富士日記2PAPERS

Sep. 2006 MIYAZAWA Akio

宮沢宛メイルアドレス

Oct.15 sun. 「いま、ここ、で」

■しかし、「反動」というからには、そこに「ものごとは進歩してゆく」という思想がある。「進歩」に反するものは文字通り「反動」になるが、「進歩の思想」が崩れていたとしたらどうなのか。なぜ、「新劇」じゃいけないのか、と言えば、それはつまり、「じゃあ、六〇年代以後の小劇場運動はなんだったんだよ」という話だ。「六〇年代以後の小劇場運動」とはいわば、「問い直し」だったと考えられる。その「運動しているもの」の状態だ。六〇年代がまさに具現したような「破壊」や「カウンター」ではなくなったとはいっても、演劇はつねにその「問い直す運動性」を持っていた。しかし、「進歩の思想」が崩れたのもそう最近ではなくて、むかし福田善之さんにお会いしたとき、「作る精神」のその生産主義について話したら、「そんなことは原爆が落ちたときわかっていたよ」と言われたことがある。まったくだ。演劇の「問い直す運動性」が消えてゆくのだとしたら、それは、「保守化」とか「反動」といった政治言語で語ることのできない、もっと異なる状態ではないか。
■それはなにかなあと考えあぐねるわけです。いまの演劇の状態ってものがさ。演劇は大きなカテゴリーになってしまった。だから言葉がうまく出てこない。
■ダンスがいま面白いのは、そういった意味で、まだ混沌としているからだ。桜井圭介君の発言が論議を呼ぶのは、論議を呼ぶこと自体、とても健康的な状態ではないか。だからそこに、「運動性」があってダンスというカテゴリーに勢いを感じる。演劇はどうか。「ヒルズなこと」になっていないか。いや、まあ、「六本木ヒルズ」からこの言葉を思いついたのは、『東京大学「地下文化論」講義』においてだったが、ま、ともあれ「運動性のない退屈な状況」ってことだ。

■本日も稽古。午後は部分を少しずつ稽古していたが、特に、もっとも緊張感の高まるはずの最後の「劇中劇」を作る。『モーターサイクル・ドン・キホーテ』のとき、シェークスピア劇のような、やはり「劇中劇」を自分で書いたが、その「シェークスピア劇のようなもの」をどう演出したらいいかさっぱりわからなかったのだ。で、今回の「劇中劇」は清水邦夫さんの戯曲だ。「シェークスピア劇」よりはずっとわかるが、ほんとのところはわからない。どうもなにかちがうので、「もう一度、やってみましょう」と言ったところ、その場面の中心にいる若松さんから、「(演出の)法則がなければ、何度やっても、声が枯れるだけだよ」と言われた。その通りです。そこですぐ考える。すぐに答えを出さなければいけないのが稽古場での演出家の仕事だ。いろいろ試してみる。俳優からも意見が出る。うーん、まだなにかちがうな。
■夕方から「ぴあ」の取材。いつも取材をしてくれる編集者の方が一緒だったので、とても話しがしやすかった。少しだけ話しているつもりが、取材はいつものことだが、すぐに時間になってしまう。少し時間がオーバーしたが、きょうは夕方から、「荒通し」をすることになっているので、俳優さんたちはその準備で、夕方六時半まで待っていてくれた。
■で、通す。うーん、なんか、全体が流れているのを感じた。メリハリがなくテンションが高いばかりの印象。前半はよかったのだがなあ。どこかで、リズムが壊れたというか、ずるずる崩れていった感じだ。まあ、若松さんが自由過ぎるってことだけど、でも、その自由さが魅力でもあり、むつかしいところ。というか、黒ずくめの男のトリックスターぶりに周囲が簡単に巻きこまれる。するとまわりも、たとえば上村とかもやけに熱演するのだ。なんていうんですか、こんなににぎやかな舞台を作ったつもりはないのに、なんだか騒々しいわけで、つまり、もっと落ち着いた大人の劇が見たいのだ。と、いうのが現在の潮流か、この心性が、「新劇化」ってことになるのか。いや、ちがう、なにかもうひとつべつのもの。たしかにある時期をさかいに、演劇は、「静けさ」が主流になっていったが、その「静けさ」に意味がなければだめだ。「静けさ」というか、「現代口語演劇」が保守化するからといって、あらためて過去に戻るのでもなく、またべつの舞台があるはずだ。それを考えつつ、そして探りつつ、いま、この舞台を作っているという、「いま、ここ」だ。

■その後、スタッフとの打ち合わせ。家に戻ったらやっぱりぐったりした。めまいがして、なにか、まずい気がしたのだ。よく、脳溢血とかそういった人が、気持ちが悪いと言い、その後、倒れたという話を聞くが、なんか、めまいと同時に、気持ちが悪かったのだ。なにかを食べて気持ちが悪くなることはあっても、なにもないのに「気持ち悪い」ってのがいやな感じだ。
■それから、当日パンフレットのために、スガ秀実さんに寄稿していただいた。その文章が届いた。とても興味深い。戯曲を読んだ上で、「黒ずくめの男」が「足立正夫」に見えるという内容。すごいな、この話は。ありがとうございました。調べておくこと、授業の準備などをしなければいけないが、その時間がない。

(11:41 Oct, 16 2006)

Oct.14 sat. 「食事をするにも体力がいる」

■金曜日(11日)は早稲田の授業が一コマ。途中、ビデオを見せながらの九〇分。疲れた。その後、三軒茶屋の世田谷パブリックシアターへ。もちろん、『鵺/NUE』の稽古だ。午後六時から九時半まで。あっというまに時間は過ぎる。家に戻ると茫然とする。やっておかなくてはならない仕事(本を読むこと、資料を探すことなど)があるが、ぜんぜん進まない。
■で、きょうもまた午後から稽古だ。少しずつ、行きつ戻りつ、流しながらの稽古を進めてゆく。どうしてもおかしいと思うところは細部を直すがそれよりその場面がなにを表現しようとしているか、それがうまく生まれてこないところはあらためて、やり方を考える。あるいは、俳優が魅力的にどう見えるかについて、ただ繰りかえし見ながら、それを探す。そんな稽古の方法。突然の思いつきで演出を変えたりなどする。俳優が動くことではじめてわかることがあり、その反復のなかで、僕も気がつくことがある。夕食の休憩の時間に、朝日新聞のYさんの取材を受けた。この舞台の話というよりいまの日本の演劇状況について話した気がする。Yさんとは、「戯曲研究会」をやろうと前から話しているのだ。で、「新劇」についてあらためて考える必要があるという話の展開になったのは、「現代口語演劇」の保守化は、いわば戯曲にしろ演出にしろみんなうまくなってゆき、その結果、それは「新劇」になっていないかということなのだ。こうなると「保守化」というにとどまらず、いわば「反動」である。少し長引いてみんなを待たせてしまった。申し訳ないと思って、夕方からまた、みっちり稽古だ。
■今週は駒場と早稲田があり、そして稽古の連続と、さすがに疲れた。だけどこのノートはしっかり続けよう。舞台を作るにあたってまだやることはいくらでもある。スタッフと打ち合わせをして決めることもまだ数多い。原稿もある。大学の準備もある。家に戻って食事をしようと思うが、それもまた体力が必要だ。ものすごくだらしない姿勢で食事する。食べておかないとな。作法より、食べること。作法を考えると、食事をするのが面倒になるのだ。

(4:11 Oct, 15 2006)

Oct.12 thurs. 「心地よい忙しさだ」

■授業が二コマある木曜日だ。稽古は休み。俳優がからだを休めていてくれると助かる。風邪をひいた者が多かったからな。さて、きょうも短めに。
■授業の準備をして家を出ると、意外に道がすいていた。一文の表現芸術専修の「演劇ワークショップ」の授業は「からだ」について、各自がいま考えている「からだ」について発表してもらう内容だったが、70年代からの「仮面ライダー」の映像を持ってきた学生がいて、およそ30年分のライダーの「変身シーン」を見た。オダギリ・ジョーもいたが、半田君もいた。半田君のライダーは携帯電話を押すと変身するという斬新なものだった。それぞれレポートは面白かった。ふむふむ、みんないろいろ考えているのだなあ。また新たなグループを作って発表まで様々な作業をしてゆこうと思うのだ。二コマ目は「演劇論で読む演劇」。きょうは学生たちに別役実さんの『ベケットと「いじめ」』について発表してもらった。細かく読んでいる学生もいて感心した。ただ、あらかじめ僕からヒントを与えておくべきだったのは、どういった時代相のなかで、これが発表されたかだ。それがかなり意味を持つ。授業は最後に僕の補足で終わったが、学生の発表があったからこそ本書の概要が伝わっており、僕の補足にも意味があったと思う。授業が終わってからも学生たちに質問を受けて忙しかった。なかに「ゴドーを待ちながら研究会」を作ったという学生がいて、活動の中心は「待つ」だという。だめな感じだ。しかも略して「ゴド研」。顧問をしてくれという。
■忙しかったし、少し疲れたが、こうして学生たちに慕われると、稽古とはちがってまたべつのよろこびがある。大学で仕事するのは飽きていたが、こういった学生との関係が築けてゆくと単純に楽しい。彼らから刺激されることも数多くある。家に戻ると、北海道日本ハムファイターズが優勝する瞬間をテレビで見た。北海道にフランチャイズをもつチームがこれだけ盛り上がるのはすごい。巨人戦のテレビ視聴率が下がってあたかもプロ野球が下火かのような印象があるが、どうしてこの盛り上がりをみていると、そんなこととは関係なく、野球はゲームとしてやっぱり面白いのを知る。早めに就寝。またあしたは、早稲田の授業と稽古。またしばらく休みのない日が続く。

(8:16 Oct, 13 2006)

Oct.11 wed. 「授業と稽古」

■ふつう人が日記を書くとき日付は入れるだろうが、「タイトル」はまず入れないところから考えて、「ブログ」というやつは日記とは決定的に異なる。僕は高校生のころから大学ノートに細かい字で日記を書いていた。二十代の後半まで続けていたと思う。いまはもう、このノート以外、日記らしきものは書いていないが、やはり日記だけにけっしてタイトルはつけていなかった。「タイトルをつけるという行為」は他者へのメッセージだなと、つくづく。つまり、「日記」は表現行動ではなく、「ブログ」は、「日記の形式を借りたなんらかの表現」だ。それはそれでいいと思う。公開される日記の形式を借りた表現が人をかりたてる。誰だって「表現行為」はなんらかの形でしたいのだ。
■雑誌の連載にしろ、もちろん舞台や小説も、表現を仕事にしている僕でさえ、そうした「表現」とは異なる意味で、こうしたノートをつけているとすれば、単に「表現行為」だとしてもやはり種類の異なるものだし、「ブログ」ってやつはきっと、無償であることによって資本の仕組みとはまたべつの回路で流通するものだろう。ここは興味深いが、じゃあ、カラオケで聞かされる歌だの、素人のピアノの発表会とはちがって、鑑賞に耐えること、読むに耐えることを考えると、そこに記されるどこの誰かわからない人の日常のどこにもない唯一無二の生活は、「劇的」ではないことによって、またべつの「劇」を生み出しているように感じる。だが、「ブログ」はあくまで「ブログ」だ。例外はあるにしても、それはやはり「商品」ではない。
■そんなことを考えたのは、このあいだ桜井圭介君と話したときのことを思いだしていたからだ。僕はよく、ある種の演劇やダンスについて、「なぜ笑いの世界に行かないのだ」と発言しているのだが、桜井君はそうした、「笑いにはゆかず、演劇やダンスの世界にとどまる者」を擁護して、そうした者らが「経済的な効率にいかにとりこまれないか」というか、いわば、「いかに資本に回収されないか」という理由をあげた。まあ、「笑い」の大半は「ビジネス」であり、マルクスブラザースの例をあげるまでもなく、笑いを志した者らはきわめてハングリーであって、その現場感のなか(場末のストリップ劇場、デパートの屋上での営業、誰も自分を見てくれない路上でいかに道行く人の足を止めるか)でこそ「笑い」は鍛えられ「商品」になるのは、いまさら書くまでもなく多くの「笑い」や「喜劇」について語ってきた者らの一致した意見だ。で、桜井君の意見を考慮しつつ、それら多くの表現を考え、「商品(=表現行為)」としてそれを意識すると、マルクスが「資本論」で問題にしたことと、それとはまた異なる意味で「商品」を考えた柄谷行人さんの言葉が参考になると思ったのである。マルクスは「商品」について「生産部面」を中心に考えた。柄谷さんは、そうではなく、「交換部面」について重きをおいて語っている。「資本主義」が変容しているのだ。それはそのまま、「表現行為」についてのアナロジーになると予感する。そして、ネットは「生産」と「交換」について、また異なる地平を生み出しているように思う。でなかったら人は、なぜ「ブログ」を無償で「生産」し、なにかよくわからない「交換」が生まれているのか。
■時間もないのに、なぜこんなことを書いてしまったのだ。

■昼間、駒場の授業。夜、三軒茶屋でまた稽古。朝から授業の準備をしており、まる一日、仕事をしていた。そんでもって、授業で90分話をするのは疲れる。ただ前日、よく眠っていたので、わりと快調ではあった。でも、きょうの授業はイントロダクションだからわりと話す内容があったが、来週からだな、問題は。うーん、うまく授業を進めてゆくことができるだろうか。でも快調。睡眠をしっかりとることだなとあたりまえのことを考える。さらに稽古は、夕方六時からびしっと三時間半、集中してすることができた。少しずつ前進。まだまだ深めることができるはずだし、もっといいものにしたい。このあいだ親睦会のようなものをやって、みんなといろいろ話しをすることができたが、稽古も半ばを過ぎ、もういっぺん親睦会のようなものをやりたいな。稽古場だけでのコミュニケーションじゃないものが必要な気がする。稽古だけではない、創作へのまたべつの道筋だ。親睦会は必要だなぜったい。やっぱりそれは、型通りに台本をやってゆくのとはちがう、なにかべつのものを舞台や表現にもたらすと思うのだ。あ、そうだ。稽古には、桜上水のYさんと、K君が来たのだった。二人とも、いま、なにもしていないとのもっぱらの噂だ。

(8:36 Oct, 12 2006)

Oct.10 tue. 「くりかえしくりかえし」

■ほんとうに時間がない。ノートも手短に。というのも、駒場の授業の準備があるからだ。うーん、少しは講義の展望が見えてきたが、本になった去年の授業と同様、今年もゆきあたりばったりで進行してゆくだろうな。しかもちょうど稽古と公演が重なっている。
■稽古は主に、演出家と黒ずくめの男の「邂逅」の場面。繰り返してやってみる。くりかえしくりかえし。とするなら、だんだん整理され、洗練されてゆくはずなのに、やればやるほど混沌としてくる。若松さんがものすごく自由に芝居をしている。でもそのことで、若松さんも上杉さんも、なにかを探っているような印象だ。形をなぞるだけではない創造的な作業。あと、どの場面を稽古しても若松さんが休む時間がない。ずっと出ずっぱりだ。それで休憩をいれるけど、でも、いやな顔ひとつせず、そのたびに新鮮な演技をする若松さんに頭がさがる。上杉さんから戯曲上のことで疑問点が出されもし、それを考えながら稽古するのは、とてもいい雰囲気である。その疑問について僕も考える。議論がある。稽古場はこうして動的でなければと思うのだ。
■半田君が熱を出して休みだったこともあり、できるところを抜きでやってゆく。半田君の事務所に所属する若い人が、半田君の代役をやってくれた。あのすっとんきょうな若者である。きょうは少し落ち着いていたものの、一瞬、やっぱりすっとんきょうなところがあって、笑った。でも、毎日、稽古を見学に来る。すごく熱心に芝居を観ておりそのまじめさに驚かされもするのだ。

■時間がない。稽古のことをはじめ、書きたいことはいくらでもあるが、きょうはここまで。あ、きょう夕方の少し長い時間の休憩のとき日経新聞の取材を受けてほとんど休む時間がなかったんだな。すごく疲れた。あと、いまベケットのリーディング公演の稽古でパブリックのべつの稽古に太田省吾さんがいらしており、簡単な挨拶。久しぶりに会った太田さんはやはり大きな人だった。まあ、そんなこんなで疲れた。帰りのクルマ、なにかぼんやりしていて少し危なかった。

(7:12 Oct, 11 2006)

Oct.9 mon. 「一日休んだおかげで好調である」

■北朝鮮、せっぱつまる。
■日曜日(10月8日)は稽古が休みだったこともあって、一日、ほとんどなにもしていなかった。睡眠もしっかりとった。駒場の資料としてネットで購入したCDを聴いていたが、どれもノイズミュージックで、あの、どのサイクルの音だったか詳しいことを(昔はそれを知っていたが)忘れた音が「キーン」と流れる曲が多くて気が狂いそうになる。むかしなにかの機会にラジオ局のスタジオでそれを長時間聴いていたら吐きそうになったのを思いだした。かつてはノイズミュージックを聴くのもべつに苦ではなかったものの、いま、ことさら聴く気にもならず、やっぱり人はある年齢になると穏やかさを求めるのだろうかと、その保守性がいやな気分になる。このところ七〇年代のアメリカのロックを聴いているとほっとする。つまり高校生の頃に回帰している。八〇年代に無数に買った12インチシングルの輸入盤とか、ぜんぜん興味がなくなって、八〇年代からずいぶん遠くに来てしまった。久しぶりの休みだった日曜日。それでも予習のための読書を少し。ジャック・アタリ『音楽/貨幣/雑音』(みすず書房)。
■さて本日(月曜日)は稽古だが、その前に、先日、『エンドゲーム』を演出して公演を終えたばかりの佐藤信さんと「ユリイカ」のための対談をした。午前中、11時半の約束だったが、目が覚めたら11時だったのでひどく慌てた。遅刻。すげえ寝ちまったよ。
■恐縮しつつ、対談場所になっている世田谷パブリックセンターへ。佐藤さんはおだやかな表情で待っていてくださった。さらに恐縮。それから二時間ぐらいしゃべりっぱなしである。佐藤さんがまた、ものすごく話す。とてもためになった。この日のために佐藤さんの著作を何冊か持って行き、まず、黒テントの初期の「運動としての演劇」について話をうかがい、そこから表現のことへと話を進める。さらに『エンドゲーム』が終わったばかりだったのでベケットの話になる。様々な話題へ。で、最終的にブレヒトや、こんど佐藤さんが演出するハイナ・ミュラーの話を聞こうと思っているところで、時間切れ。もう少し時間がほしかったけれど、でも、それ最後まで話していたら膨大な対談になってしまったと思う。一冊、本ができるほど話ができる。というか、こうして僕より年長の、六〇年代、七〇年代に活躍した劇作家、演出家との対談を、いや、対談というか僕が聞き手になって本を出したいほどだ。時間だ。僕は稽古場に行かねばならなくなった。活字になると佐藤さんがものすごく話している対談になっているのじゃないだろうか。

■で、予定の時間を少し過ぎて、同じ建物の地下四階にある稽古場Aへ。少し稽古をしていたら、なぜか佐藤さんが見ていた。いつ入ってきたか気がつかなかったので驚く。それから「ユリイカ」のYさんもいた。さて、きのうよく眠ったので僕はきわめて調子がよかった。集中力も切れない。少しずつ稽古は進む。ただ、途中、短い休憩を取るとき少し気分がほっとするが、でも舞台監督さんから質問があって軽い打ち合わせになってしまい休む間がない。疲れていると考えることもできないが、きょうは調子がよかったので打ち合わせも苦にならない。眠らないとだめだな。稽古の内容も濃くなる。
■またあらためて冒頭から少しずつ返す。きょうは若松さんも絶好調だった。かなり自由に芝居をしている。「鵺」である「黒ずくめの男」が若松さんの役だが、「鵺」はこの劇においてトリックスターだ。軸となるべき「演出家」の上杉さんがいて、「演出家」がこの世界を秩序づける人物だとしたら、その秩序を少しずつ「鵺」が歪ませるのだと、稽古をしているあいだに気がついた。書いているときも、そして、演出をはじめたときもわかっていなかったが、若松さん、上杉さんという、俳優の身体があってはじめて、その発見があるのだ。俳優は様々なことを教えてくれる。これまでもどれだけの数の俳優と仕事をさせてもらったかわからないが、いちばん僕に演劇を教えてくれたのは、やっぱり俳優だ。いや、「演劇」だけではないのじゃないか。いろいろなことを俳優から、そして共同作業をするその稽古場で学んできたと思うのだ。
■で、きょうおかしかったのは、上村のせりふを、若松さんがつい食ってしまうところだ。それで勢い上村が食われまいとしてやけに早口になる。そのときの上村の意識が見ているだけでよくわかって、笑ってしまった。食われちゃいけないと大あわてだ。ま、そんなところも含め、細かいところを整理しつつ稽古を進める。少しずつ世界ができてゆく。細かいことの積み重ねだ。まだ、安定感がないが、ていねいに稽古を繰り返すことで少しずつできてゆくだろう。そして、ただただ、反復。反復することで表現に深みが生まれればいい。じっくりねばらなければな。それとやっぱり、俳優がどれだけ、魅力的に見えるか、その新たな発見が生まれたらと思うのだ。

■稽古を終えて、家に戻ると、筑摩書房から書籍小包が届いていた。スガ秀実さんの『1968年』(筑摩新書)だった。かなり、ずばりなタイトルだった。えーと、これ書いていいんだっけな、スガさんには、『鵺/NUE』のポストトークに来てもらうのだ。いまから楽しみである。で、これを読んでやっぱり予習をしておこう。早めに就寝。うーん、さすがに家に戻ると疲れてぐったりしてしまうが、駒場の準備をしなければならないのだが、その時間がほんとうにない。あせる。
■9日に誕生日を迎えたという桜上水のYさんのブログの文章がとてもよかったので、引用しよう。

さてと。この年は。人見知りをもうすこし直し、引っ込み思案もすこしは直し、料理をし、地理を覚え、選択のときは不安要素があってもよりドキドキするほうを選び、お金については意識的になり、友だちには会い、好きな人にも会い、心の師(アイドル)の一挙手一投足を目に焼きつけ、忘れないように心にからだに刻み、ひとりを楽しみ、ふたりを楽しみ、時にはさんにんでも楽しんで、誰かが嫌がることからは足を洗い、悪い夢を見なくていいように、よく眠り、時には眠らず、長い付き合いの友だちがフライングで前日に送ってきたハッピーバースデーのメールに笑い、実は泣き、納豆は混ぜすぎず(泡立ったらおわり)、「一日に玄米四合と味噌と少しの野菜」よりかはいいものも食べ、パンとかも食べ、西に疲れた母あれば絵文字入りのメールで励ますくらいのことはし、大好きな人たちの健康を祈り、心の底から感謝しながら、次の10・9まで死にものぐるいで生きたいと、ぼんやりと思うのです。みなさんのお手を勝手に拝借しています。すみません。あしからず。オールウェイズおおきに。心の底から。

 おめでとう。いま僕はディランの「ハリケーン」をiPodで聴いているところだった。まったく話とつながらないが。

(8:20 Oct, 10 2006)

Oct.7 sat. 「稽古、そして野村萬斎さんと対談」

■きのうのこのノートに(いまは削除してしまったが)、ねぼけて更新したら「10月4日と5日分のノート」を消してしまったと書いたら、早速、ログを送ってもらった。Iさんという方からでした。サーチエンジンのキャッシュから見つけ出してくれたとのことだが、僕も、グーグルは探したんだけど、まだ九月ごろのキャッシュしかなかった。そうか、ほかに、そういうキャッシュがあるのだな。わからなかった。とても感謝した。ありがとう。

■さらに稽古は続く。朝、10時起床。睡眠時間五時間。もつかなあと思ったが、夜までしっかり仕事をこなした。気力の問題だ。五時間が少ないと思うと睡眠不足になるが、五時間も眠ってしまったと、考え方をがらりと変えれば、その日は気力が充実している。
■途中、トイレの休憩など取りつつ、六時半まで食事の時間を省略して稽古。時間としては早めに終わることにした。というのも、「ユリイカ増刊号」のため、野村萬斎さんと対談がそのあとに予定されているからだ。後半、ラストまでを少しずつ作る。俳優からもアイデアが出てとても有意義な稽古になった。上杉さんが腰が弱いということで、人を抱える場面はきつそうだ。僕もぎっくり腰をよくやっているので、その痛みはとてもよくわかる。あれはねえ、なったことのない人には想像を絶する痛みだし、俳優にしたら、もう致命的なことになる。不安な爆弾を抱えつつ上杉さんは稽古。いま、気になっているのは、上杉さんと若松さん、そして若い俳優たち(下総君、鈴木、上村など)と、舞台上で距離感がまだ遠いと感じるところだ。同じ世界を同時に生きている人物たちという感じがもうひとつ出ていない。もっと関係を深め、距離は縮まるはずだ。あくまで舞台上での話。あ、そうか、上杉さんの演じる演出家と、下総君の演じる俳優は、この劇の中では対立しているという関係なので、そのことにこだわりすぎているのかもしれない。うーん、これはなにか手があるな。
■鈴木が欠席。早稲田のイガラシとモリモトが手伝ってくれた。イガラシが、「甲板員」を「コウハンイン」と読んだ。まあ、いいけど。二人にはいつも助けられている。半田君の芝居からはじめにあった固さがとれてきた。しかも力強くなっており、どんどんよくなっている。中川さんが演じる雅子という役は、この集団のなかで、もっとも大人であり、冷静さを持っていなければならないが、油断すると子どもになるのでしつこく注意。口をぽかんとあけていることがあって、でも、それを見ているとつい笑ってしまう。面白いなあ、中川さん。もちろん上杉さん、下総君、上村は安心して見ていられる。みんなどんどん魅力的にこの劇世界で生きられているように感じる。そして若松さんがときどき見せる、なんだかわからないでたらめな動きも興味深く、ああ、やっぱりこれは天井桟敷ということなのだろうか。俳優たちの出自は様々だ。それがひとつの世界を作る。こうした形式でのプロデュース公演は、そうしたことがもっともむつかしい稽古になるのかもしれない。『モーターサイクル・ドン・キホーテ』もそうだったけれど、今回はさらに様々な出自だ。半田君は仮面ライダーだしなあ。
■途中、この「近代能楽集シリーズ」の企画者である野村萬斎さんが稽古を見学に来てくれた。微妙に稽古場の空気が変わる。いい方向に。それで僕も、集中力を切らさず、稽古ができたと思い、誰かが稽古を見学に来てくれるのはとても助かる。まあ、それが萬斎さんだったのは大きいとはいえ。あとで、対談のとき萬斎さんから話を聞いたが、興味をもって稽古を観てくれたようだった。そういえば、予定の時間が過ぎてもしばらく、萬斎さんは稽古場にいた。

■それで稽古のあと、「ユリイカ」の対談。「声」についての話が中心になった。なにしろ萬斎さんはねえ、日常的に話しているときでも、声がすごい。からだにぜんぜん力を入れていないかのようだが、声だけ、低く、けれど強く出てくる。はじめて会ったときからその声が、からだのどこから出ているのか不思議でならなかったのだ。あとで「ユリイカ」の編集を担当するYさんが、軽くボールを投げたようでいて、けれど、そのボールが遠くまで飛んでゆくようだとそれを表現していたけれど、まったく言い得て妙だった。さらに、謡曲のなかから「鵺」という特殊な作品をとりあげたことなどについて。これはやっぱり、今回の舞台にあってはもっとも人の関心をひくところだし、能に関して専門領域にしている萬斎さんも、興味をもってくれた。
■で、話をしているうちにわかったのは、「鵺的なるもの」という、よくわからないもの、いわばそれが不条理劇の劇構造に近いのじゃないかと思い、だから僕はひかれたのではないだろうか。そして鵺はアンチヒーローだ。「葵上」とか、「邯鄲」とかと、まったく異なる種類のお話だ。「鵺的なるもの=不条理」かな。「現代能楽集」という企画に参加して、またべつのことを発見した。いまは早く初日の舞台を迎えたい気分だ。

(12:50 Oct, 8 2006)

Oct.6 fri. 「台風でも稽古」

稽古場

■午後から早稲田の文芸専修の授業。『東京大学「地下文化論」講義』を元に話をする。ただ、なぜそれを話そうと思ったかというと、次週、テリー・サザーンについて話そうと思ったからで、「ヒップすぎるぜ」という小説における、「ヒップ」を、「かっこいい」という概念から取り出して話をつなげようと思ったのに、ぜんぜんちがうことに話は流れてしまった。来週、そのことを切り出して、テリー・サザーンについて話そうと思うのだ。まあ、文芸専修の後期の講義は、あまり取りあげられない作家について、あるいは、またべつの切り口から作家を考えるというテーマがある。というのも、研究者が取りあげているものなら、僕が話してもしょうがないからだ。外は台風のせいで風が強く、雨が降っていた。案の定、出席者は少なかった。
■早稲田を出て、三軒茶屋へ。パブリックの稽古場で、もちろん、『鵺/NUE』の稽古だ。少しずつせりふも入ってきた。若松さんと上杉さんのシーンもだんだん厚みをましてきている。ここだなあ、ここしっかり作らないとな。粘らねばと思うのだ。その他、それぞれ俳優たちがなにもしないわけにもいかないので、少しずつ流しながらやってみる。まだまだだけど、きっといい舞台にしよう。もっと細かく書きたいが、時間がない。
■家に戻って、「MAC POWER」の原稿を書く。笑える文章はむつかしい。まあ、なんだってむつかしいんだけど、最近はわりとまともな文章の依頼が多いせいか、ばかばかし文章を書くのに大変苦労する。「MAC POWER」の編集長のTさんから深夜に電話があり、原稿の催促。もうぎりぎりらしい。焦る。疲れて眠い。死にものぐるいで書く。

(4:36 Oct, 7 2006)

Oct.5 thurs. 「早稲田も秋」

■大学の授業がはじまった。とてつもなくせわしない一日だった。もう何度も書いているのでご存じのように私は睡眠異常だから、この日も、朝五時少し前に目が覚めたのだった。この時点で睡眠時間は三時間くらいか。それで少し本を読む。佐々木敦さんの『テクノロジー/ロジカル/音楽論』。駒場の予習。で、それを読んでいたらべつの本を参照したくなってアマゾンで注文。すでに絶版になっている本らしく、二冊で一万八千円くらいだった。でも、そのとき私は意識がぼんやりしていたので、躊躇なく「注文を確定」ボタンを押していたのだった。「MAC POWER」の原稿を少し書く。あまり進まない。
■また仮眠というか、二度寝して早稲田へ。遅刻。一文表現芸術専修の「演劇ワークショップ」の授業。前期の最後にやったパフォーマンスの発表を記録したビデオをみんなで観て合評。あらためてビデオで観ると面白い。各自に感想、批評などを発言してもらい授業を進める。これをすることで、後期、共同でモノを作ることに対しまたちがう自覚が生まれるのではないか。なにしろ今年のテーマは「共同作業」だ。去年それで失敗したので、とことんそこにこだわることにした。遅刻して授業の開始が遅くなったから、当然、終わるのが長引き次の授業をはじめるのが30分くらい押す。「演劇論で読む演劇」。きょうはこの授業の概要を話すのと、それぞれの発表の組み合わせを決めるのがまずあり、それからようやく、まず第一回目として太田省吾さんの演劇論、『劇の希望』の話をした。それから『水の駅』のビデオを観る。ほんとはここから、平田オリザの『現代口語演劇のために』に話を続け、そして、現代口語演劇の保守化といった話をするはずだったが、やはり、時間はどんどん押し、次の授業の人たちを教室の前で待たせてしまった。
■といった状況で、私はもう、てんてこまいだ。へとへとになる。だいたい家を出るとき『水の駅』のビデオと、演劇論をまとめたノートが部屋で見つからず、その時点ですでにてんてこまいだったのだ。しかも体調は最悪。「演劇論で読む演劇」に関して、僕の担当は、次週に少し残してしまった。「現代口語演劇のその後の展開」といった話を来週、しようと思う。とはいっても予定では、来週、学生に別役さんの『ベケットと「いじめ」』を発表してもらおうと思っているのだ。その授業、よく見ると、九月にあった「演劇ワークショップ」で一緒だった学生がかなり受講している。楽しく授業ができそうだ。
■早稲田をあとにして、新宿へ。ダンス批評家であり、最近は「吾妻橋ダンスクロッシング」などでプロデューサーとしても活動している桜井圭介君が、「ユリイカ」で僕についての原稿を書くにあたって話を聞いておきたいというので二時間以上、無駄話をふくめつつ、いろいろ話をした。話しているなかで、発見することがある。詳しく書くと長くなるので簡単に書くと、「クレージーキャッツにおける安田伸の存在について」とかね。あくまで、「身体論」の問題としてそれが出てきた。南海キャンディーズのシズちゃんの存在はわかりやすいというか、あるシステムのなかにあるが、なにもしていないかのような安田伸はまた異なる存在としてあり、あのからだを、どう考えていいかよくわからないのである。
■まあ、そんなこんなで、いろいろ話ができて面白かった。桜井君は僕のこのノートをよく読んでいるらしい。僕の書いていることに矛盾点がいくつかあって、いま「これこれこういうことを書いていた」が、そのすぐあとで、それを否定するかのように、「これこれこういう事を書いている」という指摘を受ける。揺れているのである。「私の身体論」は揺れている。その「揺れ」こそが、いまの私なのだなあと、つくづく。まあ、かっこつけていうと、「思考の流動性」とでもいうか。
■といったわけで、二日間、稽古は休みであった。俳優たちはせりふが入っただろうか。でもまあ、そんなにすぐにせりふを入れたからってそれほど偉いことではない。なかなか入らず、苦労することで、それがもっとからだの奥深くから発せられることだってある。まあ、たしかにみんながせりふがすぐに入って稽古がやりやすいことはあるが、それは単に、演出家の都合だ。俳優だからね、演劇はさ。俳優のからだ。言葉もまた、そのからだを通じて発せられるものだ。また、小休止をとって、新たに稽古を再開。深い表現のために、さらに試行。稽古は疲れるよ。へとへとになる。大学はせわしなかったものの、なにか発散するものがあって気持ちがよかった。学生たちとのかかわりも面白い。教えるというえらそうな態度ではなく、それをすることで僕もいろいろ考える。ためになるよ、ほんとに。

(8:13 Oct, 6 2006)

Oct.4 wed. 「稽古は休み」

■稽古が休みだったので、やっておくべきことをする。昼間、個人的な用事があって少し外に出ていたが、夕方、白夜書房のE君と会って、駒場の講義について打ち合わせをする。
■考えてみれば、大学の授業について出版社の編集者と打ち合わせをするのも奇妙な話だが、すでに、『東京大学「八〇年代地下文化論」講義』に引き続き、今年の講義もまとめて、来年、本にする予定である。とはいえ、本の準備というよりE君はある種のブレーンとしていろいろ考えてくれる。「ノイズ論」というのが今年の講義のテーマだが、漠然と考えていたことを、E君がてぎわよくまとめてくれる。稽古もあるし、準備不足も否めないが、ここはもうひとつ踏ん張るところである。講義をすることでまた、僕もいろいろに考える。『東京大学「八〇年代地下文化論」講義』での反省点もあるしな、また一から出直し。とはいえ、前回の講義で語ったことのなかに、現在を考えるヒントがあり、八〇年代が孕んでいた性格のなかに、いま、悪しき姿で反復されていることもある。第一回の講義は、「八〇年代の反省」と「現在の悪しき反復」から話をはじめよう。それが、「ノイズ排除」の傾向であり、考えてみたら、だからこその「美しい国。」じゃないか。
■打ち合わせを終えてから、からだのメンテナンス。鍼治療だった。治療をしてくれる先生が、これはひどいというほどからだにガタが来ていた。首が痛い。右腕の付け根から肩胛骨の下あたりの筋がこちこちで、「これは、骨じゃないな。解剖学的に、ここに骨があるわけがないし」と言った位置には石のように硬くなった筋がある。痛いんだそこがまた、鍼を打つと。

■稽古のあいま、少し気分的には余裕だった。それでまた、時間があれば芝居のことを考えている。それから大学の授業のこと。去年と同じことをやれば楽って言えば楽だが、それだと、自分が授業をすることでなんの勉強にもならないと思い、授業の方法を考えていたのだ。「演劇ワークショップ」の授業は、やはり後期も、なんらかの課題を与えて作品を製作し、なにか小さな発表公演をやろうと思っていた。ふと、「いまのからだを探す」という課題をやろうかと思ったわけである。どういうものになるかわからないが、「いまのからだを探す」というテーマで、様々に学生が、「いまのからだ」を観察する。そこからの展開だな、問題はっていうか、それがもっとも重要だが。
■それから、「演劇論で読む演劇」は、いつも学生に演劇論を読んでもらって発表してもらうことになっていたが、そこで「発表」に重点を置こうと思うわけだ。この授業はなにしろ、「演習」なんだから、「発表」にパフォーマンス性を持たせよう。「どう発表するか」を考えさせる。去年、この授業で、スタニスラフスキーの『俳優修業』を「紙芝居」で発表したグループがいた。あれはあれで、一定のパフォーマンス性があった。そうしたこと。面白くなりそうだが、学生の負担はさらに増える。ただごとではない。受講したことを後悔してもらいたい。
■稽古と大学。怒濤の十月。それから、その他のこと。もっと読むべきものは無数にある。読まなければ。なんせ、読書の秋だしって、いや、夏も読んでいたのだが。

(3:09 Oct, 5 2006)

Oct.3 tue. 「若松さんはほとんど出ずっぱりである」

■この数日のこのノートの曜日表示がまちがっていた。というか、稽古をはじめると、一週間の感覚がまったく消え、よくわからなくなるのだ。きょうもからだの調子が悪かったが、それというのも、睡眠異常を解消しようと思って飲んだ薬が強くてずっとからだに残っていたからだ。まいったな。からだが重い。頭がうまく回らない。稽古で神経が参っているのがわかって、それで夜、落ち着いて眠れずすぐに目が覚めてしまうし、それで薬を飲むという悪循環。よくねえなあ。早死にするなこのぶんでゆくと。
■しかし、そんな冴えない頭で、稽古の前に産経新聞の取材を受ける。取材をしてくれたのはもう10年以上も前、僕の舞台について書いてくれたEさんだ。その後もなにかあるたび取材をしてくれる。インタビューはまず、みんなから質問されるように、「なぜ、『鵺』だったか」だ。いろいろもっともらしい理由を述べる。でもそれなりに考えていたことだ。三島由紀夫は、『近代能楽集』の「あとがき」でここにおさめた、書き直した謡曲以外は、現代に置き換え新しく書き直すことはできなかったという意味のことを書いている。それは「三島の作法」においてそうだったのだろう。だが、またべつの方法があれば、謡曲と、能から、刺激されまたべつの劇を作ることができると僕は考えた。そして、「鵺」という存在が僕には魅力的だったし、以前からなにかで書きたかった「トランジットルーム」が「現代能楽集」において有効だと思ったのだ。そこでなにが起こるか。まあ、舞台を観ていただきたいわけだが、それと、やっぱり、「鵺」という文字面がよかったってのも、かなり大きいわけだ。
■そして稽古。午後二時から夜の十時まで。何度も同じ場面の反復。「鵺」ともいうべき「黒づくめの男」と、「演出家」のシーン、つまり、若松さんと上杉さんのシーンは形を最初から決めるのではなく、反復し、混沌としたところから、なにか生まれてゆくような稽古にしたい。もっと深いものがそこから生まれてくるように思う。あるいは二人のあいだに漂う緊張感。だからあまり細かいことは言わない。とはいうものの、僕の性格上、細かい立ち位置とか、動線、言葉の発し方など、言いたくなるんだけど、それ以上のものが演出にはあるのではないか。といったことを考えたりもし。岩松了さんが、同じ場面をなにも言わず何度も反復させることで、なにかが見つかるという話をしているのを以前、聞いたが、「反復させること」「なにも言わないこと」「ただ見ること」もまた、すごくエネルギーがいることだ。だってそれ、じっとしているわけだろ。じっと黙って稽古を観るより、こここうしてと、演出しながら自分でからだを動かしたほうがずっと楽しいんだな。俳優のすることをじっと観ている集中力はとても体力のいることだ。

■体調がおかしいせいで、ぐったりして家に戻る。早めに眠る。白水社のW君から、『考える水、その他の石』の「再刊版のあとがき(=W君のアイデアで「おわりに」になったが)」のゲラがFAXで届いていた。目が覚めてからチェックする。さらに、もうずいぶん以前に頼まれていた、「月刊不動産流通」という雑誌の原稿を書きあげる。そのあと、「MAC POWER」の原稿を少し書く。大学の授業の準備もしなくては。まあ、とにかく仕事。

(7:28 Oct, 4 2006)

Oct.2 mon. 「睡眠異常と風邪気味」

■体調不良のため短めの稽古場報告。
■前日から鼻をくしゅくしゅさせていたが、少し風邪気味になって腹立たしい。でも、一冬に一回、風邪をひけばあとは、なんだろう免疫っていうか、抗体っていうか、そのようなものが身体に生まれ、乗り切ることができる。いちばん危ないのが11月で、11月はたいていいっぺんはひどい風邪をひき熱を出すことが多いのだ。
■体調不良で稽古に遅刻。申し訳ない。それでも稽古しているうちにからだがあたたまるように、調子を取り戻したが、食事休憩がだめでした。五時半くらいから食事休憩を取るという予定だったが、そこでまたからだが冷えたのだな。それと食事をしたらなにか眠くなってきた。ただ、若松さんが心配だ。こんどの舞台、若松さんはほぼ出ずっぱり。稽古も休む間がない。大丈夫だろうか。上杉さんは僕より一歳上だが、とてもタフな印象だ。だーっと長い台詞を発した直後、しかし、呼吸をぴたっと止めて、次の芝居に入る。からがべつのものになる。うわっ、すげえと思う。僕は体力がどんどんなくなっていて、集中力が切れる時間が早いので、自分でもいやになる。演出は体力だな。
■きょうの半田君へんのアドヴァイスは、自分のせりふがないときはどうやって待っているか。見ていると、待っている時間を埋めようとなにかしている。「なにもしていなくていいよ」と助言。「鈴木将一郎を見てみな、なにもしてないから」と。舞台上でなにもしない勇気だ。もちろん、なにかしていてもそれが表現になっている上杉さんのような技術を持った人はいいんだけど、そうでないと、どこかぎこちないので、「なにもしていなくていいよ」とアドヴァイスしたのだ。『エンドゲーム』などの柄本明さんなど見ていると自分のせりふがないときは、なにもせず、人が芝居をしているのを意地悪な目で見ていたりする。ときどき人の芝居をみて笑っていたりする。意地悪な人だなあ。だから好きなんだけど。
■いよいよ、演出家と黒ずくめの男が再会し、そこでぐっと世界の密度が濃くなって行く場面の稽古になってきた。ここは、もっと稽古をしよう。もっとよくなるはずだ。ただ、若松さんの休む時間がない。ここを稽古するというのは若松さん、上杉さんは、ずっとやっているということで、まあ、それは戯曲の上で仕方がないが、少し休憩を取りつつ進行しようと思うのだ。あと、僕こそが集中力と緊張感を切らさず、稽古をできるよう体調を万全にしなければいけない。睡眠異常で、やっぱり、こんな時間にこのノートを書いているが。

(6:17 Oct, 3 2006)

Oct.1 sun. 「ノートを書く時間がないが」

■十月になってしまった。
■夕方から稽古だ。朝早く目が覚めてしまったので、午後、少しだけ仮眠して三軒茶屋に向かう。世田谷パブリックシアターの地下四階にある稽古場Aはとても広くて快適である。この四月、西巣鴨の元中学校を利用した施設で、『モーターサイクル・ドン・キホーテ』の稽古をしたが、文化施設として活用する試みと志しはとても素晴らしいし、ああした、廃校を利用した稽古もいいが、さすがに元中学校の床は固かった。なんだか疲れると思っていたが、あの固さが人を疲労させるのだな。稽古場Aは(というかパブリックの稽古場はみんなそうだが)床はリノリュウムだし、ダンスの稽古にも使えるように、床がほんの少しクッションがある。それだけで、ずいぶん稽古には使いやすい。そして、稽古場Aは広い。心地よい。
■田中が休み。笠木と、早稲田の学生が二人、稽古場を見学に来てくれた。それも広いから稽古の邪魔にならないし、笠木には田中の代役をやってもらった。学生が見学に来たのにはわけがあって、その一人が少し前まで夏休みの帰省をしていたそうで、ついては実家のある福岡のお土産を渡したいが生ものなので、早急に渡したい、そして日曜日は時間があいているというメールが来、だったら稽古を見学に来なさいと返事を書いたのだ。で、考えてみると、なんという勝手な申し出だ。まあ、うれしかったけどね。土産の寿司はおいしかったし。
■全体のアウトラインができてきたので、冒頭から少しずつ細かく稽古。そして反復。半田君が少し遅れてきたので、きのうから見学に来ている半田君の事務所の若い人が代役をしてくれたが、すっとんきょうな声を出し、しかも、すっとんきょうな芝居だったので面白かった。みんなせりふも入ってきた。表現が少しずつ生まれてきた。あるいは、上杉さんなどから「このせりふの意味は」と質問をされ、それで僕も考える。たしかに、ここでこれを口にするにはある意識の流れはたしかにあって、僕の戯曲は、そうしたとき、わりと意識の流れが意図的に書かれているものの、ときとして、「不意なこと」があるのだ。だが、からだを動かすには、それなりの動機は必要なこともある。ただ、なにも考えず人は唐突な行為をすることもあるのじゃないかと思うが、質問されてはじめて、たしかにそこで、この人が立ち上がってこの場を去ろうとするのにはなにか企図がないと奇妙なこともある。そのためには、人の関係が全体的にどのようにあるかを深く掘り下げる必要もある。

■稽古の途中、「人には背中もあります」と僕の演劇観のひとつを提案。そしてその背中もまた魅力を生み出す。むしろ、ときとして背中は、「顔」以上に、なにかを語ることがある。中川さんには、とにかくいちばん最初の「登場」を意識的にしてもらった。中川さんはいい人だ。「俺が俺が」っていうか「私が私が」って意識が意外と希薄で、すっと遠慮がちに身を引くことがあるので、いかに、中川さんをこの劇の中で印象づけたら魅力的かを考える。劇の冒頭、ずっと後ろ向きで座っている若松さんが、ようやく椅子に座ったまま、こちらに顔を向けた瞬間のなにか出現する空気を変容させる魅力はとてもすごい。
■話しあいを進めながら稽古を進行。そして、演出の目的地はさほどなく、稽古をしているなかで、ここはこうしたほうがいいという発見こそが、稽古の面白さだ。そういった意味では僕は、ひどく愚鈍である。先のことはわからないのだ。目的地はない。戯曲に書かれたそこにどんな姿でたどりつくかは、僕自身にだってない。発見することのほうが、ずっと、稽古として建設的だ。
■学生から差し入れしてもらった、というか福岡のお土産の寿司は、家に戻ってすぐに食べた。お腹一杯になった。ありがたい。

(6:54 Oct, 2 2006)

←「富士日記2」二〇〇六年九月後半はこちら