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Published: Feb. 4, 2005
Updated: Jan. 17 2006
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仕事の御用命は永井まで ライブ・ノーメディア告知
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Jan.16 mon.  「仕事を少し整理して考える」

■やっぱりというか、僕が悪いのだけど、打越さんから原稿の催促のメールが来てしまった。またホテルを取ってくれるという。ありがたい話だが、ほんとに時間がないような気がするのだ。今週の予定。17日(火)駒場の授業。候補作の戯曲を一本読むという日課、18日(水)はやぼようがある。そのための勉強。クラブキングで頼まれている選曲の準備をする予定。と戯曲を読む予定。19日(木)早稲田の授業が二コマ。戯曲はまたしても読む。その後、早稲田の学生が主宰してくれた、木曜日にある一文と二文との合同の新年会を去年からの約束でこの日に入れてしまった。だが、戯曲は読む。20日(金)この日までにクラブキングの選曲をCDに焼いて納品しなければならないのだった。21日(土)夜、秋にあった、「演劇ワークショップ」発表公演の学生たちと親睦会。22日(日)岸田戯曲賞のまとめ。分析をしてきちんと選考に臨もうと思う。23日(月)いよいよ選考の当日。
■で、その合間を縫って『鵺
/NUE』の戯曲を書かなければならないのだ。稽古開始は、永井が気を利かせ少し先にしてくれた。それまでに書く。なにしろ、2月3日、4日が本番である。で、さらにその合間を縫って「よりみちパンセ」を書かなければならないが、これは可能だろうか。井土紀州監督から、2月4日にある、早稲田構内におけるビラ配布者逮捕に対する抗議集会のシンポジュウムに誘われたが、その日は残念ながらリーディングの本番だったのだ。次の機会には参加したいと思う。まあ、ふつうに考えると不可能なスケジュールだ。さらに、「編集会議」という雑誌から「仕事場拝見」とか、「日刊ゲンダイ」から取材の依頼が、『資本論も読む』の関連であった。獅子奮迅とでもいいますか、限界を超えている。
■久しぶりに夕方、渋谷のHMVに行く。六階の、アンビエントや、ラウンジなどが並ぶフロアに。ヨーロッパジャスや、ラウンジ系のものを10枚近く買った。まあ、選曲という仕事もあったせいだが、いろいろ目移りする。まあ、手持ちの曲で、ブライアン・イーノの曲など何曲は考えてあったが、これ、テーマとして設定されている「富士山」となにか関係があるかもうこうなるとわからない。まあ、「富士山を見ながら私が聴きたい音楽」と考えてもらうしかないな。帰り、三軒茶屋の餃子屋による。すごくおいしいという店ではないものの、一度食べるとくせになる。

■夜になって戯曲をまた一作品、読む。『鵺
/NUE』の戯曲はちっとも進まない。稽古初日には間に合わせなければ。午前中は、「一冊の本」の連載を書いたが、それはわりとするする書けた。ほかに停滞している原稿は、書けないものは書けない。「新潮」のM君にメールを書いたらまだ待ってくれるという。いつになったら、この精神的な圧迫から解放されるかぜんぜん見当がつかない。

(5:05 jan.17 2006)


Jan.15 sun.  「京都は晴れていた」

■一夜明けると、すっかり天気がよくなっていた。やけに暖かい。よく眠った。それでホテルを出てまずは三条河原町にある「六曜社」という喫茶店で、WAVE出版のTさん、Aさんとコーヒーを飲む。ようやく目が覚めた。食事をすませたあと、Aさんは先に大垣書店に行っているというので、まだ時間があったからTさんを案内して姉小路にある「コチ」という名前のカフェに入る。またコーヒーを飲んでしまった。昼間の「コチ」は明るくて気持ちがいいし、なんだか落ち着く店だ。時間が来たので姉小路を烏丸通りに向かって歩く。京都に部屋を借りていたころ、ここをどれだけ歩いたことだろう。大垣書店は、僕がその近くに部屋を借りていたころにはまだなくて、部屋を引き払ってからできた本屋さんだ。そのころ、なにか本を買おうと思えば、河原町通りまで出て、丸善か、ブックファーストに行っていた。あるいは、寺町二条にある三月書房や、河原町三条のメディアショップ、あるいは、一乗寺の恵文社があった。でも、どこも少し遠い。大垣書店がもう少し早く店を出していてくれればと。
■大垣書店に着くと、すぐ隣にある、スターバックスカフェのコーヒーを用意してくれた。もうコーヒーはいいよと思いつつ、ありがたくいただく。で、きのう全共闘世代ではないかと書いたHさんは、驚くべきことに僕と生年が同じだと知った。明るい場所でよくHさんの顔を見ると、たしかにまだ若い。申し訳ないことを書いてしまったのだった。それにしてもHさんの話は面白いのである。そして、こういう人がいるからこそ、京都は京都らしいと思ったのだ。新宿、梅田と、サイン会をしてきたが、京都はなぜか、来てくれた人たちの年齢層が若かった。ただ、いちばん最初に並んでくれた方は、息子が来られないというので代わりに来たという、そのお母さんと、おばあさんだ。息子さんが何歳の方か知りたくて、「おいくつですか?」と質問したら、おばあさんに「七十九歳です」と応えられて困ったものの、「ことによったらうちの父と同い年かもしれません。昭和2年生まれですか」と、よくわからない会話をしたのだ。いちばん若い人は高校生だった。『彼岸からの言葉』を図書館で発見してから僕の本を読むようになったという。ことによるとその本は、彼女が生まれたころに刊行されたのではないだろうか。本は残るのだな。どこかで誰かが発見して読んでくれる。寝屋川のYさんもそうだったという話を以前、聞いたことがある。Yさんも高校生のころ図書館で『彼岸からの言葉』を見つけたという。『彼岸からの言葉』は少し書き直していつかまた出したい気がするのだ。枚数が少ない分、イラストを描いてくれたしりあがり寿さんと、対談して所収するというのはどうか。どうかってこともないが。
■いろいろな人が来てくれた。ありがたかった。京都でサイン会を終えることができてほんとによかったな。天気もよかったし、駅伝はやっているし、いろいろな人に会うことができた。まだ大阪に扇町ミュージアムスクエアがあったころそこにいた、Yさんも来てくれた。一度、東京の会社に勤めていたが、いまはまた京都にいるという。大垣書店の方たちや、WAVE出版のTさん、Aさんと別れ、大阪にも来たM君と、そのともだちのSさん、そしてYさんと、サイン会が終わってから近くのカフェに入る。またカフェだ。新しくできたそのカフェは、かつては倉庫だった場所だろうか、広くてやたら天井が高い。Yさんともいろいろ話ができて楽しかった、っていうか、なんだろうな、Yさんの、この人柄のよさは。一緒にいるととても落ち着いた気分になるのだ。

■夕方、京都をあとにする。新幹線のなかで、岸田戯曲賞の候補作を一作読む。昨夜はホテルで一作読んだ。「かながわ戯曲賞」のとき、あんまり早く読みはじめたせいで、最初に読んだ作品のことを忘れかけていた。今回はわりとぎりぎりにしようと思ったのだ。それでも一日一作のペースで読むことにする。家に戻ったのは夜九時ぐらいだった。夜、チェルフィッチュの『目的地』をNHKでやっているのに気がついて録画したが、やっているということに途中で気がついたのだ。失敗した。岡田君と岩松さんが対談していた。
■べつに大阪がよくなかったってことではないが、それにしても京都はよかった。一年に一度は京都に行きたい気持ちになる。そこには、なにかはっきりとはわからないが、贅沢な時間があるように思えるのだ。

(11:00 jan.16 2006)


Jan.14 sat.  「関西にいる」

■アップルストアー銀座で13日に開かれた『レンダリングタワー』のトークライブのときはじめて知ったのは、『レンダリングタワー』は、17日に発売だということだ。もう店頭に並んでいるとばかり思っていた。そんなおり、ニュースによりますと、「奥田瑛二監督(55)の映画『るにん』が東京・新宿のシネマスクエアとうきゅうで初日を迎えた。舞台あいさつした奥田監督は『撮影から2年たっての公開で本当にうれしい』と涙した」そうだが、トークライブの直前、
Mac PowerのT編集長と軽く打ち合わせをしたあといったん外に出て、アップルストアの前で煙草を吸っていたら(当然のように館内は全面的に禁煙である)黒塗りのクルマが道に横付けされ、どんなこわいお兄さんが出てくるのかと思ったら、その奥田英二が出てきたのだった。アップルストアーの中に足早に入ってゆく。奥田英二は、Macユーザーだったのか。ま、そんなことはどうでもいい。
■イヴェントは楽しかった。一時間半、僕はいつものようにぼそぼそ話をする。というか、僕ははじめてアップルストアーというところに来たのだな。インテルのCPUが入っている新しい
iMacを触った。どうやら速いらしい。あとアップルストアーのエレベータは全面が透明でしかもどこにもボタンがないという不思議なものだった。さすがアップルらしいおしゃれなデザインだ。久しぶりに来る銀座は、やはり銀座である。来る直前、少し早く到着したので喫茶店に入ったら、コーヒーが一杯800円以上だ。さすがに銀座だ。
■なにかのめぐりあわせというのでしょうか、今週は、駒場でも、早稲田の文芸専修の授業でも、東京の町について話し、一流の盛り場として銀座について触れたばかりだったが、アップルストアーは秋葉原ではなく、ブランドイメージとしては銀座に開店するのだという感じはきわめてわかりやすい。で、今週は、駒場も早稲田も、年明けはじめての授業だった。年が明けたら出席をとるということ自体を忘れており、早稲田では出席簿を家に忘れた(駒場ではそもそも出席はとらない)。しかも、文芸専修の授業は驚くべきことに今週で終わりだ。それを知ったのが前日だったので、なんだか、まとまりのない感じで終わってしまった。もっと学生たちと話をすればよかったと残念だ。

■そして、本日、大阪へ。梅田のブックファーストで「『資本論』も読む」のサイン会だった。「ここではありません」の寝屋川のYさん、「あわわアワー」のM君、「タンブリン・ノート」のKさん(各リンクは下の
""RINGSを参照のこと)らが来てくれた。サイン会後、梅田の、なんとかいうビルのなかにあるインド料理屋に入って夕方までいろいろ話しをして楽しかった。アップルストアーでのイヴェントのときもそうだが、ここでも、「Mixi」のことが話題になった。そんなにいま、Mixiでなにかが起こっているのだろうか。僕はぜんぜん知らない。久しぶりに彼らとあって、そういえば、関西ワークショップと銘うって、毎週のように扇町に来たのももうずいぶん過去のことになってしまったのだとなにやら感慨深い。外もすっかり暗くなった時間、京都まで阪急に乗って向かう。これもあの扇町のころと同じだ。
■京都では、日曜日(15日)にサイン会のある大垣書店の方に招かれて食事会をする。京都に住んでいたころから一度は入ってみたいと思っていた三条から少し入った、あれは何通りになるのかわからないが、そこにある料理屋へ。料理はすべて「有機」の食材を使ったものだ。大垣書店のHさんの話は面白かった。本を愛しているという感じがすごくして本にまつわるいろいろな話が興味深かったのだ。ただ、おそらく僕より年長のHさんは、全共闘世代だと思われるが、その世代に特有の、「全共闘時代の回顧」をすると僕には面白いが、若い者らがこれを聞くと、やっぱりうっとおしい話として受け止められるのではないか、こりゃ、ある種類の「かつて左翼だった世代」は若い者らにうっとおしがられるのだろうといったことを、べつにそれはHさんのことではないが、一般的にそうなるのだろうと思った。まあ、基本的に左翼は、「資本論を読んだ左翼」と、「資本論を読んでいない左翼」にわかれるような気がする。まあ、大半が後者だったはずだ。っていうか、マルクスをまったく読まない左翼がだめなんだ。それにしても、「有機」の食材による料理は美味しかったけれど、「有機」であることによってなにやらわけのわからない気分を人に与えるものだな。
■朝早い新幹線で関西に来た。それからサイン会やら、人と会ったりで、すっかり疲れた。ホテルは三条河原町の京都ロイヤルホテル。京都時代の知人たちにも連絡して会いたかったが、すっかり疲れて連絡をする気力がなかった。ホテルに着くとすぐに眠くなる。ここでもやはり、LANケーブルがあってネットに簡単に接続できた。メールチェック。仕事をしなければと思いつつ、ひどく疲れて眠る。

(6:51 jan.15 2006)


Jan.11 wed.  「この数日と、サイン会は楽しかったことなど」

■ノートは滞りがちである。9日は新宿紀伊国屋書店で「『資本論』も読む」のサイン会だった。たくさんの人が来てくれてありがたかった。整理券に「著者へのメッセージ」という欄があって、なかに、『牛への道』を読んで六十三歳のお母さんが、「あんなに笑った本はそうない」とおっしゃったとあって、とてもうれしい。いろいろな人が来てくれた。早稲田の学生もいてとても感謝した。読者と直接会うのは、文章を書くこと、それが本になることとは、またべつの意味で楽しかった。終わってからWAVE出版のTさん、さらに本書の本文注釈を担当してくれたヨミヒトシラズのT君らとTOPSで歓談。楽しい時間だった。『鵺
/NUE』の戯曲は冒頭部分、この戯曲でなにを表現しようとしているかわかるだろう、ある程度のところまで書いた。メールで、パブリックのMさん、制作をしてくれるOさん、そして永井に送ったのが10日のことで、その日は駒場の授業と、夜、ある用事で急いで青山にゆく。忙しかった。
■そんなおり、いろいろニュースサイトを回っていたら、日刊スポーツのサイトで気になる記事を発見したのだった。そこには、次のようにあった。
 芥川賞作家荻野アンナさんの携帯電話の番号を聞き出そうと、母親の画家絹子さん(82)を脅したとして、神奈川県警は11日、脅迫容疑で東京都八王子市中野山王、自称ライター加藤康介容疑者(27)を逮捕した。
 調べでは、加藤容疑者は昨年12月21日夜、横浜市内の荻野さん宅に電話し、応対した絹子さんに「アンナの携帯電話番号を教えろ。教えなければ命がないぞ」と脅迫した疑い。アンナさんは不在だった。被害届を受けた山手署が、その後にかかった電話を逆探知し加藤容疑者を割り出した。調べに「電話したか覚えていない」と話している。
 加藤容疑者は2年前、東京都内でアンナさんと面会し「自分の原稿を見てほしい」と話したことがあったという。
 これがなぜ、気になったかというと、その容疑者の名前に聞き覚えがあったからだ。最初、容疑者のところは流し読みしたが、その犯行の手口というか、やり方の強引さを読んでいるうち、かつてこんな人物と電話で話した記憶がよみがえってきた。そのとき、制作の者に突然、電話が入り、「主宰いる?」とやぶからぼうの言葉を切り出したと聞いた。「舞台に出してくれ」という強引な話し方だ。積極的に自分を売るのが悪いとはいわないが、ものごとには手続きというものがあるのではないか。その人物の言葉の使い方も僕にはよく理解できないし、だいたい、本人のことを僕はまったく知らず、それをいきなり、「出してくれ」はないだろうと、もう数年前のことだがよく覚えていた。自分のPRがすごかった。強引にしゃべりまくっていた。話を聞いてもらいたいなら、その話し方にも配慮が必要なはずだ。そして、あらためて、容疑者の名前を確認した。そうだ、この名前だ。たしかそうだった。「加藤康介」だ。ネットで検索したところ、同じように被害を受けた人々から「演劇ストーカー」と呼ばれていることを知った。
 やり方を見ればおそらく同一人物だろう。とうとうそんなところまでいってしまったか。最近、僕のところには接触がなかったので知らなかったが、まだそんなことをしており、とうとう犯罪的なところまでいってしまったのか。驚いた。しかも、かつては俳優として売り込んでいたが、いまは「自称ライター」になっていた。容疑者として報道に出てくる人間で、かつて電話だけでも接触を持った人間がこうして報道されるのは、きわめて奇妙な感覚だ。これで彼は反省するのだろうか。またべつの分野で人に迷惑をかけるようなことをしていなければいいが。調べに対して、「電話したか覚えていない」と話しているそうだが、過去のことを考えれば、確実にやっていると僕は想像する。だって、いきなり僕のところでは、「主宰いる」と言ったのだ。やぶからぼうにそう言った。やってるな。覚えていないわけがないと思うのだし、いまは逆探知の性能も電話回線がデジタルになってから格段と進歩しているのだろう、このあいだの仙台の幼児連れ去り事件でも逆探知は確実に成功している。でも、あれか、いろいろな人に電話を大量にかけ、この被害者に電話したか忘れたという意味かもしれない。

■さて、13日は夕方6時半から、アップルストアー銀座で、「
MacPower」編集長と、『レンダリングタワー』出版記念のトークライブが開かれます。このページに少しだけ、情報が出ています。それから、14日は大阪の梅田にあるブックファーストでサイン会。さらに15日、京都烏丸三条の大垣書店でもサイン会。忙しいんだな。驚いている。というわけで、読んだ本のことなど書きたいことは山ほどあるが、ひとまずここまでだ。

(5:07 jan.12 2006)


Jan.7 sat.  「箱根駅伝と、文学部キャンパスの出来事」

■ずっと原稿が書けずに苦しんでいた。このノートも停滞。正月もなにもあったものではない。たとえ外に出て行く仕事がなかったり、少し時間があったとしても原稿が気になって落ち着いた気分になるものではない。まず、戯曲の『鵺
/NUE』は、四日までと言われていたが、あっさりだめでした。10日まで待ってもらうことにした。遅れて困るのは自分自身なのだし、リーディング公演は2月の初頭で、稽古は今月の終わりからはじまるのである。それでも、うんうん苦しんでいるうちようやく登場人物たちが動き出した。少しずつ書き進める。
■そんなおり、つい早起きをして箱根の大学駅伝をテレビで見てしまったのは1月3日のことだが、よくわからないうちに、早稲田の応援をしていたのだった。おかしいじゃないか。応援する義理があるものかと思いつつ応援していて、途中まで、10位以内(来年のシード権獲得順位)は確実だと思ってみていたら、ずるずると後退、シード権を獲得できなかった。だからって残念と思うのもやはり奇妙で、それというのも、ふだん学生たちと接しているから情がうつるというやつだろう。だが、まわりにやってくるのはほとんどスポーツに興味のない者らだから、箱根駅伝で自分の大学がどうなろうと知ったことかと思っているにちがいない。私はちがった。なんだかわからないが応援していた。懸命に応援した。だが、シード権は獲得できず、12位とかになって、やはり今年も予選から参加する。
■それもこれも、昨年の暮れ(12月20日)、文学部キャンパスに警察を呼び入れ、キャンパス内でビラを配っている者を拘束して警察に引き渡すという、大学としてやってはいけないことを平然と行ったからだ。だからシード権が取れなかったんだ。せっかく応援してやっているのになにごとだ。選手は悪くない。一生懸命走っていた。コーチ陣だってがんばっていたんだ。だめなのは、大学当局だ。ビラを配るぐらいの行為で警察を呼んだ。大隈講堂前で酒を飲もうとした学生たちは警備員に排除され、演劇をやっている学生が、ちょっとしたパフォーマンスをキャンパス内でやろうとすればすぐに警備員に声をかけられるという。そんなことだからシード権が取れないんだよ。箱根駅伝はすばらしい。いまや正月の風物詩にもなっている。だけど早稲田は勝てない。12月20日の事件のせいである(あるいは、こちらのサイトへ)。大学ってものの理念がわからなくなっている。これはある大学における小さな事件ではない。むかし、『知覚の庭』という大学の中庭を舞台にした劇を上演したとき、観客のアンケートのひとつに、「私は大学になど行っていないので、そこに登場する人物たちの気持ちはわからない」という意味の声があった。その人は、たとえば、病院を舞台にした看護士たちのテレビドラマとか見て、「私は病院で働いたことがないので看護士の気持ちはわからない」とか、時代劇を見て「私は江戸時代に生きていなかったので、黄門様の気持ちはわからない」と考えるだろうか。そんなふうに考えるわけがない。なにしろ人には想像力があるからだ。「青山ブックセンター」が経営破綻したとき、それを文化全体の問題であると考えることのできる想像力が人にはあるはずだが、なにかが邪魔してその想像力を妨げるとしたら、早稲田の出来事からも、想像力をさまたげるものがいくつかあって事件の本質を見失うおそれがある。だから、本質ではないところで、この出来事と、出来事に異議を唱える議論に対してわけのわからない声も出てくるだろう。

■なんだかいやな気分で一年がはじまった。原稿は書けないし、鬱々とした気分でどこにも行かずに家にこもっている。そしていやなニュース。そういったわけで、気分が乗らぬまま、NHKラジオの「ケータイ短歌」の番組に出てしまった。ぼんやりしていたので、番組の担当者の方たちにも迷惑をかけたのではないだろうか。
■大西巨人さんの『縮図・インコ道理教』がすごく面白い。
■久しぶりに外に出たらほんとうに寒い。
■寒さのせいでクルマのエンジンが一発でかからない。
■笠木からメールをもらって舞台を観に来てほしいという内容だったが、それで調べると、今月はほとんど空いている時間がない。あした(9日)は、紀伊国屋書店新宿本店で、「『資本論』も読む」のサイン会なのだな。

(16:25 jan.8 2006)


Jan.1 sun.  「二〇〇六年」


■あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
■考えてみれば去年も、ものすごいスピードで様々な仕事をしてきたのですが、今年はさらに、『鵺
/NUE』のリーディング公演が二月、本公演が十一月(いずれも三軒茶屋シアタートラム)であり、さらに、五月にはこれまで非公開でしたが、『カルデーニオ』という舞台を横浜赤レンガのホールで公演します。これは、スティーヴン・グリーンブラットという研究者と、チャールズ・ミーという劇作家による原作(二人の共作という意味)があり、さらに記しておけば、元々は、シェークスピアの失われた戯曲(書かれたという記録だけが残されている幻の作品)が元になって書かれた作品です。さらにそれをヒントに僕がまったく新しく書き直す戯曲による公演です。スティーヴン・グリーンブラットの提案によって世界各地でこの作品を上演するという企画がここに持ち上がったのですが、なぜ、私がかかわることになったかは、またおいおい書くことにします。シェークスピアの研究者からなにかと顰蹙をかい、批判されるのではないか、グリーンブラットさんが僕の書いたものを見て(来日予定。アフタートークも予定されています)怒ったりしないだろうかと、不安なことだらけの公演ではあるものの、人間、なにごとも挑戦というか、こうなったら一気に勝負に出てやろうじゃないかという気分でいるのだった。
■そのあいまに、大学もぜったいに、休講をさけ、なんとかやりくりしつつの怒濤の日々だ。このぶんでゆくと今年度、早稲田も駒場も、これまで休講は北海道での「演劇大学」のときの一コマだけだったわけで、意地でも休講するものかと思っているのだ。京都の大学での五年間でも、休講はパリに行ったときの一週間だけだった。なんて熱心だったっていうか、休講することの理由がなにもなかった。それもいかがなものかというこの数年である。それにしても早稲田の学生たちに今年はなにかと助けられた。彼らのおかげで、新しい大学で教えるのにも励みになっていた。

■そして今月は、アスキーより、「
Mac Power」の連載をまとめたエッセイ集、『レンダリングタワー』も刊行される。こちらもご期待いただきたい。ほんと、この本はでたらめだよ。
■駒場の講義は、白夜書房のE君が単行本化に向けて着々と準備してくれてありがたいが、そのE君が早稲田の授業も聴講に来て、本にしようかと考えているようなのだが、その一方で白水社のW君も同様に考え、ここで困ったことになったと思ったものの、私はいいことを思いついた。「卒業者優先」という考えだ。駒場は、その卒業生のE君に任せたが、早稲田のほうは、やはり早稲田出身のW君に任せるという方式である。こんなに公平な考えがあるだろうか。いろいろな方から様々な仕事を依頼され、ほんとうに幸福である。音楽の選曲もすれば、戯曲も書く。忙しいのはありがたい。
■年末、私はコンピュータの前で原稿が書けないと苦しんでいた。正月に向けて少しは身の回りの整理をすればいいものを、なんにもしなかった。机の周りは資料の本だの、いろいろなもので混乱のきわみだ。さっぱりして新年を迎えたかったが、髪はぼさぼさである。新年の抱負を考える前に、とにかく目の前の原稿だ。まあ、自分のことばかり書いているのもなんですが、いろいろ宣伝はしておかなければな。サイン会が一月九日に新宿紀伊國屋書店本店で開かれます。大阪と京都にも行きます。十三日の夜はアップルストアー銀座店で『レンダリングタワー』出版記念のトークイヴェント。あと、天皇杯の決勝戦でエスパルスが勝てばいいと思う。そして、「
PAPERS」のトップページを更新する仕事もあるな。年明けだからそれをしたかったが、繰り返すように、私はいま、苦しんでいる。新年の気分なんかちっともありはしないのだ。

(4:22 jan.1 2006)



「富士日記2」二〇〇五年十二月後半はこちら →