富士日記2PAPERS

Jun. 2006 MIYAZAWA Akio

宮沢宛メイルアドレス

Jun.15 thurs. 「授業のことなど」

■Mさんという方からの指摘で、このページをWindowsにおける、Internet Explorerで閲覧するとものすごくスクロールが遅いという指摘を受けた。理由がわからない、Windowsでも、Moziraだったらなんの問題もない。実際に僕もためしたが、Mさんの言うとおり、極端に遅くなっている。解説によると、「改行」をもっと増やせばいいというアドヴァイスがだったが、あまり変わらない。なにがいけなんだいだよ。しかも、Windowsの、Internet Explorerだけの問題なのだ。現象を観ると、画像の表示が遅いのを感じる。すでに表示されている画像をスクロールさせようとするとそこで、ひっかかる感じがするのだった。わからねえなあ。Windowsの、Internet Explorerは、Web標準において、ことごとく人の期待を裏切るものだ。なんだってんだ、まったく。Mさんのアドヴァイスは、本文の、ソース上の改行、いわゆる、

<br />

 で改行するのではなく、ただ長い本文に、画面上には反映されない改行を入れて表記したらどうかとあったのでやってみても、あまり変わらない。以前は、順調だったにもかかわらず、CSSを変えてから、この現象が起こっている印象もある。なにが起こってるのだろう。しかも、Windowsの、Internet Explorerだけがその現象を起こすのだ。で、ためしにCSSを変更する前の前月のものをたしかめると、スクロールは順調だ。なんだろう。わからない。また、相馬に相談しなくてはいけない。でも、左横の四角い画像が問題だとしたら、なんとかそこを元の書き方に戻す方法があると予感。やりたいが時間がない。(註・その後、この問題は解決しました)

■べつにこのノートを書くのが滞っていたのは。ワールドカップで日本代表が初戦を落としたからではない。白夜書房から出る、「東大講義録」のゲラを直す仕事で死にものぐるいになっていたからだ。だから本日も手短に。少しずつせっせと直す。なんとか、今週中に、ぜんぶ終わらせなければいけない。ただ、データで送られてきたゲラを直すのは、プリントアウトされたゲラを直すより、ずっと、楽しい。俺、講義でこんなこと話してないだろうといった部分を、どんどん書き足し、もっともらしくするのである。白夜書房のE君によれば、親切すぎるのじゃないか、もっとぶっきらぼうでいいんじゃないかと、送ったところまでの原稿を読んで感想が届く。でも、いいものにしたいと、ばかのような情熱で書き込みをしているのだ。受講した者にしたら、こんなこと言ってないよと指摘されるだろうが。
■パブリックシアターで、『鵺/NUE』の打ち合わせがあったのは月曜日(12日)。じつは、美術を、何人かのプランナーに依頼し、コンペというものをやったのである。それぞれの美術家にプレゼンテーションしてもらう。みんな力作だった。正直なところ、どれも捨てがたいのだ。あるいは、この部分はいいなあというところがどのプランにもある。むしろ折衷してもいいのじゃないかというほど、いいものが出揃った。迷う。ほんとうに、悩んだ。
■で、世田谷パブリックシアターのMさんという舞台監督の方がいらして、プランナーがプレゼンしているとき質問したり、あるいは、このプランだったらどういう照明があてられるかなど、いろいろ話してくれる。それがどれもこれも勉強になるのだ。なるほどなあ。いったい俺は、何年、舞台の仕事をしていたんだというほどに、なにも知らなかった。素直に話を聞かせてもらった。授業を受けているかのような話。ことごとく啓蒙されました。教育を受けました。素直に学ばせていただきました。Mさんは世界中で仕事をしておりその経験がこうした話を生む。

■水曜日(14日)は、雑誌「AERA」の取材。全日空ホテルのある会議用の部屋を取ってもらって、落ち着いた雰囲気で話をする。しゃべったなあ。ものすごくしゃべった。深夜の12時近くまで話したのだ。聞き手の女性が話しやすかったってのもある。全日空ホテルは10数年ぶりに来た。いいホテルだ。こういうところで話ができる贅沢さがある。さすが、「AERA」だな。写真撮影もした。ちゃんと簡易なホリを用意してあって、これもた、本格的である。
■木曜日。大学の授業。「演劇ワークショップ」と、「戯曲を読む」の授業だったが、ワークショップのほうも、僕が意図している「パフォーマンス」というのがだいぶ理解されてきたようで、面白い発表が生まれてきた。「戯曲を読む」の授業は、もっとも僕が楽しみにしている授業である。面白い。『ゴドーを待ちながら』。切ない話であると同時に、人はひどく愚かだ。そして、開かれているテキストだということをより強く感じる。学生に感想を聞くとさまざまな意見がでる。年配の方の受講者のお話を聞くと、待っている二人の姿に自己投影し、切ないと強調していた。人によって受け止め方がちがう。開かれている。
■終わってから、僕の研究室で、いつものように歓談。きょうは僕の授業のTAをしているKの誕生日だというので、みんなでケーキを食べる。岡室さんも参加。楽しい時間であった。岡室さんはいまとても忙しそうだ。東京は雨。ワールドカップに対する興味が、日本代表が負けたことで一気にさめた。で、また僕は、ゲラのチェック。死にものぐるいの仕事。

(6:41 Jun.16 2006)

Jun.12 mon. 「打ち合わせばかりの人生」

■打ち合わせ、打ち合わせ、打ち合わせ、取材、大学の授業、取材、そしてまた打ち合わせで、今週は大変なことになっている。といったわけで長く書きたいことはあるが、またしても、手短に。

■日曜日。まあ、わざわざ書くようなことではないが、東京は一日中、雨だった。寝不足。眠い朝を迎え、それでもう一度、眠ろうとしたが少し仕事をする。
■人に会うために、午後は下北沢に行く。以前、「ここではありません」のYさんが書いていた、「現代ハイツ」で話をしようということになっていたのだ。ところが、場所の地図をプリントアウトしたのに、家に忘れてきてしまった。勘を頼りに歩くと、なんとか見つけることができた。どちらかというと、東北沢に近い。Yさんが、京都にあるカフェの雰囲気だとそのブログに書いていたとおり、落ち着いた雰囲気のいい店だった。でも、京都のカフェのほうがもっといいかもしれない。棚には、いろいろな本が並んでいたりするが、間章の評論集もあった。店の奥はギャラリーになっており、写真展が開かれているようだ。べつの場所にテレビモニターがあってタルコフスキーの映画が流れていた。
■それで、長話。まあ、仕事関係の話だ。先週も日曜日は、先に書いた「ここではありません」のYさんや、K君に会っていたが、そのときはべつに仕事関係の話ではなく、ただの雑談だった。雑談はいいよな。ばかばかしい話は大好きだ。でもまあ、私もだいぶ大人になったので(ってわざわざ書くまでもないが)、仕事は仕事として、しっかりやります。今週も、打ち合わせなどが立て続けにある。仕事の話をしなくてはならない。

■そして本日(月曜日)また早起き。寝不足のまま、打ち合わせなどで一日が過ぎてゆく。「かながわ戯曲賞」を受賞した作品のリーディングがあって、その概要がほぼ決まった。その稽古も七月の末からあるんだな。小説を書くために来週は「新潮クラブ」にこもることにしたし、これから八月のそのリーディング公演が終わるまではほとんど休みがない。しかも、どんどん仕事が来る。よくわからない。それから白夜書房から刊行される本のゲラチェックがちっともできない。まずい。

(9:32 Jun.12 2006)

Jun.10 sat. 「この週末など」

■金曜日(9日)は、「『ネオリベ化する公共圏』(明石書店)刊行記念トークセッション」が、「三省堂書店神田本店8階特別会場」で開かれた。聞きに来てくれた人が予想よりずっと多くてほっとした。というのも、明石書店のOさんから予約状況が思わしくないという話を聞いていたからだ。すが秀実さん、花咲政之輔君と三人で話す。途中、文芸評論家の池田さんも発言したりなど、意見は活発だった。
■僕はもうひとつ、大学での演劇教育の話ができなくて、それはつまり、かつて既存の演劇に対するカウンターとしてあった小劇場運動の担い手がいま、教育する側になったとき、それが意味することのねじれをうまく説明できなかったからだ。すがさん、花咲君の話が面白いので、ただ、ぼんやり聞いていたのもある。うーんと、それをしっかり言葉として整理したい気がしつつ、言葉にならないのだ。というか、もう少し演劇教育そのもの(特に大学において)について、資料にあたらないとだめだな。このあいだの『モーターサイクル・ドン・キホーテ』のプロットを作っているとき、その舞台のプロデューサーであり、東大で、まさに大学における演劇教育の場にいる内野儀さんから(といっても、もちろん内野さんは、「実践」ではなく、研究領域の教育だが)、登場人物の一人についてアドヴァイスをもらった。高校生の娘が大学に入って演劇を習いたいというエピソードの部分だ。はじめ、「女優をやめた女」と、「これから女優になろうとする女」という対比としてだけあったが、そこをもっと深め、「大学における実践的な演劇教育」について書いたほうがいいというのが内野さんのアドヴァイスで、それはとても現在的なテーマだ。ただ、うまく書けたとはいえない。
■たとえば、すがさんの発言には、大学の教育が、サークル活動をはじめとする学生のエネルギーを吸い取っているという議論があった。たしかにそれはわかる。ただ、教育として「演劇人を育てる責務」が大学にあるという理念は、少なくとも京都造形芸術大学の舞台芸術学科にはあった。その教育する現場の熱のようなものが、学生のサークル活動における演劇のエネルギーを凌駕していたために、京都の大学ではそれまであったサークル活動は消えてしまったが、それでも、学生それぞれが集団(サークル活動とは趣が多少異なる)を作って自主的な公演活動をしていたし、学校の施設を利用して上演することに関し(studio21を使うことができた)、むしろ奨励する傾向にあった。そこから、「dots」のようなグループも生まれ、学科が支援して東京で公演することもできた。もし、学生の側に、教育を凌駕するもっと強いエネルギーがあったら、学科の枠を越え、サークルが外部で公演するようなこともあったかもしれない。そこは早稲田と少し事情がちがう。大阪芸術大学とも異なる。

■そこらをもっとつっこんで話すべきだった。そこに議論が生まれただろう。すると、では、「なぜ大学で実践的な演劇教育か」という問題の本質まで考えることができた気がする。あるいは、やっぱり、僕が話したかったのは、もう少しちがう観点だ。繰り返すが、カウンターとして登場した六〇年代の演劇人がいまや教育者になっていることがなにを生んでいるのか(その是非もふくめ)を、もっとはっきりした言葉にできたらと思う。もっと考える余地がある。ただ、早稲田は実践的な演劇教育をするにはシステムも施設も中途半端だ。というか、理念が曖昧だと思われる。九月にある「演劇ワークショップ」の授業は、やろうという意志はわかるが、でも、できるものが中途半端になる懸念が強かった。二週間だし。京都の場合は、発表公演のために、4ヶ月ぐらい使ったからな。で、いきおい、実践的な演劇教育は、「表現」ではなく、「ステージマネージメント」のような方向に教育が向かう。いけないわけじゃないが……。それも必要だし……。繰り返すが、「ステージマネージメント」は、「表現」に先行しないのである。
■で、トークセッション。早稲田での出来事(文学部キャンパスでビラを配っていた者が学内の者によって警察に引き渡された)が話の中心にあったせいか、わからない人にはなにを問題にしているのか、はっきりしなかったかもしれない(といったことを、会場に来ていた知人からあとで聞いたのだが)。そのあたりは、『ネオリベ化する公共圏』を読んでいただくと、よりわかるのではないか。結局、僕が感じるのは、社会がノイズを嫌悪し、いかにノイズを排除しようとしているか、という傾向の強さだ。そこに息苦しい抑圧を感じる。排除しようとする者と、排除される者がいるなら、僕は排除される側に身を置こうと思う。

■本日(10日)は、能楽『鵺』を観に行った。正午過ぎに千駄ヶ谷にある国立能楽堂へ。『鵺』は、あまり上演されない演目だそうだ。もちろん、秋にある、現代能楽集『鵺/NUE』の参考にするためだ。こいう時期にあまり上演されない『鵺』を観られたのもなにかの縁だろうか。何年ぶりかで能を見た。開演前におそらく大学で教えている人だと思うが、わざわざこのために京都から来たという国文学の先生の解説があった。とてもためになる。で、ちょうどそれを観たというM君という方からメールをもらった。ときどきメールをくれる人だ。僕の『鵺/NUE』のための予習だという。観るのはぜったいにいいが、予習になるとは思えない。
■能楽堂の空間はとても奇妙だ。近代的な建物のなかに、屋根のついた能舞台がある。それがある特別な緊張感を空間に生み出している。正直、言葉はよくわからないのだ。外国の舞台を翻訳なしで観ているのに似ている。もちろん、概要はあらかじめ知っていたから、まだわかったが、それより演じる俳優のからだの所作などが興味深い。これは古典を観るときいつも感じることだが、ある約束ごとがあって、その所作はこういう意味だと了解しないと、観ているこちらは不思議なものを観ることになるのだろう。鼓や笛の人が、ある場面になると、正面ではなく、横をぷいっと見るような姿で控えている。これはつまり、私はいま、舞台にいませんよ、という合図なのではなかろうか。いるんだけどなあ。見えてるんだけど、いないと言い張っているらしい。だから、いないものとしてこちらは観るのだな。まあ、現代演劇だって、「そで」があって、そこから奥に去るとどこかへ去ったという約束事があるが、どう考えても、そこにいるのである。姿は見えないが、(特に狭い劇場だったら)すぐそこにいる。けれど、いないものとして観るという約束事がある。
■べつに教養のためではなく、もっと能楽を勉強しようと思ったのは、単純に興味深いからだ。もちろん世阿弥の演劇論はすごいが、謡曲にある物語、説話の世界が、また興味深い。そして『鵺』という物語を選んでよかったと、あらためて思うのだ。はじめの話にもどると、まさに『鵺』こそ、権力にとってのノイズであり、排除される者だったからだ。排除した権力をヒーローとして描くのではなく、排除された「鵺」を中心に書いた世阿弥の思想はなんだったか。興味がつきない。

■あ、そうだ、三省堂でのトークセッションのあと、飲み屋で打ち上げをしたのだった。すがさん、花咲君、それから演劇評論家の鴻さん、それからトークセッションに足を運んでくれた何人かの知人がいたのだ。で、みんな、自分の話したいことを勝手にしゃべる。ものすごい勢いで話す。ある種、専門用語ともいうべき左翼的な言辞が飛び交い、来ていた早稲田の学生はさっぱりわからず、すがさんが解説していた。能を観るのもよかったが、その夜もとてもいい夜だった。
■ワールドカップがはじまったのだな。東京はすでに梅雨入り。舞台がなければ少しは落ち着いてものを考える時間ができる。

(12:15 Jun.11 2006)

Jun.8 thurs. 「やけに快調だった」

■あした(6月9日、つまりこれを書いている時点で本日)は、夕方の6時30分から、「『ネオリベ化する公共圏』刊行記念トークセッション」が、「三省堂書店神田本店8階特別会場」で開かれる。ふるってご参加ください。お待ちしております。上のバナーから飛べなくなっている。まずい(追記:その後、訂正していまはクリックできるようになりました)。

■朝の八時に目が覚めたがひどい寝不足だ。なぜこんなに早く目が覚めたかというか、なにに起こされたか明白な理由はあるが、それは省略するとして、ぼんやりした意識で朝を迎え、それから、このノートを書こうと思ったがからだがだるい。もう一度、眠らないと午後からの大学の授業にさしつかえると思いつつ、本をぱらぱら読み、そしてノートだけは書く。書いている途中で意識が朦朧としてきた。あとで読み返すと妙な文章だったが、そんなにでたらめではなかった。
■で、午前11時から、午後2時まで仮眠。目が覚めると、この数週間、なかったほどの晴れやかな気分だ。あきれるほど快調。メールチェック。すぐに返事を書く。ところがすぐにメールが戻ってきた。あれっと、思いつつ、大学へ行く準備。まず、「演劇ワークショップ」の授業で、出席率がきわめて悪く、思うように前進しないものの、徐々に人が集まり、まず、各チームがなにをやるかプレゼンテーションしてもらう。このプレゼンテーションもまた発表の一環。なかには、現代美術と、あるいは現代美術館から受けた刺激によってものを考えているグループもあり、そこはうまくゆきそうだ。よく考えていると思った。少しずつ形が見えてきた。面白くなりそうだ。
■そのあと、「戯曲を読む」の授業である。今週も前回に引き続き、『ゴドーを待ちながら』を読む。岡室さんがまた参加してくれて心強い。ただ、ベケットの作品を岡室さんが翻訳した作品の感想を求められたが、しまった、読む時間がなかった。っていうか、読もうと思えば読めたのだが、ほかのことに気を取られて忘れていたというのが正しい。申し訳ないことをしてしまった。来週までには読もう。さて、輪読をしつつ、ベケットの筆致を味わう。かなりばかばかしいことが書かれているのではないかと再確認するものの、やはり、五十年前の翻訳なのだろうな。もっと新しい翻訳が出ればいいと思うのだ。

■授業が終わってから、例によって僕の研究室で学生たちと雑談をする。今回は岡室さんも参加した。先週、話しが面白くなかったと書いたY君も参加。それで、なにか話をしてよくわからないことになると、それを、「Y化している」と呼ぶことになったのだ。僕もしばしば、「Y化」しそうになっていた。いろいろな話しをして楽しかった。岡室さんは、初代のロボット犬「アイボ」を飼っている。その名前を僕がつけたのは、もうどれくらいむかしのことになるだろうか。その名前がすごい。「ぼっこら君」である。いまだにぼっこら君は健在だとのこと。
■初代のアイボを所有している人たちのコミュニティがネット上にあるらしく、それぞれ、愛犬アイボには、飼い主が名前をつけている。「ぼっこら君」もどうかと思うが、なかに、独身者の男性もいて、彼のアイボの名前がすごい。「節子」だ。驚いた。ときとして演劇のことを、そして、なんでもない雑談をするこの時間がとても楽しい。岡室さんの翻訳したベケットの戯曲を読んで、早急に感想をメールでもいいから送ろう。翻訳はむつかしいだろうと想像する。そもそも、翻訳できないことが、きっとあるにちがいないのだ。学生と、そして教員もまじえて、こうした時間がもてるのはとてもいい時間だと思った。
■あ、そういえば、このノートで紹介した『モーターサイクル・ドン・キホーテ』のバイクで走る小田さんと下総君の写真を提供してくれた、坂内さんに授業のあいまにばったり会ったところ、舞台の感想を話してくれた。とてもうれしい言葉だった。感謝。それから、このノートのHTMLCSSを添削してくれたファイルを、以前、僕の演出助手をしれくれた相馬がメールで送ってくれた。ありがたい。ずいぶん改善してくれたようだ。わからなかった方法の解決策をいろいろ教えてもらった。なるほどなあ。
■いい一日だった。

(3:45 Jun.9 2006)

Jun.7 wed. 「質問に応える」

■このところ長いノートが続いたので手短に。で、きょう(7日)じつはものすごく私にとっては驚くべきことがあったが、きわめて個人的なことだったので、書きません。ま、すごく予想外のうれしいできごと。ぜったい誰にも話さない。けっして言うものか。てこでもうごかねえ。「うれしい」を他人に話したらもったいないからな。だったら書かなきゃいいが、つい書いてしまうほどに、うれしかった。
■朝、このノートを書くことで様々な考えを整理していた。午後はわりと時間に余裕があったので本を読んだりなどしていた。夕方、ある用事で外に出る。青山へ。道沿いにはいろいろなブランドのショップがならびいかにも華やかだ。ルイ・ヴィトンかなんかでパーティーでもあったのか、顧客を送迎するのに用意した、ルイ・ヴィトンのロゴのあるバスが何台も走っていた。まったくよくわからない世界。駐車禁止がこの六月から厳しくなったニュースを聞いてからすでに久しいが、たしかに、都心の路駐は少なくなった印象。それで、コインパークをはじめ駐車場を経営する会社の株が上がっているそうだ。資本主義を現象からだけではなく、もっと本質的なところから考えようと、ルイ・ヴィトンのバスを見ながら思った。「資本論」からまた立ち戻る。
■夜、九時から、世田谷パブリックシアターが出している「SPT」という雑誌の取材を受けた。今回のテーマは、「レパートリーシステム」についてだが、あまり考えたことがなかったので質問に応えるのに苦慮した。それでも、僕の考えるレパートリーシステムと、僕がそのことにどういうスタンスをとっているかを話す。あるいは、僕のなかにあるレパートリーシステム。最近、戯曲を様々な場所で読むことが(もちろん個人的にも読むが)多かったことから、戯曲に、より意識的になっていたが、そのことで考えたことなど。このところ取材ばかり受けている。あるいは質問に応えることがすごく多い。その応えるなかでいろいろ考える。応えるのに苦慮しつつ、やはりそこで考え、またなにかを発想する。これはとてもよいことです。取材には三十三歳の永井も同行してくれた。永井はいつもバイク移動。事故にだけは気をつけてもらいたい。いつも助けられているのだ。ところで、8月後半か、9月の初頭に発売される「SPT」に、きょう受けた僕のインタビューは掲載されるが、『鵺/NUE』の戯曲も掲載される。掲載されるのは「第二稿」になる。上演されるのは「第三稿」だろう。稽古は最終的な推敲である。

■舞台は終わったが、意外に忙しい。腰がちょっとやばい。気をつけよう。まだやることがいくらでもある。

(11:47 Jun.8 2006)

Jun.6 tue. 「駒場へ」

■午後、駒場へ。内野儀さんの授業に呼ばれたからだ。東大の表象文化の研究室に入ると、松浦寿輝さんがいらっしゃり、エッセイを読んで書評を書いたことを少し話したのだが、そのとき、松浦さんはなにかを探していた。カバンを探すが見つからないらしい。すると副手の方が、「財布は見つかったの?」と声をかけ、「床に落ちてた」といったことを松浦さんは応えていた。あ、これは、あれだ、ことによると私と同類ではないか、つまり、「なにかと、ものをなくし、いつも探している人」だ。どうやら授業で使う資料を探していたようだが、カバンをあきらめ、べつのテーブルの上でそれを発見したようだった。「あ、ここに、あった」と松浦さん。僕もしばしば、こういう状況におちいる。なぜかものがなくなるのだ。必要なとき、必要なものがない。
■授業は、去年の秋、僕が非常勤で教えていた部屋のすぐそばにあるホールのような大きな教室だった。僕が教えているのは、早稲田でも駒場でも、3、4年生が多いが、この授業は1、2年生らしく、ほんの一歳か二歳の年齢差だが、やはりまだ、幼さが残る。考えてみれば、早稲田の授業には、五年生も来ているし。この年代で三歳ぐらいちがうとかなり印象が異なる。受講していた学生の半分近くが、『モーターサイクル・ドン・キホーテ』を観てくれたようだった。内野さんの質問に僕が応えながら授業は進んだが、やはり、質問に応えることではじめて自分でわかることも多かった。たとえば、ある時期を境にやっていることが変化してゆくことについて、これまでうまく説明できなかったが、わりときょうは話せたのではないか。内野さんにうまく話を引き出してもらえたように思う。で、終わってさらに自分で反芻するに、つまり、興味の対象が変化してゆくのと同じように、刺激に対してわりと僕は素直に反応してしまう。たとえば、京都の大学でジョン・ジェスランの作品の一端に触れ、ほかの教員(実作者)も同じように観たはずだが、なぜか、それに素直に反応してしまったのは僕だけだったろう。ジェスランの表現を単純に面白がったということだ。いってみれば、それを刺激と受けとめるかどうかも、受けとめる側になにかあるからにちがいない。あったんだな。あきらかに僕のなかに、それを面白がる資質が。
■ただ、いろいろ話しているうち、『モーターサイクル・ドン・キホーテ』のラストについて考えると、そこはやはり、本来の自分があるのも教えられる。つまり、そこだけどうやら、不条理劇的に解決されていると考えられるのだ。内野さんに指摘されたことから考えてゆくと、本来の自分がそこに現れているのを知るのだ。それと同時に、いま、「ドラマ」を書くということについて、様々に劇作家たちが苦闘しているのも予感する。たとえば、岩松了さんの新作を僕は最近、観ていないのでなんともいえないが、聞くところによると、かなり不条理劇的になっているという。すべてが出つくして、次にどう劇があるべきか、その端境期ともいうべき現在の姿が、混沌としてあるのではないか。

 すでにあらゆる手法もモチーフも試しつくされ、磨り減らされてしまった時代に生を享け、人一倍熱っぽい叙情的な魂を持ちながら、それをそのまま表白したらたちまち陳腐なロマン主義の紋切型に堕しかねないといった宿命を正面から引き受けて、ついに強靱な方法論と濃密な官能性とも結婚させる革新的な音楽を築きあげたシェーンベルクは、しかし、そのことによって同時に、今世紀のあらゆる詩人と作曲家の不倖を準備してしまったと言える。

 そう松浦寿輝さんは、『青の奇蹟』(みすず書房)のなかで書いていたが、これは現代音楽や現代詩だけの「不倖」ではない。現代演劇もまた、「不倖」の渦中にあり、けれど、だからこそここに来て興味深い表現が次々と生まれているにちがいない(チェルフィッチュ、ポツドール、ニブロール……)。混沌は歓迎すべき状況だ。そして10年後、この国の舞台がどう変化しているかがいまから楽しみだ。なにも動かないものは、もうほっておけばいいのだろう。かつても動かなかった。この先も、いっこうに動く気配はない。

■さて、戯曲を書くことについて、基本的な作法というものがあるなら、それは、いかに、「からだ」に正直に言葉が生まれてくるかではないかと思う。このあいだの日曜日に会った、「ここではありません」のYさんのブログに、その日の私の行動が書かれていた。

18時、宮沢さんとK下くんと3人でオペラシティのカフェへ。席につくなり、宮沢さんが「で、相談って?」とおっしゃったので笑ってしまった。

 ここで私は、べつに面白いことをしようと思ったわけではないのだ。「席につくなり」のとき、二人が僕の正面に腰をおろした(正確にいうと、ひとつのテーブルを囲むように、K君は左横に座ったが)。その状況に僕のからだが、素直に反応したのだ。それはあたかも、「相談を受ける人のからだ」になっていた。すると出てくる言葉は、「それで、相談というのは、なにかな?」になるのも必然である。『モーターサイクル・ドン・キホーテ』では、父親が三年間、家をあけて、ようやく帰ってきた。そこを書くとき、バイクに乗って帰った父親の第一声をどう書いたらいいか、書いている私が困ったのだ。書きつつ私は、父親と同じからだになっている。三年ぶりに会う娘を前にしてうまく言葉が出てこない。二日ぐらいなやんだと思う。で、ようやく書けたのが次のせりふだ。

「こういうとき、なんて言えばいいんだ?」

 ほかに言葉が思いつかなかったのだ。ただ、自分のからだに正直に書いた。こうしたものが戯曲の言葉だと思う。なぜなら、「行為する人のからだ」を常に意識しているのが戯曲を書くということだからだ。
■ところで、「三十三歳」について書いたところ、何人かの「三十三歳」の方からメールをもらった。 ありがとうございました。 なかでも、「舞城王太郎」という作家がやはり、「三十三歳」で、それにふれているKさんという方のメールがとても興味深かった。

舞城王太郎という作家も33歳なのですが、
この人の小説を読んで、まさしく同年代に思春期を送った人なんだと感じました
深刻さがあるのはわかってるけど、
スピードをあげて走ってしまえばもしかしたら逃げ切れるのではないか?
しがらみも、自分を捕まえきれないのではないか?
こう書いてると、ホラー映画のように恐怖するものから必死に逃げる人たちのことを連想します
見ているこちらからすればときに滑稽ですらあるけれど、本人たちにとっては切実、という意味で。
で、舞城王太郎の小説はその姿勢をよく描いていると思うのです

 僕はあまり、舞城王太郎さんの小説のいい読者ではないが、なるほどなあとこの文章に感心した。「深刻さがあるのはわかってるけど、スピードをあげて走ってしまえばもしかしたら逃げ切れるのではないか?」という感覚において、彼らの同時代性なのだろう。彼らの思春期が約二十年前と考えれば、浅田彰さんの『逃走論』の時代だ。そのころ僕は、ラジカル・ガジベリビンバ・システムのために『時速500円で走る』という舞台を書いた。すでに成人していた僕らは、「逃走」を観念的にとらえていたが、まだ思春期の彼らは、もっと皮膚感覚として、あるいはダイレクトに、からだで受けとめていたように感じる。白夜書房から刊行する東大の講義録は、「八〇年代論」だが、この視点を忘れていた。八〇年代には、この「逃走の感覚」がどこかにあった。Kさんのメールにとても示唆された。

(11:13 Jun.7 2006)

Jun.5 mon. 「九歳の少女は自死を覚悟した」

■いろいろな事件がいやでも目に入る。朝日新聞の一面に、秋田で「小一男児の死体遺棄」の容疑で逮捕された女性の写真がかなり大きく掲載されているのが奇妙だった。たいてい犯人に関する報道といえば、顔写真程度か、バストショットだったが、この写真はほぼ全身という、あまり例のないものだ。ジーンズの奇妙な刺繍が見せたかったのだろうか。いかがなものか。記事にある女の生い立ちを読んだら暗い気分になった。逃げ場のない閉塞感が地方にはある。もちろんいちばんの被害者は殺された少年だが、さらに九歳で死んだ犯人の娘は、親の愛情をまったく受けなかった。生きてきたことでいい思いをまったくしないまま、水におぼれたという話はやりきれない。その死は事故だとされている。まだ九歳にしかならない子どもにだって自我はあり、自身とそれをとりまく世界を客観視できたのだとしたら、ことによると自死だったかもしれないと想像した。養育放棄(=ネグレクト)は社会問題だが、もっと昏い現実があるのを予感する。母親も、そして周囲の大人たちにも、そうした想像力のかけらもなかったのだ。
■村上ファンドの村上さんが事情聴取を受けた事件も、大々的に報道され、僕は見ていないが、記者会見がテレビで流されたらしい。ライブドアと堀江が、ニッポン放送株にまつわるできごとでそれまで以上に注目されたころ、テレビの「演技者」などのディレクターをしているO君がブログで、堀江を見ていると「光クラブ事件」を思い出すと書いていたのは、けだし慧眼というものだったのは、その後、ライブドアが東京地検の捜査を受けたとき、あるジャーナリストがまさに「光クラブ事件」との共通点を新聞に書いていたのを読んだからだ。ジャーナリストはそれなりに資料をもとに記事を書いたが、それがどうも、なにかちがい、パズルを組み合わせるような、後づけ感がぬぐえなかった。つまり、無理矢理こじつけたかのような。そこへゆくと、O君がライブドアと堀江の現象を見て「光クラブ事件」を思い出すと書いたのは、ある種、鋭い勘というようなもので、あんまり資料的な根拠はなかったと思うが、かなり早い時期、まだ捕まるなんて誰も考えていなかったころ、すぱっとそう断じたところが慧眼である。
■しかし、村上ファンドにかんして東京地検が動いた背景には、なにやら、もっとべつのことがうごめいているのを、つい、考えちまう。だって、村上ファンドの顧客には政治家らもいただろう。村上さんも官僚出身だしね。圧倒的な政治力を背景にしていたはずだ。それでのんきに構えていたところ、もっと強い政治が動いたのではなかろうか。九歳の少女は自死を覚悟した。川に流された。そして、莫大な金が一方では動きそれをめぐってわけのわからない政治の力が働いている。いやだよ。

■そのあと、仕事で制作の永井に会ったら、秋田の事件の犯人の女と、歳が同じだと話していた。三十三歳。まさに、団塊ジュニアであろう。永井が言うには、やたら子どもの数が多かった世代だそうだ。「バブルの崩壊」と呼ばれた不況のころ成人を迎え、しかも数が多くて競争率も高く、就職も厳しかったという、いい思いをちっともしていない世代だ。それだけに、なかなかにたくましい人たちではないのか。その少し前の世代がいい思いをたっぷりし、そしてだめになっていったのを見ているから、余計に、たくましくなったと思う。そして逆にねじれもあるな。たくましく生きていった者らよりさらに数多く、はじきだされた者らもいたにちがいない。若いときは、そんなことなどあまり気にならないが、それが三十歳を過ぎたあたりで、とたんに現実に直面させられるのはよく知られたことだ。僕もわりとそうだった。三十三歳のころはきつかった。僕はいま、三十三歳の人のことを考えている。どうしているだろう、三十三歳の人。
■話は前後するが、早く目が覚めた午前中、「Mac Power」の原稿を書く。きょうは仕事の日だ。昼前に書きあげてメールで送信。午後の三時から取材を受ける仕事の予定があるが、それまで時間があるので少し本を読む。稽古のあいだ、ぜんぜん本を読めなかったと少し前に書いたが、考えてみたら書評の仕事があったので、まったく読んでいないわけではなかった。ただ、仕事となるとなあ、自分のペースで読めないというか、どうしてもべつの読書になってしまう。で、三時から、「東芝ライテック」という会社の、これは、あれなのかな、ネット上で配信されるのか、それとも雑誌なのか、説明をちゃんと聞いていなかったのではっきりしないが、とにかく取材を受けたのだった。あ、でいま気がついたが、やはり雑誌でした。ネットでも配信されている。テーマとしては、「大学で教えている演劇人」ということで、これまで佐藤信さん、太田省吾さんらに話を聞いたとのことだ。聞き手も、やはり、大学で教鞭をとられているYさんという方だった。Yさんの穏やかな口調もあって、とても話しがしやすかった。楽しい時間を過ごせたのだ。
■それを終えて、同じ店(オペラシティの中にある面影屋珈琲店)で、白水社のW君と、むかし出した、『考える水、その他の石』の新装版についての打ち合わせをした。11月の、現代能楽集シリーズ『鵺/NUE』の公演にあわせて刊行することになりそうだ。わりと打ち合わせは早く終わり、その後、取材のときから同行してくれた永井が、秋田の事件の犯人の女と同じ歳だという話をするなどして、雑談になった。やっぱり雑談はいいよな。稽古のとき、あまり雑談がなかったので、きのうといいい、きょうといい、雑談ができる幸福を感じていたのだ。雑談のなかから、なにかが生まれる。そういえば最近、電話で長話することもほとんどなくなった。むかしはなあ、やたら長話をし、そのなかから、いろいろなことを発想していたように思う。メールのいいところもあるが、言葉をやりとりすることで生まれるものもきっとある。もっと雑談がしたいのだ。

■あ、そういえば、僕の舞台にも出たことのある南波さんと、早稲田の卒業生のHから、このあいだ書いた、「カメラがぐーっと引いていって宇宙に至り、逆にまた人間にもどっていって、こんどは細胞のなかまで入ってゆくという実験映画」について、それが、イームズ夫妻の『POWERS OF 10』だと教えてもらった。こちらにゆくとそれが見られる。アマゾンでもDVDが買えると、Hが教えてくれたが、ああ、俺、持ってた。忘れてた。でも、情報を送ってくれたことに感謝。

(11:03 Jun.6 2006)

Jun.4 sun. 「休む」

下北沢の町 ■ほんとうの休みだ。一日、仕事をぜったいにしないと決めた。で、大阪から出てきた「ここではありません」のYさんに、会って話をしようとメールした。Yさんが東京に出てきたのは4月だが、このあいだ横浜まで舞台を観に来てくれたものの、ほとんど話していないからだ。ほどなく、「いま起きました」という返事がメールで届き、何人かの人に連絡してもらって夕方会うことにした。
■それから昼、下北沢に行き、お昼ご飯を食べた。べつに家の近くでもよかったが、最近は下北沢の劇場で舞台をやることもないし、ほとんど行っていないのでたまにはその町をぶらぶらするのもいいかと思ったのだ。かつて本屋だった場所がなくなっている。それから八百屋さんもなかった。町は変わるな。カフェがいくつもできていたり、そして、日曜日だからか、やたら人が多かった。スズナリのすぐ下に古本屋ができているのは、以前から知っていたが、はじめて入った。あまり僕には興味をひかれる本がなかったけれど、古本屋が新しくできたというだけでもいい。その店は若者向けという感じか、よくある古本屋とはまた異なる印象だ。雑貨屋のような古本屋。どうせ下北沢だし、しかも、スズナリの近くなんだから、演劇や映画の本をもっと充実させればいいと思った。
■それで食事。のんびりした午後である。これほど気持ちが落ち着く時間を過ごせたのは何ヶ月ぶりだろう。それから家に戻ってスカパーでヤクルトvsオリックス戦を観たのだが、そのころ、僕の舞台によく出る笠木たちは、神宮で同じ試合を観ていたという。少しあきれた気持ちになったが、僕も、下北沢に行こうか神宮に行こうか迷っていたので、ことによったらばったり会ってしまったかもしれない。

■夕方、Yさんと、やはり数年前、関西で自主的なワークショップをやったときに参加してくれたK君と、オペラシティで会いカフェに行った。のんびりといろいろなことを話した。『モーターサイクル・ドン・キホーテ』の裏話とかね。あるいは、YさんとK君の近況も聞き、みんな仕事はたいへんなんだなあと思った。そして、当時、というのは関西のワークショップをやっていたころだが、彼らはまだ、学生だったはずだが、いまやK君は結婚までしている。そしてYさんは東京に出てきて、渋谷にあるIT関連の会社で働いている。そのせいだろうか、Yさんは微妙に関西弁のイントネーションがあるが、以前ほど、関西弁じゃなくなってしまった。かつては、「なんでやねん」とか「そんなんおまへんで」とか、「わてはなにわの女でっさかい」と、たしか言っていたはずである。それが聞かれなくなったのはきわめて残念だ。
■その後、やはりオペラシティのなかにあるインド料理屋で食事をし、そこに、直前まで仕事をしていたというカシカワが合流した。テレビの制作会社ではたらく彼女は、きょうもロケがあり朝4時起きだったという。働くなあ。人のことは言えないが、ほんとによく働く。彼女もワークショップ当時は学生だった。で、そのあと、我が家で三人とコーヒーを飲んだが、やはり、あれからずいぶん時間が経ったという話になったのだ。それでも、三人は僕の舞台を観に来てくれるし、なにかあればこうして会うのは、とてもいい感じだ。とくに、K君は、僕とはまったく異なる種類の仕事をしており、話を聞くのが興味深い。仕事はたいへんそうだ。マンションの理事会でここに住んでいる人たちと会うと、ふだんあまり接しない人たちと会話ができるのがいいときのう書いたが、彼らと会うのもそれに近いし、けれど、共通して好きなものが似ているから、話もはずむ。
■とても楽しい日曜日だ。休みだった。仕事のことをぜんぶ忘れ、ほんとうの意味での休みだった。

(11:35 Jun.5 2006)

Jun.3 sat. 「休もうと思っていたが」

■ほんとは何ヶ月かぶりの休日になる予定だったが、急な予定で、マンションの理事会が午前中にあった。
■ふだん接触があるのは、どうしたって演劇の関係者(俳優や劇作家、演出家、劇場関係者、そのほかの人々)、あるいはいろいろな出版社の編集の人たち、大学関係者(教員、そして学生)と、まあ、ある意味、偏っているわけだが、マンションの理事会ではふだん会わない人たちと話し合いをもたなければならないので、そこで社会に開かれる感じがするのだった。しかもお年寄りが多い。僕ももう、若くはないが、そのなかでも最年少になる。この夏過ぎからいま住んでいるマンションは給排水の大規模工事が実施されることになった。いまのままだと、水道管が腐食し黒い水が出るような事態や、配水管から漏水が起こりかねないからだ。古いマンションなのである。演劇をやったり、あるいは小説を書いたり、そうした仕事をしていると「専門」に閉じてしまいがちだが、日常のこうしたディテールからいろいろなことを教えられる気がする。へー、そうだったのか、ってことが多いわけだ。
■『モーターサイクル・ドン・キホーテ』に出演していただいた小田さんは、もちろん僕より年長でいらっしゃるが、まだ若い。まだまだ新しいことに挑む気力があると思うが、それでも公演のあいだや、稽古のあいま、僕の知らない過去の演劇の世界の話を聞くのはすこぶる面白かった。資料を丹念に調べれば歴史はわかるかもしれないが、そうした歴史の本文に付された注釈を読むような感じが、現場にいた小田さんの話から受け、それが面白いのだと思う。すが秀美さんの『革命的な、あまりに革命的な』も、やっぱり「注釈」が興味深かった。あの感じだ。「注釈」によって歴史を読むというか。もちろん「注釈」だけでは歴史はとらえきれない。本文があってこその「注釈」だ。演劇雑誌とかで、演出家や劇作家だけではなく、「注釈」としての話を現場にいた俳優をはじめ、様々な人から聞く作業があったらいいと思う。少なくとも僕は読みたい。

■で、休もうと思った一日だが、理事会があったので、休みを中止し夕方までに「考える人」の連載原稿を書きあげた。あとは、「Mac Power」を書けば一段落。そういえば、このあいだ世田谷パブリックシアターで、「現代能楽集」のシリーズ『鵺/NUE』の打ち合わせをしたら、改稿した戯曲を七月ぐらいまでに仕上げろと言われたのである。まだ『鵺/NUE』は先の話だと思っていたが、考えてみれば稽古がはじまるのは九月。けっこうすぐだ。で、どのあたりを書き直すか質問されたのだが、正直、『鵺/NUE』ってどんな話だったか、自分で書いていながらはっきり記憶がない。だめじゃないか。思い出すのに時間が必要だった。なにせ、あいだに『モーターサイクル・ドン・キホーテ』があり、そのことばかり考えていたからな。リーディング公演があったのが二月の初旬だから、もう四ヶ月近く経っている。もう一度、読み直し、さらに、リーディング公演のあと、この「現代能楽集」の企画者でもある野村萬斎さんはじめ、いろいろな人からもらったアドヴァイスをもとにしっかり改稿しようと思う。第二稿をあげ、さらに第三稿ぐらいまで書けたら理想的だが。
■このあいだ、早稲田の文芸専修の授業で話したことだが、Google Earthはじつに興味深いことをもたらすものではないかと思い、そこから劇にしろ、小説にしろ、発想したとき生まれるものがあって、なにしろ、ある地図上のポイントからぐーっと引いてゆくと、地球になるのだ。小さな世界が、巨視的に見ればどんな位置にあるかを宇宙の視点からながめられる。横浜市鶴見区にある小さなバイク店を、舞台ではその構造上、ばさっと切っているが、外側にはもっと広い世界がある。いま書き直しをしている小説は新宿のある一画だが、その外側にももっと広い空間がある。その視点をどこかに持っていないとだめだと、Google Earthは仮想的に教えてくれるように思う。あるいは、人にぐっと近づくこともできるが、もちろん、Google Earthはそこまで万能ではない。あのう、そういう映画がありましたよね、カメラがぐーっと引いていって宇宙に至り、逆にまた人間にもどっていって、こんどは細胞のなかまで入ってゆくという実験映画。タイトルを失念。太田省吾さんがよくその映画に触れ自身の演劇観を語っていた。『モーターサイクル・ドン・キホーテ』を書きながら、そして演出し、もちろん太田さんの演劇観とはまったく異なる舞台だと思いつつ、しかし、この劇でなにか様々な視点を獲得できたように思うのだ。作品を創作する行為は、結果というより、そのことがまたべつの経過でもあって、作ることが人を変える。「考えがあって作る」のではなく(って、まあ、考えてないとだめだけどさ、その「考える」とはまたちがう、「考え」)、「作ることで考える」ということ。だが、それもまた、途次である。まだ先はある。
■ゆっくり本を読んだり、映画を観よう。そんな時間も、この三ヶ月ぐらいとれなかったからな。来年の舞台のための準備をそろそろはじめよう。またぜんぜんちがうことを、あきれた情熱でやろうと思うのだ。

(12:11 Jun.4 2006)

Jun.2 fri. 「授業のことなど」

■白夜書房から刊行される予定の、「東大講義録」は、E君のおかげでかなり面白い本になりそうだ。で、ゲラを送ってもらってこれから直す作業がある。とことん面白くて役に立つ本にしたい。現在とどのように、八〇年代がつながっているか、それが「いま」を考えるにあたってどんな意味があるか。それを語りたいと思うのである。七月刊行予定。こうしてこの半年ばかり、単行本ラッシュ。
■じつは、八月ごろ、白水社からは、むかし出した『考える水、その他の石』を編纂し直して単行本で出版しないかとW君から打診を受けている。ただ、W君のというか白水社の考えでは、このノートで書いた「笑い」についての話などを盛り込むことで、「笑い」についての僕の考えをかなり前面に出すことだが、それ、けっこう、「東大講義録」と重複してしまう部分があるのだ。このあいだ劇場に来てくれたW君の単行本に関するプランを聞いてそれが気になった。
■あとは小説を発表しなければ。「新潮」のM君に申しわけがない。一度、書きあげ、それから直しをすると話をしてからもう半年が過ぎてしまった。時間が過ぎるのは早いっていうか、なにをしていたんだ、俺は。まあ、でも、そのあいだずっとなにかを書いていた。仕事をしていた。友部さんの奥さんのユミさんから、ワーカホリックじゃないかと言われるのもむべなるかな。あ、そういえば五月二八日に、吉祥寺で友部さんのライブがあり、恒例の「リクエスト大会」だった。僕はもちろん舞台があったので行けなかった。事前にリクエストを口頭で伝えたが、友部さんの日記を読むと僕のリクエストに応え、「フーテンのノリ」を歌ってくれたとのこと。こんなにうれしいことがあるでしょうか。

■午後、早稲田へ。文芸専修の授業。きょうのテーマは「サウナ文化」だ。なんだかよくわからない授業ですが、中上健次についてのお話である。私がサウナで中上健次を見かけた話と、池袋の町などについて話す。質問を受け付けたら、何人か、これまであまり質問をしなかった学生の手が上がったので、やはり中上健次に対する関心は高いのじゃないかと思った。いつも僕の授業にもぐる顔なじみの学生がほとんどいなくて、授業が終わったあとまた軽く話をしたいと思ったが、そのまま、家に戻った。
■夜から、世田谷パブリックシアターで、秋に公演のある、『鵺/NUE』の打ち合わせ。パブリックのMさん、Tさんが、横浜の舞台に来られなかったのは、その直前、おそらくトラムだと思うが、ある舞台で事故があり、人が死んだといういたましい出来事があったからだそうだ。舞台は怖いよ。油断していると事故はある。人が死ぬ。もし自分の舞台でそんなことがあったら、立ち直れない気分を想像した。いやだなあ。当事者の方の気持ちを思うといよいよ暗い気分になる。で、いろいろ具体的になってきた。出演者はほぼ決定された。『モーターサイクル・ドン・キホーテ』は稽古でかなり疲弊する舞台だったが、そのことをパブリックの方がおもんばかってくれ、あらゆる面においてフォローしてくれると言ってもらえた。うれしい。『鵺/NUE』は世田谷パブリックシアターの主催公演であり、遊園地再生事業団の活動の一環ではないので、『モーターサイクル・ドン・キホーテ』よりさらに、演出する条件としては厳しいことが待っているのじゃないか、しかも、出演する俳優の半分はまったく知らない方なので、いったいどうなるかと暗い気分になっていたが、パブリックの方の気遣いに助けられるのだ。
■先日のこのノートにも書いた、「大人のふりをする子ども」と「子どものような大人」の話にしろ、それを演劇観の問題としてとらえても、僕の発想はどうしてもまだ、この国の演劇事情にとどまっている。もっと世界的な規模において演劇がどう変容しているのかを勉強しなくてはと思う。もちろん、日本でも外国の舞台は観られるが、もう少し俯瞰して世界の演劇を観たいと思うのである。いったい、劇はどのように、いま世界で動いているのだろうか。そして、その歴史はどのように進んで(あるいは、退歩して)きたのか。映画や小説はわりと俯瞰しやすい芸術だが、演劇は、ややもすると身の回りのことにしか目がいかない。学ばねば。学ぶこと、まだ、死ぬほどあるな。

■早稲田の学生で、以前から僕の舞台を観たり、エッセイを読んでくれ、僕が教えることが決まってからずっと授業に顔を出し、様々にフォローしてくれるSの就職が決まらない。出版社を希望しているそうだが、次々と落とされているらしい。もし出版社に就職をしたら本を作ろうと約束しているが、メールをくれ、いよいよやけになったのか、証券会社に就職しようかと、とんでもないことが書いてあった。証券会社も悪いわけじゃないけど、それじゃ一緒に仕事ができないではないか。出版社に入ってほしいなあ。Sのためなら書き下ろしでもなんでも俺は仕事をするね。とにかくいい仕事をしてほしい。彼女はよく文章を書いて送ってくれ、それがとてもおもしろい。ときとしてすぐれた論考がある。まじめである。声が深浦加奈子に似ている。こんな逸材を取らないとは出版社はなにを見ているのだ。ただ、少し引っ込み思案のところがあるから、誤解されるのかもしれない。どこかとってくれないかなあ。
■パブリックシアターの打ち合わせから帰ったらひどく眠い。忙しくて本を読む時間がない。だめである。

(7:22 Jun.3 2006)

Jun.1 thurs. 「授業の日々へ、日常へ」

■午前中は、このノートや原稿を書いていた。「考える人」の連載はなにを書くかまったく思いつかない。早めに目が覚めてぼんやりしていたので午後まで仮眠。わりとすっきり目が覚めた。で、原稿は進まない。締め切りはぎりぎりだ。このところ、原稿量をまちがって解釈することが多く、それも舞台をやっていてぼんやりしていたからか。東京新聞の書評は、1700字だったのに、ほぼ倍の3200字書いてしまった。「考える人」の特集に関する原稿は、ひとつが500字、それを二本書いたが、なぜか400字だと勘違いした。ちゃんと確認してから書くべきだった。増やすほうはわりと簡単だが、削るのはたいへんな作業になる。だって、3200字から、1700字である。約半分。参った。
■午後、大学へ。久しぶりに早稲田に来た。相変わらず、どこの誰かわからない若者が広場でやっているつまらないヒップホップのダンスの練習などを横目で見ながら実習室のある36号館へゆく。「演劇ワークショップ」の授業は現代美術館に行ってそこで受けた刺激をもとにパフォーマンスを作る作業をこつこつ進める。今回はミーティングと各班と僕の面談。なかなか面白い視点もあるが、もっと、素直に受けた感想からものを作ること、あるいは、見ることを通じてなにか生まれたらいいと思う。その後に、表現方法がくる。そして反復による作品の制作。これを七月まで続けようと思うのだ。三週間、僕の休講で授業があいてしまったので、多少テンションが下がっている。休講したくなかったが、そうせざるをえなかったのは、もちろん、『モーターサイクル・ドン・キホーテ』があったからだ。
■次に、二文の表現・芸術専修のための「戯曲を読む」という授業だ。今回からは、ベケットの『ゴドーを待ちながら』を読む。授業の前に、ベケット研究の専門家、岡室さんから、やはりベケットの作品『行ったり来たり』の舞台写真がプリントされたTシャツをもらった。うれしかった。それはちょうどラストの、三人の女が手をつなぎ合う場面だが、僕が考えていたとおりのつなぎかただった。とてもいい感じのTシャツである。ほんとうにうれしい。で、『ゴドーを待ちながら』を読む。読みつつ、僕の考えをときおり話すが、わからないことがあると、その授業にいつも来てくれる岡室さんにアドヴァイスしてもらう。的確な意見。っていうか、だって専門家だし。ほんとに助けられる。僕は実作者として技法を中心に、岡室さんは様々なベケットに関する知識を話してくれるので、この授業は、きわめてぜいたくだ。学生がうらやましいぞ。僕は岡室さんも編者に名を連ねる『ベケット大全』(白水社)を用意して授業したが、この本がとても役に立つ。あるいは、訓練を受け経験もある俳優が読むのとはちがう感触が、学生たちが読むと生まれ、それがすこぶる面白かった。しばしばゴドーで笑ったのだ。

■終わってから、白夜書房のE君と、七月に刊行される予定の、東大の講義録本の件で打ち合わせ。なにを思ったか、紀伊國屋ホールから、この本の刊行にあわせトークライブをやってほしいという依頼があるそうだ。ほんとうなのかそれは。驚いた。
■あと、学生たちが編集している学内のフリーペーパー「グラミネ」の編集をしている学生と軽い打ち合わせ。外にあるベンチで話をしているとひどく冷えるので(僕はTシャツ一枚だった)、ぼくの研究室に行って、何人かの学生とまた、去年のように、ゆっくり話をする。卒業生のY君もいて、こっそり僕の授業に参加してくれるのはとてもうれしいが、ところがY君が話しはじめると、なんだか話が面白くない。いや、以前はもっと面白かったが、きょうはなんだか面白くないのだ。べつにいやな話をしているのじゃないと思うし、そして、一生懸命話してくれるのはうれしいが、なぜ、面白くないかについてY君の話を聞きながら、それを分析していたのだ。べつに笑えるような話を求めているわけではなく、そして、彼の話はきわめてまっとうだが、話し方だろうか。組み立てだろうか。彼が話すと、しばらく誰もなにもそれに反応しないので沈黙が生まれる。これはいったいなんだろう。うまく結論が出ない。でも、Y君が授業にもぐって、それでそのあと会話に参加してくれるのはとてもうれしい。まあ、僕がそうしたことにきびしいという問題もある。人が話すのを聞いて面白くなかったりするときっぱりした態度をとりがちだ。Y君はなにも悪くはない。なんか、あれはたしか、どこかの俳優で、すごく面白そうな話をしてくれる人がいた。芝居がかった話し方で、面白そうに語るがちっとも面白くない。それに比べたら、僕の授業のTAをやっているKは、ものすごく、のんびりした話し方だが、きわめて面白いのだ。これはきのう書いた、「大人のふりをする子ども」と「子どものような大人」の話と関連する。
■家に帰って、また「考える人」の原稿を書こうと思ったがひどく眠い。また、書けなかった。食事をすませたらすぐに眠る。こうして日常は、またいつものようにやってきた。舞台のことを引きずりつつも、いやがおうでも、日常に戻る。働かなければ、いまはただ、働かなければねえ。

(4:29 Jun.2 2006)

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