富士日記2PAPERS

Apr. 2007 MIYAZAWA Akio

宮沢宛メイルアドレス

May. 15 tue. 「寝不足だが憲法とメディアについては話す」

■午後、「憲法メディアフォーラム」の取材を受ける。このあいだ毎日新聞の取材と書いたのは僕のかんちがいだった。取材してくれたのが、毎日新聞の記者の方だったのだ。
■「国民投票法」と、「改憲」の動きについていくつか考えていたことを話す。ただ、基本的に僕は、演劇をやっている者なので、そこにおいて実作者の立場から事態をどう見つめているか、そのことから喚起されて表現になにが反映しているかという話が中心だ。というのも、そうでなければ、僕が話す意味はないと思うからだ。まあ、基本知識として、第九条の「一項」をほぼ変えず、しかし、「二項」を変えるというのはまやかし以外のなにものでもないのは押さえておきつつ。それと同時に、戦後、いつか憲法を変えようと思っていた人たちがそれをできずにいたのに、いま、改憲に積極的な人間が、僕とほぼ同じ世代の人間から出てきたことに考えることはある。
■夕方から「かながわ戯曲賞リーディング公演」の稽古。きわめて大雑把な立ち稽古であった。アウトラインを作る。これからもう少し細かくやってゆく。昨夜(14日の夜)から、『ノイズ文化論』の直しをし、それからいったん眠ったものの、あまり眠れず、午前中からぎりぎりまで、さらに直しをしていた。結論が出ない。睡眠不足でかなり疲れて取材を受け、そして稽古。稽古後、スタッフとミーティング。ぐったりした。家に戻って、また『ノイズ文化論』の直し。というか、このあいだから繰り返しているのは、三人の方との対談形式の授業の直しだ。うーん、これもっと楽にできるかと思ったが、けっこう大変だ。

■時間がなくなってきた。焦る。『ニュータウン入口』の戯曲の第二稿も直して俳優たちに渡さなくてはいけないしな。でもって深夜、「一冊の本」の連載を書きあげる。そういえば、北京オリンピックは、「グリーンオリンピック」ということになっているらしい。その意味がわからないけどね。オリンピック期間中、北京では、「すべての景勝地や文化遺産がある公園のレストラン、それにオリンピック期間中に使用されるホテル、オリンピック競技場とオリンピック村にあるそれぞれのレストラン」が禁煙らしい。ほかにも、中華料理店、イスラム風レストランなど、外国料理のレストランが協力すると報道されていたが、まあ、こっちから行く者はまだしも、元々の住民が大変だ。ことは「禁煙」って問題に限らない。「グリーンオリンピック」的なイデオロギーがなにやら腹立たしいのだ。世界はそうなってゆく。中国でこのところ問題になっているのは典型だ。資本は自然を収奪してゆく。急激な変化が典型としてあの国で起こっている。かつて高度成長時代の日本がそうだったように、それは資本が持っている本質なのだろう。

(17:17 May, 16 2007)

May. 14 mon. 「稽古がはじまった」

■「かながわ戯曲賞リーディング公演」の稽古がはじまった。西新宿にある花伝舎という施設である。読み合わせをしてから、すぐに立ち稽古。といっても、リーディング公演なのであまり動きはない。とにかく戯曲を、あるいは戯曲にある言葉を伝える演出をしている。これが自作の戯曲ではなく、戯曲賞の受賞作だからだ。もちろんネット上にアップされている戯曲を読めば、ある程度の戯曲読みならわかるかもしれないが、それでも俳優の身体を通じていかに言葉が伝わるかを心がけている。
■少しずつ整理してゆく。ここはこうしろといった演出は、まだあまりしていないが、戯曲の魅力は、僕が読むところではここではないかと思うような部分は、きちんとしたい。稽古後、もう夜の10時を過ぎてあまり時間はなかったが、出演する俳優らと西新宿の高層ビル街のなかにある居酒屋に入ってこのメンバーでは、はじめて話をゆっくりした。短い稽古だし、公演も短いが、それでもいろいろな人に触れるのはとても面白い。いろいろな人がいるのだなあ。そして、できるだけ大勢の人に会場に足を運んでもらいたい。詳細はこちらである。
■家に戻って、また、『ノイズ文化論』の直し。もっとうまく整理できないか悩むところだが、どこかで結論を出さないとな。でも、少しずつからだが暖まってきた感じだ。テレビブロスのゲラがFAXで届けられたが、黒地の部分があって、その上に文字。ぜんぜん読めないよ。でもまあ、なんとかなった。ドキュメンタリー映画作家の土本典昭さんに関した原稿を送ったことはすでに書いたが、先方のHさんから受け取った旨のメールがあり、「一番最後になるのではないかと思っていた宮沢さんの原稿が一番乗りで驚きました……」とあった。そうだったのか。でもって、国民投票法。やる気まんまんの安部。やる気を出すなよといいたい。ほかにあると思うんだ、やるべきことはまだ数多く。とりあえず、いい舞台を作ろう。

(13:14 May, 15 2007)

May. 13 sun. 「仕事を引き受けすぎた」

■一日、『ノイズ文化論』の直し。とりあえず、授業に来ていただいた三人の方との対談形式の回を直す作業を、このところずっとしていたのだ。つまり三本分。意外と長いよ。ほぼ直し終えたが、これでいいのかわからず、またあらためて読み直す。さらに直す。だが、まだなにかちがうような気がする。そこできょうは力つきた。授業のときは、ライブ感があるから、お互いの話がつながっているようでも、文字にすると妙なつながりになる。
■ぐったりした。ゴールデンウイークに入る直前からずっと原稿を書いている。『ノイズ文化論』もまだ四分の一が終わったところだ(まだ、直しているが)。これをすませたら、次は、『ニュータウン入口』の戯曲の直しだ。あと連載もあるのかよ。読みたい本が山ほどある。で、「かながわ戯曲賞」のリーディングの稽古があって、それから今月は、北海道に行ってレクチャーをする。すいません、仕事を引き受けすぎました。
■今週、毎日新聞のWEBでの記事の取材を受けるが、それが「憲法」についてだ。とうとう、そういったテーマでなにかを話すようなことになったか。これに関しては断固とした意見を言いたいが、もう少しゆっくり考えて発言したい。そういう準備もできずに取材を受けなければならない状況だ。だが、あした「国民投票法」が国会を通りそうだというじゃないか。どうやら、最低ラインが決められていないという。たとえば、投票率が30パーセントしかなくて、その投票で全国民の10パーセントの賛成しか得られなくても、国民投票の決議が有効になるってことはさ、国民投票で、「あしたから日本人は全員、バミューダを履くこと」と国民の10パーセントの「バミューダ好き」が投票しても、そうなってしまうかもしれないのだ。いやだよ、そんなのは。そして憲法もいま、その運命の渦中にある。

(4:12 May, 14 2007)

May. 12 sat. 「高円寺へ」

高円寺の町で

■仕事のあいまに、高円寺に行った。松倉がCDを出したのを記念してライブをやったからだ。場所は「円盤」というお店で、去年の夏、『東京大学「80年代地下文化論」講義』の出版に合わせて、川勝さん、下井草さんと話をさせてもらった場所だ。高円寺の駅から線路の脇にある細い路地は左右に飲み屋が並び、しかも、歩道までテーブルを出して妙な活気にあふれている。去年、来たとき驚いたが、これから暑くなるともっと熱が高まるのだろう。
■仕事は、「ノイズ文化論」の直しもあるが、なにより苦労したのは土本昭典さんについての原稿を何度も書き直す作業だ。どうもわかりづらいことを書いているようで、もっとシンプルにならないかそれを繰り返していた。ある程度のところで区切りをつけて、依頼されたHさんに送信した。送信したあとでまた読み返し、ちょっと間違えたところをまた書き直して、さらに送信。また読み直して、ここはこの言葉のほうがいいと思う箇所を直してあらためて送信。そんなことをしていた。
■松倉のライブは七時半からだった。ピアノの渡辺勝さんをはじめ、チューバの方や、アコーディオンの方、ギターの方などプロのミュージシャンに演奏してもらって音に厚みがましていた。クラシックのコンサートをプロデュースしているY君もギターで参加していた。
■それで、きょうひとつ発見したのだ。松倉の歌には妙な説得力がある。だから、「雛はかわいい、雛はかわいい。亀は泳ぐよ、亀は泳ぐよ」という、松倉の自作による「気絶せんばかりの詩」を歌っても、うっかりしているといい歌に聞こえてしまうことだ。それに気がついて、笑いだしそうになってしまった。私は思うに、この歌詞がおかしいのは、まず繰り返しているところだ。繰り返す必要があるだろうか。なにしろ、「ひなはかわいい」である。子どもの言いぐさである。繰り返すとなおさら、子どもじみてしまう。だからどうしたって、カヴァー曲がよく聞こえる。音楽的にも、歌詞としても、深みがあり、それを松倉が歌うととてもいい。音楽のことももちろん大事だが、とりあえず「歌詞」だけでもなんとかさせなくては。これはまだ、僕がアドヴァイスできる「言葉の世界」の範疇だ。まず、あれだな、アカペラで歌を作ることをやめさせることではないか。ただ、するするっと口から出てしまうだけでは、言葉に対する感覚が磨かれない。うーん、言葉に対する感覚はなあ、すぐにできることじゃないのが、問題だが。どんな世界でも創作することはむつかしい。深夜、そんなことをアドヴァイスしてメールで松倉に送る。

■でも、そう考えていると、創作については自分にもあてはまるので、もっと書けるようになるためにしておくことはなにかふりかえる。松倉にメールを書きつついろいろ考えていた。でも、とりあえずいまやらなくちゃいけない仕事だ。『ノイズ文化論』だ。去年の「80年代地下文化論」のときの悪夢がよみがえる。死にそうになりながら直しをしていたんだよな。現実はここにある。相馬のブログが久しぶりに更新されおり、土本さんの映画を観にアテネフランセに行ったのを知った。いい文章だった。僕も行きたかったが家で仕事をしていた。その仕事っていうのが、土本さんについて書く原稿で、なんだかよくわからないことになっていたのだ。

(12:01 May, 13 2007)

May. 11 fri. 「今週のこと」

■ふと気がついたが、いわゆる「スパムメール」っていうか、もっと端的に書くなら「エロメール」ってやつが、ゴールデンウイーク中はほとんど来なかった。週があけたとたんまた届くようになったのがたいへん奇妙である。連中も休むのだな。するとその組織はある種の企業体をなしているのかと思った次第だが、むかし、「出会い系サイト」のサクラのアルバイトをしている人から耳にした情報によれば、サイトを運営しているのがどうやらIT関連企業だという話だった。表の顔はまっとうな会社で、裏で「出会い系サイト」を運営する。だったらゴールデンウイークでお休みするのもいたしかたあるまい。っていうか、なんか、休むなよと言いたい気持ちにもなるが、迷惑メールの、あの執拗さを考えると。
■木曜日あたりからいくつかの原稿のゲラが届いたので直して返送。最近はPDFファイルにしてメールで送られることがしばしばある。あれをプリントアウトするのに時間がかかるのだった。うちの環境がだめなのだろうか。あるいは、PDFファイルをコンピュータ上で直す手だてはなにかないだろうか。で、また原稿を書いたのは、テレビブロスへの短いエッセイ。それから土本典昭さんに関する原稿を一気に書きあげたが、どうも変な文章になっている。何度も書き直す。まだ直している。
■からだの具合が悪いってことでもなく、少し疲れたので、鍼治療をしてもらったのもやはり木曜日のこと。相変わらず鍼は痛いよ。からだが少しほぐれた。鍼治療をしてくれる先生は、かつての先生の息子さんで二代目になるわけだけど、ものすごいゲーマーなのだった。治療中、ほとんどゲームのことを話していてそれがなんだか面白い。最近は、「Wii」の釣のゲームにはまっているらしい。「Wii」本体は70才の患者さんから譲られたという。それというのも、買ったはいいものの、さすがに70才の方に「Wii」は無理だった。やたら僕にもすすめてくれるが、いまは、まったくゲームに興味がわかない。
■以前もメールをもらったGさんという方から、『ニュータウン入口』の感想を再びメールでいただいた。その中に、こんな記述があって、これはなんらかの形で舞台に使いたいと思った。

 ニュータウンの住民たちは、本当に優しいです。前住んでいたマンションでは、子どもの足音や泣き声がうるさいと文句が出たのですが、ニュータウンの戸建ては一軒一軒ゆったりと作られており、たまたま垣根ごしにお隣さんと話す機会があって、子どもがうるさくしてすいませんと言ったら、「天使のような声を聞かせてもらえて、こちらこそいつもありがとうございます」という優雅なことばをかけてもらえるほど、みなさん優しいです。

 つまり、こうした具体性をもっと取材すべきだった。「ニュータウン」に住む高校生に話を聞いたのはとても貴重な体験で、それでわかったことがいくつもあった。Gさんはまさに「ニュータウン」に土地を買ったとのことで、『ニュータウン入口』に登場する若い夫婦に自分たちを重ね合わせて観たというが、白水社のW君からアドヴァイスを受けたのもそうした具体性と無縁ではなかった。たとえば、土地を前にして理想はどんどんふくらんでゆくというような意味の話をW君はしていた。きっとそうなんだよな。考えてみれば、僕の家は建築業だったから、子どものころから、そうした人たちをたくさん見てきた。忘れていた。家を建てるというのは個人にとって大事業だ。様々な、人の思いがその事業に託されているのだろう。それを、よくもまあ、あの父親に施主さんたちは託していたと、いまになって考える。ま、父親の話を書いたら小説になるほどあるが、俺はいやだな、そういうのはべつに書きたくないな。

■鍼治療を受け、歯科医にも行き、あと時間があったら人間ドックにも行きたいが、なにが怖いって医者から、「なんで、こんなになるまでほっといたんだ」と言われることだ。いやだよいやだよ。そういうのがなによりいやだ。医者はなぜ怖いんだろう。というか、ときどき、ものすごく腹立たしい医者に会うことがある。十数年前のことだ。交通事故にあった。どこも怪我をしなかったが、相手側(あるタクシー会社で、つまり加害者側)が病院に行けというので検査してもらった。そのときの若い整形外科医をぶんなぐってやろうかと思った。それというのも、交通事故であわよくば多額の補償金をもらおうとしている者のように、患者をあつかうからだ。俺はべつに医者に来たかなかったんだ。レントゲン写真を見ながらあざけるように、「どこも悪くないねえ」と若い医師は言った。少しいやな笑みを浮かべて。殴っていいのかなと、私は一瞬、思ったのだ。殴ってほしいのかなとさえ、思わせる態度である。もちろん、良心的な医師たちが大勢いるのもよく知っている。だけど、そうした一部のばかは、一部だけによけい腹立たしい。医者のくせに、ばかっていうのが、許せないじゃないか。

(7:15 May, 12 2007)

May. 9 wed. 「岸のものすごい撮影プラン」

■このノートを読んでくれた未来社のNさんという方から、先日もここに書いた「未来」(未來社のPR誌)を何冊か送っていただいた。とても感謝した。なによりうれしいのはこのノートを読んで連絡をいただいたことだ。打てば響くと申しましょうか、書いていることのよろこびがある。ほんとにありがとうございました。なにかあったときネットがいいのはレスポンスの早さか。ことばが誰かに届く時間の早さ、それに反応してくれる方のことばもまた、こちらにすぐ届く。ほかに、ネットになにかいいことがあるかとなると、よくわからない気もするが。
■そういえば、このあいだ、まだ読む本は古典を含め数多くあるから「読書」に対してなんの悲観もしていないと書いたが、ただ、本が売れないってことになると、新しい書き手や、新しい潮流が出現できないことはやっぱり問題で、それは文化全体の問題になる。だから、そうやって大きな目で見れば、たとえば「青山ブックセンター」が倒産か、といった話が出たとき、自分は地方の人間なので青山ブックセンターがつぶれようが関係ないとどこかに書いていた人がいたが、それはいかにも生活者の視点だ。生活者の感覚や視点を否定しないし、むしろ尊重されてしかるべきであり、日常的な視点が悪い訳じゃない。けれど、「文化」の問題としてそれを大きく見ることもきっと必要だ。「青山ブックセンターがつぶれようが関係ない」と言葉にできる人は、自分の家の近所にある本屋がつぶれたってべつに関係ないだろう。すべてがつながって大きな文化として成立している世界が見えないからだ。
■この二日ばかり、いくつか、それはたとえば、「かながわ戯曲賞」の選評や、「dictionary」というフリーペーパーから依頼された、それぞれ短い原稿を書く。連載をほぼ書き終えたのでやらなければいけない仕事が片づき、次は「ノイズ文化論」の直しに集中しようと思っていたら、まだあったと気がついたのだ。あといくつかの忘れていた仕事がある。

■きょうの午後は、『ニュータウン入口』の映像スタッフが家に来て打ち合わせをする。スタッフに応募してくれたIさんと、京都の大学で教えているときの学生だったKだ。さらに、妹さんがイスラエル人と結婚している岸も参加。さらに美術を担当してくれるOさんも話しに加わってくれた。で、話しをしていると、岸はすっかり、イスラエルに行く気になっていた。具体的にどう撮影するかすでに考えている。たとえば、日本で撮影したあるモノをイスラエルまで運び、むこうでの映像にもそれが映るとか、こっちで撮影するときモノが映りこんでいて、それがカメラ移動で、こう、モノを残しつつべつの風景に変化する、で、日本の映像からイスラエルに移り変わったら面白いとプランをたてているが、その「モノ」がかなりでかい。たとえば「ニュータウン入口」と描かれた看板とかを想定していて、それどうやって運ぶつもりか質問すると、しょってゆくという。で、Iさんから、そのモノを寸分の狂いもなく同ポジにしないと面白くないし、そのためには撮影するための特別な機材が必要でしょうと指摘されると、手動で、百回ぐらい撮影すればなんとかうまくゆくんじゃないかと話す。ものすごいことを考えている。岸だったらできそうな気がするから不思議だ。まだ具体的ではないがいくつかプランが提案されて映像の作業は面白くなりそうだ。
■そのあと、新しく連載をはじめることになった雑誌の編集者と打ち合わせ。「CIRCUS」という雑誌のSさんという女性だ。わりと若い男性向けの雑誌である。こういった雑誌に連載するのも久しぶりのような気がする。でたらめなエッセイを書く場所があまり最近はなかった、というか、その手の雑誌から注文が来ないが、これはかつて、もう十数年前の「宝島」に書いていたような気分で書けるかもしれない。でも、考えてみればもう私もいい年なので若者向け雑誌ってこともないのかもしれない。雑誌を見るとグラビアアイドルの写真がばーんと掲載されている。そりゃあ、悪い気はしないさ。むしろ大歓迎だ。でも、グラビアアイドルらしき人は名前と顔が一致しないし名前だけ言われてもちっともわかりゃしない。グラビアを見ていても思ったが、そういう人たちってものすごい数いるんだな。
■「ノイズ文化論」の仕事が進まない。せっぱ詰まる前にこつこつやっておかなければならないのだ。けれど、ジュディス・バトラーの『アンティゴネーの主張 問い直される親族関係(青土社・竹村和子訳)が、バトラーのほかの著作に比べたらずっと読みやすいのでつい読んでしまったりして仕事は停滞だ。なんとかしなくてはいけない。土本典昭さんに関する原稿もあるし、あと、いくつかの原稿。そういえば、映像チームのKは、京都の大学でドキュメンタリー映画監督の佐藤真さんの授業を受けていた。このあいだ書いた土本さんの映画はほとんど見ている。やっぱり『ドキュメンタリー 路上』は面白かったという。Kに教えられたが、あれは、ゴダールにも評価された作品だったのだな。あと、小川紳介さんのドキュメンタリーのカメラマンだった田村さんは、青山真治さんがしばしば口にし、青山さんの作品でずっと撮影をしている田村さんと同一人物だとようやく、僕のなかで記憶がつながった。こういうのって、パズルが解けたときのような気持ちよさがある。

(14:01 May, 10 2007)

May. 7 mon. 「日本でいちばん美味しい立ち食いそば」

■新しい週がはじまった。心機一転、仕事にとりかかろうと思う。そのあいまに、土本典昭さんの『映画は生きものの仕事である』を読む。つい読んじゃっていけない。というのもとても興味深い話が書かれているからだ。対象になる人たちにカメラを向けることはそれだけで大変な仕事だと教えられる。かつて『阿賀に生きる』の監督である佐藤真さんが話していたのは、その土地に入って挨拶をあたりまえに交わすことができるようになるまでにかなり時間が必要であり、さらにカメラを回すのに半年かかるといった内容だった。ドキュメンタリーを作るのにどれだけ、人との出会いが重要か、人との関わりに意味があるかという話だ。ただカメラを回してりゃいいわけではない。人との関係と時間の蓄積が映像になる。
■そういえば、『ニュータウン入口』についての感想を早稲田の卒業生のHが送ってくれたが、やはり古典に関する多少の知識がないとわからない部分について触れていた。そこ、わからなくてもべつに構わないといった書き方がきっとあるんじゃないか、あるいは、わかったに越したことはないが、古典の知識についてわからないことを忘れさせるというか。それは技術だな。古典の知識を劇中で説明するのではなく、わからなくても構わないことを観客が納得する書き方だ。もっとうまくなりたいと思った。ただ、この「うまい」は、よくある「きわめてうまく書かれたドラマ」とか、「ウェルメイド」といったことではなくてね。
■まだやっておくべきことは山積。また「かながわ戯曲賞」の受賞作である『廻罠』のリーディングの稽古がはじまってしまう。今週はある意味、勝負だな。勝負だと思っているうちにいろいろな興味がわき、あっちへふらふら、こっちへふらふらと、本を読んでいる。夕方は、私が思うに、(新宿駅西口の地下食堂街にある)日本でいちばん美味しい立ち食いそばを食べに行った。誰がなんと言おうとこれが日本でいちばん美味しい。全国の立ち食いそばを食べたことはないし、立ち食いそばをそもそも、あまり食べていないが、断固、そう主張したい。一年に一度は食べたくなる。きょうがその日であった。はじめて「大盛り」を注文したら、思いのほか量があって食べ終わったら苦しい。しばらくものも話せない状態である。仕事どころではなかった。どうでもいい話だが。といったわけで、きょうも短めに。

(5:44 May, 8 2007)

May. 6 sun. 「ゴールデンウイークが終わった、関係ないけど」

食卓の上

■このところノートが長くなっている。少し反省した。なにに対して反省したかわからないが、あまり長いのもどうかと思う。静岡県の袋井市に住む伊地知からメールをもらった(伊地知に関しては「月の教室通信」を参照していただきたい)。日経新聞に「交友録」のようなものを書く仕事をし、そこに伊地知のことを書いた。まさか伊地知が知るわけもないだろうと思ったら知り合いから連絡をもらったとのこと。それで日経新聞を手に入れようと思ったが袋井にはほとんどない。浜松まで行ってコンビニを廻り十部ほど買ったという。うれしいような、しかし、切ないような気持ちにさせられる話である。
■ところで、先日から書いている土本典昭さんのドキュメンタリー映画を観る仕事は、きのうも書いた『映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事の公開にあたって作成されるパンフレットに掲載する文章だ。で、依頼してくれたHさんが次々とDVDやビデオを送ってくれる話はすでに書いたが、「古書店に土本さんの著書『映画は生きものの仕事である』を注文したが連絡が取れない」と書いたせいか、きょう、土本さんの著作がHさんからどかっと四冊ほど届けられたのだった。驚いた。さすがに原稿を書くまでにこれ全部読んでいる時間はないもののとても助かった。で、『映画は生きものの仕事である』を少し読む。
■さらに『ノイズ文化論』をまとめる仕事をする。先は長いな。それからすぐに取りかかるべき仕事のひとつとして身の回りの整理ということがあるのですが、いま、仕事部屋ではなく食卓の上にPower Bookを置いてそこで仕事をしてしまうものだから、写真のような惨状になっているわけである。仕事部屋は仕事部屋でたいへん混沌としている。とにかくいま必要な本を身の回りに持ってきてその引用とか参照がすんだらまた本棚に戻せばいいものを、それができない。だからどんどんたまる。とても厄介な仕事になってしまうのだった。
■東京は少し雨だった。フランスではサルコジが勝ったのか。わたしたちは、あらかじめ負けている。なにに負けているのか。

(10:20 May, 7 2007)

May. 5 sat. 「早起きの日々」

O氏の家

■アメリカに行く飛行機のなかで電子辞書を忘れたことを後悔している夢を見た。手にしているのはいつもの小さなカバンだけで、ほかにも、iPodを忘れたこととか、Power Bookも持ってこなかったと悔いている。もっと必要なものがあると思う。
■神戸のKさんから五月一日に書いた、YouTube映像の人の家を写真で送ってもらった。いま働いているのがこの近くだという。映画『ゆきゆきて、神軍』の冒頭、シャッターを開けるのはこの家だろう。ただ、映画のときとはシャッターや壁に施された文字のデザインが変わっている。『ゆきゆきて、神軍』は八〇年代の半ばに公開された。あのころやたらに話題になってみんなが観ていた。もうあの方は亡くなられているのでいまはどうなっているのかと思っていたが、デザインは変わってもコンセプトはそのままだったのか。
■このところ早起きである。早起きして、また午前中は土本典昭さんの作品を観る。『ドキュメンタリー 路上』。これは傑作だ。映像作品としてすぐれた映画だ。警察の交通安全キャンペーンとして作られたというが、きわめて前衛的な映像詩として観た。もちろん、土本さんの「水俣」に関する作品群も美しい映像が散りばめられている。それとはまた異なって、「警察の交通安全キャンペーン」という枠組みのなかでタクシー会社とそこに勤めるドライバーを中心に描いてはいるものの、ほとんどテーマとは無縁に思える映像によって構成されたそれは、もっとべつのことを観る者の意識に出現させる。

■やっておくべき仕事が少し停滞したので、続けて、土本さん自身をテーマにした藤原敏史さんの監督したドキュメンタリー『映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事』を観る。かつて多くの土本作品の舞台となった現在の水俣に足を運んだ土本さんの姿を中心に、土本さんの仕事を追ったドキュメンタリーだ。それを観ながら僕は、「なぜ、わたしたちは負けたのか、なにに負けたのか」ということを考えていた。もっとも初期の段階で水俣病の患者が発見された「月ノ浦地区」では、水俣病が完全に隠蔽されていた。かつての被害者や運動家たちも、時間の経過とともに変化した。それは「運動が下火になった」とか、「水俣病の風化」という言葉では片付かないのを感じる。「なぜ、負けたのか、なにに負けたのか」という問いがやはりこの映画にはあると思えてならない。誰も負けていないかに見える現在のあたりまえの地方の風景がそこにあって、しかし、「敗北感」が映画の後半を支配している。
■土本さんの「水俣」に関連する作品を観ていると、なぜそれがそんなに美しい映像を生み出してしまうのかということも考えていた。もちろんキャメラマンが優秀だったこともあるだろう。けれど、ある胎児性患者(つまり母親のお腹にいるときに罹病した者)の少女が、海岸のすぐそばにある土地で医師に語りかける場面の美しさは、もっと異なることによって観る者の意識に語りかけてくるからこそ、美しくなってしまう。少女は医師に、「頭を手術してほしい」と訴える。もちろんそんなことが不可能なことはわかっていて医師は応えに窮する。少女がそう考えたのは、たとえば、すぐそばにある海を見ても、あるいは花を見ても、なにも感じないからだという。あるいは学校に行くと、友だちは日々、変化しているのに、自分はなにも変わらないからだとも言う。この時点で、かなり知的な活動を彼女の意識はしている。むしろ、健康体の者よりずっと、自分の感覚や気持ちの動きということについて深く見つめているのがわかる。そこで映像を見ている者は、「美しい」とはなにか、なにがそうした意識を生み出すかについてあらためて考えざるをえない。そして観る者を試すようにカメラはゆっくりパンをして、その向こうに海の見える防波堤を映す。防波堤にはまたべつの子どもの姿がある。とてもきれいだと思わずにいられない。「美」の基準はきわめて曖昧で主観的なものだろう。だが、そのことをあらためて問い直すことを日常的に人は忘れる。自分の意識がどう動いて、なにを、どう見つめ、それを美しいと感じているのか、はっきり考えてはいない。あの少女はちがった。自分が病気であることを知っているからこそ、自分の意識の動きについて考えている。海を見てもなにも感じないことを嘆き、だからこそ、医師に話しているうちに泣き出した。
■胎児性患者の人たちは、ほぼ僕と同世代だ。だから、あらためて「水俣病」が僕にしてみれば現在形だということを土本さんのドキュメンタリー映画で再認識した。『映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事』において観ることのできる「現在」は、「負けている」ことを記録した姿に感じたが、あらためて、あの少女、僕とほぼ同じ年齢の彼女が発した問いに立ち戻れば、「なぜ、負けたのか、なにに負けたのか」をもっと深く考えるきっかけになるように思えた。海を見て、なにが意識に浮かんでくるのかというそれは素朴でありながら、きわめて根源的な問いだ。その問いを持った視線によって現在を見るとき、現在は、どのような映像になって出現するのか。美術家のソフィ・カルが『盲目の人々』という作品で試みた「美」への問いとよく似たものだ。ソフィ・カルの作品を観て僕はなにか気持ちのいいものを感じたが、その問いがおそらくシニシズムと無縁のものだったからだろう。かつての貧しさから一変したその土地の現在の映像を見たとき、それはほんとうに美しいのかあらためて考える。そこに隠されているものがあるなら、その嘘は、美しさとは無縁のはずだ。

■そんなことを考えていた日々でした。このところ様々に刺激される、ものや人に出会って、ほんとにありがたい話である。そんな仕事をさせてもらって感謝している。これが仕事じゃないと、きっと怠けてしまうでしょう。で、この連休中、いろいろなことを考えた。ちっとも休んでいないよ。まあ、書くとかなにか表現する仕事って、本来的にそうしたものなんだろうけれど。
■だから、ある意味、松本人志も「笑いに対するシニシズム」と無縁だと感じる。きわめてきっちり作りこんだ『VISUALBUM』というDVDをはじめ、そうした「笑い」への態度について興味を持って質問したが、「基本的に大事なのはサービス精神だと思うんですよ」という意味のことを彼は言った。そこには少し照れがあるように感じた。このあいだも書いたが、ほんとに「笑い」が好きで、そのことにぶれがなく、しかも、プロフェッショナルな彼は自信を持ってそれを作る。しかもたしかな技術に裏付けられて。だからこそ、作られたものは感動的なほどばかばかしい作品群になる。『VISUALBUM』に収められた、「いきなりダイヤモンド」というコントは、「コント」について考えるときとてもいい課題になる。その分析をここで書きたいが、それについては、「BRUTUS」誌上で読んでいただきたい。あれは字数が少なかったから、ほんとはここで長めに書きたい気がするものの、やっぱり、いちおう僕もプロの書き手なので原稿料をもらったところを優先しよう。
■午後、天気がいいので散歩した。暑いくらいの天候。それが気持ちいい。ほかには読書。えー、こういう仕事をしていると、「読書」って言葉を使うのもどうかと思うが。

(11:13 May, 6 2007)

May. 4 fri. 「押しまちがえた人」

雑誌「東京人」の封筒

■いま、雑誌「東京人」に連載しているが、それで掲載号を送ってもらう。写真はその最新号が送られてきたときの封筒だ。「掲載誌」というハンコを逆さまに押してしまったらしい。おかしいなあ。わざわざ「すいません」と書いてある。担当のTさんの文字だろう。なにより興味があるのは、どの時点でまちがいに気がついたかだ。ハンコを押した瞬間だろうか。となると、いつハンコを押したかだ。封筒を用意する。送り先の住所を書き、僕の名前をさらに書き、そして最新号を封筒のなかに入れる。封を閉じる。最後に「掲載誌」のハンコを押した。ここまでやってからじゃないとこのまま送らないと思う。封筒を用意し、まず最初にハンコを押して失敗したと思ったら、ふつう人は新しい封筒を用意する。きちんと準備しあとはもう送るだけというとき、つい間違えたとしたら、そのときのTさんの顔が見たかった。「あ」とかなんとか言っただろうか。「やっちまった」とか声をあげたのだろうか。あるいは、人はこういうとき、「逆になってる」とか口にするのかもしれない。そのことだけで、少しの時間、楽しませてもらった。
■午前中、また、土本典昭さんのドキュメンタリー映画をDVDで観る。『不知火海』と『回想 川本輝夫』の二本。それからやはり読んでおこうと思って、土本さんの著書『映画は生きものの仕事である』をネットから古書店に注文したが、連休中だからか連絡が来ない。アマゾンだと、三週間から五週間かかるとあったので、やめにしたのだ。このあいだ神保町に行ったとき探せばよかった。で、かなり観たなあと思っているところへ、この原稿を依頼してくれたHさんからまた宅急便が届き封を開けると、土本さんのべつのドキュメンタリー映画のビデオだった。まだ見せるのかよ。まあ、土本さんは水俣病関連だけでも何作か作っているから、これだけじゃ観たことにならないかもしれない。それにこうした機会がなければ、こんなにまとめてドキュメンタリー映画を観るのもめったにあることじゃない。新たに送られてきたのは一時間弱のものだったが、さすがに観ている時間がなくなってきた。
■さらに、未來社のPR誌が同封されておりそこには土本さんに関する小特集が組まれていた。読む。出版社のPR誌ってやっぱりいいな。むかし、朝日新聞の「一冊の本」、筑摩書房の「ちくま」、新潮社の「波」に同時に連載しているときがあり、PR誌完全制覇というのを企んでいた。ま、そうはできるものじゃないね。岩波書店の「図書」にも単発で書いたことがあったが、そのときも編集者とのやりとりでは連載をはじめるような感触はあったのだ。でも、完全制覇ってことになると、それはちょっと無理でしょう。というか、連載だけで一ヶ月が過ぎてゆく気がする。そういえば、また新たにある雑誌から依頼があって連載をはじめることになった。頼まれるのはうれしいが、連載だけではなく、まとまった仕事をしなくてはと思う。まあ、小説のことだけれども。

■で、午後、白夜書房から刊行される『ノイズ文化論』の仕事にようやく取りかかろうと思って、E君の送ってくれたゲラや、ワード形式のデータをチェックしていたが、全部がそろっていない。メールを調べたり、家の中を探したりと、それがなんだかひどく疲れる。まったくわたくしごとながら、こういう身の回りの整理のようなことがほんとうに苦手だ。なんだか出鼻をくじかれた。仕事へのモチベーションが高まっていたがそれがいきなりくじけた。いやだなあ、こういうことって。スケジュール調整とかも苦手で、っていうか、「苦手」のレベルではない。「不可能」のレベルである。それに関しては永井に完全に依存しているのだ。しかも、永井が、何日はこうなっていますと言ってくれるが、数分後には忘れている。それを数日後まで覚えていようがないではないか。それをよく心得ている永井は直前にまた連絡してくれる。申し訳ないことになっている。
■メールを何通かもらった。僕のワークショップにも来てくれたり、このあいだのオーディションも受けてくれたHさんは、例の「いい池」についての情報を送ってくれた。あ、そうだ、それで思いだしたが、『VISUALBUM』のなかにかなりいい池でロケしているシーンがあって、あの場所を本人に質問しようと思って忘れていた。失敗だ。Hさんによれば、「江戸川区の行船公園内の源心庵の池」がなかなかにいいという。まあ、なんにしても人が泳ぐのだから許可が取れるかどうかがむつかしいところだ。
■さらに、白夜書房のE君からも、『ニュータウン入口 または私はいかにして心配するのをやめニュータウンを愛し土地の購入をきめたか』の戯曲を読んだ感想が送られてきた。カート・ヴォネガットの『スラップスティック』との共通点を書いてくれた。「歴史が崩壊した、あるいははじめから歴史を持たない場所に集まった人々が、なにを自分たちのアイデンティティとし、なにを絆とし、未来に対する希望をどのように持ちうるか。『スラップスティック』のラスト、小さなメロディ(だったかな?)の旅が希望をもって語られるように、映画『ニュータウン入口』も新しい希望を示すものとして撮られると、いいですね。」とあった。ヴォネガットとの共通点は意識していなかった。言われてみるとそんな気がする。そして、僕のほうは、『ニュータウン入口--または私はいかにして心配するのをやめニュータウンを愛し土地の購入をきめたか』だが、ヴォネガットは、『スラップスティック--または、もう孤独じゃない!』だ。そこもやけに似ている。
■あるいは、僕の舞台にも出たことがあり、映像を作っていて、さらに妹さんがイスラエル人と結婚している岸からもメールがあった。この夏に、イスラエルに行こうかと計画していたという。なんという偶然だ。ぜひとも行かせよう。テルアヴィブに行くとあったが、さらに足を伸ばし、ヨルダン川西岸とか、ガザ地区にも行ってもらいたい。ただ、そこに入るのにきっと手間がかかるんだよな。このあいだ会ったヘブライ大学に行っていた人の話によれば、ある場所からガザ地区に行くには直線で行けば三時間ほどだが、エジプトを経由しないと政治的な理由で入ることができず、一週間ぐらいかかってしまうというのだ。そんなおり、イスラエルでは首相の退陣を求める集会に10万人が集まったことが報道されていた。記事には、「パレスチナに敵対的な右派から和平志向の左派まで幅広く集まった」とある。岸のメールには、妹さんからも話を聞かせてもらえるという内容もあった。このあいだヘブライ大学に通っていた人と会ったとき思ったのは、最初に言明しておかなければいけないのは、僕が「パレスチナ」を支持しているということだ。理由を求められれば、資料を大量に用意するだろう。

■そういえば、きのうの仕事が六本木に新しくできたミッドタウンの近くだったので、そのミッドタウンに行ったわけだよ。そしたら、敷地内は全面的に禁煙だった。もう行かない。入ってすぐのところにスターバックスがあって、店の外にもテーブルが並んでいたので煙草が吸えると思ったらそもそも全面的に禁煙だと知ったのだ。みんなスターバックスがいけない。さらにそのことで思いだしたが、六本木のスパーデラックスというクラブで、クラブキングのイヴェントがあったとき、楽屋は禁煙だった。そこに遅れてやってきたテレビディレクターのO君が、遅れてきただけに禁煙という説明を聞いてなかったと言い、自分は吸ってもいいだろうと言い張った。そして少し酔っぱらってきたO君がもうなりふりかまわず煙草を吸ったので、おかげで、楽屋の禁煙はなし崩し的になくなってしまったのだ。そうだ。この戦い方があった。なし崩し的に状況を打開してしまう。O君の英雄的行為に感心した。えらいよ、あの人のでたらめさは。

(10:59 May, 5 2007)

May. 3 thurs. 「松本さんに会う」

■部屋に入ってゆくと、ゲストルームとは名ばかりのそこは、ひどく狭い空間で、奥のソファに彼はあぐらをかいて座っていた。六本木の俳優座劇場の裏手にある写真スタジオのビルの四階だった。きょうは特にスケジュールがたてこんでいたらしい。疲れている様子だ。仕事というより、どんなことを考えているのかと思って、僕はごくふつうに聞いてみたいことを質問した。それに応える彼は、さぞかし疲れているだろうに、はっきりしたいつもの声で応接してくれる。初対面のその人は、いやな感じのまったくない不思議な空気の持ち主だった。でも、やっぱりプロだなと思ったし、いまの地位もあるだろうが、ひとつひとつの質問に自信を持って明晰に応える。声にもはりがある。ぐっと前に出てくることはあってもいやらしいところが少しもない。
■それはもう二十年以上前になるだろうが、僕はまだ、竹中直人とか、いとうせいこうや大竹まことらと舞台をやっていて公演で大阪にも行ったが人づてに聞いたのはまだ若いころの彼が劇場に足を運んでくれたという話だ。えらいなと単純に思った。いつか会えればと思っていたが、僕はもう、あの世界の人間ではなくなっていた。そうか、それで気がついたのは、彼にはその世界の匂いをほとんど感じなかったことだ。ごく短い時間だったのでたしかなことはわからない。ただ、過去の知人たちと久しぶりに会うとすっかりその世界の人の匂いが(本人は自覚してないだろうが)、どこかする。そのことにかつての知人たちとの距離を感じる。彼にはそれをあまり感じなかった。はじめに部屋に入ってソファにあぐらをかいているその力の抜けた感じを見ても、なにかちがう印象を受けた。
■この日はいくつもの取材を受けているらしく、僕が「BRUTUS」という雑誌の企画で話を聞くのが一日の最後のようだった。次から次へと人に会い、おそらく僕の質問も数多くある取材のひとつだったろう。僕がどういった仕事をしている人間なのかはっきり認識していなかったのではないか。自己紹介をするのも忘れていたので、なんだか図々しい人が話を聞きにきちゃったと思っていなかっただろうか。話は、彼が企画して作られたDVDのことが中心になってしまうのは、ごく最近観たなかで印象が強かったこともあったし、正直、彼のほかの仕事をそんなにしっかり追っていないこともあった。ただ、このところ書いていた『VISUALBUM』というDVDは、ものを作るという態度においてかなり刺激になった。そのことは依頼されて、「BRUTUS」に書いた。
■短い時間だったので彼のことをほんとは5パーセントもわかっちゃいないかもしれないが、その短い時間に感じたのはやはりとても魅力的な人物だということだ。もっと長い時間、話が聞けたらよかったが、でも、またいろいろなことを考えるきっかけにもなった。ふっと、質問に応えてなにか口にするときの、それはなにもすごく面白いことをいうのではないが、だけどやっぱり面白い、という、道化的なる身体がはなつ特別な魅力に彼はあふれていた。それでいて毒もあり(本人は自分はほんとはメジャーになるような、人気者になるようなキャラクターではないという意味のことを口にしていたが)、さらに笑いを追求する知的な感じがその身体に同居している。周囲がその松本人志を、「天才」と呼ぶことにべつに異論をはさむ気はないが、もっと本質的なところでは、とにかく笑いが好きでそのぶれがほとんどないと感じさせることではないか。だからあの感動的なほどばかばかしいDVDを作ってしまった。いくつかの仕事に見るような彼ならではの特別な世界が生まれるのだろう。そのことがもっともすごいと思うのだ。まだ未見だが、彼が作った映画がカンヌに招待されたという。最近、「笑い」について考える機会がすっかりなくなっていたが、その映画は観たいと思ったのだ。

■午前中は、土本典昭さんのドキュメンタリー映画『水俣--患者さんとその世界』をやはりDVDで観た。作り手を意識させる印象の強い演出はどこにもない。ショッキングなものをことさら描くという態度はここにはなく、淡々と、まさに「水俣病」についてその現実を描いてゆく。カメラを回した時間の蓄積がそうした演出によって現実をまざまざと見せつける。だからこそ、これもまたとても強烈な映像になる。映像のまた異なる力を感じた。それから「webちくま」の原稿を書きあげる。三本分書きあげたが、ひとつずつが少し長かったかもしれない。ことによったら五本分になるかもしれないとずるいことを考えた。
■映画といえば、もう二ヶ月ほど前だっただろうか、青山真治さんから、最新作『サッド・ヴァケーション』の試写に誘われていた。ちょうど僕がリーディング公演もあって行けなかったのだな。もう試写は終わってしまっただろうか。公開はいつになるだろう。早く観たいな。こつこつ仕事をするゴールデンウイークである。やはり、「こつこつ」が大事だ。「こつこつ」って英語でなんて言うんだろう。でも、「こつこつ」というこの日本語の響きが心地よい。それはまるで仕事をしている音のようだ。

(9:48 May, 4 2007)

May. 2 wed. 「ひどく暑く、私は神保町にいた」

もとは喫茶店だった神保町の古書店

■資料を探しに神保町へ。久しぶりに古書店街を歩く。しかし、なにも目的のないままこういった町は歩くべきで、資料を探すなんてよこしまな考えがあってはだめだ。なにも考えないで店に入り、そこで偶然にも意外な本に出会うかもしれない。だが、資料を探す目的だったのだ。しかも、深みにはまればいったいどれだけ本を買ってしまうかしれたもんじゃない。これは学生のころから変わっていない。月に一度は神保町に来て本を買っていた。食べるものも削って本を手に入れた.。で、写真は、元は喫茶店だったのにいまは古書店になっている店の外観。なぜか、看板はいまだに「TEA ROOM」のままだ。しかも、よく見ると、「TEA ROOM」なのに、「Coffee 駿」という店名が解せないが。
■必要な資料はほどなく見つかった。というわけで、ゴールデンウイークだが仕事をしている。「東京人」の連載も書きあげた。家に戻って、「webちくま」の原稿、三本を5月7日までにと言われていたが二本書いた。なんて熱心に働いているのだ。こういうことは十年に一度あるかないかの奇跡ではないかと思うが、こつこつ積み上げて原稿を書くことがいまなんだか面白いのだった。できてゆく実感とでも言いましょうか、成果があがることへの気持ちよさのような感じだ。だからあまり仕事をしている気がしない。ゲームでもしながら先に進め、ステージをクリアしている感触とでもいおうか。このあと、ドキュメンタリー映画作家の土本典昭さんについて書く仕事があり、ビデオ、DVDなど四本ほど資料として観ておかなくてはならない。土本さんのドキュメンタリーが一本ずつ長いんだよ。観るのもたいへんなんだ。これもこつこつだな。一日に一本ずつ観て、それから原稿を書こう。そのあいまに、白夜から刊行する『ノイズ論』のゲラを直してゆこう。あと、『ニュータウン入口』のためにどうしても観たいと思っていた、エドワード・W・サイードをあつかった佐藤真さんのドキュメンタリーもある。
■でも、たいへんな仕事ほど勉強になる。たしかに原稿料は大きなメディアに書くより安いかもしれないけれど、なにか学ぶためと思えばお金をもらえるだけ贅沢ってものだ。若いころからそんなふうに仕事をしてきた。金は貯まらなかった。まったく金がないときもあった。でも、べつに苦労ではなかった。いろいろなことを知ったり、金にならない仕事の経験でなにかを身につけるほうが、ずっと贅沢な気がしていた。それにいまは、たとえば土本さんのことを人に知らせるのに、僕になにかできることがあればいいと思っている。そういう仕事の選択。ただ、もちろん内容(土本さんの場合では水俣病をテーマにしたドキュメンタリー)といったことだけではなく、いい仕事をしている人を広範に知ってもらいたいということだ。だから、きのうも書いた、「感動的なほどばかばかしいDVDを作った人」もまた、土本さんの仕事とはまったく縁がないかもしれないが、「尊敬すべき表現をしている人」という意味では同じ位置にある。

■しかし本日も、「日中、汗ばむほどの陽気」という凡庸な表現を思わず使いたくなるほどの天気だった。神保町を歩いているときはTシャツ一枚の姿でよかった。で、かつてこのあたりにあった「出雲そば」という店を探したが、なくなっていた。残念だ。古書店街もその姿がずいぶん変わっている印象だ。というか、古くからある店もたしかに健在だが、一本、靖国通りから外れたところに小さな古書店がいくつもできていた。
■ただ、富山房書店の建物はあったが、売り場があったはずの一階がドラッグストアになっていた。ああ、残念な感じだ。ゴールデンウイークということだろうか、神保町も人が多かった。古書店に人の出入りが多く、本を読む人が減ったというがその数は相変わらずだ。まあ、よく言われるように本を読む人が減ったとか、人が年間に占める読書時間が減ったとか、もっといえば、本が売れないというが、そんなことはどうだっていい。僕は本を読むし、こうして本を読む人が数多くいる。なにしろ、人はいくら本を読んだって、まあ、一生かかっても読み切れないほど、文学や演劇をはじめ、様々なジャンルの本がものすごくある。俺、一人だって読み切れない。だから読書の将来になんの悲観もない。っていうか、悲観するほうがばかばかしい。なにしろ書物はすでに無数にあるのだから。とりあえず僕は本を読む。
■この数日、「こつこつ」の心地よさにひたっている。こつこつ仕事が進んでゆく。まだ先にはいくつもの仕事が控えているが。

(4:56 May, 3 2007)

May. 1 tue. 「働く五月」

ブレヒト『肝っ玉おっ母とその子どもたち』

■五月になった。あらためて書くのもなんだが、5月19日(土)、20日(日)の二日、「かながわ戯曲賞」のリーディング公演『廻罠 --わたみ』があり、そのための稽古がまもなくはじまる。また稽古だ。またもやリーディングだ。今回ははじめて一緒にやる俳優が多いのでそれはそれで楽しみだ。
■自分で言うのもなんだが、驚くべき勤勉さで「MAC POWER」の原稿を書きあげる。次は「東京人」の、「このせりふから」という連載。今回はブレヒトの『肝っ玉おっ母とその子どもたち』をとりあげる。あと、「webちくま」の連載を書きあげて(ちなみに僕の連載はもうはじまっているが告知するのを忘れていた)、次はすぐに白夜書房から刊行予定の『ノイズ文化論』の原稿の直しだ。『ノイズ文化論』にじっくり取り組むために連載類をどんどん片づけようという計画である。で、この数日、白夜書房のE君から、「ノイズ論」の講義を文字に起こしそして書籍の体裁に組み直した原稿が次々と送られてくるが、大きなサイズのファイルなので、E君は、「宅ふぁいる便」というサービスを使っている。なるほどこれは便利だ。
■で、そんなときに限って、またべつの雑誌から連載の依頼がある。来る仕事は拒まない。よほど忙しくなければとにかく引き受ける。あとで苦労するのは自分である。ほかにもイレギュラーでいくつかの仕事。まあエッセイが多いわけだけれど、そうなるとこんどは評論的なものも書きたくなる。『チェーホフの戦争』(青土社)の連載時は死にものぐるいだったし、「ユリイカ」のYさんにも迷惑をかけっぱなしだったものの、その仕事で得たものは個人的にはすごく大きかった。このあいだも書いた「チェーホフ演劇祭」のオープニングとして開かれたシンポジュウムのあとのパーティで、千葉大学の大学院でチェーホフを研究しているというまだ若い院生から声をかけてもらった。彼が論文を書く際に、『チェーホフの戦争』を参照してくれたという。そういう話を聞くととてもうれしい。やったかいがあったというものだ。

■というわけで、五月一日はメーデーだが、既成労働組合のやってるメーデーなんてもう、見ていると茶番のようでばかばかしい。そんなおり、フリーターたちによる「生存メーデー」というのがあったと、新聞で知る。このあいだも少し書いたが、いまの労働状況について考えると、ほんといやな気分になるが、企業のなかでは利益率をどう上げたらいいか上から下へと指示があり、そのために単純な例をあげれば、非正規労働者の数を増やしたり、サービス残業の時間を増加させる。そして企業のトップは株主から利益が上がらなければつきあげはくらうし、ファンド会社に株を集められうかうかもしていられない。資本のこの恐ろしき循環。いろんな「うそ」や「まやかし」があるのを人から教えられるのは、たとえば、不安定な雇用形態を「年棒制」とかいう言葉でもっともらしく取り繕う企業が増えているからだ。うそつけ、ばかやろう。資本につごうがいいだけじゃないか。
■テレビなんか見ていると、いくつかのCMでも、もっともらしい顔でインチキくさいことを言っていやがって、おまえら、ふざけるなよ、と言いたくもなる。銀行系のサラ金まがいの金貸しが、「借り入れは計画的に」とか、「支出と返済のバランスを」とかっていうけど、それができたら誰も借金しないってんだよ。そのナレーションを知人の俳優が「いい声」でしていた。ふざけるなおまえは。もっとくだらない声でやれ。たまたま、食事をしながら「報道ステーション」を見ていたら、ほとんどワイドショーと変わらない。だったらそれで開き直ってもいいのに、報道番組らしくもっともらしい顔でレポートしてやがる。うそくさくて食事がまずくなる。チャンネルを変える。原稿を書くために見たあるDVDで、売れっ子のある芸人がばかばかしいことを徹底して作っているのを知った直後だったからか、テレビがひどくつまらなくなった。感動的なほどばかばかしいそのDVDの作品群は、だが、そのばかばかしさ、笑いをきわめて真摯に作りこむ態度によって一貫していた。すごいな。感服した。
■そういえば、ある方からメールがあり、その方もやはり知り合いから教えられたというのが、「YouTube」のこの映像だ。言わずと知れたあの人。誰だ、これ、持っていたのは。とはいっても、知人のとある著名人がやっぱり所蔵していたが、知人に貸し、どこをどう流れたか知らないけれど、またべつのあるミュージシャンの手元に渡っていたと教えられたから、そうした流通のなかで、コピーは次々と作られていたのかもしれない。で、いつか「YouTube」に出てくるんじゃないかと思っていたが、ほんとに出てくるとは。

(5:37 May, 2 2007)

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