富士日記2PAPERS

Sep. 2006 MIYAZAWA Akio

宮沢宛メイルアドレス

Sep.13 wed. 「場当たり」

演劇ワークショップ発表公演告知

■一日中、場当たりをやっているうちに、舞台を使った通し稽古ができなかった。
■で、繰り返すようだが14日は公開ゲネである。それをこころしてご覧ください。ほんとうに、公開ゲネである。といっても、通常通りの公演とおなじだが、なにしろ、まだ一度も通し稽古をしていないのだ。どうしてそういうことになったかわからないが、スケジュール上、そうなってしまったのだからしょうがない。だから、14日は、ダブルキャストの両方のグループにとってはじめての通し稽古になり、まして、すでに観客がいるというたいへんなことになっている。僕も長いあいだ舞台をやっているがこんなことも初めてだ。とはいうものの、「公開ゲネ」。やるほうも、「見せる」ことは意識する。だけど、公開ゲネである覚悟で観ていただきたい。
■私が舞台の作業でなにが苦手といって、「場当たり」ほどいやなものはなく、とにかく「きっかけ」が多ければ多いほど、その部分のテクニカルなリハーサルを円滑になるまで繰り返すので時間がかかる。たとえば、単純な話、客電が落ちるのに、まずやってみたら、やたら早い。しゅってな具合で暗くなる。もう少し余裕を持ったらどうなんだ。一瞬のうちに客電を消しすぐに芝居がはじまる演出もあるとは思うが、それとはまったくちがって、なんの意図もなく早い。その他、照明のきっかけ、音響のフェードアウトなど、まだまだ、余裕がない。それというのも、きっかけがきたからと機械的にやっているからで、こうしたスタッフもまた芝居をしている意識でいなければうまくできないのだな。間が悪いとか、いろいろ、反復して稽古するうち時間がどんどん過ぎてゆく。

■稽古があまり進行していなかったBクラスをきょう観たら、だいぶよくなっていたし、ばかばかしくなっていたのでほっとした。もっとよくなると思う。といっても、本番はあしたなのだが。狂言の、というか古典芸能の独特な発声法に興味を持った。ここをヒントになにかできる気がしないではない。これからの演劇表現において、60年代の演劇人が古典を参照したのとはまた異なる意味で、喚起されるところがあったのだ。特に今年はそれを感じたのは不思議だ。去年は「発声」についてはあまり考えなかった。ちょうど、僕が、また異なる演劇における表現方法を模索しているところなので、ヒントになるものからはなんでも吸収しようと思う気持ちが強かったのだろう。
■僕の担当するクラス「現代演劇」はほんとに脱力だ。いいのかこれで。だらだらである。ずるずるである。もっと小声でやってもよかったと思うほどだ。そこからまた異なる2000年代の「現代口語演劇」が生まれるかもしれない。ただ、いろいろな発声法があるのだと古典で知ることができ、これもまた、興味を引かれているのだ。そして、山田うんさんが振り付けするダンスもまた、面白い。もちろん踊れない学生が多いのだが、そのなかでもひときわ踊れない学生がいて、わたしはその学生に釘付けである。というわけで、きょうもまた朝11時から、夜11時くらいまで稽古など。Aクラスのだらだらぶりを楽しんでいただけたらと思う。でもまあ、全部のせりふはゴドーである。ただ、時間がなくてもっと細かく稽古するべきところが思うようにいかなかったのが残念。そして、僕は総合演出であり、構成だから、全体があるひとつの作品になっていればいい。Bクラスがよくなってきたからなあ。それが頼もしいし、というか、Bクラス、かなり勝手なことをやっていてでたらめである。それもお楽しみに。Cクラスのダンスは気持ちがいいですよ。もちろん踊れない人もいるとはいいうものの。
■もうあっというまの夏期講習だ。短かったな。去年とはまた異なる舞台になるだろう。最後までAクラスの稽古を詰めよう。それが最後に僕のできる仕事。あるいは、学生達を落ち着かせ、自信を持たせるのが僕の仕事。僕の演出なんかより、みんなが魅力的に観ればいいんだ。それぞれが、固有の魅力をそのからだに持っているはずなのだから。

(1:37 Sep, 14 2006)

Sep.12 tue. 「『ゴドーを待ちながら』への道は遠い

■というわけで、早稲田大学第二文学部表現芸術専修「演劇ワークショップ」の発表公演は間近に迫っている。14日(木)と15日(金)の二日(時間は両日とも、午後3と午後7時)。
■で、14日は、公開ゲネである。それをこころしてご覧ください。ほんとうに、公開ゲネである。公開ゲネといっても、通常通りの公演とおなじだが、なにしろ、まだ一度も舞台で通し稽古をしていないのだ。どうしてそういうことになったかわからないが、スケジュール上、そうなってしまったのだからしょうがない。
■今年はいろいろ去年よりよくなった部分も多々あるが、シャープさに欠けるところもあり、きょう舞台を使ってあら通しをしたが、布で作った美術がぴしっとしていないのが気持ちが悪い。舞台中央奥にはしごがあって、それを戯曲のト書きの冒頭にある「一本の木」に見立てているが、それがうしろの布にぴたっとくっついていると、はしごが、空から降りて来るという当初イメージしていた絵とちがうのが気になりだしたら、どうしていいのか、わからない。もっと美術班らと詰めておくべきだった。失敗。ぴたっとくっついていると書き割りに見えなくもなく、空からはしがが出ている感じがどうも、出てこないのだ。

■表現の達成度は、各クラス(現代演劇、古典芸能、ダンス)それぞれ、まだできていないところが多い。僕の担当する現代演劇もまだ、もっとよくなるだろうし、なにかもっと俳優がよく見える方法があるのじゃないかと悩むのだ。つまり俳優がかっこよく、そして魅力的に見えればそれでいいのだ。そこまで至っていないのじゃないかと演出しながら悩む。かなり芝居がうまい者も何人かいるが、それとはべつに、「芝居をするぞ」と勢いこんで基礎的な技術が伴わず、どうもかたい感じの者もいれば、経験も多く、すごくうまい者もいる。そして、今回の大きな課題としては、各クラスが気持ちよくつながってゆくことだが、そこらがまだできていない。もっと細かく稽古するしかないな。時間がないけれど。もっと細かく稽古する必要のある場所はまだ、無数にあるが、あしたは、場当たりと、通し稽古。もうすぐなのだった。
■まあ、しかし二週間はたしかに、短い。だが、『ゴドーを待ちながら』をどうしてもやりたかったんだ。今年はベケット生誕100年だからだ。新聞に、ベケット100年に関していろいろな催しがあることなど、早稲田の岡室先生が書いていた。世田谷パブリックシアターでは、佐藤信さんの演出による、『エンド・ゲーム』(翻訳岡室美奈子)も上演される。そのアフタートークには僕も呼ばれている。いつか、ベケットは演出したかった。この困難な「演劇ワークショップ」の条件のなかで上演するのはかなり無理があるものの、そのために作った、構成台本によって、ベケットと、そして、『ゴドーを待ちながら』の、ある意味でのナンセンス、そして、人の生の切なさが生まれたらいい。だが、力足らず。『ゴドーを待ちながら』への道は遠い。

■きのうなど、稽古から帰って、原稿を少し。メールの返信を書き、アンケートに答え、仕事もしているのである。あと、きのうの抜き稽古のとき、僕がやって見せ、こういうふうにと、かなりからだを動かしたら、きょうの朝、目を覚ましたらからだのところどころが痛かった。でも、芝居を、こういうふうにやってみろと、演技の手本をしているときほど僕にとって楽しいものはない。まあ、腰さえ悪くなければあとは大丈夫。うーん、でもって、あいている時間を使って原稿を書ければいいが。
■あと少し。もうほんとにあと少し。最後までねばろうと思うのだ。

(1:56 Sep, 13 2006)

Sep.10 sun. 「ワークショップも終盤へ」

■その後も、「演劇ワークショップ」の授業は続いている。金曜日(8日)は、Aクラス(現代演劇)、Bクラス(古典芸能)、Cクラス(ダンス)の三つの班が合同で演じる場面の稽古が朝10時からあった。その後、午後からは僕のクラス(Aクラス)の稽古。もっと細かく稽古したいが時間がない。それと、これは遊園地再生事業団の公演でも同じだが、稽古がはじまると食事をするのが面倒になる。
■それはともかく、少しずつ稽古は進行しているものの、やっぱり時間が短くて表現を深めるところまではゆかない。なんとか形にするのが精一杯だ。その短い時間のなかでも、これまで演劇にまったく縁のなかった学生が、稽古をしていると周囲の者らが変化してゆくのがわかると話しており、それはこうした学生などの舞台が持つ醍醐味だ。高校生と舞台を作ったときはそれがものすごく顕著で、演出しながら驚かされた。で、その金曜日の夕方、稽古見学、というのは、全クラスのやっているアウトラインを、全スタッフが知るためもあり、荒い「通し稽古」をした。なんとか形になっているから不思議だ。稽古をはじめてから一週間も経っていない。それを終えて全スタッフによる打ち合わせなど。早起きしたので眠い。
■この舞台でも映像を使うが、今年の映像班はTA(テーィチング・アシスタント)のKをはじめ、とても積極的に取り組んでくれ助かっている。土曜日(9日)は、やはり午前中から稽古があったが、映像班の撮影にもつきあった。教室を可能な限り白でおおい、そこに俳優を配置して撮影。きれいな映像ができそうだ。さらにその日、学校をあとにして、いったん家に戻り夕方から「アサヒ芸能」の取材を受ける。「80年代地下文化論本」に関して。で、面白かったのは、全般的になにか論じるにさいして僕が口ごもっていながら、埼京線が渋谷をだめにしたという箇所になると、とたんにきっぱりと話していると指摘されたことだ。それはそうだろう。だって、それはまったく正しい論だからである。そのあと、白夜書房のE君と秋からの東大での講義について少し話す。今年は、秋の授業と平行して『鵺/NUE』の稽古もあって時間的にはきわめてきびしい。困った。まあ、なんとかするか。
■で、さらに、青土社のYさんと打ち合わせ。『鵺/NUE』の公演と合わせて、「ユリイカ」で僕を特集した増刊号を出してくれる。たいへんありがたい。何人かの人たちとの対談があり、それから評論など、いくつかの文章がおさめられる予定だ。で、Yさんの意見で、僕の原稿を待っていた編集者が集まって座談会をするという案。ああ、それ、面白そうだなあ。待たせたからなあ、いろいろな編集者の方を。考えてみれば、「新潮」には、小説をまだ、待ってもらっていて、もう10年以上になるのだった。それから、「考える人」の連載もいつも待ってもらっている。その座談会にはぜひとも、新潮社のN君やM君にも参加してもらいたい。あと、『演劇は道具だ』を担当してくれた打越さん。白水社のW君。「Mac Power」のT編集長……。うーん、数えだしたらきりがないよ。

■今年の「演劇ワークショップ」の授業を履修しているSからメールがあって、ニートについて調べていたら、こんなサイトがあったといくつか教えてくれた。そのひとつが、You Tube次の映像だ。「家賃廃止要求デモ」って、めちゃくちゃなことを言い出したものだが、こういったことをする人間がいることに、なにかほっとするのはこんな時代だからであろう。で、映像で注目したのは、その途中、「家賃が高すぎる」というところ。これ、デモ隊らしき人たちの前、メガフォンでアジっている役をやっているのは、きたろうさんだろう。ロケ場所は新宿中央公園の滝の前だろう。なぜ知っているかというとその場にいたからである。で、僕はロケ中、ぜんそくの発作に襲われタクシーで病院に行ったんだった。ふとその日のことを思いだした。八〇年代のはじめのころ。僕もまだ、とても若かった。
■で、ふと書こうと思ったのは「面倒の問題」である。人間、「面倒になる」という状態はなかなかに困難なことになっている。いま、「育児放棄(=ネグレクト)」は社会的な問題らしいが、母親が「美味しいものを食べる」ことにまったく興味がなく、それで食事を作ることがめんどくさいからといって、子どもにカップラーメンを与えておく。これも一種のネグレクトだろう。あるいは、街で若い者の会話を耳にすると、「めんどくせえやつだなあ」という言葉を耳にすることがある。この場合、それを言われてしまった人(めんどくさい人)をひとまず、かっこで括っておいて、その言葉を口にした者による、言葉の使い方の問題としてひとまず考える。つまり、「めんどくさいやつ」というのは、「その人にかかわるとややこしいことが起こる」とか、「一緒にいるとなにかと厄介な人」「うまくコミュニケーションがとれない人」「なんだかリズムが合わない人」といったニュアンスなんだろう。だが、端的に「めんどくさいやつ」と言葉にしてしまうとき、それを口にする者には、「めんどくさい」という心性が自身にとってもっとも大きな問題だということになる。なにより、「めんどくさい」がいやなんだよな。「めんどくさい」は、厳密には「めんどうくさい」だと辞書にあるが、まあ、現在的な口語としては、「めんどくさい」が一般的で、「う」をはさむのがすでに、めんどくさいことになっているのがわかる。とするなら、もっと簡略して、「めんどい」になってもよさそうなものだ。というか、なにも口にしないのがもっともめんどくさくなくていい。
■なにを書こうとしていたのだ、俺は。よくわからなくなってきたが、「めんどくさい」で簡単に切り捨てられる問題を考えようとしていたのだ。人が生きることの細部は、たいてい、めんどくさいことの連続だ。めんどくさいの連続のなかに、人の生があり、たとえば、人を待つこともまた、きわめてめんどくさいのだ。じゃあ、待たせる側に苦悩がないかといったらけっしてそんなことはなく、いつだって原稿が書けずに苦しんでいるのだった。

■ひさしぶりに時間に余裕のある日曜日だ。それでこのノートも書けた。まだ白水社のW君には、『考える水、その他の石』のテキストのチェックを待ってもらっている。あと、原稿はなにかあっただろうか。というか、たしか、ある雑誌から原稿を依頼されており、それに返信しなくてはいけなかったのだな。原稿の前に、すでに待ってもらっているという、まったく申し訳ない次第になっている。大学の舞台も、もう間近に迫っている。できるところまで納得がゆくようにがんばろう。

(1:40 Sep, 10 2006)

Sep.7 thurs. 「このノートが書けなかったこと」

■大学の「演劇ワークショップ」(二週間で舞台を作る)の授業(稽古・打ち合わせ・実作業)が四日からはじまった。これは、俳優、というか演技することの実践だけではなく、スタッフワークの授業の意味も大きく意味を占めており、美術、衣装、映像などとも打ち合わせをしなくちゃいけないし、その都度、学生から作業の確認があるのでそこで考える必要がある。舞台作品中で映像を使うが、舞台における映像を指導するという領域ははっきりしていない(というか、まだ、いまは舞台で映像を使うことがそもそも、みんな探り探りやっている状況だからな)。
■去年は、チェーホフの『三人姉妹』をテーマにしたが、今年は、ベケットの『ゴドーを待ちながら』だ。で、まあ単純に、受講生の数は多いが、登場人物は少ない。全体で、百人近くが履修していると思うが、スタッフワークだけの学生もいるし、俳優をしたい学生、そして両方を兼ねている者もいる(大半が両方兼ねている)。クラスが三チームあって、Aクラスが「現代演劇」、Bクラスが「古典芸能」、Cクラスが「ダンス」だ。僕は、Aクラスの担当である、全体の演出ということになっている。で、四日から僕のクラスは、まず、本読み。『ゴドーを待ちながら』のテキストを買うように事前に伝えてあったが、きっと買ってこない者がいるだろうと思って、白水社のW君に頼んで学校まで本を届けてもらった。その場で販売してもらう。たいへん助かった。
■家に戻れば原稿を書く。忙しくて、エッセイの題材になる読書などできないのが現状で、かつて、時間がたっぷりあって様々なところからテーマを発見したようなことができないのだ。それに困っている。すると、いきおいテクニックで書いてしまうから、自分で書くのもなんだが、たとえば、エッセイ集『牛への道』のころから比べたらずいぶんだめになっている。反省する。忙しいのはうれしいが、だからといって、こういったことで書く内容が薄まってゆくのはもっともだめな状況だ。あと、わりと最近は「笑い」について考えていないところもどこかある。これ、根本的にだめだね。「くだらないこと」に立ち向かうのはなまなかの力ではだめである。体力がいる。少し疲れているのもあるし、いろいろなことに手を出しすぎているのだろうか。もちろん演劇が僕の主流の仕事だけど、それでもやはり、小説という方法をなんとか身につけたいのだ。また異なることが表現できると思う。

■さて、「演劇ワークショップ」の話ももっと書き、日々の進行を書きたいが、いかんせん時間がない。今年のAクラスは男が多い。それがとても助かっている。べつに女の子では芝居がだめってことはけっしてないものの、男が持つある種の力強さはどうしても必要になる。芝居を作る時間はほんとうにない。学生たちの奮起に期待するしかないが、そうして学生に助けられながら、また今年も大学で舞台を作ることができるのは幸福なことだ。たしかに二週間で作るのはかなり無謀で、クオリティの低いものを作るより、よりそれを高めることで学ぶ意味も強まるのはたしかだろう。ここが、演劇への入り口だと思ってもらえればいい。表現することのよろこびの入り口だと思ってもらえればいいし、そこで、なにかを発見してもらえればいい。
■もちろん現代演劇やダンスだって基礎的な表現力、技術の訓練もできぬまま、舞台に立つのは無理があるが、なかでも古典はとくに、二週間であの型を習得するのは不可能だろう。いつも大変そうに見える。そして、この「演劇ワークショップ」の授業も今年で終わるそうだ。大学が再編されるに伴いそういいうことになった。最後が僕が演出するのもなにかの縁かと思い、精一杯やらしてもらおう。学生のためにひとふんばりするかな。忙しい。まあ、京都の大学の発表公演と比べると、稽古する大変さでいったら京都のほうが上だったものの(四ヶ月ぐらいかけていた)、二週間で作ることはまたべつの困難を生み出す。そして学生の「からだ」から、なにかを発見したときのよろこびは、京都でも早稲田でも同じだ。
■といったわけで、簡単な報告まで。書きたいことはいろいろあるものの、またこんどまとめて。いまは忙しい。まだ原稿はある。稽古はある。読まなければいけない本はいくつかあるが、読んでいる時間もあまりない。ただ、今年はまだ、腰が無事なのでなんとかなっている。そろそろ危ないかな。本番は、14日と15日。また詳しくはここに情報を書きます。もし時間がございましたらご来場ください。早稲田大学戸山キャンパス・36号館の映像・演劇実習室です。『ゴドーを待ちながら』。まあ、それが原作であり、構成された劇は、「ゴドー」とはまったく違ったものになっているかもしれない。

■ああ、書きたいことはいろいろあるが、それはまた今度ってことで。

(1:48 Sep, 8 2006)

Sep.3 sun. 「おそろしい東京」

■親の元へ帰るのも、忙しいといえば忙しいことだったが、それでも、ふだんの仕事から離れて四日ほどは、まだ気持ちに余裕があったものの、東京に戻ればやはり、いろいろ精神的な重圧があるのだった。
■おそろしいよ、東京は。なんという大都会っぷりだ。生き馬の目を抜くほど、という、よく考えればひどく怖い表現があるが、東京はそういった町だな。ああ、なんというおそろしさだ。家の近くに甲州街道と山手通りの初台の交差点があるが、そこが、いまものすごいことになっている。まず、山手通りの地下に高速道路を建設中で、その地下高速道路と、甲州街道の上を走る首都高を結ぼうという、まあ、山手通りの下に高速ができれば、誰だって結びたくもなるだろうけどさ、それにしたって、風景は一変してゆく。これはいったいなにごとかという大工事である。で、よくよく想像するに、東京はもうすぐ、道路だけの町になってしまうのではないか。住居を立ち退かせ、たとえば井の頭通りを拡張するし、いつのまにか、いままでなかった道路も出現していたりする。
■大学の「演劇ワークショップ」という授業が、九月四日から二週間つづく。二週間で一本の舞台を作る。そのためのガイダンスが九月一日にあった。一日までに「構成台本」を仕上げなければならず、ほかの原稿が書けなかったし、白水社から刊行される予定の『考える水、その他の石』のデータのチェックができなかった。原稿をこつこつ書いている。ひとつずつ書いている。忙しい。そしてあしたからは、もうそのワークショップの授業がはじまってしまうのだ。

■夜、原稿を書いていたらどこからか鈴虫の鳴く声が聞こえた。秋だなあ。っていうか、それより、鈴虫が近くにいるのが不思議だ。どこかの家で飼っているのだろうか。きょうは、世田谷パブリックシアターで、『鵺/NUE』の打ち合わせがあった。さらに、そのあと夜から、野村萬斎さんが演出した『敦−山月記・名人伝−』を観た。感想を書きたいが、長くなるので、またにしよう。原稿を書かねばならない。こつこつやってゆくのである。

(1:05 Sep,4 2006)

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