると、東京新聞から頼まれている書評のために、松浦寿輝さんのエッセイを三冊、それぞれ少しずつ読む。身辺雑記的なエッセイも面白いが、やはり、文学にかかわる批評的なエッセイが刺激的だ。これをどのように書評にするかはたいへんむつかしい。というわけで仕事はしている。ゴールデンウイークとはまったく縁がない。「考える人」という雑誌では、連載のエッセイとはべつに、すでになくなられている戦後の文学者、知識人をとりあげ、それを短い文章で評するといった企画があり、僕は、内田百間と舟越保武について書くことになっている。舟越さんの彫刻作品「長崎26殉教者記念像」を観に長崎へ行ったのはあれはもう、何年前になるだろう。よかったので二日にわたって観に行った。
■そういった仕事を今週中にやってしまわないと、来週はまた、大学もはじまるし、稽古も大詰めになるので落ち着いてものを考えられないだろう。とにかく、一度、短い時間で目が覚めてしまう病に困っている。八時間ぐらいびしっと眠りたいなあ。あと、不義理をしている文芸誌の方にも連絡しなくては。今年の夏こそは(『モーターサイクル・ドン・キホーテ』が終わってから)小説を書こうと思うが、八月ぐらいに、またべつの舞台関連の仕事を依頼されている。地方に行く仕事。それはそれで、楽しそうだから困るよ。

(9:13 Mar.6 2006)


May.4 thurs. 「ゴールデンウイークでも稽古」


■連日、『モーターサイクル・ドン・キホーテ』の稽古をしているのだった。鍼治療のおかげか、睡眠異常が少し緩和され、よく眠った。ただ、3日(水)は、治療の直後だったせいで発熱したのである。というのもそもそも鍼を打つというのはからだに傷をつけることだからだ。入れ墨をする人がその直後、熱が出て眠れないといった話しを聞いたことがあるが、それの軽いやつと考えていい。3日は、そんなわけで僕の都合で稽古の開始時間を夕方にずらしてもらった。午後遅い時間まで眠った。からだの調子がとてもよくなった。稽古と戯曲を書くのを平行してやっていた4月半ばから後半にかけ、疲労がひどくたまったのがようやくとれた感じだ。
■3日の稽古にはこの舞台のプロデューサーである内野儀さんも稽古を見にきてくれた。仕事でインドに行っていたそうだ。胃を壊したという。でも内野さんもタフだなあ。外国にしょっちゅう行っている。僕はその移動だけでからだががたがたになりそうだ。
■全体で六場あるシーンをひとつずつ整理してゆく。小田さんのせりふがだいぶ入ってきた。まだからだが重そうだがきっと大丈夫だろう。もちろん、ほかの俳優とやりとりする稽古も大事だが、せりふをじっくり入れる時間が必要な気がする。この二日、少し長めに流して、そのなかから、まだ整理しきれていない場面を抜きで稽古する。少しずつできてゆく。アウトラインはほぼできた。あとは表現を深める作業。あるいは安定感を増すための反復。流れはできてきても、このせりふは、もっとよくなる、このやりとりはもっとよくなるという箇所がまだいくつかある。丁寧にチェックしてゆかなければな。あるいは場のつながるところをどう表現してゆくかまだ整理できていない。それは僕の仕事だ。でも、稽古はゆっくりやっている。がちがちタイトにやるのではなく、俳優たちと相談したり、考えながらゆっくり進む。小田さんや下総君がせりふがまだ曖昧なときは、待つことにした。せりふを入れるための時間を作ると、演出助手の大沢君や、高橋さんが、プロンプ(横でせりふを伝える仕事)をやってくれる。高橋さんがプロンプをやっているのを見ると、文学座はお年をめした方が多いから、これ、若いときよくやっていたんじゃないかと想像してしまう。プロンプするのもうまい気がしたのだった。っていうか、劇団ではそれがひとつの仕事になっているのじゃないかと想像したのだ。

■というわけで、もちろんこの舞台はプロデュース公演だが、どこか、手作り感が稽古場に生まれている。もちろん緊張感も必要だ。緊張感がなければいい舞台は生まれない。だけど、大人が多いから、むかし、たとえば『知覚の庭』というほとんど未経験の若い者らと舞台を作ったときのような、僕がなにかと注意するといったことはない。大学での授業における発表公演になると、それは京都でも早稲田でもそうだったが、どうしたって教師にならなきゃいけないわけだ。こっちが大人になる必要がある。わたしは思うに、わたしには、大人が向いていないと思うのだ。
■きょうは稽古を早めに終えスタッフ関連の打ち合わせ。照明の斉藤さんも参加してくれた。林巻子さんから美術の提案。模型を作ってきてくれた。舞台がフラットではなく、わずかながら段差のあるエリアがいくつかあり面白い。ただ、あとで考えてみると、バイクが難しいと思ったのだ。というか、バイクが走る爽快感が薄れるのが惜しい。まあ、舞台上をものすごい勢いでバイクが走るわけではないものの、だーっと外から舞台にバイクが走り込んでくる気持ちよさをどう殺さず、そしてこの段差をうまく生かせるか。装置を決定する前に、バイクが実際に走るのを林さんに見てもらったほうがいい気がした。バイクを走らせるには、またあの、横浜に行かなければならんのだな。あそこはいいが、せりふがわんわんして、通常の稽古にならないのが問題だ。どっちもクリアできる空間はないものだろうか。
■いろいろあって、ようやく舞台は完成まで半分ぐらいになっただろうか。いよいよこれからだ。余裕をもって仕事をしよう。できるだけ大勢の人に観てもらいたい。横浜がなあ、東京からだと遠いのはあれで、たとえば仕事帰りの人など、時間に間に合わないんじゃないかとそれが心配だ。平日は開演八時とか、そういった、イレギュラーな公演があってもよかったかもしれないといったことを考えつつ。

(9:12 Mar.5 2006)


May.2 tue. 「寒い横浜で稽古をし、そして鍼治療」


■午後からまた横浜へ。道はすいていた。「BankArt Studio NYK」の一階にある倉庫のような巨大な空間を使った稽古だ。きのうとうってかわってものすごい寒さだ。室内でも暖かい場所がまったくない。冷えた。立って稽古を見る傾向にある僕は、かなり腰がまずい。それでもそのことに耐えつつ稽古をした。びっしり稽古したぞおという、充足感があまりないのは、倉庫を改造したこの空間は声が反響して細かいニュアンスがよくわからないからだ。あと、休憩をしばしば入れ、それというのも、煙草を外に吸いにゆきたくなるからで、それがたいへんにまずい。細かいダメだしをあまり出さず、大ざっぱなことしか僕が言わないので、むしろ俳優側から質問が来る。それに回答する。そのなかで発見もある。俳優からもたらされる貴重な劇へのアドヴァイスだ。細かい芝居はうまく稽古できなかったが、バイクを走らせることができたのはよかった。バイクはやっぱりかっこいいですよ。エンジンの音がいい。
■途中、腰がだめになる予感があったので、いつも鍼治療をしてもらっている医院に連絡し夜遅く、治療してもらうことにした。ちょうど連休の直前であしたからはもう治療してもらえなかったので助かった。鍼治療は大サービスしてもらった。なにしろ治療が終わったのが午前1時である。打った打った。ものすごく鍼を打った。痛いなんてもんじゃない。打つたびに先生が、「なんだこれは」とか、「うわ」とか、「これはひどい」「だめだ」「どうしてこんなことに」と声をあげる。からだががちがちだった。やってもらわなかったらこの連休中のどこかで、また腰がだめになり動けなくなっていたと思う。助かった。
■稽古は少しずつ。時間はもうあまりないけれど、ちょっとずつの積み重ねである。やっぱり小田さんのせりふが膨大。とても大変そうだ。なかなかせりふが入らないことに苦労して、小田さんのからだがひどく重くなっている。でも、まだ三週間ぐらいあるから大丈夫。きっと大丈夫。まったく心配していない。むしろ、入らないことに開きなおって生き生き稽古をしてもらいたい。途中から参加した岩崎が、そのせいか、固い感じを受ける。でも、それも大丈夫。みんな大丈夫だ。少しずつ直してゆけばいいし、クオリティがあがってゆくだろう。僕までぴりぴりしないようにとつとめる。若いころって、なんであんなに、稽古場でぴりぴりしていたのだろうと思う。いまになって反省する。ひどく寒い一日。途中、地震。僕は鍼治療。痛かったなあ。ほんとに悲鳴をあげるほど痛かった。

(6:29 Mar.3 2006)


May.1 mon. 「横浜で稽古」


■稽古を終えて家に戻ったら、「MAC POWER」の連載があしたまでだと、T編集長からメールがあるのを確認した。あ、もう五月だ。稽古と平行していくつかの原稿がある。断れなかったのだ。それもまた、僕にとって必要な仕事である。『モーターサイクル・ドン・キホーテ』にかかわる俳優、スタッフもまた、それぞれ、様々な仕事や事情をかかえながら稽古しているのだから、僕も弱音を押さえ書かねばならぬのだな。
■といったわけで、本日の稽古は、横浜の「BankArt Studio NYK ■稽古場は空気が逃げる場所がなかったので、排気ガスがたまりそれをまともに吸ったら気持ち悪くなった。劇場ではどうなるか。すぐに排気するように考える。空気の逃げ場を考えねばな。少し稽古を早めに切りあげ、「BankArt Studio NYK」の二階にあるパブでみんなと軽く飲み会。というのも、稽古の第一回目に親睦会みたいなものをやったが、途中から稽古に参加した岩崎が来てからこういったことをしていなかったからだ。しかも、ここのパブ(昼間はカフェ)の空間がやたら気持ちいいのでやりたかったのも大きい。下総君がつくづく、「穴場」だと言っていたように、あんまり人が知らないし、まあ、場所が遠いこともあって来るのが大変なのだろうが、ほんとうに、いいわけですよ。ばつぐんだと思う。気持ちのいい時間を過ごした。居酒屋なんかよりぜったいいいな。静かだし、ふと横を見れば美術作品があったり、壁にビデオ映像作品が流れている。

■でも、きょうはクルマに疲れた。昼間、横浜に向かうときは山手通りが異常な渋滞だった。帰り、甲州街道沿いに帰る人たちを送ったが、途中で運転に飽きていたのだ。しかも眠くてなんどか運転しながら眠りそうになっていた。危険、きわまりなかった。それでも無事、帰還。家に戻ったらもう12時近く。それで、原稿催促のメール。茫然とする。でも稽古の成果は少しだがあった。あと三週間だ。「STUDIO VOICE」の最新号に、『モーターサイクル・ドン・キホーテ』の紹介が載っていた。白水社のW君が書いてくれた。ありがたい。

(4:29 Mar.2 2006)



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