富士日記2タイトル写真7月の1 | PAPERS | 京都その観光と生活 | 市松生活 | からだ | トーキョー・ボディ | 富士日記 | 不在日記 |
富士日記2タイトル写真7月の2
富士日記

PAPERS

宮沢宛メイルアドレス

丸の内夜景
小説『不在』告知
DVD発売告知DVD発売告知
ディラン

"■"RINGS
ここではありません。
タンブリン・ノート
ヨミヒトシラズ
ANAMANIA
下北沢スタジアム
Matatabi Online
LOOKING TAKEDA
ここであいましょう
あわわアワー
ボクデス on the WEB
Superman Red
more...
more...


Published: Feb. 4, 2005
Updated: Jul. 15 2005
Copyright (C)2003
by the U-ench.com



仕事の御用命は永井まで かながわ戯曲セミナー
WWW を検索 u-ench.com 内を検索
Jul.1 fri.  「金曜日の午後」

■文芸専修の学生に向けた授業の日である。先週に引き続き六〇年代のことを大島渚の映画、『日本の夜と霧』(1960)と『日本春歌考』(1967)を少し見せて話す。主に、『日本の夜と霧』に出てくる俳優たちのからだと、『日本春歌考』における荒木一郎のからだのちがいについてだ。芥川比呂志や吉沢京夫といった人たちと比べると、戸浦六宏、佐藤慶はあきらかに異なるものの、しかしやはり同じ文脈にあるように感じる。荒木一郎はそれらの範疇におさまらぬまったく異なるからだで出現している。で、それを六〇年代の時代の変容、思想や政治状況の変容との関わりで解釈すると面白いと思ったのだ。でも、戸浦六宏さんは面白いし、やっぱり、佐藤慶さんはすごくいい。
■話していたら時間があっというまに過ぎていた。というか、映像を少しでも見せながらの授業はやり方としては楽である。まあ、今回はこれをやろうと決めていたからそうしたが、困ったときはこれに限る。というのは、半分冗談ですが、でもいろいろ見せたくもなるのだ。しかし、「からだ」のサンプルとしては、ほんとはダンスや演劇の映像を見せるほうがふさわしいだろうが、いかんせん、私の手持ちが少ないし、ぴたっとくるものがあまりない。だいたい、この授業はべつに、ダンスや演劇の授業じゃないし、「からだ」を通じて「書く」という行為について話しているつもりだから、いきなり演劇の話をされても、聞かされるほうは困るだろう。できるだけ、得意技の演劇の話から遠ざかろうと思うのだった。
■それにしても、きょうはやけに学生の数が多かった。この暑いのになにごとだ。かといって出席をとるとそんなに出席率が高いわけでもないのである。じゃあこの人数はいったいなにか。ま、それはそれでいい。むしろ大歓迎だ。学生の数が多いほうが話はしやすいし、話していて単純に気持ちがいい。授業後、卒論に戯曲を書く学生の「指導」というものをしたのである。だが、この「指導」がよくわからないのは、たしかに達者に書かれているものの、たとえばこれをなにかの戯曲賞で僕が選ぶかといえば、新鮮な驚きはないので選外にするだろうと思われるからだ。どこに基準があるかで悩む。「指導」の仕方も「基準」によって変わってくるはずだ。俺の基準でいいのだろうか。「俺の基準」しか僕にはないわけだけど。

(13:39 jul.2 2005)


Jul.2 sat.  「詩を読む」

■社会はきわめて保守的であるということを、演劇などをやり、その世界の中でしか生きていないと忘れがちになるので(特にわたしは)、するといきおい社会そのものが見えなくなる。それというのも、きょうマンションの管理組合の理事会があって、僕など、あまり気にならないマンション付近の住環境についてほかの住人の方々が、ひどく神経質になっているのを聞いて少し驚いたからだ。なにか事件(というほどのこともない出来事)がこのマンションで発生したら、マンション自体の信用、しいていうなら資産価値が失われるといったこともひどく気にかけているご様子だ。都市における共同体は過去のような姿をしていない。すでに壊れているが、だから逆に、奇妙な共同体はそうした外観が価値になるのかもしれない。内部での結束ではなく、表層における、共同の幻想のようなもの。最近になって発生したうちのマンションの問題は、これまでそうしたこととほとんど無縁にくらしてきた私に、視界を開かせてくれているように思える。社会はおそろしいほど閉鎖的なのだった。
■理事会が終わって外に出たのは正午近くになっていたが、おそろしいほどの湿度と暑さだった。ぐったりして近くのカレー屋で食事。で、ああそうですかと言われるのを覚悟で書けば、このところ私のなかでは、「詩」のブームがやってきているのだった。それもかなり過去のどちらかというとあまり知られていない詩人たちの言葉のなかに、おや、これはと思う言葉を発見するよろこびがある。かなり過去、二十年くらい前だったでしょうか、新宿の紀伊国屋書店の詩の棚で、T・S・エリオットの詩集を立ち読みしていたときだ。となりで、棚にある思潮社の「現代詩文庫」を抱えるようにして大量に買おうとしている男がいることに気がついた。なにやら、これみよがしといういやなものを感じ、無視していたが、ふと見るとある演劇人だった。意図はわからない。そういった行為、見られていることを知ってなにかするのは過去の演劇人的だ。自意識が強いね。へえとしか思わなかった。それよりいまはT・S・エリオットに夢中だったので人のことなどどうでもよかった。しかも、男が買っていた詩集は、すでに僕はほとんど持っていたし。
■金子光晴、山之口漠は学生のころからよく読んでいたし、近年になっては、吉増剛造さんたち、六〇年代以降の詩も読んだが、あらためて、高木護、木山捷平らを読む。それはかなり心にしみる。そしてもちろん、友部正人さんの詩は大好きだ。「詩」と「演劇」はその歴史をたどっても、どこか通じるものがある。特に現代詩では「詩」というスタイルに信を置きつつも、「ことば」に対しては懐疑的なのではないか。だから様々な試みがある。演劇(とくに戯曲をはじめとする、テキストの部分)と詩にはどこか通じるものを感じるし、問題にしていることもよく似ているように思う。詩で思い出すのは、中学生のときの本屋だ。ラングストン・ヒューズの詩集が目にとまり、かなり迷った。値段が高かったからだ。迷った。何時間も迷った。本屋の床にしゃがみこんで悩んでいた。あれは木島始さんの翻訳だっただろうか。はっきりしないのは、その詩集がいま家のどこにもなく、どこかでなくしてしまったせいだ。

■夕方から夜にかけ、窓を開けていると涼しい風が入ってくる。気持ちがよかった。

(14:12 jul.3 2005)


Jul.3 sun.  「終わらない」

■メールソフトを整理しようと思って、いろいろチェックしていたら、このあいだ青山真治さんに送ったメールが目に入った。驚くべき誤字脱字である。これはことによると眠る直前に書いてしまったのではあるまいか。
■以前もらった青山さんのメールにあった音楽の話に、「ベック」が出てきたので、ジェフ・ベックをはじめ、ジミー・ペイジー、エリック・クラプトンといったヤードバーズ系のギターリストについて中学生のころ神様だと崇めていた私の記憶や、ジミー・ヘンドリックスについて書いたはずだが、たとえば、「エリック・クラプトン」には「・(=中黒)」を入れているが、「ジミーペイジ」「ジミーヘンドリックス」と、なぜか「・(=中黒)」なしで書いている。さらに「殺虫剤」と書こうとして、「差駐在」と書いている。同じ日、たしか友部正人さんにもメールを書いたが、もっととんでもないことを書いてしまったのではないかと、どきどきしながら送信済みのメールを見たが、一部、おかしなところがあったものの、ほぼ大丈夫だった。眠る前にメールを書くのはもう、絶対にやめよう。以前もひどい失敗をしているのだ。「思う」を「覆う」と書いてしまったからなあ。「僕はそう覆う」って、いったいどういう意味だよ。書かなくてもいいことを書いたこともある。そういうおかしなメールが届いてしまった方はどうか許してください。私がほんとうにばかでした。
■昼間、都議会議員選挙の投票に行く。

■代々木上原にある、「ファイヤーキング・カフェ」に食事をしに行ったのは夜おそくなってからだ。しばらく前から「カフェブーム」といったことは言われていたし、いくつかカフェにも足を運んだが、東京のカフェはどこもにぎやかだ。繁盛しているのはけっこうだが、どこか静謐さがない。京都河原町三条の「OPAL」はよかった。いつも、ソウルが流れていた。静かだった。ただ照明が暗かったので本が読めないのだけは僕にしたら難点といえば難点だが、カフェだからしょうがない。まあ、僕のことも人から見たら、得体のしれない職業の人に見えたと思うが、しかし、日曜日の夜、ちょっといかしたカフェに来るのはどういった人たちなのか想像していた。酒を飲む人。ビールをあおる人。カクテルをたしなむ人。珈琲とケーキの人、そして僕のように食事だけの人。おしゃべりをしている。大笑いしている。なにが楽しいのかくすくす笑っている。学生もきっといるのだろうが、二〇代半ばと年齢を想像した。代々木上原にはそうしたカフェが点在しているのも知った。それから夜遅くまで開いているちょっとおしゃれな本屋も見つけた。
■ぽつりぽつり、いろいろな文化が生まれている。僕の芝居をよく観てくれ、いまはクラブ系のパフォーマンスをやっている方からそのイヴェントに招待されたのはもうずいぶん前だ。そのグループが「ピンクローターズ」といっていかにもその手のものなのだろうと思われ、興味がないわけではないが、参加するのがはばかられる気がする。行ってみたいけどね。ネットをたどってゆくと様々なイヴェントが東京のアンダーグラウンドで開かれているのを知り、見てみなければならない気にもなるが、そこに可能性はあるのだろうか。いまは潮流を生み出し、社会全体を巻き込むような文化的ムーブメントのようなものは生まれない時代なのだろうか。趣味的な人々が小さな空間に集まり、そこかしこに文化が点在し、ほかのことなど目に入らぬまま、それはそれで完結しているように僕の目には見える。
■しかも、なにかが終わるということはないのだろう。小さな変化はあっても、終わらない。新しいように見えるスタイルだって、考えてみれば、生まれてからもう20年近くなるものは数多くある。ま、それはそういうものなのだろう。白水社のW君から、Uーブックス版『ベケットと「いじめ」』に附される別役実さんの「あとがき」を送ってもらった。というのも、その本の解説を僕が書くからだ。最初に出版された八〇年代半ばの演劇の状況について、苦い感触があったことを別役さんは書いている。そこでの、もがく思考が、『ベケットと「いじめ」』になった。「解説」についての構想が浮かぶ。それにしても、原稿の締め切りの連鎖は終わらない。終わらないんだな、なにごとも。

(10:42 jul.4 2005)


Jul.4 mon.  「悪口と批評」

■告知です。上にあるバナーのように、七月十六日、八月二十七日の二日、「かながわ戯曲セミナー」で講師をつとめます。詳しくは「かながわ戯曲セミナー」のサイトをごらんください。

ペネロペ ■岩崎書店のHさんと絵本の打ち合わせをしたとき、何冊かの絵本をいただいた。なかでも動く絵本がとても興味深く、絵の主人公がくるくる回転したりする。面白いなあと思っているうちに、その主人公の「ペネロペ」というやつがなんだか気にいったのだった。なにしろ、これがひどくばかものだからだ。タイトルがすごいよ。シリーズの一冊はこうだ。『ペネロペひとりでふくをきる』。しかも、こんななりをしてコアラだという(真ん中のオレンジは、口ではなく鼻です。コアラらしい鼻)。このよれぐあい、ゆがみぐあいがどうにもよろしい。その後、アマゾンでシリーズのすべてを買ってしまった。ということは、つまり最初にHさんからいただいた一冊だけはアマゾンで買っていないわけだが、するとアマゾンのやつは、それをしつこいくらい推薦してくる。あとアマゾンで面白いのは、なにかを調べてその本をチェックすると、それに関連するものも推薦することだろう。あれはなんだったか、どこかから飛んで少しエロチックな本をアマゾンでチェックしたところ、以後、その手のエロなものが推薦されるようになったのだ。べつにいやじゃないけど、いかがなものか。それはともかく、こうやって「絵本」を好きにならなければだめだと思うのは、単に仕事として絵本を作ろうとしてもできっこないからだ。絵本の魅力をペネロペが教えてくれた。
■原稿を書いて過ごす一日だが、すぐに眠くなるから困るよ。さっさとすませてべつのことをすればいいものを、だらだら原稿を書いている。それからときおり本を読む。それにしても、『資本論』を読んでも感じていたが、『ルイ・ボナパルトのブリューメル一八日』を読んでわかるのは、マルクスの口の悪さだ。以前も書いたことがあると思うが、『資本論』はサブタイトルが「経済学批判」とあるように、元々、既存の経済学者の学説を批判するために書かれた。その批判する態度が半端ではない。これでもかとばかりに罵詈雑言をつくして攻撃する。本文より、「注釈」にそれは顕著で、「注釈」の面白さがここにはいっぱい詰まっている。何度も書いて申し訳ないが、八月、「
RISING SUN ROCK FESTIVAL in EZO」に参加するにあたって、クラブキングが発行する当日配布される新聞のようなものに文章を書いた。「大きな声で言えないこと」というテーマだ。私もそこで、いかに罵詈雑言、悪口、悪態を書くかに腐心した。けっこう大変だよ、悪口というものは。
■だから、ときおり、ネットで見る映画などへの批判を読むと、その芸のなさに腹立たしいものを感じる。他人の作品への批判に対してそう感じる。もうちょっときちんと批評するならともかく、ただの印象しか書かれていない批判にいらつく。たとえば、「面白くない」などと書いたとき、「面白くないと思うおまえがばかなのだ」ということに、なぜ気がつかないのかと思うことがしばしばだ。あるいは、批評めいたことを書いたとしても、その文章に芸がない。マルクスが経済学者たちを批判するとき、いかに膨大な資料をもとにその言葉を書いているか、そして、批判の鋭さのなかに、ある種の笑いをいかにこめているか。ほんの少しでいいから学んだらどうだ。あるいは、興味がなかったら無視したほうが正しい態度だと思う。だけど、「観た」というその「こと」を人は書きたいんだよな。自身のなかの「出来事」として「観た行為」を書きたいのだろう。それに付随して感想を書かざるをえず、すると杜撰な批評になる。僕は書かない。観たとしても感想が必要がないときは、「観たこと」も書かないようにしている。ただ、ほんとに観ていないときもあって、このところ、よくビデオを渡されるのだが、忙しさにかまけて観ていないのだった。申し訳ない。

(7:52 jul.5 2005)


Jul.5 tue.  「表現するということを考える」

BankArtStudio NYK テラス
BankArtStudio NYK 入り口
スタジオの中で劇を作る受講者
写真展をやっているBankArtStudio NYK
■おとといの夜から未明の時間にかけて原稿を書き、それから本を読んだりしているうち、眠ったのは午前中だった。完全に昼夜が逆転したのである。「
Mac Power」の連載を書き上げ、さて、別役さんの『ベケットと「いじめ」』の解説を書こうと思うがあまり進まない。というのも、緊張するからで、『ベケットと「いじめ」』のすごさにあらためてなにを書けばいいのか戸惑う。しかも、このごにおよんで、原稿の枚数がわからないのだ。あわてて過去のメールを調べる。書けない。進まない。眠くなる。眠い、眠い。
■眼が覚めたら夕方の五時だった。こういう日に限ってやけに睡眠をとってしまうものだ。六時半に横浜の「
BankArtStudio NYK」で永井に会って、ワークショップの前に打ち合わせをしようということになっていたが、もう間に合わない。電話し、その時間には行けないと伝えてそれから風呂に入った。よくわからないが入ったのだ。
■で、七時半から、ワークショップ開始。これまでエチュードで作った劇を台本化し、それを演じてもらう課題。七つの班があって進捗状況はそれぞれだ。ちょっとずつ作業を進め、ようやく形になってきた班もあれば、もうひとつ、うまくいっていないところもある。エチュード(即興劇と言えばわかりやすいか)は得意な人もいれば、ぜんぜん動けなくなる人もいるし、だからといって芝居がまったくできないわけではない。せりふを与えられてはじめて動ける人もいる。その逆もある。打越さんの班は台本があってもなくても、あまり変化はなかった。打越さんはじめ、ほかの男性二人もいきいきしている。そこには、芝居することの奇妙なよろこびがあるが、ただ、表現はそれだけではないように思う。こうしてエチュードなりをし、それで生まれた動きや、ことばがあり、「芝居」が生まれたとしても、まだ物足りなさを感じるのだ。さらに深く掘りさげてゆくとき見つかるものがきっとある。だからといって、いわゆる舞台の俳優のああした発声とか動きを、技術的に身につけるのがすべてではないし、そうした「巧拙」にどれだけの価値があるかわからない。職業的にそうしたものを目ざすなら技術は必要だ。技術がほしければ養成所にゆけばよい。だが、それとはまた異なる「表現」を探している。このワークショップや、大学でやっている「演劇ワークショップ」の授業は、そのごく基礎として、「からだへの意識」や「他者とのかかわり」が基本的なテーマのつもりだが、それというのも、これは俳優経験など問わず誰もが参加可能なワークショップだからだ。その先をさらに考えるとしたら、俳優経験とか、どこかで勉強していた者という条件をつけ、そこから出発する必要がある。技術の解体と、またべつの表現の創造といったようなもの。それ、面倒だな。面倒だけど、やらなくてはいけないのだろうな。

■終了後、いつもテラスで参加者たちと話しをする。毎週、この時間がとても心地よい。北海道出身の受講者がいて、「
RISING SUN ROCK FESTIVAL in EZO」にも行ったことがあるという。夏とはいえ、夜の北海道は半端じゃなく寒いという。とくに会場になっている場所は風がものすごく冷たいらしい。その北海道に来るという人からメールなどもらうが、もし、はじめて来るのなら、ほんとうに、冗談じゃなく、冬のようなつもりで準備をしたほうがいいらしい。
■きょうの横浜は少し寒かった。雨も降っていた。『ベケットと「いじめ」』の解説が書けない。

(8:00 jul.6 2005)


Jul.6 wed.  「長いおしゃべり」

■六本木にあるインド料理屋「モティ」に行ったのは何年ぶりだろう。ここに来ると八〇年代を思い出す。よく桑原茂一さんや、竹中直人らと来たものだった。あまり店の雰囲気は変わっていなかった。カレーの味も同じだった。「
Mac Power」のT編集長と、デザインを担当しているSさんと食事だ。前から食事をしましょうと言われていたが、ようやく時間が取れた。Sさんとは初対面。とても感じのいい人だが、肉が好きだとわけのわからないことを言う。カレーは美味しかったし、チキンもよかったが、いかんせん量が多い。たとえば刺身でいうなら、あと一切れ残り、それぐらい食べろよという話になるものだが、その一切れが食べられないような満腹感だ。どういう満腹感かよくわからないが、それに似たもので、ナンを微妙な量残して店の人が怒りはしないか、厨房の奥からインド人が怒鳴りながら出てこないか心配だった。
■久しぶりにおしゃべりを楽しんだ。とはいうものの、考えてみたら、
Macの話はあまりしなかったな。インテルのプロセッサが入ることの裏事情など編集長だからこそ知っている話を聞けばよかった。あれは、やっぱり、PowerBookの開発がうまく進まず(つまり省電力のプロセッサができず)、スティーブ・ジョブスが業を煮やしたという話なのだろうか。そのとき僕が話したカール・マルクスの悪口の巧みさについて、正しく引用できなかったので、あらためてここに書いてみよう。それはたとえば、こんな調子である。
 ちび伍長とその元帥たちの円卓騎士団の代わりにロンドンの警官と行き当たりばったりに集めた一ダースばかりの借金だらけの中尉たち[叔父の代わりに甥]、
 ここで私がいちばん笑ったのは、最後の[叔父の代わりに甥]だ。この意味がまったくわからない。だけど、これは悪口、悪態なのだから、おそらく「叔父の代わりに甥」であることは、かなりだめな状態なのだろうと推測される。ほんと、マルクスは面白い。どうして読まないのだ。
■六本木をあとにし、どこかでお茶でも飲もうということになって、二人とも、新宿より西に住んでいるから、だったらと、高円寺に向かった。高円寺の「プラネット・サード」というカフェへ。で、T編集長も八月、北海道に来るという。「
RISING SUN ROCK FESTIVAL in EZO」である。笠木や南波さん、あと、ラストソングス、それから何度もここに登場するドラマディレクターのO君、さらに自ら参加したいとメールをくれたゲストなど、かなり楽しくなりそうだ。もし北海道に自費で来ることがあって、僕が担当している時間に出演し、コントをやりたいとかそういった人がいたらプロ、アマを問わず申し出ていただきたい。ただ、時間の制限があるから百人こられたら困るのだが。

■家に戻って、別役実さんの『ベケットと「いじめ」』の解説の続きを書く。もうすでに八枚ほど書いてあったが、最後をどうまとめようか少し考える。あ、そうだ、六本木に来たので久しぶりに青山ブックセンターに寄った。そこでようやく、高田渡さんについて寄稿した「
en-taxi」を見た。なぜか家に届かなかったのだなあ。ぱらぱら目を通す。買おうかどうしようか、かなり迷う。届けてもらえるような気がしないでもなく、そうした曖昧な状態になっていたわけである。数冊、本を買う。

(10:40 jul.7 2005)


Jul.7 thurs.  「めりはり」

■別役さんの『ベケットと「いじめ」』の解説を書いていたこともあって、一日中、睡眠不足で意識がぼんやりしていた。こういうときはなにをやってもうまくいかない。どうも授業にのれなかったので、それはそのまま、学生たちにも反映してしまう気がする。あと、やっぱり時間がすごく短い。短いわりには人数が多いので、少しなにかやると中途半端なところで終わってしまうのだ。でも、まあ、一年あるからゆっくりやってゆくしかない。ただ、グループワークがむつかしいのは、学生たちが来たり来なかったリが激しいからだ。まだ、いまは二人の単位だからいい。これがもう少し人数を増やすとどうにもならないだろう。だったら、一回ごと完結すればいいとも考えるが、それでは時間がない。「演劇ワークショップ」の授業はそういった条件が悩ましい。というか、なにか指導してゆくことより、授業の進行を考えるほうが主になっているように思え、よくわからない気分になるのだった。
■思潮社の「現代詩文庫」に、友部正人さんの詩集が入る。そこに友部さんについてなにか書かせてもらえることになった。思潮社の方からメールをもらって素直に喜んだ。なにを書こうかいまから楽しみだ。友部さんはいま、ニューヨークにいて、そのウェブ日記を読むと毎日のようにコンサートに足を運ばれている。私はエアコンのきいた部屋で原稿ばかり書いている。もちろん東京でも毎日、どこかでなにかが催されているのだろうが、だらだら、原稿をひきずり、家を出ていない。だめだなあ。睡眠不足にもなるし。だからきのうみたいに、「
Mac Power」のT編集長らと食事をするのはそれだけでも、変化があってよかった。
■そういえば、このあいだの火曜日、横浜のワークショップをやっている「
BankArtStudio NYK」に来ていたというAさんという方からメールいただきありがたかった。ロケーションがよかったという。そうなんだよ、あそこはかなりいいのだ。ぜひお薦めする。そうこうしているうち、大学の授業も、来週で前期はもう終わりである。あれって思っているうちにそういうことになっていた。去年までならこの時期は、発表公演のために毎日のように稽古していた。痩せないほうがおかしいくらいの稽古だ。九月に早稲田でも発表公演があるが、稽古は二週間。たしかにせわしないが、短期集中でなにができるか、それはそれで面白いと思うのだ。それにつけても原稿は終わらない。どこまでもつづく。「流行通信」の連載を忘れていた。日々のめりはりのなさに愕然とする。なにごとも、人間、めりはりである。ただ、あきらかに私はめりはりに向いていないと思うのだ。めりはりのないまま、生きてきた。だいたい、こうやって「めりはり」と書いても、それがどんなものかよくわからない。いまだに私は「めりはり」を見たことがない。

(8:16 jul.8 2005)


Jul.8 fri.  「週末の前に」

■やけに早起きだった。『ベケットと「いじめ」』の解説のゲラが届いていたので、早々にチェック。すぐに返信してもよかったが月曜日までの戻しでいいとW君のメモが添えられており、もういっぺん考えることにする。いくつかの仕事のメールに返事をした。「流行通信」の「短期連載演劇講座」の原稿を書き上げる。そして午後からある早稲田の授業のために準備。きょうは「子ども」について話そうと思い、小浜逸郎さんの『方法としての子供』など読み返す。それらを朝早い時間までに済ませてしまうという(自分でいうのもなんだが)勤勉ぶりで、けれど、少し眠くなったので、また眠る。午後、大学へ。授業。授業後、学生らとファミレスでドリンクバーを注文して芝居のことなど話しをする。
■京都の大学のときは、学校の規模もそんなに大きくなかったので、映像舞台芸術学科の学生ならたいてい顔は知っていた。僕もわりと大学にいる時間があったから、偶然会って、立ち話をしたり、学内の椅子に腰をおろしゆっくり話すこともあった。早稲田はなかなか話す時間が取れないし、そもそも、人数が多いので関係も薄くなる。これがふつうの大学なのだろうか。京都は町が小さく、それが人の関係も濃くしていたように感じるのだ。なにしろ、町を歩いているとばったり学生にあった。入った薬局で顔をよく知っている学生がバイトしていたりした。窮屈なところもなかったわけではないが、それはそれで面白かった。
■家に戻ってぼんやり考えていたのは、舞台のことだが、「ドラマ」ではなく、なにか舞台表現として面白そうなことはないかということだった。ダンス的な表現、美術的なパフォーマンスの要素も興味があるが、やはりいま、「言葉」についてあらためてこだわりたい。すると、ハイナー・ミュラーの『ハムレットマシーン』とはなんだったか、いままでと異なった意味で再考するのだ。いろいろに解釈されてきたのはもちろん知っているし、政治性や、その言葉を生み出した時代の背景があるのはわかるが、だが、表現の原理としてその底流にある本質を読み取れないか、いま取り上げられるミュラーの受容とは異なる言葉へのアプローチはないかと考える。来週の「戯曲を読む」という授業の最後は、その『ハムレットマシーン』を取り上げる。それまでになにか考えようと思っている。なんだかわからないが、ハイナー・ミュラーというとことさら硬直するのを感じ、けれど、そのふるまいがすでに過去のものと思えてならない。べつの可能性はないだろうか。突飛なことを書くようだが、岡田利規君の戯曲と、ハイナー・ミュラーの戯曲はどこかで通じ合っていると思える。「戯曲を読む」という授業は、まず最初に岡田君の『三月の五日間』を読み、そして最後に『ハムレットマシーン』を読んで終わるが、そこで循環するように、また『三月の五日間』に戻ると、なにかいまの劇の言葉の状況が見えてくるのではないか。あらわれとしてはまったく異なる二つの戯曲だが、まさに単なるあらわれに過ぎず、きっとなにかある。この週末はそのことについてぼんやり考えていたい。

(10:25 jul.9 2005)


Jul.9 sat.  「下北沢で疲れる」

■お昼ご飯を食べようと外に出、なんとなく下北沢に行った。かつては小田急線沿いに住んでいたから近かったのもあったし舞台もなんどかやっているのでよく来た町だが、それは気のせいか、ひどくにぎやかな町に変わっているのを感じ、看板のごてごてした色や、音、その騒然とした感じがどうにもなじめず、ひどく疲れた。古着屋など、小さな店が並ぶ路地の奥に、少し変わった本屋があると人から聞いていて入ったが、店は暗く、なんだか覇気がない。本の種類も少ない。零落している印象を受けた。かつてはポエトリーリーディングもやっていたという。これはどういったことか。こういった本屋は下北沢ではやってゆけないということか。暗い気分になる。カフェと同様、京都にはこうした少し変わった小さな本屋がいくつかあってよかった。東京でも噂を聞いて足を運ぶことはあるが、がっかりすることが多い。
■散策しようと思ったが環境に疲れ、すぐにどこかべつの場所に行きたくなる。ほんとはレコード屋に入ろうかと思ってもその気力が出ないのだ。あと、ちょっとかわいらしいものが並ぶ古道具屋みたいな店が多いが、あれのことをどう考えていいかと思うのだ。「いま流行の」というにしては、もうかなり以前から、下北沢だの、高円寺だの、若い者らが集まる町にはよくそうした店がある。古道具といっても、五〇年代、六〇年代と、それほど過去ではなく、そうした時代のデザインの雑貨が並ぶがこの趣味はいまではもう、「はやり」というよりある種類の「ジャンル」なのだろうか。で、若い者を相手にしているからそんなに高価なものがあるわけではない。コルビジェがデザインした椅子があるわけじゃない。ここではチープさが逆に価値になる。「ちょっとしたセンスのよさ」といったもの。これをどう考えるか。下北沢を歩くと、いろいろ考えることがあって、それも人をひどく疲れさせる。
■寝屋川のYさんが、仕事中にメールを書いて送ってくれた。残業で大変そうだ。そんなときこの日記を読んでなごんでくれるという。それは幸いだ。あるいは、金曜日の授業の前に早稲田のNさんからもメールがあったのだが、届いたのに気がついたのは授業を終えて家に戻ってからだった。ロンドンのテロ事件をきっかっけにして生まれた、世界と自分との関係について考えたことが書いてあった。「芸術にはなにができるか」と。それに関しては来週の金曜日の授業で、スーザン・ソンタグの話をし少しでも考える手がかりになればと思う。で、週末、わたしは演劇のことを考えている。ぼんやり時間が過ぎてゆく。

(9:52 jul.10 2005)


Jul.10 sun.  「十二弦ギターの死」

■やっぱり、小説って面白いなあ。「群像」の七月号に掲載された青山真治さんの『死の谷
'95』を読んでそう思ったのだった。だけど、これ、このあとに読む人のためにあまり詳しく書いてはいけないのではないか。だが、それはきちんと伏線がはってあるからいいのかとも思いつつ、どこをどう書いたらいいか、うーむ、書きたいなあ、くそお、だけどやっぱり……、いや(と少し考えるが)……、ああ、これ、書けないな(とごちる)。
■だけど、なにより感謝したいのは、小説の面白さをまた再確認させてもらったことだし、あるいは、小説を書く楽しみがここにはやっぱりあると思えたことだ。ただ、うますぎないだろうか。青山さん、ちょっとどうなのかと思うほどうまい。それが気になるといえば気になった。とはいえ、小説を小説たらしめる魅力はおそらく細部にあり、たとえば焼酎をコンビニで買うとき、なくなると困るからと二本買う主人公のリアルな酒飲みの心情、ダイナーでタバコを吸う女の描写、あるいは、クルマのFMラジオで聴くレッド・ツェッペリンと十二弦ギターが心にとまった。刺身の場面で笑った。だから、たしかに最後のあれは、あの人によって、あれされるのが小説の結構としては正しいとは思うものの、それはうますぎる気がし、だったら、あれは、あの人ではなく、べつのあの人が、あれを、あれだったとしたら、また異なる歪みがあれし、すると、あの人の姿はより強くあれして、もっとあれなんじゃないかと思うのだ。詳しく書けないからとはいえ、なんだかわからないよこれじゃ。ま、とにかく読みましょう。それで議論しましょう。お茶の水女子大の先生が本作について批評したふるまい、おまえは低レベルな斉藤美奈子か(あるいは、おまえは2ちゃんねるか)という態度に憤慨しましょう。先生はお書きになりました。「余はいかにして探偵となりしかという小説」、だと。ばか。ろくでなしのくずやろうの半ダースばかりの借金だらけの中尉どもだ。なぜこれが『死の谷
'95』か、あるいは、「結婚はビッチ」という命題についてはちっとも触れない、専門家のくせに。そこへゆくと佐々木敦さんの書かれていたことはとても合点がいった。そして私は本作を、ハードボイルド小説と十二弦ギターの響きへのオマージュとしてたいへん楽しく読んだことを付け加えておく。って、けっこう書いてしまったじゃないか。
■小説を書こう。あと、もっと読もうと力いっぱい思った。あ、「文學界」に掲載された松尾スズキの小説は未読だった。すまん。「新潮」八月号の古井由吉さんの短編を読む。「文學界」の高橋源一郎さんによる「ニッポンの小説」という連載が好きだ。もっと読まなくちゃな。むかしピンチョンの『V』を読んだときのような、これは修行だと死にものぐるいで読んだ日々を思い出す。ま、なにはともあれ書くこと。いま、書くことに関して鬱気味だ。時間がうまくとれなかったり、小説に集中できなかったり、だんだん自分も歳をとってしまうし、いろいろ焦ることはあり、気分が低下しいやになる。書けない自分がいやになる。なにをしているのか自己嫌悪になることしきりで落ち込むのである。さっさと書けばいいんだけど。落ち込む。落ち込む。落ち込む。

■高円寺に行った。町をぶらつく。高円寺文庫という書店に入った。そのとき茶髪の女が入ってきて、いきなり、「わたしってさあ、本屋に似合わない女じゃない?」と言ったのが笑った。似合わなくてもいいから本を読め。それと、ハイナー・ミュラーについていくつか本を読んで勉強。ドイツ文学者が書くものはたいへん勉強になるとはいえ、なぜこうも硬直した受容になるのかな。笑えるほどこわばっている。いまの演劇とどこで通じ合えばいいのかわからない。それを読むと、いまハイナー・ミュラーを問題にすること自体が無意味にすら感じてしまう。『ハムレットマシーン』からもう、20数年も経ってるぞ。おまえたちは「ハイナー・ミュラー」を殺すつもりか。まあ、本人はすでに故人ではありますが。

(17:11 jul.11 2005)


Jul.11 mon.  「鬱屈としているだろう」

■一歩も家を出なかった。本を少し読む。からだがなまる。青山さん、友部さん、それから早稲田の二文の学生のK君からメールをもらう。うれしかった。あ、そういえば、青山さんのメールにあった中沢新一さんの『アースダイバー』(講談社)はとても興味深い本だと思ったし、僕の好きな種類の話だが、冒頭にある、なんというんでしょう、翻訳調とでもいうような小説風の文章に少し唖然とした。フランス人が登場したり、タクシー運転手が、「あっしは」と話し出すので、これはドンキ・ホーテのサンチョパンサの翻訳口調かと思ったのである。途中、普通の叙述になって安心していると、またそれが出てきて、なにか戦略があるのか、それとも、書きたかったのかとそれが気になって仕方のない本だった。詳細な感想を書くのはまたの機会に。
■きのう書いた「わたしってさあ、本屋に似合わない女じゃない?」と話していた女だが、そういえば、「わたし字、読んだことないじゃん」というので、それでどうやって生きているのかと思いもしたし、では携帯のメールなんかもやっていないのだろうかと不思議でならない。
■一日、ぼんやりしていた。まあ、いろいろ考えているものの、鬱屈とした気分は晴れない。外に出て行く気にもならない。なんにもしていなかった。なんとなく、24歳で仕事をはじめる前の、あの鬱屈としていたころのことを思い出したな。やっぱり家をでなかった。本ばかり読んでいた。いい記憶は思い出してもしょうがない気がするが、どうしようもない日々のことを振り返ると、それなりの教訓になるのかもしれない。外は天気がいい。日に当たらなくてはと思うが、そんな気分にもなれず、だめな状態である。青山さんがメールで励ましてくれた。ほんとうにありがたかった。外に出るべきか。夜の町に繰り出すべきか。ぶらぶら、考えごとをし、夜の町を徘徊することがむかしはよくあったが、あれに生産性はちっともなかったとはいえ、家に引きこもるよりは健康的だったかもしれない。

(7:21 jul.12 2005)


Jul.12 tue.  「苦慮する奈良県」

■なんだか調子が上がらないまま、横浜へ。ワークショップ。変な睡眠時間になっていて、少し眠るとすぐ目をさまし、またしばらくして眠るような生活だ。だからぼんやりしていた。ひとつの構造を使って劇を作る。七つの班がそれぞれ作ったエチュードを発展させ、それを台本化。その作業がつづく。少し形になってきたものの、これはというものが、はっきりいってない。このワークショップの第一回目の僕の講義をきちんと把握していなかったのだろうか。まあ、できあがった作品はともかく、少しずつ動けるようになったのはよしとしなくてはいけないか。この構造でかつて僕が作ったもの、それから袋井の高校生が作ったかなり秀逸な劇が台本化され、残っているので、最後の週に読ませることにしようと思う。でも、まあ、劇作のワークショップではないので、劇を作りつつからだを動かす目的はある程度、できてきたか。まだなにか足りないな。ワークショップに対する新しい考え方が、僕のなかできちんとしていない反映だと思う。
■ところで、「国民保護計画」というものがあるのを新聞で知った。外国からの武力攻撃やテロ攻撃にそれぞれの地域でどう対処するかという計画らしい。なにやら気持ちの悪いものを感じたが、新聞の記事を読むと、各地域それぞれの事情があり一般論がないことに戸惑いがあると知った。福井県は原発が県内に十五基あるからひどく神経質なのに比べ、山梨県の担当者の談話が面白い。「内陸で重要施設もなく想定がむずかしい」。幸福な県である。なにもないのだ。住むなら山梨がいいと思う。だが、福井県とは異なる深刻さを持った奈良県の担当者の発言が注目に値する。
「大仏を動かすわけにはいかない」
 まあ、そうでしょうね。だけど言ってることの意味がよくわからない。しかも、動かせるのか、あれ。動かした記録はあるのだろうか。で、なにかあって攻撃を受けたとき「大仏」を避難させようと動かしたとして、で、それは隠せるのか。でかいんだよあれは。そもそも「大仏殿」から出せるかどうかが疑問だ。まあ、大仏のことは奈良県にまかせることにしたい。
■それにしても、横浜はまたしてもひどく寒かった。長袖のシャツを着ていても冷える。「
BankArtStudio NYK」のテラスから運河の向こう、港に巨大な客船があるのが見えた。ただごとならない大きさだった。

(7:04 jul.13 2005)


Jul.13 wed.  「文芸誌を読む」

■「文學界」八月号に蓮實重彦さんの「喜歌劇とクーデタ」という講演をまとめた論考があり、とても刺激的だった。青山真治さんもメールでそのことに触れていたが、僕も夢中になって読んだ。「軽蔑は、いかなる意味においても批判にはなりえない」と蓮實さんが書くときの「軽蔑」をどう理解したらいいだろう。ま、とにかくすごく面白かった。こういうものを読んでいると鬱屈とした気分も晴れるというものだが、そんなとき、かつて関西のワークショップに参加し、その後、テレビ制作会社でドラマを作っているKからメールがあって、仕事のことで悩んでいることが書かれていた。つまり仕事に追われ「出す」ばかりで「入れる」ことのない日常での抑圧感だと思われる。適切なアドヴァイスをしよう、メールを書こうと思うが、僕の場合、ほぼ、行き当たりばったりで生きてきたからうまく話ができるかは心許ないのだ。
■あと文芸誌の話がつづくが、「新潮」八月号の中原昌也さんの小説がすごい。少し小説らしい叙述が続いている途中、突然、こう切り出すのだ。
もうこれ以上書く気が起きない。
 それであと少し書いて終わってしまう。あ、そうか、これでいいんだ。この文学との距離の取り方がうらやましい。自分がなにを焦っているのかといやになる。でも、中原昌也だからできたことだとも思える。それにしても、世の中の誰がなんといおうと、「文芸誌」は面白い。なにしろ小説が載っている。あたりまえだけど。そして様々な批評や、対談があってこんなにお得な雑誌があるだろうか。もちろん、それとはまったく種類の異なる、「
Quick Japan」のような雑誌も好きだけど、あれは字が小さい。老眼の俺にはすごく疲れるんだよ。雑誌が売れなくなったとはよく言われるが、ああそうですかと言われるのを覚悟で書けば、私はそもそも雑誌が好きだ。なにか興味があって、その世界の概要を知ろうと思うと、まずは雑誌を買いにゆく。それで、ああ、こんな世界があるのか、こんな場所で、こんなことを問題にしている人たちがいるのだなあと、ある種の感動すらおぼえるのだ。
■雑誌で、思い出したが、青土社のHさんからメールがあった。かつて「ユリイカ」の編集部にいたころ友部正人さんに原稿を依頼したことがあるという。そのとき緊張してぜんぜんだめだったという。Hさんのメールは単行本の話。連載していた「チェーホフを読む」について(Hさんは直接の担当ではないようだが)、単行本化の際にはもっと「戦争の時代にチェーホフを読む」という視点から加筆したほうがいいのではないかというアドヴァイスをもらった。だったら、まず書名を、『チェーホフを読む──戦争とテロ、その憎悪の時代に』とするのはどうだろう。いきなり固いね。これ、『牛への道』の読者が見たら、いきなりなにを言い出したんだと思うだろう。ただ加筆は必要だと思われる。まだ、青土社からは単行本についてなんの連絡もないのだけれど、しかし、加筆するとなると、また大変だろうな。

(10:35 jul.14 2005)


Jul.14 thurs.  「質問に応える」

■一文(つまり、第一文学部)の学生にむけた「演劇ワークショップ」の前期課題は、「私」というテーマで、どんな方法でもいいから自分を表現するというものだった。きょうが提出日だったが、提出作品を見せてもらったら面白かった。みんなよく考えている。授業でなにか考えさせ、作らせると、発想が大胆ではなかったり、観念的すぎたりしたが、こうして個人で作業するとどうやらきちんと作ってくる。写真、オブジェ、レポート、詩、絵、ビデオ、音楽、よくわからないもの、など様々。どうしてこうなのか考えられる理由のひとつに、共同作業がうまくないというのがあるように思う。あとで聞いたが、クラスというものがないので、ふだんから、皆、ばらばららしく、コミュニケーションがうまくとれていないのを感じる。でも、まあ、処世術にたけ、誰とでも仲よくなれるような人間が、文学をやる必要などないのだろうけれど(ただ、演劇は事情がちがう。もとより共同作業であるし)。
■といったわけで、木曜日の二コマある授業はきょうが前期の最終日であった。一度も休講しなかった。休講する理由がないのだ。というか、授業が面白かったのもあるし、なにより大きいのは家から近いからだ。「戯曲を読む」という授業はようやく『ハムレット』を読み終え、そのあと、ハイナー・ミュラーの『ハムレットマシーン』を読むが、途中で時間切れだった。そこで、岡田君の『三月の五日間』につなげて話をする。第一回目に読んだその戯曲へとまた戻り、授業は循環する。そこになにかあるのではないかと手がかりを探る。この考え方はまだ未消化というか、そもそも、ハイナー・ミュラーと岡田君を結びつけることに無理があるかもしれないが、しかし、なにかあるという直感を持っており、それをうまく言葉にしたいのだ。まあ、直感ですけどね。
■終わってから、学生たちと早稲田近辺の飲み屋に行って軽い打ち上げ。いろいろな話ができて面白かった。よく映画を観ている学生もいるし、あるいは、劇団をやっている者たちもいる。こうやってゆっくり話しをしてはじめてそういうことを知る。授業だけではなかなか知ることができないことがあり、僕は酒が飲めないから、あまり積極的にこういう場をセッティングしないが、やっぱり、話しをするのは面白いし、質問に応えることで、逆に僕も考える。とにかく、質問に応えるのが仕事だな。大学で教えているとつくづくそれを思い知らされる。

(10:04 jul.15 2005)


「富士日記2」二〇〇五年六月後半はこちら →