富士日記2PAPERS

Apr. 2007 MIYAZAWA Akio

宮沢宛メイルアドレス

Apr. 19 thurs. 「ゲネとか、いろいろ」

稽古にて

■少しずつ舞台はできてきた。もちろんこれは「リーディング公演」。とはいえ、俳優たちもがんばっているのでそれなりの完成度になったと思う。あと、戯曲がほんとにでたらめだ。自分で書いて言うのもなんだが、なんだこれは。
■カーテンコールを含め、ぴったり一時間四〇分だった。というのはゲネの話だが、きょうは少し早めに森下スタジオに入ってゲネと抜き稽古。最初に、音響の練習をする。というのもきのう書いたとおり、音響のオペレーターを演出助手のO君がやっており、この現場で本番を直前に誰が不安になっているって、それはO君にほかならないからだ。レベルを合わせるだけでも大変なら、たとえばフェードアウトするのもむつかしい。それを一時間少しやり、少し確認するところを俳優たちに指示をし、動きなどやってみてからゲネの準備へ。
■リーディングは「戯曲を試す」ということなのだろうが、やけに演出してしまっている気がする。ただ、お客さんに観てもらうと思うとどうしてもしっかりやっておかなければという、そんな気になってけっこう細かいことを稽古している。で、悩むのは、稽古すればするほど俳優は台詞を覚えてしまうことだろう。それ、リーディングか。手にしている台本の意味がよくわからない。とはいえ、たしかに全部の台詞を覚える時間的な余裕はないわけで、台本は手にしていなければならない。じゃあ、なぜ「時間的な余裕がないか」といえば、それはリーディングなので稽古時間があまりないからだ。なぜリーディングだと稽古時間をあまりとらないかと言えば、これはあくまで「戯曲を試す」ためのワークインプログレスだからだ。しかしある程度の稽古は必要だ。その稽古のなかで俳優は台詞を覚えてしまう。って、順に考えてゆくとよくわからないことになっている。でも、僕は「リーディング公演」が好きだ。戯曲を試すために、本公演とはちがって、ある意味、というか、いい意味において冷静で、楽な気持ちで、稽古と本番ができるからだ。これはあくまで言葉の試行。表現は次。表現はさらにこれからもっと考える。つまり、「なにをやるか」がリーディング公演であり、「それをどうやるか」が本公演にいたる試行になる。
■正直なところ、「リーディング公演」の第一目標は、わたしが戯曲を書きあげることにあるのだった。どうしたって公演があれば戯曲は書くよ。それと稽古があれば、俳優に気をつかって少しでも稽古のたびに戯曲を書かなければいられない。俳優に気をつかうなら、稽古初日に戯曲が完成していればいいが、できないんだ、それができない。戯曲が予定通りに書けたら俺は一年に数多く芝居をやっていると思うし、もっと職業的な劇作家になれただろう。小説だって年に何本も書きあげるような、そういった、多作で勤勉な作家になったと思うが、できないんだ。できないものをやれっていったってできるわけがないじゃないか。なにを人に期待しているのだ。もっと言ったら、そういった人間だったら、もっとたくさんの仕事をしていると思う。

■それにしても、四月だというのに寒いのが気になる。雨が降らなければいいが。おだやかな天気のなかで舞台を観てもらえたら幸いだ。言葉を聞きに来てください。俳優たちの姿を見に来てください。森下は遠いですが、損はさせません。私のアフタートークもあります。まじめにやります。ばかなことも話すかもしれません。内容も書きたいものの、あまり詳しくは書けないので、舞台を観ていただく以外にないのですが。まあ、ここ数作とはまた異なる傾向の舞台です。もうすぐ本番です。

(6:37 Apr, 20 2007)

Apr. 18 wed. 「すぐにもう、本番」

稽古写真

■照明の作業が入り、さらに音も流すようにセッティングされ、夕方からテクニカルリハーサルだった。本番の公演とはちがい、ざーっと頭から流しながら、うまくいかないところはそこで止め、返して少し練習する。本公演だったらもっと細かくできるまで徹底的にやるだろう。あるいは照明で少しちがうかなと思うところは照明の斎藤さんに頼んで変更してもらう。音響の半田君がべつの仕事があるので本番のオペレートにつけない。それで演出助手のO君がオベレートをするが、そこちがうとかって、僕が指摘するが、できないのもしょうがない。なにしろいきなりその仕事をまかされたのだから、土台無理があるのだ。何度も失敗する。本番も不安である。「ちがうよそこ」と僕がきつい調子で言ってしまうが、まあ、しょうがないよね、こればっかりは。O君には災難としか言いようがない。
■仕込みが夕方までかかったので、テクニカルリハーサルは午後6時半からスタートだった。リーディングだから軽くやるってわけではないが、そんなに細かいこと、あるいはやけに演出された部分もないので、スケジュール通りに進行。九時半には終わった。テクニカルなことに気をつかっていたので俳優の芝居はあまり細かく見ていなかったが、それでも若い女優たちの芝居がずっとよくなっていた。三人の若い女優がきのうの稽古休みのあいだに集まって自主稽古していたとのこと。感心した。安定して芝居のできる俳優は安心して見ていられる。でも若い斎藤もこのあいだダメをだしたところがすごくよくなっていた。
■照明と音楽が入るととたんに舞台の印象が変わる。まあ、当然である。いま森下スタジオではほかに使っているグループがいないせいか、Aスタ(中ぐらいのリハーサル室)とCスタ(一番大きなリハーサル室)が使える。俳優の楽屋というか待機場所がAスタになっており、ぜいたくこの上ない使い方をさせてもらっている。ほんとにありがたい。僕は森下スタジオでこれまでも何作か稽古をしたが、Cスタを使うのははじめてだ。広いだけで疲れない。床がある程度クッションがあってからだに負担がかからないせいか、疲れない。とても使いやすい。

■稽古、というかテクニカルリハーサルも無事に終え、家に戻った。それから当日パンフにのせる原稿を書かなくてはいけないが、なにを書いたらいいかかなり悩む。書けない。夜中の二時くらいにようやくできる。デザイナーの斎藤さんに直接メールで送って当日パンフを作ってもらう。なぜ書けなかったかというと、いろいろ、悩むところがあって、今回は戯曲で表現したいことがはっきりしていたが(とはいってもあまり声高にいうようなことじゃない)、それをこういった文章で語るのはおかしいと思ったからだ。かといって、ほかに記すことがない。困っていたわけだ。原稿になにを書くか行き詰まることってあまりないが、今回はやけに書けなかった。そういえば、昨夜の深夜、今回の舞台についてもっと勉強するために関係する資料としてある傾向の本を10冊ぐらいまとめてアマゾンや古書店から買った。リーディングが終わったらさらに勉強だ。
■少しずつ舞台ができている。二月にあった「オーディション」から創作ははじまっていた。そしてリーディングまでたどりついた。戯曲を書きはじめるのにかなり時間がかかった。最初の一行が。そこでかなり苦しんだが、ようやく書きあげ、この段階としてはこれが完成形としかいいようがない。さらに改稿をしてゆきもっとテキストを豊かにしよう。ところで写真は、手前から鎮西、右が時田、奥が山縣太一である。もっときれいな写真が撮れたらよかったが、単なるコンパクトなデジタルカメラですから。もう「リーディング公演」の本番。たくさんの人にご来場いただきた。

(8:26 Apr, 19 2007)

Apr. 17 tue. 「稽古は休みだったが」

■久しぶりに渋谷に行ったのはリーディング公演で使う音楽を探すためだった。外はひどく冷えてまるで四月じゃないようだ。それにしても、舞台で音楽を流すのはなぜなんだろうといった疑問を抱いたのは、もう10年以上前になるけれど、その後、音楽をいかに使うかについていろいろに考えた。音楽を作ってくれる桜井君や、もう10年以上音響でつきあってくれる半田君とも考え、舞台における音楽や、もっと端的に音響システムから出力される「音」について考え続けていたのだ。ただ、考え続けているうち、そうした「考えている状態」があたりまえになってきて、最近はどうでもよくなっているのかもしれない。
■『鵺/NUE』のとき、東大の内野儀さんから、ラストシーン、演出家と黒ずくめの男が去ってゆくとき音楽を流そうと思わなかったのかと、それは公演後の劇場のロビーでの軽い雑談のなかだったが、話の流れでそう質問された。ちょうど桜井君も一緒にいて、「うーん」と二人してうなったのだ。僕も桜井君もわりと頑固者だった。「劇的」への疑いのなか、音楽を使えば簡単に「劇的」になってしまうことへの抗いが、音楽を使うことをためらわせる。そう考えはじめてからもう10数年か。どうなのかと思うわけである。「劇的を疑う」ことは当然だが、音楽を使うか使わないかは、もっと考えれば本質的じゃないのかもしれない。同時に、「美学」としてのいくつかの問題として、当然、美術装置、衣装、照明などいろいろあるなか、音楽がどうあるべきか演出家として選択は必要になるけれど、「劇」へのアプローチとして本質的なものかどうかは疑わしい。ただ、「芝居には音楽を使うものだ」といった安易な使い方だけはだめだろう。表現のあらゆるプロセスについてよく考えているかどうか。
■ところで、「映像」はいま、プロジェクターの圧倒的な進化のなか(もちろん映像制作においてもコンピュータが導入され簡単になった事情もある)誰もが舞台で使うようになった。僕もそうです。というか、もう20年以上も前から舞台で映像を使う機会が多かった。一方、演劇人のなかには「映像」を否定的に考えるむきも多く、身体の優位をそこに対置するけれど、それはもちろんそうなのだ。だとしたら、「なにもない空間」さえあれば演劇は生まれるだろう。音楽はどうなのか。照明はどうなのか。劇場の空間はどうなのか。現在あるそうした芝居のあらゆる事情は、たいていが所与のものではないのだ。最初から存在しなかった。単なる歴史的な存在である。だから演劇はようやく照明や音響と同様に「映像」を獲得した。で、まあ、「映像」についてそう考えるように、「音楽」も存在する。というか、かつて演劇人はおそらく、「最近は音響システムがいちじるしく発達したからみんな安易に音楽を使う」とか、「照明の装置がより向上したから、簡単に明るくしたり暗くしたり、妙に色を使いおって」と言っていたにちがいないのだ。

■ピーター・ブルックの『ハムレットの悲劇』は日本人のパーカッション演奏者が舞台上にいて、音響システムからではなく生で音を出していた。それを評価する人が多かったし、僕もその音楽の使い方、というか、音楽そのものが好きだった。ただ生で音楽が演奏されることへの評価ってのはおかしいのであって、なぜなら、むかしはみんなそうだったからだ。古典芸能を見てみればいい。みんな生演奏である。音響システムから音楽が流されるのがあたりまえになったから、逆に「生演奏」が新鮮に感じる。「あたりまえになったこと」と異なることをすればたいてい新鮮だ。けれど、それはあらかじめ、敗北しているのである。なぜなら「歴史」は圧倒的なモノとしてすでに存在しているからだ。
■で、なんだっけ。そうそう「音楽」であった。なにか音楽を探しに渋谷に行ったのである。こういうとき私は、趣味で音楽を探さず、演出家として「舞台で使う」という基準で音楽を選ぶ。ただそこにはもちろん、どんな音楽を舞台で流すかといったカントがいうところの「趣味判断」はあるわけさ。ひとつの基準としてよほどのことがなければ「歌」が入った音楽は選ばない。あまり「劇的」にならないようにする。かつてなら、いくつもレコードショップをまわって日ごろから丹念に音楽を探していたが、体力がないのは悲しいところで、そういった丁寧さに欠ける。だって疲れるんだよ、一日、レコードショップで立って探すのは。
■夜、家で選曲。時間がかかる。一部の音楽をコンピュータで編集する。こういう作業は面白い。音楽編集ソフトを使ってここからこう使おうと切ったりミキシングする楽しさだ。で、それもまた「劇」の本質とはほぼ関係のないところで注がれるわけのわからない情熱だ。かつて別役実さんは、『ベケットと「いじめ」』のなかで、演劇には、本質的に変化しない20パーセント(ここでは主にテキストレベルのことが語られるのでドラマツルギーのことになるが)と、時代によって変化するどうでもいい80パーセントがあると語っていた。この「どうでもいい80パーセント」のなかに「音楽」もきっとある。「本質」についての議論は、演劇のみならず、文学のことでもある。だからこそ、ギリシャ悲劇をあらためて学ぼうと考えもした。

■で、戯曲を書きあげたのでとたんにこのノートが長くなるのだ。どうなのかと思うね、しかし。ただ、戯曲を書き上げたからそれでひとまず今回のテーマについて考えるのをやめるのではなくさらに持続して考えるべきだろう。戯曲を書いているときにテーマは生まれる。ただそのときは思いつきが多いので、さらに九月の本公演までにそれをどう深めるか。そうでなくてなんのためのこの長い創作の時間か。もちろん、これまでもそうだったが表現することを長い時間をかけて探す試みではあったが、書くということにおいても、時間を有効に使い、さらに戯曲を深めよう。
■エドワード・W・サイードのある著作は、写真家とのコラボレーションだった。一枚の写真がある。そこからサイードの思考がはじまる。このコラボレーションの方法が興味深かった。そういったことを舞台でもできないだろうかと思ったわけだ。もちろん、その場合、サイードの思考を強く促す写真の強度が存在する。写真自体に強い政治的な意味がある。パリのポンピドゥーセンターに行ったとき、メインの展示は二〇世紀の現代美術を概観する壮大な展示だったのでもちろんそれに興味をいだいたが、それとはべつに、こじんまりと展示されていたのは写真によるインスタレーション的な作品だ。二枚の写真が並べられ、ひとつの作品になっている。それが何点もある。二枚はまったく異なる種類の写真だし、一枚だけ取り出せばどこにでもあるなんでもない写真かもしれない。スナップのような写真たち。観光地で撮ったような写真たち。日常でふとシャッターを切ったような写真たち。あるいは、きわめて通俗的なモノの写真。だが、二枚並ぶことで意味が発生するその方法が面白かった。
■時間があるのはなんて素晴らしいことだろう。こんなにもノートが書けてしまった。で、いくつかの報道に驚かされる。いやな気分だよ、まったく。ここと、そこは、そして遠い国は、どこかできっとつながっている。

(8:34 Apr, 18 2007)

Apr. 16 mon. 「リーディング公演まであと少し」

森下スタジオ入口

■森下スタジオは地下鉄の新宿線の森下駅からすこし歩いた場所にある。九月の本公演までここにずっとこもることになりそうだ。そして「リーディング公演」もここで上演される。詳しくは上のバナーをクリックして場所などご確認ください。
■出演する山縣太一は、横浜の鶴見からここまで通っている。遠いねそれは。それでいて稽古が終わると毎日、飲みに行っているらしく、遅くまで飲んでそれから電車を乗り継ぎ鶴見まで帰るという、その「飲み」にかける情熱に驚かされるのだが、それにしても、太一は面白い。なんでしょう、あの人の、でたらめさは。僕は、俳優が自分でも気がついていない魅力を見つけそれをうまく表現できるよう演出したいといつも考えるんだけど、太一のわけのわからなさは、それだけで魅力的で、ここ、こうしろと、あまり言わずにほってある。なにか、まだあるかもしれないと、探っている段階だが、まあ、リーディングの段階だから。これからもっと深く見たいと思っている。本公演に向け細かく稽古してゆけばさらによくなるはずである。
■それぞれ俳優はいい感じだ。今回はこれまで舞台を一緒にした俳優としては、上村、南波、田中の三人しかいない。あとは初めての人ばかり。まだ未熟な者もいるがこれから稽古してゆけばぜったいによくなる。ならせてみせる。まだ部分を抜きで稽古することをあまりしていなくて、だーっと通しで毎日やっているので、細かいことをあまり反復していない。九月までにはもっと表現は深くなるだろう。というか、べつに未熟な人に限らない。きょう通しをやってからのダメ出しのとき、杉浦さんがリーディングでこれだけ芝居してしまうと本公演でなにをやるのかといった意味の疑問を話していたが、それはぜったいに変わる。きっと変わる。
■戯曲は、いったん書き終えてから、さらに手を入れた。少し削りたい部分もある。もっとシャープになるだろう。それもリーディングが終わってから考えよう。もっと考えることがありそうだ。リーディングを通じて考える。稽古をし、それからリーディングの公演があってから僕自身も気がつかなかったことを発見するだろう。まだ本のなかに甘い部分もあるからな。もっと練る。

■戯曲があがって、少し余裕を持って舞台のことを考えられるようになった。三月になってから時間がないことに焦燥していたがそれからも解放された。また連載の締め切りがひとつ。「一冊の本」の『機械』を読む原稿。まだ読んでいる。足かけ十年ぐらいだ。もうすぐ単行本になる予定。それからリーディングが終わったら、「八〇年代地下文化論」につぐ、講義録シリーズ第二弾「ノイズ論」をまとめる仕事があるのだった。小説も書く。あ、そうだ、『東京大学「八〇年代地下文化論」講義』は増刷されました。まだお読みでない方はどうか読んでいただきたい。
■リーディングの本番まであとちょっと。やれることはやっておこう。アフタートークの際、会場から質問があることを期待しております。短い時間になってしまうかもしれませんがよろしくお願いします。

(5:05 Apr, 17 2007)

Apr. 15 sun. 「久しぶりの更新」

■ようやく戯曲の第一稿が完成したのだった。ずいぶんこのノートも滞ってしまった。滞っていると、まだ書けないのだろう、苦しんでいるんだろうと思われるのじゃないかと想像するが、その通りであった。苦しんでたんだよ。とりあえず第一稿だ。柱となるものに変更はないと思うが、これから、第二稿、第三稿と、変化してゆくだろう。というか、第一稿をもとにもっと勉強して本を豊にしたい。で、リーディングは1時間30数分になった。ちょっと短い気もしている。ここ、きちんと描かれてないって箇所がいくつかある。まだ浅い部分もある。変更すべきこともかなりあるが、ひとまず、これでリーディングをやってみよう。
■どんな感想がもらえるかだ。毎ステージ、アフタートークがありますので質問、意見など、ありましたら、ぜひ活発に発言していただきたい。「ぜんぜんわからない」と言われるのを覚悟のリーディングだ。なんで、こんな人物が出てくるのかとか、これ、なんでこんな展開になるか、疑問はきっとあると思うものの、忌憚のないところを聞かせてください。そして、これがひとつの過程であると思って見ていただき、今後の参考にしてもらうのもいいのじゃないか、っていうか、どう変化してゆくかを順に見ていただくと幸いだ。変化を楽しみにしてもらいたいのだった。
■まあ、本公演では、若松武史さんが参加するので俳優の部分でかなりちがうかもしれないが、戯曲も変わるだろう。演出もかなり変わるだろう。リーディングはとりあえず戯曲を試すことが目的で、どう伝わるか、それはやる側として、楽しみなところでもある。なんじゃこれはと言われるのを覚悟で、このでたらめなお話を見て(聞いて)いただきたいのである。

■稽古は先週の月曜日(9日)から、ほぼ毎日、やっている。きょうは笠木と、以前、演出助手もやった相馬、あと、早稲田を去年卒業したHが見学に来た。どう思ったことでしょうか。去年、比較的、きちんとした枠組みで作った舞台を二本を発表したが、これはいったい、なんでしょう。でも、また異なることをしたという気分ではあるのだ。戯曲の書き方も少し変えた。もっと異なる書き方が、従来の「戯曲」という枠から遠ざかることができたかもしれないが、まだ、修行が足りない。
■俳優たちは、こちらの期待に応えて、それぞれにいい感じで、戯曲を読んでくれている。もっとよくなる。全体の演出ももっとできることがある。ただ、リーディングですので、そんなにいろいろ演出してもしょうがない気もする。「戯曲を伝えること」という、リーディングが本来、あるべき目的が達成できればいいのだった。あと、僕が、「戯曲を書きあげる」という大きな目標がある。本公演に先立つこと五ヶ月前に戯曲があるって、いろいろな意味でとても大きな価値があるのだった。そして稽古をしているセゾンの森下スタジオがとてもいい。なんか、ここで稽古すると疲れない。なんだろう。空間が広いのもあるかもしれないが、とてもいい。とても助けられているのです。

■そうしているあいだに、べつの仕事もいくつかやっていた。ただ、いまは舞台のことばかり考えている。もっと考えよう。それにしても戯曲を書き終えて一段落。少し気持ちに余裕ができた。このノートも書けたよ。あとは稽古。

(6:42 Apr, 16 2007)

Apr. 9 mon. 「あまり長い文章は書けないけれど」

■リーディング公演の稽古がはじまったのである。まだ戯曲はぜんぜん進んでいなくて稽古しながら書いてゆくことになる。で、きょうは読み合わせをし、少し立って稽古した。俳優から言葉が出てくることで、ここ、なんだか薄いなあとか、この人物がしっかり描かれていないので浅くなっているなど、いくつか反省した。また、書き直そうかな。稽古しつつ、また書き直し、そして少しずつ書き進めてゆこう。だから俳優は、この時点ですでに、共同作業者なのである。小説の場合は、編集者との共同作業だが、あれとはまた異なる仕事の面白さがある。
■書いているうち、やっぱり虚構を作る作業、舞台を作ることの面白さを再確認するが、手を動かすことでようやく、いろいろ動き出す。脳が動き出す。気分が動く。意識が開かれてゆく。手だな。なにより手である。
■話は前後するが、土曜日(7日)は朝日カルチャースクールで友部正人さんとお話をした。打ち合わせをするため少し早めに新宿住友ビルにあるカルチャースクールに行くと、友部さんはギターをぽろんぽろんとつまびきながら応接してくれた。ギターの音を聞きながら話をするのがなんだか贅沢な気持ちになっていたのです。で、お話は、もう少しうまく話せたかなとか、友部さんからいろいろな話をもっと引き出せたんじゃないかと後悔しきりだった。時間がせっぱつまっていたので、って戯曲が書けずに焦っていたから、終わってから友部さんとあまり話ができないまま家に戻る。帰り道、友部さんの詩と、音楽について考えていた。
■日曜日。統一地方選。結果を知っていやな気分になる。桑原茂一さんから再三、メールをいただく。せっぱつまっているだけに返事が書けない。あるプロジェクトつについて賛同者に名を連ねてほしいという旨のメールがあった。賛同したいと思うものの、そこに名を連ねるのがなんだかこそばゆい気分になる。名前を出さず、活動したいと思った。できることがあったらしたいのだ。名もない活動家になりたいのだ。
■ともあれ、戯曲である。連載原稿も書いたよ、このせっぱつまっているときに。仕事を引き受けすぎた。でも戯曲。戯曲を書くのがよろこびだ。世界を作る奇妙な情熱。あと、リーディング公演では、毎日、僕のアフタートークがあります。来場してくれた観客と対話するのが目的だ。それを元にまた戯曲を鍛えてゆこうと思うのである。あと、どうでもいい話もしようと思います。リーディングを聞いて活発に意見していただけたら、とてもうれしい。リーディング公演は20日から、森下にある、セゾンの森下スタジオで。ぜひともご来場を。

(8:01 Apr, 10 2007)

Apr. 3 tue. 「せっぱつまって四月」

■雑誌のインタビューをはじめいくつかあった仕事や用事をこの数日で片づけ一段落ついた。あとは戯曲に集中しようと思うが、連載原稿の催促がメールで届く。ちょっと仕事を引き受けすぎた。でも、声をかけてもらえるのは幸いだ。で、これも半年近く前に依頼されていた仕事だが、友部正人さんと朝日カルチャーセンターで話をする。

対談講座「新しい物語をつくろう」

 日々の感覚や思考を、友部氏は詩や音楽へ、宮沢氏は演劇や小説へと形を変えます。表現者として発信し続けること、言葉を紡ぐこと、社会との関わり方など、創作活動の根本にあるものをお二人の対談から考えます。

出演:友部正人(シンガーソングライター・詩人)
   宮沢章夫(劇作家・演出家・作家)

日時:4月7日(土)19:00〜20:30
場所:朝日カルチャーセンター、新宿(新宿住友ビル7階)
問い合わせ、お申し込み :03―3344−5450
詳しくはこちらへ。


■雑誌「SPA!」の対談で、『郊外の社会学』の著者であられる若林幹夫さんと話しをした。すごく面白かった。そのことも詳しく書きたいが、またこんど。日曜日にあった早稲田のビラまき不当逮捕に抗議する人たちとの集会のことなど、いろいろ書きたいことはあるものの、さすがに時間がない。戯曲のことで悩む。うーん、せっぱつまってきた。とにかく第一稿を。で、今回はかなり本公演に向けて書きかえるのではないだろうか。そうこうしているうちに四月になっていた。桜ももう散るという。

(4:07 Apr, 4 2007)

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