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Nov.15 tue. 「空になった牛乳瓶と、秋の駒場」 |
■昨夜(15日の未明)は眠る直前に「一冊の本」の原稿を書いた。眠る直前の原稿は不安だが、そのまま、メールで送ってしまった。というのも午前中が締め切りというぎりぎりのタイミングだったからだ。午後近くになって目を覚ましたあと、すぐに送った原稿を確認した。とんでもないことが書いてあったらどうしようか不安だったが意外にまとまったことを書いてあったので一安心する。眠る直前にメールを書いて何度も失敗しているからな。このあいだ、朝、目を覚ましてから仕事場に行くと、コンピュータの前にコップと空になった牛乳瓶が置いてあって驚いた。どうやら、眠る直前に、牛乳を飲んだらしいのだがぜんぜん記憶にないのだ。
■午後、ようやく気を取り直し、駒場の授業へ。ほんとうに冷えてきた。自分ではわかっているつもりで進めてきた授業だが、たとえば用語のひとつをとっても理解されないことがあるのではないか、僕はわかっているつもりで話していても、受講する者の大半が八〇年代に生まれたと考えればですね、共有する感覚からなにから、ほとんどないのではないか。僕の授業の進行の不備もあるしうまく伝わっていないと不安になっているのだ。そもそも、この授業でなにをしようとしているかまったく理解されていないような気もする。本日は、「八〇年代は近代のやりなおしだった」というテーマに沿って話をし、その後、受講者から質問を紙に書いてもらって提出してもらうことにした。これでお互いの誤解が解けるような気がする。学生はなにを求めて八〇年代について話を聞きに来ているのか、あるいは、僕の言葉足らずの講義でわからないことがあるのではないか。「なにか、質問は?」と声をかけてもたいていは出てこないので、授業では、この手を使う。受講する者がなにを考えているかよくわかるからだ。
■なかなか面白い質問が出た。いくつかに応え、そこで時間が来てしまったので残りは来週に回すことにした。やはり、質問を受けるのはいい案だった。おそらく、ここでやっている講義の内容は誰もまだやっていないこと、っていうか、誰もやらないにちがいないし、取り上げることすら人はあまり意味を感じないと思うものの、しかし、それを考えつづけることによって「いま」を理解する。前方がまったく見えない道をわけいってその森に入ってゆくような気分だ。そこで本日の発見は、「八〇年代の分岐点」という問題だった。その分岐において現在が作られていると考えられる。つまり、「八〇年代の果たした功罪」についてだ。八〇年代の可能性と、きっちり否定すべき八〇年代があり、問題は、「可能性の側」が、その肯定するべき本質や可能性に気がついていないところではないか。しかもその「可能性」がつまらない大衆化によってむだに消費されているからいけない。といったことを、終わってから家までの道をクルマを走らせながら考える。その途中、アゴラ劇場の前を走っていたら、向こうから、桜井圭介君と、チェルフィッチュの岡田利規君が歩いてきた。軽く挨拶。
■WAVE出版のTさんからFAXやメールでこんど出る新しい単行本のことで連絡があったが、さらに、お菓子を送ってもらった。「栗こごり」という名前の岐阜のものらしい。とてもおいしい。宅急便の伝票に荷物の内容について「お菓子」とあったので、ま、それはそうなんだけど、その響きで笑いそうになる。あ、そういえば、駒場の授業を終えてキャンパスを歩いているときまってその時間、学生が四人、そして外国人の教員がいるという授業が窓から見える。おそらく語学の授業だと思うものの、いったい学生四人というのはどんなマニアックな言語を習っているのかと興味が尽きないのだった。
(15:57 nov.16 2005)
■驚いた。もうだめだとあきらめていたデータの多くが、「Disk Warrior」で復活したのだった。クラッシュしてマウント(簡単にいうとデスクトップ上にハードディスクが現れること)されなかったハードディスクが読めるようになったのだ。いくつかファイルが消えていたものもあったが、たとえば早稲田の授業用のノートなどが復活。「よりみちパンセ」は読めるものとそうでないものがあった。でも、かなりの収穫だ。とたんに気分がよくなる。
■それでお昼過ぎ、少し散歩に外に出ると気持ちのよい冬のはじまり。小田急線・参宮橋の駅前にあるカレー屋で昼食をとり、それからあるのは知っていたが見たことのなかった参宮橋駅近くの乗馬クラブをのぞくと意外に敷地が狭かった。馬を見る。ポニーも見る。そのまま、明治神宮の中へ。つまりそこからが神社内の「西参道」になるが、いきなり森だったのには驚かされる。きょうが七五三だということに気がついたのは、晴れ着姿の子どもらがいたからだ。しかし、明治神宮といったらまだ百年も経っていない歴史の浅い神社だし、まつられているのはついこのあいだ死んだ明治天皇じゃないか。もっとほかに行ったほうがいい神社があるんじゃないかと思いつつ、しかし、ここの樹木や庭には驚かされる。家の近くにこんな自然があったとは知らなかった。よくもまあ、こんな都心になあ。噂によると皇居はもっとすごいらしい。貴重な植物類があるという。しばらく境内を歩いたが本殿までゆくのはやめにした。
■それからまたぶらぶらする。住宅街のなかに、「刀剣博物館」というものがあるのを発見し、ためしに入ってみる。日曜日の午後だというのにほとんど人はいない。このあいだあるニュースで、カッターナイフを所持していたというだけで「銃刀法違反」で捕まった人が報道されていたが(詳しい事情はよくわからない)、こうなるともう、この博物館はかなり高度な「銃刀法違反」だ(ま、銃刀法のことはよく知らない。だけどなあ、カッターナイフ所持で捕まるって、たいへんだぞ)。ただ、それを美術品として見るとなかなかの迫力である。そしてその刃の鋭さには強いストイックさがあるように思える。ここにおける「美」とはこうしたある種類の精神性のことなのだろう。だけど、鑓はすごいよ。見ているだけでおそろしくなる。これで突かれるのかよって話だ。あれだけは一度、見たほうがいいと思う。
■といった日曜日だ。新しいPowerBook G4の環境整備をする。さあ、仕事だ。でもやっぱりこれから原稿は、Windowsマシンで書こうと思うのだった(このノートをPowerBook G4で書く必要があるのは、画像加工などのソフトがMac用しかないからであった)。ま、だからなんだって話ではあるが。そうそう、伊豆の母親毒殺未遂の高校生の記事を読もうと週刊誌まで買ってしまったのだった。ある作家がコメントを寄せており、それ、ネット上における掲示板にしばしば書かれがちな(って、人の噂でしか僕はあまり知らないが)、犯罪者を精神的病者だとしか判断しない例のあの乱暴な単純化を、少し社会性のある言葉におきかえただけのように読める。
■犯罪には、「このばかが」と簡単に言葉にできる単純な事件も当然ある。夫婦でパチンコをやっているあいだに、パチンコ屋の駐車場に停めていたクルマのなかで子供が死んだ事件は「このばかが」の典型だ。「ばか」はまだ、社会の枠のなかにいる。あるいは、完全にそうした枠の外にあるのなら(ジャンキーの犯罪とかね)、それはそれで理解はたやすい。きっとどちらにも属さぬ不可解な領域があるからこそ、考えるに足る複雑さが引き出され、そのことが、たとえば演劇ならまた異なるドラマツルギーに対する思考の手がかりになる。
■だから、もっと考えなければと思いつつも、仕事をしなければいけないのだった。そうだ、仕事だ。ぼんやりしている場合ではないな。馬を見ている場合でもないのだ。仕事をしよう。やっぱり大切なのは「陣地戦」だな。ただ、思ったんだけど、やっぱり「機動戦」は面白いわけですよ。この面白さは抗いがたいのだった。
(13:47 nov.14 2005)
■駒場東大前にあるアゴラ劇場へ。チェルフィッチュの『目的地』を観る。ワークインプログレスを横浜で観たが、本公演で作品を観るのはこれがはじめてだった。ワークインプログレスでその舞台のイメージはあったが、一時間四〇分ばかりの作品となるとまた印象がちがう。とても刺激を受けた。チェルフィッチュというと「劇言語」がとくに注目されるし、あるいは、からだの動きに対する特別なアプローチに目がゆくのは仕方がないとはいえ、ドラマをこの語り口で表現するその重層的な構造に感心した。ことごとく芝居の約束事を壊してゆく。あるいは、あるハーブ茶が登場しそれを妊婦が飲むらしいことが語られるがそれを飲めば、流産することはよく知られており、そこに鍵が潜んでいると思われる。
■あるいは、太田省吾さんが時間を引き延ばす方法とはべつのやり方で、同じことをべつの視点から繰り返し語るのは、時間を引き延ばす方法だと考えると、ここには劇的なるものへの強い疑いがある。舞台となる横浜のニュータウンを通じて、これはごく近い時代の歴史を語ることで社会のある断面を表現しているのが僕には興味深く、それというのも、たとえば「戦後史」を語るときにそれは七〇年前後で僕などは終わるが、一九七〇年代以降に、「ポスト戦後史」ともいうべきものがあって、作者における歴史意識をかいま見ることができる。その象徴が「ニュータウン」だ。はじめに前田さんが妊娠しているのではないかという話から、ニュータウンとはまったく異なる文脈によってドラマははじまるが、いつのまにか、そんな話はどうでもよくなるかと思うと、それがまたべつの話にすりかわる。「ニュータウン」というトポス、あるいは新しい語り口によって「ポスト戦後史」が語られてゆくのが僕には興味深かった。
■それと同時に、舞台の印象はとても洗練されている。いまだに、泥臭い舞台が主流だったり、八〇年代的な舞台、あるいは、どうかと思うほど古くさい劇がはばをきかせているなかで、このかっこよさは気持ちがいいし、そして、その完成度、成熟度に感心した。岩松了さんが観に来ていたので終演後、話を聞きたかったが、いつのまにか姿が見えなかった。もちろん、気になる部分がなかったわけではないが、まあ、少々のことはどうもでいいような気がする。そこらも岩松さんに話を聞きたかったが。でも、こういうアプローチで舞台を作っている人に驚きもある。
■ ああそうですかと人に思われるのを覚悟で書けば、気分はだいぶ回復傾向にある。火災保険に入っていたおかげで、家庭電化製品(コンピュータも含む)などが壊れた場合、全額保証に近いケアをしてもらえることがわかり、いま現在出ている、ほぼ同等スペックの新しい「PowerBook G4 12inch」が保証されることになりそうだ。で、いくつかのブログを読んだら、旧「PowerBook G4 12inch」のハードディスクがクラッシュしている報告がいくつかあってちょうどいま、その寿命が終わるころになっているのを知った。一年間半ぐらいでハードディスクは交換すべきか、バックアップをまめに取る必要を痛感。「Windows機」はそんなことがまったくない。デスクトップとノートブックのちがいがあるとはいえ、まあ、どっちにしてもバックアップの必要性身をにしみた。なんんにもしないのはあきらかに間違いであった。
■「よりみちパンセ」も書こう。小説もあと少しなので完成させよう。12月に入ったら新しい舞台『鵺』の戯曲を書かねばならぬのだ。少しずつ気分が高まってきたし、もっと本を読むことだとつくづく実感。それしかないよな。で、木曜日は早稲田で授業が二コマ。金曜日は一コマあって、授業が終わってから、九月にあった二文の「演劇ワークショップ」の反省会のようなものがあったが、ぜんぜん忘れていて打ち合わせを入れていた。反省会に少し参加。それですぐさま、打ち合わせのため、早稲田から三軒茶屋へ。来年上演予定の現代能楽集『鵺』の打ち合わせ。それをすますとまた早稲田へ。反省会の続きだが、その後、親睦会に流れたものの、反省会もそうだけど、教員関係者で来ていたのは、僕と、音響の指導をしてくれたYさんだけだった。スタッフワークを含め、合評みたいなことをきちんとするべきだ。
■親睦会は深夜まで(主にこの親睦が主とした会であった)。学生たちといろいろ話ができておもしろかった。早稲田とジャニーズが共同制作する舞台があり、その演出をしている学生があまりの大変さに、毎日、泣いているという話を聞いてなんとか助けてやりたいものの、僕もまた、せっぱつまっているのだ。申し訳ない気持ちになるっていうか、そもそも、この企画自体がいかがなものかという疑問もないわけでもないだけに、関わるのがどうも曖昧な気持ちになる。といったわけで突然、東京はものすごい寒さだった。風邪をひくまいと気を引き締める。あ、そうだ、チェルフィッチュに、「Disk Warrior」のことを教えてくれた渕野が来ており、そのソフトについて解説してくれた。ありがたい。
(1:06 nov.13 2005)
■やけに天気のよい水曜日だった。『トーキョー/不在/ハムレット』にも出演した渕野からもハードディスククラッシュ問題についてアドヴァイスのメールをもらった。ソフトでデータを復旧させる話だったが、実はそれもやってはみたが、だめだったのだ。ただ、僕が試したのは、「Tech Tool Pro」だけで、渕野がほかに例としてあげていた「Disk Warrior」というのは試したことがない、っていうか、その存在すら知らなかった。やるだけやってみるべきだろうか。やらないよりはましな気もしないではない。
■そういえば、やたらニュース番組を見ている一日だったのは、フランスの暴動事件はどういったことになっているのか知りたいと思ったからだが(まあ、新聞、ネットのニュースサイトを見ればいいものの)、それとは関係なくキャスターやアナウンサーのほかに出てくるのは、政治家だったり、経済の専門化だったり、どいつもこいつもエスタブリッシュな感じがして、少数派の言葉がテレビからはなにも流れてこないいびつな傾向にいやなものを見る。靖国問題で政治家たちから意見を聞くのも大事だろうけどさ、スタジオにホームレスの何人かを呼んで話を聞くようなニュース番組があってもいいじゃないか。VTRじゃだめだ。スタジオに呼べ。それにしても防衛庁がかつてあった六本木近くの土地に新たに作られるビルには居住スペースもあって、一室の広さは最上級でたしか400平方メートル、しかも賃料が400万円だと新聞で読むと、いよいよ大変なことになっているのだと知る。森ビルの人が都内に高層マンションを建設することでその付近の土地がべつの目的で活用でき樹木を植えれば都市環境に貢献できるなどと言うが、その高層マンションに住んで樹木のある土地の恩恵に属するのはいったいどこのどいつだ。
■少し前のことだけど、伊豆で起こった女子高生が母親を毒殺しようとした事件の詳細が知りたくてすごく久しぶりにワイドショーというものを見てしまった。以前、ワイドショーでやはり事件の詳細を知りたくて見たのはたしかオウムだったから、もう10年も前のことか。相変わらずだなあワイドショー。作りがほとんど変わっていない。週刊誌とかこういったテレビ番組は方法を変えてはいけないのだろうな。で、ワイドショーを見るとなかなか目的の事件がはじまらず、おかげで、ジャンボ尾崎さんが多額の借金をかかえかつて住んでいた豪邸が荒れ果てている話とか、大田区の住宅街でマンション建設のため桜の木を伐採するのに住民が反対しているニュースとか、知らなくてもべつにいいような出来事を知ってしまった。むかしエッセイにも書いたことだが人は油断すると知らなくてもいい情報をうっかり知ってしまう。ほんとにおそろしい世の中だ。
(9:33 nov.10 2005)
■Wさんという方から「ハードディスク復旧」というサービスがあることをメールで教えてもらった。ありがとうございます。で、調べてみるとものすごい費用だ。たとえばこれが企業などで顧客名簿など重要書類が消えたとしたらその費用は(企業レベルなら)安いかもしれないが、個人でこれはなあ。で、そのメールに「新刊を待ち望む一読者より」とあって、また感謝。もうすぐ何冊か出る予定です。「Mac Power」の連載もまもなく単行本になるでしょう。お待ちいただきたい。
■それにしても、フランスはたいへんなことになっている。そのニュースを聞いたのは、ちょうど、『at』という雑誌の柄谷行人さんのマルクスに関する論考を読んだころで(しかしこの評論はなんでこんなに引用が多いのだろうと素朴に疑問を持ったものの)、それによると、一八四八年のパリ革命ののち、その失敗を踏まえてマルクスは「永続革命」という考え方を放棄しているという。その後のマルクス主義者の一部はその考えに則り、「機動戦」ではなく、「陣地戦」を選択し、『資本論』は「陣地戦」のためのマニュアルとして読んだとある。だが、ロシアでなぜか「機動戦」が勝利してしまったがために、トロツキーをはじめ、「永続革命」をより強調する者が出現した。いまフランスで起こっている事態はまさに「ならず者の革命」だ。だけど、「ならず者」ってやつには、政治的な定義はないのだな。なにをきっかけに、なにを背景にして「ならず者」になるか、出現するかわからない。そしてマルクスは「機動戦」を捨て、「経済革命」のための「陣地戦」のマニュアルとして『資本論』を書いた。というのも、「資本主義」が、「自然発生的な資本主義」から、「国家資本主義」に移行する段階にあり、それを細密に分析することが急務だったからだ。考えてみるとこのときのマルクスの落ち着きぶりはなんだったかだ。10数年、それに費やして経済を分析しているのだ。なにも焦らない。すぐにも街頭に出て火炎瓶を投げてもよかったはずだが、ひたすら図書館にこもって、のちにエンゲルスによって『資本論』としてまとめられる、「経済学批判」の分析と執筆をしていたのだ。
■そのとき、マルクスは書いたものをなくしたりしなかっただろうか。家に帰る途中で公園のベンチで休み、書いたものをベンチに忘れてなくしてしまったりしていなかっただろうか。きっとあったにちがいない。だが、それでもマルクスは挫折しないでまた書き直しただろう。なにしろ10数年それに費やしている。そのあいだに家族が貧窮で死んだりしている。それでも書き続けたマルクスが正しかったかどうかはもうこうなるとよくわからないが、ハードディスクのデータがちょっとなくなったくらいで、なにもする気がなくなっている場合ではないのだった。なにしろ、「機動戦」ではなく、なすべきは「陣地戦」だ。いま、この場所で、じっとこらえつつ闘うのはある種の覚悟だ。だけど俺は飽きっぽいんだ。ついつい、機動戦にもちこみたくなるからいけない。
■そんなわけで、駒場の授業。きょうは、『モンティ・パイソン正伝』の翻訳をした奥山さんが来てくれた。僕は授業後、起動しなくなったPower Bookをすぐにお店に持ち込まなくちゃならなかったので、ゆっくり話しをする時間がなかったのは残念だ。で、きょうの授業ではあまり音楽をかけなかった。ピテカン関係者の音楽をいろいろ聞かせようと思ったが、結局、桜井圭介君の曲だけ流した。というのも、話したいことがいろいろあったからだ。ほんとは質問も受けようと思っていたにもかかわらず、それも忘れていた。一時間半の授業は、長いと思うときはほんとに長いが、あれっと驚くように終わってしまうときもある。
■というわけで、その後のPower Bookだが、幸いなことに私が火災保険のようなものに入っていたことで、いろいろ解決することがわかった。いろいろな方からメールをもらいました。ご心配おかけしました。やはり、「陣地戦」だな。なんのことだかよくわからないかもしれないけれど、とにかく、陣地戦である。
(16:00 nov.9 2005)
Nov.7 mon. 「さらにテンションがさがる事態」 |
■Power Bookのハードディスクを交換し、データは損失したものの、また一から出直しだと思った途端、こんどは起動時にわけのわからないビープ音が鳴るようになったのだった。というのは正確には、いま眼を覚まして起動しようと思ったらそうなったわけで、だから、日曜日、月曜日は調子よく動いていたのにいきなりの事態だ。いろいろ調べるとロジックボードがいかれたらしい。となるとこれはもうロジックボード交換ということになり、修理に出さなければならない。いったいなにがいけなかったかとなると、まあ、ハードディスク交換時の作業かもと推測できるとはいえ、あれはリスクの高い賭だったのだな。最初からアップルに持ち込めば修理費は高いだろうがそれにかかわる保証はあったかもしれない。それにしてもつくづく、なにもする気がしない。やらなくちゃいけないことはいっぱいあるが、そういったわけでまったくだめである。「新潮」の最新号に掲載された岡田利規君の小説のことや、同じ号に載っている渡部直巳さんの「面談文芸時評」のゲストが青山真治さんで、その話がとても興味深かったことなど書こうと思ったがそれどころではなくなってしまった。実際のところ、ほんとうに、もう、なにもする気がしないのである。
(10:30 nov.8 2005)
■といったわけで、ハードディスクのトラブルからいまだに立ち直れずにいるまま、茫然と一日を過ごしてしまい、そのことでまたいやな気分になる。やらなくちゃいけないことは山積だ。なにはともあれ、「よりみちパンセ」の書いたところまで思いだして書き直そうと思うが、なんだったかほんとに忘れてしまった。少し本を読む。授業の準備のために資料を読んだりとか、『at』という雑誌に掲載された柄谷行人さんの「革命と反復」というマルクスに関する論考など、いくつかぱらぱらと。しかし集中力がぜんぜんない。
■そうそう、きのう書いた「ハードディスクを修理してもらう」という表現はまちがいで、正しくは「交換」だ。それで東横線・自由が丘の「MJSOFT」という店に行ったのだった。デスクトップのコンピュータだったらハードディスクの交換は簡単だが、さすがにノート系、とくに、Power Bookをばらすのはかなりむつかしい。ネットで「ばらし方」は公開されているものの、それを見て一カ所だけ取り返しがつかないことになりそうな部分があったので、以前、あきらめたのだった。交換してもらっているあいだ自由が丘の喫茶店を二軒ほどはしごしたが、最初の店のマスターは流れている音楽に合わせて歌ったり、指をぱちっと鳴らしたりとマスターひとりがにぎやかだった。あと土曜日の自由が丘は人が多いということも知った。緑道のような場所にあるベンチでぼんやりしていると、目の前を通る人の往来はひっきりなし。近くの駐車場はどこも満車でかなり遠くまで駐車しに行った。「MJSOFT」は感じのいい店で、働いている人たちの印象も、さすがに自由が丘だからか、秋葉原とはぜんぜんちがう。
■それにしてもテンションがあがらない。せっかくの日曜日だというのに雨は降っているし気温も低い。しかも、こんなにデータを紛失させたのは、コンピュータを使いだしてもう長くなるが、おそらく初めての経験だ。つくづくバックアップの必要を痛感。まあ単純だがこれも学習ってことだな。とにかくなにもやる気がしないものの、やらなくちゃいけないことは目前にある。あ、そうだ12月は「吾妻橋ダンスクロッシング」に久しぶりに「alt.」の名前で参加する。「せりふで踊る」というものを演出するのだった。そのサイト(イラスト中央にある開催決定と書いてあるところをクリックすると内容が出てきますって、それを発見するのに、10分ほどかかっちゃったよ)の僕の紹介が、「a.k.a AKIO MIYAZAWA」となっているんだけど、この、「a.k.a」の意味が僕ですらわからないのだ。ま、それはともかく、茫然と時間は過ぎてゆく。
(14:22 nov.7 2005)
■ホテルにこもって原稿を書いていたことはすでに書いたが、トラブルが発生した。Power Bookのハードディスクがクラッシュしたのだった。それが金曜日の夕方。その日は家に戻ってデータがリカバリーできないかとあまり眠らずに作業したがだめだった。で、きょう、『トーキョー/不在/ハムレット』にも出ていてコンピュータにも詳しい岸に相談したりなどして、ハードディスクを交換。Power Bookはなんとかなったが、データは戻ってこない。いくつかのファイルはハーディスクが危ないと思ったときからバックアップをとってあったが、たとえば、早稲田の授業のノートや、駒場の授業のための資料が消滅。さらに、ホテルにこもって書いた「よりみちパンセ」の原稿がほとんど消えた。最初に書いた「序文」だけを、こんな感じになりますと担当の打越さんにメールで送り、それだけがかろうじて残ったのだった。送っておいてよかった。あれまで消えていたらショックは五倍くらいになっていたような気がする。
■それでもショックだ。土曜日はハードディスクを直してもらうために奔走し、それだけでもどっと疲れた。さらにデータがないんだ。なんにもない。ネットをチェックしようと思ったってブックマークがない。メールはべつのマシンで受け取ってあるからよかったが、写真類は全滅。音楽は外付けのハードディスクを保存先にしてあったから助かった。いま書いている小説は三カ所ぐらいにバックアップを取ってあったのでよかったものの、最近書いた原稿のほとんど消えた。ほかにもいろいろ。ほんとうに失敗した。落ち込む。睡眠不足もあってぐったり疲れ、夜、少し眠ったが、また起き出して、コンピュータの環境整備。あのね、コンピュータになにかトラブルがあったあとってのは、この環境整備でひどく消耗するのだ。ふつうに原稿を書けるように元通りするだけでかなり時間がかかる。
■で、いろいろ考えていたことを書こうと思っていたのに、それもすっかり忘れてしまった。データの損失と、時間の損失ですっかり意気消沈である。月曜日からは駒場や早稲田の授業の準備をしなくちゃならないし、打越さんにも申し訳ないことになってしまったしで、もうほんとに参った。そういうときは眠るに限ると思ってベッドに入ったが、二時間くらいで目が覚める。コンピュータの環境整備。そしてこのノートを書いている。ま、すんだことはしょうがない。次のことをやらなければな。それにしてもいい天気。ハードディスクを直すために岸に紹介してもらった業者を訪ね、東横線の自由が丘に行った。修理がすむまで3時間ばかり自由が丘をぶらぶらした。といったことをしているあいだに、ニブロールのワークインプログレスがあることをすっかり忘れてしまい、まあ、ホテルにこもるので行けないとは思っていたが、その待っている3時間で行けばよかったと思う。それにしてもフランスはたいへんなことになっているのだな。演劇のことで思いついたことなどまた書こうと思うがそれはまたいずれ。うちひしがれているのだった。
(6:15 nov.6 2005)
■都心のホテルにこもって原稿を書いている。理論社から「よりみちパンセ」というシリーズの本が出ておりその一冊を担当していることはすでに書いたと思うが、いっこうに書かないものだから、担当編集者の打越さんがホテルにカンヅメにするという策を思いついたというわけである。まだオープンしてまもないホテルのせいか、テーブルの下からLANケーブルが出ていて光回線につながっているというのがすごい。ライジングサンのとき宿泊した札幌のホテルはADSLにつなげるキットが用意されていたが、ここは、ケーブルをコンピュータにつなげばすぐにネットに接続できる。しかも光回線。同じ光でもうちより高速なような気がする。いや、そんなことより、原稿だ。
■「よりみちパンセ」は中学生あたりの世代を対象にしたシリーズで、もちろん僕が書くのは演劇のことだ。僕の経験からして、もっとも演劇から遠いのが中学生ではないだろうか。いまの教科書のことは知らないが、小学生の教科書にはかろうじて芝居の台本のようなものが国語の教科書に載っていた。で、高校になると演劇部がある。中学生のときは、演劇などというものがこの世に存在しているのかすら知らなかった。地方にいると、演劇に触れる機会もあまりないわけで、高校のとき、浜松の町でチラシをもらったのは、アングラっぽい映画と演劇を告知するものだったが、映画は若松孝二の『胎児が密漁する時』、演劇は黒テントの『阿部定の犬』だ。怖いったらない。見たのか、見なかったのかすらもう忘れてしまった。だいたい、演劇はこわいものである。目の前で人が大きな声を出したり倒れたりする。しかしだからこそ面白い部分もあるし、またべつのよろこびが演劇という行為にはあるのだろう。そうでなかったら僕もこんなに演劇にかかわることもなかったと思うし、僕の場合は、俳優という人たちが好きだったのが大きかった。おかしいよな、俳優。人前に出てゆくのだ。しかも俳優は、単なる「演じる人」ではなく、きわめてクリエイティブな仕事だ。けれど、持っているのは自分のからだだけだ。そこにぺたぺた貼り付けたような技術が果たす役割は、俳優にとってはそれほどのものではない。あるいは、技術をどう使うかが試されるとき出現するものが俳優のクリエイターたるゆえんだろう。
■技術はあったほうがいいと思う。それはどういう技術か。それをどう使うか。技術の使いこなし方を獲得するためにはなにが必要なのだろう。いま書こうとしている中学生向けの演劇の本は、そのことのためにある気がする。それをわかりやすく書くのはむつかしい。だけど僕自身にとって考えることの手がかりにもなる。ふだん演劇について考えていることのまとめだ。まとめるような仕事は向いてないとは思うものの、こうなったら覚悟を決めて書く。
■いま泊まっているホテルはカードキーだが、フロントのあるフロアからエレベータに乗るときもそのカードキーが必要になる。エレベーターボタンの下にカードを挿入しないとエレベーターが来ないのだった。いちいち驚く。
(3:18 nov.3 2005)
■駒場の授業は、音楽をかけすぎて時間がなかった。というか、これまで話したことの補足というか、「注釈」のようなもので話が終始する。まずYMOについての注釈。それから六本木WAVEの注釈として、八〇年代の半ば、WAVEで買ったレコードを流す。もう時間が残りわずかになってようやく、「アルバイト」「フリーター」「ニート」といった職業形態の可能性や、そこに潜んでいる「クリエイターという思想」について話がおよんだと思ったらもう、時間切れだ。でも、少しずつわかってきたことがあり、それはそもそも、この授業でなにをやろうとしているかだ。面白くなってきた。来週は、予告によると、「モンティ・パイソンとラジカル・ガジベリビンバ・システム」だったが、そうならないと思う。ということをここに書いたほうがいいと、白夜書房のE君に言われて書くわけではなく、以前、授業の予定をここに書いたらそれに合わせてくるという人がいたので、あらかじめ書いておくのである。おそらく、「クリエイターという思想」について話すのではないかと考えていたら、八〇年代、「クリエイター」という肩書きで仕事をしていた知人のことを思い出した。その話もしておこう。そして、それを否定的な「思想」として語るのではなく、「八〇年代の可能性」としていま話すことに意味があるのは、あらゆる意味においての「新保守主義」は、広い領域に進行しているからだ。
■終わってから、演劇批評家でもあり、東大の先生でもある内野儀さんに会って、あることについて少し話しをする。研究室におじゃましたが、東大は一人一部屋。うらやましいな。駒場まで来てくれたWAVE出版のTさんに『資本論も読む』のゲラを渡す。まだやること、確認することがあって仕事は終わっていないものの、これでひとつ単行本ができる。で、来年の初頭にサイン会をやることになりそうだ。それで関西でもとTさんに言われ、するとまた大阪、京都に行く。楽しみだな。楽しみだが来年の一月はまた、忙しくなりそうだ。大学があるだけではなく、『鵺』という作品の戯曲を書かなければいけない時期と重なる。ま、今年中に書ければいいとはいえ、そう思って書けたためしがない。
■僕の舞台にも出たことのある南波さんからメールが届く。最近、南波さんの日記が更新されていないと思ったら、驚くべきことに、青山真治さんの映画の撮影で西伊豆に行っていたとのこと。出てるのか。それも早く見たいな。西伊豆は奇妙な土地だという意味のことを青山さんが以前、話していたが、そもそも、あの付近は近年になって道路が整備されたがもともとは船しか交通手段のない土地だったと思うし、青山さんが指摘していたのはその地名だ。たとえば僕が知っている範囲では、「戸田」と書いて、「ヘタ」という町がある。たしかにおかしい。どんなアプローチで西伊豆が描かれるのかとても興味深い。それと、南波さんはどんな芝居をしているかも早く見てみたいな。それにしても、『エレ・エレ・サバクタニ』がまだ公開されてないってのはどういうことだ。あんなにかっこいいのに。そして、もう11月。早いな。あたりまえのことを言うようだが、とても早い。空気が冷たくなってきた。風邪をひかないように細心の注意。
(12:25 nov.2 2005)
「富士日記2」二〇〇五年十月はこちら →
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