富士日記2PAPERS

Jul. 2007 MIYAZAWA Akio

宮沢宛メイルアドレス

Jul. 12 thurs. 「打ち合わせのことなど」

■午後、東京オペラシティのなかにある面影屋珈琲店で「MAC POWER」の取材を受けた。Macを中心にした話のつもりでいたので、『ニュータウン入口』を中心にした演劇や身体性の話になって、そういった話をする気持ちの準備をしていなかったのでうまく話せず、取材をしてくださった方に迷惑をかけた気がする。T編集長をはじめ、編集部の方、カメラマンの方も同席してくれた。いつものように制作の永井もいる。
■そして、オペラシティといえば、アップル社があることで有名だが、アップル社の広報をしているSさんがいらして、「あるもの」を持参してくれたのだった。もう、アップルには足を向けて眠れない。もう、一生、俺はMacを使おうと思う。ただ、MacProには「Parallels Desktop for Mac」というエミュレーターをインストールした(これがあるとintel MacWindowsが再起動なしで動く)。あたりまえにWindowsXPが、Macで動作している。僕はむかしから、エミュレータというものが好きだったので、よく、PCで逆に、Mac OSを動かしたりしていたが、Mac Proのマシンパワーもあるかもしれなけれど、なんのストレスもなく動くのがすごい。
■といったわけで、「MAC POWER」と、アップルにはお世話になりっぱなしという話だ。それにT編集長と話をするのもとても楽しい。そういえば、同席してくれたカメラマンさんから、僕の使っている「Happy Hacking Keyboard」で、Power Macや、Mac ProのDVDスロットを出す専用のキーがないことについて、いくつかのキーを同時に押すと出てくると教えられ家に戻って試したらできたのだった。いままで気がつかなかった。と、久しぶりにコンピュータの話をした。そして、これからもっとしっかり、アップルのSさんからいただいたものを勉強しようと思うのだ。それで作品作りをしたい。

■で、取材後、またべつの方との打ち合わせを同じ店で予定していたが、約束の時間になってもいっこうに来ない。なにか連絡ミスがあったのではないかと永井がいうので、きょうのところは帰ることにした。その後、連絡がないのだが、どうしてしまったのだろうか。
■夕食を食べに経堂に行った。家に戻ってから、例の「あるもの」をMac Proにインストールした。すごく時間がかかった。インストールをしているあいだに、「サーカス」の原稿を書きあげた。でも、その「あるもの」の勉強をしている時間がないが、しっかりマスターし、それでなにかを作りたい。それは、ま、ぶっちゃけて書くなら映像作品ということになるが、舞台でも使えるようなものを作ってみたいのだ。でも、また短編映画を作ろうかという気持ちにもなっていて、来年は舞台がいまのところ予定されていないので、遊園地再生事業団のメンバーを中心に短編映画を作るのはどうかと思っている。ま、その前に、『ニュータウン入口』のラストで流す映画のことを具体的に詰めなければならないのだが。岸が今月の末からイスラエルに行くという。あちらの映像を撮ってきてくれるとの話。その素材も楽しみだ。といったわけで、テオ・アンゲロプロスの映画を再見してそれも勉強だ。
■本を読んで戯曲のための参照。少し戯曲を書き進める。ちょっとずつの進行。ほんとにちょっとずつ。本筋はほぼ第一稿と同じだが、細部で、もっと書かなければならなかったことや、あらためて考え、人の関係を変える。さらに、新しいアイデアを盛り込む。少しずつ考えながら書いてゆく。

(12:21 Jul, 13 2007)

Jul. 11 wed. 「早稲田で、紀伊国屋書店で、そして戯曲の直しをし」

■月曜日、原稿を一本仕上げてから久しぶりに早稲田に行ったのは、岡室さんの授業を見学するためだ。教室に入ったら予想の十倍ぐらいの数の学生がいて驚いた。見学をしたのは、その授業で僕がむかし書いた短いものを学生が演じてくれるというからだ。あとで感想を求められたが、感想を言うというより、ただもう作者の気持ちだ。観ている観客(それももちろん学生だが)の反応が気になってしょうがない。少しでも笑ってくれればそれだけでうれしかった。でも、あとで学生にダメ出しをしたけれど。
■岡室さんのメディア論の授業が終わり、「表象・メディア論系」の教員の方々による学生向けの、その「表象・メディア論系」について説明会があり、引き続き僕もそれを聞いてしまった。いろいろな教員の方がいてそれぞれの研究分野が面白かったんだけど、なかでどなただったか、ライカのカメラを構え、学生に、「きみたちはライカで映されることはこれまでなかったと思うけど」という意味のことをおっしゃった。そこで僕が笑いそうになったのは、それがアイロニーに感じたからだ。いまの学生は圧倒的に携帯電話で写されるにちがいない。よくてもデジタルカメラ。ライカで写されることの幸福のようなものがあるかもしれないと思って、それは発見だな。
■そのあと、岡室さんに呼ばれ、僕も学生の前で話をする。なぜかについてはまた詳しく書きます。で、『ニュータウン入口』の宣伝をさせてもらった。

■その翌日の火曜日、新宿紀伊國屋書店で『東京大学[ノイズ文化論]講義』の出版記念の「新宿セミナー」があったのだった。たくさんの方に足を運んでもらってうれしかった。『ニュータウン入口』の出演者たちも大勢来てくれた。東大の内野さんと、日本テレビの土屋さんと話をした。一部と二部にわかれ、一部が内野さんと、二部が土屋さんと。高円寺ニート組合による「三人デモ」のビデオは内野さんと話しているときに出せばよかったとあとで思ったのは、そこから、演劇における身体の話に持っていけたはずだからだ。そこをもっと内野さんと話したかったよ、俺は。それに関しては、あさって13日(金)に、東京外国語大学で、内野さん、チェルフィチュの岡田君とシンポジュウムをするからもっと話せるのではないかと思う。もしお近くの方は外語大へ。夕方六時半ぐらいから開かれる予定になっています(詳しいことが正直、僕もわからないのだった)。外語大って、むかしの米軍調布基地の近くに移転していたのを知らなかったので、永井から地図を送ってもらってものすごく驚いた。
■さて、土屋さんとの話は単純に楽しかった。懐かしい昔話になってしまうな、どうしても、土屋さんと話すと。八〇年代といえばテレビ界を席捲していたのはフジテレビだったが、僕は当時フジテレビにぜんぜん縁がなくてなにか仕事をしてもろくなことがなかった。なぜか、日テレではよく仕事をしていた。「ノイズ文化論」で対談をしている原宏之さんの著作『バブル文化論』では、八〇年代のキーワードとして「フジテレビ」は意味を持って登場するが、僕はそれが象徴する八〇年代の傾向とはぜんぜん縁がなかった。と、そんなことを思い出しつつ。その話のなか、「敵が作ったルールの裏をかく戦術」についての話になった。たとえば、きわめて緊密に作られているだろうディズニーにはあらゆるトラブルに対処する膨大なマニュアルがあるだろうという話になったとき、その裏をかくには、たとえば、「完璧なミッキーの姿でディズニーランドに行ったらどうか」ということになった。だが、ことによったら、千ページ以上もあるだろうディズニーのマニュアルのおそらく895ページあたりにその対処があるのではないか。そこに、「ミッキーが来たら」という項目があるのだ。知らないけど。ディズニーはなかなかに手強い。
■そこで、むかし、いとうせいこうとやった、「世界歌謡全集」という遊びのことを思いだした。この遊びは架空の「世界歌謡全集」を頭に描くのである。で、一人が、「世界歌謡全集の547ページに、『岩のかげからちょいと見てみれば』という歌が載っていますが、あれはどんな歌でしたっけ?」とその場の思いつきを言う。そんな歌があるわけはないが、言われたほうは、その歌『岩のかげからちょいと見てみれば』を歌わなければいけないという遊びだ。そこで、「ディズニーランド完全マニュアル」という遊びができると思った。一人が、「『ディズニーランド完全マニュアル』の897ページに、『ミッキーが来たら』という項目がありますが、あの対処はどういうものでしたっけ?」と唐突に言い出すのだ。ふられたほうは、その「対処マニュアル」をもっともらしく語らなければならないという遊びになる。これは面白いかもしれない。

■終わってから、紀伊国屋ホールのロビーでサイン会。桜上水のYさん、あるいは、このあいだ歌舞伎町の裏を歩いていた人、そして三坂や、早稲田のイガラシ、青山真治さんの映画にもよく出ている俳優の斉藤陽一郎くんがサイン会の列にならんでくれた。そして、たくさんの方に来ていただきたいへん感謝した。その後、紀伊国屋書店の地下にある居酒屋で打ち上げ。白夜書房の末井さんなどにお会いする。白夜書房の企画会議のとき、この「ノイズ文化論」について議題に上げられたという。「いったいノイズってなんだ?」という話になったらしい。そこで、おそらくE君が説明したんだと思うけれど、それを聞いて、白夜の人たちは、「ああ、俺たちのことか」と納得したという。なんだかいい話である。この日、末井さんはスーツを着ていた。それが意外だった。
■で、解散してから、『ニュータウン入口』の出演者たち、それから白水社のW君らと、また近くの居酒屋に移動。少し疲れた。でも、W君から『ニュータウン入口』についてある提案をしてもらい、そこで思いついたことがあってこれは面白くなりそうだ。
■そして本日、原稿を書く。なかなか進まない。で、その「サーカス」って雑誌の僕の担当をしてくれているSさんは、「三人デモ」を敢行した「高円寺ニート組合」というか、「素人の乱」の人たちと関わりのある人だと原稿催促のメールにあってびっくりした。いろいろありますが、原稿は書けず。少し疲れた。で、そうだ、早朝、笠木から電話があったんだ。ある報せ。もう知っている人もいるかもしれないけれど、笠木にとってとてもいいことがあったとの話。詳しくは、以前、僕の演出助手もやったウェブデザイナーの相馬のブログで。その後も、『ニュータウン入口』の感想を送ってくれる方がいらして、とても感謝している。原稿を書き、そして仕事のあいまをぬって少しずつ戯曲の直しをしている。まだ、考えることはある。考えぬかなければな。

(7:41 Jul, 12 2007)

Jul. 8 sun. 「無為な一週間」

新宿靖国通り

■あまりに髪がぼさぼさになったので、午後、青山の髪を切ってもらう店に行ったのだった。さっぱりした。それにしてもこういった店にいる男たちはみんな痩せていておしゃれである。それで髪を洗ってもらったりするが、やっぱりなあ、これがさあ、わりと太っている、たとえば会ったことはないが笠木の弟のような男が髪を洗ったら少し太っているので呼吸が荒く、洗っているあいだ耳元で「ふーふー」とうるさくてかなわないのではないだろうか。ま、会ったことないけどね。しかも話すことと言ったらアニメの話ばかりだ。つまりオタクに美容室は似合わないと思う。
■見ちがえるように髪がさっぱりした。その後、青山近辺をすこし歩く。国道246沿い、俗に言う「青山通り」から一本か二本、南のほうの細い路地を歩くといろいろな洋服店やよくわからない雑貨店が並んでいてそれはそれで面白い。でも、そこに並んでいる洋服屋や雑貨にはべつに興味がない。ヴィンテージもののジーンズとかってべつに俺はよお、そんなもの履く年じゃないし。咳はまだげほげほとよく出る。苦しい。すこし歩いていたら呼吸が苦しかった。苦しいと思いつつ、煙草は吸う。だって、喉の痛みを取りたいのは美味しく煙草を吸うためなのだからしょうがないじゃないか。
■家に戻って少し勉強。DVDを見る。ギリシャ悲劇を読む。ジュディス・バトラーの『アンティゴネーの主張』、スラヴォイ・ジジェク『否定的なもののもとへの滞留』を少し。ところで、早稲田大学の構内でチラシを配っていた青年が逮捕された事件がありそれに抗議する運動がある。僕はそこに呼ばれるのだが、彼らの主張のひとつに「大学のテーマパーク化」への異議申し立てのようなものがあって、僕のような劇作家風情が大学教員をやっているのは、「大学のテーマパーク化」の先鋒のようだと彼らは主張する。というのも、まあ、僕なんかは学生の客寄せみたいな存在になりがちなわけだ。だけど、彼らの運動に僕のような者が呼ばれるのも、構造的には同じじゃないかと疑問が起こってきて、彼らの運動に共感するし、支援したいと思うけれど、なにかと呼ばれるのは、彼らの論理からすれば結局、客寄せパンダ的な気がしていかがなものかと疑問にも思い始めたのだ。どうなんでしょうね。

■あれ、土曜日(7日)ってなにをしていただろう。DVDを見ていたか。映画を見にゆこうと思ったがおっくうになったんだな。だめである。準備公演が終わってすぐにいろいろな仕事に取りかかろうと思ったが、そうはいかないね、人は。少し息抜きをしようというか、きょうのところは休もうと思ったのは月曜日だったが、なんだかかんだで、今週、ずっと息抜きをしている。まったくだめだ。
■で、きょうの夜は咳がまだごほごほ出て苦しい。そのことで苛立つ。ところで今週の火曜日は、『東京大学[ノイズ文化論]講義』の出版記念、「新宿セミナー」というものが新宿紀伊国屋ホールで開かれます。ふるってご参加ください。それから、『東京大学[ノイズ文化論]講義』もよろしくお願いします。このところ涼しい。かーっと暑くなってほしい気もするのだ。それが七月の醍醐味ではないか。

(8:34 Jul, 9 2007)

Jul. 6 fri. 「咳をしても一人」

クレーン

■一週間、ごほごほ、咳ばかりしていた。咳をしながら原稿を書く。ぼんやりする余裕もないまま、仕事のことを考えているが、夕方、僕の舞台によく出ている笠木が、僕の家の近くで仕事を探しているというので、その面接が終わってから会って話をすることにした。芝居の話ばかりだ。それにしても笠木はよく漫画を読んでいる。僕ももちろん、子どものころから漫画はよく読んでいたが、ある時期から、読むのが面倒になった。それがよくわからない。
■で、話は前後するが、朝、すごく早く起きたのでそのあいだにしておくこと、原稿などを書き、それから眠って目が覚めたのが夕方だったわけだけど、その後、笠木に会って話をしているうちメールチェックをしなかったら、筑摩書房のIさんから、ゲラを戻してくれというメールが何通も来ていたのに夜も遅くなってようやく気がついた。あ、そうか、きょうは金曜日か。Iさんは週末前にゲラのチェックを終えておきたかったのだな。悪いことをした。「webちくま」の原稿もいよいよ貯金がなくなったのだが、それはもう、連載が始まる当初からわかっていたことだ。いつだって原稿はぎりぎりである。貯金があるほうが不思議なくらいだ。
■戯曲の第二稿について考えて、ようやく書きはじめようと思っている。それが終わったら小説に手をつけなくては。「新潮」編集部のM君に、もう何年待ってもらっていると思っているのだ。書きあげて、直しをすると約束してからもう二年くらいになるような気がする。「新潮クラブ」にこもってからももう一年になる。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。「群像」のYさんの約束もあるし、「小説トリッパー」のOさんにも約束があるし、「一冊の本」で連載している「機械」ももうすぐ終わり、いよいよ単行本になるだろう。舞台も大切だが、小説のことも考えなくては。じつは書きたいことがほんとはいくつもあるのだ。書かなきゃなんにもならないわけだが。

■咳はまだ苦しい。咳をするのはかなり身体に負担のかかることで、体温が一気に上がるし、からだのふしぶしが痛くなる。まったくいやな気分だ。

(7:24 Jul, 7 2007)

Jul. 5 thurs. 「夏の夜の散歩」

セレベント

■また中目黒の病院に行ったのは、呼吸器の専門の医師にしっかり診察してもらうようにと、きのう診てもらった医師に言われたからだ。その予約が午前11時半だ。実際に診察を受けたのは、もう昼も過ぎ、12時半になっていた。早起きしたせいで眠い。最近の医師はカルテへの記入がキーボードでの入力だ。キータッチが遅いのが気にはなったものの、こうしてデータをデジタル化するのはなにかと便利なのだろうと思った。ただなあ、キーボードから入力するのに必死で、まともに診察をしている印象がないのはいかがなものか。しかもだ、きのうのレントゲンと血液検査の結果をしっかり話してくれなかった。ただ、レントゲンでは異常がないと簡単に言われ、まあ、なんとなくほっとした。肺炎とか、もっと深刻な病気だったらどうしようか、不安がないわけではなかったのだ。
■それで薬を処方された。手にすると、まったく謎の装置である(画像)。まあ、僕の場合、喘息の病歴があるので(いまではほとんど発作がないけれど)、根本的な治療という意味で、処方してくれたのだろうが、それにしたって、この形はいったいなんだろう。しかも、よく似た薬をもう一種類もらって、同じような謎の装置が二つある。使い方は簡単で、この写真だと、上のほうを回転させ、吸入口をまず出す。この写真はその吸入口が出ている状態だ。そして中にある薬を思いっきり吸い込む。一日にこれを二回やるように指示された。そんなまめなことが私にできるだろうか。
■病院から帰って少し眠り、起きてから連載原稿を書く。舞台が終わって一息つくひまもなく、仕事は次々とやってくるわけだけど、今月はまた「演出ゼミ」で札幌に行くし、来月には高校演劇の審査員をするため松江に行くのだった。松江から帰ったらすぐにまた、本公演のための稽古だ。それで、「準備公演」の感想をメールで何通もいただいた。ありがとうございます。とても示唆されることが多い。中学三年生からも(まあ、知人のお子さんですが)メールをいただいた。そこにむつかしい質問があって、正直、どう返事を書こうか悩むのである。でも質問には丁寧に応接したい。質問してくれるそのこと自体がうれしいからだ。
■で、全然、話が変わるが、夏だね。気持ちがいいくらい暑い。夜、近所を散歩した。夏の夜の散歩はとてもいい。初台には遊歩道があるけれど、ホームレスを排除するためだろう、ベンチのほとんどが撤去されている。散歩は気持ちがいいが、そのことでなんだかいやな気分になった。ジュディス・バトラーの本を少し読む。いま連載をしている「東京人」の最新号は、「東京の橋100選」という特集だ。鉄骨造りの橋がきれいだ。森下スタジオに通っているとき、毎日のように渡った「新大橋」も取りあげられていた。八月からの稽古も森下スタジオ。またあの橋を渡ることになる。本公演は、準備公演とも、また異なったものになるだろう。

(11:17 Jul, 6 2007)

Jul. 4 wed. 「久しぶりに病院というところにゆく」

■もう何年も前、考えてみたら20年近く前から、中目黒にある東京共済病院を利用していたのだが、久しぶりに行くとすっかり建物が新しくなっていて、過去の面影がないのだった。初めて共済病院に行ったのは渋谷に住んでいたときで、その後、明大前、祐天寺、豪徳寺と引っ越しをしたが、そのあいだもずっと中目黒まで通っていた。この数年、身体の調子がよかったので足が遠のいていた。
■で、久しぶりに風邪をこじらせ、ノドがひどく痛いし、呼吸困難にもなったので意を決して共済病院に行ったのだ。早く治療してこの呼吸の苦しさから解放してもらいたいというのに(いわゆる気管支拡張剤の吸入という処置である)、血液検査と、レントゲンを撮られた。苦しいんだよ、こっちは。胸がぜーぜー音をたててるんだ。しかもかなり待たされた。その検査もすみ、処置もしてもらったので、呼吸も楽になった。少し疲れていたのだろうか。こんな風邪は久しぶりだが、たしか、『トーキョー/不在/ハムレット』のときも、出演していた岸に風邪をうつされひどいめにあった記憶がある。疲れると抵抗力がなくなるのだな。
■夕方、『東京大学[ノイズ文化論]講義』出版記念のため紀伊國屋書店のホールで開かれる、特別講演会っていうか、トークイヴェントといっていいのか、「新宿セ ミ ナ ー @Kinokuniya」という催しが七月十日にあるので(詳しくはこちらへ)、東大の内野儀さん、日本テレビの土屋敏男さん、そして、白夜書房のE君と会って打ち合わせ。同席してくれた永井が、また元気を取り戻していたのでほっとした。打ち合わせだったが、僕は病院で治療を受けたあとだったし薬がまだ残っていたのでしばらく意識がぼんやりしていた。
■こちらのセミナーにも、ぜひとも足を運んでいただければと思うわけだけど、内野さんとは、「現在的なからだ」について、いまこそ話しておきたい。それは本書における「ノイズ」というテーマとべつに無縁とは思えないのだ。内野さんは演劇の研究者のなかでも、かなり現在性を持った舞台に敏感に目を向けている人だし、同時に、世界的な演劇の状況にも詳しく、そうした大きな視野から、この国の演劇を俯瞰して見ている。だから、「いま」について、その「からだ」について内野さんと語ることが、僕には興味深く感じるのだ。そして土屋さんとは、「メディア論」や「笑い」についての話題になると思うけれど、どんな展開になるかよくわからない。とはいえ、きっと面白い話になると思われる。だいたいねえ、過去の僕のことを土屋さんはよく知っているので、ほんと、いやになるくらい、その話の中の俺はだめなんだ。あと、ことによると特別ゲストもいらっしゃるかもしれない。ご期待あれ。

■からだの調子が悪くて原稿が書けない。いやになる。このノートだけはなんとか更新を続けたいのだが。まだ本調子ではないものの、やることはいくらでもあるな。勉強しておくことも。

(6:13 Jul, 5 2007)

Jul. 3 tue. 「歌舞伎町の裏手の道を向こうから歩いてくる人がいた。しかも深夜に」

■「準備公演」は無事終わりました。ありがとうございました。舞台が終わってから、いろいろな残務処理があって、それほどゆったりとした休みもとれなかった。舞台終了の報告をしようとこのノートを書こうとしていたが、いろいろ大変だったわけである。それにしても、制作の永井に負担をかけすぎた。いつも申し訳ないことをしている。詳しくは書けないが、今回は深刻な出来事があって永井を精神的にひどく追いつめるような結果になってしまい、とても後悔した。
■プレ公演の第二弾として、「準備公演」と名づけた舞台が終わり、早速、九月の本公演に向けて動き出さなければならないものの、それまでにいろいろやっておくことがある。まず、戯曲を書き直そうと思う。この公演を経てようやくわかったこともあり、第一稿を書いているあいだ、その作業のあいだ混沌としていたものが、少しずつだが、形になってあらわれたように感じた。楽日に観に来ていただいた内野儀さんが、「アンティゴネは、アンティゴネでなければだめだ」という意味の、謎の言葉を残して帰られたのだが、それがなにか考えながら、終演後、打ち上げに行くと、出演していた杉浦さんからアドヴァイスを受けた。それで内野さんの言葉の意味もわかった気がするのだ。杉浦さんに言われたのは、これは「現在形のギリシャ悲劇」だという話だ。杉浦さんはかつて鈴木忠志さんとギリシャ悲劇を作っていたが、いま、それを上演するひとつの方法としてこの作品があるのじゃないかという。そうか。だから、アンティゴネはアンティゴネじゃなければいけないんだ。
■けれど、正直なところ、そんなふうにはまったく考えていなかった。だが、登場人物の一人に「アンティゴネ」という名を与えたときから、それは当然のようにどこかにあった。言われてみると、ギリシャ悲劇に流れる人間が存在することへの問いは、「親族」や「共同体」との関わりを再認識させ、あるいはそれをも支配する「宿命」や「運命」といった超越的な力によって翻弄されるのであり、時代は変わってもその普遍性はどこかにあるのだろう。そんな視点から『ニュータウン入口』を考えていた。そしてふとしたことから、「ギリシャ悲劇」とはほとんど関係がないが、この戯曲の奇妙なことにひとつ気がついて、その奇妙さ、それは戯曲の間違いだし、失敗だが、むしろ間違いを利用してもっとくっきりそのことを書こうと思いついた。思いついた途端、第二稿を書く気力が突如としてわいた。

■といったわけで、無事に公演は終了しました。プレ公演で、しかも森下という地理的にお客さんに負担のかかる場所でしたが、たくさんの方にいらしていただきとても感謝しております。感想のメールもいろいろいただきました。終演と同時に、杉浦さんが客席に向かって挨拶をするが、ところが、なぜか終わった感じがしないのだった。それについても意見をいただいたので、またこんど紹介しよう。アフタートークでもそのことに関し、こちらが示唆される発言をしてくれた方がいた。あれは驚いたな。
■打ち上げは深夜まで、というか、朝までだった。職安通り沿いにある最初の店を出て二次会の店に向かうとき、それはちょうど歌舞伎町の裏手の道を歩くことになるが、その途中、思わぬ知り合いに会った。つい、「なにしてるの?」と声をかけてしまった。われわれは、職安通り沿いから歌舞伎町に向かって歩いていたのだ。向こうはどうやら男女二人組。すると知人が歩いて行く方向とか、深夜だったことを考えるに、それはあきらかにホテル街に向かっていたのではないだろうか。声をかけたときそのことに気がつかなかったが、あとになって、声をかけたことを後悔した。申し訳ない気分になったのである。
■二次会はやはり朝までやっている居酒屋だ。僕が座った席には、杉浦さんをはじめ、桜井圭介君、白水社のW君、あとアンティゴネ役の鎮西がいた。大人の会話だったし、僕はもっとW君の意見を聞きたかったが、W君は途中で眠ってしまった。それから鎮西が、文学座の小林勝也さんのモノマネをするとすごくうまい。外も白々としてきてみんなで店の外へ。また会おうと声をかけて僕はタクシーで家に帰った。帰る道すがらも舞台のことばかり考えていた。それで、きのう(月曜日)と、きょう(火曜日)、やらなくちゃいけないことがいくつかあって、ばたばたしていた。舞台が終わってもちっとも落ち着かない。原稿の締め切りも怒濤のように押し寄せてくる。

■次は九月の世田谷パブリックシアターのトラムでの本公演です。ぜひとも観に来ていただきたい。リーディング公演から戯曲も変化し、そして、準備公演で発見した方法を試しつつ、また本公演の稽古がはじまるのは八月。一年でいちばん好きな七月がはじまるが、忙しいまま、今年も夏は終わってしまうだろう。でも、九月の舞台をいい舞台にしようと暑い中、死にものぐるいでやる覚悟だ。

(5:50 Jul, 4 2007)

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