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Published: Feb. 4, 2005
Updated: Mar. 15 2006
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仕事の御用命は永井まで 『モーターサイクル・ドン・キホーテ』告知
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Mar.15 wed.  「ブログを擁護する」

■なにげなく、むかし出版した、『考える水、その他の石』を開いて読むと、そこに劇評が数多くおさめられており、これがまた、なんて生意気なことを書いているのだろうとひどく反省した。当時、ある雑誌で「荒くれステージレポ」という連載をはじめてしまったものだから、とにかく荒くれていたわけだ。若かったな。思慮というものがない。ひどい書き方をして、いまとなっては申し訳ない気分だ。ただ、悪口のいろいろな手を創意工夫はしていたのである。そして、きちっと批評はしようと心がけていたし、太田省吾さんの『水の駅』など、何作は絶賛している。最近は、ほめることしかしないことにした。どんな作品でも観るべきことはひとつぐらいあるからだ。というか、あまりのことになっている作品に対しては(演劇でも、映画でも)、ほとんど触れないことにしている。ただ、作品の力がなくても、考えるにあたいする作品については書く。
■自分が深く関わっていない領域の表現、たとえば、映画などはよほど興味をひかれた作品以外は、観たことも書かない。それが礼儀のような気がする。でも、映画は観に行ってもそれを人に知られることがほとんどないからいいが、演劇の場合、まず観にいったことを相手に知られているのがまずい。無視することができない。その点、本はいくら読んでいても、ほとんど誰にも知られないからいい。ただ、本を読んでそれを原稿にする、書評という仕事はしばしば依頼されるのである。だから、書かねばならないし、あるいは映画について原稿を求められると、およそ映画の価値とは関係のない、まったく異なる話にすりかえて書くことにしている。まあ、このノートでもその手を使うことはできるが、すると、お金をもらって書く原稿と大差なくなるので、あまり書かない。
■原稿料をもらうかどうかは、こうして大きな意味が出現する。他者と出会わなければいけない。この他者がなかなかに手強いので、原稿料をもらうというのは、やはり、「命がけの跳躍」になる。共同体の果てで、またべつの共同体の誰かと出会って、交換する行為が生まれる。まあ、あたりまえの話だ。でも、「無償の行為」はぜったいにあって、意味を感じればべつに原稿料はいらない。からだを使ってボランティアができないなら、せめて原稿を書くことはできる。あるいは、腕を磨くためなら、経済的な問題はさておき、その仕事を一生懸命やりたい。このノートはまったく経済的にはなんの見返りはない。以前も書いたが、素振りのようなものだ。けれど、このノートのおかげで様々な人が僕の文章を読んでくれ、あるいは、僕の考えていることに意見してくれる方からメールをもらうことはあるし、あるいは、僕が書いたことについて補足のようなメールがあって教えられることがあるから書いている意味は個人的にはものすごく価値がある。「価値」である。「報償」ではない。ある仕事について、あまりここで書かないようにとメールをもらった。そこには、「普通の方のHPでしたら何でもないものと思いますが、宮沢さんのHPは波及力が大きいものですから…」とあって、そこらも、慎重に書いているつもりだがときどき失敗する。

■書いていないことはけっこうある。それは誰のブログでも同じなのだろうが、なにが書かれていないかにこそ、その人がひそんでいる。かつてネット上で日記を書く行為に対し、ひどく嫌悪する人たちがいた。このブログ全盛の時代、嫌悪している人たちは相変わらず嫌悪しているのだろうか。意味がないという者もいた。人が表現をする行為について、「素人がなにを書いてやがる」といった人がいたが、その人も「素人」だ。そして、僕は他人のブログを読むのが好きだ。ろくでもないものも数多くあるが、つい読み込んでしまうような様々な事柄がブログからにじみでてくる。僕の知らない世界だ。「日記文学」はむかしからあった。その面白さは、もちろんプロフェッショナルな作家による、見事な文章によって書かれた作品になっているが、すごいだめな文章はそれなりに、読み応えがある。どうやったら、こんなにだめな文章が生まれるか驚異的である。知人のブログはその人のことを知っているからわかりやすい。未知の人の文章を読み、まったく背景になっている出来事がわからないこともあるが、だからこそ、想像することもできる。ただ、それは「原稿料」はかせげない。他者に向かって開かれているわけではないからだ。でも、どこかの誰かが、きょうの昼食でなにを食べたかというそのなんでもない人の姿が、僕にはとても興味深いのだ。
■ネットでは、無責任なものも含め、膨大な情報が流通している。正確さや、厳密さに欠けることはあるし、「ばかがものを言うようになった」という傾向は少なからずあるが、これだけ金を取っている情報があっても、また異なる情報が散乱するとき、読み手の判断が問われる。これはきわめて能動的なふるまいだ。まあ、マスコミが書く情報だって、なにかの操作がはたらいていると考えれば、ネットで能動的な読解力を磨き、情報の読み分け方を学ぶのは、それはそれでいいことじゃないだろうか。
■というわけで、私は書く。「価値」のために書く。それはけっして「サービス」ではない。自分のために書いている。考えるために書いている。ときには、ここに書いたことを元に、商品化するために少し丁寧にして、あらためてメディアに使うこともある。ネットのブログは、一般に公開することによって、ただのノートや、日記とはあきらかにちがう。「私の価値のため」に書いている。文章を書くことで誰もが、またべつの表現の回路を見つけた。表現はだれでもしたいのだ。自分のことは誰かに伝えたいのだ。ブログはそれをはじめて誰でもできることを発見した。可能性が広がった。私は断固、「ブログ擁護派」である。ものすごい数の人たちがそれをはじめた。またなにか可能性は生まれるだろう。

(8:04 Mar.16 2006)


Mar.14 tue.  「偶然について」

■寝屋川に住むYさんの、「ここではありませんのノート」というブログを読んでいたら、宗教人類学者の植島啓司さんのレクチャーで、プロの麻雀師であるところの桜井章一さんと植島さんが対談するビデオを見たくだりがあって、興味深かった。
■「偶然性」というのがその日のテーマだったらしい。たしかに麻雀は偶然が支配しているゲームだが、あれほどよくできた神秘的なゲームがあるだろうか。で、その桜井章一さんにまつわる伝説を、かなりむかし、あるベストセラー作家に聞いたことがある。まあ、リリー・フランキー君ですけどね。リリー君は桜井さんと卓を囲んだことがあるという。で、ここからの描写は麻雀のルールを知らないとまったくわけがわかりません。
■ある局で、何巡目かしたとき、桜井さんがふとチーをした。チーをするということは、ツモの順番が変わるということである。つまり、桜井さんがつもるはずのパイを次の人がつもることになる。そして、ツモが変わった直後、桜井さんはツモってきた牌で、いきなり、カンをした。カンをすると、当然、山の一番最後にある牌をツモってくるのがルールだ。そして桜井さんは、そのツモった牌で上がったという。まるでそこ(山の一番最後)に自分のあがり牌があるのを知っていたかのような打ち回しだったという。あるいは、べつの局では、なにを捨てようか悩んでいる者がいると、桜井さんは、「左から四番目の牌を切ればいいんだよ」などと言ったそうだ。ほとんど、相手の手の内が見えているかのように言う。で、たしかに、その牌を切るのがベストの選択だったらしい。もちろん、論理的に解明することのできる余地はありながらも(たしかに、相手の手の動き、なにを切ったかを記憶していれば、どこにどんな牌が並んでいるか、桜井章一クラスの人になるとわかっているのだろう)、かなり偶然が支配しているゲームにあって、こうしたことをしてしまう人と対局するのはただごとならない。というか、人の理解の範疇を越えている。

■で、私が興味を持つのは、やはり、「偶然」についてだ。偶然の様々な要素を考えれば、人が無意識のうちに作り出すこともときとしてある。たとえば、「偶然の出会い」は、人の意識がそれを偶然にしており、客観的に考えれば、それは出会うべくして出会ったことも必ずある。「出会い」の要素はきっとあったんだろう。「偶然、手にした本」によって運命が変わったとしても、それは、その本の内容と、その人の変化のあいだに、必然性を生む要素がなにかあったと考えられる。その人は、もっとべつの本も手にし、そして読んでいたはずだからだ。あるいは、逆に、「単なる偶然」がなにかに利用されるのもよく知られている。大火事があったがある宗教を信じている人の家の直前でぴたっと火の手がおさまったという話はむかしよく聞いた。でも、考えてみれば、たいていの災害はどこかで止まる。その位置は偶然である。あらゆる災害が止まった位置が、その宗教の信者だとは考えにくい。あるいは、偶然、同じ映画を観ており劇場でばったり知り合いと会ってしまうことはある。それは、つまり同じような映画の嗜好だったと解釈できるし、偶然を生む要素はもともとあった。なにしろ、同じ映画館には様々な人が来ており、逆に言えば、同じ映画館にいた見知らぬ人は、たまたま、知らない者だったに過ぎないからだ。見知らぬ人たちの視点からすれば、「私」もまた、見知らぬどこかの誰かだ。
■それでも、なお、「偶然」は興味深い。むかし、電車を待っていたら、到着した電車から、知人が降りてきた。ここで出会う確率はものすごく低い。ホームは長くて、そこで電車を待っていた私も偶然なら、電車のドアも数多くあり、私が待っていた位置にあるドアから知人が降りてくるのも偶然で、確率のきわめて低いこの偶然をどう考えたらいいのか。で、そのあとの解釈と処置が問題だ。「いやあ、奇遇だねえ」とかなんとか、知人と声をかけあったが、お互い急いでいたので、私はすぐにその電車に乗り、知人はホームを改札方向へ去ってゆく。それっきり、その知人のことは忘れた。お互い、どうでもよかったのである。まあ、たまたま会ったということで、さっと流したし、そのあとすぐに忘れてしまった。これがお互いにとって大切な相手だったら、この「偶然」に対して、なにかべつの意味を付加させるだろう。幻想だな。恋愛の75パーセントぐらいはそうして生まれているにちがいない。
■ただ、そうした解釈やなにかを越え、どうにも不思議でならない偶然がときとして起こるから、世界は面白いのだろう。あるいは、きわめて恐ろしい。たまたまそこに居合わせてしまったことで、なんらかの事件、事故に巻き込まれるという偶然の話は数多く聞く。ふだんはそんな道を歩かないのに、たまたま、その日に限ってそこを歩いていたことで、事件に巻き込まれることがある。あるいは飛行機が民家に墜落する事故もある。なぜ、よりにもよって、その家に飛行機が墜落したかは論理として解明できない(だから、神秘主義的にあつかわれることは多いが)。とはいえ、フィクションでは「偶然」はほぼ禁じられている。人と人を出会わせるのに、偶然、ばったり会わせたりすると、そんな作者に都合のいいことはないからだ。「偶然」に関する植島啓司さんのレクチャーはどんな内容だったのだろう。僕は正直なところ、「偶然」がもつ、不思議なものが好きである。たいていの「偶然」をいいものとして解釈する。「偶然」に抗わないようにしている。それもまた、たまたま、不幸にならなかったからそうできるのだろう。偶然、ヤミ金融業者に出会ってしまったことで心中した老夫婦の事件を新聞で読んだが、あれは「偶然」の前に、「ヤミ金融業者」の存在と、事件を生み出した社会の構造がおかしい。関係ないけど、ほんと、腹立たしかったわけだよ、そのニュースを聞いて。

■最近、演劇のことばかり考えているので(って、まあ、それが仕事なんだけど)、たまには関係のないことも書きたかったのだ。もっと関係のないことを書きたいが、だからってなあ、「ワインの選び方」とか知らないし、俺。あと、知らないことってなにかな。知らないことは、知らないだけに、うまい例が浮かばない。要するに、知らないことは、知らないのだな。

(16:46 Mar.15 2006)


Mar.13 mon.  「赤レンガ倉庫に行く」

■午後、遅い時間に目を覚ます。あわてて横浜に行く。赤レンガ倉庫の下見の日である。美術の林巻子さんらと会って少し今回の舞台の説明をする。その後、会場になる赤レンガ倉庫1号館の三階にあるホールへ。ちょうど、多摩美の、おそらく卒業制作展が終わったところで学生たちとおぼしき者らが搬出をしていた。元々はなにもないホールだ。客席の組み方も自由にできる。はじめ、客席を挟んで中央に舞台を作り、円形劇場のような見せ方もいいかと思っていた。実際にホールに立ち、それから図面を見る。いろいろ考えたり、林さんと相談しているうち、うまくホールの特性を生かして、いちばん標準的な客席の組み方がいいのじゃないかという結論になった。レンガの壁や、鉄骨製の梁など、そもそも赤レンガ倉庫がもっている雰囲気がいい。交通の便のことなどいろいろ考えると、ここは遠いが、来てしまえば施設やロケーションだけでも、かなり楽しめる。海も近い。五月頃は気持ちがいいだろうと思った。
■もちろん、細部については、これから林さんと相談になる。ごく大雑把な基本形だけ確認してきょうのところは終わる。だいたい、まだ戯曲ができていないから林さんもどうにも動きようがないと思う。林さんと仕事をするのはほんとうに久しぶりだ。美術を頼んだのは、『おはようとその他の伝言』以来だから、もう10年近くになる。あのときもシンプルだったけれど、林さんの美意識が強く反映されて、床に鉛の板を敷き詰めたのだった。照明があたったときの反射する色がきれいだった。あ、そうか、そのあと、湘南台市民シアターで、太田省吾さんの戯曲を原作にした舞台を僕が演出し、そのときも美術をお願いしたのだったな。あるいは、いまはなき、フジタヴァンテで「
alt」を共同で演出もしたのだ。先日、「ロマンチカ」(林さんが主宰している集団)の公演もあったと聞くが、林さん自身は、いまはもう、「演劇」というカテゴリーからかなり距離をとったところで活動している印象がある。むしろ、「演劇」にくくられたくないのではないか。僕はどうしたことだろう、このところ、演劇のことばかり考えている。すきがあれば演劇のことを考えるのだ。どうも小説に意識がゆかない。小説にゆかなくちゃならない絶対的な理由はないので、それはそれでいいが、ただ、小説を書くのはまたべつの仕事として面白いのだ。だから書きたいと思うものの、次から次へと仕事がある。
■下見を終えて外に出るともう暗くなっていた。ライトアップされた赤レンガ倉庫もまたきれいである。帰り、制作の永井や、林さん、はじめて仕事をする舞台監督さん、演出助手の大沢君と一緒にクルマで都内へ戻る。首都高は比較的すいていた。「外苑」で降りて、四谷三丁目から新宿へ。『モーターサイクル・ドン・キホーテ』の準備は少しずつ進んでいる。

■早稲田を無事に卒業できたらしいOから、ポツドールの舞台についてメールが届いた。それでいくつか僕にはわからなかった部分が判明した。
富士日記2で、宮沢さんがああいった人たちをどう表現したらいいか、とおっしゃっていましたが、この間まだ舞台を観ていない人たちに、「夢の城」について、せりふは一切なくてただダラダラとセックスかゲームしかすることがない若者たちが8人いて、という説明をしばらくしていて、私が渋谷のセンター街にいるようないわゆるギャルとギャルオです、と言うと、「ああーそういうことか、やっとわかった」と、途端に合点がいったようでした。
 そうか、それがいちばんあの人物たちの適切な表現になるか。というか、その言葉(ギャル、ギャルオ)ひとつで、彼らを取り巻く世界がイメージできるということだ。ほかにも、女の一人がピアノを弾く場面があって、その演奏されるのが合唱曲であることから、女の過去がかいま見えるなどOの解説があった。その曲から過去が見えるという細部については、それを知っている者しかわからないが、そうしたことは気がつく者さえいればいいのだろうし、むしろ、観終わってからあと、劇を介して人と話すことができる豊かさはある。阿部和重君の『シンセミア』は話すことがいろいろあって面白かった。人によって解釈も変わる。あるいは、隠されている部分にいち早く気がつく者もいるし。その隠された部分がわかることで一気に小説の世界がべつの様相を帯びる。青山真治さんの映画や小説にもそうした部分は数多くあり、これがまた、油断がならない。あるいは表現する側にしたら、そうした隠された部分が、「書くこと」の面白さにもなる。わかる人だけわかればいいと言ったらひどく傲慢な印象になるが、そうじゃなくて、表現する者のひそかな愉悦である。受け取る側は、それに気がつかなくてもべつにかまわないはずだ。
■日中は、わりと暖かかったのに、赤レンガ倉庫を出るころにはずいぶん冷えていた。林さんが薄着なので、寒くないですかと質問すると、「よくまちがえるんですよ」と話していた。まちがえがちな季節である。夜は冷える。花粉は飛ぶが僕にはまったく関係がない。

(15:57 Mar.14 2006)


Mar.12 sun.  「西巣鴨へ」

■クウェートの演出家、スレイマン・アルバッサームによる『カリラ・ワ・ディムナ -王子たちの鏡』を西巣鴨にある「にしすがも創造社特設会場」で観た。観る前に関係者から難解だと聞いていた。権力闘争の物語だから構造ははっきりしていると思うものの、人の関係とか、名前が覚えられないとか、字幕を読んでいるうちに舞台が進行していたり、舞台に気を取られていると字幕が読めなかったり、誰が誰だったか忘れてしまうなど、一度観たきりでは、なかなか理解が困難だ。しかも、ベースになっている話がアラブ圏では誰もが知っている寓話で、それがまず、了解事項として前提にある。あとで説明されてわかった。途中からストーリーを追ったり、解釈することを放棄して観ることにした。
■まあ、僕の『ヒネミ』だって、ソウルでもパリでもまったく理解されなかった。それはしょうがない。『カリラ・ワ・ディムナ -王子たちの鏡』。「生-政治」ともいうべきものが寓話に託されており、これ、同世代(三十代前半)の演出家をいまの日本におきかえると、感じていることの、まったく接点がないことが興味深い。スレイマンはきわめて政治的に物語を構築する。だってポツドールとこの作品を比べたらなあ、まず、俳優のたたずまいからして、あちらは(ロンドンの俳優がほとんどだった)、きっちり西洋演劇の訓練を受けてきた人たちだ。というか、あえてそれを受けると言うより、演劇をやることはすなわち歴史的に考えてそうした教育を受けるのがあたりまえになっている。
■なにより質問したかったのは、ロンドンとクェートを拠点にしているスレイマンにしたら、この遠い日本にという国を政治的にどう見ているかだ。ま、ちょっと聞くと、「自衛隊のイラク復興支援」は単に、「支援」なんて思っちゃいないことで、あきらかにあれは軍隊の駐留だ。日本の政府がどう言おうと客観的にはそうだよな。それにしても、置かれた場所が異なるとはいえ、舞台の表現にこれだけちがいがあるのも不可思議で、しかし、ロンドやパリでも、(ロンドン、パリ、ニューヨーク型の)ポツドールはいるのじゃないかと思いもするのだ。ただ、ポツドールが外国に招聘されにくそうなのと同様、むこうのそうした若手の劇は日本に来ないだろう。これもまた、ひとつの「政治的な傾向」だ。『カリラ・ワ・ディムナ -王子たちの鏡』はとても端正できれいだったが、ポツドールはほんと小汚いわけだ。比べるのは意味がないが、しかしアングラ劇など見ても「汚辱」「廃頽」は劇のトーンとして様式化されていたと思うが、ポツドールってなんだか汚いからな。あの、「汚さのリアリズム」はただごとならない。それを生むのは美術とかではなく、俳優の身体そのものだと思う。あのだらしない身体だ。これ、スレイマンさんに話したんだけど、うまく伝わっていない気がする。俳優というのはきちんと訓練された者がするのがあたりまえの西洋演劇の伝統にあって、その「だらしない俳優」って、単に「素人」だろう。だが、プロフェッショナルな演出家によって「だらしない俳優」を素材にすることでまた異なる「トーキョーの演劇」はあるのかもしれない。これをもっと海外にアピールするべきではないだろうか。正直、歴史的に考えても「西洋演劇の伝統」に近づこうたってそりゃ無理だ。だったら特異な「からだ」によって作られている「トーキョー」の現在を表現することはある意味で、あるいは議論を起こさせる意味でもっと海外に提示したほうがいいと思う。
■ポルトガルの映画監督ペドロ・コスタによる『ヴァンダの部屋』はドキュメンタリーだったが、あそこにある「からだ」にも似て、それを演劇という表現で舞台に出現させるというのは、これ、かなり特異な「トーキョーの出来事」なのではなかろうか。スレイマンと、アフタートークで、あるいは、終わってから特設された「アラブカフェ」で食事をしながら話したけれど、もっとうまく俺が話せたらなあ、伝えることができたと思うし、互いに持っている誤解や齟齬が溶けたかもしれない(でもまあ、日本人同士でもぜんぜん理解しあえないことは大量にあるが)。『モーターサイクル・ドン・キホーテ』はそこも少し挑戦し、外国人に観てもらおうと思っているのだ。

■いろいろ話しができて、楽しい夜だった。『モーターサイクル・ドン・キホーテ』を書く意欲というか、演劇への意欲がまた高まる。それは世界は広いし、むしろ圧倒的に多数の外国の演劇を相手にしていかなくちゃならないという決意に似たものである。白水社のW君、三坂、永井らとも終わってから歓談。『モーターサイクル・ドン・キホーテ』のプロデューサの内野さん、そして様々なコーディネイトなどしてくれるエグリントみかさんと打ち合わせ。それで、「アラブカフェ」では独特な香辛料の香りが漂っていた。よく太田省吾さんが話していたことでヨーロッパへゆくと、舞台がはねたあと、演出家や作家、俳優、そして一般の観客も含めてロビーで歓談の時間があたりまえになっているという。太田さんが作った、あれはT2スタジオだったと思うが、それを目ざしてロビーを作ったという。そこで議論もすれば、歓談もあり、それが舞台をまたべつの意味で豊かにするのだそうだ。特にこうして、ふだん触れることのない外国人と話しができるのはとても意味が深い。わからないことも聞くことができるしね。ただ、「にしすがも創造社特設会場」は元中学校の建物だから、教室だった部屋に「アラブカフェ」ができていて、なんだか文化祭みたいだった。それも悪くない。僕のこのノートを読んで来てくれたというライターのFさんと開演前に会ったが、どういう感想をもっただろう。終わってから会えなかった。
■いろいろ刺激されながら、巣鴨をあとにする。アフタートークを引き受けてとてもよかった。さ来週もまたべつの舞台のアフタートークで「にしすがも創造社特設会場」に来る。このところアフタートークづいている。以前、書いた『モローラ――灰』が、この日の夜、教育テレビで放送されたはずだが、録画し忘れた。次の早稲田の授業で見せたいと思ったが失敗した。

(11:40 Mar.13 2006)


Mar.11 sat.  「予約フォームはまもなく開始」

■夜、制作の永井と、『トーキョー/不在/ハムレット』のとき演出助手をしていた、ウェブデザイナーが本来の仕事の相馬が家に来る。すでに公開した、『モーターサイクル・ドン・キホーテ』を宣伝するページの、チケットをネットから予約注文できるCGIというものが動くかどうかの検証である。ま、その予約フォームは4月1日から運行なので、まだ予約はできないけれど、テストしたわけだ。
■相馬が作ってくれた素材などを、すべて「
u-ench.com」のサーバーにコピーし、それで予約フォームを記入してみる。見事に、永井のところに予約のメールが届くことが確認された。Macの、Safariというブラウザだけではなく、Internet Explorerで確認したり、さらに、Windows上で動くかどうか、Internet Explorerやべつのブラウザでもチェック。ぜんぶ問題なし。やっぱり、Windowsで確認しないとな。なにしろ、圧倒的多数の訪問者はWindowsだから。繰り返しますが、予約フォームの運行はチケット発売日の4月1日からです。相馬に助けられた。
■関係ないけど、きょう来た、永井と相馬は、親がどちらも仏教関係者である。だからなんだという話だが、意外と多いのが家が寺だという人で、それはそもそも、寺は多いってことなのだろうか。すべてのチェックが終わって少し話しをしたあと、二人は帰って行ったが、そこでふと思いだしたのは、一週間ほど前だったろうか、ある未知の方からメールをいただいたことだ。テレビ番組で横浜市の鶴見区が特集されるという内容だった(というのも、『モーターサイクル・ドン・キホーテ』のお話の舞台が鶴見だとここにしばしば書いているからだ)。テレビを見る。忘れていたので、もう半分くらい終わっていた。紹介される映像を見ては、あ、ここはあそこあたりだなと、少しは鶴見に詳しくなっているのである。また時間ができたら鶴見に行こう。

■話は前後するが、Jリーグをテレビで観ていたらジュビロがひどい負け方をしたのでいやな気分になる。そんな日、まだきのう観たポツドールの『夢の城』のことをひきずって、いろいろ考えていたが、あの最低な人間たちの描写と、グロテスクな人間関係は、苦い喜劇であると同時にやはり悲劇なのだろうと思う。ああした人たち(なんて表現すればいいんだろう、ヤンキーとかそういった種類の人間たちか)の「最低さ」は、それを材にとりつつ、所詮、人間なんてこんなものだろうという諦念だ。グロテスクにデフォルメされた人の姿。こうしたニヒリズムが表現の全体を覆っているとき、この「沈黙」は太田さんの「沈黙」と、やはりまったく質のちがうものになると思えた。人間観のちがいによって生まれる「沈黙の意味」のちがいとでもいうか。両者の舞台がもつ、「美」のちがい。概念のちがい。
■あるいは、いま思いついたが、『夢の城』はせりふがないにも関わらず、多弁だったのかもしれない。あと、あれだな、きのうも書いた、これだけ露骨に性的な描写がありながら性的関心が起きないというのは、逆に考えれば、たとえばアダルトビデオなどではそうしたことを出現させる技術があるということで、アダルトビデオの人たちは日々、そうしたことに腐心しているのだろうと想像したのだ。エロチックなものを生むのもやはり高度な技術なのだろう。
■それにしても、『夢の城』は観る者をあれほどいやな気分にさせる側面もないわけではないので(いや、かなりあるか)、それはそれですごい。挑発的であり、攻撃的だ。もう30年近く前に舞踏系のパフォーマンスを見たらやはり、いわゆる「本番」というものが舞台であって、そのときはそれを見て笑い出しそうになった。枠組みの問題がある。知人はそれを見て、ストリップを見るより安上がりだと言ったが、僕は、「舞踏系のパフォーマンス(=芸術)」という枠組みのなかでこれが出現することが、なんだかおかしかった。あとそのときは、一升瓶いっぱいの水を飲んで、そしてすぐに吐くという、のちのオウムの修行のようなこともやっていた。つい笑った。それから少ししたころ美術系のパフォーマンスの大規模なフェスティヴァルがあって、きわめて実験的だった。外国人を含めいろいろすごい人が登場するが、僕と知人は、それを「万国びっくりショー」と呼んだ。なにしろ、すごいんだ。びっくりしたのだ。有名な美術家も来ていたのだが。

■小説の直しを少しする。『モーターサイクル・ドン・キホーテ』のことを考える。やらなくちゃいけないことはいろいろある。確定申告の時期でもあるのだな。

(10:49 Mar.12 2006)


Mar.10 fri.  「新宿TOPSへ」

■『モーターサイクル・ドン・キホーテ』の告知ページができました。
■まだ、二十歳のころ、列車で旅をした。むかしながらのボックス式になった席のある車両だ。窓際の席に腰をおろしていると、僕のまわりに、何人も、不良っぽい男女が腰をおろし、僕を取り囲むようになっていた。いやな人たちに囲まれてしまったと思ったが、そのうち、なにか、彼らがおかしいと気がついた。全員が、聾唖者だった。ポツドールの『夢の城』を観ていたらそんなことを思いだした。
■とてもすぐれた舞台だ。なんの説明もないまま、あるいは、ここでなにが起こっているのか考える手がかりもほとんど与えられないまま、ろくでもない若い男女の姿が一時間半ほどの時間で描写される。なにも説明がないからこそ、逆に、この部屋がなんであるか、そして、外に出て行く者らが、なにをしているかを、観ている側は様々に想像する。
■開幕してしばらく、マンションとおぼしき室内が、アルミサッシの窓と壁にふさがれ、透明な窓ガラス越しにその向こうが見える。部屋のなかには数人の男女がいて、やがてセックスをはじめる者もいる。声は聞こえない。かつて青山円形劇場で舞台をやったとき、空き時間に外に出たら、近くの会社のオフィスが窓越しに見えた。ごくあたりまえにそこでは会社員たちが働いている。その姿が面白くて仕方がなかった。これが劇にできたらいいとそのとき思ったが、会社ではないがそこに出現しているのはまさにそうした光景だ。以前、三浦君が演出した『ニセS高原』を観たとき感じたのは、その演出の丁寧さだった。いったん、暗転したあと、そのアルミサッシと壁が消えたとき、それをどこに収めたかひどく気になった。このあたり、舞台表現の主ではないとはいえ、やはりそうした手続きが見事だし緻密だ。緻密に計算された演出は、たとえば、ほとんどつけっぱなしになっているテレビで放送されている番組の流し方にもある。ゲームに切り替えたり、テレビを観たり、きわめて細かく計算されている。それがどんな内容だったか忘れたが、なにかのニュースがテレビで放送されているのを、登場人物らが、皆、ふと観入る瞬間があった。そこがとくに僕には面白かった。いかにも、だめな若者たちが、皆、それに気を取られる。なにが彼らをひきつけたのか。よくわからないが、なにか、ひっかかるものがそのニュースにあったのだろうな。ここがうまい。

■そしてなにより、議論の対象になるだろうと思われるのは、一切のせりふがないことだ。セックスをすれば女たちはあえぎ、テレビの音は聞こえているのだから、音が聞こえないという前提があるわけでもない。なにかの事情でしゃべらないわけでもなさそうだ。だからこれは、一見、きわめて写実的に描かれた舞台に見えながら、まったく正反対に、方法化された表現によってきわめて精緻に構築された舞台だ。
■さて、こうして描かれた、最低な人間たちの生活のごく一部が、劇としてどこに落ち着くのか、その落としどころはなにか、考えつつ観ていると、ラスト近く女が泣くというところにおさまる(いや、べつに落としどころがなくても、いいと思うが)。けれど、その「泣く女の行為」もまた、説明がまったくない。それまで眠っていたのかと思っていた女が、ひきっぱなしの布団の上に横になって、泣いている。なにか伏線があったわけでもないし、ドラマが用意されていたとも思えぬが、ただ、泣く女はただ一人、開演からまもなく少し遅れてこの部屋にやってきたこと、あるいは、衣装の種類がほかの者らとどこかちがうことによって、なにかほかの者らと異なる種類の人物に見えた。その「泣く行為」の意味を探す手がかりはほぼその程度だ。あるいは、一瞬気を取られたあのテレビのニュースにあったのかもしれない。ただ女は声をひそめて泣く。劇中、ずっと一貫しているのは、登場人物たちが、ほかの者がすることに興味を持たないことだが、やはり泣いている女に対しても誰も関心を持たない。共同生活をしながら、しかし、他者に関心を持たないこの姿や、そして、言葉を発しない方法は、ここできわめて強いメッセージになっているのを観る者に与える。リアリズムの外見を持ちながらまったくそれとは異なる方法によって組み立てられた劇だ。とても刺激的だった。
■おそらく人によってちがうだろうが、これだけ露骨なセックス描写が舞台に発生していながら、性的な関心がまったくわかないのはなぜだろう。むしろ、すがすがしいほどだ。さわやかにすら感じる。観終わったあと、なにか晴れ晴れとした気分になったのだ。そして、やっぱり、『愛の渦』と同様の苦い喜劇だった。あと、俳優はたいへんだなあという、ごく率直な感想である。ほんと、たいへんだよ、ご苦労様と言いたい。最後に泣くのがなぜ女だったか。男でもよかった気がする。あるいは、ドアが金属製でなかったのが残念で、あれがもし、金属製のドアを用意できたら、そのガタンと閉まる金属音によって、外の世界とこの部屋との遮断が、もっと際だって演出できたと思う。「沈黙」ということに関してはもう少し考えたい。太田省吾さんの「沈黙の劇」と、これはなにがちがうか。ぜったいちがうよな、これ。うーん、わからないな。「ちがう」かどうかもよくわからない。いや、そうして、いろいろ考えることが生まれたことひとつとっても、この舞台の意味は強い。ネットのある場所で、この舞台が酷評されていると永井から観る前に聞いていたが、なにを観ていたのだ。まあ、嫌悪感を持つ人がいるのはしょうがないとして、否定するならそれだけの論理を用意するべきだ。

■世田谷パブリックシアターであった太田省吾さんのレクチャーに関して、早稲田の、OとSから感想のメールをもらった。二人それぞれの感想だったが、共通していたのは、太田さんの身長が高く、大きな人だったということだ。予想外のことだったらしい。鈴木忠志、太田省吾、別役実の三人は身長が高い。だからなんだって話ですけどね。僕は、舞台を観る前に、突然、思いたったように、『ボブ・ディラン・グレーテストヒッツ第三集』の直しを少しした。少し気持ちに余裕があるからできた。余裕である。なにごとも。もちろん、『モーターサイクル・ドン・キホーテ』の戯曲も書きはじめよう。あ、こんどの日曜日(12日)は、「東京国際演劇祭2006」の一環で公演のある、クウェートの演出家、スレイマン・アルバッサームによる『カリラ・ワ・ディムナ -王子たちの鏡』を西巣鴨にある「にしすがも創造社特設会場」で観て、そのアフタートークで話をすることになっている。こういうものはぜったい観ておいたほうがいいと思う。

(6:12 Mar.11 2006)


Mar.8 wed.  「人生の締め切り」

■一日中、原稿を書いていた。夜、遅くなって、ようやく書きあがった。目が疲れた。首の痛みはもうなくなった。朝からずっと集中して書いていたが、夕方、永井が来たところで少し中断。『モーターサイクル・ドン・キホーテ』のフライヤーの色校が上がってきたのでチェックした。二種類サンプルがあり、少し紙の質を落として、なんというか、「高級なわら半紙」みたいなものに印刷したものがよかった。以前、僕の舞台の演出助手をしていて、本来はウェブデザイナーの相馬が作ってくれた、『モーターサイクル・ドン・キホーテ』の宣伝サイトもチェックしたがこちらもきれいにできていた。さすがに、プロの仕事だ。まもなく公開。
■で、東大の(というか、今回の舞台のプロデューサーの)内野さんが永井に指摘していたというのは、僕がこのノートで、いつも、「サンチョ・パンサ」のことを、「サンチョパンセ」と書いていることだ。で、これはどう考えても、「よりみちパン!セ」の影響だ。手が勝手にそう動いたんだろうと思われる。「パン」と来たら、「セ」だ。この二ヶ月ばかり、「よりみちパン!セ」には苦しんだものなあ。もう呪いがかけられたとしか思えない。で、その内野さんからメールがあって、『モーターサイクル・ドン・キホーテ』のプロットに関していくつかの指摘をもらった。あ、なるほどそうか、という発見があったのだった。少し考えあぐねていた部分について、そこからうまく書けるように思えた。そろそろ、書き出さなくてはいけない。公演の性質上、公演より前に戯曲を英訳しなければならない時間があってですね、初日までに台本があがっていればという、よくある舞台のスケジュールではぜったいいけないのである。これもやっぱり、去年の秋ぐらいにリーディング公演をやっておけばよかった。なにしろ、『鵺
/NUE』は今年の11月に公演だというのにもう戯曲ができているが、それというのも、2月のリーディング公演に間に合わせるために書いたからだ。締め切りがないと書けない。締め切りは、まだずっと先だろうと思っているとすぐにくるのだ。これはもう、一生直らない病のようなものだと思われる。そして人は、いつかきっと、締め切りが来るのを知っている。
■原稿ができたので、すぐにメールで送ろうと思ったが、書き上がったころにはもう意識が朦朧としていたので、ひとまず眠ることにした。あらためて、目が覚め、時間をおいたところで読み直してみよう。もう何度も読み直しては手を入れたが、朦朧としていると、思わぬところでまちがえていることがあるし、少し時間をおいて読むと、いくつか気がつくことがある。まるで他人が書いた文章を読む気分になるからだ。

■このあいだ、ナムジュン・パイクのことを教えてくれた早稲田のSのメールに、八〇年代の人はものを壊すとあった。どうやら、ナムジュン・パイクがピアノを壊している映像をその追悼展で見たことや、アート・オブ・ノイズのビデオでやはりキーボードを壊しているのを見たかららしい。それで、そんなことはない、むしろ六〇年代のロックのギターリストはたいていギターを壊していたが、八〇年代の「壊す」はその反復か、あるいはパンクの影響だろうと伝えたのだった。それでさらに届いたメールの一節につい笑った。
80年代の人は、ものをよく壊したと勘違いしていました。実は、ジミヘンの反復とパンクなのですね。パンクは、いつでも壊しているイメージがあります。ヒップホップの人は、ターンテーブル等を破壊したりしないです。とても破壊しにくそうです。それに比べ、ギターは、壊しやすい感じがします。
 たしかにね。DJの人がレコードを回しているうち興奮してターンテーブルを叩き壊すという話は聞いたことがない。DJの人はあんまり興奮しないのじゃないだろうか。いや、そうでもないか。六〇年代の破壊には時代の潮流があった。なにかとその時代、「壊す」は盛んに行われていた。即物的にも、概念的にも。と、書いて、Sが見た、ナムジュン・パイクがピアノを壊している姿は八〇年代の映像なのだろうかといまふと疑問が。このあいだあったのは急遽きまった「追悼展」だそうで、またあらためて「回顧展」があるという。そのとき確かめよう。
■原稿に追い立てられていたので、パブリックシアターで、太田省吾さんのレクチャーがあったはずだが行くことができなかった。だったら、さっさと原稿を片づけとけばいいという話になるが、それができたら私は、もっと仕事をしていると思う。できないのである。僕のレクチャーに足を運んでくれた人たちだって、それぞれ、事情をかかえていながら、その時間をあけてくれたという意味ではほんとうに感謝するしかない。
■あ、そうだ、松倉のライブもあったんだよな。松倉から聞いた話で、すごいと思ったのは、ある世代の人たちのふるまいだ。あるとき、松倉がそば屋に入ったが店が混んでいたので、見知らぬ高齢の方と相席になった。その方は詩人だと名のった。そして、松倉にあれこれ厳しく意見し、聞いているうちに松倉は泣き出してしまった。だが、それほど厳しく松倉に意見したにもかかわらず、少し前のライブに、その方は足を運んでくれたという。名前を聞いたら有名な詩人であった。人あたりはひどく悪いかもしれないが、ライブに足を運んでくれるというそのふるまいによって、もっと深いところで人と関わる。ある世代の人たちはきっとそうなのだろう。口が悪く、いつでも喧嘩腰だったりしながら、それでも、手間をおしまず、足を運ぶというこの行為には、ほんとうの誠実さがある。つきあうとやっかいなんだよな、きっと。やっかいなんだけど、でも、そうした態度には頭がさがる。

(12:22 Mar.9 2006)


Mar.6 mon.  「首の状態」

■早起きして、このノートを書いたり、原稿を書いたり、メールの返事を書いているうち、首がひどく痛くなって午後から、まったくだめな状態になってしまった。いまもまだ少し痛い。きのう、ナムジュン・パイクの回顧展を見のがしたことを書いたが、埼玉の与野ではフォーサイスをやっていたと桜井圭介君のブログで知る。それも忘れていた。鶴見に行くのも大事だが、フォーサイスは観たかった。首が痛くて本も集中して読めない。いま、これを書くのも死にものぐるいである。『トーキョー/不在/ハムレット』にも出た伊勢のブログを読んだら、やっぱり、最近、荒川静香に似ていると言われているという。顔だけではなく、伊勢の場合、全体的になんか似てるんだろうと思われる。で、笑ったのは、「あなたイナバウアーみたいだね」と声をかけられたというくだりだ。もう、それ、名前じゃないし。っていうか、元々は名前か。『ソウル市民』で伊勢は、アヴィニヨンに行くのだから、いまからイナバウアーを練習してフランス人に見せればいいと思った。つまり、あのからだの状態のまま、スケートがないから、つつつーと足を素早く動かして横移動する技だ。ま、そんなことはどうでもいいんだ。首が痛いんだ、俺は。

(13:34 Mar.7 2006)


Mar.5 sun.  「ステージマネージメント」

■友人の俳優が政府公報のCMに出ていた。え? それはそれとして。
■このあいだもここに書いた、『公共空間の変容と危機 ――ネオリベ化する市民社会と大学』(明石書店)という本(まだ書名は仮題のようですが)の原稿にとりくもうと、いろいろ考える。テーマが、「民主的空間をひらく「演劇」という視点からみた表現の管理・抑圧と、社会および大学の管理・監視化」で、それを通りいっぺんの書き方をすると、もうひとつ面白くないと思って、なにか新しい切り口が見つからないか思案していたのだ。そういった書き方はめったにしないが、思いついた言葉の断片を、どんどんノートしてゆく。
■ひとつ思いついた切り口は、「ステージマネージメント教育」についてだ。もちろん、舞台を作る上で「ステージマネージメント(=いわゆる「制作」という領域)」はもちろん大事である。欠かせない条件だ。けれど、それはけっして、「舞台表現」に先行しない。だが、ひとつ問題があるとしたら、少なくともこの国の演劇教育では、「舞台芸術の教育」より、「ステージマネージメントの教育」のほうが、システム化しやすく、いきおい、そっちが教育として重点をおかれる可能性があることだ。単純にいったら、「芸術」より、「ビジネス」のほうがわかりやすいってことだろう。「表現」より「資本」だ。その「わかりやすさ」が、私に与えられた「テーマ」に記された言葉を使えば、「表現の管理・抑圧」をゆるやかに進行させると想像する。もちろん、「ステージマネージメント」は大事なんだよ。一種のインフラの整備であり、その領域がこの国では遅れているのもよくわかる。そして、「劇場」「公演体制」「演出家、俳優をはじめとする演劇人の地位の保護」とかいったことを、「ステージマネージメント」がどのような経路で展開できるか、なにによって保証され、生み出されてゆくかがそうした教育においてもっとも問われるとすれば、「ステージマネージメントの理念」は必然的に政治性をおびる。というか、そうならざるをえない。だって究極的に考えれば対峙すべき相手は国家だろう。だけど、そこはどうも回避されているように思えてならず、「方法」というか、「技法」しかないという印象を僕は受ける。
■まずそこには、「演劇の研究成果」や「表現の教育成果」が第一にあって、そうした基盤の上に、はじめて、「ステージマネージメント教育の基礎」、あるいは、「ステージマネージメントの基本理念」が生まれると思う。なにもないところに、「ステージマネージメント」だけ持ってきても、きっとどこかにゆがみが生まれる。むしろ、「ステージマネージメント」が「表現の管理・抑圧」の装置になりかねない。それは先に書いた、必然としての「ステージマネージメントの政治性」がどっちに傾くかの問題であろう。そして問題は、教育をする者、それを受ける者の誰もが、それを自覚していないことではないか(もちろん例外はあるし、それをきちっと押さえて教育している場所もきっとある)。「政治性」など関係なく、「技法」だけで「ステージマネージメント」が語られるとき、置き去りにされるのは、「舞台表現」に対する議論だ。舞台表現全般の「研究」や「教育」はあとまわしになって、すごくわかりやすくまとめれば、立派な劇場だけ作ればそれでよしという状況が、この国のあちこちで生まれてしまうわけだ。もう生まれているけれど。

■と、ひとつの切り口は見えてきた。ただ問題は、これを原稿にするにあたって、「ステージマネージメント教育」について、俺がよく知らないことだ。もちろん、多少は知っているものの、資料がほしい。で、まあ、それはひとつの切り口。まだ考える。もう締め切りだが。
■ところで、このノートは、これまで舞台の稽古がはじまると、それぞれの舞台に関連したタイトルになっていった。『トーキョー・ボディ』のときは、そのまま、「トーキョー・ボディ」という日記だったし、『トーキョー/不在/ハムレット』のときは、「不在日記」だ。で、『モーターサイクル・ドン・キホーテ』の準備がはじまるにあたって、「モーターサイクル・ダイアリー」にしたい気持ちがないわけではないものの、これだけ読むと、まあ、単純に既存の映画のタイトルと同じになるわけだし、まあ、そのタイトルを意識していなかったかといえば、うそになるのでそれは仕方がない。さらに、バイクに乗っている日常のことが書かれていると誤解する人がいるのではないだろうか。私はけっして、バイクには乗らない。自転車には乗るがオートバイはいやだ。きのう鶴見からの帰り、バイクとタクシーの事故現場を目撃した。悲惨な有様だった。バイクはほんとに怖いよ。
■僕の舞台に出たことのある、ある女優からほんとうに久しぶりにメールをもらった。むかし、劇団ひまわりに所属していたことのある人だ。夢のなかに、僕が出てきたからといって、メールを書いたという。それをいったいどう受けとめたらいいかよくわからない。こちらとしては、あなたの夢に出た覚えはないとしか応えようがないじゃないか。ただメールはうれしかった。あ、それから、早稲田のSからもメールがあって、それを読んだのは、さっきだが、五日まで東京現代美術館でナムジュン・パイクの回顧展があったのをそのメールで知った。行けばよかった。ローリー・アンダーソンやマース・カニングハムとのコラボレーションの作品も観られたらしい。失敗したな。

(11:07 Mar.6 2006)


Mar.4 sat.  「鶴見にゆく」

■午後、天気がよかったので、横浜の鶴見に行った。もちろん、『モーターサイクル・ドン・キホーテ』の取材である。首都高に乗って、羽田方向に走り、汐入というインターで降りる。首都高は三宅坂あたりまでものすごく渋滞していた。『トーキョー/不在/ハムレット』の舞台になった埼玉の北川辺は、クルマで走ると気持ちがよく、どこにクルマを停めてもあまり問題にならないので、そこいらにクルマを駐車し歩いていろいろ見て回ることができた。さすがに、鶴見はそう簡単ではなかった。しかも、ごちゃごちゃしているので、いくら歩いても町の感じがうまくつかめない。まだ何度か来て、それで発見があるのじゃないかと思うのだ。しかも、きょう歩いたのは駅の周辺だけだったから、それ以外の鶴見のことはまだなにもわかっていない。
■ただ、こういう場合、事前情報をあまり調べておかないほうがよくて、あまり知っているとそのことにとらわれてしまうわけだ。その件については、『牛乳の作法』(筑摩文庫)におさめた、「軽井沢で牛乳を振る」というエッセイを参照していただきたい。ちょっと話はそれるが、この「軽井沢で牛乳を振る」を、高校の教科書に入れたいと明治書院という出版社から問い合わせがきたのだった。以前も、高校の教科書に僕の文章は入ったが、そんな事態が起こるとはエッセイを書きはじめたころ想像すらしていなかった。
■閑話休題。そうそう、鶴見の話だ。鶴見駅の東口を出て少し歩くと、旧東海道があった。いまはもちろん、舗装されなんの面影もない道路になっている。左右には商店やオフィスビル、マンションが並ぶ。ま、それはそうだな、旧東海道はこのあたりのはずだし、ここらあたりは旧東海道に沿って形成された町なのだろう。コンビニに入って「横浜市鶴見区」の地図を買った。いま歩いたのは、鶴見のなかでも駅周辺の、ほんとに狭い範囲だけだ。で、歩いたからといってなにか面白いものがあるわけではけっしてない。面白い町などどこにもないのだ。ただ、見ているうちになにかに気がつくときがあり、それは、見ている私のなかに生まれるものだ。あと、埼玉の北川辺を取材したときは、まだどんな劇を作るかなどまったくなく、ただ地図上で見ているうち面白そうだと思って行った。今回はちがう。ほぼ、プロットはできあがっている。そのうえで参考にしようと思って取材している。こんど、あるバイク屋さんにも取材させてもらおうと思っており、それもやはり、お話に出てくる「バイク屋さん」という仕事についてもっと知りたいからだ。鶴見の取材は、北川辺のときとはちがう。町の空気をもっと知りたいのだ。きょうは昼間だったが、夜の鶴見がどうなっているかも知っておきたい。でも、はじめて来る町は、それはそれでいろいろな発見がある。

■JRの鶴見駅にいたら、なにかこの鶴見駅に関する記憶がよみがえってきて、過去になにか事件があったような気がしていたが、あとで調べたら、「国鉄鶴見事故」というのがあったのだな。四〇年以上も過去の話。それから切符売り場で、路線図をながめていると、鶴見は意外と新宿から近い気がした。品川まで駅の数にして四つぐらいの距離だ。東京周辺の土地について考えると、つい、そうした距離感を思い浮かべるのはなんだろう。ここらも通勤圏なのだろうけど、べつに、東京にばかり働く場所があるわけでもないだろうに。そして、JRの駅は、駅舎といい、改札といい、どこもよく似たデザイン。ま、それがある種の各鉄道会社のカラーってやつか。
■夜、制作の永井が来て、『モーターサイクル・ドン・キホーテ』の打ち合わせをする。いよいよフライヤーの製作ができる状態までこぎつけた。これでようやくはじまりだ。フライヤー用のプロットは文字数の制限もあってごく簡単なものだが、戯曲の前に、もう少し詳しいプロットを作っておこう。何日か前に書いた、登場人物ひとりひとりによる視点からのプロットを書く作業もする。それから戯曲だ。『トーキョー/不在/ハムレット』は一年間をかけて様々な作業を集団でする作り方の試みだったが、こんどは、ごく個人的な作家としての作り方の試み。戯曲を書くため、というより、それが面白そうだからそうする。
■永井から聞いたところによると、僕が岸田戯曲賞で推した三浦大輔君のポツドールの新しい作品の公演がはじまっており(観に行こうと思っていたが忘れていた)、内容を聞いたら、ちょっとそれ、観たくないなあと思ったのは正直な気持ちで、それというのも、舞台上で、なにやら、あれ、だそうだからだ。そこまで露骨にきたか。だから、岸田賞の選評で三浦君の戯曲を高く評価したが、最後に「だけど、生の舞台は観たくない」と付け加えればよかった。ただ、この目でたしかめなければだめだろう。戯曲は戯曲、そして、舞台は舞台。べつのものとして切り離せはしないにしても、「読むもの」としての戯曲は好きだが、舞台はもっとべつのことを発生させる。いろいろ気になるわけですよ。このあいだ、横浜で観た、『モローラ ――灰』がすごくよかったと書いたが、客の入れ方が釈然としないものだったので、はじまるまえ、少しいらついた。でも舞台が終わったときには、作品がすごくよかったから、客入れのことなどすっかり忘れていたのだ。でも、あれは変だったなあ、あの客の入れ方。入り口がまずあって、そこで並ばされる。ようやく開場になったと思ったらホールの中に入る前にまた並ばされる。並んだ並んだ。
■で、関係ないけど、『モローラ ――灰』は、もっと多くの人が観るべき舞台だった。もったいないと思ったのだ。またあの人たちを日本に呼ぶのはたいへんだろうけど、再演できればいいと思う。あ、このあいだ取材を受けた「編集会議」が届いた。カメラマンの方がとてもきれいに僕の仕事場の様子を写真におさめてくれた。カメラマンの方の巧さだ。けっこういい部屋に映っている。「編集会議」の最新号を読もう。

(9:49 Mar.5 2006)


Mar.3 fri.  「カニじゃないのか」

■午後、ようやくできあがった、理論社から出る「よりみちパン!セ」のシリーズの僕が担当する『演劇は道具だ』のチェック済みのゲラを、打越さんに渡した。打越さんは花粉症だとのことで、完全防備のスタイルをして東京オペラシティのなかにあるカフェまで来てくれた。というわけで、きのう(3月2日)は、一日中、ゲラのチェックだ。時間がかかるし、肩はこる。それで打越さんは、「できたじゃないですか、書き下ろし」と言ってくれたが、考えてみたら、いままで書いた小説はすべて「書き下ろし」だった。できないわけではないのだな。ただ、小説は書き下ろすのがあたりまえだと思っており、こうした本については、ぜったい無理だと考えていた。
■しかし、なんとかなった。人間、やってみるものだ。ホテルにこもったのがよかったんだろう。ホテルではさすがに、書かざるをえない状況に追いこまれる。新潮社の「新潮クラブ」もよかった。とにかく、環境を変えることでまとまった仕事をするのはいいことだし、ひとつの方法だ。で、さらに、「
MacPower」の連載、「一冊の本」の連載も書きあげる。よく働いた。だが、先はまだ長いのだ。
■その後、ゲラの件で、いくつかの質問を打越さんからメールでもらった。その最後に、サム・シェパードの『モーテル・クロニクル』を読んだらどうかと添えてあったのは、ゲラを渡したとき、サム・シェパードの話になったからだ。つい先日、ヴィム・ヴェンダーズが監督し、サム・シェパードが脚本を書き主演もしている、『アメリカ 家族のいる風景』を観た。それを話したので推薦してくれたのだろう。『モーテル・クロニクル』はかつて打越さんがいた筑摩書房から出ているが、アマゾンで調べたらいまは品切状態らしい。で、なぜ、これほどサム・シェパードにこだわるかといえば、『モーターサイクル・ドン・キホーテ』の参考にしようと思うからだ。東大の内野儀さんから、「なにかが終わったあとの話を書く人」というただその一点において、僕と、サム・シェパードに共通するところがあるから、観ておいたほうがいいと勧められていた。芝居を書く参考というより、もっとほかにいろいろ考えた。もっとべつのことで参考になった。ヴィム・ヴェンダーズとサム・シェパードといえば、『パリ、テキサス』のコンビか。あの映画を観てからもうどれくらいになるだろう。

■そういえば、きのう(3月2日)の午前中、ある本がほしくて新宿の紀伊國屋書店本店に行ったら、五階のレジで、早稲田の学生がアルバイトしていた。変な本を買わなくてよかった。でも、こういう場合の「変な本」とはなんだろう。なにより知られたくないのは、「この人、こういう本を読んで勉強している」と手の内がばれることだ。まったく油断もすきもないとはこのことだ。どこで学生がバイトしてるか知れたもんじゃない。
■ある都内の大学に通っている人から、大学のキャンパスでカニを見たというメールをもらった。かつて僕も、家の中でカニを見た話をエッセイに書いたことがあるが、その人の場合、五匹いたという(いま、『数え方辞典』で調べたら、生きている蟹は「匹」、食べる蟹は「杯」だと知った)。いったい、どうなってるんだそれは。べつに水産大学での話ではない。海のすぐ近くでもないようだ。そして僕のエッセイと同じように、その人も、カニを見て口にしたという。「カニじゃないのか」。まあ、思わぬところでカニを見ると人はついそう口にするのだ。これがゴキブリだったらあきらかに反応はちがう。町でオオアリクイを見たら、「なんだ、あれ」といった驚きになるが、カニに対する驚きはきわめて微妙である。やっぱり、「カニじゃないのか」としか言いようがないにきまっているのだ。
■あ、それで、先に書いた、『演劇は道具だ』は、やっぱりこれだけ遅くなっただけに、三月刊行は不可能だった。打越さんの話によると、四月になるという。ぜひとも、桜の季節に読んでいただきたい。

(9:09 Mar.3 2006)


Mar.1 wed.  「レクチャーのこと」

■世田谷パブリックシアターへ。まず、現代能楽集シリーズ『鵺
/NUE』の打ち合わせ。出演者のことなど。あまり進展なし。タレント名鑑というものがあってそれを見ながらいろいろ考えるが、ものすごく俳優はいるのだった。だんだんめまいがしてくる。打ち合わせを中断して、午後七時からレクチャー。演出の方法という話のはずだが、「よりみちパン!セ」に書いた内容の、アウトラインを話した感じになった。二時間。最後に質問をとったが、わりと手をあげてくれる人がいた。そうこうしているうち、あまり長いと思わぬまま時間は過ぎていた。何年か前、同じパブリックで、毎月一回レクチャーをする仕事をしたころは、二時間話すのに死にものぐるいだった。こういうのも、慣れと申しますか、いろいろなところで話しているうち、経験を積んだのだな。
■終わってから、また、すぐに『鵺
/NUE』の打ち合わせのつづきだった。何人か、知り合いが来ていたのに終わってから話をすることができなかった。でも、たくさんの受講者が来てくれてありがたかった。あとで、コンピュータにきょう話す予定を箇条書きにしたものをたしかめたら、五つの項目があって、話せたのはその二項目ぐらいだ。たとえば、「演出における美学とはなにか」とかも、メモにはあった。忘れたのである。またなにかの機会に話そうと思う。
■さて、後半の打ち合わせは、『鵺
/NUE』のスタッフ関連。パブリックのMさんという舞台監督のえらい人がいて、Mさんがずっとしゃべりっぱなしである。こちらは、ただ、うなづくばかりだ。はい、はい、そうですね、とうなづいているうちに、いろいろなことが決まっていった。きょうは寝不足だったこともあり、頭が回らず、ゆっくりものを考えることができなかった。「現代能楽集」のシリーズは野村萬斎さんが企画し、世田谷パブリックシアターの主催である。パブリックの方がいろいろ手配してくれるし、たとえば俳優のキャスティングについても、僕の提案ももちろん受け付けてくれるが、あちらから出される案がふだん僕が考えもしないようなことなので、そこから考えるのは面白い。

■きのう書いた、女の視点によって描かれた劇のプロットを読み返していたら、これを小説にしようと思ったのだ。「群像」に頼まれていたわけですね、小説を。締め切りは三月いっぱいだ。そこで、『モーターサイクル・ドン・キホーテ』を女の視点から書いたら、小説になると、ふと思いつく。舞台の本番(五月二十三日〜二十九日)までに掲載してもらうためには、ものすごい勢いで書かないとだめだが、戯曲と平行して書こうと思う。そのためにはまず、「新潮」に渡した『ボブ・ディラン・グレーテストヒッツ第三集』の直しを、それより前に完成させなければ申し訳ない。また忙しくなったが、もちろん、「
MacPower」の連載も書きますし、「考える人」の連載も書く。のんびりもしていられない。さらに、明石書店の方から、『公共空間の変容と危機 ――ネオリベ化する市民社会と大学』(仮題)という本への寄稿をずいぶん前に依頼されていた。私に与えられたテーマは、「民主的空間をひらく「演劇」という視点からみた表現の管理・抑圧と、社会および大学の管理・監視化」というものだ。長いな。このテーマからして、すでに長い。さらに原稿の量が二十枚。長いよ。書けるのか。今月末までには、『舞台芸術』の原稿もある。こちらは十枚。そうなると、十枚が短く感じるから不思議だ。
■わたしが得意なエッセイの枚数は五枚である。なにしろ、私は、「二千字の人」だからだ。だいたい、エッセイを頼まれるとある時期まで、二千字だった。そこに収める技術を高めていったといえる。最近は八枚が多い。するとやっぱり書き方が変わる。それにしても二十枚は長い。

(9:43 Mar.2 2006)



「富士日記2」二〇〇六年二月後半はこちら →