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Published: Feb. 4, 2005
Updated: Dec. 17 2005
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仕事の御用命は永井まで 松倉ライブ告知
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Dec.15 thurs.  「ウォッカ」

■大学。「演劇ワークショップ」の授業はあまり進展はない。一回の時間が少ないってのが問題だ。なによりそれが問題だ。一コマでワークショップはできない。とすれば、それでもワークショップにしてゆくにはべつの方法を考えるしかない。一回で終わることをやってゆくとか。だが、それで一年やってゆくとして、徐々に段階を踏む必要はあって、それでもやはり、同じような「深化」という問題は残るだろう。技術や表現力を進める、深めてゆくといったことができるかどうか。わからない。
■「演劇論で読む演劇」は「スタニスラフスキー」の『俳優修業』。発表する三人のうち二人が、九月にあった「演劇ワークショップ」で一緒に舞台を作ったという関係もあって、発表の前に、一週間前が僕の誕生日だというのでケーキをもらう。さらにウォッカを用意してあり、俺、酒が飲めないからいやがらせかと思ったら、さらに紙コップも用意してあって、要するに、学生たちで飲むという計画だったのだ。といったわけで、ウォッカを飲んでの授業である。だけど、発表はよかった。スタニスラフスキーをやはり一コマでやるのはかなり無謀な試みだが、紙芝居形式で発表するという工夫があって、あの『俳優修業』が面白いものかのように理解できる。ただ、そのころ僕の授業のほとんどにもぐっているKは、ウォッカに酔っぱらって紙芝居すら理解できない状態だったらしい。今回の発表もよかった。よく『俳優修業』を読んだ。それだけでもえらいとしか言いようがないが、発表した一人、Sのブログを読むと(ここでリンクしようか迷ったが、リンクしたらSが本気で怒ると思われるのでやめる)、『俳優修業』を読んでいる途中で「飽きた飽きた」と書いており、それもまあ、理解できないわけではないのだ(あと福岡出身のSは福岡に帰りたいらしい)。でも、「飽きてしまった経験」を含め、読まないよりは読んだほうがいいのではなかろうか。
■終わってからまた研究室で学生たちと、だらだら会話。楽しかった。もともと酒が強くない(福岡出身ではないトコロザワの)Sはウォッカに酔ってふらふらになっていた。楽しかったな。こんな時間がもっと続けばいいと思うのだ。夜、10時ぐらいになって外に出る。家に戻ってまた「かながわ戯曲賞」の候補作を読む(六作中、四本目)。レベルが高いとまた実感。ただ、きょう読んだ作品は、書いているテーマとか設定が面白いのに「戯曲になっていない」のがとても残念だ。技術がもうひとつあればと思う。惜しい。深夜、新宿のTSUTAYAでビデオを借りる。あしたの授業で見せようと思う映画。ところで、睡眠異常はさらに悪化している。困った。すぐに目が覚める。だからこんな時間にこのノートを書いている。

(7:39 dec.16 2005)


Dec.14 wed.  「稽古。そして『資本論も読む』の見本ができた」

■夕方から稽古だった。『吾妻橋ダンスクロッシング』。昼間、WAVE出版のTさんから連絡があり、『資本論も読む』の見本ができたとのこと。稽古場まで足を運んで渡してくれるというので、わくわくする。稽古場までの道は渋滞。荻窪の小さな公共施設。どうにか、舞台のスペースをとれる程度のスペースしかない。早稲田の学生たちが手伝いにきてくれた。それで小一時間、出演する南波、上村、田中らとなにをやるか相談し、だいたいのことを僕が構成する感じだ。おおまかなコンセプトはできた。「言葉で踊るシリーズ」。『トーキョー/不在/ハムレット』の詩人の長い台詞をモチーフにしたもので、これまで二つのダンスを作ったからこれが三本目。新たな言葉ってのも考えたし、それは今後の課題だ。考えたところまで少しやってみる。これから稽古で、いくつか修正などして、もう少しダンサブルにしたい。ただ、小道具などが集まっていないから、それを使えばまた異なる動きができるのではないかと思うのだ。
■で、『資本論も読む』。すごくいい本になっていた。とてもうれしい。これももろもろ力を入れてくれたTさんのおかげである。引用した「資本論」の一部はかなり難解なところもあるが、全体としては、「資本論を読む愚鈍なドキュメント」として楽しんでもらえるのではないか。そんなに難しい本ではありません。いやあ、造本がすごいいいんだ。このあいだ書いた、『チェーホフの戦争』といい、この『資本論も読む』にしろ、いい本ができたと感動しているのだった。苦しみながら連載をしたかいがあった。とてもうれしい。
■そして稽古は進む。途中、『吾妻橋ダンスクロッシング』をプロデュースする桜井圭介君も稽古場に顔を出してくれて、少し相談。ちょっとしたものになる予感がして、ひとまずは安心した。手伝いに来ている早稲田の学生たちもしかりやってくれ、とても助かる。

■家に戻って、やはり「かながわ戯曲賞」の候補作を読む。やっぱりレベルが高い印象。ただ、全体的に(いま読んでいる範囲ですが)ある傾向において共通しているものがあり、これは、平田オリザ、松田正隆といった人たちの影響だろうか。いまのこの国の演劇の潮流だろうか。関係ないけど、睡眠障害がひどくなってきた。困った。あ、そうそう、WAVE出版のTさんが、見本をもってきてくれたとき、何冊か頼まれているサイン本を渡され書いたんだけど、ジュンク堂のへ方のサインはいいとして、そのなかに、亀和田武さんも含まれていて驚いた。なぜ。それにしても、稽古を終えて夜10時過ぎ、外に出るとひどく寒い。冬だな。いまさら書くのもなんだが、冬である。

(9:49 dec.15 2005)


Dec.13 tue.  「駒場へ、そして吉祥寺へ」

■毎日、一作づつ「かながわ戯曲賞」の候補作を読んでいる。まだなんとも言えないが(というのも六候補作中、まだ二本しか読んでいないし)、今年はレベルが高いのじゃないかという予感がする。同じ実作者として各作品に敬意を払いつつ読んでいるつもりだが、でも、声を出して(もちろんいい意味で)笑ったせりふがあって、そのぶん楽しませてもらいもするのだった。あるいは考えることいろいろ。それでメモをとる。こうした選考のような仕事をしていると作品から時代相のようなものが見えてきて面白い。とてもためになる。
■月曜日(12日)は早稲田と駒場の授業のためにずっとなにかを読んでいた。で、そうこうするうち睡眠障害が激しくなり、すぐに目が覚めるような状態だ。きょうは朝、七時半ころ目が覚めた(眠ったのは明け方)。もう一度眠ろうと努力したが眠れずそのまま駒場の授業へゆく。家を出る前はぼんやりしていたが、授業がはじまったらそれなりに集中する。先週からのつづきで、「ゼビウス」「中沢新一」「岡崎京子」をテーマに話す。授業が終わったあとその集中が切れる。がたっとくる。とたんに眠くなる。
■「ゼビウス」の存在の意味がもっと解けると、この授業で話そうと思っている八〇年代のなにかがわかるような気がするのだが、まだ、明確じゃない。もっと考えないとだめだな。年を越しそうだ。「ゼビウス」に関する資料をもっと集めようと思うが、その時間があんまりないのだ。早稲田の授業の準備もあって、次回は「テリー・サザーン」(『博士の異常な愛情』『イージー・ライダー』の脚本家としても有名)という作家のことを話そうと思うんだけど、というのも、テリー・サザーンのことを考えることでやっぱりあきらかになる、あることについてもっと深く理解したいからだ。この「あること」っていうのは、僕自身に関わることになる予感がしているのだが、その「あること」がわからないんだよ。わからないから考えている。でも、あたりまえのことを書くようですが僕はテリー・サザーンではない。ぜんぜんちがう種類の人だと思いつつ、ずっと気になる存在だった。

■で、夜、吉祥寺へ。友部正人さんのライブ。吉祥寺までの道が渋滞しており、信号で止まるたびに眠ってしまうのではないかとたいへん危険だった。本日のライブはこのあいだ発売された新しいCDの記念で、そのレコーディングメンバーとの共演だった。マーガレットズロースというバンドはとてもいいなあと思ったんだけど、きょうはとくに、「遠来」がよかった。様々な事情があって終わったあと、少し挨拶して早めに帰ったんだけど、やっぱり友部さんといろいろ話せばよかったとか、マーガレットズロースの平井君に、先日、横浜からの帰りクルマで送ったときのことを話したかった。
■というのも、そのとき、高速で車線変更をしようと僕が振り返ってうしろから来るクルマの様子を確認するたび、「振り返る」のが、なにか話しかけられていると勘違いした平井君が「なんですか?」と顔を寄せ、僕の視線をさえぎるのが面白くて、それを伝えたかったのだった。いないですよ、高速で、運転しながらうしろの席の人に振り返って話しかける人ってものは。危険きわまりないじゃないか。しかも、その僕の視線をさえぎるのである。危ないったらなかった。あと銀杏BOYZの峯田くんが来るかもしれないと言われて楽しみだったけど、残念ながら来られなかったようだ。なんか峯田くんはこの日記を読んでいるという話も。それはことによると、エレキのヤツイ君経由で知ったからではないかと推測。
■で、家に戻って先に書いた戯曲を読んだわけです。眠っていないわりにはきちんと一日の予定はこなした。これで原稿を書けていればなあ。

(11:32 dec.14 2005)


Dec.11 sun.  「よりみちパンセ」

■きのうのこのノートは眠る直前に書いたせいもあって、誤字脱字がやたらとあった。あとで直しました。たいへん恥ずかしい。
■打越さんからメールがあり、「よりみちパンセ」を年内までにとあった。その後、ぜんぜんやる気がなくなってしまったわけですね。例の
PowerBookクラッシュ事件以来。まったく手をつけず、ぜんぜん書いていないのだった。で、以前、白水社から送ってもらい、そのときは、ぱらぱら目を通すだけだったのと、正直、書かれているところがもうひとつ理解できない部分もあってあまり意識していなかった、『ウィリアムス・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』をあらためて読むと様々なヒントがこめられ、刺激的であることを再確認し、少し書く気分が高まってはいるのだった。
■ワークショップで自分でからだを動かせる人はいいよな。それと、『ウィリアムス・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』で重要なのは、日野さんが、フォーサイスのカンパニーのダンサーを相手にしたワークショップをやっているということで、つまり高度な技術を持った人たちを相手のワークショップだということだ。これまで僕の多くのワークショップは、ほとんど経験のない人、あるいは、少し演劇をやったことがある人を対象にしていた。「ほとんど経験のない人」を相手にするのも大変だったが、高度な技術を身につけている人を対象にしたらどういったことになるか、それなりの方法を新たに発見しないとならないように感じる。というか、自分のやり方に、自分自身で飽きているところもあり、なにかないかと考えているのだが。
■で、「よりみちパンセ」なのだな。消えてしまった原稿を思い出そうと思っても、もう、ほとんど忘れてしまったが、『ウィリアムス・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』を読んだ結果、もうちょっと勉強したほうがいい気がし、それを元に書くことのイメージが少しずつ浮かんできた。日野さんの身体理論はすごいな。なるほどなあと唸ることばかりだ。

■このあいだ建築家のドローイング集を贈ってくれた相馬の日記を読んだら、一緒に添えた手紙に気づかないのじゃないかとあったが、気づかなかった。入れてあった封筒を捨てなくてよかった。ようやく手紙に気がついたのである。それで思い出したが、って、話が続いているわけではないが、土曜日、NTTがやってきて、ネットの光回線の工事をしていった。いまたしか、100メガというのが最大速度だったと思うが、1テラバイトという速度にし、それをマンションの住民で分けて使うことになったと説明されたがよくわからない。ただ、工事の人が帰り際、試験をしたところ、平均で87メガが出ましたというので、とにかく、高速になったのだ。というか、これ、すごい速度だ。とはいえ、
PowerBookでは、AirMacがボトルネックになっているのかそんな速度は出なかった。
■三坂からメールで、正しいというか、今年度の「かながわ戯曲賞&リーディング」のサイトのURLを教えてもらった。こちらである。これ、「神奈川芸術文化財団」のサイトから見つけるのは至難のわざである。どうしてこんなにわかりにくいんだろう。まあ、なにか興味を持ったら、12月26日夕方6時半、横浜STスポットで開かれる「公開審査」に足を運んでいただきたい。年末です。ご多忙かと思われますが来ていただければ幸いです。
■来週から「吾妻橋ダンスクロッシング」の稽古がはじまる。これまでここで「吾妻橋ダンスクロッシング」の宣伝をしてこなかったんだけど、僕が詳しいことを知ったときにはすでにチケット完売という噂が流れていたのだ。桜井君には3ステージにしたらどうかと提案したが、あの催しは、どんどんステージ数を増やして盛り上がるのがいいのじゃないかと、前回、ただの観客として見に行ってそう思ったのだ。あ、書くのを忘れていたが、前回の「吾妻橋ダンスクロッシング」に出ていたキャッシーの人たちが横浜で公演した前日かなにかに僕は、
BankArt NYKにいたんだけど、わりと無防備のまま素顔でいるキャッシーの人たちを私は目撃した。写真も撮った。だからなんだって話だが。

■でも、まずは「小説」の直しだよな。10数年だからな、「新潮」から小説を依頼されてから。それで、『鵺/
NUE』の戯曲を、四分の一くらいまで、25日までに書かないとキャスティングができないと言われている。「かながわ戯曲賞」の候補作を読む。「吾妻橋」の稽古。大学の授業の準備。それで、「よりみちパンセ」。ま、なんとかなるだろう。

(1:59 dec.12 2005)


Dec.10 sat.  「横浜の鶴見へ」

■このあいだ書いた、七〇年代後半から、八〇年代前半に発生した「コミケ」の変容について、その話を教えてくれた駒場で講師をなさっているSさんからメールをいただいた。さらに補足の話だが、漫画の世界において「描き手」そのものの変容が同じ時期にあったという内容だ。つまり「絵柄」というか、「表現の質」みたいなものが一気に変化したということになるが、ここらは専門的な話になるのだろうかと、夏目房之介さんとか、ああいった人たちの論にあたらなければならないのかと思った(実際、Sさんからは、夏目さんのブログのURLをおしえてもらった)。なんにせよ、共時的にその時代、なんらかの「変化」はあり、それが様々な方向へと表現が向かったにちがいない。YMOに代表される音楽があった。漫画になにかが起こった。アニメーションにもあった。アーケードゲームにもあった。思想にもあった。この分析が面白くなってきた。さらに考えることにする。
■ネットで発見した本を(古書店で)、ネット上で発注することもできたが、クルマでその書店まで行くことにしたのだった。横浜の鶴見という町にある「西田書店」だ。目的の本を買ったあと、棚をいろいろ物色し、グロトフスキーの演劇論を発見する。『実験演劇論』。翻訳されたのは一九七〇年だ。本の最初のあたりに舞台写真などが載っている。なかでも笑ったのは、「顔の筋肉だけで仮面を作る」というもの。それ、そんなに無理しなくても仮面をかぶればいいのではないかと思うのである。でも、筋肉だけ使うところにこそ、実験の実験たる意味があったとグロトフスキーは考えたのだろうな。こんなところでこういった本に出会うから、古本屋は好きである。
■鶴見に行くには首都高に乗り、横浜方面に向かって「汐入」というインターで降りる。そこまでは順調だったがそこから細かい道で迷う。鶴見という町にははじめてきた。ごちゃごちゃとした古い町という印象だが、クルマをどこに止めるかで苦労した。週末はパーキングエリアとかコインパークは満車だ。少し離れたところに駐車して歩く。「西田書店」はなかなか立派な建物だった。ものすごい蔵書だ。整理されているとは思われないし、町の古書店にふさわしく、これといった特色はないものの、なかなか掘り出し物がありそうだった。探しているときりがない。いろいろほしくなる。近くの喫茶店で休憩。よく知られている「コロラド」という名前の店だ。店名からわかるのはアメリカの雰囲気の店だが、「コロラド」が全盛だった時代からもう三〇年、すっかりアメリカテイストはなくなり、いまではどこか、フランス風味の店になっていておかしい。カップがデコラティブだったしな。「コロラド」は名前だけだ。むかし学生のころはやたら「コロラド」でコーヒーを飲みながら本を読んだものだった。それがすたれてゆくのが、八〇年代。だけど、七〇年代からずっと変わらずに存在し、よく八〇年代の「DCブランド」の時代にも負けずに存在していたと思わずにいられないのは、「ジーンズショップ」だ。もちろんある時を境に、またジーンズは履かれるようになったが、一時期はすっかり低迷していたはずなのだ。24時間開店しているあの「ジーンズメイト」にいたっては70年代から脈々とあのスタイルを続けているのだから驚かされる。

■鶴見の町など、めったに行くことはないので、ちょっとした旅だった。少し走ればもう横浜。帰り、高速の入り口まではするする行けたが、帰りの首都高は混んでいた。で、家に戻って小説を読む。「小説を書く前に小説」である。このところ外国の作家の作品ばかり読んでいる。しかし、そうも言っていられないのは、今月の26日に「かながわ戯曲賞」(このサイトでは去年の結果などしか載っていないので、今年の予定などはどうなっているか、どこかにあるのか僕もわかりません)の公開選考会(おそらく恒例のSTスポットで)があるからだ。最終候補に残った作品を手渡されそれも読む。ことしはどんな刺激に出会えるのだろうか。
■もっともっと、綿密な「戯曲読み」になりたいものだ。きょう一日、ほんとは予定がなかったし、今週はよく働いたので完全に休もうと思ったが、のんびりもしていられないと働いたりしている。駒場の授業のことを考えたり、早稲田の授業の準備もしたり。でも、このノートを長く書いているというのは、少し余裕があるということだ。しかし、鶴見あたりに行くと、ものすごい走りをしているあきらかに、ヤンキーか、いわゆるサーキット族といったたぐいの連中がものすごい運転をしているのに遭遇する。おそろしかった。土地だな。鶴見あたりはそういうことになっていたのか。それはそれで、事故にさえ巻き込まれなければ面白い光景だ。
■羽田を過ぎたあたりでモノレールが走っているのが見え、夕暮れの首都高からは東京タワーが間近に見える。道はやはり渋滞。よくもまあ、首都高ってやつはこんな複雑に作ったものだな。

(7:25 dec.11 2005)


Dec.9 fri.  「いろいろメールをもらう」

■夕方、三軒茶屋へ。来年、公演のある「現代能楽集」の打ち合わせ。正式なタイトルは、『鵺
/NUE』に決まる。某国の空港。そのトランジットルームが舞台になる。世界的な名声を得たある演出家とその舞台に出る俳優たちが、ヨーロッパでの公演を終えた旅の途次、そこに姿をあらわす。気がつけば、トランジットルームには一人の黒づくめの男がいた。やがて男が、かつて演出家と一緒に舞台を作っていた者だとわかる。遠い過去のこと。過去の舞台は時間のなかに埋没する。いまでは誰も記憶していない。だが、たしかにかつてその舞台はあったし、男の幻視なのか、トランジットルームで過去の劇が再現される……。といった作品を、じつはある伝説的な俳優二人に演じてもらったら面白いのになあと思ったけれど、それだとたしかに、演出家が誰のことを書いているかすぐにわかってしまう。むしろ、「時間の中に埋もれてしまった劇」というテーマを書くのなら、もっと異なる魅力的な俳優さんがきっといる。それを普遍的なお話にするために。むろんそれは、僕より年長の方になるのだ。
■で、その戯曲のめどを今月中にたてなければいけないのだ。今月というのは、まあ、遅くても25日ぐらいなのだった。仕事はどこまでもつづく。というか、不可能な量になっているのだ。でも、人間、勢いだからな。なんとかなるにちがいない。

■話は前後するが、きょうの昼間の話など。
■いろいろな人からメールをもらって誕生日を祝っていただきなんだか申し訳ない気持ちになる。返事をせねばと思うのだが、こういうとき、どう書いたらいいかも悩むところだな。「49歳ありがとう」と書いたらなんだかばかに感じる。この年齢になって祝ってもらうのも照れるわけだが、早稲田の授業後、学生の一人からは写真を、べつの学生たちからは、このあいだ書いたボブ・ディランの映画のチケットをプレゼントしてもらった。さらに『トーキョー/不在/ハムレット』で演出助手をやっていた相馬からは、建築家のドローイングを集めた大判の洋書をもらう。しかもわざわざ家まで届けてくれた。ありがたい。とてもきれいだ。いいよな建築家。制作の永井は毎年、ニット帽を贈ってくれるのだが、依然として僕は、もう数年前に永井にもらったグレーのニット帽をかぶっておりその後、それを越えるものがないと、「今年はリベンジしました」というのだが、なかなかいまかぶってるグレーのニット帽が手放せないのだ。しかもこのニット帽にはいろいろな歴史がある。「帽子を忘れたらとんでもないことになるからな」と口にしてこのあいだカフェの人に大笑いされたのもこのニット帽だが、それ以前に、いろいろなことがあった。実はいちどファミレスに忘れたことがあったわけですよ。もう数年前のことだ。そしたら、それが家に郵送されてきた。そのファミレスに知り合いがいたわけではない。近くに誰か知っている人がいたわけではないし、だいたい住所がわかっているっていうのが不思議じゃないか。あれは怖かった。ほんとうに「帽子を忘れたらとんでもないことになるからな」だったのだ。
■さらに、昼間、早稲田の授業に向かう途中、新宿のTOPSという喫茶店で青土社のMさんに会い、『チェーホフの戦争』の見本を受け取る。とてもきれいな本になっていた。新しい本はとてもうれしい。これも誕生日記念のようで手にしているだけで幸福になる。その途中、同じ店に「
MacPower」のT編集長にわざわざ足を運んでもらい、『レンダリングタワー』のゲラを戻す。もうすぐこれも本になる。楽しみだ。
■で、授業に行ったわけですね。すると勢い、『チェーホフの戦争』発刊記念授業ということになって、いつもより力一杯授業をやってしまった気がする。授業後、文芸専修の方から、来年、この授業の履修人数を増やしたいとの話。ことしも履修希望者はいまの三倍以上いたそうだ。何人でも大丈夫ですよとうっかり応えたが、考えてみるとたとえばレポート提出などを課題に出したらものすごい数のレポートを読むことになるのだな。それちょっと大変じゃないか。力一杯授業をやって終わったときにはかなり疲れていたが、卒論を書く学生の相談を受ける。戯曲を書くとのこと。煮詰まっているらしいが、私だってあちらこちら煮詰まっているのだ。

■金曜日の夕方。早稲田から三軒茶屋への道は渋滞。睡眠不足だったので、信号待ちしていると眠ってしまいそうになる。

(10:10 dec.10 2005)


Dec.8 thurs.  「授業と原稿」

■また授業である。「演劇ワークショップ」はだんだんいい方向に向かっている。ただ、先週、自分たちが作ってきてコピーした台本とか構成表を、ほとんどの者がもってこないっていうのはなにごとだ。このいいかげんさ。よくもあり、腹立たしくもあり。で、またコピーなどして配布。ただ、一つの班など、みんなが台本を書いてきてそれをまとめるのに苦労しているという、この温度差も気になるところだった。でもまあ、少し前進。「演劇論で読む演劇」はピーター・ブルックの回の後半。興味がないと退屈な授業かもしれないが、かなり大事なところを発表できていた。来週は「スタニスラフスキー」。担当するグループのHがすでに『俳優修業』を読み終えていた。えらい。ほかのメンバーが読んでなかったというので、だったらいまからロシアへ行ってモスクワ芸術座を調べろという、とんでもない提案も出る。そこでビデオを撮り、クイズを出すのはどうかという話になって、それ、テレビの「世界不思議発見」じゃないか。おまえはミステリーハンターか。
■終わってから、学生たちとまた研究室でだらだらとおしゃべり。これがいまいちばん楽しい。しかも人数が増えてきている。きょうは椅子の数が少なくて座れなかった者もいる。そんなこんなで夜は更ける。
■家に戻って、「
MacPower」の連載原稿の清書。メールで送る。さらに、「一冊の本」の原稿を書き上げる。深夜、日付が変わって城田あひる君から誕生日を祝ってくれるメールをもらう。ありがとう。ああ、49歳。まさかなあ、そんな年齢になるとは思ってもいなかった。まだまだできることはいくらでもあるな。と、ひとつの決意をする。

(5:15 dec.9 2005)


Dec.7 wed.  「宣伝など」

■「
MacPower」の連載をまとめた単行本、『レンダリングタワー』のゲラチェックも終え、さらに「あとがき」も書き終えてメールで送る。そのころ、青土社のMさんから連絡が入り、『チェーホフの戦争』の見本がもうできるという。こんどの金曜日の文芸専修の授業は、『チェーホフの戦争』発刊記念ということでチェーホフを話そうと思うのだった。以前もチェーホフについて触れたことがあったが、もう少し綿密に話すというか、こんどは「戯曲」ということについて分析してゆこうと思う。たとえば、小説の会話部分と、戯曲の会話のやりとりはなにがちがうかなど。小説を書きはじめたころというのは僕の場合、実はもう十数年前になるわけだけど、最初、そのことにとまどいがあったのだ。なにかちがうのである。戯曲と同じように会話を書くと小説ではおかしなことになる。しかし、歴史からいうと、あきらかに戯曲のほうが長く、小説はあとからやってきた。とすれば、小説は、小説の会話体を新たに発明したにちがいない。そんな話。
■さらに深夜、「
MacPower」の連載原稿を書きあげる。最近、私のエッセイは変わった。どんどんでたらめになっている。一方で、『チェーホフの戦争』のような原稿も書くが、また一方では、でたらめ度が高くなっているような気がする。初期のころというのは、『彼岸からの言葉』とか『牛への道』のころ、なにか本を見つけてきてはそこに含まれるどう考えてもおかしなことを批評するというスタイル(その後それをある形式として定着させた人たちの「トンデモ本」的な書き方)が多かったような気がするが、それに飽きたのか、あるいは、そうした本を探す努力をしなくなったというか、変わったのだな。『群像』のYさんに、「最近、小説、読んでますか?」と質問されたがきちんと応えられなかったのは、考えてみればこのところ、授業の資料になるようなものばかり読んで小説をあまり読んでいないからだ。来年の目標は、「小説を書く前に、小説を読む」だ。
■といった時期になってきた。もう今年も終わるというので、なにやら焦っている。一年間を通じて大学と関わるのは、実作者としてはたいへんなことだ。これをきちんとできている人はすごいな。あ、それから、『資本論も読む』(WAVE出版)が発刊されるにあたって、サイン会が各地で開かれます。また追って詳しいことは書きますが、まずは東京、新宿紀伊国屋書店本店で来年の1月9日14時から。とWAVE出版のTさんから連絡をもらったのだった。今月の20日前後に本は店頭に並ぶとのこと。『チェーホフの戦争』はそれより少し前だろうか。来年はさらに、『レンダリングタワー』が出るのだが、その関連イヴェントして、1月13日(金)に、アップルストアー銀座店で、「
MacPower」のT編集長となにかのイヴェントを開催するでしょう。また詳しくはそのころ書きます。といったわけで、宣伝ばかりだ。

(12:08 dec.8 2005)


Dec.6 tue.  「ゼビウス」

■このところこのノートは滞りがちである。ま、いろいろやることがあるのだった。『レンダリングタワー』のゲラの校正とか、その表紙のデザインの確認など。あとがきもある。
■『吾妻橋ダンスクロッシング』の僕のパートに出演する南波さん、上村からメールがあり、それぞれアイデアが書かれていた。なるほどと感心する部分も多々ある。でも、全部のアイデアを盛り込むと30分ぐらいになるんじゃないかと思いつつ、どう構成しようか、演出しようか考える。稽古の期間は短いのだが、まだ先だと油断していたらもうすぐそこに迫っていた。今年もやけに早い。南波さんがかなり不安になっているというのを聞いていたので、僕の役割はその不安をなくすことだ。大丈夫である。ぜったいに大丈夫だ。

■少しさかのぼって書けば、先週の土曜日(3日)の夜は新大久保にあるグローブ座で、早稲田の学生とジャニーズが合同で作るという、まあ、ね、なんというかなあ、うーん、うまく表現できないが、つまり、あれだなあ、その、いわば、めまいがするような企画の舞台を観にゆく。きっとだめなんだろうなあ、ぜったいにだめなのだろうと、行く前は憂鬱な気分になっていたものの、作品そのもの、全体の評価とはべつに、ちゃんと稽古していたので感心する。よくがんばった、よくやったとしか言いようがないのは、演出をしている学生から少し前、もう大変で毎日泣いているという話を聞いていたからだ。で、舞台は、一般的にはこういうものを「芝居」というのだろうという、芝居らしい芝居だ。きわめて芝居らしいものだった。その枠のなかではしっかりやっていたのではないか。もちろん、学生が作っているという目で見てしまうのは否めない。九月にやった「演劇ワークショップ」を受講してその発表の舞台に出ていた学生が多く、恩情というか、どうしても教育的な目で見てしまったりし、その視線になんの意味があるのかと思いつつ。
■戯曲はものすごくわかりやすい。プロットを読んでいるような感じと申しましょうか、つまり浅い印象。そういうものを書けるのもまた、ある種の才能なのかもしれない。書けないものなあ、俺にはそういう戯曲が。破綻がないしね、きちんと、ストーリーが流れているという、観ながら、なんでこんなにお話がよくわかるのか不思議な気持ちにすらなっていた。そうした戯曲の作品に対しては、俳優は「疑い」を持っちゃいけないのだろうな。客観性を持ったらその時点で壊れてしまう。なかなか、疑いを持たないのは大変だ。
■月曜日(5日)は鍼治療。からだのメンテナンスである。あと駒場の授業のための準備でいくつか資料にあたる。といったわけで、本日(火曜日)は一日中、仕事をしていた。朝10時から早稲田へ。卒論の仮指導というものがあって、担当する学生と面談をしたのだった。とはいえ、卒論の指導をするという経験などないので、どう話をしたらいいか、どう指導したらいいか勝手がよくわからないものの、ただ、学生がこういうものを卒論として提出するという案に対して思うところをそれぞれ話す。午後12時ごろ終了。外に出るとすごく寒い。いったん家に戻って、こんどは駒場の授業の準備。
■きょうのテーマは「八〇年代のオタク」について。これを考えるにあたって、また発見があったのだった。ひとつは、「八〇年代のオタク」とまったく相容れなかったはずの、「ピテカン的なるもの」だが、両者が唯一、接点を持ったとしたら、それはゲームの「ゼビウス」だったことだ。なぜか、ピテカンの片隅にゲームセンターにあるような「ゼビウス」のテーブル状のゲーム機が置かれていたし、しばしば、桑原茂一さんともゼビウスを話題にした。そしてあとで受講している学生からの指摘で思い出したが、ゼビウスの音楽を担当していたのは細野晴臣さんである。で、ここにまたべつの一人の人物の名前が浮上する。「八〇年代のオタク」が現象していたひとつの傾向に雑誌「ムー」があってそこにおける投稿欄の奇妙さは当時、ある種の笑いとして話題になったものだが、「アニメ」や「B級アイドル」などと同様、「カルト(というかある種の神秘主義)」もまた、「八〇年代のオタク」の大きな要素だった。事実、のちのオウム真理教はあのサティアンに毒ガスから防衛する目的で自ら開発した空気清浄機を設置し、その装置に「コスモクリーナー」と名前を付けていた。この名は、『宇宙戦艦ヤマト』に出てくるアイテムそのままだ(と、僕は教えられたわけですけどね)。「ゼビウス」は「八〇年代のオタク」からも支持され、そして「ピテカン的なるもの」からも支持されたが、それが話題になったころ、いわば「ゼビウス論」を書いた人がいる。中沢新一さんである。まったく平行しいっさいの接点がないと思われた、「八〇年代のオタク」と「ピテカン的なるもの」だが、ここにその結節点ともいうべきゼビウスがあり、さらに中沢さんがいるという構図はなにを意味しているのだろう。
■さらにもうひとつの発見は、聴講に来ている駒場の講師をなさっている方からもたらされた。大学時代、僕は映像関係のサークルに入っていたが、隣に「アニメーション研究会」のサークル室があってとても仲がよかった。当時の「アニメーション研究会」は、実験的なアニメを創作するサークルだった。いわば表現を志向する者の集団だったし、そこで語られる「アニメーション」は、いわゆるテレビアニメなどとはまったく異なる芸術性をもった作品群を指していた。ところが、ある時期を境に、その傾向が変容する。壁に、たとえば「ルパン三世」のようなもののポスターが貼られるようになっていった。表現を志向していたはずの「アニメーション研究会」が、表現ではなく、受容の側に回ったのだし、その受容するアニメの質もまた変わったのである。それが一九七八年頃だ。ここに「オタク」の萌芽が見られるが、きょう知った驚くべき事実は、同じような現象が「コミケ」にもあったということだ。同じ時期に「コミケ」もまた変容したという。初期の「コミケ」は(それは一九七五年頃にはじまった)、いま僕などがイメージする「コミケ」とは異なり、たとえば「ガロ」系、あるいは、それに準ずるような種類の漫画を主体にしていたのだという。それが変容し、いま「コミケ」という言葉からイメージするような表現になっていったのが、やはり、一九七七年から七八年頃だったそうだ。なにがあったんだ? いったいなにがあってそうした傾向は出現し、そして「八〇年代のオタク」を準備していったのか。
■なぞは深まる。それはことによると、「吾妻ひでお」の存在、雑誌「アニメージュ」の創刊と関係するのだろうか。だがそれはあるひとつの現象で、なにか、本質的な変化があったと考えざるをえない。なにしろ、ニューウェーブ、パンクの出現と時期が同じってのもまた、おかしな話じゃないか。

■夜、『群像』のKさん、Yさんと神泉にあるうなぎ屋で食事。もちろん小説の話であった。ほかにもいろいろな話ができたし、うなぎは美味しいし、いい時間だった。ただ、それだけではすまないわけである。小説を書かねばならない。『新潮』に渡した小説の直しのことなどいろいろ頭をよぎる。「現代能楽集」の『鵺』の戯曲も書かねばならぬのだな。さらに、来年五月の舞台もある。「よりみちパンセ」もある。『吾妻橋ダンスクロッシング』もある。
■店の前で、Kさん、Yさんと別れ、歩いて駒場に戻る。大学の構内にクルマを止めてあったからだ。神泉から駒場まで、起伏のある、面白い地形だと気がつく。

(10:53 dec.7 2005)


Dec.1 thurs.  「12月、多忙」

■「演劇ワークショップ」の授業はだいぶいい方向に展開するようになってきた。ほんとはもっとテーマとか、設定の部分で、「新宿」を深くとらえることができたかもしれないが、その作業よりむしろ芝居を作ることを優先したのだった。でも、台本を作ってくる班があったり、構成を作ってきたり、出席者もまた増えて教室は活気が出てきた。共同作業もできるようになってきたのではないか。いい傾向だ。とてもいい案配になってきた。はじまる前は、なんかもっとべつのやり方があるだろうか悩んでいたが、蓋を開けてみたらかなり上向きになっており、学生をもっと信頼すべきだと思ったのだ。ただ、一コマの授業は短いな。もっとやっていたかった。ただ、もう次の授業がはじまってしまう。
■「演劇ワークショップ」の授業を終えて、すぐに、「演劇論で読む演劇」の授業。というか、少し押してしまったので、「演劇論で読む演劇」の授業を受けている学生たちを外で待たせてしまった。きょうの「演劇論で読む演劇」のテーマは、ピーター・ブルックの『なにもない空間』だ。このあいだ、うちに来たKたちのグループが発表する。とてもよく調べてくれていた。というか、よく読んでいた。で、その資料をもとに発表してもらい、僕の話などを折りこむうち、半分ぐらいのところで終わる。年内はあと二回。次が、『なにもない空間』後半。そして今年最後はスタニスラフスキーの『俳優修業』だ。
■授業が終わったあと、来年の二文の学生に向けてする「演劇ワークショップ」(二週間で作る舞台)の打ち合わせをF先生とする。スケジュールがなあ。ほかの教員の方たちとうまくあえばいいのだが。それからいろいろな話をしていたが、永井がキャンパスに来ており、何人かの学生がこんどの「吾妻橋ダンスクロッシング」を手伝ってくれるというので、その打ち合わせの場に向かう。手伝ってくれるのはほんとにありがたい。永井の負担も減るし。さらに、その後、ある事務的なことの手続きがあって、教員のWさんにお手数をかけてしまった。まったくですね、事務的なことがだめである。

■といったわけで、フルに活動する一日だ。家に戻って、『資本論も読む』のゲラのチェックも終え、直しのある部分だけ、FAXで送る。これでようやく二冊目の単行本が、あとはできあがるのを待つだけになった。一息つく。まだ、『レンダリングタワー』があるんだな。なんだよ、このタイトルは。そうそう、きょう学生のSからチラシを渡されたのが、マーチン・スコセッシが監督したディランのドキュメンタリー映画のフライヤーだ。来春公開らしい。それにしてももう12月だ。なんていうんだ、ああいうのは、イルミネーションとかいうのか、町はクリスマスらしい気配になってきてなんだか目にうるさい。

(3:32 dec.2 2005)


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