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Published: Feb. 4, 2005
Updated: Mar. 16 2005
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Mar.3 thurs.  「告知」

■「技術」について書いたところ、何通かメールをもらい、たいへん興味深かった。また今度紹介したい。それから、架空のバンド名についてもすでに応募があった。以前、僕の舞台にも出たこともあり、「テルミン大学」というサイトを開いている佐藤からのメールだ。
「ファクシミリ」
 なかなかよろしい。このバンドの最新CDのタイトル、そしてジャケットをデザインしてみたらどうか。するとメンバーはどんな構成かとか、どんな音楽かとか、いろいろ作ることができて面白いのではないか。
■さて、告知である。「かながわ戯曲賞&リーディング公演」の舞台が3月13日(日)にある。上のバナーはウェブデザイナーであり、今回、やはり演出助手と「ト書き」の読みをする相馬が作ってくれたものを無断で借用した。さすがプロの仕事はきれいだ。以下、告知です。


○第4回かながわ戯曲賞最優秀賞作品 ドラマリーディング公演

 『最高の前戯』 作/岩崎裕司

 ●演出 宮沢章夫(劇作家・演出家・作家/遊園地再生事業団主宰)
 ●出演
  吹越 満 宮川 賢 片桐はいり 上村聡 田中夢 南波典子

 ◇ドラマリーディングとは・・・戯曲を「演劇」として完成される一歩前の状態で
  読み合わせし,その戯曲の様々な可能性を探る機会です。今回の公演では、最優秀作
  品に選ばれた岩崎裕司さん作『最高の前戯』を審査委員長の宮沢章夫氏の演出により
  上演します。
  受賞作品を人の発する「生きた言葉」として味わうことができる公演です。
  あなたも劇場で「戯曲」が「演劇」として生まれる瞬間を一緒に味わってみませんか?

 ◇日時 2005年3月13日(日)14:00開演(13:30開場)
 ◇会場 神奈川県民ホール 小ホール(みなとみらい線日本大通り駅3番出口徒歩6分)
      〒231-0023 横浜市中区山下町3‐1  TEL:045-662-5901
       http://www.kanagawa-arts.org/engeki/gikyoku.html

 ◇主催 財団法人神奈川芸術文化財団  ●共催 横浜市 ●後援 神奈川新聞社
 ◇チケット取り扱い
 神奈川県民ホール チケットセンター TEL:045‐662‐8866
 e+(イープラス)http://eee.eplus.co.jp
 ◇ 料金 1,000円(税込)・全席自由

 ◇ 作品概要◇
  かっては「日本で一番沈む町」として世間から注目されていたこの町も、今やすっ
  かり忘れられてしまっていた。ある日、その町の喫茶店に昔の同居人、大谷くんが
  訪ねてくる。ホモセクシャルの大谷くんは男のもとから逃げてきたのだ。もはや特筆
  すべきもののないこの町に、観光だと言ってなかなか帰らない兄妹。大谷くんの男
  に、恋心を燃やす女性事務員。大谷くんを連れ戻しにくる男。しかしやっぱり大谷く
  んは帰らないし、この町が相変わらず沈んでいることに誰も関心を持とうとはしない
  のだった…。
 ◆ 岩崎裕司(いわさきゆうじ/劇作家・演出家・俳優)
  1976年、東京都生まれ。1997年青年団(主宰・平田オリザ)に入団以降、
  俳優・演出部を兼任する。
  2001年、自身の演劇ユニット、bokuッmakuhari旗揚げ後、
  全作品の作・演出を担当する。
  本物の喫茶店や路上を激空間に利用するなど、
  「観客を演劇で梱包する試み」として作品を発表している。
  2002年、『ぼくは普通』にて第2回かながわ戯曲賞最終候補作に選出。
  2003年、『僕の言葉に訳せない』にて「第9回日本劇作家協会新人戯曲優秀賞」を受賞。

 といったわけで書きたいことは山ほどあるが、私は原稿を書く。きょうはここまで。

(15:02 mar.3 2005)


Mar.6 sun.  「稽古のことなど」

■数日、原稿、稽古でせわしない時間を過ごしているが、では、ばりばり原稿を書いているかというとそんなことはなく、むしろ、書かねばならぬという、しかも、いい原稿を書きたいという重圧で気分がふさぐような毎日だった。一日三行ぐらいしか進まない。そんな状況のなか、『かながわ戯曲賞&リーディング公演』のために岩崎君というまだ若い劇作家が書いた、受賞作の『最高の前戯』を演出。戯曲を読んでいるときももちろん感じていたが、稽古で(代役をたてながら)読み合わせをしたところ、三人以上という場面がやけに少ないことが単調にさせている気もしたものの、「対話」だけで進めてゆくとき、どこまで「対話」をひっぱれるか、どこまで我慢して書けるか試されもする。せりふは面白い。やりとりは巧みだ。僕はわりと「対話」だけだと飽きてしまうたちなので、三人以上にして、三人以上の「関係」によってドラマが動く書き方をしてしまう。『最高の前戯』の上演(すでにこの戯曲は上演ずみである)を観た者の話によると、上演されたのはごくふつうの喫茶店だったそうだ。まさに戯曲に指定された通りに、入り口があり、トイレがあり、厨房があり、勝手口があったそうだ。そしてひどく狭い。つまり、三人以上では芝居がほとんどできないような空間を使っていた。それでなるほどと思ったのは、「対話」にもう一人割り込んできて三人の劇が続くかなと思うと、すぐに一人は去る。空間が与えた条件だったのだな。
■僕はご存じのように、構造的な戯曲を書くたちだから、上演空間が狭かったらそれを利用して、狭くて芝居できないことを面白いと考え、狭い空間に10人くらい詰め込むのではないだろうか。「人」より「空間」が、「人物」より「関係」が、「ドラマツルギー」を作る。岩崎君の戯曲はそうではない。ベケットか、チェーホフか。別役実か、岩松了か。といったことになるが、いま「ドラマ」はこのあたりをぐるぐる回っているように感じる。一般的には「近代劇(=チェーホフに代表されるような)」と「不条理劇(=ベケットに代表されるような)」と言葉にされるが、いまとなっては「不条理劇」もまた「古典」なのだから(ベケットの『ゴドーを待ちながら』からはや五十年)、差異はどんどん薄まり、浸食しあい、境界は曖昧になり、それはつまり、「二十世紀のドラマ」というか、まあ、それらすべてが「近代劇」なのではないかと感じるほどに、「近代」は分厚い。そんなことを考えながら演出している。そして『最高の前戯』の人物に感じるのは、グロテスクにデフォルメされている姿だが、しかし魅力的なのは、「グロテスクさ」も、「デフォルメ加減」も、そうでありながら端正に造形されていることではないか。というか、俺がそう読んでいるのかな。もっとどろどろに演出する方法もきっとある。私は、どろどろにしないのではない。できないんだよ、どろどろに。空間の造形や、動線の美しさばかりが気になる。「リーディング公演」という条件もそれを強める。
■だから、いま「ドラマ」は、「ドラマツルギー」というより、「なにを」のほうに重心が置かれがちだし、「劇の本質(=まあ、それがドラマツルギーですが)」というより、「劇の表層的な描き方」が注目されるのだろう。正直なところ、今回の『かながわ戯曲賞&リーディング公演』では、そういった意味でこの状況を突き抜けるような戯曲を読むことはできなかった。まだなにかあると思える。なにかないと困る。刺激される「劇」に出会いたいのだが、それはおそらく、「劇」によく似てはいても、「またべつの異なるなにか」になるのかもしれない。ま、とりあえずあれかなあ、「不条理劇」も含めた「近代劇的磁場」、「チェーホフ的環境」からどう逃れるかになるかもしれない。「チェーホフ的(=岩松了的)人物による不条理劇」がしばしば書かれがちな現在である(私自身も含めてね)。だったら僕は、一度きっちり、「近代劇」を書いてみたいと思った。それもやっぱり、「書かない」んじゃなくて、単に、「書けない」んだけど。

■「架空のバンド名」とか、このあいだ書いた「技術問題」など、メールをいろいろもらったのに、そのことを書く余裕がいまないのだ。メールを送っていただいた方たちには申し訳ない次第です。少し余裕ができたらそういったことも書きます。ほんとうに余裕はできるのだろうか。やることはまだいろいろある。

(12:01 mar.7 2005)


Mar.7 mon.  「小説のこと」

■稽古は休みだった。原稿を書くことに専念しようと机に向かう(という紋切り型の表現がなにかふさわしくない時代になってしまったものの)。五行ほど書いたとこ            ろでまた煮詰まる。文章がうまく出てこない。それで、文芸誌(「文學界」「新潮」「群像」)が届いたので少し読む。え、と驚くばかりに興味をひかれない小説がいくつか。筒井康隆さんのむかしの小説かと思うようなものがひとつ。どうせなら深沢七郎がやったようなところまでやればいいのに。もっと刺激的な小説はないものか。といっても、話題になっている小説(たとえば舞城王太郎さんとか)の多くを僕はまだ読んでいない。
■まあ、なんで演劇をやっているかと問われても困るが、小説をなぜ書くのかと質問されると、ほかにもいろいろ書いているのでいよいよ答えに窮する。しばしば取材でそのことに触れられる。「新潮」のM君とメールでやりとりしたのはそのことだった。「百枚の小説を」とM君は言った。それは僕がちっとも書かず、ぜんぜんだめなので、奮い立たせよう、書かせようと叱咤するために言ってくれたのだろうが、なにより小説を書いて得るのは文章の中に世界を構築するような楽しみで、子どものころに野球ゲームを作ったのに似ている。そうした楽しみを忘れ、僕も「百枚百枚百枚」と念仏を唱えるように考えていて、楽しみもなにもなくなってしまったのだった。それをM君も理解してくれ、「楽しみ」を忘れてはいけませんね、これからは頻繁に会って小説の話をしましょうと、またメールに書いてくれたのだった。
■とはいえ、「楽しみ」だけで書いていてもしょうがない。芝居だって楽しいものの、もちろん、それだけでやっているわけではない。小説が危険なのは誰でも書けそうな気にさせられるところで、私も、「つい書いてしまった」といった感があるのだった。たとえば、「ダンス」のことを考える。やっぱり子どものころからバレエを習い、そうした基礎と厳しい鍛錬がなければだめだろうと想像させ、「よし、あしたから踊ろう」と考える人はあまりいないと思うが、小説は、「よし、あしたから書こう」とわりと簡単に考えさせるようなところがある。
■『サーチエンジン・システムクラッシュ』を雑誌に発表したころ、大学時代の友人から電話があった。「すばる」の新人賞に応募したという。それでその小説を読んでくれないかと、後日、送ってくれた。「僕」が主人公のそれは、驚くべきことに、「僕」がかなり女の子にモテモテである。いい気なもんだよという東京での話が続き、そして外国のある小さな島に渡ってからその島で少女に出会うのだが、また、モテモテの「僕」である。そして全体に漂うのは私たちが若いある時期を過ごした七〇年代ごろの甘くてぬるい空気だ。私の友人だけにすでに四十歳を過ぎている。そんな人間がこれを書いていいものだろうかと、私はしばし、唖然とした。だが、同じようなことを自分もやっていないかと考えるきっかけにもなって、ある意味、貴重な経験になった。電話で友人は、小説で稼ぎたいという話をしきりにするが、「うーん、どうだろう、文学をやってたら稼ぐのはむつかしいんじゃないかなあ」そう答えるしかなかった。「でも、村上龍は儲かっているだろ」と友人は言う。返す言葉がない。友人は「すばる」の新人賞には選ばれなかったようだ。その後も小説を書いているのかいまのことは知らない。それっきり連絡を取っていない。

(13:01 mar.8 2005)


Mar.8 tue.  「リーディング公演について」

■稽古場をまちがえた。ほんとは赤坂なのに前回まで使っていた中野だと思い、そこに行ってしまったのだ。稽古場に着いたら誰もいない。しかも、携帯電話を家に忘れてもうお手上げである。いったん家に戻って制作の永井に電話し、それではじめてきょうの稽古場が赤坂だと知った。以前、永井からもらったメールではこの日の稽古場は中野になっている。変更になったことについてなにも知らなかった。そんな話を前回の稽古のときしていたのだろうか。聞いていなかったのかな。しばしば私にはそういうことがあるのだ。で、『最高の前戯』の稽古。少しずつできてゆく。まだ気になるところはあるとはいえ、代役でやっている部分も多々あり、完全には見えないのだ。動線の確認とか、多少の動きを整えるだけの稽古になってしまう。ただ、上村、南波、田中の三人はすでに来ているので、三人には細かいことをわりと指摘するが、それもなあ、相手があっての芝居だから、どうなるかわからないところはあって曖昧にならざるをえない。ただ、三人にとってはためになるのではないか。あるいは、代役をやってくれる、笠木、片倉、鈴木将一郎にとっても、岩崎君のせりふを読むという経験がプラスにはなっているはずだ。
■やらないよりはやる。そのほうがずっとましだ。ただ、「リーディング公演」についての考えはまだこの国では曖昧である。どれくらい稽古すればいいかの目安ははっきりしていない。やろうと思えば稽古はいくらでもできるが、だったら本公演でいいことになる。これまでリーディングを何度かやったが、基本的には「この戯曲はこうしたものです」といった紹介だ。人が声を発することで戯曲の姿が伝わればいい。演出家が、特に「演出ぶり」を見せることはなく、基本としては「戯曲」が主役だ。ただ、演出する側から考えると、「試み」をする場としても意味があるのではないか(今回も少しやりたいことがあったものの、それはやめました)。というのも、リーディング公演には上演形態の簡易さがあるからだ。だからこそできること、できないことがあり、しかし、「できること」の範囲のなかで演出家はふだんできない「試み」をすることも可能なのだろう。だからいつもやるたび僕も、リーディングが楽しみでもある。
■で、それはそれとして原稿が書けない。もうひとつ、頼まれていた原稿があったのを思い出した、というか担当の方からメールが来たのだった。まだ先だとのんきにかまえていたら、もうとうに締め切りが過ぎていた。ほんとうにだめだ。

(13:02 mar.9 2005)


Mar.13 sun.  「リーディング公演終了の短い報告など」

■「かながわ戯曲賞&リーディング公演」は無事に終わりました。たくさんのご来場ありがとうございました。お客さんがたくさん来てくださると劇場も活気づき、この「かながわ戯曲賞&リーディング公演」そのものにも活気が出たように思います。そのことにやっぱり意味は少なからずあった。今後のことも考えると大事ではないか。戯曲を書く人に開放された表現する場として、この企画にもっと大きな価値が生まれればいい。
■吹越君、宮川君、片桐さんにも感謝。吹越君と久しぶりにゆっくり話をすることができた。このあいだ片桐さんと仕事するのははじめてと書いたが、きょう舞台が終わって中華街のなかにある「馬さんの店」で打ち上げをし、片桐さんと話している途中、かなり以前、テレビドラマを書いたときに出てもらったことがあったのを思い出した。片桐さんがぼそぼそっとしゃべるとやたら面白い。どこか毒があって、この感触は、最近仕事をよくする女優にはあまりないものなので、懐かしい気分と、新鮮さとを同時に感じていたのだ。受賞した岩崎君の『最高の前戯』から受けた刺激もあった。たとえば、すごく単純だが、エロティックな表現やタブーも照れずにやればべつになんの問題もないことだ。また異なるそうした表現の方法がきっとある。こうなったらもっとやろう。
■『最高の前戯』には、兄妹が登場するが、妹は川に流されたらしいことを予兆させるせりふがあって、どうしたって、『トーキョー/不在/ハムレット』のことを想起せざるをえないし、なにしろ、どちらも妹の役を田中夢がやっている。さらにいうなら、結局、『ハムレット』のオフィーリアになるわけで、演劇において「妹」は川に流されがちなのだった。

■この作品の初演時の俳優たちも来てくれたが、若いというのがいちばんの印象で、初演はずいぶん、異なる舞台だったろうと想像する。吹越君と宮川君の二人は、遊園地再生事業団の第一回公演『遊園地再生』に出ている。そのときふたりとも二十代で、二人が口を揃えて言ったのは、当時の自分たちの年齢の俳優をいま見ると、「子どもだよねえ」ということだ。たしかに「子ども」に見える。だけど、僕もそうだったわけで、ずいぶん生意気だったと思わずにいられないのだ。
■中華街はにぎわっていた。こんなににぎやかな場所だったのだろうか。なにかのテーマパークのようだった。むかし来たとき、どの店に入ればいいのかとんと見当がつかず困ったことを思い出す。家に戻って早速ですが、仕事をしなければならなかったものの、少し疲れ、いったん眠ってそれからにしようと眠るための薬を飲んだのが失敗だ。で、ひとまず寝る前に、「考える人」(新潮社)の原稿に添える写真を送ろうと新潮社のN君にメールを書いたが、これが、もうでたらめである。しかも写真も、10枚あるなかから、2、3選んでと思ったら、全部送っている(と、朝、眼が覚めてから気がついたわけだけど)。
■舞台の仕事は一段落ついた。しばらく舞台はお休みである。戯曲と小説を書くことに専念しよう。あ、また大学がはじまっちまうんだな。南波さんと、上村が聴講したいという。早稲田だからと、上村は角帽に学ランで来るという。それだけはやめてくれ。

(17:01 mar.14 2005)


Mar.14 mon.  「ボブ・ディラン全詩」 ver.2

■ずっと家で原稿を書く。ほんとはテオ・アンゲロプロスの新作の試写に誘われていたが、行かずに原稿を書くことにしたのだった。ユリイカのYさんが、横浜までリーディン公演を観に来てくれ、連載原稿の話になり、「死んだ気になって書きます」と言ってしまった。死んだ気というより、いま私は死んでいる。
en-taxiのTさんとももう何ヶ月も前からまたどこかに行きましょうと話していながら時間が取れなかった。リーディーング公演が終わって、いま書いている原稿が終わればなんとかなるのだがなあ。でも、このあと、いくつか打ち合わせの予定がある。あと、PowerBookの矢印キーの調子が悪くて文章が書きづらい。って、どうでもいいことだが。いくら押してもキーが動かないのでいったんキーを外したら、それっきりうまくはまらなくなってしまった。修理に出すべきだろうか。簡単に直す手はないのだろうか。俺、「Mac Power」に連載しているくらいだから、それぐらいのこと、なんとかしてもらいたいよ、アップルに。
■だからあれだ、思いついたアイデアをすぐに小説にする技術を持たなければいけないのだ。いきなりなことを書いてしまったが、いま不意にそう思った。なぜ、こうも書けずにみんなに迷惑をかけているかといえば、ぱっと取りかかる技術がないのだろうと思え、それは「小説の技術」よりさらに以前の、「ぱっと取りかかる思考の技術」だ。町でなにかを見つけると、これは舞台のこういった場面になる、あるいはスケッチになると思いつくが、小説に関してそれがないのだろうと思われる。戯曲なら、この出来事はこうして書けば劇になると空間がイメージできる。小説に関してそれがない。そのための技術とは、どんどん書く以外に手に入れる方法はないにちがないとはいえ、まあ、あれだ、そんな言葉を使うと冗談のように聞こえると思うが、イメージトレーニングとでも言いましょうか、これはこうして、このような小説になるといった「イメージの技法」、そして、それを書くとき、いかに「手が動くか」だ。
■「書く」という行為は「手の運動」である。といったことを、紀伊国屋書店が出している「
ifeel」という雑誌に書いたばかりである。このところイレギュラーの原稿もけっこう書いている。きょうは、「流行通信」という雑誌から原稿依頼で「演劇のことを」とあったが、演劇のことはもういいよ、と、わけのわからないことを考えた。演劇人だったのだ、俺は。ただ、演劇以外のことも書きたくもなろうというものじゃないか。映画や音楽のことを依頼してくれる雑誌はないのだろうか。クルマのことだっていいじゃないか。あらゆることに私は対応したいのだ。あと、ばかな原稿。

■ところで、いま、時間があいたときを見計らっては、『ボブ・ディラン全詩』(晶文社)を読んでいる。思い出したように読んでいる。このあいだ、人は言葉を通じて世界を見ると書いたが、これまで一度も書いたことがないことをいまここに記すわけだが(と思っていたが以前も書いたことがあるのをいま上のサーチエンジンで知った)、私が高校生のころに影響を受け、その言葉で世界を見ていたとすれば、それは、友部正人であり、ボブ・ディランだ。そして、友部正人経由で金子光晴を読んだ。高校生のころの影響とは恐ろしいもので、やはりいまもなにか書くときのどこかに、友部さんの詩の影響があらわれる。だから、なんですよ、そういうものはいっさい忘れたつもりだが、この言葉遣いはそこだなと感じ、自分でも恥ずかしい気分になる。ある浮かれて熱を持っていた年ごろの残香がうっかりすると出現してしまうことの恥ずかしさだ。

(4:11 mar.15 2005)


Mar.15 tue.  「春のことを考える」

■といったわけで、原稿はとうとう書けなかった。ずっと苦しんでいたが、書いたのは五枚ほど。そのあいだに、「別冊文藝」の「しりあがり寿特集」への寄稿、さらに「一冊の本」の連載を書く。結局、今月も「ユリイカ」は休載が決定。そして、
Power Bookの調子は戻らず、修理に出すことにした。アップルのサポートセンターに電話したところすべてのデータのバックアップを取っておくように言われた。面倒だ。一日仕事だ。なんてことだ。まあ、これを機会にデータを保存するという意味ではいいのかもしれない。コンピュータはときおりとんでもないことが起こるからな。サポートセンターの方は親切だった。次回の「Mac Power」の原稿はこれでゆこうと決めた。
■さて、写真はきのう書いた友部正人さんの『誰も僕の絵を描けないだろう』というアルバムの裏ジャケットである。一九七五年に発表されている。右が友部正人さん。さて、左にいる長髪に髭の人物は誰か。このアルバムでは友部さんのギターと歌のバックで、髭の人はピアノを弾いている(わかった人はメールをください)。このアルバムに「あいてるドアから失礼しますよ」という歌がある。これは、道を歩いているときどこかの家のドアが開いていたから「失礼しますよ」と入っていったと読めるが、部屋の中にすでにいて、開いているドアから「失礼しますよ」と部屋を辞したとも読めることに気がついた。よく考えるとわからない。ずっと、前者だと思っていたが、ふと聞き直しているうち、後者の可能性も捨てがたい気持ちになったのだった(まあ、「ドア」はメタファーだとは思うものの)。それで、この疑問をなんとか解決しなくてはならないと、思わず友部正人さんのオフィシャルページの掲示板で質問しようとすらしたのだ。で、オフィシャルページの掲示板をのぞくと、そこに意外な書き込みがあった。質問がしづらくなってしまった。
■今年に入ってから、「ユリイカ」の連載、「チェーホフを読む」が書けずにずっと苦悶し気の休まるときがない。かなり調子よくチェーホフを読んでいた時期もあったのにどうしてしまったかだ。書けないというそのことが自分でもよくわからない。
■そういえば、「架空のバンドのサイトを作る計画」はどうなっているだろう。気の休まるときのない人間がそんなことを思いつくのもどうかと思うが、気の休まるときのない人間だから、その後、計画は頓挫し、よくわからなくなってしまった。『かながわ戯曲賞&リーディング公演』の受賞作、『最高の前戯』のリーディングでト書きを読んだ相馬が自身のサイトに、だったら、「架空の楽器」というものをバンドのメンバーが持っているのはどうかと書いていてそれも面白い。そう考えると、「架空のバンド」のCDのジャケット写真とか、宣伝写真を撮るのを想像し楽しくなる。『最高の前戯』のリーディングに出た、上村南波さんの男女ペアのバンドとかね(どんな音楽をやっているんだろうこの二人は)、笠木がヴォーカルやって、バックに岸とか山根といった汗くさい男たちがいるバンドとか、音楽雑誌の写真ページみたいなのを作りたいと思ったのだ。とことんこった写真にしたい。本格的にゆきたい。しかも、架空の楽器を手にしているし。春になったらやろう。花見もしよう。春が少し楽しみになってきた。

(3:10 mar.16 2005)


「富士日記2」二〇〇五年二月はこちら →