|
|
|
■休む。一日に三度眠る。だが、長時間の熟睡というのができなくて、小刻みに眠っていたのだった。
■映画でも見に行こうと思ったのは、ビル・マーレーの新作かな。「サタデーナイトライブ」のころから好きだったが、ってもう、30年近く前か。世の中、あれですか、いわゆる「ちょいわるおやじ」的な傾向がやはりいまでも続いているのだろうか。『アメリカ、家族のいる風景』のサム・シェパードもそんな感じだったよな。ビル・マーレーの新作のことは知らないがどこか似ている傾向を感じる。ビル・マーレーって、むかし、路上で社会に対する悪態をつくという映像を見たことがあったが、ジョン・ベルーシが死んだとき、「ドラッグは文化だった」という意味のコメントを口にしていた。かっこよかった。チェビー・チェイスはどうしているだろう。ばかな映画をかなりの数作っていたがその後、あまり聞かない。ダン・エイクロイドはいい俳優になってしまった。「サタデーナイトライブ」出身の俳優たちはいまでもやはり気になる。あ、トム・ハンクスもその一人なんだな、いまでは、その面影すらないが。
■とにかく休む。睡眠異常は相変わらず。こんな時間に目が覚めてしまった。しかし、休むといっても私のような職業はその休み方がよくわからないのだ。休みだからってじっともしていられず、べつの仕事のことを考えてしまう。いまはとにかく、『モーターサイクル・ドン・キホーテ』の舞台に集中だ。あるいは、久しぶりに本を少し集中して読もうと思うものの、それもまた仕事の一環だ。書評の仕事もある。「考える人」から連載とはまたべつの依頼。
■去年の暮れから、原稿のことで精神的に休まる時間がまったくなかったから、ほんとうの意味で、休みだった。このあと、舞台が終わるまでまったく休みがない。
(7:11 May.1 2006)
Apr.29 sat. 「稽古をしているのである」 |
■午後から稽古だったが、未明に目が覚め、いったんこのノートを書いたりなにかしているうち、また眠くなる。睡眠障害だ。それで八時過ぎだったかあらためて眠る。目が覚めたら午後一時だ。ということはもう、稽古の開始まで一時間しかない。からだが動かない。コーヒーを何杯も飲む。ようやく動き出して稽古には30分も遅刻した。
■きょうから稽古は午後二時から十時まで。木曜日は休み。僕は授業。金曜日は夜だけ。僕は昼間授業。というわけで五月は休講が多いのが残念だ。今年で早稲田の任期は終わるが、もっと学生たちと共有する時間を作りたかった。「戯曲を読む」と「文芸専修」の授業なんてもうなんというか、ほんと面白いんだ。去年はまだばたばたしていて、わからないことが多かったが、いろいろ勝手がわかりもっと学生と話しがしたいと思う。ただ、俺が忙しいからな。それが悔いが残る。秋も公演があるし。もっと授業を通じて話したいことがいっぱいある。
■そういえば、去年の秋からやっていた駒場の授業は白夜社書房のE君が本にまとめる作業を着々と進めているのだった。「八〇年代論」。もう、ゲラのような形で一部、うちに「こんな感じになります」と送ってきた。なんということだ。本当に五月中くらいに作ってしまう気だ。ありがたいが、もう少し落ち着いて作りたい。稽古もあるしね。ゲラチェックの時間がなあ。E君にまた迷惑をかけるだろう。とてもうれしいが。
■さて稽古。まだ形の整っていない部分をやってみる。小田さんのせりふが莫大である。でもなかなかせりふが入らなくても最終的にはできているのが小田さんなので心配はしていない。さすがそれは経験とプロフェッショナルなものを感じる。高橋さんはもう、完全にせりふが入っている。そこへゆくと、若い田中が、若いくせにせりふが入っていない。なにごとだ。まだあまり稽古していない部分を順にやってゆく。岩崎の場面をやっているうち、岩崎が爆発しそうな感じになってきた。せりふも、芝居もまだ、曖昧な感じというか。それがやっている本人ももどかしそうで、ぷしゅーと音をたてて爆発しそうなのである。技術のある人たちがその技術を越え、さらにもっと深い表現にいたることができたらと思う。時間がないか。一日の稽古はそんなに長くなくてもいいから、時間をかけ(ってことは日数になってしまうが)深く表現にかかわってもらえたらいちばんいいのだろうと思うのだった。ああ、なんて、演劇は不合理な芸術行為であろう。こんなにも時間がかかる。だからこその美徳ってやつがきっとなにかあるにちがいないのだ。
■少しずつ進行。戯曲も書き終え、作家としては一段落ついたので、あとは演出。演出家の目で劇を見ていると、戯曲にある言葉のいくつか、劇の作り方に不備を感じないわけではなく、ここ、こうしようと、いくつか気がつく。俳優からも提案が出る。やっているうち、わかることもある。稽古は戯曲の推敲。もっとよくしたい。
■ところで、いま稽古している西巣鴨の、「にしすがも創造舎」で、喫煙室などにゆくと、いろいろな劇団や劇の集団の人たちとすれちがう。それが面白いというか、なにか、わきたつものを感じてとてもいい。そこで皆が皆(もちろん演劇観もちがうし、表現されるものもちがうが)、演劇にかかわっているという共通した意志のようなものがただよう。こういう空間は貴重じゃないだろうか。とても面白いと思うのだった。稽古のことや、演劇のことを、そこでみんなが話しをしており、それを断片的に耳にする。作品のことはよくわからないが、断片からいろいろ、想像する。そのすれちがいが僕にはとても興味深い。で、まあ、きのうは先のことを書いてしまったが、とにかく、いまが大事であった。この舞台にとにかく集中する。
■あ、で、関係ないけど、「google earth」ってほんと面白いな。こちらのサイトへ。ソフトをダウンロードして利用する仕組み。自分ちの航空写真が見える。すごいよなあ、軍事的な技術って。この航空写真。そしてそれを利用した「google earth」はそれを個人がごく趣味的に楽しむことができる。だって見ているととにかく飽きない。世界中が見える。
(8:45 Apr.30 2006)
Apr.28 fri. 「ニューヨークのことを現実的に考える」 |
■午後から文芸専修の授業。「言葉とからだ」といった内容。いくつか劇言語をコピーして話をし、さらにビデオをなど見せるが、ただ、からだの変遷やそれに伴う言葉の変容といったことを、「様々な声のサンプル」をもとに話そうと思ったら、音声を出力するコンピュータとAV機器をつなぐケーブルを忘れてきてしまってできなかった。時間があまる。どうでもいいことを話す。失敗。計画した講義ができなかった。そんなぐだぐだな気分をひきずりつつ、終わって、僕の授業によくもぐっている学生と少し話しをした。女子が、この男性中心の社会についての不満が。とくに男はどこか暴力的だという。いきなり殴るということではなく、その態度、声、すべてが暴力的であり威圧的なことで男に抑圧されるという話をしていた。
■早稲田の不当な逮捕劇などの署名や、あるいは戦争反対でもいいが、署名したい気持ちはあっても、署名を求める側の態度がどこか同じような威圧的な態度だと、引いてしまうという。署名したくても、平和を求めながらその平和的じゃないその態度はなんだと疑問に思うという。これむつかしいな。だからって、署名を求める側、運動をすすめる側がこびを売って、「署名してくださーい」と猫なで声を出すのもいかがかと思うのだ。運動のスタイルを変えようという議論になってしまうけれど、一般に迎合したとしたら、それも疑問だ。「メッセージとアピールの方法論」についてはいろいろに論じられてきたのではないかと想像する。迎合しない。だが、アピールの最良の方法を探す。いま、この現状にあって、これを求めるのはかなり困難だと思いつつ、しかし少しずつの積み重ねは、圧倒的な支持の急激な高まりは期待できないかも知れないが、地道な持続によって生まれる可能性を様々に探るべきだろうと思う。
■新聞に入っていた広告に、「六〇年代」をテーマにしたポップカルチャー、サブカルチャーのイヴェントがこの連休のあいだ開かれるとあった。だが、その「六〇年代」から、「政治」はすっぽり抜け落ちている。っていうか、まったく政治の匂いがしない。一面的だ。なんだか浅い気がする。「六〇年代」という風俗。その表層。ノスタルジーにしないでとかなんとか、主催者側のコメントがあるが、ノスタルジーだよそれ。本質がなにもない。
■早稲田から、稽古場まではかなり近い。少し早めに着く。朝からなにも食べていなかったのでハンバーガーを大急ぎで食べて稽古場に使っている元中学校の教室へ。以前からのスケジュールの都合で岩崎がお休み。岩崎がいないところで、まだ曖昧になっている箇所を繰り返し稽古。少しずつ世界ができてゆく。ただ、戯曲のある部分、まだ気になっているところがあり、ここでもうひとつ、あるんじゃないかとずっと気になっている。どこをどうすると、そこが解決するか考えつつ稽古していた。こんなにドラマにおける人の意識の変容、人はどのようにして動くかについて考えることは僕の場合、あまりない。今回はそこを大事にしようと書いたつもりだがまだ甘い。それを解決できたら、もっとよくなる。あるいは前半部分のせりふの整理など、まだやることはある。それも稽古の段階で変えることがきっとできるはずだ。
■全体の時間がまったく読めない。二時間以内にはしたい。もっとコンパクトにできるかと思うが、けれど、ドラマが完結するには、表現されるべきことは必然的にある。長くても舞台に求心力があればいいのだ。それを作り出そう、場につねに緊張感をもたらそうと稽古。俳優の細かい技術的なこととか、やり方ではなく、もっと劇への大きなアプローチに意識的になろうと思うのである。少しずつ進展。いい舞台にしようと考える。まだ考えることは、それこそ、演出の技術的なことではなく、いっぱいあるはずだ。
■ところで、永井と話していたら、ある文化財団の助成で二〇〇八年にニューヨークに行けるかもしれない。半年とか一年、向こうで暮らしつつ演劇の勉強。今年はもちろん大学の任期と舞台があるから無理だし、来年は遊園地再生事業団の新作公演があるから無理だとしたら、やはり、二年後。行きたいなあ。かつてマダガスカルに長期滞在していたときのような、ある変化がそのことで生まれるにちがいない。かなり現実性を帯びてきた。遠くからこの国を見るのもいいことだ。様々な文化にも触れたい。刺激されたい。だからひとまず、今年は舞台を二本、そして、早稲田と、秋からの駒場の授業、そして書くといって迷惑をかけている小説を死にものぐるいで書こう。外国へ行くための準備である。もうそのときには、僕ももう、五十歳を過ぎている。まあ、なんでも僕は人より遅いですからね。べつにそれはいいのだ。みんなはずっと先のほうを走っている。でもゆっくり歩いているうちにきっと追いついている。その時点になれば、べつに、それまでの時間にはなんの意味もない。損だったとも思わない。むしろゆっくり歩くことがいいことだってある。マダガスカルの日々を思い出す。あれが、どれだけ、あとになっていまの自分に影響をあたえたかしれない。形にはなにもならなかったが、からだの奥のほうになにかを生み出した。
■にわかに、夢想が現実になる。それで先はどうなるかなんて考えているものか。京都の大学で教えていた五年間だってなにかを僕にもたらした。ニューヨークで誰かに出会えたらまたすごくいいだろうな。向こうの演出家と、劇作家の僕との共同作業という話もちょっとだけ出ているらしい。刺激を受けるよな。いろいろなことが与えてくれるものはきっとある。ただ、文芸誌の方たちから小説を書くようにととてもありがたい言葉をいただいているので、それもまた、書かせてもらえることに感謝せねばと思っている。だから小説も書こう。堀江さんが釈放。保釈金三億。それ、なにかに寄付しろよ。拘置所にいたっていいじゃないか。生きているだけでも幸福じゃないか。それを騒ぎ立てるニュース。教育基本法の改正。そんな情勢のなかでたいして議論もされないうちにするっと国会を通過しそうだ。共謀罪ってなに? このあいだの早稲田不当逮捕の集会も警察の判断ひとつじゃ共謀罪だ。芝居の稽古だって共謀罪だ。ファミレスでなにか相談していたら共謀罪だ。おちおち人とも会えないよ。
■稽古場にこもっている。だけど、外側の世界とつながりをもっていよう。まだできるうちに、やっておくべきことは、とにかくする。まあ、かなり年齢がいってもずっと書きつづけようと思うけれど。
(6:57 Apr.29 2006)
Apr.27 thurs. 「チェーホフを読んでいた」 |
■去年までの「演劇ワークショップ」の授業は集団作業がうまくいかなかったが、それは学生が共同でなにか作るのがへたなのか、学生とはそうしたものかと思っていたが、僕のやりかたが悪かったと、この授業も三回目になってわかった。というのも、最初に「集団作業」の意味をきっちり話し、まずはグループを作ってそこから作業を開始したからだ。ようやく早稲田で「演劇ワークショップ」をやってゆく方法を発見した。だから、きちんとみんな作業をするし共同でものを作るようになってある程度の成果が生まれるようになったのだった。で、このゴールデンウイーク中に「東京現代美術館」に行ってくるように次の課題を出した。そこから刺激されたものをもとに身体表現を創作するという課題だ。まずは、見ること。それから刺激について考える。各班、熱心に連絡をとりあい、課題の準備をはじめた。
■というか、きょうの身体表現の発表に関しても、すでに集まって練習していたという。これはもう、去年とはまったくちがう。学生それぞれの変化もきっとあるだろうが、それにしたってこのちがいはなにか。去年の学生たちの共同作業のうまくいかなさはすごかった。まず、休む者がいて、計画通りにはいかずそこから先へはまったく進まない。そうしているうち、表現に進展がなにもないという感じだった。今年はおかしい。驚くほど授業が進むのである。
■それで、二コマ目は、「戯曲を読む」の授業。先週に引き続き、チェーホフの『かもめ』を輪読。ときどき止めて、僕の解説。『チェーホフの戦争』に書いたことを短めにして話す。基本としては、書かれていることより、チェーホフがどう書いたか、その書き方になにがこめられているかだ。あるいは、筆致というか、筆さばきを読む。するとチェーホフの劇作家としてのうまさも見えてくるし、あるいは、人のことをどう見ているかもわかるように思える。きょうも、ベケットの研究家でもあり、早稲田の教員でもある岡室さんが輪読に参加してくれた。岡室さんは俳優経験があるのだろうか、うまいので驚く。授業時間が過ぎてもなかなか最後まで読み終えられなかったが、なんとしてでもきょうじゅうに読んでしまわないと、もうゴールデンウイークに入ってしまうので途中からあまり解説しないでとにかく読む。最後にまとめとして少し話したが、もっと、話したいことはあったのだ。
■というわけで、木曜日は僕の授業があるので稽古は休み。金曜日は授業が午後なので、稽古は夕方からになる。休みがないから大変だとはいうものの、ただ、授業は授業として楽しいからいい。自分でも考えることがいろいろ生まれる。去年のいまごろに比べたらいろいろなことがわかって(大学の仕組みとか)、やりやすくもなった。単純にキャンパスの位置がわかっただけでもかなりちがう。授業が終わってすぐに学校を出なければならなかったのは、べつの用事があったからだ。家に戻ったのは11時近く。で、ゴールデンウイークあけのことを考えたら、僕は、舞台の本番があって、どうしても休講をしなければならないことにふと気がついた。「戯曲を読む」は五月は一回しかない。次回は、ベケットの『ゴドーを待ちながら』を読むと話したが、どうしたって一週で読むことができず、すると休講を挟んで、次の授業は六月になってしまう。とりあえず、一週だけベケットの『行ったり来たり』を読み、それで別役さんの『ベケットと「いじめ」』の話や、そこに出てくる、中野富士見中学の鹿川君に対する「いじめ」のうち、「お葬式ごっこ」について、それが現実的にはどんなことが発生したかを戯曲にしたもの(って、僕が書くのだが)、さらに、その状況を近代劇風に書いたらどうなるかという短い戯曲(それも僕が書くんだけど)を読むというのが面白そうな気がしているのだ。ここに、現代劇のある側面があると思われる。で、六月になったら『ゴドーを待ちながら』を読もう。
■きょうはやけに寒かった。
(3:58 Apr.28 2006)
Apr.26 wed. 「戯曲を書き終えた」 ver.2 |
■ようやく戯曲を脱稿。こつこつ書いていれば最終的には終わるものなのだった。明け方、書き上がって制作の永井にメールで送信。それで永井が台本にプリントアウトして稽古場に持ってきてくれる。稽古と平行して戯曲を書いているあいだに、ずいぶん睡眠がでたらめになっていた。稽古から帰ると食事をし、それから眠くなって寝てしまうが、三時間ぐらいで目が覚める。それから戯曲を書く。ある程度まで書いてから、午前中になってまた眠るが、この二度目に目が覚めたときがすっきりしない。からだがひどくだるい。それで大学で授業をしたり、稽古に行く。その反復。睡眠障害は以前からあまり変わらないが、どうも意識がはっきりしないまま一日をぼーっとしている気がする。ただ、稽古や授業になるとだるさも取れ、意識もはっきりしているのだ。そういうからだになっているとしか言いようがない。それでようやく書き終えたラストあたりを読み合わせし、そして少し動いてみる。筆が急ぎすぎて、書いておかなければならない、ト書きが足りなかったりなど、やっているうちにわかる。
■演出に関して書くと、僕は「やってみないとわからない派」だ。やってみてようやく気がつく。自分の書いた戯曲でも、それがうまくいっているかどうかは、やってみないとわからない。ある程度、書いた戯曲を読み返して想像し、あるいはこうあるべきだと考えているが、俳優の身体は作家の思うようには動かないのがふつうで、今回の場合、文学座の高橋さん、下総君とは、はじめて舞台をやるので(下総君とはリーディング公演を一度やったことがあるが)、どうなるかわからないまま書いた。だから、稽古場で二人とはよく相談する。演じているのを見て、その言葉がどうもちがうことに気がつくところもあり、それはその場で直す。あるいは、二人から提案もある。もちろん、小田さんや岩崎たちからも提案がある。それで考える。考えながら少しずつ稽古を進める。その場でせりふを変えるのは自分の戯曲だからできることだ。ぎりぎりまで戯曲を稽古のなかで直したいが、今回は英訳するという事情があって、あまりぎりぎりまではできないのだった。あと、大幅に変えるというわけにもいかない。俳優ももうせりふがだいぶ入っているから、そこ、気をつかう。ただ、短くしようとは思う。前半がとくに冗漫になっている気がする。というか後半、筆が急ぎすぎた。
■夜、九時半過ぎに稽古終了。少しずつ稽古は進行しているのである。戯曲も書き終えたのでこれから稽古にもっと集中できる。あとは、睡眠障害をなおしたい。日中、ぼーっとしないようにしなければ。
■関係ないけど、この夏に神奈川県の芸術財団が主催する「戯曲講座」のようなものがあって、七月に僕が、八月に別役実さんがレクチャーをする。そのチラシのようなものができあがってチェックしたが、別役さんは、これまでに百本の戯曲を書いたとプロフィールにあって驚かされる。たしかそのくらいの数になるという話は聞いていたが、もう越えていたのだな。別役さんはどれくらいの年数、戯曲を書いているのだろうか。単純にたとえばそれを五十年としてもですよ、年に二十本になる(と書いたものの、よく考えたら、それじゃ1000本だよ)。ものすごいよそれ。正直、どうなってんだと思うのだ。
■松倉の歌がネット上で聴けることにきょう気がついた。ここで。すべてオリジナルだがわりとしっとりした曲が多いな。単調にも感じる。もっと違う種類の歌も聴きたかった。でも、ライブをやっているうち音楽仲間も増えてよかったと思う。やっぱ、歌ってないとだめだ。ほとんど社会生活が無理なことになっているので、ただただ、歌えとしか言いようがない。ライブにも行きたいがさすがに僕も時間がない。こちらにライブ情報があるので、ぜひとも、時間がございましたら。ライブでは、カバー曲や朗読もあるみたいだ。
■戯曲を書き終えたので、少し長目のノートが書けた。あらためて戯曲を最初から読み直しもういちど考えてみよう。書き終えたからといって安心している場合じゃない。最後までねばろうと思うのだ。
(6:51 Apr.27 2006)
Apr.24 mon. 「この一週間ばかりを振り返る」 |
■まあ、もう忙しいと繰り返し書くのも面倒だが、ほんとに忙しいので手短に。もう一週間近くこのノートを更新しなかった。からだ中にがたきている。タフでなければな。本を読む気力がない。っていうか、時間がないが、それは単なる言い訳。きっと少しの合間でも読むことは可能だし、出すばっかりじゃどんどんばかになる。この数日。
20日(木)大学の授業二コマ。終わってからアイルランドから帰ってきた岡室さんたちと大学の近くの「レトロ」という店で話をする。演劇の話。ベケットの話。楽しかった。
21日(金)午後から授業。終わって西巣鴨へ。稽古。
22日(土)夕方から稽古。戯曲の新しいところを書いて渡すつもりだったが書けなかった。
23日(日)午後から、早稲田の文学部キャンパスでビラを配っていたというだけで青年が逮捕された出来事に関する抗議集会がある。僕も拙いながらも発言。スガ秀実さん、花咲政之輔さん、井土紀州さん、池田雄一さん、鴻英良さんらに会う。運動をしている人たちが『モーターサイクル・ドン・キホーテ』を見に来てくれるという。なかにはもうチケットを買ってくれた方もいるそうだ。感謝した。いろいろな人に会って刺激されたり、勉強になること、考えることが多数あった。もっとたくさんの人が来ればいいのにと思う。動員という意味では協力できなかったのが申し訳ない。終わって家に戻ったらぐったり疲れた。原稿が書けなかった。
というわけで本日も稽古。山手線と埼京線が事故で止まった影響だろうか、クルマで明治通りを走って稽古場に向かうと、異常に時間がかかった。やけに天気がよく気温も高い。そしてひどい渋滞。クルマの中は暑いくらいだ。稽古。岩崎がきょうから本格的に参加したので、岩崎の場面をじっくりやってみる。なんども繰り返す。だいぶよくなってきた。家にもどっていったん睡眠、深夜に目を覚ましそれから戯曲の続きを書く。少し進展。あと少しだ。ただ、前のほうの、もうけっこう稽古している場面を書き直したくなった。まったく日々の報告ばかりで申し訳ない次第です。考えたことなどもっと書きたいがその時間がない。ただ、稽古していますということ、こんなことしていますという報告だけはしておきたかったのだ。本番まであと一ヶ月をきっちまった。早いなあ。少しずつ稽古の積み重ね。いい舞台にしたい。
(7:21 Apr.25 2006)
Apr.19 wed. 「半田君は西新宿でクルマを降りた」 |
■火曜日(18日)ももちろん稽古だった。少しずつ細かくやってゆく。少し世界の重みが出てきた感じがする。
■で、きょう。時間がないのと、それまで書いた戯曲の一部が気にいらないので、そこをどう書き直したらもっと深い表現になるか考えているうちに筆が進まなかった(繰り返すようですが、もちろんキーボードで書いているが)。結局、新しい部分が書けぬまま、夕方から稽古。高橋さんが個人的な事情でお休み。できる場面を少しずつ修正。きょうは岩崎が来ることができたので岩崎のところを主にやろうと思ったがあまり進まなかった。まだ若い田中をのぞけば、皆、経験がありうまいから、こうしてくださいと演出すればそのようにできてゆくので演出していてあまりストレスを感じない。むしろ、やっているうち僕の書いた戯曲の言葉の不備を感じる。もっと落ち着いて書こう。そして俳優からもアイデアが出るのでクリエイティブな稽古場である。
■戯曲執筆の進展はようやく、全体の三分の二強というところか。小田さんには申し訳ないほど小田さんのせりふが多い。しかも、全体を引っ張ってゆく役なのでいろいろなことをしなくちゃならない。だけど、存在感は圧倒的。ただ、みんなばらばらといえば、演技の質はばらばらだ。それぞれまったく出自がちがうからしょうがないとはいえ、それが少しずつまとまりをもってゆくだろう。時間をかけるしかない。少しずつ輪郭ができてゆく。ゆっくり作ってゆこうと思う。とはいえ、もちろん、初日は必ず来るのだが。もっと深い表現を模索できたらいいと思うが、それは俳優への要求ではなく、演出をする僕自身の問題である。
■稽古を早めに終え、スタッフ作業の打ち合わせ。美術の林巻子さん、音響の半田君、舞台監督の大垣さん、映像のオペレーターをつとめてくれる鈴木君、演出助手の大沢君、制作の永井でいくつかの基本的な確認事項を話し合う。といってもまだあまり具体的なことにはならなかった。ただ、林さんから美術案、衣装案、鈴木君から映像をどう投射するかなどアイデアがいくつか出て、おもしろかった。いい舞台にしよう。そのためには、まあ、僕としてはひとまず戯曲を書きあげなければならぬのだが。あたりまえか。大学の授業がある。連載の原稿。時間がない。今週中にはなんとしても書きあげたい。すると僕も、だいぶ気分的に楽になり稽古に集中できる。ま、それもあたりまえの話だ。このノートも、ただ報告だけではなく稽古の段階で考えたことをもっと書けるようになると思う。
■帰り、新宿まで音響の半田君をクルマで送った。明治通りが地下鉄工事で夜になるといつもひどい渋滞をするので道を迂回したら、迷って、なんだかとんでもない細い路地に入っていった。気がついたら大久保通りに出ていた。その先を小滝橋通りで左折。その途中、西新宿の中古レコード屋街のあたりで半田君が、レコード屋によってゆこうかなと言う。でも、もう夜10時過ぎだよ。みんな閉まってるのじゃないかと思うが、それでも降りていった。どこかで飲むんじゃないかと想像しつつそこでわかれ、家に戻る。食事をすませたらひどく眠い。早めに就寝。
(6:59 Apr.20 2006)
■日曜日(16日)はずっと、『モーターサイクル・ドン・キホーテ』の戯曲を書いていたがあまり進まない。夕方、用事があって外に出たのだけれど、そのとき不意に、大学の任期が終わったらニューヨークに一年くらい行きたい気持ちになった(来年の九月にもう次の舞台が決まっているから現実的ではないものの)。とてもいいアイデアだが、ただ一点、ニューヨークにいる友部正人さんに、「走ろう」と言われたらどうするかである。以前も一緒に走ろうと誘われていたのだ。一緒に走るのは光栄だがついてゆけないと思うのである。500メートルぐらい走ったところで、もう走れませんと弱音を吐くのではないだろうか。
■だが、木曜日、金曜日と、大学で授業があったが疲れていたので家を出るまではぐったりしていた。ところが、授業がはじまり、前回も書いたような熱気のなかにいて奇妙な興奮をしていたせいか気分がやたら高揚したのである。授業が終わって、家に戻ってもしばらく高揚が続いていた。まったく疲れを感じなかった。いよいよ奇妙である。家でひとりでいると眠くなったりするが授業などをするととたんに元気が出るのだった。いかがなものか。稽古もそうである。『トーキョー/不在/ハムレット』の稽古では一時期、ほんとにからだの調子が悪くてどうしようもなかったが、いまはわりと順調である。ただ鍼治療のメンテナンスをしていないので、腰が心配だ。
■そして、きょう(17日)の稽古には岩崎が来てくれて、岩崎が出ていなかったところと新しく書いてきた部分を中心に稽古。うーん、なんかちがうな。自由にやってもらってから手直し。ここで、なにを表現してほしいか伝える。ただ、戯曲の不備もあると思って稽古の途中で書き直そうと決める。なんどもなんども、同じ部分を稽古するべきだと思った。なにも言わずにただただ、同じ場面を五時間ぐらい繰り返すという、岩松了方式によって、場の緊張感を生み出すことができるかもしれない。まだ、曖昧だ。まあ、戯曲を渡してすぐだから仕方がないのだが。
■稽古が終わってから、早稲田の卒業生が編集している雑誌の取材があった。初台のファミレス。様々な地図を見ながらコメントするという仕事だ。あんまり頭がまわらなくて申し訳ないことをした。深夜の12時半近くまでつづく。永井が帰れないので中野通りまでクルマで送った。そこから歩いて帰れるという。帰りの甲州街道は道路工事で渋滞。車線が少なくなっているところに、コンビニに配送に来たトラックが路駐している。一車線になっていて道が詰まる。疲れた。家に戻ってぼんやりしていたが、こんな時間まで戯曲を書き直していた。徐々に戯曲はできてゆくのだ。永井にメールで送信。今週中にはなんとか終わらせようと思う。
(7:38 Apr.18 2006)
■夕方から稽古だった。まだ少しだけの進展だが新しくできた戯曲の読み合わせをしたあと、その場面の、動きなどを考えてみる。まずは、自由に動いてもらって、しかし戯曲に書かれた意図とまちがっていると思う部分や、もっとこうしたほうがいいだろうと客観的に見て修正するような作業だ。少しずつだがまとまってくる。いま稽古しているのは、「にしすがも創造舎」。この三月にクウェートの演出家の作品などを観た劇場が併設されている施設で、もともとは、中学校。廃校になったのを演劇の創作の場、作業場として使われている。その教室の一室が稽古場だ。ふつうに広さは学校の教室を思い浮かべてもらえればいい。舞台の間口や奥行きを取るにはあっとうてきに狭いが、ただ、申請して許可されればいつでも使える。ほかの公共施設が演劇に理解がないのとはまったくちがう。演劇のための施設だ。運営しているNPOの人たちの熱意を感じる。文学座の高橋さんとははじめて舞台をするが、だんだん、わかってきて演出しやすくなってきた。もっと、高橋さんのいいところをこの舞台で出せたらいいと思う。下総君はやっぱり独特の空気を帯びた得がたい俳優だ。魅力的である。ときどき遠慮のない意見をずぱっと言う。それが彼のいいところだ。なんというか、変なこびをうるようなところがまったくない。なんだろうなあ、このすぱっとした気持ちよさは。だが、それが彼のいいところでありながら、人を腹立たしい気分にさせなくもない。稽古終わりにいつも新宿までクルマで送っているが、もうやめようかと思ったりして。プロデューサーの内野さんが稽古場に来ていたので少し緊張もしていたのだ。小田さんには、せりふをたくさん書いてしまった。必然的にそうならざるをえなかった。覚えられるかが不安だ。家に帰って戯曲の続きを書こうと思うが、またその先で筆が止まる。逃避。戯曲を書くこと以外に興味のあることに目がゆく。つまらない時間を使ってしまった。こうしてざっとした記録。鈴木と田中も少しずつ稽古ができた。ほかの舞台があってまだ稽古に参加できていない岩崎も、月曜日には来る。あ、突然、思いだしたが、早稲田の「演劇ワークショップ」の授業に、坊主頭の男がいて、まるで僧侶のような風貌だと感じていたが、あとで聞いたら、あの「薬師寺」の子どもだった。ひどく驚いた。
(6:25 Apr.16 2006)
■時間がないので手短に。忙しいのはもうふだんの状態になっているので、いまさら書いてもしょうがないが、稽古がはじまり、大学の授業もはじまってゆっくりものを考えるひまもない。ひとつひとつ落ち着いて仕事をしたいがそうもいかず、けれど、それほど器用じゃないので、どれもこれも中途半端なことに自分でいらつく。さらに戯曲を書いている。稽古では、まだ、台本を手にしたまま、少し動いてみる状況だ。舞台の上のだいたいのレイアウトを決め、あまり細かい指示を出さぬまま試す。いろいろな場所から来た俳優たちだ。稽古のはじめは、この劇の世界に同時に生きている人たちにならないのが普通だ。「劇団」のようなもので舞台を作ってこなかった僕にすると、ずっと経験してきたことだから、べつにおかしいとも思わない。少しずつ芝居を反復するうち舞台の空気が生まれてくるだろう。俳優のあいだにも、まだ遠慮のようなものがあるが、それが溶けてゆくうち、からだとからだのあいだに、べつの関係が生まれてゆく。まだ三分の一だと思って書いた台本を少し流して時間を計ったら、四〇分ぐらいあった。少し予定していたより長い。大学では、「演劇ワークショップ」という課目はもうこれ以上の人数になったら授業はできないと言ってあるので去年と受講者が同じ数だが、「戯曲を読む」は倍以上の学生がいた。もぐりの学生もいるし、去年の暮れ文学部キャンパスで起きたビラまき逮捕に抗議する人たちのクラス入り情宣もあり、部屋は狭く、ぎちぎちに人は詰まり、よくわからない空気が授業にただよっていたように思う。さらに戯曲を書く。いろいろなことに気をつかうのは疲れるし、集中力もなくなるが、ただ、戯曲だけは丁寧に落ち着いて書く。
(4:51 Apr.15 2006)
■スケジュールを変更してもらったのでみんなに迷惑をかけた。かなり落ち込む。稽古が二日遅れてしまった。これから取り戻そうと思う。そして戯曲は、約三分の一しか書けていなかった。重ね重ね申し訳ない。それでも、初日の読み合わせに、全員が参加できるようにと、開演してもしばらく登場しない人物が出てくるところまでは、なんとか書いたのだ。それは11日未明のことだった。もうほとんど眠っていたといってもいい時間だが、永井にメールをして、それからようやく眠る。あとで読み返したら、その未明に書いた部分は特にだめだ。しかも、書いたことをよく記憶していない。俺、こんなこと書いたかと、読み合わせのときに思った。劇中劇の部分が特にそうだった。シェークスピアが書きそうなことを書いたが、なんというか、こんなことを俳優に言わせることはまずないせりふで、よくもまあ、書けたなこれ。ここはもっと濃密にしよう。焦って書いたせいで、言葉が浅い。本気でシェークスピア劇を書くつもりでないと、どこか批評性が出てしまう気がした。つまりシェークスピアの言葉を揶揄しているかのように書かれていると思えたのだ。きょうは、スタッフのなかに仕事があって来られなかった二人ほどの人以外、このプロジェクトに関わってくれる人たちが、皆、参加してくれたが、もともと出演する俳優が少ないというだけで、とても小さな劇を作る気持ちになった。僕の舞台は出演者が多いのが常なので、今回の稽古場は静かだ。この少人数で、いかにして、濃密に稽古できるかを試したい。さらに戯曲を書くことにする。書いているうちにだんだん、劇の世界を作るのが楽しくなってきた。しばらくのあいだ、このノートは単なる報告になってゆきますが、できるだけ、日々を記録したいと思います。昼間は、『チェーホフの戦争』『資本論も読む』のことで、「論座」という雑誌の取材を受けた。「論座」最新号の特集のタイトルがふるってる。「『諸君!』それでも『正論』か」だ。なにがふるっているか。わからない人は自分で調べてください。
(2:33 Apr.12 2006)
■ずっと戯曲を書いていた。といっても少ししか進んでいないのだが、ひとつ、悩んでいたことの解決方法がみつかり、それでだいぶ空間のイメージが整理された。それだと人が動きやすい。戯曲のあいまに、本をぱらぱら読んでも、ちっとも身が入らない。夕方、クルマで外に出たのは気晴らしだ。追いつめられている。まあ、なんとかここを死んだ気になって乗り切らなければならないのだ。考えこんでも仕方がないと、書いては消し、また書いては、なにかちがうと、また消し、まったく進まないが、まあ、いつだってこんなもんである。そして、きっと開演の幕は開くのだな。でも、この仕事になにか決意をもって臨んでいるので、書けない背景にはいいものを書こうという、いやらしさがあるのかも。なにしろ、アメリカから学者もやってくるのだ。桜上水のYさんにも引っ越しおめでとうと返事を書こうと思いつつ不義理をしている。読みたい本がいっぱいあるけど、落ち着いて読む時間もないが、執筆のあいまの読書は、集中できないとはいえ、それなりに役に立つのだ。ふと、岸田戯曲賞の受賞パーティの席で「ユリイカ」のYさんから打診された仕事をやってみたいという気持ちが高まる。内容はまだ書けないけど、自分にとっても、これまでの仕事を整理する意味でも大きなものになる予感がした。それにしても、頭がぐらぐらするような、毎日である。精神的には最悪だ。
(5:06 Apr.10 2006)
■せっぱ詰まった本日、戯曲を書こうとするが、どうしても書き出せない部分があり、一日中、どんよりとした気分になっていた。まあ、数日前からこんな調子だが、いっこうに立ち直れずぐだぐだコンピュータを前に戯曲に苦しむ。予定ではあしたから稽古だが、永井に電話して延期してもらった。来週の火曜日から稽古開始にした。稽古初日に何枚まで書けているかだなあ。稽古に来たのに、書いたところまでまだ出てこない俳優がいるのはまずい。あれは、『おはようと、その他の伝言』だったと思うが、10日間ぐらい稽古に来ていたのに、まだ書けたところまでの戯曲にぜんぜん出てこない女優がいて、早く出してほしいと訴えられたことがある。いまは、テルミンの奏者になっている。
■昼間、打越さんに会って、「よりみちパン!セ」(理論社)の、僕が担当した『演劇は道具だ』の見本を受け取った。来週には、書店に並ぶと思われます。演劇について、こうして、まとまった本を書くのははじめてだ。『チェーホフを読む』(青土社)もあるけれど、それとはまったく種類の異なる本になった。まず、中学生を中心にした十代の読者を想定するというのがむつかしかった。できるだけわかりやすくと思って書いたが、わかりやすくがむつかしい。たとえば、いろいろ使えない言葉が出てくる。「対象化する」と書こうとして、それをどうわかりやすくしようか悩んだり、「構築」という言葉をどう説明したらいいかよくわからない。
■それにしても、打越さんには迷惑をかけた。こんなに短期間で単行本を作ったことはないという。二度もホテルをとってもらったしなあ。横浜のホテル・ニューグランドの旧館はとてもよくて、それがうらやましいとある人に言われたが、書いている本人は必死だ。ホテルはとてもよかったんだ。だけど、書かないとしょうがない。死にものぐるいで書いていたのだ。
■この本はデザイナーさんの意向なのか、本文が絵の上に印刷されていて、その全体がぱらぱら漫画になっている。とても面白い。ただ、正直なところ、老眼の僕には読みにくかった。絵が目に入って落ち着いて読めない。左片方のページに大きく絵があり、それをめくると、絵のないページがあって、ほっとする。で、またすぐに絵だ。いっこうに集中して読めなかった。ぱらぱら漫画はなあ、一回やると、もう次には飽きてしまうのが残念なところだ。あと、世阿弥を引用すればよかったと思うのは、『花鏡』のなかの、「せぬがところ」という言葉だ。「せぬがところ」とは、「なにもしない」という意味で、これがすごくいい。しかも世阿弥は、「せぬがところ」が演技として、いかにも、なにもしてないように見えてはいけないという。高等技術である。それについては、『舞台芸術』に寄稿した文章を参照していただきたい。
■と、そんなことを書きつつも、戯曲のことでうつうつとしている。来週からは大学もはじまり、その準備のため、授業がある前に大学にいちど行っておこうと思ったが、ぜんぜん時間がないじゃないか。今年の一月、早稲田に古田が来て講演をしたらしい。なんだよ、誰か教えてくれよ。行きたかったじゃないか。でも、二年目になって、だいぶ事情はのみこめた。去年のいまごろは教室の場所さえわからなかったのだ。それに比べたら、まだ安心である。
(4:04 Apr.9 2006)
■戯曲が書けないので逃避する。本を読む。詩人の黒田三郎について。それを通じて、現代詩の歴史をながめると、演劇と似たところがいくつかある。いわゆる「現代口語演劇」による戯曲を書く快楽はたしかにある。こんなどうでもいいことの対話の積み重ねによって、劇が構築されるとは思えないことを、あえてやってみることの快楽。部屋の中に、「え?」と言いながら入ってくる人が僕は好きだ。それもまた快楽である。だが、もちろん、快楽だけではなく、そこに戦略と、必然はきっとあり、いまこの言葉でないと「現在」が描写できない演劇は確実にある。それを肯定しつつも、それによって小さくなる表現を否定するとき、では、劇の言葉の可能性はどこにあるか。
■去年の暮れからの『鵺/NUE』の執筆、そして、死にものぐるいの「よりみちパン!セ」の執筆からずっと精神的に休まるところがなくてさすがに疲れた。そのあいだに原稿があった。精神的に追いつめられた状況で戯曲が落ち着いて書けず、なにをしても、心が解放されることがない。結局ですね、戯曲はぜんぜん書けないままだ。暗いことばかり書くのもなんなので、東京ヤクルトスワローズの古田を見ていると勇気づけられる。笠木がCMで共演したのは、あの古田だった。CMはこちら。今年はプレイングマネージャ(監督、選手兼任)として多忙な日々を送る古田のことを考えたら、戯曲が書けないくらいなんということもないのだ。CMを見ると、古田と笠木たちはあきらかにべつ撮りだが、でも、古田と同じCMに出ているなんてなんという幸福だろうと思われる。
■大学の授業がはじまって、死にものぐるいの日々がしばらく続くが(稽古と授業を平行してやるのは果たして可能なのか)、監督業も続けながら、さらにプレイヤーとしてグランドに出てくる古田のことを思ったら、そんなものはなんでもないのだ。とにかく『モーターサイクル・ドン・キホーテ』が終わるまでは、体力面というより、精神的にかなり参るだろうと想像する。いまもこうして、精神的にはきわめて不安定だ。だが、古田だ。古田のことをつねに思いだして仕事をしてゆこうと思うのだ。
(10:49 Apr.8 2006)
■驚くべきことに、このノートでしばしば書いている、寝屋川のYさんが、「桜上水のYさん」になってしまった。つまり、大阪から東京に出てきたということだ。メールをもらってはじめて知った。で、引っ越してきてそうそう、京王線が事故で運行停止になり、そのとき新宿にいたYさんは途方にくれたという。よく知っている土地なら、どうやって迂回し、電車を乗り継げばいいかぱっとわかるが、あまり詳しくなかったらたしかに困るだろう。僕も大阪あたりで同じような状況におちいったらまったくお手上げになる。電話をしてくれれば、クルマで送ってあげたのにと思うが、ニュースによると、その日の甲州街道は帰宅のためにタクシーが使われ、ものすごい渋滞だったという。
■事故があったのは、京王線と井の頭通りが交差する踏切だと新聞にあったから、僕がむかし住んでいた近くだ。『彼岸からの言葉』におさめたエッセイに書いた、なぞの偶然が発生したマンションの近くだ。なにしろ、同じ部屋に、直前まで住んでいた人が、僕と同姓同名だった。それで僕あての郵便が、ぜんぶ、前の住人のところに転送されるという、おどろくべき出来事があったマンションである。大家さんはいい人だった。「猫は、一匹ぐらいだったら飼っていい」と言い、その「一匹ぐらい」というのがよくわからなかった。そして引っ越して数日後、その大家さんが突然、亡くなられた。次々と不可解なことが起こったのである。
■一本の私鉄が運行を停止しただけで混乱が起きた。地震が首都圏を襲ったらどうなるかはよく言われるところだが、ためしに、抜き打ちで、首都圏の交通を全面的にストップさせるシュミレーションをやったらどうか。そこで様々に想定される混乱による被害や損害は、国や東京都が保証する。国家規模のプロジェクトとしてのシュミレーションだ。そうした混乱は、たとえば、今回のような事故によって数値化され、データとしてストックされるだろう。交通が全面的にストップすることでなにが起こるかを予想して計算されるだろうが、実際にやってみると意外なデータも見つかるのではないか。自転車は何台盗まれるか。たいへんな数が盗まれるはずである。想像もしていないようなわけのわからない、そして、どうでもいいことがきっと頻発する。「どうでもいいこと」の堆積がそこではとても重要になると思えてならない。
■「舞台芸術」の原稿はもう数日前に書きあげていたが、なんども推敲していたのだった。どうも気にいらない。それで、読み返してはちまちま書き直す。そもそも、根本的になにか欠陥があるのじゃないかと思いつつ、しかし、いまさらゼロから書き直す時間もなかった。原稿のテーマになっている世阿弥の『花鏡』を繰り返し読む。読むたびに世阿弥はすごいとしか言いようがない。ことこまかに、演技術とその周辺について書き遺している。あ、古典ということで、思いだしたが、Tさんという方からメールをいただいた。古書店を探しても見つからなかった、『ゲオルク・ビューヒナー全集』が復刊されるという情報を教えてもらった。以前、図書館で借りたあと、もう手に入らないだろうとあきらめていたのだ。復刊それ自体もよかったが、その情報を教えてもらったことにとても感謝した。
■そういえば、このあいだ岸田戯曲賞の受賞式で会った、劇作家の永井愛さんは、ブログを読むのがとても好きだと話していた。どうやら僕のこのノートもよく読んでいるらしい。以前も書いたが僕はブログを擁護している。ブログを読むのが好きだ。ただ、文章は人によってそれぞれでありながら、デザインがだいたい同じなのが気になっているのである。当然、ブログのサービスを使っていて、提供されるスタイルシートがどこも似たようなものだからしょうがないとしても、「Web標準」というやつでしょうか、どんどん、サイトのレイアウトが似てゆくので、その姿がどこも代わり映えしないように見える。ものは、なんでもたいてい、洗練され、あるスタンダードな姿へと収斂されてゆく。ネットも同じであったか。それはまあ、「Web標準」が生み出したというわけではなく、必然として出現した流れだろう。個人によるブログがこれだけ盛んになった背景には、デザインが洗練され、そして読みやすいサイトを誰もが簡単に構築できる仕組みができたからだろう。似てゆくのはしょうがない。よく似たレイアウトのテンプレートが用意されているのだ。
■芸術の領域もまた、テンプレートが用意されることはあり、そうしたものの作り方の安定感はきわめてたしかなものだろう。そして、それがつまらないのも、たいてい誰もが知っている。けれど、テンプレートのように作れば一定の成果が生まれるからことは複雑だ。失敗したくはないのだ。失敗をおそれるのはいまのこの国を反映しているように思う。あるいは、意図して失敗するような作為にもいやなものを感じる。そして、「Web標準」の解説のサイトを読むと、なにか、世阿弥を読んでいるのに近い感覚を受ける。それが奇妙だ。そして、戯曲は書けない。「Web標準」のことなどいまの私にはどうでもいいのだが、それと、演劇とを結びつけ、つい考えてしまう。とにかく私は戯曲を書くのである。
(15:01 Apr.7 2006)
■もう二ヶ月ぐらい前から予想していたとおり、いよいよせっぱ詰まってきた。つまり戯曲の執筆が進まないということだ。困った。じりじりとした焦燥感。もう稽古は目前であり、締め切りはすぐだ。困った。そんな日、その筋では先達ともいうべき、井上ひさしさんにお会いした。というのも、岸田戯曲賞の受賞パーティがあったからだ。井上さんに会ったら、遅くてもまあいいんじゃないかという気持ちになるから不思議である。
■神楽坂にある日本出版クラブ会館へ。井上さんだけではなく、選考委員の永井さんや坂手君ほか、いろいろな人たちに会った。式はつつがなく進行し、乾杯の発声というものをやってしまった。こういうとき、なにか軽い言葉があって、それから乾杯ということになるが、長くならないように注意した。で、歓談。受賞者の三浦君と話しをする。受賞者が二人いる場合、会場が二つにわかれ、しかも、作風が異なるときなど、その分割された両者の雰囲気がぜんぜんちがうことが多い。今回も少なからずそうだったが、予想していたよりポツドール側が、わりあい普通だった。もっとろくでもない者どもが来ると予想していたのだ。やはり、俳優は俳優である。演劇に関わっている者のたたずまいというものがある。どうしたって、演劇の場合、長い稽古があり、本番の舞台があり、そこでは一定の規律のなかにいなければならず、おのずとそれに適合する者によって構成される。以前、僕の舞台に、あきらかにそこから逸脱した人が来て面白いと思っていたが、やっぱり途中でやめてしまった。
■京都の大学では、毎年、学生の発表公演をやっていた。第一回目というのは、その学科のはじめての学生たちだ(というのも、その前年に舞台芸術学科が新設され、発表は二年時だからだ)。大半の学生が演劇のことをなにも知らないというか、なぜか舞台芸術学科に来てしまったという恐るべき状況から出発した。しかし、それはそれで面白いのは、まったく演劇とは無縁の身体だったからだ。ただなあ、授業終了後の稽古があったある日、稽古場に向かおうとしたら学生の一人が、僕の顔を見て逃げたのはどうなのか。やつは走って逃げたのである。どうなんだ。稽古に来ない学生を相手に稽古するのは大変だったが、なまじ、高校演劇をやってきた一部の学生とはまた異なる魅力があった。
■いろいろな方に会い、挨拶するだけでも疲れてしまった。「ユリイカ」のYさんから少し仕事の話。とてもうれしい仕事だが、なにか怖いところもある。でも、実現できたらとてもありがたい。『モーターサイクル・ドン・キホーテ』のプロデューサーでもある東大の内野さんとも会ったが、戯曲が書けていないから、できるだけその件については触れないようにする。チェルフィッチュの岡田君にも会った。『ウィリアムス・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』の著者の一人である押切君や、『演技者』のディレクターをするO君もいた。朝日新聞のYさんとは久しぶりに会う。早めに会場をあとにして家に戻る。戯曲を書く。
(11:37 Apr.5 2006)
Apr.2 sun. 「すごく久しぶりにベニサン・ピットへ」 |
■11月の舞台で照明をお願いするKさんに会うのが目的で、いまKさんが仕事をしている、『皆に伝えよ! ソイレント・グリーンは人肉だと』(作・演出ルネ・ポルシェ)をベニサン・ピットまで観に行った。まあ、仕事だと思って行ったので、はじめは気乗りしていなかったのに、すごく面白い舞台だったので驚いた。方法は、ほぼ、ジョン・ジェスランの『SNOW』や、僕の『トーキョー・ボディ』と同じである。八割方、生中継だった。あと、来年、遊園地再生事業団でやろうと思っていた方法がすでに実現されていた。
■まあ、方法はここではいいとして、僕が強く興味をもったのは戯曲の言葉だ。舞台を観たあとでパンフレットに作者の経歴を読むと、「ドイツ・ギーゼン大学応用演劇学科で、ハイナー・ミュラーなどのもとで学ぶ」とあって納得するものがあった。詩的であったり、あきらかに口語ではない哲学や現代思想の言葉に、性的できわどい言葉が散りばめられ、暴力的であり、攻撃的であり、グロテスクだ。そしてほとんど対話がない。ミュラーは、「対話が成立しない」という政治状況のなかで舞台を作っていたが、現実はいつでも似ようなものだ。「くそったれ」な現実に向かって、いらつくように言葉が構成されている。戯曲ばかりではなく、美術や音楽をはじめ、「現在」を必要以上にデフォルメし、過剰に表現されるとき、舞台で表現されるのはまたべつのリアリティだ。あえて表現される社会の通俗さが奇妙な光彩を放つ。だからそれは、通俗ではないのだろう。全体が大きな冗談のようにも見える。あるいは、そこかしこに散りばめられる冗談。舞台の約束をこわしてゆく手法。そのどれもが、面白いかどうかはともかく、興味深かった。見に来てよかった。
■それにしても、客席は100ちょっとで劇場全体からすれば少なく、その代わり四つぐらいの演技空間がある。それをうまく使えるのはうらやましい気がした。それで17ステージ。こういった公演形態のほうが、いちどに大量の観客を入れるよりずっといい。好きなことがやれる。もっと好きなことのできる環境が生まれないだろうか。だんだん、歳をとってくると、好きなことだけやりたい気持ちになるのだ。とりあえず、『皆に伝えよ! ソイレント・グリーンは人肉だと』は4月16日までやっている。その気になったら、観に行ってみてはいかがなものか。
■ベニサン・ピットまで行く道々、桜が満開で、こうも桜があふれているのはどうかと思うのだ。空いている土地があれば、桜を植えた時期があったのではないだろうか。それがいま過剰になっていないか。桜はたしかにいいけれど、これだけあふれていると食傷気味になる。もっとべつの植物があってもいいと思う。夜、下北沢で食事。そのとき気がついたがスズナリの劇場のある建物の一部が古書店になっていた。その前をクルマで通過し、よってゆこうかと思ったが、雨が降っていたのでやめる。そして合間をぬっては原稿を書く。
(6:24 Apr.3 2006)
桜である。天気がよかった。原稿を書いていたが桜を見に外に出る。どこにいっても桜があるような気がする。いたるところに桜だ。
■なぜか午後、小田急線・経堂の商店街をぶらぶらしていた。久しぶりに行くなじみのある町は、少しずつ変化しており、この新しい店は、かつてなんだったか記憶をたどるが、もう忘れている。そこになにがあったかすっかりわからない。変転がいちじるしいのだな。古本屋が一軒なくなっていた。この国の人たちはどんどんばかになっているのだろうか。まあ、本を読めばいいってものじゃないのだが。
■あとは、「舞台芸術」の原稿に苦しむ。ほんとは金曜日までに書きあげるつもりだったが、半分ぐらい書いたところから筆が進まない。いつもこんなふうだ。で、経堂をぶらぶら散歩しているとき制作の永井から電話があり、『モーターサイクル・ドン・キホーテ』の5月28日ぶんがもう売り切れになったという。早速、その旨を予約フォームからわかるようにし、28日のチケットが予約できないように変更しなくてはいけない。家に戻ったら永井のメールが届いており、相馬が新たに作ってくれた予約フォームのインデックスページのソースが添付されていた。それに切り替えて5月28日分は予約ができない仕組みになった。28日はアフタートークがあるからだろうが、あまりの売り切れの早さに驚く。あと、予約フォームの威力にも驚く。そして、予約していただいた方たちに感謝した。
■最近の舞台には、アフタートークがしばしばある。ほかの人がやる舞台のアフタートークに出ることはあったが、自分の主宰する舞台ではほとんどやったことがない。パブリックシアターが主宰するリーディングとか、あと映画のときはやったが、それにはひとつ理由があって、そもそも、僕の作る舞台の上演時間が長いからアフタートークをやってる時間がないのだ。たとえば、パブリックシアターのトラムで上演すると、退出時間が夜10時で、そのぎりぎりまで舞台があったり、むしろ、10時を越えていることがあり、アフタートークをしようにもできない。今回は、「カルデーニオ」のプロジェクトの企画者であるスティーブン・グリーンブラッドさんとの対談だ。えてして、外国人との話はあいだに通訳が入ることもあって、時間が長くなる。単純に考えると倍だ。しかも今回は相手が学者だ。ふざけたことを話して怒られないかそれが不安である。
■時間が過ぎるのが早くていやになる。もう四月なのか。戯曲の締め切りが目前だ。というか、稽古がはじまってしまう。やっぱり、この時期に締め切りがあった原稿をひとつことわっておいてよかった。きっと書けなかったにちがいない。というわけで、原稿を書く。
(8:09 Apr.2 2006)
「富士日記2」二〇〇六年三月後半はこちら →
|
|