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Published: Feb. 4, 2005
Updated: Sep. 16 2005
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仕事の御用命は永井まで 松倉ライブ告知
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Sep.15 thurs.  「時間がないので短く」

■「演劇ワークショップ」の発表公演。公開ゲネプロが終わった。ゲネプロとはいえ、公開しているだけにほとんど普通の公演と変わりがなかった。もちろん緊張している者がいなかったわけではないし、ぜんぜんせりふが出てこない者もいた。でも大きな破綻がなくてほっとした。はじめは1時間程度の、まあ、長くて1時間10分の舞台にするつもりだったが、やってみたら1時間45分になっていたのはいかがなものか。僕の演出したAクラスも長くなってしまったし、全体の演出をする者としては、なぜそうなったか、これは構成上、そうなるのもある程度、必然だったかと考える。失敗したな。
■それにしても、現代演劇、古典芸能、ダンスが同時にひとつの舞台を作ることでいろいろ学ぶことができ、それはたいへん興味深かった。チェーホフの『三人姉妹』にそれぞれのアプローチがあり、そのことから考えるヒントを得た部分がいくつかあった。なるほどなあと思ったのだ。それはまたいつか書こう。三坂、ヨミヒトシラズのT君、『トーキョー/不在/ハムレット』に出た岩崎と上村、田中が観に来てくれた。ほかにも僕がやっているほかの授業にでている早稲田の学生ら。
■で、そんなとき、「一冊の本」の連載の締め切りがきてしまったのだった。日記を書いている場合じゃなかった。終わったらまた詳しく書くことにする。

(7:40 sep.16 2005)


Sep.12 mon.  「絶望から」

■いしいひさいちという漫画家をはじめて読んだのは、もう30年近く前になる。それは鮮烈なデビューだった。4コマ漫画を劇的に革新したといってもいい人だ(エピゴーネンもたくさん排出されました。読売の「こぼちゃん」描いてる人は成功したその一人)。いま、そのことがどれだけの人に伝わるだろう。当時、噂はなんとなく入ってきて、目利きな笑い好きたちのあいだで語られていたが、関西のバイト求人雑誌に連載されているのを読むのは、東京にいると困難だった。そして、それが一冊にまとめられたのが、『バイト君』だ。きょうの朝日新聞の4コマ漫画は、いつもの「ののちゃん」ではなく、その「バイト君」と仲間たちが選挙について語っている特別版だった。それに救われた気分になった。バイト君に救われた。というのも、昨夜は絶望的な気分になって日記どころの話じゃなかったのだ。与党で三分の二以上ですよ。憲法を変えることのできる数ですよ。郵政民営化のことしか話さない小泉は「改革」のイメージだけでこの選挙をのりきり、気がついたら憲法の書き換えだろうが、税制だろうが、年金だろうが、海外派兵だろうが、やろうと思えば好きなことができる。
■といったわけで、茫然とし、絶望に打ちひしがれ、もうなにもする気が起こらなかったが、いしいひさいちさんに救われた思いがしたのだ。かつて一度だけ、いしいさんは、サイン会をやったことがある。めったにその素顔を出さないいしいさんだけに、あとで知って後悔した。いしかわじゅんさんと、行きたかったなあとしみじみ話したことがあった。きょうの漫画は、バイト君と、その古くからの仲間たちがテーブルを囲み、「勝ち組と負け組」ではなく、この状況は、「ぼろ勝ち組とぼろ負け組だな」と話しているのだが、いま世界は、この「ぼろ勝ち組とぼろ負け組」に二分されているのだな。そして、一コマ目で小泉が「官から民へ」と声高に語る。四コマ目で、同じ小泉が、「眠から、棺へ」と叫ぶ。
■この結果が、芸術分野になにをもたらすか。悪い状況しか想像できない。あからさまな政治的な介入はないにしても、もっと巧妙なメカニズムによって芸術や表現の分野はもっと苦しくなってゆくだろう。でもまあ、それを選んだ人たちがいるのだから、のんきに芝居などするより、海外派兵のおりには肉体訓練で培ったそのからだを生かし、海外で立派に働いてもらいたいと思う。死んだ気になって働いてもらいたい。きっとそのほうが、「民意」というやつなのだろうと思うのだ。芝居しているより、家族や親戚がよろこぶだろう。なにしろ「民意」なんだから。で、靖国に祀られ神様になってください。

■だから私は、絶望をのりこえ、舞台を作ろうときょうも稽古だ。ぜんぜん、せりふを覚えず(その努力も感じられず)、芝居もできない学生に、なんにも言わず、ただ、何度も繰り返し同じ場所を演じさせる。ちっともよくならない。同じ役のべつの学生に(ダブルキャストだから)そのまま、どっちもやらせようと思ったが、その彼が、せりふを覚えない学生ができると思うと主張する。この友情に驚かされた。それで粘る。あきらめずに粘る。ただ反復。ただただ、反復。なにも言わずに何度も反復。しかし、せりふも覚えず叩きの手伝いにも来ていないと思うこうした学生に、単位をあげていいものだろうか。あげなくてもいいんじゃないのか。
■で、その公演、15日の昼間(公開ゲネ)は、15時から。16日の昼間は14時30分からだとようやくわかった。夜は、15日19時。16日18時30分です。おまちがえのないよう。制作を担当する学生から、できるだけ昼間に来てくれたらとのお願い。昼間はおそらく余裕を持って見られるはずです。僕が演出する「現代演劇」(Aクラス)、小笠原匡さんが演出する「古典芸能」(Bクラス)。山田うんさんが演出する「ダンス」(Cクラス)がある。いろいろあって楽しそうです。夜がなあ、なにかの加減で人が多く来てしまったらと思うとひどく心配だ。入られないからと帰っていただくのはたいへんしのびない。だから、いろいろ難しいでしょうがどうか、昼間の会に来ていただきたい。
■他のクラスも面白そうだ。僕のクラスは意外に原作に忠実である。こういう時代だからこそ、絶望から生まれるなにかがあるはずなのだ。時間がない。たしかに時間はないが、それを言い訳するつもりはまったくありません。稽古を終えて家にもどり、『牛乳の作法』のゲラを直す作業。終わる。いろいろ仕事はある。まだ、仕事はするぞ。精一杯のことをする。

(2:38 sep.13 2005)


Sep.10 sat.  「自主練の日」

■スケジュールでは学生により自主練習の日になっているが、稽古が進むかそれも心配だったし、劇中で使うビデオの撮影もしようと大学へ。撮影に外へ出るとまだ昼の12時。九月だというのに天気はよくて日の光もまだ強かった。映像のTA(
Teaching Assistant)をしてくれるSくんに手伝ってもらって小一時間で撮影を終えると、あまり参加者がいないので(事情で休みの人は休むということだ)、できそうなところを代役立てつつやってみる。少し前進。とくにチェーホフの戯曲をそのままやっているところは、俳優が動いて初めてわかった部分が僕にもある。こういう「愛憎劇」といったものをこれまでまったく演出した記憶がないので、それはそれで、僕にとっても勉強になる。授業を使って勉強させてもらう。ま、当然、いろいろ仕掛けないといられない。自分でも思うのだが、もう少し、こう、シンプルなものの作り方ができないかと思う。
■Aクラスのなかでも、一班と二班にわけており、うまくバランスを考えたつもりだが、ダブルキャストが面白いのは、それぞれ上演したとき異なる質になることだ。人がやることの不確かさが、演劇の面白さなのだろうな。少し気になったのは、一班でマーシャを演じるSがスタッフワークで美術をやっており作業が進まないとそちらにも頑張っており、その努力はたいへんいいが、京都の大学でもそうだったけど大学の発表公演(小さな演劇の集団はみなそうかもしれないが)にありがちなのは、スタッフワークに消耗し、そこから俳優に切り替え集中するのが大変そうなことだ。切り替えがうまくいっていない印象を受けた。というか、もうかなりばてばてになっているのを感じる。美術はプランをたてるだけではなく「叩き」(実際に作ること)というやつがあって、自分たちで作らなくちゃならないからそれが大変である。稽古でも疲れているのを感じた。俳優を経験するのも大事だが、どっちも中途半端にしてはいけない。とにかく、せりふをしっかり入れるのが月曜日までの課題。
■寝不足だったので、稽古を終えて家に戻ると眠ってしまった。携帯電話に連絡があったのに気がついたのは深夜である。照明のチーフが質問があるという意味のメッセージが残されていたのだな。失敗した。で、こうした大学の発表公演を通じて舞台のことをいろいろ考える。たとえば、これがあと一週間あればもう少し仕事は楽になるかもしれないが(特にスタッフワーク)、舞台の質としてそれにどれほど意味があるかわからず、稽古の時間ってものをどう考えたらいいかわからない。逆にいうと、そこが面白いところだ。二週間にも満たない(実質10日ぐらいの)作業で舞台をひとつ作ることがもたらすものはなんだろう。僕にはそのことが興味深い。

(15:34 sep.11 2005)


Sep.9 fri.  「まだ、30パーセント」

■また稽古であった。それできのうここに記載した公演情報を補足しようと思ってきょうできあがったチラシをもらってきたはずだが、それが手元にないのだ。開演時間がはっきりしない。夜の回は、15日(公開ゲネプロ)が19時、16日(本番)は18時30分だというのはわかったが、昼の回は忘れてしまった。あしたぐらいにはきっとわかるはずである。
■まだ整理しなくてはいけないこと、ほとんどやってもいないことがあり、そのひとつが「生中継」だ。僕はイメージができているが、やってみないとわからない。できるかどうかも不安である。そういった打ち合わせをする時間もしっかり取らなくてはいけないが、稽古であたふたする。稽古と、夜のスタッフワークの授業のあと、全クラスが集まって親睦会のようなものをした。俳優たちは不安をもらしており、僕があまりだめだししない者らは、これでいいのかどうか戸惑うようだ。不安になるがいいさ。俺は細かいことはあまり口を出さないのだ。もちろん、それぞれやってきた芝居の体系が異なるので、ばらばらとしかいいようがないものの(しかも芝居の経験のまったくない者もいる)、じゃあ、メソッドのようなもので統一しようとしたっていまさらできるわけではない。ただ、僕は一人一人の俳優が魅力的に舞台上に出現することだけを考えている。いま、僕の演技観で演技の質を統一しようとしたところで、それは無理だと思うのと同時に、こういう質の演技の人とあまり舞台をやったことがないということが、僕は楽しい。あるいは、ほとんど演劇経験がない学生に対しては、ものすごく単純な、呼吸の仕方や、芝居をする上でのあたりまえの話をする。
■さらに、エンディングは、AクラスからCクラスまで合同で短いシーンを演じるが、その形だけみんなに理解してもらおうと思って、全員が集まってやってみたのだ。こんな感じでといった程度で、理解を助ける稽古。これ、もっとやればさらによくなると思われる。そのとき全クラスが集まったがものすごい人数だ。驚く。着々と舞台の形ができてゆく。とはいっても、Aクラスはまだ30パーセントぐらいだ。もう一週間を切っている。何パーセントまでいけるだろう。というか、100パーセントなんてものがそもそも表現にあるのだろうか。

■で、夜、スタッフワークの授業が終わってからクラスを越えて参加できる人たち全員と親睦会だったわけだが、あまり大勢の学生と話しができなかったのは残念だった。主に、音響の指導をしているY先生と演劇史のようなものを話して、それが面白かった。あと、稽古場では当然、みんなジャージをはじめ稽古着なのだが、こういう場では普段着で、そのギャップが面白く、あれ、この人、こんな人だったのかという驚きもあるのだ。
■時間、ないなあ。まあ、しょうがない。細部の手直しをしてゆけばもう少しよくなるだろう。50パーセントまでは行けるかもしれない。といったことで稽古から帰って、毎日のようにこのノートと、小説をこつこつ書く。小説はいつのまにか180枚になっていった。なにごともこつこつである。あんまり書いている気がしないのだが、いつのまにかそうなっていた。来週は本番前で忙しいとはいうものの、相変わらずこつこつ書こうと思う。仕事いろいろ。家に戻って、あれもやらねばとか、『牛乳の作法』文庫版のゲラもなおさなくちゃいけないとか、悩むけれど、そんな超人的なことができると思ったらおおまちがいだ。

(2:37 sep.10 2005)


Sep.8 thurs.  「稽古はやっている」

■早稲田の「演劇ワークショップ」の公演について詳細が知りたいという方からメールをいただいたので、少し書きます。タイトルは、『イリーナとオーリガ、そしてマーシャ』。えーと、正確な開演時間を忘れてしまったが、9月15日が、「公開ゲネプロ」で、昼夜、二回あります(誰でも観ることができます)。そして16日が本公演。やはり昼夜二回です。チケット代はたしか無料です(はっきり記憶していないのはいかがなものか)。場所は下期に示した地図をご覧ください。戸山キャンパス(文学部キャンパス)は大隈講堂とか演劇博物館があるキャンパスとは、少し離れた位置(周辺地図はこちら)にありますので迷わないでください。開演してから15分後以降、演出上、入場できなくなります。下にキャンパスのどこで公演があるかの地図を示しておきます。

戸山キャンパス

 で、この地図の、「このあたり」と示したのが36号館というやつですが、広場を抜けて36号館に行くには階段を上がります。階段を上がりきったフロアの実習室が会場ですが、そこまでゆくとだいたいわかります。おそらくわかります。で、メールでは「チケットの入手」について質問がありましたが、たしか無料なので当日、会場まで来ていただければ大丈夫でしょう。会場(まあ、劇場ですね)は狭いので、なにかの加減でものすごく観客が来てしまった場合、入場できなくなるおそれがありますのでお早めにご来場ください。えーと、夜の回は両日とも18時半開演です(たしかそうです)。また、はっきりした時間を書きます。って、ほんとに、曖昧な情報で申し訳ない。

■それで、本日も稽古だった。せりふを覚える、というか、からだに入れるのが大変そうだ。チェーホフ、長いせりふが多い。そんなに喋るなよといいたい。いまはまだ、動線やせりふを覚え、言葉を発するのを練習するので精一杯だ。ほんとはここから、言葉を発するのをもっと煮詰めるなどやることはあるが時間はない。芝居のやり方などかなり細かい点は省略というか、俳優たちに任せる。もちろん、ここはどうしたってこうした効果が必要だと思われることは演出するが、いつもの僕の演技観みたいなものまで伝えるには時間がない。残念だ。この授業を通じて表現について考えたいこともあったが、いまは形を作るだけで精一杯。ごくごく基本を学生が覚えればいいのだろうな。この授業にはスタッフワークについて学ぶことに大きな意味がある。芝居を一本作ることを通じて舞台の基礎的なことを学ぶ場なのだろう。僕はその全体的な進行とまとめ役。もちろん演出家ではありますが。
■稽古が終わってから、スタッフワークの先生や、各クラスの先生たちと、途中経過の報告や、確認事項をまとめる会議。家に戻ってから(といってもかなり深夜だったが)、ラストに流そうと思っている音楽を桜井圭介君にお願いして、むかし僕の舞台で使った曲を使わせてもらうことにした。桜井君の
iDiskにアップしてくれた音楽をダウンロード。それを音楽の加工用のソフトで尺をのばしたりなどし、CD-Rに焼く。便利になったもんだよ、世の中は。こういった場合、かつてなら、誰かに取りに行ってもらうとか、バイク便とかって話になるが、いまこうして、ネットだけでやりとりできるのだ。しかも深夜の2時ごろの話。しかし、桜井君の電話番号がわからず(以前、携帯電話のメモリが全部消えたのだ)永井に電話したらまだ起きていたし、それで永井から桜井君に連絡してもらったら、やはり起きていて、なんということだこれは。電話する、俺も俺だが。
■あと映像を使うという演出を考えてしまい、これがまた大変なことになった。素材の撮影もある。生中継もやるという、厄介なことを思いつきすぎた。といったわけで、慌ただしい仕事をしているわけである。でも、まあ、京都の大学の発表公演のあの地獄の日々のことを考えたらですね、まったく環境的には楽だ。というのも家が近いってのがある。しかも直前の土日は基本的に稽古は休み(土曜日は学生は自主練。僕も行くことにしましたが)だなんて、もう極楽な舞台作りだ。作品は一時間強の予定。僕の担当するAクラスのパートは予定をオーバーして30分近くになりそうだが、ま、しょうがない。学生たちはせりふを覚えられるだろうか。

(5:41 sep.9 2005)


Sep.7 wed.  「稽古とその他のこと」ver.2

■すでにこのノートを読んだ人は、大学の公演が、10月16日となっていたのを読んでしまったと思うが、9月である。9月の16日である。まちがえました。もう一週間ぐらいしかないんだ。テキストができたのがきょうだ。すごいだろうこのスケジュールは。
■連日の稽古と打ち合わせ。そして台本作り。頼んだことをきっちりやってきてくれた学生に感謝だ。しかも、それがいい仕事だったので感心した。稽古で作ったこと、決めたことをテキストにしてもらいメールで送ってもらった。構成して台本化。着々と作業は続く。で、それは僕の担当するAクラスの話なのだが、全体の演出というのが僕の仕事なので、美術にしろ、いろいろ打ち合わせをしなければならない。ここにきて当初、考えていたプランがだめになったり、それでまたやり直しなど、むつかしいことはいろいろある。結構、保守的だよ、大学。早稲田のイメージは自由だったのだが。
■このところ助手のPさんとよく話しをする。Pさんは韓国の出身だが、話を聴いて驚いたのはタクシー代の安さだ。東京で地下鉄をつかって一日、まわるのと、ソウルでタクシーを使って同じように回るのではほとんど料金が変わらないそうだ。誰も終電を気にせず、夜遅くまで飲んでいるのは、タクシー代が安いからだという。世界中でも高いんじゃないか、日本の交通費。若い者にとっては東京でなにかしようと思うのは負担の大きいことなのだ。
■大学の発表公演は、9月16日に昼と夜の回があります。夜は、18:30分開演。15分ほど遅刻して以後は入場できませんのでお早めにお越しください。二週間足らずの稽古でもここまでできるというのを見て欲しい。というか、どこまでできるか、僕にも、まだわからないのだが。15日は公開ゲネということになっています。やっぱり昼と夜との二回。昼の時間は、えーと、忘れてしまった。調べてまた書きます。もし時間があったら観に来てください。

■まあ、人は漢字が読めないと恥ずかしい気分になるとはいうものの、あれは、知っているかどうかの問題であろうと思われ、僕も、阿部和重君の小説に「齎す」という漢字が出てきたときは、何度漢和辞典を引いたかわからない。なんど引いても次に出てくるときには忘れていたのだ。「齎す」と書いて「もたらす」と読む。だから、人が漢字が読めないという事態はそれほどの問題じゃないと思いつつも、あるテレビ局のアナウンサーが、「読む」のをプロの仕事にしている人が、驚くべきまちがいをしたときは、さすがに、それは問題じゃないか、いかがなものかと思ったのだ。アナウンサーは「ネットにおけるオークション詐欺」をレポートしていた。そのなかで、「競り落とす」という言葉が出てきた。当然、これは「せりおとす」と読むべきだが、驚くべきことにフジテレビのアナウンサーは「きそりおとす」と声にしていたのだ。ひどく驚いた。仮にもアナウンサーである。誰か注意してやる者がいてもよさそうなものじゃないか。
■とにかく稽古である。稽古の日々は続く。不安な点もないじゃないし、時間が短かったことを完成度の低さの言い訳にしたくないという思いもあり、プレッシャーを感じるじゃないか。ただ、またいろいろな俳優と仕事をするのは面白い。

(1:29 sep.8 2005)


Sep.5 mon.  「稽古」

■とうとう、大学の「演劇ワークショップ」の発表公演に向けた稽古がはじまった。以前も書いたと思うが、四月からやっていた「演劇ワークショップ」の授業は一文の表現芸術専修の学生にむけたものだったが、この発表公演のある「演劇ワークショップ」は二文の学生に向けたもので、しかも、専修の枠を越え、いろいろな学科からやってくる。そのへんの大学の仕組みが複雑である。しかも時間はないのだ。それでも一時間と少しの舞台を作る。AからCまで三クラスがあって、それぞれ、現代演劇、古典芸能、ダンスとあり、担当の教員がちがうが、僕が全体の統括のようなことをする。
■午後、Aクラスの稽古で、『三人姉妹』の台本を読む。どうやって進めて芝居にするかは作りながら考える。忙しいものの、しかし稽古がはじまると楽しい。やっぱり稽古が好きなのだな。その後、夕方から全受講生、それからスタッフワークを担当してくださる先生方たちに向け、演出家プレゼンテーションというのを広い教室でやる。だいたい、こういうことをやりたいとか、大雑把な構成を発表。それぞれのクラスを並べただけのもので、そのつなぎみたいなものについては、できたものを把握してから考えようと思うのだ。
■稽古を見学したいという受講していない学生も来たが、手伝いにしろ、見学にしろ、ぜったい受け付けないというのがこの授業の方針らしく、せっかく来てくれたのに帰ってもらうことになって申し訳ないことをした。見学もだめなのかあ。映像をやりたいという学生もいたのだがなあ。学生数の多い学校だから、そうした原則をきちんとしないといろいろ混乱が生じるのかもしれない。むつかしいところだ。家に戻って原稿を書く。稽古中、台風が来なければと思う。もちろん、本番もそうだ。というか、本番は事情があって台風が来るとほんとうに困るのだ。ただ、来たら来たで、もうそのときはしょうがないと思っているが。

■二週間近く、稽古にかかりきりだ。なにかこの条件だからできる、実験性のようなものが作れたらいい。ゆっくりしてもいられないが、じっくり考え、条件のなかでやりたいことをやりたいと思っている。チェルフィッチュの岡田君の方法に刺激されたなにかを、僕のなかで、また変容させて提出できたらと思っている。あと、堂々とチェーホフの一場面をきっちりやることも面白いと思うが。まあ、表現を深めるといった僕が課題にしていることは、ま、無理なのだから、いろいろ奥の手を出さねばならんのだな。時間のないなかでものを作るのはこれもまた修行である。たいへんだけど。

(3:21 sep.6 2005)


Sep.4 sun.  「台風が来る」

■台風が来る前に東京に戻ってきてよかった。もう月曜日からは学校がはじまる。
■小説も小刻みに書いている。予定より少し長い枚数になりそうだ。うまく短いものが書けなかった。なぜだろう。すごく単純な話を書いているつもりなのだが。田舎にいるときは本を少し読むくらいで、時間をもてあました(といってもやることはいくらでもあるが、ぜんぜん、やる気にならない)。田舎にいるとやけに時間が長く感じる(繰り返すがやることはいろいろあるんだよ)。このところあまり見に行っていないいろいろな人の、ブログ、日記サイトをまとめて読む。あまり更新されていない日記やブログを久しぶりに読みに行き、どっと更新されているのを発見すると、なんだか得をしたような気持ちになるのだった。僕のようにほとんど毎日、更新されてしまうと、これはこれで驚きというものがなくなってしまう気がした。
LOOKING TAKEDAの、というか、いまはTSUDANUMA NOTET君の日記では、ライジングサンのこと(というかT君のそこでの行動)が詳細に書かれていた。それで同じ時間に同じ場所にいたのを文中にいくつか発見し、こうしてあとになって知るのは奇妙な面白さだ。ハナレグミをT君も見ていたのか。さらに、ブラックホールに一緒に出たO君も見ていたのを、O君が書いているブログで知った。そこはボヘミアンテントという名前の、少し離れた位置にある会場だったが、途中、森の中を抜けるような感じで暗い通りを歩き、他のテントとはちがってひっそりとした時間の底のような場所にあった。自分の出演する仕事が終わったら、僕はさっさとホテルに帰って美味しいものを食べて眠るつもりだったし、あんまりライブを聴こうなどと思っていなかった。もう何度か書いたことだが、行ったら行ったで、フェスは面白かったのだ。やってる音楽がよかったとかそんなことより、なにしろフェスだった。それで誘われるがまま、いろいろ見たのだな。なんだったんだよ、あの二日間は。
■それにしても、ネット上における日記やブログという小さなメディアでも、それぞれの文体というか、なにを語っているか、その語り口がある。それが興味深い。語り口から世界が見てくるように思う。
TSUDANUMA NOTEのT君は「生活者」というしっかりした言葉の気配が漂う。べつにことさらそうしているわけではないと思うが、あきらかに、僕とは異なる書き方になっている。言葉から出てくる、「生活のたしかさ」といったものを読む者が受け取るのではないか。あるいは、大阪で、『be found dead』を上映するのに奔走してくれた、「あわわアワー」のM君の日記から出てくるものもまたまったく異なって、たとえば、次のような部分には、なにか、わけのわからない感動すら出現するのだ。
色々な失態の挙げ句、明け方、何故か一人になっていました。でもすぐに河原雅彦似の陽気なニイチャンが店に入って来て、そのヘラヘラした酔っ払いのテンションが世界で唯一の、僕をなぐさめてくれるものとなりました。いま俺、落ちぶれた挙げ句、凄く安い時間を過ごしているなあと思いつつも、ニイチャンのもの凄いヘラヘラっぷりに感心してしまいました。朝、店を出ると重い足取りに。帰り道、家へ帰る前に憂鬱な気分の中へと先に帰って行く俺。
 書けないなあ。すごいなあ、これ。これすごくだめな状態だと思うのだが、それが素直に伝わってくる印象を受け、どうやったら書けるかわからない奇妙な感触がある。こういう人物をわざと作ろうとしてもきっとうまくいかないだろう。そこには、「河原雅彦似の陽気なニイチャン」に救われ、そしてその救いを恨みもするが、けれど、「河原雅彦似の陽気なニイチャン」を責めるわけではない。嫌悪するわけでもない。そういう人が、そこにいるのだ。「日記だから自分のことを書いた」だけでもないはずだ。こうした人物をどうしたら書けるのか。いくら分析しても、それはうまくいかないことなのだろうか。

■台風が近づいている。四年前の九月、台風は関東に上陸した。いま書いている小説はそのときの話。またこつこつ書いてゆく。

(23:54 sep.4 2005)


Sep.2 fri.  「浜名湖」

■まだ静岡にいる。病気で思うように歩けない父親がどこかに行きたいというので、浜名湖のあたりまでクルマで行ったのだった。三ヶ日という土地はみかんの産地として有名だが、町のそこかしこに、みかんのデザインがあった。なかにはかわいいものもあるが、なにも公衆トイレまでみかんの形にすることはないと思う。ひどく暑い一日。三ヶ日は浜名湖の奥にあたる。ここらも夏は、リゾート地としてにぎわっているのだろうが、この時期になるともう静かだった。あるいは浜名湖はウナギの養殖でも有名なので、通り沿いに鰻屋もよく目に入った。昼食をとろうとどこか探すが、どこが美味しいのかわからず、適当な店に入る。しかし、養殖地と、鰻屋とはそもそもが無縁なのであり、ウナギがよくとれるとはいっても美味しい保証はなにもない。そうするとやっぱり、東京の名店がいいということになるが、それはしょうがない話だ。
■それで思い出すのは、以前、新潮社のN君やM君と話しをしているとき出た、「人は京都に江戸を見にゆく」という話題だが、つまり江戸の情緒のようなものは戦争中の爆撃で東京からはほとんど消えてしまい、かろうじてそれが残っているのは京都のような町だという意味になる。いま、人が「日本」と感じているその情緒や、あるいは大半の生活慣習は江戸のある時期に形成されたものであって(つまり歴史は浅い)、ウナギを蒲焼きにして食べるような習慣も江戸が生んだものだと思われる(資料をあたっていないので推測に過ぎないが)。生ものの産地ならいざしらず、加工する料理はいくら養殖地とはいってもおいしいとは限らない、っていうか、美味しくないだろう。ま、べつにどっちでもいいんだけど。
■で、帰り浜名湖の奥、「姫街道」という道を走っていると通り沿いには旧街道にふさわしい松並木があった。そうした光景が人の意識になにかを生み出す。これも「江戸」だよな。「近代」はぶあついとはよく言うが、「江戸」のもたらす「心性」はなおぶあつい。そんなことを考えつつ、悩むのは大学の発表公演のことだ。もう時間がない。うまくゆくだろうか。悩むのだ。あ、あと「銀杏
BOYZ」関連のメールをさらにもらったが、それはまた後日。

(10:19 sep.3 2005)


Sep.1 thurs.  「帰郷」

■静岡に帰郷中です。父親の病気のあんばいがあまりよくなく、顔を見せるだけでも安心すると思っていたが忙しくて帰る時間もなかった。こんな時期になってしまった。首都高から東名高速道路へ。道は空いていたせいか、とても早く着いた。ラストソングスの鈴木は、札幌までクルマで行くのでさえ遠かったと思うが、そのあと8時間かけて札幌から知床まで行ったそうだ。そりゃタフだ。
■静岡県の田舎町はとても静かです。東京だと、どこからかクルマの走る音が重低音のように四六時中響いているが、ここではそんなことはまったくない。ゆっくり夏目漱石のことを考えていた。いろいろわずらわされることなく、なにか考えるのはとてもいいけど、メールってやつはどうしたってチェックしてしまうのだな。制作の永井からいくつか仕事についての連絡。子どもの質問に応えるという仕事が福音館書店の雑誌からあって、五歳のキヨシロウ君の質問(哲学問題です)がものすごく難解である。でもそれに精一杯応えようと決めたのだ。いろいろ調べたりしつつ、まじめに考えようと思った次第である。たまには、しっかり考えつくそうと思ったのは、相手が五歳のこどもだからだ。
■京都で劇団活動をし、かつて僕の関西ワークショップにも来ていたH君から、峯田ひきいる「銀杏
BOYZ」のライブに行ったというメールがあった。
昨日、宮沢さんの日記観たら、銀杏ボーイズと友部さんのライブのことがのってて、これは!!ってことで観にいこうとしたのです。で、チケット持ってなかったけどダフ屋がいるやろうと思い会場の周辺を彷徨ったのですが、行けども行けどもダフ屋は現われません。ダフ屋かな?と思って近づいたら下向いてたこ焼き食べてるおっさんだったりで、もう駄目かしら?と思ってたら、次の日急に試合が入って観れなくなった高校球児がチケットを売ってくれたのです。なんと。
友部さん、前に観たのが京都の拾得だったのでそのときとはかなり印象が違いました。2000人の若者の前で一人で楽しそうに唄う友部さんは素敵でした。高田渡さんのことをうたった歌も聴けて嬉しかったです。銀杏ボーイズも凄いよくて、なんかアンコールで峰田君が客席の真中で弾き語りしてて、隣の髭生やした男の人が目から涙流してて、なんかそういうのいつもならひくと思うのですが、昨日はいいなあと思ったのです。物凄い目をして全身全霊で歌う峰田君もいいけど優しい顔と優しい声で歌う峰田君もいいなあと改めて思いました。
 そうかあ。行ったのか。うらやましいな。しかも、高校球児からチケットを売ってもらえるなんて、そんなにあることじゃないだろう。二度羨ましい。

■ここ静岡では、そんな音も聞こえず、ただ、秋の虫の声がします。窓から涼しい風がときおり入るけど、まだ蒸し暑い時間もあります。考えごとをするにはとてもいい環境だ。

(4:39 sep.2 2005)


「富士日記2」二〇〇五年八月後半はこちら →