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Published: Feb. 4, 2005
Updated: Jul. 1 2005
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Jun.17 fri.  「仕事をした」

■木曜日、金曜日の二日、とても仕事をした話である。勤勉だった。でもことによったら、これが普通の仕事ぶりになるのかもしれない。僕はぼーっとしている時間が長い。木曜日は早稲田の授業が二限ある。まず「演劇ワークショップ」という授業は「テキストを読む」。学内を歩いた。それぞれいいロケーションを見つけてかなりよかった。早稲田(といっても文学部キャンパスだが)のなかをこんなに歩いたのもはじめてだったが、いろいろな場所に行った。テキストの読みが終わるたび、もちろん僕の感想もあるが、学生の意見や感想も聞く。なかにひとり常に絶妙な感想をいう学生がいて面白かった。さらに、二限目は、戯曲を読む授業。ベケットの「しあわせな日々」を読む。この授業では役を振り分けている時間がないので、輪になって順番に読む。輪読というやつである。それで発見したのは、読む者が役のことなど考えず、ただ順番が来たから読むことの効用だ。俳優とは順番が来たらせりふを発するものだとは柄本明さんの名言だが、まさに順番。役を演じるなんて考えもしない。「しあわせな日々」をそういったわけでだらだらと読んだ。終わってから感想などを聞く。あるいは、僕の解釈。そして次週から「ハムレット」を読むが、白水社版小田島雄志さんの翻訳だ。買うようにみんなに伝える。W君に出張販売に来てもらおうかとすら考えたのだった。
■授業が終わってから学生の何人かと話をしていたので家に戻ると、九時頃になっていただろうか。夕食を食べて次の仕事のために少し眠ることにした。深夜、二時頃に目を覚まし、「ユリイカ」の「チェーホフを読む」最終回を書く。今月はだめかもしれませんと編集部のYさんに言ったが、表紙も目次ももう出来てしまったのでなにがなんでも書いてもらわないと困るとの話だ。とにかく書く。夜を徹して書く。で、金曜日の昼、いったんできたところまでメールで送る。また早稲田へ。ぼーっとした頭で文芸専修のクラスの授業。先週予告したことをぜんぜんまとめていなかったので、チェーホフの話などする。一時間半ぐらいしゃべりっぱなしだ。それで授業を終えて帰ろうとしたら、そこに「ユリイカ」のYさんがいて、昼間送った分のゲラを手渡された。しかも、うちの近くのファミレスで待機するという。なにがなんでも原稿を書かせようということらしい。
■家に戻って続きの原稿を書く。うまく構成がまとまらない。何度か書いては、細部を手直し。そうして少しずつ進め、で、Yさんから定期的に電話が入る。いったん、深夜の十二時過ぎに脱稿。それでつい、テレビを観る。「タモリ倶楽部」だが、あまり興味もわかずぼんやり観ていたものの、終わった直後に送ると、いままさにテレビを観ていたなと思われる恐れがあるので、あらためて原稿を読み返し、気になったところを手直ししているうちに、けっこう時間が過ぎてしまった。一時半ごろYさんにメールで送った。脱稿。ありがとう。とうとう、「チェーホフを読む」の最終回まで書き上げた。長かった。苦しかった。よく書いたなこの連載。よくも続いたものだ。というわけで、途中、大学で授業をしていたがほぼ24時間かけて原稿を書き上げた。で、少し休憩してからこの日記を書いている。青山さんの文庫の解説を書かなければいけない。まだ仕事は続く。

(3:05 jun.18 2005)


Jun.20 mon.  「次に、目的の場所まで運んでください」

■原稿を書いていた週末である。
■築地にある朝日新聞に行ったのは、「小説トリッパー」の10周年記念パーティがあると、映画『
be found dead』にも出てもらったOさんに誘われたからだ。青山真治さん、阿部和重君も来るという。それで出かけて驚いたのは、10周年パーティだけではなく、朝日新人文学賞の授賞式があったからだ。しまった。いろいろな人にまた出会うことになった。でも、それほど知り合いもいないので、途方にくれもし、ぼんやりしていたら、映画監督の森達也さんがいらした。挨拶。それから、「新潮」のM君もいた。M君からは、新潮社が持っている宿泊施設にこもって小説を書くようにすすめられた。うん。それがいちばんいいのだろうな。追い詰められなければ書けないのだ。さらに驚いたのは、若い批評家の方と話しをしているうち、「群像」にエッセイを書く仕事があることを思い出したからだ。すっかり忘れていた。なかなか会場に姿を見せない青山さんを待っていると、その後、連絡が入り、二日酔いで倒れているという情報が届いた。笑い出しそうになった。このところ青山さんは精力的に仕事をしている。俺はだめだなあ。ぼんやりするばかりだ。
■アップル社のサイトに、「
Tech Info Library」というページがある。アップル社のコンピュータを使うに際して様々な技術情報が提供されている。こんな情報があったので笑ってしまった。
iMac G5を持ち運ぶ方法
 これだけでも面白いと思ったが、その内容がさらに人をうならせる。
iMac G5 を持ち運ぶのは難しくありません。 / コンピュータを移動させる前に、すべてのケーブル類とコード類を外していることを確かめてください。 / iMac G5を抱えるときは、本体の両側面をしっかりと支えながら持ち上げます。次に、目的の場所まで運んでください。
 これで終わりである。最後の「次に、目的の場所まで運んでください」がすごいよ。なんて親切なんだ。その親切さに頭がさがる。
■で、
Macにも、いよいよintelのプロセッサが入る時代になってしまった。いままで搭載していたプロセッサのことを「先進の」とか、「世界最速」と宣伝していたあれはどうなってしまうのだ。さらに関係のないことを書けば、リニューアルしてからの「Mac Power」は、編集長のTさんの好みに路線を完全にシフトした気がする。そのいさぎよさが気持ちいい。

(3:07 jun.21 2005)


Jun.21 tue.  「また横浜である」

■朝方、原稿を書いてから少し眠ることにしたが、眼が覚めるともう夕方の六時ぐらいだ。あわてて外に出、横浜へ向かった。ワークショップの日である。先週までの轍を踏まぬようにと長袖のシャツを着ていったが、意外にもきょうは暑いくらいだった。三人ずつの班にわかれ、簡単な構造の劇を作ってそれを演じてもらう。前回の続きだが、先週に比べたらずいぶん形になってきた。各班いろいろ考えている。なかでも、元筑摩書房の編集者だった打越さんが面白い。編集者とは思えぬ生き生きとした姿である。わけがわからない。こんど、もしまた、自主制作映画を作ることがあったら、出演者がみんな編集者という短編映画を作ってみたいと思った。
■今回は、いままでやったことのある方法でワークショップを進行しているが、ある意味では探り探りである。同じ方法だが、そこからべつのことが見つかるかもしれないと考え、それぞれの発表を見ながら、ではそれは、どのように次に発展できるかという可能性を探している。台本を渡せば、これまで一度も演技の訓練をしたことのない人も、不思議なことに演技らしきものはする。それは表現だろうか。「演技の模倣」でしかない。誰しもが、「演技」というやつをどこかで見たことがあるのだろう。それを模倣する。こんなふうにやると演技ってやつになるんだろとばかりに「演技を模倣」するらしい。もちろん模倣から出発してもいいし、人はたいて模倣するが、そこから発展がなければ、「演技」はひどく幅の狭いものになる。あるいは、大量生産される製品のように薄っぺらなものになる。僕のワークショップはべつになにかを教えようとは思わず、各自による発見のためのヒントを提供できればいいと思っている。だが、そのなかで探り探りしているのは、僕自身が、表現のヒントを発見したいからだ。
■終わってから、「
BankArt StudioNYK」のベランダの椅子に腰をおろしのんびり受講者たちと話しをした。なかに早稲田の学生もいて、考えてみるとその一人のNさんは、学校の授業とこのワークショップで週三日も会っており、いま一番顔を合わせる機会の多い人になってしまった。まあ、芝居の稽古になれば、当然ながら俳優たちとは毎日のように顔を合わせるが、こういうことも珍しい事態である。それにしてもこのベランダが気持ちいい。ワークショップが終わると、主催している方から簡単な食事を出してもらえ、それでのんびり話をする。そのひとときが、このうえなく気持ちいい。

(7:44 jun.22 2005)


Jun.22 wed.  「いろいろ考えるに」

■いま私の興味のひとつが、楽天イーグルスは今シーズン、百敗するのだろうかという問題だが、六月の半ばを過ぎた時点ですでに五十三敗しているということはですよ、順調にゆけば百敗する。なかなか百敗という事態は見られるものではないので今年はプロ野球にとってきわめて重要な年になるのではないか。なにしろ「百」である。「百」という数字はある区切りとして意味がきっとある。それというのも、人間の寿命と関係するだろうと想像でき、「九十八歳」で死ぬのと、「百歳」で死ぬのでは年齢としてあまり大差ないし、九十八歳もかなりものだ。しかし、「百」ということに人は重みを置きがちなので、どうせ長生きしたのなら人は「百歳」までは生きていたいのだ。といった話はむかしエッセイに書いたことがある。楽天イーグルスはいったいどうなるのだろう。なにしろセパ交流戦で、なぜか楽天はヤクルトだけにはよく勝っていたのだ。それが釈然としないじゃないか。
■それにしても、いまごろ書くのもなんだが、小熊英二さんの『<民主>と<愛国>』はとても面白い。こんどの文芸専修の授業では、スガ秀実さんの『革命的な、あまりに革命的な』について話そうと思うが(もちろんその授業の主旨であるところの身体問題として)、するとですね、戦後思想というものから話さないと、なにがなんだかわからないことになると思われ、小熊さんが分析した丸山真男の思想について参照させていただこうと考えたのだ。というか、「戦後思想」といっても、くっきりあの一九四五年の八月十五日をもってして変化したかといえばそんなわけはなく、戦前、戦中の知識人たちのふるまいが戦争が終わったあとの思想にはどうしたって影を落とす。時代が前へと進んだからといって思想が進歩するわけでもないのは、少し考えればわかる話で、むしろ後退していることも数多くある。で、いろいろ考えてみると、いま右傾や保守化といった思潮が幅をきかせているとはいえ、じゃあ、かつてこの国で進歩的な思想や左翼が勝っていたかといえばけっしてそんなことはなく、もしそうなら、とっくに政権は変わっていた。だが、いくら負けていたからといっても憲法を変えようという動きが押さえられてきたのは異議申し立ての声が有効だったからだろう。
■ある方が新聞で、靖国参拝について説明していたのはこの国の一宗教(=神道)が持つ特徴だった。戦争で犠牲になった軍人たちを神として祀るのと同様、戦犯をはじめとする悪人たちも、祟りが怖いからとまた別の種類の神として祀るのが神道の考え方だという意味のことを書いていたが、ま、それはいいとして、いったいいつから、この国が神道一辺倒の国になったというのだ。逆にそれが論理としてまかり通るなら、神道の信者じゃない者はそんなことは認めることができないのが筋にもなる。それがこの国の伝統だから靖国神社にA級戦犯が祀られるというのは理由にならないではないか。そんな伝統、知らねえっての。いや無知とかそういったことではなく、べつの宗教者はそんなふうには考えないし、無神論者にはなんの説得力もない。ましてあろうことか、外国に行って「日本ではかくかくしかじかなので、靖国の合祀は宗教的に正しい」と説明して理解してもらったと誇らしげに書いているが、そんなのはペテンである。なにも知らない外国人をだますのは、たとえば、外国からきた新興の宗教がキリスト教系列の者ですと、あたかもキリストの教えに従った由緒正しい宗教だと偽るのとよく似ている。
■しかも、「神」だっていろいろだ。本道ともいうべき伊勢系とはべつに、熊野系、出雲系など、様々にあるばかりか、伊勢系によって形作られた神社本庁の内部ヒエラルキーでは、明治神宮は比較的新しい神社なので、理事にも迎えられていない。そこで問題が起こったのは、なにしろ神社本庁に納める負担金がもっとも財政的に豊かな明治神宮が多く、なのに理事にも迎えられないと明治神宮が不満をもらしているという出来事だ。新聞の記事にもなった(参考サイト)。明治神宮は神社本庁から離脱した。この出来事が私にはすこぶる興味深かった。というのも、そこでの明治神宮の論理はきわめて「資本主義的」だからである。だが、神道ってのは不合理な世界の話でしょ。そりゃあもちろん、神道の世界と、日出ずる国的思想ではいくら負担金が少なくたって「伊勢神宮」がいちばんに決まってるじゃないか。しかも奇怪なのは、神社本庁のその本庁の建物はほぼ明治神宮のなかにあるといった位置関係で、この不合理は、いったいなにごとかと思うものの、まあ、「神」の世界の話だからしょうがない。でも、まだ生半可の知識と認識だ。「神道」について、あるいは「国家神道」についてはもっと勉強しよう。なにしろ面白そうだからだ。

■梅雨に入ったと宣言されてからなぜか東京近郊はやけに天気がよかった。気温も上がった。それできょうの午前中は久しぶりの雨だった。雨が降ってこその六月である。

(7:47 jun.23 2005)


Jun.23 thurs.  「早稲田へ」

■授業が二コマある木曜日だ。その二コマ目の「戯曲を読む」という授業に、白水社のW君が来てくれ、学生のために小田島雄志さんの翻訳による『ハムレット』を出張販売してくれた。少し前の授業でこれをみんな買ってくるようにと伝えてあったがきっと買わない者が出てくるにちがいないと思ったら案の定だ。10冊用意してくれたが完売である。しかも生協で買うのと同じくらいの値段にしてもらえた。ありがたい。
■で、話は前後するが、一文の学生に向けた「演劇ワークショップ」の授業は先週と同じく「テキストを読む」だ。教室で一度、テキストを読み、それからあらためて自分で見つけてきた場所でそれを読む課題。エレベーターに乗って読む発表が面白かった。全員が乗ったエレベーターのなかはぎゅうぎゅう詰めだが、そのなかでテキストを読むと、まったく異なって言葉が聞こえる。そういうことをするのは事前に聞いていたが、予想を上回る面白さだ。学内をぶらぶら歩く。僕はこの課題がとても好きだが、それは場所を移動するのも大きいと思う。そのあいだにいろいろな考えが浮かんだり、周囲から様々な情報を受け取る。ほかの学生の読みもそれぞれよかった。あるいは、それに対する各学生の感想もときとして唸るような意見も出た。この課題、夏の北海道とかそういったところで大々的にできたら楽しいだろうな。
■で、二コマ目は『ハムレット』を読んだ。読みっぱなしの一日である。終わってからW君をまじえ、学生たちと話しをしたのは別役さんの『「ベケット」といじめ』のことだ。なぜあんなにも早く絶版になってしまったのか。もっと読まれてしかるべき本だと思うが、出版されたのが八〇年代で、もっとも演劇論が疎んじられていた時代ではなかったか。でも僕はこの本から、どれだけ学んだかわからない。

(5:21 jun.24 2005)


Jun.25 sat.  「休む」

■先週から今週にかけてやけに忙しかったが、原稿も一段落ついて少し落ち着く。丸一日、なんにも考えずに休むことにした。断固、休み。ぱらぱら小説などを読む。落ち着いて本を読むのさえできないような日々が続く。先日、お会いした若い批評家の方にカントをすすめられたので読もうと思ったが、ひとまず、筑摩書房から出ているマルクスコレクションを読もうと思ったのは、その一冊、『ルイ・ボナパルトのブリューメル18日』が読みたいと以前から考えていたからだ。ただカントにも興味はあって、柄谷行人さんの『トランスクリティーク』で多少その一端を知ってから興味をもっていたのはたしかだ。読もう。
■金曜日は文芸専修の講義。スガ秀実さんの『革命的な、あまりに革命的な』を取り上げ身体問題として話をしようと思うのだが、この件になると話したいことがいろいろありすぎてどうもまとまらない。流れをまとめもっとわかりやすくできたはずだが、うまく話が整理できず失敗した。少し落ちこむ。途中から話したいことの中心がなんだかわからなくなっていたのもたしかで、そこに落とし込むことに精力を注いだが、話をする途中、ちょっと興奮し、あるいは緊張し、そもそもこのことから話すべきことがなんだかったわからなくなっていた。ほんとに失敗だ。とはいえ、もっと細かく戦後の思想の流れを話しはじめるとどうしたって、時間は足りないのだが。
■その後、鍼治療。その日の治療では一本、ものすごい痛い針があった。それで治療し、ゆるんだからだに負担をかけないようにと、土曜日はからだを休める。なにも考えないようにぼんやりし、しかも昼間は寝ていた。夕方、郊外の大型スーパーに買い物に行く。日用品を大量に買う。あと、深夜になってサッカーを見たのは、「ドイツ対ブラジル」。やっぱり、ロナウジーニョのプレイは楽しい。あとエレキコミックの谷井君とロナウジーニョは似ている。この試合も面白かったが、最近、サッカーを見て面白かったと思ったのは、数日前の「日本対ブラジル」戦。やはり厳しいところで試合を経験している中田はめったなことではボールを奪われないが、他の選手の多くは、油断しているとさっとボールを奪われるのだな。そしてするすると抜けて出て走る加地がよかった。小笠原、福西が中盤で奮闘している。ディフェンスの田中はいつもつまらなそうな顔で試合をしている(地顔だろうけど)。ギリシャ戦で攻勢に出ながらなかなか点が取れない日本で、こういったときこそ、あの泥臭いプレイをする大黒あたりが出てくるとなにかしてくれるのではないかと思ったが、ほんとにその予想があたった。そしてブラジル戦でも、やはりその持ち味を生かし、よく動き、小野や高原に見るようなテクニックとかそうしたものとは異なるやたらよく走るがむしゃらさが効を奏していた。面白かったなあ、「日本ブラジル戦」。ロナウジーニョにボールが渡るだけで、わくわくさせてくれる。こんな魅力的な選手ってそうはいない。ところが、ドイツはちゃんと考えていたな。ロナウジーニョのまわりにスペースを作らせない。そもそも一対一が強い。からだがでかい。でもブラジルの選手の顔つきがちがったのは、引き分けでよかった日本戦とのちがいか。面白い試合を見るとやっぱりサッカーの魅力をまた感じる。

■と、私は休んでいた。なにもしないでからだを休ませる。休み方がよくわからないのだが、私はとことん休んでいたのだ。

(5:11 jun.26 2005)


Jun.26 sun.  「ユリイカの最新号を読め」

■「ユリイカ」の最新号が届いた。「小劇場演劇」の特集である。いくつかの文章を読んで「観てみたい」と感じた劇がいくつかあったが、不思議なことに、189ページにある内野儀さんが作った「現代演劇マップ」の、縦横に引かれた十字の線上にそれらはある。「うずめ劇場」「チェルフィッチュ」「クアトロガトス」「
dots」などだ。いや、不思議でもなんでもないのかもしれない。僕が考えていることとどこかで通じ合っているのだと予想される。「クアトロガトス」は長くやっている集団だったのか、知らなかった。まあ、「dots」は京都の大学の学生たちを中心に作られた集団なのでよく知っているが。それにしても、これはきわめてすぐれた特集だ。近年まれに見るよくできた雑誌だ。私の「チェーホフを読む」の最終回が載っていることひとつとってもすごい。なかなか私の場合、最終回が載るということはないのだ。連載しているとだいたい雑誌のほうが先につぶれる。
■そして、概論としていまのこの国の劇を俯瞰した内野さんが書いた論考とはべつの意味で印象に残ったのは、岡田利規君の文章だ。それというのも、ここには考えるに足るいくつかのことがきわめて刺激的に提起されているからだ。というか、原理的に演劇を考えている実作者があまりに少ないのを知ることにもなる。状況にふりまわされ、かまびすしい声にかきまわされ、どうでもいいことへの労苦で顔の皺が増えてゆくのが演劇人だ。大変なんだよな、みんな。で、途中まで読んでいると、これは「記号論」について書いているのかなと考えているうち、「シニフィエ」という言葉が出てきた。なるほどね。それだといろいろ不明瞭だったことが整理できる。そして、岡田君は次のように書く。
日常の身体の過剰さを凌駕する過剰さを、虚構において獲得するのは、相当に大変なことです。それについてなら僕はすっかり匙を投げています。というより、日常の身体が抱えている過剰さで、僕にとっては十分なので、それ以上の過剰さをわざわざ作り上げる必要を感じないのです。
 さらに、ここで使われる「過剰」の意味をどう考えるかについて分析し、そして、「日常のからだ」を舞台に上げることと、演劇における「虚構性」においてそれは無意味だという議論が、「日常的な身体は過剰ではない」という前提のもとにあると解いて、議論そのものの無意味さを指摘する。同感である。僕が最近、手をこまねき、なんども考え、あるいはうまく語り出せず口ごもってしまう論理がここには明確に書かれている。
■次回のチェルフィッチュはぜひとも見よう。このあいだ京都であった太田さんの舞台を見逃したからな。ぼやっとしていたら終わっていた。あと、笠木が、『最高の前戯』を書いた岩崎君の集団「ボクマクハリ」について紹介を書いており、書くことは知っていたが、ちゃんとした文章だったのでほっとした。いや、べつに俺がほっとするような問題ではないが。

青木書店外観
青木書店ドア、本の形をしたノブ
京成線・堀切菖蒲園という駅前にある青木書店に行った。以前、ある本をネットを通じて注文した店だが、気になって直接、行ってみたいと思ったのだった。行くとそこは、よくある町の古本屋だったが、ほとんどの本がパラフィン紙で包まれ、とても本を愛している書店だという印象を持った。棚がいくつもあって、そのひとつひとつを見てゆくのも骨がおれる。気になった本を手にすると、次々と買う。いろいろ収穫ありだった。そうした時間を持つのも久しぶりで、なんとなく、七〇年代の日々を思い出していた。こんなふうに古書店に行ってはよく時間を潰したものだ。かつて「都市住宅」という雑誌があって、そのバックナンバーを揃えるのに血道をあげていたころがあり、古書店で見つけては買っていた。あの雑誌はすごくよかった。古本屋に足を運ぶたびに「都市住宅」を思い出す。といってもいまもうちの本棚に「都市住宅」はびっしり並んでいるが。しかしそれにしても、「京成線・堀切菖蒲園」は遠い。上野から京成線に乗り換えるような土地は、ほんとうに縁がなく、考えてみたら、東京というと新宿より西にしか住んだことがないのを思い出した。東京もほんとに広いな。
■で、「青木書店」とも、「都市住宅」とも、まして、人がどこに住んでいたかともまったく関係がないが、この事件はきわめて謎である。
■事件を読み解くことについて、別役実さんは、『別役実の犯罪のことば解読辞典』のまえがきで次のように書いている。次というのはここ。そこに「まえがき」全文があります。いま、思うところがあって別役さんの犯罪の解読法を学んでいるところだ。それというのも、ドラマツルギーについて『ベケットと「いじめ」』で別役さんが書いていたことを、いま凌駕することが起こっているように思えるし、いや、それは「凌駕」なのか、「変質」なのか、「後退」なのかよくわからないが、別役さんに学んで事件を解くことで「ドラマツルギー」について考える必要を感じたからだ。先にリンクした「まえがき」を読んでもわかるとおり、やっぱり別役さんの文章は面白い。とても平易な文体で、しかし、見事に本質をつかまえている。

■もう夏なのでしょうか。ほんとに暑い日曜日だった。ものすごい湿度。

(6:08 jun.27 2005)


Jun.27 mon.  「湿度の国」

■大久保通りの、新潮社に近いあたりのスーパーマーケットで新潮社のN君とばったり会ったのは、駐車場だった。こういう場所で男同士が出会うのは興味深い状況だ。なにかに使えると思った。いつかはじめるエッセイのこと、小説のことなど話す。また会おうと手を振って別れる。
■そのあと、新宿の三越のなかにできたジュンク堂書店へ。なかなか品揃えがいいのと空間の落ち着きが気に入った。ほしかった本をいろいろ買う。マルクスの『ルイ・ボナパルトのブリューメル一八日』が入った、「マルクスコレクション3」(筑摩書房)のほか、先日若い批評家の方に勧められたカントの『判断力批判』(岩波文庫)など。で、写真集の棚に、ブルーノートのジャケットを集めた写真集があってこれがまた、ものすごくかっこいい。次の舞台はこの路線でフライヤーを作りたいと思った。本屋をのぞくと欲しい本ばかりできりがない。
■そのあとTUTAYAへ。DVDを一枚買う。しかし、いったいなんなんだ、この湿度の高さは。夕方になってもじっとりとした暑さに変化はない。夜、DVDを観たり、本を読んだり。「群像」に書いたゲラを直したり。

(8:48 jun.27 2005)


Jun.28 tue.  「船でお越しの方」

■午後の遅い時間、いまでは横浜の観光スポットにもなっているらしい、赤レンガ倉庫に行く。というのも、ここのホールを来年、使うかもしれないのでその見学である。建物の外観からしてすごいと思ったが、内部に入ると、その改装ぶりに驚かされるのだ。赤レンガ倉庫かつて倉庫として使われていた時代の鉄の扉とかその装飾された細部は残し、そこに現代風のエレベータが設置されたり内装が施されている。細かい仕事が随所になされて感心した。そして、ダンスの公演がよく開かれているホールを見せてもらったが、客席や舞台の設定は自由度が高い。とても興味を持った。横浜は東京からだと遠いイメージがどこかあるが、意外に近い。地下鉄のみなとみらい線ができてさらに赤レンガ倉庫は行きやすくなったと思う。もし公演をやるときは、ぜひとも、観に来ていただきたいのは、公演ばかりか、周辺がまた、とてもいい場所だからだ。海もすぐそばである。
■ところで、わたしは「赤レンガ倉庫」のサイトにある交通案内のページに感心したのだが、まあ、「車でお越しの方」とか、「電車でお越しの方」はいいとして、そのなかに、「船でお越しの方」というのがあって驚かされたのだ。なかなかそういったものはないと思われ、その意味でも「赤レンガ倉庫」は素晴らしい。あと、倉庫が二棟あって、そのあいだが広場になっているが、かつて使われたのだろうと思われる軌道(つまり線路跡みたいなもの)があるのは興味深い。なぜ、線路跡みたいなものは人の気持ちを高ぶらせるかだ。俺はそれを見ただけでなにやら興奮した。
■で、きょうは「
BankArt StudioNYK」のワークショップの日だったが、それが午後七時半から。見学は一時間もかからないうちに終わってしまい、二時間近く時間があまってしまった。一緒に行った制作の永井と赤レンガ倉庫のなかにあるカフェで打ち合わせなどして時間をつぶす。店に入ってもやけに暑い。その後、「BankArt StudioNYK」に移動して時間が来るまで、また打ち合わせだ。もう打ち合わせることがないくらい打ち合わせをしてしまった。

■で、ようやく午後七時半からワークショップ。七つのグループにわけて、ひとつの構造をもとに劇を作る作業のつづき。少しずつ形になってきた班、まったくできていない班などいろいろだが、例によって、打越さんがどうかと思うほど面白い。あと、すぐそばにある運河に飛び込むやつがいて怖くてしょうがない。各班が相談をしているあいだ、ギャラリースペースで開かれていた写真展を見たが、それも面白かったな。いまやデジカメの時代ではありますが、やっぱり紙に焼かれた写真はそれだけでとてもきれいだし、広いスペースに展示された、その状態自体が僕にはとても刺激的だった。空間の使い方である。刺激される。写真の一枚から物語が生まれてくるようだった。で、話を元に戻すと、劇を作る作業を通じて参加者は、なぜ、からだは、思うように動かないかを知るのが大事だと思う。声がうまく出ないとか、ふだんだったら、普通に立っていられるのがうまく立っていられない。もちろん、人前でなにかをしようと思えば当然、緊張し、からだはこわばるが、一瞬でもいいから、うまく動けたらそれがヒントになるはずだ。なぜこわばるか。なぜ自由に動けるか。あるいは、少しむつかしくなるが、うまく動けたときのその状態をあらためて再現できるか。
■で、その作業を通じて、僕自身も考えることはあり、今回はその探求をしているつもりだ。まだわからないのだ。経験でできることはいくらでもあるが、そうではないことを探している。

(8:43 jun.29 2005)


Jun.29 wed.  「次のこと」

■少し雨が降った。梅雨が来るのがすきなのは、梅雨明けの気持ちよさが待っているからだ。だから七月が好きだ。一年でいちばん好きな時期。八月になるとどうも憂鬱になる。もう二〇年以上まえのことだと思うが、八月の後半に海に行ったことがあった。八月後半の海はさみしい。いやな記憶として残っている。今年の八月は何度も書いているように、「
RISING SUN ROCK FESTIVAL in EZO」に参加することになっており、僕は八月二〇日に出演予定で、公式サイトでは、十九日になっているという噂を聞いた。きっぱり二〇日です。おいおい企画は報告して行く予定ですが、楽しい催しになるのではないかと思う。時間が一時間しかないのが残念だ。少しくらい伸びても大丈夫だろう。一時間だったら、僕の講義だけでも足りるのだが、でも、そこはそれ、いろいろ詰め込まないといられない性格なのだし、参加希望者(プロの芸人も含め)もいることだし、まあ、にぎやかなものになるだろうと思われる。もし来られる方がいらしたら、ぜひとものぞいていただきたい。
■その後も私は、演劇のことを考えている。「演劇」っていうと幅が狭くなってしまうきらいがあるので、「舞台芸術」とか、「パフォーミングアーツ」といった言葉で表現したほうがぴったりくるが、また異なることはないか、いろいろ考えている。このところ、早稲田大学で九月に公演のある、授業の一環としてある(集中講義みたいなものだが)舞台公演について、それに関わる人たちとメーリングリストでやりとりをしている。僕が、映像を使いたいという提案をしたら、それに賛同し、なんとか形にしてくれようと、OBをはじめとする授業のアシスタントをしてくれる方々が、いろいろ考え、動いていてくれるのが頼もしい。でも、単純に映像を使ったところでいまではべつに新鮮みはない。もちろん予算も限りがあるし、なにか手はないかとまた新しいことを考えているのだ。
■二〇〇〇年代に入ってからの『トーキョー・ボディ』『トーキョー/不在/ハムレット』という二本の舞台を通じて考えていたことを、ひとつの通過点として、またなにかあるように思える。そこで試したことのいくつかは、様々な方向から、次のための経過としてあったといまでは考えている。ただ考えても考えても、その次はまだ、生まれてこない。

(5:47 jun.30 2005)


Jun.30 thurs.  「今年ももう半分」

■草思社は七〇年代、晶文社と並ぶ、カウンターカルチャーというかその時代におけるサブカルチャーを牽引する出版社だった。いまは体質が変わっているような印象を受けるが、しかしいい本を出している。で、以前、仕事をしたことのある草思社のKさんからメールをいただいた。「Web 草思」というサイトを立ち上げたという。そのなかに、内田春菊さんの「触媒に愛を──こう見えても作法アリ」という連載がある。その一部に大笑いした。僕もかなりあるが、小説を書くと編集者からチェックがあり、誤字、脱字は序の口、言われてみるとたしかにとんでもない間違いをしていることがある。内田さんが編集者からチェックされたのは次のようなことだったという。
「このシーンはフェラチオ中なのに会話されているのですが」
 これ、声を出して笑った。そして内田さんは、「いや、だから言葉は極力短くしてあります。そのくらいなら出来ます」と反論したという。『不在』を「文學界」に発表する時点で、編集長のOさんからもいろいろな指摘をされたが、登場人物が多すぎて、誰だったか自分でも混乱しているときがあった。「これ倉津になっていますけど、贄田じゃないですか」といった指摘は何度かあった。こりゃあ、読む人は大変だ。内田さんはここで、小説における「人称」についても書かれているが、「三人称多視点」の場合、書いている自分も混乱するので、やっぱり、どうしたって一人称は書きやすい。とはいえ、楽だから「一人称」にするわけでもないだろう。僕はあまり「人称」についてはこだわっていないつもりで、『不在』の場合も必要があって「三人称多数」の視点にしたが、まあ、どうだっていい気がする。「文体」は比較的、気にするたちだが、それも現在では文学の世界でたいして大きな問題ではないのだろう。ただ、『サーチエンジン・システムクラッシュ』でこだわったのは、いかに、人が読むのに苦労するかについてだ。そこに腐心した。するする読める文体ではなく、読むのに引っかかりが生じればいい、ノイジーであれば、あるところで、立ち止まるような「わけのわからない文体」を心がけたつもりだが、わりとみんなが、するする読んだと聞いて、まだ甘かったかと思ったのだ。
■それはともかく、早稲田で授業。「演劇ワークショップ」。先週までの「テキストを読む」が持っている静謐さとは異なり今週は、いきなり、ぶつかりあいの実技。わーわーにぎやかだった。お手本を見せるために僕もからだを動かし、気持ちがよかった。とはいえ、少し疲れた。そのあと戯曲を読む授業で、『ハムレット』を読むあいだ、少し眠くなっていたのは否めないものの、よく見れば、何人かの学生が寝ていた。それで自分の読む順番になって、どこなのかわからず、隣の人にあわててどこまで読んだか聞いているのが面白い。
■少し疲れたな。このところエアコンをつけて眠っており、どこかからだの調子が悪い気がする。寝不足もあるか。極力、エアコンなしで眠ろうと思うが、湿度がどうにも気持ち悪くてそうできない。すると逆に乾燥しすぎて眼が覚めたとき喉が痛かったり、鼻の奥が痛かったり、体温が下がってからだがだるかったりで、やっかいだ。それでも、ワークショップでからだが動かせる体力はまだある。やっぱり心配になるのは、いつまで演出ができるかで、これからはそういったこともやはり考えてゆかねばならぬのだな。そして、今年ももう、半分が過ぎてしまった。

(10:54 jul.1 2005)


「富士日記2」二〇〇五年六月前半はこちら →