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May.31 wed. 「精神の安寧のために」


■青山真治さんからメールをいただく。このあいだ書いたように、青山さんは「宮沢さんの舞台で泣かされるとは思ってもいませんでしたよ」と終演後に言っていたのだが、そのことにあらためて触れ、次のように書いてくれた。

泣いた理由は、言うまでもなくあのチェーホフの引用が始まったからです。
で、そのとき娘は掃き掃除をしており、義母は仕事に出かけようとしている。
元は他人の母子が、男たちのいない場所で共生し、チェーホフを共有している。
その様ほど僕を泣かせるものはないのでした。
そして男たちの三つの様態、ひとりは呑気に眠り、ひとりは夢に生き、
もうひとりは逡巡する。そしてそれらをかれらは決してやめようとしない。
これもまた僕を泣かせる要素なのでした。
二大泣かせる要素が重なれば、これはもう嗚咽しかない。
条件反射的に。

そしてそのとき、その舞台に、たとえ儲かっていなかった、としても(笑)、
とてつもない「これでいいのだ」感が横溢し、これは幸福感といってもいいわけですが、
その幸福感に捧げられるひとりのサンチョパンサの行き場のなさ、
これがまた泣かせるわけですから、
儲かってなくてもこれでいいのだ、なんとかやっていくのだ、と思われ、
集客の大いなる問題を抱える自分自身、明日からもつづけようという気になれる、
それこそ演劇や映画をつづけることの真の意味でなくてなんだろう、
と考えるとまたいま泣け、あらためて「これでいいのだ」と感謝する次第です。

 ありがてえ。青山さんのメールを読んで僕もまた、「これでいいのだ」という思いを強くした。互いに共通するのは、「観客動員がのぞめない」ことばかりではなく、あるいは、かつて長髪だったのにそれをばっさり切ったところも共通しているが、視線の向こうに「文学」があることだろうか。だから「観客動員はのぞめない」とも言えるが、べつに無理してそうしているわけではないし、「観客動員がのぞめない」ような作品を意図して作っているのでもない。そういうふうにしか生きられないという決意において、もっとも共通しているのである。青山さんのメールにわたしこそ励まされた。ほんとにうれしかった。

■以前、僕の舞台の演出助手をしていた相馬のブログを読んだら、そこに、「Web標準」のことが解説されていて、とてもわかりやすい。そこにも書かれているが、この「富士日記2」も、可能な限り「Web標準」に近づけようとソースを全面的に書きかえた。いったいいつそれをやっていたんだと思われるかもしれないし、そんなひまがあったら小説を書いたらどうかと思うむきもあろうとはいうものの、稽古で疲れた意識を落ち着かせ、心に安寧をもたらすのは、「富士日記2」を書き直す作業だったのだ。漱石は、ある種の精神的な鬱から自身を解放したくて小説を書いていたという話は有名である。漱石と同じような作業と書いたら、文豪に申し訳ないが、スタイルシートをこつこつ書く作業でようやく、稽古中の精神のバランスを保っていたように思うのである。死にそうだったんだよ、正直なところ。
■スタイルシートとXTMLに関してはネット上にあるその手のことを教えてくれるサイトと、それだけでは理解できないことも多かったので、本を数冊買って勉強した。で、スタイルシートはすごく便利だという発見があったわけですが、相馬が書いているようによくわからずまだ書いている部分や、かなり強引な方法で作っているところがある。バックナンバーの部分は、画像の上に画像を重ねている。これ、最初、解決法がわからなかったのだ。基本的に以前とまったく同じ「見た目」にしようという目論見があったが、どうやればいいかわからず、思いついたのが画像の上に画像を重ねる方法だった。で、スタイルシートにおける画像のレイアウトには、「絶対配置」と「相対配置」と、あとなんかあったような気がするが忘れたものの、とにかく、僕の書いたソースだとぜんぶ「絶対配置」である。それが相馬によれば、まだまだ、「Web標準」ではないという。だから、あらためてもう一度、勉強しようかと思うものの、舞台から解放されたらデザインする気持ちもあまりなくなった。あれはやはり、精神の安定のための、逃避ともいうべき作業だったのだな。
■精神を安定させるために小説を書けばよかったのだが、小説は小説で、苦しんでいる。六月に入ったら小説に意識をシフトさせようと思うが、きょう永井に会って今後のスケジュールを確認したところ、まだまだ、忙しい。ま、大学があるからね。こればかりはしょうがないし、大学で教えるのもいまの僕にとっては、興味深い体験なのである。

■さらに、「考える人」の連載原稿を書こうとするが、ちっとも書けない。「MacPower」もあるのだな。「Mac Power」のT編集長も舞台を観に来てくれたが、やはり、青山さんと同じように、僕の舞台で、ぐっとくるようなことが起こるとは思ってもいなかったと話してくれた。ただ、T編集長の場合は、男二人がバイクで走り去るところだったようだ。いろいろな人に感想を聞くと、ポイントが微妙にちがうのだな。ただ、松浦を演じていた鈴木が、「デジャブってなに?」と言うところで泣いた人はいない。あたりまえだけど。ただ、正直、僕はこの舞台を見て人が泣くとはちっとも思っていなかった。必然的に筆は先へと進んでいった。こうなってゆくだろうという思いで書き進めていた。泣かそうなんてそんないやらしいことを考えていたらきっとだめな舞台になっていただろう。特に青山さんがメールに書いてくれた母と娘の場面を演出するとき、つねに俳優には、「これは特別な日ではありません」と口にしていた。つい、演劇は「特別な日」を生み出してしまうが、それはありえない。人はいつだって、あたりまえの、ごく平凡な一日を生きているはずだからだ。
■夜、雑誌「演劇ぶっく」の取材を受けた。それまであまり考えていなかったことを、質問を受けそれに応えるなかで発見することは多いものだ。きょうもかなりそういう状況だった。で、ひとつの発見をしたのだな。かつてある知人が話していたのは、「大人のふりをする子ども」と、「子どものような大人」のちがいである。これは社会的に人がどう存在しているかを語った言葉だと思われるが、考えてみたら、そのまま、演劇観に通じるのだと思った。ある種の演劇は、「大人のふりをする子ども」の、その「ふり」を、「演技術」によって生み出すことができたが、六〇年代の演劇の成果とは、いわば、「子どものような大人」の発見である。そして「ふり」のうそを暴いたのがあの時代の演劇の力だ。だったら、「大人のような、いかにも大人」が生まれればいいが(実際、いらっしゃると思います、そういう立派な方が)、そこに面白みがあるかどうか。魅力的かどうか。「子どものような大人」はチャーミングである。魅力的でありながら、しっかりした大人として存在する。これはなにかを考える契機になるだろう。というか、今回の舞台で私が発見したいちばんのものは、つまり、そのことだったのだ。と、いま気がついた。

(7:13 Jun.1 2006)


May.30 tue. 「楽日、そして一日が過ぎて」


■無事、公演を終了することができました。ご来場ありがとうございました。観客の皆さんへ、そしてこの舞台に関わってくれたたくさんの方に謝意を。あと、打ち上げの帰り、第三京浜を東京に向かっていたらスピード違反で捕まってしまった。なんてことだ。
■楽日は、平日の昼2時からの公演ということで、がらがらだろうと思っていたら、驚いたことにほぼ満席。いったい、平日の昼間に時間の取れるのはどういう人たちなのかと思うものの、じゃあ、そんなときに芝居をやっている自分たちは何者かと思うのだった。きのう少し走りすぎた芝居も落ち着きを取り戻し、楽日もいい舞台になりました。
■ある方から教えられた話ですが、ネットのあるサイトにこの舞台の感想があって、それは、「バイク屋の主人がカルデーニオの話を知っているのはおかしい。そこにドラマとしての説得力がない」といった意味の言葉だ。その解答は簡単。「妻の真知子から教えられた」である。店で働く坂崎にも、真知子は自分がかつて芝居をやっており、「ルシンダという愚かな女だった」と話している。だとしたら、自分が傷ついた理由や、自分の過去を、夫である忠雄に話していないわけがない。何年一緒に住んでると思ってんだ。真知子が忠雄に語る話のなかにその劇の内容が出てくるのは容易に想像できるし、あるいは、忠雄は妻のことをもっと深く知りたくて、『カルデーニオ』という失われた戯曲について調べたかもしれない。すると、その戯曲の下敷きが『ドン・キホーテ』だと知るし、そこにあるカルデーニオの挿話が取りあげられているくらいわからないわけがない。そんなことまで説明しなくちゃいけないのかばかやろう。「バイク屋の主人がカルデーニオを知っているのはおかしい」と書いてしまったその人は、その時点で、「わたしはばかです」と書いたのと同じである。残念でした。

■まあ、そんなことはどうでもいいです。
■私はこの舞台を作る過程で、また新しいことを学びました。稽古中、そして劇場入りしてからも苦労はいろいろありましたが、詳しい内容は割愛。まあ、たとえば、ダメ出ししているとダメ出しに飽きた俳優の一人がペンでかんかん音をたてるという子どものようなふるまいをするのが気になってぶん殴ってやろうかと思ったとか、いろいろありますが、書きません。演出家として学ぶことは多かった。耐えることを学びもした。そしてあらためて思うのは、「演劇は身体である」ということだ。戯曲の言葉を忠実に発するのが俳優の仕事だとしても、それ以上に、演劇はからだなのだと再確認できたことは、とても大きな意義がある。小田さんは、ほんとに、せりふの入りが遅かった。そりゃたしかに、稽古に支障をきたすが、僕はべつにどうでもよかった。「ここ、ちゃんとせりふを、こういった調子でお願いします」と何度もダメを出したものの、そうはいっても最終的には小田さんのからだが固有に持つ表現力が、戯曲を凌駕するのはわかりきっていたことなのだ。それを理解できない演劇観をもつ舞台の傾向はやはり、現在にあっては否定されるべきである。技術があることに越したことはないが、それは些細なことに属するだろう。様々な出自を持つ俳優と仕事をするのは、結果として、考える契機として大きなものになった。ほんと、勉強になったなあ。その機会を与えてくれた、スティーブン・グリーンブラッドさん、そして内野儀さんにはとても感謝している。あるいは、戯曲を英訳してくれたエグリントンみかさんにも大いに助けられた。
■感想のメールもたくさんいただきありがとうございました。ぜんぶ紹介したいけど、ひとつ、青土社のMさんからいただいたメールから引用します。ちょっと引用が長くなりますが、見事な解釈です。まず、『モーターサイクル・ドン・キホーテ』が「芝居についての芝居」であると示し、それに続いてMさんはこう書いている。

 すべての芝居は、芝居についての芝居だ、と言えるとは思いますが、そうした一般論とは別の意味で……。「本歌」が、想像を現実ととりちがえる男の代名詞である以上、そのことは必然ではあったのですが、そこに、女優をやめた女性と、女優になろうとする女性を配した段階で、もう、そのことから逃れる気はない、と宣言したようなものでした。
「人はなぜ女優になるのか」。この問いへの答えは、意外にもあっさりと提示されます。「なんとなく」。これが事実だ。よくいわれるように、自己実現がどうのこうのというのは、後から考えられた口実にすぎない。人は自己実現のために、バイク屋になったり、旅に出たり、演出家になったり、編集者になったりするのですから……。先の問いは、「人はなぜ人になるのか」といいかえるべきだろう、と、この芝居を観た人は確信するにちがいありません。
 むしろここでは、「人はなぜ女優をやめるのか」という問いが問われつづけます。登場人物たちは、その答えを執拗に知りたがり、当人とその夫は、その答えを、その答えだけを隠しつづける。芝居の中途で、登場人物の一人が、唐突に、語り手のような存在に変身して、その答えのようなものを語るのですが、それに納得する観客はいないでしょう。
 そして観客は最後に、おそろしい事実に気づくのです。「人はけっして、女優であることをやめることはできない」。さらにおそろしいことに、作者はこの事実を、ハッピーエンドだと主張しようとしているらしいのです。この芝居を観てしまった者はその日から、そのことを喜劇として生きてゆくほかはない。じじつあなたがたは、この芝居を思い切り楽しんだはずなのだから、という作者のささやき声が聞こえてくるようです。『モーターサイクル・ドン・キホーテ』はその意味で、真の喜劇のうちの一本であって、宮沢さんは、真の喜劇を、日本の、横浜の、鶴見を舞台として、赤レンガ倉庫(跡)という最も現代日本的な空間に降り立たせたのです。

 演劇関連のサイトでいろいろ批評するのをべつに否定はしないけれど、批評するなら、これくらいの手間をかけて文章を書くべきだ。批判的だったり、否定だとしても、批評するには手間をかけなければ「書いた」ことにはならない。だからMさんに大いに感謝した。ほんとはこれ、文章の一部で、もっと全体は長いわけです。ありがとうございました。

■で、今回はかなり、「ドラマを書く」ことを意識したわけですが、その背景には、『チェーホフの戦争』(青土社)という本を刊行したことが反映している。というか、チェーホフを細密に読んだことが経験として大きかった。で、来年の秋にある遊園地再生事業団の公演は、劇言語への新たな試みをしたいと考えます。それというのも、このあいだ見た、『皆に伝えよ! ソイレントグリーンは人肉だと』(ルネ・ポレシュ作・演出)に劇言語のレベルで刺激されたからだ。今年の後半はブレヒトを読み直ししっかり勉強しておこう。なぜブレヒトかっていうと、いろいろ考えがあってのことだけれど。まあ、勉強すべきことはほかにも数多い。
■打ち上げは、Bank Art Studio NYKで行われた。もう居酒屋の打ち上げはいやだよ。NYKはほんといい空間だ。まあ、赤レンガ倉庫の近くで、誰かお客さんと終演後に話しをしようと思ってもなかなかいい場所がないんだけど、NYKがあって、ほんとよかった。ただ、このあいだ青山真治さんが来たとき、お腹がすいていたとおぼしき青山さんに、つまみ程度の料理でがまんしてもらったのは申し訳なかった。しっかりした食べ物があるとさらにいいのだがなあ。あと、川勝正幸さんや、以前僕の舞台の演出助手をしていた大野、それからチェルフィッチュの山縣太一君が来たときも、NYKで話しをしたんだったな。川勝さんは日本で一番、デニス・ホッパーと親しい人である。だからこの舞台が、『イージーライダー』をイメージしている感じを楽しんでくれたのではないだろうか。山縣君がなにか話し出すと、ほぼ、チェルフィッチュである。川勝さんたちはチェルフィッチュのことは知っているが未見なので、話している山縣君をさして、「これがチェルフィッチュです」と紹介したのだ。打ち上げのとき、内野さんと野球の話をした。内野さんと演劇以外の話をするのははじめてじゃないだろうか。広島出身の内野さんがカープファンだと知って驚いた。面白かったのはカープが初優勝した年の話で、その年、内野さんの高校はもう、勉強どころではなかったという。で、みんな浪人。その翌年、東大入学者数が全国でも10位以内に入ったというから、いかに、優勝の年、みんな野球に夢中でばかものになってしまったかだ。
■それにしても、今回のスタッフは、美術と衣装を担当してくれた林さんとその手伝いをしてくれた西口さん、照明の斉藤さん、加藤さん、舞台監督の大垣さん、演出助手の大澤君、映像オペレーターの鈴木君、そして音響の半田君と、すごくいいメンバーだった。みんなすごく優秀なんだ。人柄もいいし、ほんとよかったなあ。もちろん制作の永井には大いに助けられた。その永井と、一夜明けたきょう(5月30日)、電話で長話をした。で、確認がとれたのは、今後も遊園地再生事業団は僕がやりたいことしかしないので、観客動員はけっしてのぞめないという結論である。しょうがないな、こればかりは。俳優をめあてに来るファンが芝居を支える構造は、演劇の歴史を考えても、ずっと存在してきたにちがいないが、僕の舞台はそもそもレギュラーで出ている俳優がいません。ほかにも、やってることが次々と変わってゆくとか、わけのわからない劇を書いたりと、観客を定着させない要素が多すぎる。まあ、しょうがない。それが私の生き方だ。

■舞台は終わったがすぐに原稿を書く仕事が待っていた。夕方、お腹がすいたので食事をしに近くのファミレスに行った。舞台を終えて、ぼんやり考えごとをしていたら、もう外はすっかり暗くなっている。新宿に近いファミレスには不思議な人たちがいっぱいいる。それを見ているのも面白い。でも、煙草を吸いながらぼんやり考えごとをしている僕もまた、人から見たらずいぶん奇妙な姿だったろう。舞台のことをしみじみ回想していたのだ。いままでとは、また異なることをもたらしてくれた舞台だった。

(8:18 May.31 2006)


May.28 sun. 「アフタートーク」


■日曜日。赤レンガ倉庫の中庭のような場所ではワールドカップ関連のイヴェントが開かれにぎやかだった。マチネの公演だけの日曜日だ。ただ、特別なのはこの日、ハーバード大学教授で、この「カルデーニオプロジェクト」の発案者であるところの、スティーブン・グリーンブラッド氏とアフタートークがあることだ。満員の客席。
■舞台のできとしては、いいところももちろんあったが、ただ、なんていうか、「ため」のようなものがなくてつるつる流れている印象がした。なにか速くなっている。慣れだろうか。わからないな、こういった細部における、俳優の意識の変化は。あるいは、誰かに引っ張られて全体が速くなることもあるのではないか。やけに早口のせりふになっていたり、間がね、あっさりしていたり。それを気にしつつ僕は見ていた。

■さて、アフタートーク。司会が内野儀さん、通訳がなんと、河合祥一郎さんという豪華メンバーだ。河合さんが英語を日本語にして話すのは、観客にとって、淡々とし明晰でとてもわかりやすかったのではないだろうか。内野さんは僕の話したことをさーっとメモしておき、それを会場にいる英語しかわからない人のために通訳してくれるが、メモするのがすごく大変そうだった。僕が話しているあいだ、内野さんはメモを必死にし、河合さんはグリーンブラッドさんに小声で通訳し、この東大の二人がものすごい勢いで仕事をしているので、話していても気が気ではない、っていうか、たいへんなことが起こっているような印象である。考えてみれば、ハーバード大学、東大と、すごい知識人が横にいる。そこに自分がいることがなにやら不思議な気分になった。
■最初に、グリーンブラッドさんからこのプロジェクトの説明があり、そして、グリーンブラッドさんと劇作家チャールズ・ミーとの共作になる戯曲「カルデーニオ」の話もあって、観客はその解説によって全体像がかなり具体的にわかったのではないだろうか。『モーターサイクル・ドン・キホーテ』はその一環の作品である。このあと世界各国で何作か上演される予定。それにしても、グリーンブラッドさんの人柄のよさは驚かされる。なにか話すと僕にほほえみかけてくるのだ。しかも、この日も舞台を観てくれたが、英訳した戯曲と照らし合わせながらずっと見ているという真摯な姿勢に頭がさがる。で、なにがそうさせるかわからないが、つい舞台に見入ってしまうときがあって、あわてて、戯曲をぱらぱらとめくり、いま演じられているのがどのページか探している姿も見た。なにがグリーブラッドさんをひきつけたかだなあ。言葉がわからないがつい見入らせてしまうものがなんだったかだ。
■とてもいい、アフタートークだったように思う。あとで白水社のW君からも、きょうのアフタートークはまとまっていて、とてもよかったと聞かされた。僕も楽しかった。もちろんまじめに、このプロジェクトに関わったこと、そしてプロジェクトという枠組みのなかでなにを考え、この劇を書いたかについて話したものの、笑わさずにはいられない。知識人三人を相手に、俺は、笑いでは負けないぞというわけのわからない情熱でいどんだわけではないが、単純に話を面白くしていると、それだけで、芝居をやっている疲れが僕はなくなるのだ。ストレスをいちばん取ってくれる。少し前の話になるが、テクニカルリハーサル、べつの言葉にするなら「場当たり」のあった21日のことだ。ものすごく疲れた。じつはその途中、トイレでめまいがして倒れそうになっていた。帰り、クルマで帰るのが危険ではないかと思い、電車で帰るべきかと思ったものの、スタッフの何人かを同乗させクルマで東京に向かう車中、ずっとばかな話をしていたら、すっかり疲れがとれたのだ。

■この日もたくさんの知人が来てくれたが、関西の友人たちがわざわざ来てくれた。うれしかった。お土産にと、まあ、ふつうだったら関西土産をくれるだろうが、なぜか中華街で買ったという中国製の煙草をくれた。なんだそれは。朝日新聞でこの舞台のことを大きく取りあげてくれたYさんにも会えた。アフタートークのあと会えなかったけれど、もっとこの舞台について話しをしたかった。
■アフタートーク終了後、懇親会のようなものがあった。劇場内にあるロビーで、簡単なお酒やソフトドリンクを飲みながら、観客も含めてみんなで話しをする。田中夢がグリーンブラッドさんとふつうに英語で会話している。うらやましいぞこのやろう。僕は観客として来ていた多摩美の学生たちの質問に応えたり、ほかにもいろいろな人の質問に応えていた。疲れるものの、楽しい時間だった。もちろんグリーンブラッドさんと、もっと話しをしたかったな。いろいろ質問したいこともあったのだ。コミュニケーションがうまくとれないって、ほんとにだめだな。
■あ、そうだ、忘れちゃいけないのは鈴木慶一さんが来てくれたことだ。それで少し話しをしたとき、このノートを読んでいた慶一さんが、「メンバーは五人までだよ」と言っていたのが面白かった。僕が、「バンドはいいよなあ」と書いたこと(25日付のノート参照のこと)についてだが、バンドはバンドで、もちろん大変なのだろうことは承知していた。やっぱり苦労は絶えないようだ。それでムーンライダーズは今年が三〇周年記念。すごいな。

■その後、白水社のW君や、『トーキョー/不在/ハムレット』の演出助手をした相馬らと中華街へ食事をしに行く。とてもいい一日だった。しみじみいい一日。帰りにクルマでレインボーブリッジも走ってしまったしな。

(5:25 May.28 2006)


May.27 sat. 「たくさんの人が劇場に来てくれた」


■時間があまりないので手短に。と、このところ「手短に」が多くなっているのだが、考えてみれば、たいていのブログってやつは、「手短」なことになっているのあって、このノートの長さがどうかと思うのである。長いときはほんとうに長い。これ、ほんとに読んでるのかといぶかしい気持ちになるが、けっこうみんな読んでいるのだった。
■金曜日(26日)、そしてきょう(27日)の昼と夜の回、いろいろな知人が来てくれてたいへん感謝している。なかでも、きょう来た青山真治監督は、ある場面に来たところで嗚咽したという。「宮沢さんの芝居で泣かされるとは思いませんでしたよ」と青山さん。じつは、僕はそのとき青山さんの右ななめ後ろの少し離れた位置で観ていたのだが、青山さんが目をこすっているのを見ていたのだ。おや、涙をぬぐっているのではと思っていたが、ほんとにそうだとは思わなかった。でも、僕も青山さんの小説を読んで泣かされたことがある。
■書ききれないほどの知人が劇場に足を運んでくれたが、うれしかったのは、女優の緒川たまきさんでしょう。終演後、ロビーにいたら声をかけてくれた。うれしかったなあ。もう10年近く前のこと、僕は芝居のパンフレットのために緒川さんと対談をさせていただいたが、そのとき僕は腰が悪くて車いすに乗って移動していたのだった。写真撮影で緒川さんに車いすを押してもらった。こんなありがたい話があるでしょうか。緒川さんは、以前、岩松了さんの演出で、『三人姉妹』のイリーナを演じたことがあったんだな。こんどの劇でも『三人姉妹』の一部、イリーナのせりふも引用しているので、これもなにかの縁である。

■舞台はかなり安定した。きょうの昼の回の最初のあたりはもう、完璧だなあと思っていたのだ。小田さんがせりふをちょっとだけまちがえ、そのあと、動揺したのか、がたがたっとなったのが残念だった。あれがなければかなりの舞台になったなあ。でも、言うほどひどいというわけではなく、全体的にはかなりよかった。もう、演出家の仕事はほとんどなくなりました。ただ、劇場に行って俳優たちに一声かけ、そして、終演後、いろいろなお客さんに挨拶をするくらいだ。早稲田の岡室さんから、ダブリン土産だというパイプをいただいた。ゴドーのパイプである。てなわけで、いろいろな人が来てくれそして話をしたことについては、またあらためて書こう。あ、きょうはテレビの収録が入ったのだな。放送日はまだ未定という話だが、わかったらまたここに書きます。たしか地上波である。多くの人に観てもらえるのではないだろうか。でも、僕の舞台は次のときにはまた、ぜんぜん、ちがうものになっている可能性があるので、これが遊園地再生事業団ってことではないのだが。時間がないのでまたあらためて。

(10:15 May.28 2006)


May.25 thurs. 「グリーンブラッド氏来日」


■午前中は東京新聞の書評の原稿を書いていた。それを書きあげてメールで送ったのが午後もまだ早い時間だったが、音楽を聴いていたところ、ふと思いついたのは、遊園地再生事業団における集団性のことだ。
■ごぞんじのように、遊園地再生事業団は、劇団ではない。そこに所属するのは僕と、制作をしてくれる永井だけだ。劇団制にして、劇団員をつのることもできたが、それをあたまから否定するというのではなく、劇団員の面倒をみなくちゃならないと思うとまずなによりそれが憂鬱だ。あるいは、俳優との関係が濃くなることや、積み重ねによって生み出せるものがあるのも知っているが、そうした集団を作ったとき生じてしまうもろもろの厄介なこともしょいたくなかった。というか、端的に考えると、僕を軸に家父長的になるのじゃないかと組織を作ることにたいしては、はなはだ臆病になるのである。で、音楽を聴いているうち、バンドはいいなあと思ったのだ。むしろ、バンドのようでありたいと思った。あれは、「メンバー」というやつが集まるわけでしょ。どこか、ゆるやかな共同体を感じさせる。考えてみれば、制作の永井は「うちのメンバー」ってやつである。この「メンバー」をもう少し増やしてもいい気がしてきた。メンバーになってみないかと思う者に声をかけたいと思ったのだ。
■そしてまた、横浜へ。昨晩の雨はさっとあがって空は明るい。環八から第三京浜を通って赤レンガまで向かう。途中、ガソリンが心配だったので環八沿いにあるセルフのガソリンスタンドで給油した。給油すると、なにやらやる気ががぜんましたのである。よくわからない気分だ。

■今回のプロジェクトの立案者である、スティーブン・グリーンブラッド氏が来日。とても穏やかな雰囲気の紳士である。開演前に軽く挨拶をしたが、きょう舞台を観るというので気が気ではない。変な緊張をする。もちろん、日本語のせりふがわかるわけではないが、先に英訳した戯曲を渡してあるので、だいたいの内容はわかってもらっているようだった。
■舞台は、かなり安定してきたが、大事なところでちょっとした失敗があり、観客には分からないとは思うものの、それができるかできないかではこんなにも舞台の空気が変わるかと残念な気持ちになった。で、終演後、グリーンブラッド氏と会うのが怖かったが、とても楽しそうだったので一安心だ。なんだかやけにほめてもらった。そんなに喜ばれると、逆に、それ、ほんとうなのかとつい疑ってしまうのは演劇人の悪いところか。
■もちろん、このプロジェクトはそのベースに、『ドン・キホーテ』の一挿話、「カルデーニオ」をシェークスピアが劇化したという記録がありそれを現代に置き換えることがある。だが、グリーンブラッドさんと、チャールズ・ミーさんが英語で書いた戯曲では、「ドン・キホーテ」をうまく活用できなかったというが、それが僕の戯曲ではうまく使われていると言われ、まあ、ドン・キホーテが乗る馬、サンチョパンサが乗るロシナンテをバイクに置き換え、そしてバイク屋を舞台にしたのがよかったのだと思う。とにかく、ドラマの舞台になるのが「横浜市鶴見区のとあるバイク屋」という最初の思いつきだけがなによりの啓示だったわけである。すると次々とアイデアがつながり、映画『イージーライダー』になったのだし、まあ、映画のなかでも「俺たちはドン・キホーテだ」というせりふがあって、まあ、男の二人旅ってのは世界中いたるところで、「ドン・キホーテ」になってしまうというのは、映画『モーターサイクル・ダイアリー』でも、ほぼ同じようなせりふがあったことからもわかる。あと、このプロジェクトをゆくゆくは(もちろん経済的なことがクリアになったらだが)ニューヨークでやろうとグリーンブラッド氏。三つの国の作品を連続的に上演するという企画だ。ニューヨークかあ。やりてえなあ。

■スティーブン・グリーンブラッド氏に会うのは正直なところ疲れる仕事だったが、舞台が安定してきたので気分は穏やかになっている。きょうは青土社のHさん、Yさんはじめ、矢内原美邦、僕の舞台にも出た、柴田、伊勢らも来てくれた。矢内原さんとはあまり話ができなかったのは残念だ。気がついたらいなかった。伊勢は歯の矯正をしていた。あいつめ、ことによったら、いい女を目ざしているのではあるまいか。なにをばかなことを考えているのだ。あと、やはり過去に一度、僕の舞台に出てよくメールもくれるO君から僕を撮影した写真をもらった。照れる。
■家に戻ったら、東京新聞から原稿が届いていないというメール。なんだって。それはなにかのまちがいだ。俺は確実に送ったのだ。

(9:02 May.26 2006)


May.24 wed. 「豪雨と雷鳴、そして友部さん」


■舞台がはじまってすぐ、なにか天井あたりから激しい音がしているのが気になったのだった。
■はじめエアコンの音がするのかと思ったらどうやらちがう。雨である。しかも、激しい雨が降っている。すぐ客席を抜け出し、裏に回って、俳優にいつもより声を張って芝居をするように指示を出した。ただ、すでに、舞台に出てしまった、小田さんと高橋さんにはそれが伝わっていなかったが、舞台に立っていればそれがわかったのか、二人ともいつもより声を大きくしていた。これが、田中だったら、そういうことに頭が回らなかっただろう。二人とも経験が豊富なので、臨機応変に芝居してくれた。このホールは天井がなく、鉄板貼りの屋根に直接、囲われたような構造になっているのだな。激しい雨が劇場全体に響く。おまけに、雷鳴もする。むしろ、その雷鳴が演出かのように響くときがあった。それで、芝居を観る環境としてはひどいことになっていたが、逆にそれが、妙な熱気を舞台に生み出していた気がしないでもないのだ。
■でも、それよりうれしかったのは、友部正人さんが奥さんのユミさんと一緒に観に来てくれたことだ。二月にあった、「LIVE nomedia」にお会いして以来だ。このノートで、少し前に僕がニューヨークに住もうかと思うと書いたのを読み、そのとき、問題はただひとつ友部さんに「一緒に走ろう」と言われたらどうするかと書いたので、きょうも、冗談で、走る格好で来ようかと思ったという。ほんとにうれしかったな。舞台を観てもらったことと、エッセイとはまたちがう僕の書くものを観てもらえたことがうれしかった。で、あとになって考えてみたら、25日が友部さんの誕生日だ。僕より六歳年長だが、かっこいい大人だなあ。あ、あと、松倉のCDを聴いてくれて、よかったと言ってもらえたのもうれしかった。

■で、きょうは全体をシャープにさせようと思って場面の転換や映像の入るタイミングを修正した。だいぶ絞ることができた。初日からこれができてなきゃいけなかったんだ。そうできることに、初日の舞台を観るまで気がつかなかった自分が腹立たしい。ただなあ、大雨がなあ、あまりいい環境で舞台ができなかったのは残念だ。舞台はもろい。こうしたことだけで芝居が変わってしまう。声をかなり張ったので稽古で作っていた芝居のニュアンスとはちがうものになっていただろう。むつかしいな。しかも、俳優という、人のすることだ。これを、また元のヴォリュームもどしてくださいといった、そんな、オーディオ機器みたいなにうまくいくかどうかわからない。でも、また考えなくては。雨のやつめ。だけど、きょうは友部さんに会えたことですごくうれしい一日になった。
■ほかにも、ニブロールの映像を担当する高橋君はじめ、たくさんの人が来てくれた。感謝。

(10:25 May.25 2006)


May.23 tue. 「初日である」


■無事に初日があけました。たくさんの方が観に来てくださりありがとうございます。みんなが口々に、「遠い」と言った。たしかに横浜は遠いし、地下鉄の駅を降りてから赤レンガ倉庫まで少し歩く。だけど、たどりついたら、とてもいい場所である。終演後の、ライトアップされた赤レンガ倉庫がまたすごくいい。それに、ここのホールだから無理なくできる演出もあったし、美術装置として赤レンガの内装が使えたのがよかったと思うのだ。
■それはさておき、初日だが、まずなにより自分の演出について、なぜ、初日を観るまでここをこうすればもっとよくなると気づかなかったか、それを後悔する。通しをなんども観ているし、ゲネもやった。だけど、まだ気づかなかったことに、初日の舞台ではじめてわかる。だめだった。
■ただ、小田さんがしっかりせりふが出ていただけで私は安心した。もう大丈夫だ。ぜったい大丈夫。ま、一カ所か、二カ所、不安がなかったわけではないが、稽古中は、せりふをミスするとひどく後悔してあとあとまでひきずっていたがそれはなかったようだ。なにしろ、ダメ出しが「後悔しないでください」だったのだ。ま、ミスしたとき、変な空気っていうか、いやな空気が流れたものの。観客にはせりふのミスはわからないにちがいないが、そのいやな空気はどうしたって舞台に漂う。いくつかのミスはあったものの、それより自分の演出のことだ。初日で気づいてそれ以後、直せばいいってもんじゃないだろう。初日のお客さんに失礼だ。とはいうものの、やっぱり直したくなる、っていうか、直す。

■あと、口語じゃない劇中劇の演出だな。できないんだよ、俺にはシェークスピア劇のような芝居の演出が。そもそもわからないし。まあ、稽古中から、なにをすればいいか途方にくれていた。これからの課題だと、書いてはみたものの、今後、そのようなものをやるかどうかは疑問である。プロフェッショナルな「演出家」ってものに、私はならないと思うのだ。
■この11月にやる、『鵺/NUE』の制作のOさんが来てくださったのだが、Oさんは、高橋さんのことをよく知っている。そのOさんに、高橋さんがこれまでとまったくちがう芝居をしているのがよかったと言われてとてもうれしかった。高橋さんが、僕の舞台のテイストに合わせてくれたというのがきっとあるのだろうが、それでも、そこでべつの表現が生まれたとすればそんなにうれしいことはない。
■ほかにも、発見や反省点はいろいろあるが、また公演が終わってからゆっっくり書こう。なにしろ、まだ、初日があけたばかりだ。いろいろな友だちが横浜まで来てくれた。ありがたい。

(13:15 May.24 2006)


May.22 mon. 「テクニカルリハーサル」

バイクの二人

■疲れているので手短に。そしてあしたはいよいよ、初日だ。写真は早稲田で演劇を教え、そして舞台写真も撮られている坂内さんにご提供いただきました。ちょうど見学に来ていらっしゃったので撮影してくれたのです。走ってるな、バイク。
■芝居でなにが疲れるって、いわゆる「場当たり」、または、「テクニカルリハーサル」であり、照明、音響など、様々なテクニカルなところを確認する作業の日だった。私は言っておくが「場当たり」が大の苦手である。ただ、きょうは、第5場から、第6場にいたる転換の方法を思いつき、それで気持ちよく転換してゆくことができて一安心だった。ここ、肝心だったわけです。なんどか繰り返す。スタッフの作業も大変だ。場当たりを終えてスタッフとなにが問題になっているか最終的な打ち合わせ。まあ、なんとかうまくゆくだろう。妥協はしたくないが。
■あしたも早い。早く起きて、原稿をひとつ書いてから横浜に向かう。この劇の稽古のあいだ、なにがあったか、ほんとは詳細に書きたいが、まあ、気を遣っているのだ。気を遣うことにもかなり疲弊する。だからってなあ、稽古が終わってから愚痴を書くのもばかばかしいしな。疲弊はしたが、できることはきちっとやったつもりだ。まだ、できることがあるはずだ。いままでの舞台だと、結果はともあれ、あるいは人からどう思われようとまったく構わないほど、実験的なこと、かっこいいことしか考えていなかったが、今回は、ここまでやったんだから、もう人からどう思われようといいと覚悟ができているつもりでも、まだやれそうで、できないもどかしさがある。いつもは俺はこれだけやったといいう満足感があるのだが。もっと、稽古を深めたいと思っているうちに初日だ。でも、俳優たちのおかげできちんとした作品になっている。もちろん、優秀なスタッフのおかげでもある。

■帰り、スタッフと少し打ち合わせし、何人かをクルマに乗せて東京に戻る。首都高はすいていた。気持ちがいいくらいにあっというまに新宿だ。で、みんなでばか話をしているうちに、疲れがほぐれてゆくような気がした。
■さあ、初日。早かったな。今回の稽古は。初日がもっともいい舞台にするため、集中しよう。いい意味での緊張感をもとう。最後までねばる。

(1:09 May.23 2006)


May.21 sun. 「劇場へ」


■いよいよ仕込みがはじまった。僕は装置などのチェックをするために横浜の赤レンガ倉庫に行った。俳優はこの日は久しぶりの稽古休み。仕込みはもちろん朝からはじまっているが、装置が組み上がるのが夕方になるというので、劇場に入ったのは、午後五時ぐらい。そうした余裕のせいか、きょうはやけに眠った。照明のシューティングをやっているところだったので、劇場は暗かった。客席で待っていると、やがて照明が明るくなり美術装置の姿がわかった。思いのほか演技空間の間口が広い。演技そのものが変化するのがいちばん怖かったのと、空間として、散漫になっていないかが気になる。プランをたててくれた林さんとも相談。それから、照明の斉藤さんとも話したが、全体が散漫な感じになるのではないかと、動かせる装置は、できるだけ中央によせることにしたいと思ったが、すると、こんどは妙な空間がはじにできてしまうから、そう簡単な話ではない。もう一台、バイクがあればなあ。誰か、持ってないのか、いま使っていないバイクは。一台とはいわず、二台でも三台でも。
■ただ、すべてが埋まっていなければ舞台空間がだめとは限らない。すかーんとした空間、というか、余白があるからこそ美しい空間もあるはずだ。そして、舞台美術は空間だけではない。ディテールも大きな意味がある。林さんがいろいろに調べてくれたバイク屋のもつ独特な「感じ」がそれはもちろんリアリティというのではないが、象徴的に表現されており、しかも、とてもセンスよくレイアウトされているのは林さんならではのものだ。早く俳優が立つ姿を見てみたかった。ところが、この日、俳優が休みというのがどうも奇妙な感覚で、劇場入りすると、やがて俳優たちがやってくるというのがふつうの舞台の進行だが、それがないだけで、おかしな気分である。
■映像を映す投射用のスクリーンがどうしても納得のいかないものだった。僕はぱきっとしていないといやなのだ。シャープじゃないと許せないのだ。それがねえ、スクリーンがゆらゆらしているし、どこかゆるい。直してもらうことにした。もっとスクリーンの幅のあるものを発注すればそれだけですむ話だったが、いまさら言ってもはじまらない。僕のイメージとはあわないが、ぎりぎりのところで修正して妥協するしかなかったのが、残念だ。すべてが納得して終わればそれで気分はいいが、どこか、あそこ妥協したところだなという悔いは、あとに引く。稽古の段階でそれがチェックできる体制であればなんの問題もなかったが、今回、それがなかった。『トーキョー・ボディ』や『トーキョー/不在/ハムレット』のときは、スクリーンは劇場で使うものとほぼ同じでずっと稽古していたので、この違和感がなあ。どうにもぬぐえぬまま、妥協することにした。

■途中、ニブロールの矢内原美邦と、やはりニブロールで映像を作っている高橋君がちょこっとだけ顔を出してくれた。少し談笑。矢内原さんは忙しくてひどく疲れていたときよりずっと顔色がよく調子のよさそうな感じだった。高橋君とはちょっとだけバイク談義。
■そういえば、このあいだ(19日)、内野儀さんと、内野さんとは同じ東大の表象文化に在籍する、河合祥一郎さんが通しを見学に来てくれた。終わったあと、内野さんが河合さんに、「専門家として、なにか、まちがっているところなどの指摘はないの?」という意味の質問をしていた。河合さんは、いやいやと、なにも言ってくれなかったんだけど、じつは僕は、河合さんが通しを観るというのでものすごくプレッシャーだったのだ。だってねえ、河合さんですよ。いまや気鋭のシェークスピア学者じゃないか。ただ、「シェークスピアの専門家」がなにか「専門」をずれてとらえ、たまたま河合さんがバイクについてマニアだったら面白いと思ったのだ。「専門家として、なにか、まちがっているところなどの指摘はないの?」と質問された河合さんが、とくとくと、バイクに関するうんちくを語りだし、「あの、バイクはないな」と話だしたら面白かったのになあ。そんなことはもちろんありませんでしたし、おそらく河合さんはバイクにはあまり興味がないと思う。
■この数日、だんだん、稽古の時間を短縮して、ゆるやかに初日を迎えようとしている。ただ、確認しておかなくてはならないことはあるし、もっとやれば、さらによくなると思われる場面はある。そこらあたりを、19日(金)、20日(土)の稽古では部分を返し、そして「通し」はきちっとした。19日の昼間は、とくにラストに重点をおいてなんども返す。日々、稽古が終わって帰りのクルマのなかとかで、あれは、ああすれば、もっとよくなるといったことを考えているのだ。試したくなる。それはほんのささいなことだが、それだけで、きっと劇は変わるのだろうな。大きな、「演劇観」とか「表現方法」とはちがい、こうして現場に入ってから考える劇のこと。些細だがとても大切な部分だ。20日ははじめて衣装をつけて稽古した。衣装を付けて芝居をするのははじめてなのでみんなあたふたしている。そのあたふたなどが芝居を落ち着かせず、通しをやったら、前日より4分も早い上演時間になってしまった。「ため」がないという感じの芝居。つるつる流れてゆく。こういうときは細かいダメ出しもあまり意味がない。

■稽古や、通しをなんども観る。飽きるほど観る。そしてふと気がつくことがある。そうだ、ここはこうすればいいのだという発見。発見したときのよろこびはない。演出することのよろこび。こういう表現の仕方もあったという発見のよろこび。それがなければ、俳優も、そして僕も、稽古することの意味はない。もちろん同じことをなんども反復することで生まれる深さもある。思いつきで変えればいいってもんじゃない。表現の、より深いものを、生み出すための反復である。
■劇場の外に出るともう、外は夜だ。ライトアップされた赤レンガ倉庫がきれいだ。この外観や、周囲の景観を見に来るだけでも横浜に来る価値はあると思う。ほんといいですよ。来てしまえば舞台だけの魅力だけではないよさがここにはあるのだ。もっと大勢の人に来てもらいたい。平日はまだ席に余裕があります。東京からだと平日の夜七時は仕事をしていると大変だと思いますが、万障お繰り合わせのうえ、ぜひとも、足を運んでいただきたいのです。
■まだまだ、戯曲は手を入れればもっとよくなったかもしれないが、いい俳優たちにめぐまれ、深みのある劇になりました。一生懸命作りました。まあ、どんな劇だって、一生懸命作っているにきまっているが、観ないと損だとと思う。このプロジェクトがそもそも面白いではないか。「文化の流動性」である。アメリカ人が企画したプロジェクトに僕が参加しているのだ。そこになにが発生するかぜひとも目撃してほしい。

■家に戻って、ああ、はじまるんだなあと、一人感慨にふける。今回の稽古は短かった。しかし、去年の秋から、『チェーホフを読む』『「資本論」も読む』『レンダリングタワー』のゲラチェック、そして、平行して、11月の舞台『鵺/NUE』の戯曲執筆、リーディング公演、そして、『演劇は道具だ』の死にそうになりながらの執筆。さらに、『モーターサイクル・ドン・キホーテ』の戯曲執筆とずっと書いていたので、これでようやく、少し落ち着く。稽古も終わる。あとは本番。落ち着く。でも大学の授業はもちろんあるけれど。書いたなあ。こんなに書きつづけてとぎれなかったのも久しぶりだ(連載やイレギュラーの原稿もあったしな)。終わってのんびりしたいが、ってたいていこういうとき人は温泉にゆくものだが、私は小説を書くよ。「新潮」と「群像」、そして「小説トリッパー」のために書かせていただく。とはいえ、先のことより舞台。ぜったいにいい舞台にしてみせる。

(5:22 May.22 2006)


May.18 thurs. 「横浜で稽古」


■本日(18日)の稽古は、横浜の、Bank Art Studio NYKの一階にある大きな倉庫を使った。バイクを走らせる稽古である。バイクが走ると爽快である。エンジン音がたまらなくいい。ただ、元倉庫を利用した大きな空間は壁、天井、床がすべてコンクリートで、声がわんわん響く。細かいニュアンスがよくわからないものの、でも、稽古できないわけではない。
■今回、劇場でお手伝いをしてくれる人たちが稽古場を見学に来てくれて、去年の僕の授業によく顔をだしていた早稲田のナカガワの顔もあった。それから、『トーキョー/不在/ハムレット』に出ていた、笠木と南波さんも。笠木と南波さんがいるとなごむ。ただ、二人を、たとえば、高橋さんたち俳優さんたちに紹介しなくちゃいけない、なんで、ここに知らない人がいるか不安になると思うので紹介しようと思うが、そのきっかけがつかめず、しかも紹介されてもたとえば高橋さんにしたら、ああ、そうですかってことにならないかと、それもまた気をつかう。
■さて、稽古は、この倉庫だからこそ、舞台の実寸がとれるので、動きを中心に考えてみる。いくつかの場面で実寸の舞台における動きのおかしなところがあきらかになる。特に、奥行きがまったく巣鴨の稽古場では取れない。そうした場面を直し、あるいは、それをどう解決するか考えながらの進行。予想はしていたが舞台の奥行きはある。それと本番と同じバイクが使えるので、それを走らせ、慣れてもらうための稽古。
■あるいは、バイク屋の娘が店を掃除しているとき知り合いがもってきたスクーターが掃除の邪魔だから動かせてくれと頼むが、スクーターを持ってきた男がソファで眠ってしまったので、自分で片づける。そのやりかたについて、下総君が、「やっぱり、バイク屋の娘なんだから、移動の仕方もバイク屋の娘らしくうまくなくちゃいけない」と言って、娘役の田中に丹念に教えている。下総君は、転位21や燐光群にいた人だが、そうした劇団の人からは想像もできないほど、いろいろな芝居上の所作を鮮やかにやってのけるのでときとして驚かされる。どうなってるんだこの人は。せりふを言いつつ、ジャケットをさっと羽織る姿なんて、お見事という、すごく粋な着方なわけですよ。実際にやる岩崎にそれを伝授。岩崎が不器用で、うまくいかず、それはそれで面白かった。いろいろなタイプの俳優がいるのである。

■もちろん、きのう(17日水曜日)も稽古だったわけだが、夕方から衣装を決める時間を設け、今回、舞台美術ばかりか、衣装プランナーもしてくれる林巻子さんが進行してくれたので、夕方以降、僕はほとんどなにもすることがない。しかも、下にTシャツや稽古着を身につけ、その上に衣装を着るからべつになにも問題はないはずなのに、高橋さん、田中ら、女性が衣装を決めているときは、なにか、その場にいてはいけないような気になるから不思議だ。鈴木将一郎がヒップホップな格好をしていたが、似合うね、まあ、もともとそういう人間ということだろうか。だらしなく、ジーンズを下げ、ゆるゆるにはくところなど、スチャダラパーのアニ君を思いだした。おなじようにゆるゆるでも、弟のシンコ君はまだしっかりしている感じがするが、アニのあの、ゆるゆる感はいったいなんだ。あと、岩崎の衣装だ。あきらかに日常性がないのに似合っていた。驚いた。
■そのあいだに僕は、エグリントンみかさんから、戯曲を英訳するにあたっての質問を受けていた。指摘されていろいろ気がつく。英語にできない言葉があるし、そもそも日本語としてまちがっているところがある。だめじゃないか。ところで、エグリントンさんの旦那さんはイギリスの方なのだが、旦那さんは、よくジョン・クリーズの『フォルティ・タワーズ』を観て笑うそうだ。エグリントンさんにしたら、あんなドリフ以下のどばたばのなにが面白いのか奇妙に思うというが、やっぱり、ジョン・クリーズのもってる毒の強さがいいのじゃないだろうか。それで少しのあいだ、モンティ・パイソンの話になり、エグリントンさんが言う、イギリスで数多く出ている「モンティ・パイソン研究本」は、カルチャルスタディーズとどこかでつながっているのではないかという意味の話がとても興味深かった。

■いよいよ初日まで時間はわずかになってきた。追い込みだ。だからといって焦ってもしょうがない。むしろ、少しずつ稽古時間を短くし、俳優に休んでもらおうと思っている。その上で稽古を反復しより表現を深めたい。もちろんその表現は、今回、書いた戯曲の世界のものであり、もっと異なる劇言語、身体表現、劇そのものによって変化するにちがいないが、いまあるのは、この戯曲の言葉の世界だ。そして、『カルデーニオ』というプロジェクトの枠組みもある。その条件のなかで、最大限のものを生み出そうと思うのだ。単純に書くと大人の劇になったかなと、これは僕の、楽観的な観測。でも、私らしさも、はしばしにあります。
■書こうと思って忘れていたのは、よくメールをくれる、HMV渋谷店のマネージャーをしていたK君が、おなじHMVの奈良店の店長になったとやはりメールで教えてくれた。奈良に行ってしまったのだなあ。いつも僕の舞台を観に来てくれていたが、奈良は遠い。このあいだ、やはり、Bank Art Studio NYKで開かれた友部正人さんが主催した「ポエトリー・リーディング」(僕も参加しました。リーディングしました)ではじめて会ったが、なんだか、遠くに行ってしまってさみしい限り。かと思えば、やはりこのノートによく登場する寝屋川のYさんは東京に出てきたというのに、ぜんぜん会う時間がない。時間があったら稽古場を見学したらとメールすればよかった。でも、もうすぐに初日だな。
■きょう(18日)の睡眠時間は六時間。僕としてはたいへんによく寝た。原稿、ぜんぜん書けてない。稽古で死にものぐるいだ。まだ、よくなるかと考える。最後までねばって考えようと思う。小田さんのせりふはまだ不安定とはいうものの、きっと大丈夫だろう。出演してくれる、全員が、魅力的に見えればいい。そのことで舞台全体がきっといいものになるはずだ。

(6:50 May.19 2006)


May.16 tue. 「きょうはできが悪かった」


■通しでは、小田さんがぼろぼろだった。抜きで稽古して安定感も出てきたかと思っていると、ときとして、なにかのきっかけで失敗する。失敗しても、どこかで落ち着きを取り戻してくれればいいが、それを引きずってしまうようだ。うーん、むつかしい。周囲も巻きこまれる。もっと安定感をまし表現を深めたいのだが。ところで、『モーターサイクル・ドン・キホーテ』には、劇中劇があり、シェークスピア劇のような、僕にしたらこんなのいままで、書いたことがないという言葉のならぶ場面がある。書いたことのないものは、演出の方法もよくわからない。正直、いま稽古していてそこがいちばん難しいものの、演じている高橋さん、岩崎らと相談し、さらに意見も聞き、少しずつだが演出の方法というか、それを稽古でどう見るかについて学んでいるように思える。これはためになるわけですね。自分の引き出しがまたひとつ増えたような。ことによったら、シェークスピアを俺も演出できるんじゃないかといった気にすらさせられる。まあ、できないと思うが。自分のできないことにいどむのは大事だな。得意技ばかりでやっていても腕がにぶるばかりだ。
■そして、いまいちばんやってみたいのは、まったく存在しないような劇へのアプローチだ。新しい方法の発見だ。新しいテキストだ。つまり、これまでとは異なるテキストは、見たこともないような方法でしか表現することができないにきまっているという予感。「言葉」と「からだ」は往還している。ぐるぐるめぐっている。この言葉だからこそ、それにみあった身体表現があり、その「からだ」があるからこそ出現する「劇言語」があるにちがない。そのことへのアプローチ。来年の課題だ。だけど、いろいろな、様々な出自の俳優と仕事をするのはとてもためになる。そこに齟齬が生まれ、そして、なにかを考えるからだ。
■稽古が終わってから、スタッフのミーティングだった。疲れたけれど大事な仕事である。はっきりしておくべきことを、照明の斉藤さんや、音響の半田君、舞台監督の大垣さん、映像オペレーターの鈴木君、そして林巻子さんたちと話し合い。いい舞台を作るための詰めである。照明のことは、テクニカルに僕がまったく理解していないので、いつも斉藤さんにおまかせになるのだった。ただ、今回は林さんがアドヴァイスしてくれるので助かる。林さんと仕事ができたのは、今回、すごく大きな力になっている。

■それにしたって原稿が書けねえ。追いつめられてきた。
■夕方、朝日のYさんから電話取材を受けた。疲れて回らない頭で懸命に話す。今回のテーマは「誤解と和解」である。劇もそうだけど、このプロジェクト(『モーターサイクル・ドン・キホーテ』のページを参照してください)そのものが、スティーブン・グリーンブラットさんのいう、「文化の流動性」で、それを僕は、「文化のあいだに生まれる誤解」と解釈したのだ。たとえば、この劇でモチーフのひとつになっている映画『イージーライダー』だって、その受容にこの国に住む者は誤解をしていないだろうか。かっこいいとひとことで言ってしまうような誤解。あそこにはベトナム戦争を背景にした六〇年代末のアメリカの疲弊した姿、自由な国アメリカの閉鎖性があり、それはわからないわけではないが、どうしたって、ステッペンウルフの音楽を聴き、バイクが走れば、そっちばかりに目がいってしまうといった誤解。アメリカ文化を受容するこの国の人間の様々な誤解がきっとある。あるいはシェークスピアの受容だってなにかずれがあるはずだ。そうしたことを取材で話した。そして、そんな私のような人間がこの国でこのプロジェクトに参加したとき、スティーブン・グリーンブラットさんにはその劇がどんなふうに見えるのだろう。その反応がまた、僕には楽しみだ。
■でも、これはそうした学術的なプロジェクトとしてだけではなく、舞台として、ドラマとして楽しんでもらえればいいと思う。もっといろいろ理解してもらうと、楽しめることがさらにあるかもしれないが、でも、ただ観ることで劇を堪能してもらいたい。ぜひとも、劇場に足を運んでください。

■あ、それと、またあらためて告知しようと思うが、明石書店から発売されたばかりの、『ネオリベ化する公共圏』という本の刊行記念トーク・イベントが、6月9日[金]18時半〜20時、三省堂神田本店で開かれます。僕と、スガ秀美さん、花咲政之輔さんによるトークセッションです。こちらもぜひいらしてください。いまこそ話を聞いてほしいのです。いろいろ本を出す話もいただいている。ただ、いまは舞台だ。舞台に精力をかたむけたいのだ。

(4:29 May.2 2006)



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