May. 31 thurs. 「大雨の夜に」
■東京地方は一時、大雨になったとあとで知ったが、ずっと原稿を書いていたのでまったく気がつかなかった。夜、青山真治監督の『Sad Vacation』を観に行く予定だったがどうしてもきょうはここまで書かねばならないと思っているうちに行くことができなかった。気分がふさぐ。しかし、そんな気分をふりはらうかのようにさらに原稿を書く。この一ヶ月ずっと仕事をしている。それにしても観なかったことをつくづく後悔した。行ったほうが気が晴れて仕事がはかどったんじゃないかと思う。一歩も家を出なかった。
(15:02 Jun, 1 2007)
May. 30 wed. 「このノートの素晴らしさ」
■制作の永井から電話があったのは夜だが、「せりふの時代」の原稿の締め切りがすでに過ぎているという内容だった。原稿は、舞台評や、戯曲を読んだ感想、批評を書くという内容になる。こいつは困ったと思っていたが、この「ノート」はこういうとき、ものすごく役に立つ。というのも、野田秀樹さんの『ロープ』について、すでに書いてあったが、なにか気が進まずアップしないままだったからだ。原稿用紙にすると六枚分ほど。それを四枚分に短縮するのは少し手間がかかったが、ゼロから書くよりはずっといい。書いておくもんだなあ。なにかと役に立つ。まあ、いまさら『ロープ』を取りあげるのは時期を逸しているが、まず、誰もこの視点であの舞台について書かないだろうと思うので成立しているはずだ。というか、その視点からの感想をどこかに発表したい気持ちもあった。さらに文章を商品にするため少し手直しした。分量をたしかめて気がつくのは、このノートにものすごく書いてることだ。
■あとは、一日中、『ノイズ文化論』の直し。ほとんど家を出ずに書いていた。まだまだ、先は長い。
(5:33 May, 31 2007)
May. 29 tue. 「気の遠くなる長い道」
■ずっと原稿を書いていた。「ノイズ文化論」の直しである。こつこつ丁寧に書き進める。終わらないなあ。気が遠くなる。『演劇は道具だ』(理論社)を編集してくれた打越さんから、「ほぼ日刊イトイ新聞」に「より道パン!セ」の紹介コーナーがあり、そこでシリーズ各書籍から「名言」というものをピックアップして掲載したいが、『演劇は道具だ』からも引用していいかという問い合わせがあったのは、もう数日前だ。すぐに「問題ありません」と返信のメールを返したが、なぜか、「あれは、どうなったでしょうか」という問い合わせがさらにあった。メールが届いていないらしい。なにかのまちがいじゃないかと思いつつ、あらためて返信した。うーん、こういうことがあるとメールの存在が不安になるものの、こんなことはまったくなかった。
■それはそうと関係ないが、「MAC POWER」はかつての「コンピュータ雑誌」から変貌し、いまや、「デジタル文化誌」ともいうべき雑誌になっている。その後、読者層がまったく変わったとT編集長が話していたが、前号にいたっては完売したという。すごいよ、「MAC POWER」。どのページもおしゃれな作りになっているが、私の連載の、あの力の抜け具合はどうなってるんだ。しかも、縦書きだし。ほかとの調和を俺はなんにも考えていないよ。っていうか、エッセイの性質上、調和しようがないのだけれど。あるときを境に、T編集長の雑誌作りの方針が、かなり思い切ったと感じてはいたが、それが成功してなにか自分のことのようにうれしくなった。あんまりさあ、ないわけじゃない、世の中で、これ、いいなあと思う考え方が成功する例が、いま。
■そんなこともありつつ、私はひたすら原稿を書く一日だ。早稲田を卒業したOから教えてもらったジョー・サッコの『パレスチナ』というコミックを執筆のあいまに気晴らしに読んでいる。ジョー・サッコはアメリカ人の漫画家だ。コミックとはいえ、なかなかに歯ごたえがある。とにかくこつこつ仕事を進める。
(12:14 May, 30 2007)
May. 28 mon. 「七万人のうちの一人」
■以前、ここにも書いた土本典昭監督の『ドキュメント路上』などが上映されるという情報を、スリーピンのHさんから教えてもらった。これ、ぜったい見た方がいいと思う。詳しくは、こちらへ。
■さて、北海道から帰ってきたのは日曜日の夜だ。あとで知ったが全日空のシステムがダウンし、七万人に影響したとニュースで報道されていた。その七万人のうちの一人が私だ。千歳空港に行ってチケットを交換しようとしたら機械ではできず、窓口で質問すると、「これはエアドゥのチケットなのであちらにお並びください」と言われた。見れば、長蛇の列である。エアドゥの窓口はひとつしかない。本来乗るべき便は二時間近く遅れているというし、そのうち列もおさまるだろうと思って喫煙所でしばらく待っていたが、いっこうに行列が途切れる気配はない。それで仕方なく並ぶ。ようやく登場の手続きができた。少し早い時間の日航の便に取り替え客をそちらに回しているらしい。見ればもう、出発の数分前である。ところがだ、エアドゥの窓口と、日航の搭乗口は、空港の端から端まで歩くような距離にあるのだ。あせって搭乗口に急ぐ。
■それでもなんとか間に合ったし、飛行機も空いていたので、わりと楽に帰ってこられた。ところが、そのあと羽田でまたやっかいなことになった。それというのも、エアドゥで帰ってくるつもりだったからクルマをエアドゥのあるウイング側の駐車場に停めてあったからだ。つまりまったく逆側まで歩かなくてはならないということだ。歩いた。ひたすらまた歩いた。なにより疲れたのはこの移動だ。ものすごく距離がある。もう午前〇時を過ぎていたから、帰りの首都高も空いているだろうと思ったら工事があってこんな時間なのに渋滞している。どうなってるんだ、東京は。
■北海道の「演出ゼミ」は八人ほどの参加者だった。小さな部屋で一人一人に語りかけるような調子で話ができてとてもよかった。初日は、僕の舞台の変遷と、そのあいだになにを考えてきたか、演劇観の変化を中心に話す。あるいは、「身体論」のようなこと。質問に応えるうち、気がついたら、予定の時間をかなり過ぎていた。終わってから北海道文化財団が刊行している出版物の取材を受けた。取材はともかく、写真撮影で少し疲れた。その後、財団の方たちと食事に行く。札幌の夜は少し冷えた。夜、ホテルに戻って「ノイズ文化論」の仕事。あまり眠れない。朝の七時過ぎまで仕事をして、昼まで眠ろうとしたがなかなか寝つけなかった。で、少しぼんやりした意識のまま、二日目のゼミ。次は、過去の演劇論についてなど。いくつかビデオを見せたが、そのせいなのか、あれっと思う間に時間が過ぎてしまう。このあと、ベケットのことなど話そうと思ったがそれは次回だ。
■だけど、もっと説明を細かくするべきかなと思ったのは、僕が前提にしている演劇の歴史のようなものが、ほとんど理解されていなかった気がするからだ。というのも、受講者のほとんどがチェーホフについて、(名前ぐらいは知っていたかもしれないが)戯曲を読んだことがないという。しょうがないか。どうなんだろう。うーん。となると、ベケットも、別役さんも読んでないのだろうな。舞台も観ていないかもしれない。たとえばベケットについて細かく説明をしてから次の話をはじめないとだめだろう。
■あるいは、技術的なことならいくらでも話ができるが、それに僕はあまり意味を感じない。だけど、受講者はそっちのほうを求めていないだろうか。質問のひとつに、「俳優が、言うことを聞いてくれない」というのがあった。つまり演出家が指示をしても俳優が動かないという意味だろう。そうしたきわめてリアルな悩みを彼らは稽古場で抱えているにちがいない。おそらく彼らが知りたいのは、具体的なそのようなことだ。それと似たようなことは僕だって悩む。ただねえ、どうなんでしょう、そういったことだけでいいのかどうか。もっと原理的に「演劇」をとらえてゆくべきではないか。それこそが演出家にとって根源的な力になるのではないか。
■とにかく、まだ仕事は終わらない。東京に戻って落ち着く暇もなく仕事だ。少し疲れたな。
(10:46 May, 29 2007)
May. 25 fri. 「北海道にいる」
■やけに早く目が覚めてしまったので午前中にできる仕事をいくつかする。それから北海道に行く準備。午後、少し早めに家を出たつもりだったが、首都高が渋滞していたので羽田に着いたときにはもう搭乗手続きの時間にぎりぎりだった。コンピュータなどを入れたバッグはひどく重い。荷物の検査などして搭乗口まで向かったがやけに歩いた。それに比べると飛行機に乗ってからの北海道は近い。一時間半である。iPodでなにか聴いているとすぐに着いてしまう。上空は天候が悪かったせいか飛行機は揺れた。午後四時に千歳に到着。
■千歳空港からJRに乗って札幌へ。北海道芸術財団のSさんが駅に迎えに来てくれた。その後、いったんホテルに荷物を置いてから食事に誘われた。たしか、「羅臼」という名前の魚料理を出してくれる居酒屋のようなお店だが、魚が美味しい。あと、いくら丼みたいなものだが、白いご飯の上に店の若い衆が、いくらをだーっとのせてゆき、こちらが「ストップ」を言わないと止めないという、たいへん気前のいいものを食べた。ご飯の上に山盛りのいくらである。
■最終的に胃が苦しくなるほど食事をし、ホテルに戻ってひどく眠かったので二時間ほど仮眠。それから原稿を書く。少しずつ進んでゆく。こつこつ丁寧に書き進める。資料が必要なところはとりあえず東京に戻って埋めるようにし、少しずつ先へ。ホテルでメールをチェックしたらやけに大量のメールが届いていた。白水社のW君から「ノイズ文化論」に関してもアドヴァイスがあり、「笙野頼子さんは外せない」という意味の内容。『ニュータウン入口』に関しても参考になるだろうとメールにあった。何冊か笙野さんの小説は読んでいるが、あまりいい読者ではない。さらに「現代思想」(青土社)という雑誌でも特集されていたとあったが、実は、その「現代思想」の「笙野頼子特集」は持っているが、家にいる「ある小動物」がその「現代思想」の上にゲロを吐いたのだ。なにをするんだ。ぼろぼろになってしまった。なんだか笙野頼子的な感じがしたのだった。よくわからないがそんな気がした。
■そういえば、桑原茂一さんから、また六本木のスーパーデラックスで開かれるイヴェントに出演を依頼されたが、さすがにそれはスケジュール的に無理だった。「ノイズ文化論」を無事に終えることができても、そのあと、『ニュータウン入口』の第二稿があるからだ。さらに連載。また新しい連載がはじまってしまう。仕事を引き受けすぎた。もうこれ以上は少し無理なので、茂一さんには申し訳ないが断らざるをえなかった。
■東京も雨だったが、北海道も雨。少し冷える。金曜日の夜だったせいか札幌の町は人でいっぱいだ。で、羽田から乗った飛行機の乗客を見ていると、みんな、なにか慣れている気がする。飛行機を利用して北海道と東京を、頻繁に行き来しているのじゃないかといった印象である。あしたは「演出ゼミ」というタイトルで、演出家志望の人たちを対象に話す。そのレクチャーを通じて僕も考えよう。
(2:12 May, 26 2007)
May. 24 thurs. 「がけっぷち」
■午前中、用事があってとある駒場にある大学へ、ってそれまあ、ひとつしかないか。都内では大学や高校が「はしか」で休講という事態が広がっているとニュースで知るが、そこはどうやら平気なようだった。俺、かつて「はしか」をやったかどうか、よく記憶にない。大人になって「はしか」にかかると、なにかまずいんじゃなかったかと、そんなことが気になる。きょうもまた天気がよい。
■「ノイズ文化論」の仕事がちっともはかどらない。こつこつ書き直しをしてはいるものの、「80年代地下文化論」のときのような発見が少ないから、この直しで講義では出なかった発見をしてやろうと思うが、うまく出てこないのである。もう締め切りだ。かなりあせっている。崖っぷちだ。その「崖っぷち感」がまた気分を重くしているのだった。で、せっぱ詰まっていながらほかの原稿ばかりがどんどん進行。『ニュータウン入口』の第二稿も先には控えている。そんなおり、映像班のIさんから、映像を作るにあたって質問のメールが来て、この戯曲でもっとも描こうと思っているテーマのようなものはなにかとあった。それで、その質問に応えることで、僕のなかでも戯曲の世界があらためてくっきりした気がするのだ。あるいは、意識していなかったことを、質問によって気づかされるとでもいうか。とても助かった。
■それでもって北海道のレクチャーのためのノートを作る。荷物の準備。白夜書房のE君からメールがあって、もちろん、「ノイズ文化論」のこと。E君のほうも、もろもろ、たいへんなことになっているらしい。それはそれで心配する。仕事を引き受けた段階では北海道を楽しみにしていたが、それどころではなくなってしまった。俺が行くのじゃなく、向こうから東京に来たらどうだと、ひどいことさえ考えた。あっちでも原稿を書く仕事をしているだろう。なんというか、いま私は、ぎりぎりの状態になっているのだった。
(9:08 May, 25 2007)
May. 23 wed. 「夏のような日の記録」
■ものすごく暑い一日。『ニュータウン入口』の宣材写真を撮影するため木場公園に行ったのである。で、写真は若松武史さんを待っているときのもので、遊園地再生事業団のメンバーであるところの、上村と田中だ。若松さんが来たとき写そうと思ったらデジカメの電池がなくなったのだ。木場公園は近くに東京現代美術館があるのでこれまでにも何度か来たことがある。というか、いまから七、八年前にやっていたワークショップのときは決まってその一環として美術館に来ていた。
■集合が朝の九時半過ぎ。夏のような天気のもと撮影が行われた。天気がよくてよかった。若松さんが十時ぐらいに到着して少し話しをし、デザイナーの斉藤さんと、カメラマンの方によって撮影は三十分ほどで終わってしまった。終わってしばらく、若松さんと話しをしていたが、それでもまだ午前中。あまり眠っていなかったのでとにかく眠い。繰り返すように、驚くほどの天気のよさ。暑い。夏のような日差しと気温。でも湿度がないので過ごしやすかった。あ、なんで木場公園で撮影だったかと言えば、若松さんが午後から、わりとこの近く、地下鉄都営新宿線・森下(そこには僕たちがプレ公演をやる森下スタジオもあるわけだが)にあるベニサンピットでガジラの稽古があるからだ。今回は時代劇(といっていいのかどうか)なので殺陣があるとのこと。
■撮影が終わり、デザイナーの斉藤さん、そして若松さんとも別れ、制作の永井、上村、田中をクルマに乗せて昼食をとることにした。ふと思いたって神田の松屋という蕎麦屋に行こうと思ったら永井が、「蕎麦屋ではコーヒーが飲めない」とわけのわからないことを言った。つまり、まだあまり空腹ではないという意味らしい。しょうがないのでファミレスに行くことにしたがクルマを駐車できる場所を探すのに苦労した。おまけに、食事中、このあいだ治療した歯が取れたのだ。で、三人とは新宿でわかれ、午後、歯科医へ。ひどく眠い。
■「考える人」(新潮社)の原稿は昨夜、というか、未明に書きあげてあった。それであらためて確認すると寝ぼけていたせいかわけのわからない文章になっていて、そのまま新潮社のN君にメールしなくてよかった。家に戻って推敲。そこで力つき、眠る。なにかよくわからない悪夢にうなされ中途半端に目が覚める。永井からメールがあって、「MAC POWER」のT編集長から連絡があり、例のMac Proが稽古場にセッティングされることが決まったとのこと。あとでT編集長からもメールをいただいたが、いまもっとも高速のMacが来る。それにふさわしい映像を六月のプレ公演では流そう。なにか本末転倒な気もしないではないが、いや、それはそれでまたべつのものの作り方になるのじゃないだろうか。それも考えなくちゃな。忙しい。
■早稲田も「はしか」で休講になったとのニュース。その早稲田の卒業生で僕の授業によく顔を出していたOから、もろもろ舞台などの感想が送られてきた。『ニュータウン入口』について、ミラン・クンデラの『笑いと忘却の書』の一節を引用してくれ、そのことに触れつつ、考えたことが書かれていた。それで突然、クンデラを読みたくなった。まあ、仕事をしなくちゃいけないが、きょうはなにかぼんやりしていて、ほとんどはかどらず。すごくいやな気持ちで一日を終える。
■久しぶりに、すごく「日記らしい日記」を書いた。「日記」について考えると、それは歴史的に見てひとつの文学ジャンルである。たとえば、『ガリア戦記』がある。日本にも『土佐日記』をはじめとする日記文学の歴史は脈々と存在するが、ただ、あれらは、日記として最初から発表を前提にしいていたかは疑問である。後世の人によって「文学」として発見されたのではあるまいか。ただ、その形式は、文学とは言いきれないものの、たとえば雑誌に「読書日記」のようにしていまでも引き継がれており、いわば出版の世界において一定のジャンルになっている。その場合やっぱり、「日付の入ったエクリチュール」だ。単に「日付」があるだけで、本質的に考えれば「日記」ではない。なぜなら、他者に読まれることを前提にしている点で、ほんとうの意味での「日記」ではないからだ。僕は高校生のころからずっと日記を書いていた。あれを読まれるのは恥ずかしい。死ぬ前に燃やそうと思う。
■それにしてもものすごい勢いで連載の原稿を書いている。これはおそらく逃避である。「ノイズ文化論」の直しをしなくてならないプレッシャーから逃避するように、原稿を書いているような気がし、なんだかわけのわからない状態だ。青山真治さんから、新作『Sad Vacation』の試写会のお知らせをメールでもらった。公開されるのを待つしかないと思っていたが、まだ試写があると知った。よかった。「ノイズ文化論」の講義のときに触れようと思って忘れていた、『ナチ・ドイツ清潔な帝国』(人文書院)を読み返す。
(6:04 May, 24 2007)
May. 22 tue. 「停滞している」
■気がついたらすごく忙しいのは、金曜日(25日)にはもう北海道へ出発するからだ。そう思って「ノイズ文化論」に集中するために、まずは連載類を片づけようと思って、「webちくま」の連載を一本書き、「考える人」(新潮社)の連載を途中まで書く。さらに、土本典昭さんについて書いたゲラ、「webちくま」のゲラをチェックして戻す。北海道に行って演出家志望の人を対象に「演出ゼミ」というレクチャーをする。北海道文化財団の主催である。その準備もしなくてはいけない。さらに北海道でも夜はホテルで仕事をすることになるだろう。
■これまで、いろいろなレクチャーはしてきたが、「演出家志望の方を対象にしたレクチャー」といったものをこれまでやったことがない。「戯曲の書き方」のような話はしたことはあるが。どう話していいものか考える。まずは僕の舞台の話を具体的にしよう。そこから僕が考えている「演出の概論」というか、「演出」にあたってなにを考えているかの話になる。さらに、大学でやっていた、「演劇論で読む演劇」をもとにした話だ。なぜ、僕がこうして演出をしているのか、なにを根拠にして演出をしているか、歴史的に私は存在している。もちろん「経験」もあるが、それを支えている考え方はどこから来たかについて話さなくてはだめだろう。
■というか、もっと時間的に余裕があれば、このレクチャーを通じてまた新しいことを学べばよかった。もう10年ぐらい過去の世田谷パブリックシアターのレクチャーを思い出す。いくつかの場所に、たしかここにも書いたことは何度かあるが、あのレクチャーのためにどれだけ勉強したか。それがあとになってとても役にたった。まあ、やってるときは死にものぐるいだったが。で、そうした過去から現在にいたって、なにがいま、問題になっているかをこの機会に学ぶべきだったのだ。この北海道のレクチャーは今回だけではなく、このあと、六月と、七月にもある。そのときに新しいことを話そう。そのためにさらに勉強しておこう。
■それで思いだしたのは、このあいだ、「にしすがも創造舎」の方と話したときの内容だ。例の、地方の若い演劇人を支えるプロジェクトについて。地方では、どうしたって演劇をやってゆく環境が充分ではなく、それはたとえば、いくら公演をしてもその地方の一定の演劇層(観客、あるいは演劇をしている者たち)に向け狭い範囲で表現がなされてしまうので、常連とも言うべき観客に支えられてどうも刺激がないという話だった。すると、表現が更新されない。いつまでもある一定のレベルで停滞してしまう。このあいだ、『ニュータウン入口』のオーディションをやったとき、地方からやってきた人が、よさこいソーランみたいな衣装で、刀を振り回して殺陣をするというパフォーマンスを披露してくれたが、いったいいつの時代の表現だと思ったのだ。現在的な身体から生まれてくるだろういまの表現とはまったく無縁なものが地方ではまだ、まかり通っているのを知る。それがいわば、ある時代のエンターテイメント演劇みたいなものとして、まだ定着し停滞しているのを感じた。もっと視野を広く演劇にもさまざまな表現があるのだと知ってもらいたいと思った。いや、ことは地方だけではなく、もちろん、東京にもあるのだと想像するが。
■だからって、東京がなんでも、えらいわけではない。地方に、とんでもない演劇をしている人がいるかもしれない。さっきの「殺陣の人」のような表現は、ある時代の「大都市圏」の流行の舞台に影響され、それがなんの自省もないまま、踏襲されてきた結果ではないか。「大都市圏」の舞台にも影響されず、こちらがびっくりするような、まったく異なる劇はどこかにないだろうか。ただ、世界的にみると、ことによったら日本のある種の演劇は、ヨーロッパ演劇の文脈から切れている特別な成長をしているのかもしれない。
■そういったことも含め、僕も考えているから、その考えている状態について考えながらレクチャーで話そう。話しているあいだに僕もなにかを発見するかもしれない。だから、レクチャーの仕事はとても大変だが、大変だからこそ、僕にとっては意味がある。あと、地方に行くと、きっと私に気をつかってくれて美味しいものを食べさせてくれたりするのだけど、なにより僕は向こうに着いてからもホテルに戻って原稿を書きたい。歓迎してくれることはとてもうれしいが。でも、あちらの演劇志望の方たちの質問にも応えよう。質問に応えるのが僕の仕事のひとつだ。
(5:18 May, 23 2007)
May. 21 mon. 「さらに仕事をする」
■なんというか、あきらかに社会的な行為として、それはしておかなくちゃいけないのだとわかっていながら、手続きをするのが面倒なことはあり、とはいえ、ひどく簡単なことで、たとえば私は今年の三月いっぱいで早稲田を辞めたから、社会保険から国民健康保険にしなくてはならないといったことが面倒なわけである。で、来年、またある大学で教えるかもしれないので、そうすると、また手続きに行くことになって、ああ、社会は、いろいろと人をてこずらせると思っているが、原稿のためにお借りした土本典昭さんのDVDや本を、貸してくださったHさんに返さなくちゃいけないわけで、それはもちろんやらなくちゃだめだと思っているものの、宅急便で送るのに「梱包する」のがいまひどく私を悩ませている。こんなことで悩むこと自体に、なにか、ひどくいやな気持ちになっているのだ。まったくだめである。
■で、リーディング公演も終わり、休むひまもなく、(正式書名としては)『東京大学[ノイズ文化論]講義』(白夜書房)のゲラの直しがあるわけだ。直していると、去年の「80年代地下文化論講義」のときのあの悪夢がよみがえってかなり重い気分になる。だが、やはりこれもまた、こつこつやってゆこう。また連載の締め切りの時期がやってきてしまうが、ただ、こつこつだ。
■病院の待合室に「週刊文春」があった。宮崎なんとかという人と、小林信彦さんのコラムを読む。宮崎なんとかという人のコラムはどうでもいい身辺雑記や紋切り型のある傾向を持った言説の反復だが、小林信彦さんのコラムは、「なぜロッキー・ザ・ファイナルがヒットしたか」について分析されており読みごたえがあった。シルベスター・スタローンの時代を読む勘のようなものについて触れていた。まず、第一作である『ロッキー』は、ベトナム戦争後の時代において、アメリカが疲弊していたという時代相が背景にある。そこで、スタローンは、そういった時代の潮流だったアメリカンニューシネマ風の描写で映画の前半を作ったが、ラストが「ニューシネマ」にはないハッピーエンドにしたことで時代の気分をつかんだという分析がある。そして、『ロッキー・ザ・ファイナル』の背景は、泥沼化する「イラク状況」である。アメリカは再びあの戦争にうんざりしている。その時代の気分をまたしてもスタローンが直感的につかんだというのが(僕なりに簡単にまとめた)、小林さんの分析だ。正直、いまさら、『ロッキー・ザ・ファイナル』ってことはないだろうと思ったけれど、そこにスタローンのわけのわからない勘があるのだな。このわけのわからなさ。創作とは、批評家の分析ではなく、しばしば出現してしまうわけのわからなさだ。ただ、小林さんは作家だがその「分析」がいちいち面白いから困る。
■少し疲れた。でも、とにかくここで息を抜かず、みんなに迷惑をかけぬよう、期待してくれる方にこたえられるよう、ともかく仕事をする。それにしても「憲法論議」はもう五十年くらいずっと同じ内容が反復されている。その歴史をまずは勉強しておいたほうがいいね。今週末は北海道である。
(5:45 May, 22 2007)
May. 20 sun. 「リーディング公演は終わる」
■昼の二時から開演。二回公演だから、二日目のきょうが楽日ということになる。
■きょうもほぼ満席だった。實光が声をつぶして苦しそうだった。最近では僕の演出する舞台で声をつぶす俳優があまりいなかったので、なにか懐かしい気分になったのだ。公演は無事終了。また新しい俳優たちと仕事をするのはいろいろ考えることがあった。去年、この「かながわ戯曲賞」のリーディング公演に出てくれた大人計画の正名が来てくれた。桜木町から青少年ホールまで歩いてくるとどうしても登らなければならない坂がたいへんだろうと話すと、生まれ育ったのがこの近くで、すぐ隣にあるやはり前川國男が設計した図書館に高校生のころよく来ていたという。驚いた。作者の下西君の奥さんとお母さんもいらしていた。挨拶をする。きのう、きょうと、終演後、軽く審査の講評みたいな話を舞台に出ていってした。そこで、本来ならここに来るべき下西君が、チェルフィッチュの舞台でヨーロッパに行っているので授賞式のようなものもできない話をし、そこで、わけのわからないことを下西君について話したので、なにかばつが悪い。あるいは、早稲田の学生たちも何人か来てくれた。白水社のW君も来てくれたがなんかばたばたしているうちに、あまり話をしないまま、別れてしまった。それから下西君の新作を観たと東大のSさんが、その舞台が面白かったこと、下西君をかなりかっている感想を話してくれた。新作を観ていないのでなんとも言えないが、かなり書ける作家なのだとあらためて考える。
■「にしすがも創造舎」の方がいらしたので、仕事の話を聞く。地方にいる若い演劇人を支援してゆくプロジェクトがあり、最終的には東京でリーディング公演をする。そのアドヴァイザーという仕事の話だ。年齢的にも、あるいは経歴的にもそういった仕事をする立場になっているのかもしれないけれど、なんかね、そういったことって、少し現役から離れた位置の人がやる感じと、ある種の「教師」みたいな感じで、僕にはあまりむいていないような気もするものの、いまの演劇界でそれが僕に与えられた役割なのだとも思うのだ。
■「かながわ戯曲賞」は、今年で一区切りつけてしばらく休止するそうだ。完全になくなってしまうのではなく、神奈川県の芸術財団として継続的にこの催しを検討してゆく。というのも、応募者が毎年、固まってしまい、上位に選ばれ最終審査に残る劇作家の顔ぶれも新鮮さがなくなったことがある。いろいろ理由が考えられる。応募する側も審査する者をうかがうところがあるのじゃないだろうか。どうしたって、毎年の選考を見て、このような作品が選ばれる傾向にあるといった読みをすることもあるだろう。応募者が限られてくる。そこで、なにか、停滞するのではないか。あと、思うのは、受賞者たちはどうしているかということだ。その後の活動はどうなっているか。この戯曲賞をきっかけにさらに活発に創作しているかが気になる。
■桜木町の中華料理屋で打ち上げ。夕方の五時くらいから夜の十時ぐらいまでかなり長い時間の打ち上げだ。いろいろな話をしたなあ。もっとばかな話をえんえんしたかった。今回、早稲田の学生が二人出ていたので、芝居のことなど、ここでもやはり教師みたいな態度で話さなくてはならず、それはあんまり僕には向いていないような気がする。ただ、立場は人をそうする。もっとイガラシを徹底的にいじりたかった。そのかわり青年団の永井さんをいじる。
■打ち上げを終え、中華料理屋の前でみんなと別れた。短い期間だったがみんなに感謝。「中縞」という狂気に落ちてゆく女を演じた森田は大阪から来ていた。あした帰るという。また会える日は来るだろうか。あしたからまた稽古の者もいる。すぐにバイトに戻る者もいるだろう。さよならさよなら。『ニュータウン入口』も観に来てほしい。そうしてリーディング公演の夜は更けていったのだ。
(10:09 May, 21 2007)
May. 19 sat. 「リーディング公演」
■かながわ戯曲賞のリーディング公演、『廻罠(わたみ)』(作・下西啓正)の初日である。寝不足で劇場入りし少し疲れていたが、ゲネをすませ、いくつかのテクニカルなチェックや、俳優たちに簡単なダメを出すと開演まで少しのあいだ余裕ができた。
■公演のある青少年センターという神奈川県の施設のテラスから外を見ると、ほぼ同じ敷地内に「神奈川県立音楽堂」があるのが見える(写真)。昼間に見るより、夜カーテンウォールからもれる光がとてもきれいだが、前川國男の建築に似ていると思って家に帰って調べたら、前川の代表作のひとつだった。一九五四年の作品だというから、僕が生まれるより前の建築である。この成功ののち、前川は「東京文化会館」をはじめとする数多くのこうした文化的な公共施設の仕事を手がける。おそらくなにかの本の写真でこの建築を僕は見ていたのじゃないだろうか。デジカメを持っていなかったので携帯電話で撮影したのがこの写真である。こうした近代建築がいままた、新鮮に感じる。あと、記念碑的に補修しながらいつまでも残しておいてほしいと思うのは、もうこうなると歴史的な建築の部類になるのじゃないかと思うからだ。公共住宅をはじめ前川作品がどんどん消えてゆく傾向にあるのだし。
■さて、開演になる。夕方六時から。これは少し不規則っていうか、一般的な開演時間としては早い気がする。それで途中で遅れてきた観客が多かった印象。ま、しょうがない。「かながわ戯曲賞」の選考委員の一人である東大の内野儀さんは、べつの仕事があるので来られないかもしれないと事前にメールをもらっていたがかけつけてくれた。申し訳ない。終わったあと挨拶ができなかった。それから『ニュータウン入口』の出演者たちが大挙して観に来てくれた。白夜書房のE君、WAVE出版のTさん、『アヒルと鴨とコインロッカー』という映画の脚本を手がけた鈴木、僕んところのサイトのデザインを手伝ってくれているデザイナーの相馬、早稲田で僕の授業に出ていたモリモト、やけに背のでかい男がいると思ったら略称「不在」にも出ていた渕野の姿もあった。それから、あとで家に帰って、ミュージシャンの谷山浩子さんもいらしていたのをメールをもらって知った。ありがとうございました。挨拶ができず申し訳ありませんでした、っていうかね、この青少年センターが全館禁煙で、裏手に一箇所だけ煙草が吸える場所があり、上演が終わったあと、わたしはつい、そこに直行。ロビーで待っていてくれた方たちに失礼なことをしてしまったのだ。
■自分の書いた戯曲ではないので、作品について総括してうまく書けないのだが、僕の個人的なことを書くなら、「リーディングの演出」について、「他人の戯曲を演出すること」について考える機会になった。あるいは、選考の段階からそこにある戯曲の傾向を考えつつ、現在のなにが反映して、こうした作品群が登場するのかについて思うところもある。うまく分析できないのだが。さて、もうワンステージ。それを観客の視線で観ながら、もっと考えようと思うのだ。
(3:39 May, 20 2007)
May. 17 thurs. 「リーディングの新たな発見」
■写真は、山手通りと甲州街道の交差点である。この近くで、写真家の倉田精二さんが毎晩、撮影している(というのを発見したわけである)。どうやらいま進行している高速道路の工事を撮影しているらしい。工事がはじまるのは深夜の12時ぐらいから。そのまま、朝までずっと撮影しているのかもしれない。
■さて、もう締め切り二日前には「一冊の本」の連載を書きあげていたが送るのを忘れていた。きょうの朝までと言われていたのだ。あわてて午後になって送る。それから寝ぼけていたせいなのかもしれないが、深夜というか未明、『廻罠(わたみ)』リーディング公演のための選曲をし、で、なにを思ったか、iTunesのなかにあるそのプレイリストを消してしまったのだった。メモを取っていたからよかったものの、またCDから取り込み。ほんとは一度取り込んであるからハードディスクにあるはずだが探すのが面倒なのであらためて取り込む。プレイリストを作りCD−ROMに焼いた。それを稽古場で音響さんに渡す約束をしていたが、今度は、稽古場についてからそれを家に忘れたことに気がついた。だめだめである。
■で、話は前後するが、稽古までまだ時間があったので、「ノイズ文化論」の直しをする。これがいまの懸案。なかなかに手こずる。すいすいとは進めない。で、時間が来たので稽古場へ。今回使っているのは、西新宿にある「花伝舎」という施設。廃校になった小学校を利用していろいろな人が使っている。きょう着くと、建物の外にある喫煙所に、ペンギンプルペイルパイルズの倉持君がいた。軽く挨拶。いろいろな人が使っているのだな。元体育館らしき大きな稽古場には着物の人たちが出入りしており、なんの稽古なのかよくわからないが、人の数も多く、なにか大がかりな舞台のようだ。
■きのうまで稽古したところで、もう少しやり直したほうがいいと思う箇所の抜きをやる。ほぼ形は整った。もっと緻密にできるような気がするが、やればやるほど、俳優は台詞を覚える。リーディング公演としてはいかがなものか。ただ、動線などを細かく指示。それから通し稽古。少し長い。今回は「ト書き」をかなり読んでいるので、長くなるのも仕方がないが、たとえば年長の岸端さんや永井さんが「ト書き」を読むと、それだけで聞かせるのだった。エクリチュールとして下西君の戯曲はきわめて特殊なところがあるが、その「ト書き」もまた、不思議な姿をしている。だから、「ト書き」も読まないとリーディングの意味がないと思ったのだ。
■で、リーディングで「ト書き」を読むのはなにかなおざりになりがちだ。岸端さんや、永井さんの読みを聞いていると、ことによったら「リーディング」の肝は、「ト書きの読み」ではないかと思ったのだ。つい若い俳優とか、演出助手ににそれを振ったりしたが、読みは大事だった。今回の発見である。もし、今度、世田谷パブリックシアターとかでリーディングの仕事を頼まれたら、たとえば、田口トモロヲ君といったナレーションに味のある人に頼むというのはどうか。ト書きだけ、マイクで声を拾ってもいいしな。それこそ朗読。その読みの魅力を聞いてもらうリーディング公演があってもいいはずだ。
■そうだ、それで思いついた。翻訳家と共同作業で、外国の新しい戯曲をどんどんリーディングで発表する公演というものをやりたい気持ちになる。これまで何度もリーディング公演を演出してきて、それなりに、ノウハウを身につけたのもあるが、そもそも、リーディングが好きなのだな、俺は。リーディングだからこそ試せることもある。で、いま言ったように、むしろ「ト書きを読む」という部分に焦点をあてるのが面白いのではないか。「戯曲の紹介」はもちろんだが、それを通じていろいろ演出を試すという舞台。やってみたいなあ。といったわけで稽古は進行している。家に帰ったらひどく眠い。一度、眠ったあと、また深夜に目が覚めてしまうという生活パターン。それで仕事をする。いよいよあしたから劇場入り。
(6:13 May, 18 2007)
May. 16 wed. 「FAXが苦手な人」
■世の中にはFAXが苦手という人がいる。筑摩書房のIさんからゲラのFAXが届いていた。エラーになっていた。二枚目までは正常に送られるものの、残りの二枚が受信できない。送られてくるFAXでめったにエラーは起こらないが、Iさんはこれで二度目になる。どうやらここにいた。FAXが苦手な人だ。まれに、そういう人がいて、苦手な人から送られてくるFAXはなんらかのエラーが起こる。以前、知人からのFAXはたいてい文字がぐにゃぐにゃになっていた。いったいどうやって送ったらそうなるのかわからなかった。それ以来、「FAXが苦手な人」というカテゴリーを発見したが、久しぶりにそういう方に出会ったのである。
■そうかと思うと、私はきょう、うまくメールが送れなかった。ようやく、『ノイズ文化論』の、授業に来ていただいた方との対談形式の原稿を直し終え、白夜書房のE君にメールで送ったが、稽古から帰ってきてメールチェックをしたら受け取れなかったとの返信。原稿のテキストファイルをそのまま添付ファイルにして送った。ところがファイルが開けないという。たしかに送るときおかしかったのだ。なんか、あっというまに送信したのだった。E君のメールには、Macに付属しているmailというソフトが妙なエンコードをしているとあったが、以前はこれで送ることができたので、もっとちがう原因のような気がした。ただ、念のためと思って、すべてをまとめ「zipファイル」に圧縮してあらためて送った。
■なにごとも「通信」はやっかいである。稽古中、俳優の位置がもう少し前のほうがいいなと思うとき、なんとか伝えようとして身振りで、こっちこっちとやるが、というのも芝居は進行しているからだ。うまく伝わらなかったり、俳優がそもそも、僕の身振りに気づいてくれないときがある。そこで芝居を止めてもいいが、その止めるタイミングがうまくつかめないときだってある。
■話は前後するが、夕方からまた稽古。『廻罠(わたみ)』である。少しずつ詰めてゆく。稽古をするたびにこの戯曲の面白さを実感する。まあ、ひどくグロテスクな内容だがいろいろ喚起させられるのである。ねちねちと人物が描写されている。近代劇的な人物の造形ともまた異なる。かつて、いかに人物を描かないかと、たとえばベケット的なというか、別役実的なというか、ともかく不条理演劇はそうしたし、そのことで逆に抽象化された人物はきわめてリアルだった。僕もその影響を受けてきた。それは劇言語として反映している部分もある。人が発する言葉は「音」であればいいというように。ここにあるのはまた異なる感触だ。近代劇的な人物の造形(というのは早い話、テレビドラマとかそういったものになるが)とちがうのは、不条理な状況によって作られる人物ということになり、たしかにそれは文字通り「不条理演劇」的でもある。ただ、その「状況」が不条理演劇ともやはり作り方が異なるように感じる。なんというか、それはたしかに不可解な状況だが、妙にディテールが緻密なのだ。
■では、圧倒的に新しいかというと、そうとも言い切れないし、ある極限の状況で人が変化してしまったとすれば、「状況そのもの」が主調音か、「状況によって変化してしまった人物」が主調音か、あるいは、「変化そのもの」が主調音かで、戯曲の読み方も変わってくる。まあ、作者の下西君が本公演では演出もしているので、彼の演出によってもきっと感触は異なるにちがいない。稽古をしながら、またべつの劇言語のことを考えている。ここにある劇言語もとても興味をひかれる。だが、まだなにかあるように思える。たとえば、『皆に伝えよソイレントグリーンは人肉だと』というドイツの劇作家による作品のあの劇言語は、ほとんど、一般的に考えられるような劇の言葉ではない。まったく異なった姿をしていたが、あれはあれで興味深かった。いま有効な、また異なる劇言語はどのように、生まれるか。でも、どうかこのリーディング公演を観に来てほしい。というのも、面白いからだ。
■早稲田の学生のイガラシが今回は出ているが、なぜイガラシを呼んだかというと稽古場にいるとなにか愉快だからだ。きょうは稽古中、自分の立ち位置をたしかめ、芝居が続いているのにうろうろしていた。ほんの少しなら探っている感じだが、かなり長い時間、そうしている。笑ったなあ。芝居中に、芝居と関係なくうろうろしている人は笑えるということに気がつかされる。そんなこんなで、稽古を少しずつだが積み上げている。公演で使う音楽を選ばなければいけない。うーん、時間がない。「ノイズ文化論」の仕事はまだ続く。
(4:46 May, 17 2007)