富士日記2PAPERS

Jul. 2007 MIYAZAWA Akio

宮沢宛メイルアドレス

Aug. 15 wed. 「稽古場は世界と通じている」

■若松さんは相変わらず自由だが、きょうはものすごいものを見た。どう言葉で表現すればいいか、仰向けで横になっている状態から、手と足でからだを起こし、その状態のまま、「逆腕立て伏せ」のようなことをしていたかと思ったら、そのかっこうのまま背後に歩き出した。蜘蛛のようだった。呪術だ。おそろしいものを見た。で、ひゅっとからだを起こして立ちあがる。ものすげー。そんな稽古である。さて、後半からラストまでを稽古。だいぶ形が整ってきた。杉浦さんの動きなど、少しアドヴァイスするとすごくよくなる。杉浦さんは演出をすればするほど、どんどんその魅力が出現する感じがする。元々、早稲田小劇場だから、基本はものすごくしっかりしている。そこから、またべつのものを引き出す。というか、自分でも気がついていないものを見つけ出そうと、芝居をじっと見る。
■年長者ばかりではなく、ほかにも若手からもっとなにかを引き出さねば。たとえば、太一はほっとくと、勢いだけで芝居してしまうので、繰り返し雑にやるなと指摘。ただ、勘はいいんだな。ここ、この台詞に変えてと言うと、すぐにそれがどう面白くなるか感覚的につかむ。上村はすぐに考えるから、一度、やって面白かったことが次に面白くなくなると、なぜ最初、面白かったかを「やり方」とかで思考しようとする。形の再現じゃないと言っても、考える。考えない俳優はだめだが、もっとこう、身体的にできないものかと、まあ、上村のいいところもいっぱいあるので多くを求めてもしょうがない。いいんだよ、上村は。二反田のあの、現実感のなさはなにかだ。現実感がないのになぜ青年団の所属なのかが不思議だが、今回は、「鳩男」というまったく現実感のない存在の役。それがやけにしっくりくる。斎藤はうまく言葉にできないがなんか面白い。MAC POWERのT編集長がお気に入りの三科は(というメールをもらったのだ)、そもそも、からだが変である。変な身体をしている。しいていうなら道化的なもの。きのうの写真に写っていた時田は、野村萬斎さんのところで芝居をしている人だが、やっぱり頭で考えすぎか。真面目なんだよな。でも、時田ももっと演出するとぜったいいい部分が出てくると感じさせる。さらにその写真に写っていた、田中、橋本、鄭の三人の女の子たちは、この舞台のなかでもっと成長できればと思っているのだ。佐藤は特権的な人だ。長い台詞を読むと、それは人に真似のできない味を感じる。うまいというのとも異なる。だが、いい。あとアンティゴネの鎮西もいいな。なんだろう、気持ちがいいんだよな、鎮西の芝居は。若松さんとはまったく対極だが。
■ポリュネイケス役の、南波さんは、準備公演のとき後半の長台詞を、彼女のアイデアで何人かで読む演出でやった。リーディングで南波さんの「読み」を聞いた人たちだと思うが、あれは、南波さんの読みだけで聞きたかったという意見をメールでたくさんもらった。僕もそう思った。準備公演は失敗してもいいから、なんでもやってみるという公演だった。失敗は失敗でいいのだ。今回は南波さん一人の読みである。『トーキョー/不在/ハムレット』からの南波ファン待望の長台詞である。

■といったわけで稽古は少しずつ前進。終わってから、まずは映像の打ち合わせ。16日にロケがあるのだ。朝六時半に集合だ。ノートを書いている場合ではないが、早く目が覚めてしまって睡眠時間三時間でロケだ。この炎天下のなか、俺はもつだろうか。イスラエル、パレスティナから帰ってきた岸が素材を稽古場に持ってきてくれたので少し見る。いい絵が撮れていた。岸はすごいよ(その話はまたいずれ)。岸、今野、井上さんの映像班も集まって相談。テオ・アンゲロプロスの『永遠と一日』のラストシーンを見ながら、これはどうやって撮影しているか研究する。こんな絵がとれたらすごいのに。さらに美術の大泉さんと、舞台監督の海老沢さんと、舞台装置の相談。かなり固まってきた。各セクションの仕事は着々と進行しているのだ。あとは音楽だよ、桜井君。
■暑いな。毎日、灼熱だ。そして終戦記念日。靖国問題。稽古は進んでいる。少しずつ熱をおびてきた。稽古場だけで内閉するのではなく、ここは世界と通じている。

(6:14 Aug, 16 2007)

Aug. 14 tue. 「下北沢のこと、岸からのメール」

稽古中

■日記が滞っているのだ。それというのも忙しいというか、家に帰ってくるとぐったりするからだ。稽古ではいろいろ神経を使う。といったわけで、写真は稽古中のひとこま。時田、というのは中央の男だが、彼の表情がとてもいい。
■さて、本日は、午後、下北沢ザ・スズナリへ。下北沢の再開発に反対する一連のキャンペーンの一環として演劇人が出演して「演劇は下北沢に何を求めるか」といったテーマで話をしたのだった。「下北沢再開発」についてあまり詳しくないまま申し訳ないが参加してしまった。下北沢を25メートル幅の道路が分断するという。人が自由に街を歩けなくなくなったら、徘徊や、散策ができなくなったら、その街は死ぬ。再開発はたいてい街から活気を奪うのだ。よろこぶのは誰だ。もちろん、下北沢の現在や過去を懐かしむといった意味ではまったくない。「再開発」の中味が問題なのだが、なにをコンセプトにそうするかについて、もっと議論するべきだろうし、すでに運動を進めている人たちは考えているのだろう。途中参加の僕にはわからないことはいくつもあった。説明を聞かされ、こりゃだめだ、と。開発はとんでもないことになるのは目に見えている。もちろん、「再開発はいやだ」という結論になるのは、下北沢で芝居をしている者からしたら、当然の帰結というか、素朴な意志になる。では、なにが俺にできるかってことだ、問題は。
■ともかく、「ザ・スズナリ」がなくなるのはいろいろな意味で問題だ。そして再開発によって地価が高騰すれば、これまでのようにあの活気ある街は大きな資本によって支配されるのだろう。街が自然発生的に生み出した文化も活気もなくなる可能性は高い。そしてノイズは排除されるのだろう。きれいな街下北沢になる。それで面白いか? きたなきゃいいかっていったらそうでもないが、じゃあ、きれいだったらいいかって言えば、そう断言できる根拠こそ希薄だ。

■下北沢から、森下へ。夕方から稽古。きょうの稽古はなんだか楽しかった。斎藤が面白かった。なんでしょう、あの面白さは。それから後半を少しずつ進める。だいぶ形になってきた。これはおかしいと思うところは、丁寧に直してゆく。俳優もそれに応えてくれる。きのうから三科が稽古に本格的に参加している。後半は、「台詞」ではなく、「ひとつの長い詩」を何人かで読んでいるのだと考えれば、それが表現したいことだったとあらためて思う。「詩」だ。「ドラマ」ではない。そこに求心力がもっと生まれるようにあとはただ読みをくり返すことだと思った。でもそれは「朗読」ではないのだろう。言葉を通じて「俳優」の身体が表出されることが中心にある。
■かなりばかばかしいこともやっている。それは稽古における快楽だな。舞台をやることの快楽でもある。そうでないとつまらない。で、今回はラストがこれまであまり書いたことのない内容だが、稽古して思ったのは、ラストのために俳優がそこまでを芝居している感じになって、これはいかがなものかと思うのだ。そういう芝居なり、映画があるけれど、すると俳優は作品に奉仕することになりはしないだろうか。そんなことを考えた。
■イスラエルに行った岸が帰国した。無事でなによりだった。かなりいい映像を撮ってきたらしい。その岸が向こうから送ってくれたメールを引用しよう。少し長いが。

 この数日というもの、あまりに幸運な偶然が重なり、様々な人に本当にお世話になり、心が揺れ動いてしまいました。一つはパレスチナ自治区の反対運動をしている方と、パレスチナ在住の日本人の学生と交流することができたことの影響があります。
 もう、何日前になったかすら覚えていませんが、来る九月に日本で上演される演劇の出演者(11歳です)に会うためにラマラという自治区に行って来ました。自治区内は、想像以上のバイタリティで、泣きたくなるほどの笑顔と元気で溢れていました。分断壁を見ながら自治区に降り立ったとき、僕を見て笑いかける家族に出会ったときふと思ったのです。
「ああ、ここで沢山の人が死んだのだな」
 なぜそう思ったのかはわかりません、僕はここで何が起こったのかを、何も知りません、本当に何も。ただ、悔しかった、ただ辛かった。何かをこらえながら、ただカメラを回しました。とくに子供からとてつもないエネルギーを感じることができました。
 自治区では、野菜市場にもカメラを潜入させたのですが、僕のところにどんどんと子供が集まってきて、しまいには警察が来ました。その一部始終はカメラに収めています。なんでしょう、あのエネルギーは。全てを笑い飛ばしている、いや、もしかしたら笑い飛ばさずにはいられないだけかもしれません、それが彼ら特有の エクスキューズなのかも知れないし、よくわかりませんが、あまりのことに嬉しいやらなんやらで泣きそうになりました。
 ここに来てもっとも強く感じることは、こちらに住む日本人も含めて強いんです。生きるための力に溢れているのです。エルサレムに着いた時、僕を見たアラブの子供が「ファッキンジャパニーズ!」と言って笑いながら皮肉って来ました。初めて会った人に「ファキンジャパニーズ」と言えてしまう強さに、何だか引っ張られるように嬉しくなり、僕も思わず笑って「ファッキンアラビアン〜!」と言って子供を追廻しました。
 そんなことを肌で感じながら、昨日は妹の旦那の結婚式に出席しました。左の人の意見や現地で感じたままの状態で出席したものですから、なんだか悲しかった。ユダヤ式の結婚式はとてつもなく壮大です。全員で踊ります。おじいさんやおばあさんも、若者に負けじと踊ります。僕たちにとても食いきれないほどの料理を振舞ってきます。生まれて初めて皿に肉を残しました。皆、とてつもなく幸 せそうでした。美しかった。笑った。
 そんな幸せそうな姿を見るにつけ、僕はとてつもなく悲しくなりました。人としては確実にパレスチナ側に立ちながら、今や家族とも言えるユダヤの結婚式に出席しているというぬぐいようのない裂け目に立っているような気がしました。何かを必死にこらえました。こらえながら、必死にカメラを回しました。アンダーグラウンドの結婚式を思い出しました。何を言っているのかわかりませんが、そんな日々です。使えるかどうかはわかりませんが、いい絵が撮れていると思います。

 岸の旅はすごかった。それをやってきた岸に感謝すると同時に感動させられる。日本に到着してからのメールでは、どんな映像を撮影したか例がいくつかあって、「ベツレヘムに行き、分離壁全体と、イスラエル軍に壊された家を撮影しました。分離壁は、地元の人に『それ以上行ったら撃たれる』というぎりぎりの地点まで行って撮影しました。緑色で書かれた危険を知らせるマークも撮影して来ました。パレスチナ人の方の案内を受けて、砲撃を受けた廃墟を撮影して来ました。」と、命がけの撮影もしている。すごいよ。とにかく無事に帰ってきてよかった。なにしろパレスチナの学生とデモにも参加したらしいし、よかったよ、逮捕されなくて。
 舞台は着々と進行している。

(9:14 Aug, 15 2007)

Aug. 11 sat. 「ばみる」

■書き忘れていたが、きのうは稽古が休みだったのだ。戯曲を書きあげることができた。それで新しいところを読み合わせしてきょうの稽古をはじめたが、稽古の前に、美術の大泉さんと美術プランの打ち合わせをした。すでにアウトラインはできていたので、その後、細かく詰めをし、その平面図をもとに床にビニールテープでばみった。「ばみる」というのは演劇の専門用語なのだろうか。詳しいことは知らない。つまり床に美術装置にあわせて印をつけるという意味だ。写真はその模様。稽古場の向こう側にある大きな扉を開けるとそとからまぶしい光が入ってくるが、熱気も一緒に、流れる。外は灼熱。どうなってるんだ。
■稽古している森下スタジオには三つの稽古場がある。隣の稽古場を使っているのはパルコ劇場の舞台だ。演出は岩松了さんだ。このあいだ会って少し話しをしたのを書き忘れていた。あちらは派手な舞台らしく、いわゆる芸能人と呼ばれるような人がロビーにいる。ベンツとか、そういった高級車で森下スタジオまで来るらしく、駐車場にずらりといいクルマが並んでいる。そのなかに僕のおんぼろなゴルフがあるわけだ。動かなくなるまでゴルフを乗り続けてやろう。よく走ってくれるからな。まあ、そんなことはどうでもいい。
■さて、稽古。まだ細かいことはあまりやっていない。ざっと流すように各シーンをやってゆく。それときょうは、ばみった舞台の使い方を確認した。うーん、なかなかにこれはむつかしい。でも、これまであまりやったことのない舞台の使い方なので、ここからまたべつのことが生まれるような予感がしている。若松さんは相変わらず自由である。どこでいま無駄に動いている芝居を整理してゆこうか考えているものの、でも、あんまり窮屈にならないようにと、そこらへんが演出するのに悩むところ。でも、これまで「リーディング公演」「準備公演」と連続してきた俳優との呼吸のようなものがまだうまくつかめていないので、時間をかけてゆっくりやってゆこう。それから、「準備公演」ではまだあまり細かく演出していなかったところも、あらためて細密にやらなければ。もっとよくなるはずだ。それから、ラストシーンは「映画」なのだが、それも考える。音楽を担当してくれる桜井君が来た。一曲、音楽を作ってきてくれた。これをどこに使おうか、それも考える。考える考える、じっくり考える。戯曲を書きあげたが、舞台のことばかり考えている。なにか、まだ自分でも気がついていないことがあるんじゃないだろうか。あらためて再考。稽古をしながらまた新たな発見があればと思う。

■そういえば、早稲田の学生が同人で作っている文芸誌の取材を受けた。僕の授業に卒業してからももぐっていたY君がインタビューをしてくれた。インタビューというより、雑談をする感じで楽しかった。「美術の打ち合わせ」→「稽古」→「取材」→「音楽の打ち合わせ」と、休む間もなく一日が過ぎ、疲れたものの、充実していた。そういえば、パレスチナ自治区に入った岸からメールがあったんだな。エルサレムの「嘆きの壁」や、PLOのアラファト議長の墓も撮影したという。そのメールはあしたにでも引用しよう。それにしても暑い。

(12:27 Aug, 12 2007)

Aug. 10 fri. 「稽古の記録と、戯曲」

■戯曲は脱稿した。これからもう一度読み直して推敲する。第一稿から考えればかなり書き換えたところもある。で、少し稽古のことを記録しておこう。8日(水)はできたところまでの戯曲を読み合わせしたあと、少し立ち稽古。若松さんの部分を中心に稽古した。いろいろなやり方を稽古として試している。まるで好き放題にやっている感じだが、『鵺/NUE』のときもそうだったので、だいぶ慣れた。こちらが予想もしていなかった芝居をする。でも、だんだん整理されて形になってゆく。その予想もしなかった芝居は刺激的である。というのも、僕は戯曲を書いているとき、人の動きをだいたい予想しているが、それを裏切ってくれるからだ。いろいろな意味で裏切ってくれる。なにしろ僕が考えてもいなかったことになっているからだ。
■それからカメラマンの今野の部分も少しずつ稽古だ。最初は棒読みの台詞だったが、少し変化している。まだ時間があるから、なにも心配していない。ぜったいよくしてみせる。べつに演劇的な演技を要求しているわけではないのだ。もしそうだとしたら、俳優にカメラを任せたと思う。だが、それだとやりたいこととちがうのだ。カメラマンが演技をしているからこそ意味がある。カメラマンが、カメラを手にしたまま語り手になっているからこそ、このアイデアが生きる。だけど最低限のことはしてもらうつもりで、だから細かく稽古する。
■「リーディング公演」「準備公演」と、ずっとやってきた俳優は、そのとき作った芝居が固定されてしまいがちだから、その部分もまた、新鮮さを取り戻すために、ちがった稽古をしてゆくことにした。少しずつやってゆこう。チェルフィッチュの太一は面白いが、ほっておくと雑になるところがある。うまく演出すればもっと魅力的な部分が出ると思う。一人一人の俳優にいいところを引き出せたらと思う。みんなが魅力的に見えれば、それがなんらかの舞台の成果になると思うのだ。いつも考えていること。むしろ、新たな魅力を発見できたら、それが演出の醍醐味だとすら思う。もちろん、僕のやりたいことだってある。試してみたいことがいろいろある。たとえば、ライブ映像の演出は、ただただ、僕の快楽だ。面白くてしょうがない。

■そういえば、イスラエルに渡った岸だが、向こうからの連絡によるとパレスチナ自治区に入ったとのこと。すげえな、岸。

(1:47 Aug, 11 2007)

Aug. 7 tue. 「稽古をしている」

稽古場にて

■朝早く起きて戯曲の、第三稿を書いていた。「リーディング公演」で読んだのは「第一稿」、「準備公演」で使われたのは「第二稿」だ。この稽古のために「第三稿」を書いているが、さらに稽古のなかで直してゆくだろう。それでようやく上演台本になると思われる。稽古をするのは、時間と、俳優の身体による推敲だ。それはつまり、この舞台のための。で、残しておきたい戯曲の最終稿はそれともやや異なる。などと、四の五の言わずせっせと直す。だいぶ進んだ。じっくり丁寧に直したつもりだが、やや焦っていたか、読み合わせをしたらト書きなどおかしな箇所がいくつかあった。自分でちゃんと推敲してないよ。連載のエッセイで、かなり焦って書いたときは、書いたら読み返しもせずメールで編集者に送信することがある。あとで読み返すとひどいことになっている。なにごとも丁寧でなければ。
■まだ読み合わせの段階。とはいえ、「リーディング公演」「準備公演」とやってきた俳優たちはかなり読みが進んでいるのは当然なので、若松さんのペースで進行してゆく。まずは読むことから。まだ手探りの進行だ。まだはじまったばかり。三科が、自分の劇団の公演があるということで休み。それ以外のところを少しずつ稽古してゆこうと思うと、若松さんのほかに、今回、これまでまったく芝居の稽古をしていない者がひとりいるので、まずはそこから。というのも、なにしろ芝居をすることがほぼ初めての経験になるので、稽古しないとまずい。それは「準備公演」でカメラを担当していた今野だ。映像、というか、カメラを操作するのは「準備公演」ですでに経験済みだが、あのときは台詞がなかった。今回はある。カメラマンがしゃべる。かなりしゃべる。その稽古。むしろこれから毎日のように今野の稽古をすることになるような気がする。
■以前、僕の演出助手をしていた相馬のブログを読んで、相馬が栃木にある栃木高校の演劇部出身だとはじめて知って驚かされたのは、このあいだ書いた高校演劇全国大会で優秀校のひとつに選ばれたのが栃木高校だったからだ(詳しくは相馬のブログを読んでいただきたい)。栃木高校が上演したのはナンセンス喜劇だった。過去、山形にある高校が作った戯曲を元に上演したらしいのだが、最後までナンセンスなままだったら、僕も強く推した。残念ながら、途中でメッセージのようなものが語られそこで熱演するので、それはいかがなものかと思ったのだ。ただ、あの「メッセージのようなもの」がなかったら、ここまで残らなかったのかもしれない。そういうものです。ラストが胴上げで終わるのはよかった。ばかばかしかった。胴上げは、もっと勢いよく、高くあげたらいいのに、なにか安全策をとっているのがな。でも、「どういう理屈だ」という台詞は笑った。12本の高校生の舞台を観て、声を出して笑ったのは二箇所だったが、そのひとつがこの台詞だ。あとひとつは、追手門学院大手前高校の舞台で、「人生ゲーム」をやってる一人が「花屋になってもうた」と言ったときだったかな。またその話はいずれ。というか、国立劇場で彼らの舞台が再演されるのが、八月二五、二六日。翌日の二七日、NHK−BSで「青春舞台2007」という番組がある。そこで上位四作品が放映されるけれど、生放送のその番組には僕が出演するだろう。

■それはともかく稽古である。なにより稽古だ。戯曲を直さなければならない。丁寧に。丹念に。あとで後悔しないようにな。

(11:17 Aug, 8 2007)

Aug. 6 mon. 「近況」

■毎日、暑い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょう。五日から稽古がはじまったのだった。戯曲の直しがまだできていない。これまでやった、二回のプレ公演(「リーディング公演」と「準備公演」)をもとに丁寧に直している。第一稿の、最初の衝動みたいな勢いで書いたものをあらためて直す作業だ。ゆっくり考える。でも、稽古は進行してゆくのでゆっくりもしていられない。映像の岸は、イスラエルに到着したとのこと。エルサレムで「嘆きの壁」を撮影したという。すごい勢いだ。ヨルダン川西岸地区に行ってしまわんばかりの勢いである。若松武史さんも合流していよいよ本公演の稽古ははじまった。もっといいものにしようと思う。稽古もまた、じっくり集中しようと思うけれど、どうにも暑い。もちろん森下スタジオの稽古場はエアコンが効いているので涼しいとはいうものの、外との気温差はあるし、きわめて不自然な状態にからだをおいているのだろう。このところ、ノートがとぎれがちだが、これからは毎日、少しでも稽古のことを記してゆくことにしよう。きのうは稽古が終わってから、舞台監督の海老沢さん、美術の大泉さんと打ち合わせ。ざっくりとした美術案ができた。少しずつ舞台に向かって前進している。形になってゆく。戯曲がな、まだ、不完全だけど。うーん、暑いよ、それにしても。

(13:36 Aug, 7 2007)

Aug. 2 thurs. 「松江から」

台風直前の宍道湖

■高校演劇全国大会の審査をするため、島根県松江市に来ていたのだ。一日に五本の舞台を観て、それが二日、最終日は、二本の舞台を観る。合計で12本である。こんなにまとめて舞台を観るのは私としては初めてのことだった。台風は近づき、最終日はなにやらわけのわからない熱気をはらんでいた。「高校演劇」とひとまとめに、なにかあるジャンルが存在すると思っていたが、それは表現のレベルではまちがった想像をしていたというのがいまの感想だ。一言では語れない質が各校にあり、いろいろな表現があった。全国大会に出場する高校はどこも、いくつかにわかれた地区のブロックの最優秀校が選ばれて出場するのだから、それなりのレベルをもっている。
■たしかに、高校演劇が上演されるのが大きな劇場ということもあって、おそらくその会場で声が通るということを意識しているのだろう。声はすごくはりがちだ。それと台詞をしっかり審査員に届けなければいけないと意識しているのか、独特の発声、台詞回しが一部の女子高生に特徴として感じたが、これ、どこかで聞いたことがあると思って考えるに、それは三坂です。
■オリジナルの戯曲を上演する学校は、主に高校生の日常が描かれる。するとどうしたって世界は狭くなりがちだし、あるいは、「青春」「旅」「わかれ」「再会」「友情」「恋愛」といった話が主流で、それ、ふだんの俺だったらかなり否定的になるだろうが、なぜか許せたのは、それは彼らの「特権性」だと思った。大阪の高校生たちは芝居が達者で、コメディータッチの前半、会場はわれんばかりの盛り上がりだったが、その空気、高校生が作り出す奇妙な熱気に、審査している僕も影響されないわけがない。ふだんだったら怒るかもしれない舞台を許せる。むしろ、面白く見ているのだが、それは高校演劇の渦中にあって、私もその空気に酔っていたのかもしれない。なにしろ1400人が入る会場が満員だ。ものすごいことになっているのだった。だから、来年の夏、群馬で開かれる高校演劇の大会にみんな行ってみたらいかがでしょう。そこではまた異なる「演劇を観る環境」が存在している。

片付けをしている高校生

■あと、ひとつの上演が終わると僕は煙草を吸いに外に出るが、灰皿があるのが搬入口の横で、いま上演していた高校がすぐに装置をばらしてクルマに積んでいる姿を見てしまうわけだ。たまたま、ある昼休みの直前に上演のあった高校の片づけを煙草を吸いながらぼんやりながめていた。次の上演があるまで時間があったので、しばらく見ていると、片付けを終え、そして演劇部の父兄も集まって輪ができた。部員の代表が感想を父兄らに報告をする。僕が知っているのとはまったく異なる演劇がそこにあると思った。
■いろいろ感想はある。もちろんいいところばかりではなく、考え方をまちがえている学校もあった。「演技する」ということにもう少し疑いをもったほうがいいんじゃないかと思いもしたが、それはべつに、高校演劇に限った話ではないし、たとえば東京で上演されるいくつもの舞台で見かけることだ。松田正隆の『紙屋悦子の青春』を上演した静岡県の冨士高校には感心したな。ほかの舞台には、わーっとしたにぎやかさがあり、きっとそのほうが演じていて楽しいと思うのに、冨士高校は、その戯曲にあるディテールをおざなりにせず、丁寧にひとつひとつの行為を演じている。丹念なディテールの積み重ねがこの作品の構造を浮き彫りにする。それを緊密に演じた彼らに感心したのだ。

■で、最優秀作は、岐阜農林高校の、『躾ーーモウと暮らした50日』だった。これは構造的には、『ET』だ。三本足で生まれてきた牛を育てる過程で、だめだった高校生が成長するという話。これだけ書くと、どうなのかと思うかもしれないが、僕もこの作品を一番に推した。結局、障害を持ち、そして乳牛だがオスだった、「モウ」と名づけられた牛は業者に売られてゆくわけだが、その業者の描写がいい。牛に対してなにも感傷を抱かず鼻歌を歌いながら牛を連れてゆく。それをべつに否定的に描くわけでもない。
■そしてこの劇には、生きている「牛」と、スーパーで売られているパックになった「牛肉」のあいだになにがあるか、その過程を想像させるものがあり、彼らのなんらかのメッセージが見えない部分にこめられているのを感じる。もちろん牛は「無対象」で演じられる。売られることが決まって主人公は、住んでいるマンションに牛を連れてきて、家族を驚かせる場面があった。くだらなくて大変にいい。その主人公を演じている山田という役名の女の子の魅力がこの舞台を支えていただろう。先に書いた、独特の発声やせりふ回しではなく、はじめ学校になじめず、ぜんぜんやる気のない山田は、ほんとにだめなんだ。だめだったなあ。ほんとにだめだった。見事な配役だ。それというのも、ほかの作品に、いじめを受けて自殺を考えている高校生が登場するんだけど、どう見たって、いじめを受けそうにもなければ、自殺を考えているとは思えない快活な男子だ。それはそういった演技体系だからしょうがないのかもしれないけれど、そんなに快活で、なぜ自殺を、って思うじゃないか、ふつう。だが、山田はちがった。やる気がなかった。そして、だらっとさげていた髪を、うしろで束ね、作業をはじめるところから山田の成長がはじまる。だが、山田の演技はそんなに変化しない。髪を束ねただけだ。それも素晴らしい。この劇について、審査員のなかには、「躾」というタイトルにしては「モウ」という牛が出てくるのが遅いという意見があったが、よく考えてみると、しつけられるのは牛ではなく、その三本足の牛によって山田がしつけられたのだ。だから、主体は山田だ。山田を描写するために牛の登場が遅くなった。それは劇の構成としてまちがってはいない。

■というわけで、さらに書きたいが、いま松江のホテルである。もうチェックアウトしなければならないのだ。飛行機に乗り遅れるかもしれないので、もう出るよ、俺は。つづきはまただ。

(10:17 Aug, 3 2007)

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