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■朝、目が覚めたのは早かった。ふとんから出たとき、いつもよりからだが軽いと感じたのは、いつもに比べてよく眠ったからだろう。睡眠異常は目の前に差し迫った仕事からくる重圧だったのだと考える。キャスティングのこともあり、出演を依頼している俳優さんに戯曲を読んでもらわなければならないので、『鵺/NUE』の戯曲をせめて四分の一まで、年を開けて四日ぐらいまでに書かなくてはいけないというまた重圧はあるのだし、「よりみちパンセ」もせっぱ詰まっている。私に書き下ろしは無理だ。そして「新潮」に渡した小説があって、その直しもこの正月で完成させる予定なのだが、これらを平行してゆくほど正月が長い期間あるかというと、そんなことはぜったいにない。目が覚めてぼんやりしていたがそれからこのノートをまとめる。少しさぼっていたのでまとめてこの数日のことを書いた。ぱらぱらいろいろな本に目を通す。小説を読もうと思うがそれより、授業とか、いろいろな資料類に目がいってしまう。落ち着いて小説を読むことにする。
■で、仕事はたまっているのだから、さっさと書けばいいが、きょうは休みだと決めた(根拠はない)。ある用事で夕方は外へ。岸田戯曲賞の各作品をどんな作風なのだろうと、数ページずつぱらぱらと読む。いろいろある。様々な傾向。いろいろなことを考えている人がいるのだな。丁寧に読んでとことん分析しようと思う。それにしても、演出家フレデリック・フィスバックはやさしいフランス人だったときょう気がついた。戯曲を読むと、芝居にはあまり出てこない俳優が何人かいるので、その人のために、舞台となる居間とはべつのところで内容とあまり関係のないパフォーマンスをさせているのだ。やさしいなあ。あと、「自虐史観」という言葉があることについて彼は知らなかったのだろうな。それは杜撰な、ものごとを単純化するつまらない言葉だが、それを召還させないための演出ではなく、あっさり単純化し呼び出してしまう演出をわたしは見た。その言葉が大嫌いな私でさえ、これは「自虐史観」ではなかろうかとすら思ったのだった。平田演出にはそうした単純化をさせない方法があった。まあ、フランス人だからしょうがない。あと、パンフレットで、「フランス語の美しさ」について言及している俳優がいて、おまえ、舞台上で「朝鮮語には文学は向いていないわ」と、朝鮮語は美しくないかのように語る日本人が語るせりふをどう解釈したのだと、釈然としない思いをした。といったことを考える芝居をこのあいだ見たわけです。
■原稿を書く。小説を読む。いろいろぼんやり考えている。
(10:37 dec.29 2005)
Dec.27 tue. 「今年の仕事はまだつづくが」 |
■日曜日(25日)は、ちょっと出かけたけれど、ほとんど、「かながわ戯曲賞」のためのノートのまとめをして一日が終わり、そして、26日、その公開審査が夕方からあったのだった。横浜までの高速道路はひどく風が強い。カーブでハンドルがとられ怖いことこのうえない。少し早い時間に横浜STスポットに到着した。この劇場では、去年、『トーキョー/不在/ハムレット』のプレ公演をやったり、やはり、「かながわ戯曲賞」のために来ているのでずいぶんなじみになってしまった。で、いま過去のこのノートを見たら、前回の「かながわ戯曲賞」の選考会は今年の二月だったとわかった。つい、「去年の」と前回のことを話してしまうが、今年のことだ。前回は僕が、舞台の稽古のためにまったく時間がなかったので、どんどん前倒しになり、例年なら秋の遅い時期だが年を越して二月になったのだ。そして、そのリーディング公演もあり、今年はほんとにいろいろなことをした年だったとあらためて回想する。
■批評家の内野儀さん、演出家の松本修さんと合流。簡単な打ち合わせをして、いよいよ公開審査。今回の候補作は六本。ひとつひとつ評価してゆくと時間がかかると思い、それぞれがいいと思った三作品をあげてもらうという方式で話を進めることにした。わたしは進行を任されており、去年は、かなり戸惑ったが、今回は少し慣れた感じがする。ただやはり緊張する。この年の瀬の、しかも平日の夜に、いったい公開審査に足を運んでくれる人はいるのか疑問だったが、少ないとはいえ、話を聞きに来てくれた方たちがいる。早稲田のいつものメンバーが揃っていた。ふと見ると学生たちはノートをとっている。なんてまじめで熱心なんだ。
■前回のこの選考会の記録にも書いたことだが、批評家、演出家、劇作家といった三者の立場で(べつに意図したわけではないが)それぞれの話が出る。僕も読んでいて気がつかなかったことが、内野さん、松本さんの指摘のなかにあり、僕にとっても刺激的な話になった。この戯曲賞は公募制であり、158の応募作があったとはいえ、その全体的なレベルが高いとはけっしていえないだろう。ただ、現在の劇の傾向は反映するにちがいなく、話しを進める上で単に審査するだけではなく「劇」そのものについて語られることができたら、こうした公開審査も意味があると思えた。個人的な感想として、全体的に「口語演劇」と呼ばれる傾向の強さが、逆に、「口語演劇の保守性」となっていることを異和として受けた。あるいは、新聞の見出しを並べたような社会的な事象や、病理が、ただ並べられているだけで、そこからの展開(内野さんの言葉を借りれば、そこから、その事象・病理がなぜ起こっているかという追求)の欠落はやはり気になったのだし、ではそれを、どういった切り口で描けば現在性をもてるかといった、劇への企みを感じなかった。
■結局、最優秀作には、スエヒロケイスケ君の、『無頼キッチン BRAY KITCHEN』が決まり、さらに佳作として、下西啓正君の『耽餌(たぬび)』が選ばれた。
■ほかにもいろいろな作品があり、もちろん問題は多々あるが、見るべきところはあって、たとえば博多の言葉で書かれた『よかっちゃん』を読むと、もちろん技術的なことなど瑕疵はいくつかあるにしても、九州の言葉にはどこか魅力があると思えてならず、じっとりとしたこの国の夏の湿度が戯曲全体にただようのを感じたのだった。もっと書けばきっとうまくなると思えた。ただ、内野さんが今回の作品の全体の傾向を見て発言した、こうした作品を英訳して世界に通じるかどうかという指摘はもっともだと思えた(先に書いた、いまのこの国の現象や病理だけが書かれていることの追求の甘さ)。まして、博多弁の響きのよさといった評価は、翻訳によって通用するかどうか。翻訳されれば、構造とか、プロットだけが読まれ、言葉によって出現する空気は消えてしまうだろう。以前、僕の『ヒネミ』が韓国語に翻訳されたことがある。そのなかに関西の言葉が書かれていたが、翻訳するにあたって、韓国にも関西人のようにどこにいっても自分たちの地方のなまりを捨てない人たちがいて、その言葉に置き換えたという話を聞いた。たまたま、翻訳してくれた韓国人の女性が、大阪外語大学に留学していたというのだ。つまり、関西弁のこともよく知っていたことになる。こういうことは希だし、そんなにうまい偶然はない。
■といったわけで、スエヒロケイスケ君の、『無頼キッチン BRAY KITCHEN』は、僕の演出で、来年の八月にリーディング公演が催されます。ずいぶん先の話ではありますが、またその時期になったらこのノートに書くことでしょう。
■「かながわ戯曲賞」の選考を終え、外に出てゆかなければならない仕事は一段落ついた。それであとは、原稿を書く仕事が待っている。正月をはさんでの二週間ぐらいはただただ原稿を書くだろう。『鵺/NUE』の戯曲と、「よりみちパンセ」の書き下ろしだ。そういえば、来年の一月七日にわたしはNHKラジオに出るのだな。「携帯短歌」の番組。それから、ラジオつながりでいうと、渋谷FMでクラブキングがやっている番組から、一時間ぐらいの選曲という仕事が来たのだった。選曲のテーマが「富士山」だという。なんでだろうと思っていたが、考えてみれば、このノートが「富士日記」だった。こんなに忙しいのに選曲をなぜ引き受けたかといえば、選曲したかったからとしかいいようがない。
■年の暮れである。「かながわ戯曲賞」の帰り、首都高が混んでいたので芝公園で降りると、その先の六本木ヒルズのあたりでは、あれ、なんていうんですか、イルミネーションだっけ、街路樹に、発光ダイオードみたいなのが無数につけられ、光が散乱し大変なことになっていた。「西武百貨店」と「そごう」が、セブンイレブンの傘下に入ったというニュース。八〇年代はいよいよ遠い過去になりました。
(15:35 dec.28 2005)
■「吾妻橋ダンスクロッシング」を終えてほっとした一日だ。ほとんどなにもしていなかった。初日(22日)の舞台が終わってから会った早稲田の学生で、このあいだ「演劇論で読む」の授業にウォッカを用意したHが言っていたのは「ダンスってなにしてもいいんですね」と面白かったという意味の感想の言葉だった。彼は自身がなにか表現したい人だが、そういった者にとって、「吾妻橋ダンスクロッシング」はいろいろ刺激を受ける催しなのではないか。まあ、なにしろ、いろいろな人がいる。いろいろな「からだ」がある。表現がある。自分も参加しているのでなかなか客観的にはなれないものの、ただ、これ、かなり面白いのじゃないだろうか。だってなあ、よくわからないことが次々に出現する。
■ふだん僕は、あまり舞踏に興味を持てないのだが、こういう流れの中では、室伏鴻さんの圧倒的な「からだ」や、ブロックを運んでくる黒沢美香さん、首くくり栲象さんが、やけに印象に残った。俺、歳とったのかなあと思いつつ感じたのは、ある年齢や、時間を経てきた「からだ」が放つ緊張感の魅力だ。まあ、このあいだ北海道の「演劇大学」(日本演出家協会主催)で見せてもらった黒沢さんのダンスのビデオ以来、黒沢さんが面白くてしょうがなかったというのもあった。だって、ビデオで見る限り、でたらめだったのだ。それでその解説で黒沢さんは、30年以上踊ってきて、「ダンスがわからなくなってしまった」というのである。たしかにビデオで観たダンスは、かなりわからなくなってしまった人のダンスだと思い、もう黒沢さんから目が離せない。首くくり師匠のパフォーマンスの介添えとして黒沢さんと、(自分のダンスとはべつに)室伏さんが出でいた。すると、ゆっくりとした速度で黒沢さんは舞台の袖からブロックを運んでくる。なにかの拍子に「あ」と声を発するがその意味がわからない。初日では室伏さんが、ばたんと背後に倒れそれはびっくりさせられたが、二日目がさらにすごくて、本気で舞台で眠ってしまった。ほんとは10数分のパフォーマンスのはずだし、最後は首くくり師匠が吊られたまま、暗転という段取りだった。室伏さんが眠ってしまったので、時間が30分くらいになり、首くくり師匠自らロープから降りて帰ってしまった。なんという面白さだ。
■矢内原さんは、今回、とても内省的なものを感じた。またべつの印象である、っていうか、きのうぷんぷん怒っている矢内原さんを見ていたからだろうか。ほかにも、スナッキーと、スナッチという二つのキャラクターで登場した砂山さんも、あれは、クラブのショーといった種類のものなのだろうし、わかりやすいという評価をされてしまうかもしれないが、よかったなあ。特に、スナッチ。ゲネの最後のとき、カーテンコールがうまくいかないのでどうしても口を出さずにいられず、軽く演出していたら、そのスナッチさんがさっとやってきて、小声で相談するのだが、そのときのスナッチの衣装は、あのう、なんていうんですか、股間にペニスをつけているという状態なわけですね。その姿で、それをぶらぶらさせつつまじめな顔で相談されたとき、私はなんだかよくわからない気持ちになった。打ち上げで砂山さんと話をするべきだった。というか、僕はいつもの仲間たち、矢内原さんとか、映像の高橋君、それから、観に来てくれた、あの「1リットルの涙」のプロデューサーのカシカワ、あるいは押切君夫妻とばかり話をしていた。なによりも悔やまれるのはスナッキーガールズと交流がもてなかったことだ。残念。あ、そういえばチェルフィッチュの岡田君ともほとんど話しができなかったんだな。
■打ち上げで、首くくり師匠から、手伝いに来ていた早稲田の学生が話を聞いていた。あとで話の内容を教えてもらったが、師匠は7年間、毎日、休まず「首くくり」をやっていた時期があったという。おそらく、途中で飽きたときがあったのではないか。だが、その「飽きてしまった状態」から、さらに、それを乗り越え新鮮さを取り戻すために、首をくくったのではないかと想像する。それがすごい。打ち上げで白水社のW君から、僕のパフォーマンスでやった「詩人の独白」は、その独白がひとつのスタイルとして確立され、いつまでもやりつづけることができるのではないかという意味のことを提言されたが、これ、飽きるまで、いろいろな形で表現しようかと思った。飽きてもさらにやる。また、べつの新鮮さを取り戻すために、反復する。だから、なにか機会があったらまたべつの姿で「詩人の独白」をやってみようと思うのだ。もうとことんやる。なにかあったらやる。すきをみたらやってみたい。南波さんがさらに年齢を重ねたら、この言葉はどうなってゆくのか、それもまたとても楽しみだ。
■あきらかに、初日より、二日目のほうが全体の流れもよかった。それはちょっとした演出の変更だったと思う。桜井君は、プロデューサー、キュレーター、ディレクターを全部やっており、それはさすがに大変だ。流れをよくするちょっとした演出は、ゲネのときわかっていたことだと思い、桜井君をフォローするディレクターがいればいいのじゃないかというのが僕の提言だ。二日目、流れの一部を矢内原さんが演出しており、そんなにむつかしい提案ではなかったが、それでずいぶん全体の空気が変わった(もちろん、この日の観客が初日と少しちがうことや、観客数が多くて会場全体に熱気があったのも大きいが)。それができる人が桜井君を助ければいいと思う。参加者としてはたから見ていてそんなことを思った。あるいは、室伏さんのダンスが終わったあと、全身に塗られた銀粉が舞台上にどうしても残ってしまうのでスタッフが雑巾で拭いていたが、僕はべつに長いとは思わなかったものの、もし長いということであれば、映像も使えたのだから、そこで場をつなぐ映像があってもよかったかもしれない(まあ、予算的にむつかしいという事情もあったろうが。ここに参加し、映像を流したいという人もいっぱいいると思う。あるいは、映像によるダンスという考えもあるか)。
■とにかく、「吾妻橋ダンスクロッシング」は面白い。ある傾向の人たちは眉をひそめるかもしれないが、そんなことは知ったことか。六〇年代から舞踏をやっている人たちと、いまの若い世代が交流するというだけでも、とてもいいものを僕は感じた。いろいろな人がいるのだなあ。様々な表現があるのだな。ほんと、面白かった。深夜、始発まで、今回、手伝いをしてくれた早稲田の学生らと、浅草のデニーズにいた。またいろいろ話しをする。始発の時間になって学生らは、浅草寺におみくじを引きに行ったが、僕はさすがに、そこまではつきあえず、クルマで帰る。
■家に戻ると、白水社からぶあつい宅急便が届いていた。岸田戯曲賞の候補作である。26日の夕方から、「かながわ戯曲賞」の公開審査が横浜のSTスポットであるが、一月になると岸田戯曲賞の選考会だ。サイン会で関西に行ったり、「MacPower」のイヴェントがあったり、原稿が大量にあったり、年が明ければ少しは楽になれるかと思ったら、ぜんぜんそんなことがないじゃないか。
(7:04 dec.25 2005)
■夕方、浅草に向かう。いよいよ「小屋入り」である。会場に着くと、ほうほう堂の「場当たり」というか、「テクニカルリハ」がはじまるところで、岡田利規君がいたので軽く挨拶。すでにそれらを終えていた矢内原美邦さんと楽屋で会ったが、また例によって、なにかにぷんぷん怒っているのが面白い。いま、矢内原さんはある大学の講師をしているが、きょう、朝九時過ぎに学校へ行ったら来ていた学生が一人だったというのだ。「この忙しいときに」とさらに怒る。やっぱり面白いなあ、矢内原さんは。
■もちろん、浅草の「アサヒ・アートスクエア」には何度か来ているが、舞台をやるのははじめてだったので、その楽屋とか、裏がどうなっているかはきょうはじめて知った。やる側として劇場に来るのはやっぱり楽しい。しかも、「吾妻橋ダンスクロッシング」にはたくさんのダンサーやパフォーマーが出る。裏に回ると、いろいろな出演者たちがいて、全身を銀粉で塗った室伏さんがいたり、はじめて見るダンスの女の子たちが暗がりで待機している。楽屋の床で康本さんが横になって寝ている。あるいは、リハを終え、汗だくで楽屋に戻ってきた「チーム眼鏡」。それにしても、さすがにバブル期に建てられた感が「アサヒ・アートスクエア」にはただよう。トイレひとつとってもすごいしね。ある建築家が、その時期の作品がやはりバブルの産物だったと、その後の時代に批判される対象になったとなにかで読んだことがある。これもやっぱりその種類の建築になってしまうのではないだろうか。だが、逆にいま見ると、これはこれでキッチュで面白いように感じる。なにかに浮かれていた時代がこの国にもあったのだなという感傷にさえ見えてくる。
■さて、私たち、「alt.」チームの場当たりはまだのようなので、ただ待っていた。待ったなあ。僕は少し遅い時間に来たが、パフォーマーであるところの、南波、上村、田中、永井をはじめスタッフたちは午後4時に到着。かなり待っていたのだ。で、わがチームが「場当たり」をはじめることができたのは、午後9時半を過ぎていた。退出時間は10時だという。9時50分には終わらせてくださいと舞台監督らしき人が、あたりまえのことを言うように口にする。もう9時40分になろうとするころだ。その、あたりまえのような口ぶりが奇妙である。ほかのチームは、場当たりというより舞台稽古のように、やることをきちっとやっていた。むしろ、途中で照明の変更のようなこともやっているから、時間は延びる。それを私たちは待っていた。しかも、早稲田の学生の、KとKは、舞台袖に置かれていた私たちが使用する小道具がほかの出演者によって壊されるのじゃないかとずっと見守っていたのだ。ものすごく見ていた。ただただ見ていた。そんなふうにずっと待っていた私たちに向かって、「9時50分には終わらせてください」とはなにごとだ。その言い方が腹立たしい。
■そこでいきなり殴ってもよかったのだが、それだと余計、時間がなくなると思い、さくさく進行。自分で言うのもなんだが、こういうときの私の機転と協調性と、そとづらのよさはすばらしい。時間通りに終える。まあ、こういうときってのは時間が押すもので、しばしばそういうことはある。だったら、もっと早い段階で判断をするのが舞台監督の仕事だ。8時半ぐらいの段階で、おそらく時間がないので、あらためて明日にしませんかと相談してくるようなことがあればよかった。わざわざここに来たとはいえ、それもやむをえぬと、多くの舞台を経験している者としては内情が理解できるから、その言葉に従ったと思う。ただ、南波、上村にはせりふがあって、それを舞台でぜんぜん試せなかったのは二人に申し訳ないことをした。僕たちの前のグループもかわいそうだったな。ものすごくせわしない作業をしていた。そこへゆくと、「チーム眼鏡」は汗だくである。こうなると、その汗だくぶりが、腹立たしく思える。
■いよいよ本番。でも、まあ、楽しもう。睡眠異常のわたしは、こんな時間に目が覚めてしまったものの。
(6:55 dec.22 2005)
■昼間は駒場の授業。白夜書房のE君が、八三年に中森明夫さんが「漫画ぶりっこ」という雑誌に書いた「おたくの研究」をネット上で発見し、それをコピーして持ってきてくれた。この時点まで「おたく」という言葉はおろか、概念もなかったんだから、考えてみるとその文章はすごい。現在、「オタク」にはべつのニュアンスが加えられ、「八〇年代のオタク」と区別して考えるべきだと思うが、その当時、「おたくの研究」がいかにある人々(つまり、中森さんが「おたく」と呼んだ層)から反発を受けたかもほかの資料でわかる。たしかに中森さんの文章が挑発的だったのもあるが、反発した者らにもまた、「言い当てられた感」があったにちがいない。時代の一側面に漂っていた空気を伝えているという意味でも、その資料はとても興味深かった。
■あるいは、岡崎京子さんの、『東京ガールズブラボー』の下巻、その巻末に、岡崎さんと浅田彰さんの対談が掲載されているがこれも面白い。対談は九二年のものだが、八〇年代を描いた『東京ガールズブラボー』を受けて、少し過去になった八〇年代について語る。二人が共通して語るのは「八〇年代の可能性」についてだ。浅田さんが、「ピテカントロプス・エレクトス」に言及しているところに注目すべきことがあると思い、あとで考えたのは、ピテカンの当事者ではなく、それを体験したことのある人による「証言」がどこかに残されているはずで、それを集めるとピテカンの輪郭がもう少し鮮明になるかもしれないということだった。
■そんな話をした授業だ。で、この授業では毎回、ピテカンにまつわるミュージシャンの音楽をかけることにしているが、立花ハジメさんを聴きたいと思っても、うちにはアナログのレコードしかないのだ。また例の簡易なプレーヤーを持ってゆこうと思ったが、さすがに荷物が多くてですねえ、ちょっと躊躇し、だったら、「iTunes Music Store」にないかと思って検索したがまったくありませんでした。「iTunes Music Store」といえば、アメリカの「iTunes Music Store」はかなりいいわけですよ、検索すると、様々な楽曲が出てくる。ただアメリカ在住ではないと買うことができない仕組みになっているものの、ある手を使うと買うことができることはよく知られている(らしい)。やり方も知っているんだけど、それは、やはり一部、まずい点があるわけですよ。でも、買いたいのだなあ。いいものなあアメリカの「iTunes Music Store」。Apple社にしたら、海外から買いに来てもべつに損失にはならないんだからいいんじゃないかって気もするのだがいかがなものか。ま、それはともかく、駒場の授業はそんな感じで終える。きょうは打越さんがいらしていたが、書かなければなあ、「よりみちパンセ」。正月休みに書くと約束してあるのだった。あと、授業後に、二人の学生が質問に来てくれたが、ひとりの学生は、たとえば最近のラップの歌詞における、「右っぽさ」の傾向についてどう思うか、あるいは、現在の「おたく層」のナショナリズムについて僕が話したことへの質問だった。で、質問に応えながら考えたのは、ラップはべつに新しい音楽ではないし(なにせ20年以上前にすでにありましたよ)、そして、いまやラップはヤンキーがクルマから大音量で流す音楽になってしまったということだ。
■授業が終わってからE君と今後のことで少し打ち合わせをし、それから稽古に向かう。駒場からクルマで荻窪へ。山手通りはひどい渋滞。僕のクルマが到着しなければ小道具がないので(つまり小道具類はぜんぶクルマに積んであるわけだ)、出演する南波、上村、田中の三人はなにもできないと焦っていたのだ。ようやく山手通りを抜けたと思ったら、さらに青梅街道もあまり進まない。一時間近く、遅刻してしまった。「チーム眼鏡」のいたきのうとはうってかわり、きょうは静かな稽古場だった。淡々と反復。かなりよくなった。精度が高まった。僕は見ているだけだ。ときどき意見する。
■稽古場で稽古ができるのはきょうまで。あしたはもう小屋入り。「小屋入り」かあ。妙な言葉だなあ。どんな大劇場でも、やっぱり「小屋入り」なんだなあ。辞書で引くと、「芝居などを興行する建物」とある。これもやはり、たいていの劇場用語と同じように、歌舞伎をはじめとするこの国の古典から来ているのだろう。「新劇」をはじめた人たちは古典に反発する意志が強かったと想像すると、おそらく、もっとべつの言葉を最初は使っていたのではないだろうか。ものごとを変革しようとするとき、まず、「用語」の変更からはじめることは往々にしてある。それが定着することもあれば、ばかばかしくなって、使われなくなることもある。「定着」には「定着」の理由があるはずだ。言葉はそのとき、「状態そのもの」のことになる。
■気がつけば年末だった。今年はまさか、「吾妻橋ダンスクロッシング」で終わるとは思ってもみなかった。ものすごい勢いで一年が過ぎていった。いろんなことがあったな。大学で教えていたし、夏にはライジングサンにまで出たんだな。ちょっと自分で驚いた。
(12:17 dec.21 2005)
■時間がないので手短に。
■「チーム眼鏡」合流。とたんに稽古場がにぎやかになる。結局、小浜はほかにもいろいろ出るというので、「片付けのパフォーマンス」には参加しないことになった。でも小浜が稽古場に来てくれたおかげで、「チーム眼鏡」とのやりとりもスムーズにゆき助かった。というか小浜の人柄でしょうか、なんとなくいてくれると稽古場の空気がいい感じになるのだな。「チーム眼鏡」の稽古は、彼らに負担になることがひとつあり、これ、あまり反復ができないのは問題だ。反復したかったけどな、うーん、思いつきだけですからね、いまやっているのは。思いつきを、反復によっていかに「飽きるか」というのがやはり稽古なのだろう。「飽きる」その先に表現ってやつはあるのだと、それはもう、20年ほど前に気がついたのだった。長いね、考えてみれば俺も舞台をはじめてから。
■「alt.」チームは、きょうもやはり何度か反復し、これは、まあ、うまくいったかなというのが一回ぐらいだった。残念。最後は南波さんが疲れてしまったのか言葉が不安定だった。でも、本人はそれを否定したが、「疲れ」だけじゃないと思う。その直前、僕が少しやり方に変更を加え、それに対して南波さんは疑問を持った。それが解決されないまま、はじまったことの不安定さだと見ていたのだが、どうだろう。南波さんとは何度か舞台を作ってきたが、そうしたことにかなり敏感な人だと感じる。多かれ少なかれ、俳優はそういう人たちだと思うがことに南波さんはそうだ。だからいいと僕は思う。
■「チーム眼鏡」はよかったな。それぞれいい感じである。チェルフィッチュの山縣君とはほとんどはじめて話しをしたが、なんだろう、この人の面白さは。
(10:30 dec.20 2005)
■また稽古だったが、夕方まで時間があったので、「かながわ戯曲賞」の最後の一本を読み終える。これから26日の公開審査までにメモをまとめて、選考のノートを作ろう。しっかり分析し、評価してあげるのが礼儀というやつだな。午後三時から二時間ほど眠る。それから稽古へ。少し遅刻。
■稽古はだいぶかたまってきた。クオリティも少しずつあがる。しかし、ほかのダンスはきっとわーっとにぎやかなのだろうが、われわれ、「alt.」グループはきっと静かなものになるだろう。淡々とやります。音楽もない。静謐な舞台になるでしょう。で、小道具の片付けの件は、「チームめがね」に頼むことにした。電話で小浜と相談。最初、自分は参加できない旨を口にしていた小浜だが、僕がなにをやるか伝えたら、内容を知って「僕もやります」と現金なことを言う。さっきまで「稽古に参加できないので」と言っていたのにいったいそれはなにごとだ。でも、小浜がいると心強い。最初のパフォーマンスと、また異なるテイストで、面白くなりそうだ。でも、これはセットではありません。最初のパフォーマンスで完結しているのであって、「チームめがね」はべつの「片付けるパフォーマンス」として考えていただきたい。
■片付けるで思い出したが、フランスで演劇を勉強し、いつも適切なアドヴァイスをしてくれるY君からメール。
昔『あの小説の中で集まろう』を見たときに、これはすごい、はじめて片付ける演劇というのを見た、と思ったのを思い出しました。もしかしたら「俳優が疲れる演劇」に匹敵する発明かも知れませんね。
と書いてくれた。たしかに、『あの小説の中で集まろう』は片付ける演劇だった。それを見ていてくれたことに感謝した。あのころは、八〇年代(八〇年代の半ばから、九〇年代のやはり半ばになるか)の演劇がちらかした、「記号」や「言葉のジャンク」「バブルの残り火」を「片付けている気分」で芝居をしていた、というより、気がついたらそのころやっていることが「片付け」のように感じていたのだ。それからまた時代は変容している。今回は片付けるといってもほんとに片付けないとならず、桜井君がそれもダンサブルだったらいいというので、なにかやろうと思っていたわけだ。ま、わりと積極的に。九〇年代半ばの、「片付ける演劇」とはまったくちがう種類のパフォーマンスである、っていうか、そんなに大袈裟に書くのもはばかられるような内容だが。
■『あの小説の中で集まろう』は、もう「昔」になってしまったのだな。時間が経つのは早く、私はいまこんな場所にいるとは思わなかった。五年前に、五年後の自分のことなんて想像できなかった気がする。その前の「五年前」もそうだったし、やはり、その「五年前」も。そんなわけでわけもわからず時間は過ぎてしまう。いつのまにかここにいる。こんなに演劇に関わるなんて思いもよらなかった。
■それでも、やっぱり舞台は楽しい。この年末にきて、しかも、あちらこちらせっぱつまっているときに、なんで「吾妻橋」を引き受けてしまったかとはじめは思ったが、稽古をはじめるとそういった気分も消え、本番がわくわくしているのだ。もちろんこういった表現「言葉で踊る」をどう受け止めてもらえるのか不安や緊張がないわけではない。あと、「言葉で踊る」にしても、新しい言葉を書いて発表するべきだったかとかいろいろ考えもするのだが、「吾妻橋ダンスクロッシング」のなかに、ぽつんと置かれたときどういう印象になるか、それはそれで試してみたかったわけだ。
■あとは、まあ、新刊の本、しかもこれまでとはまったく異なるタイプの、『チェーホフの戦争』(青土社)と、『資本論も読む』(WAVE出版)をできるだけ多くの人に読んでもらえたら幸いだ。そうやって今年も暮れてゆく。
(9:25 dec.19 2005)
Dec.17 sat. 「ちらかすだけちらかして」 |
■久しぶりに七時間の睡眠がとれたので、昼までに、きのう読めなかった「かながわ戯曲賞」の候補作を読む。思うところいろいろあるのと、凝った作りの戯曲を分析するのが面白くて短い作品なのに時間がかかってしまった。戯曲って、それを上演したときの三分の一くらいの時間で読めるのではないだろうか。だとしたら時間がかかった。とはいえ、戯曲に限らず早く読めばいいってもんではないので、たとえば「詩」ってやつをなあ、ものすごい速度で読んでも意味がないように、「書かれたもの」は、それを読むにふさわしい時間があるのだとか、そんなことを考えつつ。
■あ、そうそう、駒場の授業で話しをした「ゼビウス」について、このページを読んでいるという太田出版の方からメールをもらい「ゼビウス」関連の資料を送ってもらったし、それから白夜書房のE君からもやはりメールがあって、「オタク」について中森明夫さんが八〇年代当時に書いた文章が掲載されているサイトを教えてもらった。ほか何点か、資料が少しずつ集まり、「八〇年代」について考える手がかりがさらに深まる。このあいだ、「八〇年代の話は面白いですね」とメールをもらったが、それを考えることは不毛なのではないかと思っていた「八〇年代」だが、こうして作業してゆくとその意味が見えてくるように感じる。「八〇年代の再発見」という仕事をしているのかもしれない。
■夕方、発注した「吾妻橋」で使う小道具が大量に届く。きのう注文してすぐに届いたので驚いた。それをクルマに積み、稽古を予定している荻窪の公共施設へ向かう。青梅街道がやけに渋滞していたのでおかしいと思ったら、事故で一車線になっていた。事故はいろいろな意味で人を不幸にする。
■稽古である。映像の段取りやら、照明の段取りを決める必要があってそれに時間がかかるのだが、それというのも、ふつうなら照明家が稽古場で芝居を見てプランを決めるが、「吾妻橋ダンスクロッシング」の場合、いろいろな人が出るのでそれが不可能だ。ビデオでパフォーマンスを撮影して送り、こちらから、どういう照明の効果をしてもらうか大雑把なプランを提出しなければいけない。まあ、そんなに複雑なことは頼まないのでいいのだが、うまく意志が疎通できるかが問題だ。参加者が多いから現場に入って作業するのはさぞかし混乱するだろう。前回など、かなり出演グループがいたからなあ、大変だったと想像する。
■届いたばかりの小道具で稽古する。やはり本物でやってみるとそれなりに「からだ」への負荷も変わる。また反復。パーフォーマーであるところの、南波、上村、田中も少しずつクオリティが上がっているが、これ、クオリティが完璧になってそれでいいのか、よくわからないのだった。ぴたっと決まればそれがダンス的になるだろうか。なにかぶれがほしい気もしないではないが、クオリティが高くなければだめなところはやはりある。たとえば、上村の「読み」かなあ。ラスト間近の三人の動きもそうだろうか。何カ所かを完璧にすることで、全体が引き締まるのだろうな。で、あとは反復。全体を深める作業。それは単に技術的なことではないような気がする。技術的に「うまい」とされるものとは異なる表現の質の高さということについて考えているのだ。なんだろうな、それは。というか、まあ、それ、表現そのものについて考えることになるのだろうが。
■桜井君が稽古場にのぞきに来てくれた。「吾妻橋ダンスクロッシング」は何組ものパーフォーマンスグループ、ダンサーが参加するので、その順番というのはかなり意味がある。私たちの場合、小道具がパフォーマンス終了後、舞台上に残る。まあ、ちらかすだけちらかしてあるわけだ(ま、整然と)。それをどう片付けるかが問題なのだった。だから、途中に入る休憩の直前にするか(休憩中にスタッフさんたちに片付けてもらう)、そうでなければ、今回参加する「チームめがね」に手伝ってもらおうかと桜井君に相談。もし手伝ってもらうならやはり僕が「ものを片付ける」というパフォーマンスを演出しなければならないものの、正直なところ、やってみたいのだった。それ稽古できるかなあ。手伝ってもらうとして稽古をあまりしなくてもいいパフォーマンスにしなければいけないが、そういう演出も、べつの意味で私は好きである。
■今回のパフォーマンスでわれわれは映像を使うが、ある映像素材を早稲田の学生のSに編集してもらった。簡単なようで、けっこう面倒な作業をしてもらったが、きちんと作ってあった。Sはなんだか仕事ができそうだ。今回は早稲田の学生たちにずいぶん助けられている。帰り、稽古場の近くに住んでいる、『トーキョー/不在/ハムレット』の演出助手をしていた相馬と合流し、ジョナサンで食事をしたが、そこにも学生たちを連れて行って食事をさせたかった。なんせ僕のクルマが、運転する僕を含め五人しか乗れず、連れていけない。こういうときワゴン車とかそういうのだったらいいなあと思うが、だからってなあ、いつも人を大勢乗せるわけではないし、ふだんワゴン車で移動ってのもなんだかあれである。
■稽古場の外に出ると冷える。本番のステージはもう間近だ。いろいろなダンサー、パフォーマーが集まってくるのはなんだか楽しみだな。矢内原美邦のダンスも早く見たいし、佐藤のテルミン演奏がどんなことになるのかも楽しみだ。あと岡田利規君が振り付けるほうほう堂。いったいどういったことになるのだろうか。
(11:35 dec.18 2005)
Dec.16 fri. 「授業や稽古や、転倒するバイク」 |
■睡眠異常だ。また朝の六時に目が覚めてしまった。仕方がないのでこのノートを書いたり、きのう借りてきたビデオを授業で見せやすいように、一本のビデオに見せたいシーンをダビングしてつなぐ作業をせっせとやったり、テーマになってるテリー・サザーンの小説などをあらためて目を通す。ぼんやりしたまま学校へ。少し早く着いたので喫煙のできる控え室で時間をつぶす。授業。で、見せたい場面をつないだビデオは、一時間ぐらいあって、話をするというより大半がビデオを見せるのに使ってしまった。ま、ビデオをときどき止めて解説はつけたものの。『博士の異常な愛情』『マジッククリスチャン』『イージーライダー』という、テリー・サザーンが脚本で参加している代表的な作品三本。あと、『バーバレラ』も流そうかと思ったけど、今回はパス。『マジッククリスチャン』は中学生ごろにはじめて観たのだが(つまり公開時期に)、その後、BSで放送しているのを再見して気がついたのはモンティ・パイソンのジョン・クリーズが出ていたことだ。
■過去に観た映画をあらためて観たとき面白いのは、なぜ、このシーンだけやけに鮮明に覚えているかということがある。『イージーライダー』も中学のとき観たがほとんど記憶がなくてですね、まあ、ステッペンウルフの「ボーン・トゥー・ビー・ワイルド」とか、バーズの音楽をバックに水遊びしているところ、あるいは、ラストのバイクが飛ぶところなどは記憶しているが、妙なコンミューンみたいなシーンについてまったく覚えてなかった。中学生にはあの場面はどうでもよかったのかもしれない。
■授業をしていても頭はぼんやりしており、話そうと思った作家の名前などが出てこないっていう、フォークナーが出てこないんだから、いかにぼんやりしていたかだ。それでも、なんとか授業を終える。最初、教室に入ったときはあまり学生がいなかったのだが、ビデオを観ていたので気がつかなかったが、ビデオを終えて、さて、話そうと思って教室に目をやるといつのまにか学生で埋まっていたので奇妙な気持ちになった。しかも意識はぼんやりしているので、なんだか、夢のなかにいるような気分だ。というわけで、年内の早稲田の授業はきょうで終わり。事務的なことの処理を忘れていた。そうだ、あれも、これも、やらなくてはいけないことがあったが忘れており、そのひとつのことで、きょうは大変な目にあったのだがそれは先の話。
■サイン会のお知らせ。WAVE出版から『資本論も読む』が刊行される。編集をしてくれたTさんからメールがあり、『資本論も読む』サイン会について詳細が送られてきたのでここで紹介したい。
■日時:1月9日(月・祝)14:00〜15:00
■場所:紀伊國屋書店 新宿本店 4F特設会場
■お問合せ先:紀伊國屋書店 新宿本店 TEL 03−3354−0131
HP(http://www.kinokuniya.co.jp/)
■日時:1月14日(土)14:00〜15:00
■場所:阪急ブックファースト 梅田店 3Fカフェ
■お問合せ先:阪急ブックファースト 梅田店 TEL 06-4796-7188
HP(http://www.book1st.net/)
■日時:1月15日(日)14:00〜15:00
■場所:大垣書店 烏丸三条店
■お問合せ先:大垣書店 烏丸三条店 TEL 075-212-5050
HP(http://www.books-ogaki.co.jp/)
◎参加方法(各店共通)
12月18日(日)発売の「『資本論』も読む」(WAVE出版・刊)を購入された先着150名様に整理券を配布いたします。サイン会当日参加者に特製ポストカードのプレゼント致します。詳細は書店様へお問い合わせ下さい。
ということになっているのだった。どうか来ていただきたい。アマゾンで買うより本屋で買おう。でも、授業のとき学生にアマゾンで買うと送料がただになりますとかって、話してしまったのだな。ま、しょうがない。
■それで、夜は荻窪で稽古だったわけだが、ただただ反復だ。だいたいのコンセプトはできた。あとはもう反復することによって表現を深めるだけだ。とはいえ、まだ工夫できないことはないと思いつつ、その反復をただ見る。ただただ見る。その「ただ見る」ことによってときとしてなにかに気がつく。そのための稽古。それにしても、南波さんの語る詩人の六分四〇秒にわたるあの言葉を、俺はもう、何度聞いたことになるのだろう。去年の四月ぐらいから聞いているし、映画でも使っているし、その編集のときを含めたらものすごい回数だ。そのことにどんな意味があるかは、ことによったら、いつかわかることなのかもしれない。そして、『トーキョー/不在/ハムレット』のとき、矢内原美邦の振り付けで踊り、そのダンスのなかで言葉を発したときともまた異なる言葉になっている(もちろん、それは当然なのだが)。去年、様々な方法でこの言葉を語ってきたが、それぞれ変化しているのを見ることは面白いし、いわば、「身体」と「言葉」について考えることにつながるのだろうと思われる。
■そんなことを考えながら稽古をしている途中、携帯に電話があって、出たら早稲田の教務の方からだった。卒論の提出はきょうが最終締め切りだった。一人、僕と約束していながら授業後に会えなくて、卒論提出の書類に僕のサインがもらえず途方にくれている学生がまだ学校にいるという。急遽、稽古を切り上げたのはもう夜の九時を過ぎていた。あわてて早稲田へ向かう。しかもクルマのガソリンがほとんどないのだ。青梅街道を早稲田に向かって走る。青梅街道沿いにはいくつかガソリンスタンドがあったものの、大学の近くのスタンドで給油すればいいかと思って走ったが、どこももう閉まっていたのだ。早稲田へたどり着けるのだろうか。たどりついたとしても、果たして家に戻ることができるだろうか。そんなスリルを味わいつつ大学へ。ようやく学生に会った。そうか、その学生とはきょうの授業後に会おうと、先週、約束していたのだな。僕が忘れていた。悪いことをしてしまった。それで小一時間、その学生と話しをする。卒論として戯曲を書いたというので、書いてきたものをざっと見て技術的なことのアドヴァイスだ。サインをしてことなきをえる。うっかり一人の学生の人生を台無しにするところだった。よかった。
■ガソリンは明治通り沿いのスタンドで入れた。家に無事に戻ることができたが、その途次、路駐しているクルマと大型観光バスに挟まれて転倒するバイクを見た。怖かった。家にたどり着いたらかなり眠い。だめだ、一日一作品とノルマを課していた「かながわ戯曲賞」の戯曲が読めない。やけに疲れた一日だった。
(14:29 dec.17 2005)
「富士日記2」二〇〇五年十二月前半はこちら →
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