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Published: Feb. 4, 2005
Updated: Jun. 16 2005
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Jun.1 wed.  「銀座でカレーを食べる」

■対談の仕事をした。ビクターレコードから「インド料理屋で流れている音楽」という企画のCDが発売されその中の、なんというのだろう、リーフレットのようなものに載るらしい。銀座のナイルという有名なカレー屋に行く。よくむかし、竹中と来たところだ。ナイルで写真に写っているのがナイルの有名な店長さん。話しはじめると長い。手前が対談相手の大槻ケンジ君。カレーとインドにまつわる話を二時間ほどし、そしてカレーを食べる。美味しかった。大槻君とは初対面。話が面白かった。ナイルが創業68年ということに驚く。いろいろな仕事をしています。
■月が変わっても原稿の締め切りはやっぱりやってくる。「流行通信」の原稿を書く。短期連載でいまの演劇のことを書くが、いかんせん、一回ごとの文字数が少ないし短期ということもあって、なにから書いたらいいかで悩むのだ。でも、まあ、自分がいちばん気になっていること、というか、考えていることを言葉にする作業になる。しかし、気がつくともう「ユリイカ」の締め切りである。最終回。もし余裕があったら次の号の「演劇特集」になにか書かないかとYさんは言っていた。余裕はない気がするものの、余裕があったら長いものを書きたくなる。
■あと、「
RISING SUN ROCK FESTIVAL 2005 in EZO(公式サイトはこちら)」の、僕が参加するイヴェントに出演したいという人が続出している。自給自足の生活がしたいらしい。

■ところで、「宅ふぁいる便」というものがあることをはじめて知った。大容量のファイルを送るのにメールだとなにか不都合があった場合、相手にとってはそのファイルのせいでほかのメールが受け取れないということがかつてよくあった。それを代行してくれるサービスだと考えていいだろう。とても大きなファイル、そして貴重なものを、Kさんという方から「宅ふぁいる便」で送ってもらった。大滝詠一さんと高田渡さんの対談の音源である(個人が楽しむぶんには複製もいいはずだ)。これ、すごく面白い。ものすごくためになる。Kさんに感謝。ありがとうございました。
■それはそうと、いま使っているデジカメは、スイッチを入れてから写すまでの時間が短くこうしたウェブ日記やブログの写真を撮るときいいと(つまりシャッターチャンスを逃さない)、なんかデザイナーの人が書いているのをどこかで読んで買ったリコーのカプリオだ(あと、安かったってのもある)。ところが、
MacOS 10.4をインストールしたら、マウントされなくなった。つまりコンピュータがカメラを認識しない。で、そのときコンピュータに出るエラーメッセージを、そのままGoogleで検索したら、やっぱりいました同じことで困っている人。たいていコンピュータのトラブルは誰かが同じように困っているものなのだ。そしてわかったのは、このデジカメをマウントさせるソフトが10.4に対応していないことだ。なにやってんだよリコーのやつ。いま開発中らしい。それで、まあ、私の家には何台かのコンピュータがあるわけですが、よかった、ほかのはヴァージョンアップしとかなくて。なんとかなりました。でもたいていはそうではないはずで、いきなりデジカメが認識されなくなったら困る人もいるはずだ。
■と、まあ、そんなことはどうでもいい話ですが、きょう外に出ると日中はだいぶ暑くなってきた。夏は好きである。そして、詩のことを考え、演劇のことを考えつつも、こつこつ仕事を進める夏のはじまりだ。

(8:30 jun.2 2005)


Jun.2 thurs.  「戯曲を読む」

■雨の中を早稲田へ。演劇ワークショップの授業は、「テキストを読む」だ。早稲田の学生は、なんといっていいか「とんでもないやつ」というのが少ない。あきれたものを読む学生はあまりいなかった。というか、比較的、「企みを持った者」がいないということか。素直なのか。京都の大学では「ばかもの」と言いたくなるようなテキストを読む学生がいてそれはそれで面白かった。二つの大学を比べてもしょうがないし、もちろん今回も、「いい読み」を聞かせてくれた学生が何人もいた。「テキストを読む」という課題は、当然、それをする者が言葉を声に出して読むということを通じ、目で文字を追うことではないべつの感覚がからだに出現する発見のためにある。だけど、僕自身、テキストを読んでいる人の姿が好きなのだと思う。それは俳優とはまた異なる姿だ。
■続いて戯曲を読む授業へ。ベケットを読む。下調べをしてきてくれた学生のまとめなどの発表があり、それを受けて戯曲の分析をする。もちろんサブテキストは別役実さんの『「ベケット」といじめ』だ。さらに「しあわせな日々」を読む。途中まで読んだところで時間切れになった。授業が終わったあとで学生から質問があった。分析をしているとき、僕が「方法論」という言葉を使ったが、その意味がもうひとつ掴めないという疑問だ。そうしたことひとつとっても、理解しようという意識が感じられてうれしかった。この授業は、僕にとっても戯曲を分析するいい機会になっている。もちろん、チェーホフやベケットを読むのも大事だが、もっといまの書き手たちを読むようにしようと思うのは、やはり、岡田利規君の戯曲を読んだ発見が大きかったからだと思う。それでもちろん授業だから「面白かった」というだけじゃなく、細かく分析してゆく必要が生じる。それを学生とともにする。だから僕にとってもいい勉強になっており、戯曲の読みを通じてもっとちがうことの発見のためにある。
■ところで、このあいだ、南波さんは太田省吾さんの演出も受けたことがあるんだからそれも書いてほしいとここで言ったら、ブログで南波さんは、実際の演出は受けたことがないと書いており、しかし、演出助手をしてそのとき聞いたという言葉を記していた(話の要約だと思われる)。太田さんらしい言葉だった。
 ここへ来る途中に喫茶店に寄ったら、近くの席で親子が言葉遊びをしていた。「おもいのはんたいは?」「かるい」とか、反対の言葉を子供に言わせている。途中で子供が「おもいでのはんたいは?」と聞いた。そしたら母親は「それはだめよ」と言った。そんな言葉はないという意味だろうが、でもその時、「おもいでのはんたいは?」と聞かれた時に、「それはだめよ」と言わないのが、演劇だと僕は思っている。
 これが太田さんの表現だ。なるほどなあと思うのだった。あるいは、そこに着目する太田さんがいるのだろう。世界は同じような姿をして誰の前にも出現している。それをどのような目で見ているかだ。見逃してしまうことも多い。もっと異なることを考えることもある。世界の姿は見る者によってまったく異なる。

■で、全然関係のない話だが、人から聞いたところ、いま子どもたちのあいだで「ムシキング」というアニメが流行っているという。「ムシ」というのはもちろん「昆虫」のことだ。虫が出てくるアニメのなにが面白いのか知らないが、そんなとき、テレビを見ていたら「昆虫図鑑」みたいなもののCMを見た。昆虫の図鑑が毎週届くというよくある書籍のCMだが、すると、いま、社会ではちょっとした「昆虫ブーム」なのかと思って驚かされる。なにが起こっているんだかさっぱりわからないよ、小泉の靖国参拝といい。
■さらに、津田沼ノートのT君からメールをもらったのは、例の、「
RISING SUN ROCK FESTIVAL 2005 in EZO(公式サイトはこちら)」の話で、T君は毎年のように行っているそうだ。メールに書かれた情報によると、夏とはいえ、北海道の夜から朝にかけて半端じゃないくらい寒いらしい。T君は彼のサイトで僕が出演すると書いているが、言われてみれば出演といえば出演だ。ただ、メインのステージ(いや、詳しいことを知らないのだが)とかではなく、クラブキングが主催するテントでの出演。笠木からもメールがあり、来るというが、とにかく冬だと思って準備したほうがいいらしい。ダウンジャケットとかコートとか、大げさだと思うような服を用意したほうがいいというのだ。まあ、冬の北海道は行ったことがあるが、冬は冬で、半端じゃないからね、北海道は。

(11:24 jun.3 2005)


Jun.4 sat.  「豪徳寺の桜」

■金曜日(3日)の授業が終わったあと、学生たちとクラスコンパというものをし、文学部キャンパスのすぐ近くにあるカフェに入ったのだった。地下の部屋を貸しきりのような格好で占拠し、20数人もいただろうか、とてもにぎやかで、いろいろな学生とも話しができて楽しかった。たとえ、文芸専修の学生だとはいえ、話題が文学ばかりになるのではなく、どっちかといったら音楽の話になる。一九七七年頃のことが話に出ると、そういえばあのころ、DEVOとか聴いたなとかいろいろ記憶がよみがえり、それがちょうどいま話している学生と同じ年齢だったわけで、しかし、見ているとずいぶん、みんなまだ子どものような気がして不思議だ。というか、自分が歳をとったってことだろうけど。
■面白かったのは、ある運動部に所属する哲学専修(だと思った、たしか)の学生の話だ。運動部にいると、スポーツ推薦で入った学生が多くてまず本を読まないが、なぜか蓮實重彦さんの『スポーツ批評宣言』が部内でブームになったという。めったに本を読まない体育会系の学生たちが部室で、蓮實重彦的な術語を使って会話している光景が奇妙だったという。しかも彼らは、たとえば「ナンバー」といったスポーツ雑誌は読まない。それはつまり、「江夏の21球」に代表される山際淳司的な、ロマティシズムに支配されるスポーツルポのたぐいに興味がないということだろう。蓮實重彦さんの書く、いわば(こんな言葉がふさわしいのかどうかわからないが)、「唯物論的スポーツ批評」にこそ、運動選手として興味をいだく。これはきわめて興味深い話だし、きわめて、理にかなっている。なるほどなあ。そうすると、また文学ってものに対する印象が変化し、スポーツをやってこそはじめてわかる筋肉の動きであり、筋肉の動きで初めて知る文学だ。そこに文学の可能性があるように思えてくる。
■やっぱりスポーツだな。けっこう、なにか書いている人ってのは、過去にスポーツの経験があるのではないか。筋肉の動きについて意識的になった時期があるのではないか。いわば、身体的なもの。だから音楽だってやっぱり、聴くだけではなく、演奏するのはまったく異なる「からだ」への意識を生むだろう。ギターを演奏するのでも手の筋肉、腕の筋肉に意識的になるだろうし、歌もやっぱり、かなり身体的だ。いや、聴くときもまた、耳を使っているか。おしなべて、なんだって「からだ」なのだろう。

■もちろん演劇やダンスの話もした。僕の舞台を観たことのある学生もけっこういてうれしかった。そうだ、それで、学生たちからいろいろなメールをもらうし、このノートもよく読んでいてくれるので驚かされる。少しずつ早稲田で教えることにも慣れてきた。教室にも迷わず行くことができるようになってきた。来週からしばらく、「演劇ワークショップ」の、「テキストを読む」という課題で学内を歩き回ることになるので、もしかしたら、まだ僕の知らない場所に連れていかれるかもしれなくてそれが楽しみだ。
■ところで、つくば市に住むOさんから、このあいだ書いた「ムシキング」についてメールをもらった。
「虫が出てくるアニメのどこがおもしろいのかわからない」ということですが、実はこのムシキング、なかなか侮れないと思います。
 私は書店で働いており、児童書を専門に担当しているのですが、ちょうど1年くらい前から子供たちの間のムシキングブームが始まりました。ムシキングはもともとゲームセンターにおいてあるアーケードゲームで、プレイするごとに一枚もらえるカードを収集して遊ぶものなのですが(そのゲームの設定が、「外国からやってきた凶暴な虫から森を守ろうとしてつかまってしまった森の王者を救うため、さまざまな虫たちが力を合わせて敵と戦う」という、なんというか非常にあからさまなものなのですが)、子供たちにとってはそのカードは一種のコミュニケーションツールになっているようなのです。
 私の勤務先の書店の中でも、知り合いではない子供同士がカードの交換を行っている姿をよく見かけます。カードの交換を通じて新しい友人関係が育まれたりもしていて、大人が趣味を通じて新しい友人を作っていく過程に近いと思います。大人にとっては、実は趣味そのものよりもその周りに生まれる人間関係が重要なわけですが、子供たちにとってもあるいはそうなのではないかと思うのです。学校や塾の友達以外と知り合うきっかけを与えてくれるもの、あるいは逆に、カードを集めている人たちというコミュニティに属するための手形のようなものなのかもしれません。
 それでも、なぜ虫なのか、というのは私もよくわかりません。とにかく彼らは今夢中になっています。小学館が出している「ムシキングだいずかん」は、当店の年間売り上げランキングではバカの壁をはるかに上回っています。
 それはたしかに、あなどれない。貴重な情報にとても感謝した。それで、問題になるのは、なぜ、いま「虫」かだ。かつてもこうした「遊び」は出現しており、たとえば、あれ、なんだっけ、アイスキャンディーかなにかを買うとなかにカードが入っていて、それを集める遊びで、たしか、八〇年代の半ばごろに流行した。カードを友だちと交換したり、自慢しあったりという現象があった。あ、「ビックリマン」とか、そんな名前か。あるいは「ガチャポン」でフィギュアを集め、それで友だちとコミュニケーションする現象もあったはずだ。それらによく似ているが、よりにもよって、「虫」ってのが、やはりわからないのだ。いろいろなものが出尽くし、もう「虫」しかないということになったのだろうか。あるいは、本来、子どもは虫が好きなのか。採ったなあ、子どものころ、セミだの、カブトムシだの。「虫」の謎はなおも続く。

■きょうは(四日)は小田急線の経堂までちょっとした用事で出かけ、ようやく「はるばる亭」というラーメン店に入ることができた。めったに来ることもないだろうと、支那そばと、香麺を食べるという暴挙に出た。最終的には、美味しいとかそういった問題ではなく、食べきったという達成感が残った。なんだったんだろう。それでも、やっぱり、この店の「香麺」はほんとうにうまい。帰り、以前まで住んでいた豪徳寺に寄ったが、線路の高架工事がほぼ完了したようで駅前はまったく変わっていた。工事のために伐採された桜から育ったという、まだ人の背にも達しないほどの、子どもの桜が植えられていた。かつてあった親の桜と同じ大きさになるには、子は、あとどれほどの時間を過ごすのだろう。

(5:52 jun.5 2005)


Jun.5 sun.  「俺は最近、はきはき歌うようになった」

■また吉祥寺に行った。筑摩書房の井口さんと松倉を誘って、スターパインズカフェへ。友部正人さんのライブだ。今回はすべてソロだった。新旧とりまぜた選曲。とてもよかった。観客には若い人も多く、いろいろな人に聴かれているのが、関係ない僕もなぜかうれしくなっていた。なかでも個人的に聴きたかった「フーテンのノリ」は感慨深かった。「フーテンのノリ」は物語のように長い詩で、もちろん歌だが、小説にメロディをつけてそれを歌っているように感じる。開演の前、友部さんの奥さんであるユミさんが話してくれたのは、友部さんの詩は、そもそも書き言葉にメロディーをのせているので歌ったとき、よくわからないことがしばしばあることだ。かつて田舎にいたころ僕は「井の頭公園」のことを知らなかった。だから、歌のなかにそれが出てきても「いーのかしら、公園のちょうど真上じゃ」としか聞き取れない。「いいのかしら」と聞こえ、そうすると文脈がどうにも変だ。東京に出てきてはじめて、それが「井の頭公園(いのがしらこうえん)」だと知った。ユミさんも、最初はわからない言葉がたくさんあったという。
■ライブのあと、松倉は感激してずっと泣いていた。そして私は、中学校の最後の年にはじめて友部さんの歌を聴いてからずっと疑問に思っていたことをすべて質問するつもりでいたが、実際に会ったら、緊張してほとんど質問ができない。しかも、その後、みんなで中華料理屋に入ったが、友部さんの隣に座った私が、あの、ヘビースモーカーで知られるこの私が、煙草を吸わない友部さんに遠慮して、まったく煙草を吸わなかった。それを素早く見抜いたユミさんは、だったら、煙草をやめるために友部さんと一緒に住めばいいと無茶苦茶なことを言う。たしかにそれは素晴らしい提案だが、そのうち、こそこそ隠れて吸うようになるのではないか。トイレでこっそり吸うようになるのではないかと考えると、それは大人のすることじゃないだろう。
■質問したいことはいっぱいあったのだ。だけどうまく話せない。少し話すと友部さんは、おだやかな声で、淡々と答えてくれる。友部さんの作ったCDのなかに、「
no media」というシリーズがある。様々なミュージシャンが詩の朗読をするCDだ。それに参加しませんかと声をかけてくれ、あのですね、それ、飛び上がらんばかりの僥倖である。そして、演劇でも「リーディング」という分野があることを話したとき、「ト書き」を読む人間がいることを説明すると、「やってみたいなあ」と友部さん。以前から、友部さんが詩の朗読するときの声が好きな僕は、もうその瞬間、かなり具体的なアイデアを浮かべていた。

■それにしても、奥さんのユミさんは、横にいる友部さんをやたらつっこみ、いきなり、「この人には音楽の素養はないから」とかって、とんでもないことを言う。そんな表現を友部さん自身がどう感じるのかわからないが、なにしろ、日本のボブ・ディランですよ、この方は。だけどなにを言われても反論せず黙って聞いている友部さんがまた不思議である。あと面白かったのは、「フーテンのノリ」のなかで、ノリと友部さんであろう歌の中の「僕」がボンドを吸うという詩の一部に対して、ユミさんが、「どっちが誘ったの?」とか、「ほんとに吸ったの?」といきなりの質問だ。友部さんは、「う、うん、そんなには吸ってない」と言う。「そんなには」が面白かった。また会うときのために、あの詩はどういう意味かとか、詩の背景になっている出来事について質問を紙にまとめておこうと思った。
■もう、かなり以前、沈黙劇で有名な太田省吾さんが、そしてあまり喋らないことでよく知られている太田さんが、「俺は最近、よく喋るようになった」と言ったときは、いきなりなにを言い出したんだろうと思ったが、きょう友部さんはいきなり、「俺は最近、はきはき歌うようになった」と言ったのでおかしく、そして、「同じだ」と思ったのだ。太田さんと友部さんには、どこか共通するものを感じる。あるいは、太田さんと桑原茂一さんにも共通するものを感じてもいて、この二人のことは師匠だと思っているから、迷惑だと思われるにちがいないが、友部さんに対してもこれからは師匠と考えることにした。本人の前ではぜったい煙草を吸わないしね。まったく異なる質の仕事をしている方たちだが、なにかが共通している。
■こんど横浜でワークショップをやるが、近くに住んでいるというので、友部さんとユミさんが見に来るという。それ、迷惑だなあ、すごくうれしいけど。

■30数年前に、はじめてレコードを聴いたとき、まさか話しができるようになるとは思ってもいなかった人とこうして話しができたことに感動し、いつか、人はそうして出会えるのじゃないかと僕には思える。その時間は、いまになったらべつに長くはなかった。あるいは、その時間に意味があるように感じる。
■ところで、あるラジオ番組を聴いていたら、ジョン・レノンがボブ・ディランに影響された話しをしていた。その場で、あるミュージシャンがその一例を軽く歌って聴かせてくれたのだが、そういうのってなんで面白いんだろう。
■青山真治さんからメールをいただく。小説を書いていたらしい。ものすごく忙しかったという。きのう書いた「虫」についての解釈がメールにあった。なるほどと思った。また会って、そのあたりの話をじっくりしたい。あ、あと松倉は、高田渡さんがよく行っていたことで有名な「いせや」という居酒屋でバイトをはじめたという。張り切りすぎて声を枯らしていた。ユミさんが、松倉のことを憂歌団の木村さんみたいだと話していたが、それ、以前も誰かが言っていた。たしかに。

(11:14 jun.6 2005)


Jun.6 mon.  「中村屋のカレー」

■午後、理論社の方たちとお会いする。いま理論社から「よりみちパン!セ」というシリーズが出ていてかなり話題らしい。僕もその一冊を担当することになっている。もちろん「演劇」について書くが、これは中学生を中心にした人たちを対象にした本のシリーズ。もちろん大人も読んでいい。何冊かすでに出ているシリーズを受け取ったが、なかでも印象に残ったのは、深見填という人の『こどものためのドラッグ大全』だ。かなりストレートに違法とされているドラッグについて子ども向けに書かれている。マリファナについてふれられている一部に興味深い記述があったので引用してみます。
 大麻を繊維用に栽培してきた栃木県の鹿沼地方では、麻を収穫する作業のさいに、酔っぱらった気分になる「麻酔い」という現象が広く知られていたが、快感としてではなく、乗り物酔いのような、不快な現象として捉えられてきた。江戸時代の幕臣、屋代弘賢が編纂した百科事典『古今要覧稿』には、大麻について「人をして狂笑止まざらしむ」と記述されているし、同じく江戸時代の『宣禁本草』には「麻の実と人参を合わせて服すれば、逆のぼって未来の事を知る」と書かれているから、マリファナの幻覚作用は、昔から知られてはいたようだ。
 おそらく、この国の人々もまた、「大麻(=マリファナ)」についてその幻覚作用をよく知っていて酒と同じように楽しんでいた歴史があるのではないか。もちろん、深見さんは安易にマリファナを肯定しているわけではない。ただ、しっかりとした知識を学ぶことを提唱し、マリファナに対して、否定論者、肯定論者、どちらの言葉に向かってもそれを判断するためにしっかり学ぶ必要を説いている。その姿勢に共感した。煙草だってねえ、まあ、ある種、依存性の高いドラッグのひとつだし、その成分のひとつニコチンは精神を昂揚させる作用がある。ドラッグはおしなべて、「意識の変容」をうながし、ドラッグは簡単にそれを手に入れることができるが、「意識の変容」はほかにも、様々な方法があって人は古来よりあの手この手をつくしてきたのだろう。このあいだ、最新のジェットコースターのことをニュースで見たが、真っ逆さまに墜落するようだった。あれも、かなり、「意識を変容」させるでしょう。宗教的儀式にもそうしたものはよく見られるし、セックスもそうなら、自転車で坂を駆け下りるとか、ダンスや、祭り、レイブは典型的だし、いや、こうして文章を書いてもそれはある。だから、「意識の変容」や「意識の拡張」ってことに、人は本来的に興味をもっていて、多かれ少なかれ、そうでなければ生きていけないものなのだろう。
 で、そう考えると、その「方法」と、「どのような意識の変容か」という内容が問われると思われる。だからやっぱり、表現の話になってしまうわけで、演劇にしろ音楽にしろ、「意識の変容」をうながすとしたら、「方法」と、「それがもたらす意識の変容の中味」については、どうしたって考えざるをえない。といった「知覚の扉」問題を書き出すと、おそらく止まらなくなるので、ひとまずやめる。
■「よりみちパン!セ」シリーズの僕が書くものは、元筑摩書房の打越さんが編集を担当してくれる。きょうも打ち合わせに来てくれた。打越さんは相変わらずであった。あと打越さんの旦那さんが映画に出たことがあることも知った。さらに、大島渚の『絞死刑』に出てくる女子高生は、いま、筑摩書房の校閲部にいるそうだ。大島映画の出演者ってのは、なんでああも、知識人なんだろう。太田さんの舞台もそうで、転形劇場がそうだった。だとしたら問題は、僕の舞台にはどうしてばかものばかりが集まってくるかだ。まあ、要するに、僕だからなんでしょうね。あと、ばかものが好きってのも、かなりある。

■白水社のW君から送ってもらった、『中村屋のボース』(中島岳志・白水社)は面白い。それでいろいろ考えることはあり、ボースという人は「インドの独立運動」の中心人物だったが、日本において接触があったのは日本のナショナリストであり、考えてみれば「独立運動」の背景にあるのはもちろん「民族主義」なんだから、当然といえば当然だ。イラクでいま起こっている状況が、「反米民族主義」なのだとしたら、現在のこの国のナショナリストは「イラクの民族主義」を支援せずに、なぜ逆に「親米的」なのかがわからない。グローバリズムという名前の「アメリカの覇権主義」に対してこの国の民族主義者も異を唱えるべきではないか。といったことを、『中村屋のボース』を読みつつ考え、そして新宿中村屋のカレーを食べたくなった。あのカレーにはアジアの思想史がこめられているのだなあ。

(12:25 jun.7 2005)


Jun.7 tue.  「横浜へ」

■とんだドライブをしてしまったのは、横浜の「
BankArt StudioNYK」に行くために高速を走っていたら、いつのまにか、磯子にいたからだ。距離感がうまくつかめないが、とにかく、目的地からはるか遠い場所らしい。その後、どこをどう走ったかよくわからないがとにかく目的地に到着。「BankArt StudioNYK」で来年、ある公演をしようという計画もあり、その見学がまず第一の目的だ。さらに、きょうはここで開催するワークショップがある。
■場所がとにかくいい。スタジオの外に出ると港だ。横浜の赤レンガ倉庫が運河の向こうに見える。空が暗くなりかけたころで港の明かりが灯る時間がとても心地よい場所だった。そして設備もとてもよくて、内部には、大小のスタジオやギャラリーもあり、贅沢な空間の使われかたをしている。こんなところをほかでは知らない。たしか横浜に住む友部さんもそのスタジオのひとつを借りて作業しているという話を聞いた。そういえば友部さんはきょうニューヨークに向かったはずだ。ニューヨークに持ち家があり、横浜の住まいは借りているという。とてもうらやましい生活だ。
■で、「
BankArt StudioNYK」だが、今後、このスタジオがどう使われるか、まだ明確ではないらしく今年の夏に結論が出るとの話だ。ちゃんと残すべきだ。こんなにいい空間がもったいないじゃないか。そして様々な試みがここで開かれ、さらに横浜を中心にした様々なアーティストに開放されている環境はこの国にあってはとても貴重だと思う。

■ワークショップを夜七時半からはじめた。第一回目は例によって講義からだ。ワークショップそのもの、あるいは、僕の考えている「演劇」といったものについて。受講者は20数人。平均して皆、若いのだが、ひとり僕より年齢が上の方がいらして、はじめこの施設の関係者なのかと思っていたらどうやら受講者だと知って驚いた。二時間ほど話をする。たしか早稲田の学生がひとり受講しているはずで、大学と同じことを話していると思われたらどうするかという問題があるが、そこで、微妙に異なる話をした(まあ、だいたい同じだが)。
■からだは、不思議にできており、こうして長時間の話をするとかつてならかなり疲れたがだいぶ慣れたらしい。適度に疲れ、しかし、楽しくもあった。終わってから、施設のスタッフの方たち、それと、手伝いに来てくれた、南波さんと永井たちと、施設の外にあるテラスで談話する。楽しかった。考えてみると、南波さんとゆっくり話しをするのもそんなになかった気がし、きょうは、チェルフィッチュの岡田君のワークショップに出たことなどいろいろ聞かせてもらった。帰り、また道をまちがえた。深夜になってようやく家に戻った。

(12:12 jun.8 2005)


Jun.8 wed.  「手がかたい」

■絵本についてもっと勉強する必要を感じたのは、初台で岩崎書店のHさんに会って、懸案の絵本について検討したからだった。いろいろ考える。かなり沈黙の時間があったが、Hさんはねばり強く待ってくれる。僕はあまり器用にささっと仕事ができるほうではないので、まず、絵本というものの仕組みがわからなければ書けないということを、きょう話しをしているあいだに気がついたのだった。なにか面白いことを発想できても、その「面白いこと」をこう書けば、「戯曲」になるとか、「エッセイ」になると、慣れたものならすぐに手が動き出す。手が動くかどうか。それが絵本へとはすぐに結びつかない。簡単に動き出せる年齢の時期もあるのじゃないだろうか。結果はどうあれ、とにかく書いてしまうような衝動が若いときはあって、なにかに刺激を受けるとすぐに手が動く。それは「手がやわらかい」と表現するような状態だろうか。
■きっと僕も、むかしはそうだった気がするが、いまはなにかを始めるにあたって、まず分析からはじめることが多い。「手が硬い」。いや、そうでもないか。いきなり衝撃を受けたら勝手に手が動くかもしれない。つまり「絵本」について、あまり意識的ではなかったということだろう。なにしろ、インターネットをはじめてまもないころ、ウェブサイトのデザインをあれこれ見たらいきなり手が動き出しこのサイトをすべて自分で作った。「絵本」に対して、まだそうした、ばかではないかといった衝動が生まれていないのだろうと思う。
■「絵本」の作品をもっと読むのはいちばん大事だが、それとはべつに、「絵本の世界」の全体を把握できるような研究書のようなものを読みたいと思い、相談すると、Hさんから的確なアドバイスをもらった。長谷川集平のいくつかの絵本の作り方に関する本だ。紹介してもらったそれを、早速、アマゾンで発見し注文した。「絵本」について意識的になろうと思う。あまり考えたことがなかったからな。「作・宮沢章夫 絵・しりあがり寿」で、できるだけ早い時期に刊行したい。いくつかの単行本の話をいただき、ほかにもやることはあって、のんびりもしていられない。だけど仕事があってなによりだ。声をかけていただくことに感謝している。

■友部さんがフルマラソンに出場しているという話には驚かされ、聞けば、中学のときから長距離をはじめたという。こう見えても私は、短距離をやっていた。筋肉の質として、長距離に向いている筋肉と、短距離に向いている筋肉がある話をどこかで聞いたことがある。それは単に運動能力のちがいの話だろうか。モノを作る資質にもなにかをもたらすのではないか。そして、かつて長距離をやっていた友部さんのような人がジョギングをするのはよくわかる。町でジョギングをしている人の姿もよく見る。だけど、かつて短距離をやっていたからといって、大人になってから100メートルダッシュを五本やるといった話はあまり聞いたことがない。ジョギング姿は町でよく見かけるが、100メートルダッシュを町で見たとしたらなにやら不穏である。通りの向こうからものすごい勢いで走ってくる人がいる。危険きわまりない。
■仕事をしなければいけないが、夜、サッカーを見る。日本代表のワールドカップ出場が決まった。それはめでたい話だが、昼間の打ち合わせのことを引きずっていたので、重い気分がどうにもぬぐえず、なんだか楽しめなかった。早い時間に眠ってしまった。

(11:50 jun.9 2005)


Jun.9 thurs.  「そろそろ梅雨なのだろうか」

■授業。松倉が授業をのぞきに来ていたのだが、歌の勉強をしに東京に来たはずの者がなにをしているのだ。まだ学生気分が抜けないのか、楽しい場所がありそうだとそこに足を運ぶ。その子どものふるまいに、だんだん腹がたってきて、きょうの授業はなんだか憂鬱になっていた。しかし早稲田にもずいぶん慣れて、学生たちともいろいろ話しができるようになった。「
BankArt StudioNYK」のワークショップにも来ているNさんと授業がはじまる前に少し話しをする。Nさんは高校時代、千羽鶴が折りたくて運動部のマネージャーをやったという。千三百羽折ったという。その情熱がわからない。そうだ、授業の前に僕の研究室に学内のIT関連を整備する係の方が来てくださり、コンピュータを設置してもらった。丁寧な説明がとても気持ちがよかった。なんだろう、人の対応の気持ちよさというものは。
■やっぱり「演劇ワークショップ」の授業は時間が少ない。「テキストを読む」という課題だけで四週使いそうな気配だ。そのあと、「戯曲」を読む授業。ベケットの『しあわせな日々』を読む。なんてでたらめな劇だろう。
■家に戻ると、文芸誌が何冊も届いていながら忙しさにかまけて封を開けずにそのままにしてある。開けると、『群像』に青山真治さんの小説が掲載されていた。読もうと思うが、それより青山さんの『月の砂漠』が角川文庫に入るのでその解説を書かねばならず、ところがまだちっとも手をつけていない。早く書かなければと気ばかりあせる。で、やっぱり私には事務能力というものがないので、大学のいろいろな手続きなどぜんぜんだめだ。研究費を要求しようと思っても、領収書の整理とか考えはじめると、なにもかも捨てて逃げ出したくなる。マルクスには、エンゲルスという「まとめる能力にきわめてすぐれた友人」がいて、だからこそ、マルクスの書いたものを整理し、編纂し、『資本論』は生まれたのだろう。いたらいいなあ、そういう人。

(12:20 jun.10 2005)


Jun.10 fri.  「地図の話」

■文芸専修の授業の日だった。「地図」の話をする。大宮信光さんの書かれた『地図の冒険』(批評社)にあるのは、「狂にして聖なる心の地図」という言葉だが、地図を描くという行為には、誰もが抱える「狂にして聖なる心」が、強弱はあれ、どこかにじみ出るのではないだろうか。だから僕は地図を描くのが好きだし、あるいは、市販されているような地図を見るのも好きだ。で、いろいろ話したあと、受講している学生に「自分の家から最寄りの駅までの地図」を描いてもらった。やっぱり面白いなあ、地図は。それぞれの地図がある。そしてそれは「作品」なので、描き終わってからタイトルをつけてもらう。「危険地帯地図」といった作品名の地図がなかにあった。たしかに地図を見ると、家の周辺の危険地帯が記入され、「ここでこれまで10人が自殺した」などと、恐ろしいことが書かれている。あるいは、住んでいるマンションの隣がプロミス、その隣がヘルスという人もいて、タイトルが、「ピンクと黄色」だ。見事な住環境である。
■で、それを描いてもらいながら、「個人情報保護法」というものを思い出していたのだが、「個人情報」という言葉が出現して以来というもの、あらゆるものが、「個人情報」として存在するようになった。「もの」や「こと」は、やっぱり名前ができて初めて存在するのだなあ。「自分の家から駅までの地図」は、かなり高度な「個人情報」だ。まあ、「個人情報保護法」はひどく問題を抱えた法で、むしろ、「保護」されているのはごく少数の何者かで、より多くの「個人情報」は「官」が管理するといった理不尽を、「法」によって明確にする。ものの道理として学生に描いてもらった地図を外には出さないし、来週、返却しようと思う。これは普通に考えても、「あたりまえ」というやつだが、「法」はときとして「あたりまえ」が通用しないときがあり、「法」と、あたりまえの日常感覚の乖離は、ときどき、ひどく腹立たしい気分に人をさせる。
■それはそれとして「地図」が面白いことはいくら強調しても足りない。地図を見ているうちに一日が終わってしまうことだってあるくらいだ。「地図」にまつわり、様々なことを話した。もっと図を見せたりしながら、できることはあるだろうし、コンピュータを活用すると絵も見せられると思いつつ、だからって、そんなに授業の進行がうまくなってもしょうがない気がするのだ。つまり、授業のテクニックではなく、話したいことを話すからこそ、なにかがより伝わるような気がする。

■東京は梅雨に入ったという。大学で傘をなくした。帰り、学生の傘に入れてもらって学校をあとにした。

(15:12 jun.10 2005)


Jun.12 sun.  「日曜日に」

■仕事をしないと誰が困るかといえば、当然、自分自身だが、雑事はいろいろあって落ちつかない。たとえば、マンションの管理組合の集会があった。各戸から一人以上が出席することになっている。集会のことを話し出すと面白いことばかりできりがない。あることをきっかけに、議事が大もめになっているのを見ていたら不謹慎にも声を出して笑ってしまった。
■いま住んでいるマンションは老齢の方がたいへんに多い。よりにもよって、そんなマンションのすぐ目の前に、若い者に向けたある種の、教育に関連する施設がある。朝早くから、みな、やたら元気よく「おはようございます」と大声をあげているという。私の部屋からだと遠いが、近くの老人たちは閉口しているらしい。どうして若い者は朝っぱらから元気がいいのだろう。あるいは、ENBUゼミがそうだが、そうした新興の教育施設ができると付近の住民とのトラブルは発生しがちだ。ましてENBUゼミなど、演劇をやろうと志す者の学校だから騒々しいこときわまりない。声がでかいよ。
■いままで、同じマンションにどんな人たちが住んでいるか、ほとんど知らなかったし、きわめて都市的な人間関係だけ存在すると思っていたが、扉をあけるとやはりそこには、ごくあたりまえに人がいる。人のからだがある。僕ももちろんその一人だ。いままで、こうした集まりに出るのはおっくうだったり、めんどうだったりしたが、いろいろな人に会えるのはそれだけで楽しい。あるいは、マンションという小さな社会のなかにも、この国の仕組みが隠されているのを感じるのはとても興味深い。

■また原稿がたまってしまった。なんで原稿はたまるのかだ。ぼんやりしているからだろうな。ぼんやり率がかなり高い。あるいは本を読んでいるうちに気がつくと日が暮れていたり、音楽を聴いていたら、もう真夜中だ。ただ、そうしたぼんやりのさなかに、いろいろなことは考えており、主に演劇のことになるが、ぼんやり考えをめぐらせるうちはまだいい。それをまとめるとなると、そこからは、きっぱりとした「仕事」だ。その境界が大きな壁のように存在する。だからいつも苦労する。

(16:31 jun.13 2005)


Jun.13 mon.  「うそのような空」

■絵本の勉強をしようと岩崎書店のHさんに紹介してもらったのは、長谷川集平の『絵本トレーニング』と『絵本サブミッション』だ。二冊がアマゾンから届いたのでぱらぱらめくっていた。『絵本トレーニング』の最初のページに「この本に登場する人たち」と数人の似顔絵がある。どうやら、長谷川さんが教師になり、登場する人たちに絵本について教える構成のようだ。最後のほうにマンガのコマのようにして描かれた、あるいは、映画の絵コンテのようなページがあって、生徒とおぼしき人が描いた習作らしい。見開きで描かれたそれを私は左上から読んでいった。というのも、この本が横に文字が組んであるから、左から読むのが当然だと思ったからだ。公園のベンチに若い男女がいる。それを犬が見ている。意味はよくわからないが奇妙な味わいのある作品だ。それでしばらくしてから、これは右から読むのが正しいとわかった。つまり私は、反対のほうから読んでいたのである。
■驚いた。反対のほうから読んでも、それなりに作品が成立していると思ったからだ。「お話」としてはよくわからないが、奇妙な味わいが面白かった。ただ、この読み方は、まったくの逆回しではなく、タテに五コマ、それが三列あって、つまり反対というのは三列目からタテに読んでいったということだが、それなりに成立するのは、一列ごとの頭から読んだからだと思う。だが、これはあきらかにまちがった読み方だ。そのことがなにを意味するかまた考えていた。ぼんやり考えているうちに、一日が終わってしまった。きょうの仕事は220文字だった。また神奈川へ七月と八月に教えにゆく「戯曲講座」のパンフレット用のコメントだ。それしか仕事ができなかった。
■で、窓から外を見ると梅雨に入ったというのがうそのような好天だ。それをちらちら見ながら、また原稿を書こうとコンピュータを前にして唸っている。

(11:58 jun.14 2005)


Jun.14 tue.  「横浜を歩けば」

■横浜の「
BankArt StudioNYK」のワークショップの日である。東京ではひどく蒸して暑かったのでTシャツ一枚で出かけたら、横浜は寒かった。海の近くの風は冷たいのだな。
■で、ワークショップには、元筑摩書房の打越さんも参加している。ワークショップ終了後、このノートを読んでいるせいだと思うが、長谷川集平さんの絵本などを見せてくれたり、やけに長谷川さんについて詳しいので、これはもしやと思って家に戻ってからきのう書いた、長谷川さんの『絵本トレーニング』のあとがきを読んだら、やっぱりこの本を作ったのは打越さんじゃないか。今回、打越さんがワークショップに参加しているのは、理論社から出る「よりみちパン!セ」の僕の回を担当してくれるからだが、同時に僕は絵本を作るのに苦労し、岩崎書店のHさんに『絵本トレーニング』を推薦され、そしてそれは、打越さんが筑摩書房時代に作った本だという、なにやらよくわからない循環があるのだった。ぐるぐる回っている。
■それにしても横浜はいい町だ(といっても、横浜駅の周辺ではなく、地下鉄みなとみらい線の馬車道駅周辺だが)。ワークショップがはじまる前、近くにある「
BankArt 1929」を見学にゆくため少し歩いたが、近くに近代以降の古い建築がいくつも残されている。通りの感じもすごくいい。ただ歩くだけでもとてもいい気分になる。「BankArt StudioNYK」には、カフェもあるし、パブもあり、そこからのながめは、運河をはさんで赤レンガ倉庫が見えるという絶好の場所だ。ここはアートを支援する施設として残しておくべきだから、もっと大勢の人が来ればいいのにと思った。ぜったいにお薦めする。一度は行ってみよう。僕のワークショップの見学でもいい。

■帰り道、手伝いに来ている南波さんがこのあとバイトだと話していたのを思い出した(深夜から早朝まで)。六本木ヒルズのなかのパン屋なのだから、途中までクルマで送ればよかった。なにしろ、先週は道をまちがえて駒沢通りを走って山手通りに出たし、すると必然的に中目黒である。そうだ、忘れていた。悪いことをした。

(12:11 jun.15 2005)


Jun.15 wed.  「速球を投げる」

■青山真治監督にメールを書こうと思ったが、青山さんの新しい文庫『月の砂漠』(角川書店・近日発売)の解説が書けず、これでぬけぬけとメールを書くのも申し訳ないし、そう思いつつ、だが、解説のほうもまだ書けない。『月の砂漠』を読むのは二度目だが、最初に読んだとき気がつかなかったこと、あるいは、映画『月の砂漠』を観たときにわからなかったことも、これでだいぶわかった。たとえば、様々な分野の人が「解説」を書いたら、いま僕がわかる範囲でいうと、五種類ほどの解説が書けると思える。効果的に使われた音楽に関する描写も興味深かったが、僕がいちばん興味をひかれたのは、「資本主義」の仕組みの面白さだ。そもそも、「仕組み」を知ることが、私は好きだ。けれどなかなか書けない「解説」を、小説に登場する音楽(ビーチボーイズの『ペット・サウンズ』)を流しながら勢いをつけ、いままさに、書こうとしているのだった。
■友部正人さんにはライブの感想をメールに書いた。ニューヨークにいる友部さんから返事をいただき、ボブ・ディランの最新の記事がネットでも読めるとニューヨーク・タイムズの記事を教えてもらった。しばしば言われるように、ボブ・ディランはいまでもものすごい数のライブをやっている。そうした姿を描写する言葉から記事ははじまる。アメリカの音楽事情がうまくつかめないのだが、マイナーリーグの野球場を使ってウィリー・ネルソンとコンサートをやるというのは、どんな感じのことなのだろう。
■いろいろ仕事を引き受けすぎた。できるような気がしていたのだ。できない。気がついたらもう六月も半ばだ。もうすぐ今年も半分が過ぎる。大学がけっこう大変である。ひとつひとつ、力一杯、速球を投げこみたい。で、あと、八〇年代的なものについて、単純に否定できる側面はもう消えたが、まだ残り香のように漂うある側面について、それを否定することの意味をいま考えている。

(3:04 jun.16 2005)


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