Jan. 30 tue. 「金魚を見にゆく」
■このところわりと忙しい日を送っていたので、久しぶりにゆっくりしようと思ったのは、このあいだ体調を崩したのは「疲れ」だったのではないか、体力が落ちているところにウイルスにしてやられたのではないか、そう考えて意識的に休むことにした。それで新宿の小田急デパートへ金魚を見に行った。まあ、デパートの一角にあるお店ですが、いろいろな金魚をはじめ、あれをどうカテゴライズするのかよくわからないが、様々なまことに小さな魚たちがいたのである。淡水魚も、そうでないものらも。水槽はきれいだ。水はきれいだ。それから地下の食品売り場でおかずになるようなものを買って家で食事。DVDを観て過ごす。
■このところ、いくつかの雑誌から連載の仕事を依頼されている。舞台があるので心配だが、頼まれた仕事はよほどのことがない限り引き受ける。筑摩書房からの依頼はウェブで連載ということになっているが、いまや、出版社のサイトではそうした連載があたりまえのことになっているようだ。白水社のサイトでも様々な方の文章が読めるのだった。このあいだ、大阪で開かれたイヴェントには、上にある『ニュータウン入口』のバナーから飛ぶことのできる告知ページをデザインしてくれた相馬の友人が来てくれた。それで、携帯を差し出し、そこには、相馬からのメールがあった。その、告知ページの更新をしましょうと伝言が書かれていたのと、さらに、僕のサイトのトップページである『PAPERS』を新しく作り直しましょうという言葉もあった。その、『PAPERS』だが、驚くべきことにサイト開設からそろそろ10年になるのだった。10年を記念し全面的に新しくしたいが、そこでかつて何度も思いついては実現してこなかったアイデアを実現させてみたいものだ(たとえば架空のバンドを作ってその紹介をするページとか)。あと、みんなになにか書かせて連載させようかとも思うのだ。「みんな」ってのが、誰のことになるかだが。けれど、よくよく考えてみると、「u-ench.com」のサーバーの容量がもう限界近くになっているのじゃないかと思うのだ。舞台の動画映像とかいろいろアップしたい気もするけど大変である。でも、まあ、動画だったら、YouTubeを利用する手がある。すごいよ、YouTube。そんなことを考えているおり、新潮社のM君からメールが。そうだ、小説を書かなくては。今年は大学の仕事ももうないし、創作活動に集中したいのである。『ニュータウン入口』の戯曲もあるが、とにかく書こう。
■先にも触れた大阪で開かれた『宮沢章夫と飲む会』だが、いろいろな知人が駆けつけてくれたのだった。大阪で芝居をやっているサカイ君の姿もあった。神戸のMさん。ヨーロッパ企画の本多君。「公園」の話をしてくれたKさん。それとかつては和歌山に住んでいた声に特徴のある人。あと、寝屋川にかつて住んでいた現在は桜上水のYさんの友だちの、名前を失念してしまった方。申し訳ない。さらに、初めて会ったのは、「■リング」の一人でもある「ここであいましょう」のM君だ。M君は京都に住んでいて、京都の大学で教えているころ、その発表公演にも足を運んでくれていたとのこと。でも今回、はじめて声をかけてくれた。そうなんだよな、僕もそうだが、なかなか声をかけるようなことってできないものだ。東京から来てくれたというはじめて会う女性もいたけれど、僕もかつて、なにかの機会に大阪に来たことがあったが、あれはまだ、仕事もしていない二十代のはじめのころだった。芝居のなにかの企画があった。夜行列車を使って大阪に来た。で、思ったんだけど、たくさん集まってくれた人の中には、質問もできなければ、声もかけられない人がきっといるということだ。ことによったらそんななかの誰かが、なにかの表現者になるのかもしれない。世の中、積極的に対人関係を結べる人が得になるようにできているわけだけど、でも、それだけじゃないから、きっと大丈夫。僕もそうだったけれど、誰ともうまくコミュニケーションできないその鬱屈とした気分を表現に向けよう。そこでためこむエネルギーがきっと力になる。だけどいま、ネットってその気分を吐き出すのに使いやすいからやっかいだ。簡単に吐き出さずためこんでためこんでそれを一気に表現に注ぐ。安易に、それでうまくゆくなんてけっして言えないが、積極的だからって誰でもうまくゆくわけじゃないから、だったら無理をすることはない。自分に向いている方法で。まったくもって老婆心ながらそう思うのだ。
(12:28 Jan, 31 2007)
Jan. 29 mon. 「帰ってきた」
■大阪で『宮沢章夫と飲む会』というイヴェントがあった。予想以上に大勢の人が足を運んでくれてとても感謝した。逆に予想していた通りだったのは、司会進行をしてくれるモリシタ君のぐだぐだぶりだ。でも、べつに気負うわけでもなく、妙にうまくやろうとするわけでもなく、一生懸命に司会しようとする姿がとてもよかった。正直、あまりにだめな司会ぶりに笑っちゃうんだけどね、まあ、素人なんだからしょうがない。でも、彼が語るのは、うそのない内側から出てくる言葉だからこそ、たどたどしいその言葉に感動すらするのだ。司会などすると見事に話を広げ進行してくれる優秀なプロたちを、おそらく僕は100人は知っているけれど、そりゃあ、そうしたことのうまい人はいくらでもいるだろうさ。その、モリシタ君のうまく語れないけれど、なにか話そうとする自分の言葉のほうがずっと意味がある。
■僕は単純に楽しかった。で、話はどんどん長くなり、会場からの質問を受けているうちに三時間ぐらい話をしていた。まあ、司会はぐだぐだだったものの、一緒に話をしてくれた、会場にもなっている「カフェURACIO」やこのイヴェントそのものをしきっているNさんが僕の話を広げてくれるのでなんとか話が弾む。で、前半が終わった時点で、よせばいいのに、ぐだぐだぶりを反省したモリシタ君が「よし、酒を飲んで勢いをつけるぞお」と、わけのわからないことを言い出した。冷静に進行するのがあんたの仕事だろうと私は言いたい。酒を飲んだぐらいでなにか変わるかと言えば、べつに、変化はないというより、むしろさらに悪い方向に走り出し、そして、自棄になったモリシタ君が、「酒を飲めずにやってられるかあ」とか、わけのわからないことを言い出したときは、俺、笑ったなあ。そんな司会者がいるかよって思うんだよ、正直。「『と飲む会』なんだから、酒を飲んでリラックスしてやりましょう。もう俺は酒飲むよ、司会なんかどうだっていいよ」といった意味のことを会場に向かって言うが、いちばんリラックスすべきなのはあんただよ。しかも、司会者が司会することを放棄してしまったわけである。意味がわからない。そんなモリシタ君がいちばん面白い。だから客席から見れば、普通に話を進めようとしている僕とNさんがいて、なんだかわからない勢いをつけている酒に酔った司会者がいるという、きわめて不可解な状況が展開しているのだった。こんなに面白いものがあるだろうか。
■で、三時間以上、話して会を終了したあと、さらに来てくれた人たちが個別に質問してくれた。質問はとてもうれしいものの、さすがに疲れた。様々な方向からの質問だし、なかには自分の写真作品を見せて感想を求めてくる人もいた。僕は写真は専門ではないのでうまく感想を言えたかわからないが、ただ、「これいいねえ」と一枚の写真をさしていうと、彼は写真家の鈴木理策さんのワークショップかなにかに参加していたといい、やはり鈴木さんも、僕がいいと言った一枚を評価していたそうだ。僕の本を持ってきた人にサインをしたり、写真を一緒に撮ったりと忙しい。ぐったり疲れて最終的にはかなり眠くなったのだが、さらにそのあと、残った人たちと午前三時近くまで話をしていた。
■で、ホテルに戻ったが、そのホテルがまたすごかったのだ。マンションのような外観のホテルで、部屋もワンルームマンションとほぼ同じである。キッチンまでついている。しかも隣の部屋のドアには、「移転しました」というよくわからない貼り紙である。まあ、いちおうフロントもあって形式はホテルなんだけど、オートロックのマンションのように外から部屋を尋ねるには入口の外に設けられた装置で部屋番号を押し在室かどうか確かめる仕組みらしい。で、深夜の三時半ぐらいに誰かが訪ねて来たのか、部屋にあるインターフォンが鳴ったのだった。受話器を取った。もしもしと声をかけても誰も出ない。奇妙な気持ちになって、ようやく眠ろうかと思ってベッドに入ったら、部屋のドアノブを外から開けようとする者がいる。いったいなにごとだ。ドアにいって内側からのぞき穴で外を見たが誰の姿もない。まったくおそろしいホテルである。
■でも、楽しかった。楽しい大阪行きになった。あと、京都から来てくれたKさんから、都市における「公園」について、ある本で読んだという話を聞かせてもらってそれがかなり刺激的な話だった。要するに、住宅街などにある小さな公園を作る考え方は、ヨーロッパにおける「公園」のありかたの形式的な模倣でしかなく、日本の文化にはなじまないという話だが、そうして誰も人のいない公園を、たしかにこの国のあちこちで見かける。町の人たちが、立ち話をする「公園」という空間の概念がそもそもこの国の文化にはなかったということだろう。そこには「ニュータウン」についての僕の知らなかった視点がある。そうなんだな、この国の文化にはなかった人の集合する人工的な街区としての「ニュータウン」だ。どこか無理がある。いろいろな人に会えばさまざまな刺激やヒントを与えられる。だからこの大阪行きはとてもいい機会を与えられたのだ。企画してくれた、ぐだぐだ司会のモリシタ君、そして、「カフェURACIO」のNさん。カフェのスタッフの方に感謝するしかない。ありがとうございました。チゲ鍋、美味しゅうございました。
■翌日の大阪は、国際女子マラソン。ところで会場だった「カフェURACIO」のある「アメリカ村」は、大阪の若者たち、まあ、どっちかっていうと子どもが集まる場所で、渋谷のセンター街とか、竹下通りとか裏原宿を思い出させる。ああいった場所には、かなり奇妙なファッションの十代の子らが集まるが、アメリカ村の若者たちは、どこか過剰である。いや、ものすごい過剰。そこが東京と大阪のちがいかもしれない。なにかと過剰なところがある大阪。若者だけじゃなく、あらゆる階層の人がどこかファションなど過剰で、ものすごいおじさんとか、もちろん東京でも見るが、ほんとにものすごいんだよな、大阪は。いや、ほんと、久しぶりの大阪は面白かった。ありがとう。観に来てくれた方たちも含め、ほんとに感謝あるのみだ。
(3:10 Jan, 30 2007)
Jan. 26 fri. 「大阪に行く前に」
■火曜日(23日)は家で仕事。水曜日(24日)は、「かながわ戯曲賞」の受賞作リーディングのことで打ち合わせと、マレーシアの演出家の方からインタビューを受けた。木曜日(25日)、シアターコクーンで野田秀樹さんの『ロープ』を観た。その感想をしっかり書いておきたいが時間がない。週末は大阪だ。戻ってから落ち着いて書くことにしよう。舞台を観ながらいろいろ考えることがあったのだった。というか、ほんとは途中まで書いたが中途半端になるから、後日、ゆっくりまとめようと思う。書くことで考える。書くことでようやく考えがまとまり、それはつまり、批評などではなく、自分のためのノートだ。『ニュータウン入口』のことを考えている。
■これを記しているきょう(27日)は、これから大阪に向かう。すでに書いたことだが、あらためてきょうの夜、大阪で開かれるイヴェントの告知をさせてもらおう。大阪のモリシタ君が企画してくれたのだった。以下、そのモリシタ君からの告知。
『宮沢章夫と飲む会』
というイベントをさせて頂きます。詳細は以下です。
『と飲む会』 第6回ゲスト:宮沢章夫 さん
大阪アメ村のカフェ【URACIO】の名物トークイベント『と飲む会』。今回のゲストは、80年代「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」90年以降「遊園地再生事業団」を組織され、数々の実験的な演劇を公演。更にエッセイスト(『牛への道』など)や小説家(『サーチエンジン・システムクラッシュ』芥川賞・三島由紀夫賞候補など)としても活躍されている、宮沢章夫さんをお招きして、観客とお酒やお茶を交えながらのトークイベントです。 内容は、昨年出版された『ユリイカ 総特集 宮沢章夫』に掲載された「自筆年譜」をベースにお話をうかがう予定です。
日時:1月27日(土)
開場 18:30 講演 19:00〜21:00
料金:1ドリンク付¥1500
場所:【カフェURACIO】
大阪市中央区西心斎橋2-18-6 アベニュー心斎橋ビル2F
(アメリカ村三角公園西隣 ampmの2F) HP:http://uracio.com
ということなのでお時間のある方、ぜひいらしてください。もう、きょうのことだけど。それで、大阪に行く前に髪をさっぱりしておこうと思っていつもの青山の店に行ったのだがそこでお店の人に、「雑誌に出てましたねえ」と言われてようやく思いだしたのは、『STUDIO VOICE』で岡田利規君と対談をしたことだ。また坊主頭にしてもらった。さっぱりした。やけにあたたかい冬である。
(8:24 Jan, 27 2007)
Jan. 22 mon. 「岸田戯曲賞」
■そして今年もまた、岸田戯曲賞の選考の日になったのである。
■選考会の会場になっている神楽坂の日本出版クラブ会館に時間ぎりぎりで到着したら、野田秀樹さんだけがいらしたので、「ロープのチケット、まだ取れますか?」とお願いするとこころよく応じてくれた。それで三々五々、委員が集まりいよいよ選考。残念ながら井上ひさしさんは欠席であった。で、終わったから書けるが、正直なところ、僕は少し重い足取りで選考をする部屋へつづく階段を上がっていたのだ。というのも、最終候補作を読んで、ああっと、驚かせてくれる作品がほとんどなかったことに起因する。そして、候補の多くが手練れの人たちによる作品で、見事な整合感というか、まとまりのいい作品たちだ。さらに、何作かは、「前近代的なもの」と「近代的なもの」の対立という古めかしいドラマツルギーたちだ。そういったこともあって今年は口が重くなった。でも、受賞作は出したほうがいいのだろうな、候補になったひとたちは、きっと待っているだろうと想像すると、さらに気が重くなる。
■でも、そんな僕の感想とはべつに、きっと総意としては、本谷が受賞するだろうと予想をしていたのも正直なところ。ところが第一回目の投票が終わったところで、意外にも、あの、五反田団の、『ユリイカ』の僕の特集で、原稿を寄稿してくれたのはいいが、もうこれ以上は編集者が書くなといわないだろうという段階まで、僕の舞台を一本も観ていないと編集者に伝えず、ほとんど僕のことなど知らないくせに原稿を書いた、あの、でたらめな前田司郎がほぼトップだったのである(といっても僕もとりあえず一番に推したのだが)。本谷の戯曲に関してはある方がかなり問題を指摘しており、言われてみると、たしかに技術的な瑕疵がいくつかある。あるいは、学校を舞台にしたにしては、人物が少し浅くて教師というより「生徒」の域を出ていないという意見にも納得できる。全体が「コミック的」というのもわかる。ほかの手練れの方たちの書いた作品はたしかに人物が「大人」である。岩松さん、野田さんが推していた蓬莱竜太さんの『ユタカの月』など、見事に大人のドラマで、ラストなんか、ほんと、泣くよ。
■しかし僕は、それより、なにかこう、がーっと刺激してくれる作品に出会えなかったことのほうが気にかかっており、「今回は受賞作として積極的に推したい気持ちになれないので、もしかしたら、受賞作なしでもいいのじゃないか」といった意味の発言をしたが、岡田利規君、三浦大輔君のような才能が突出していつでも出てくるわけではないから、この条件のなかで、選ぶべきではないかとたしなめられる。そうですよね。そうそうすごい人、っていうか、驚くような作品が出てくるようなことは過去を考えてもなかったはずだ。ほかの選考委員の方たちもそれはわきまえており、そこで少し距離を感じたのも正直なところだが、むしろ、みんな大人なのだなあと思った。ただ前田君を推したのには意味があって、ほかの方が様々な方面から依頼されてもある意味「プロフェッショナルな劇作家」として注文に応じられる技術を持っていると想像するが、まず、前田君はだめだろう。だめに決まっている。だめでないはずがない。ぜったいだめだ。だめじゃなかったら俺は怒るよ。そこに私は強いシンパシーを持ったのだった。俺、だめだからさ、そういうの。もちろん去年は、『モーターサイクル・ドン・キホーテ』『鵺/NUE』と、あるプロジェクトとして依頼された。どちらも大きな枠組みはあってもかなり自由に書かせてもらえ、それにはほんとに感謝するしかないが、だからこそ書けた。
■そして意外な展開だ。結局、既知の通り受賞作なしになった。その後の展開とかは選評がこのあと二月の上旬に白水社のサイトに出るのでそちらで読むことができる。終わったあと、なにか選考委員はみな、どんよりとした空気になった。考えつくしたのである。議論しつくしたのである。それぞれの演劇観が交錯する部分もあれば、その演劇観を抑えて、あるスタンダードな技術的な水準、戯曲が持つ世界観、それがいま現在にあってどう意味たらしめているか、あらためて問い直す作業を四時間以上にわたって続けた。結論が出そうになると、「うーん」と誰かが疑問の声をあげる。僕は言葉が重くなった。なにか苦いものをみんなが抱えて選考会場をあとにした。
■そして付言するなら、刺激されるような作品がないのであれば、自分の読みたいような作品を自分で作ればいいのだな。考えよう。もっと考えよう。
(9:53 Jan, 23 2007)
Jan. 21 sun. 「体調を崩した週末」
■木曜日(18日)に早稲田の授業が二コマあり、そのあと学生が編集している「グラミネ」という雑誌が主催する「グラミネ文学賞」の授賞式があった。さらに、一文の「演劇ワークショップ」の授業打ち上げ、さらに「グラミネ文学賞」の親睦会を、大学の近くの居酒屋で同時に開いたのだが、それで疲れたのか、そこで食べたものがいけなかったのか、翌日(19日)は体調がひどく悪くなった。そもそも、18日は、五限の「演劇ワークショップ」の時間が延び、六時半までやっていたし、そのあと、「演劇論で読む演劇」という授業がさらに延びて八時半ぐらいまでやっていたのだ。もうこの時点でぐったりしてきた。それで「グラミネ文学賞」の授賞式でへとへとだったのだ。
■翌朝(19日)からひどい下痢になってしまった。まことに尾籠なはなしで申し訳ないけれど、油断するとたいへんなことになるので何度もトイレへ。それで夕方六時から、「演劇論で読む演劇」の補講をする。これが早稲田での最後の授業である。最後の題材は「タデウシュ・カントル」だった。この授業の第一回目から、発表にはパフォーマンスをと伝えてあったが、どの発表グループもよくありがちなレジュメを作ってただ口頭で発表するだけだった。前日の「アントナン・アルトー」では、少しだけパフォーマンスがあり、そして今回は、発表の全体がパフォーマンスだったのはとてもいい「最後の授業」になった。発表した学生がえらい。授業のあと、岡室先生のご配慮もあり、僕の最後の授業ということで打ち上げをしてもらった。花束ももらってしまった。体調がよければもっと長い時間、学生たちと話をしていたかったが、それはまた、いつかあらためて集まりたいと思ったのだ。家に戻って熱を計ったら7度9分あった。僕はめったに熱を出したことがないのだが、思い起こせば中学生のとき以来である。ってことは、30数年ぶりである。ただごとならない事態だ。なにがいけなかったかよくわからないし、下痢もしたことから、ノロウイルスに感染したんじゃないかと不安になった。とにかく早く眠る。
■そんなこともあってだなあ、このノートの更新もできず、岸田戯曲賞の候補作を読む予定が頓挫した(毎日一本ずつ読むという課題)。週末にまとめて読むことになってしまった。ほんとは多摩ニュータウンに取材に行こうと思っていた計画も頓挫。今回の舞台の演出助手に応募するという人(映像を作っているらしい)からその取材に同行し、その模様を映像に記録、今回の『ニュータウン入口』のドキュメンタリーを作りたいと申し出を受けていたが、体調不良で、それは少し先になりそうだ。体調を万全にしなければな。今回、『ニュータウン入口』のオーディションではなんか演出助手に応募する人がやけに多い気がする。あんなにたいへんな仕事もないのに。そして私は読んだ。戯曲を読んだ。きょうの夕方過ぎに全作品を読み終えていろいろ考えている。
■夜、気晴らしに初詣にゆく。いまごろになってなんだと思うかもしれないが気晴らしである。もう夜も九時近くになっており、もちろん、神社はしまっているし人影も見あたらなかった。夜の神社はしんとしている。空気が冷たい。行ったのはむかし住んでいた豪徳寺の近くにある世田谷八幡宮だ。それほど信仰心があるわけではないが、気晴らしになった。ずっと部屋にこもっていたが外気を吸うと気持ちがとてもいい。日曜日の夜だからか道はどこもすいていた。それにしても奇妙なのは金曜日に体調をくずしてからあまり空腹を感じないことだ。帰り、どこかによって食事でもしようかと思ったがそんな気分にもなれなかった。
■さらに気晴らしにYouTubeで内田裕也さんの政見放送を見た。この映像では、最後に内田さんは、やや間があってから「よろしく」と言っているが、以前、スチャダラパーのアニ君に見せてもらった映像では、たしか最後に、やたら時間があまってしまい、長い間があったあげく「ロケンロール」と言ったと記憶している。あれはまた別ヴァージョンなのだろうか。誰か奥崎謙三のあの有名な政見放送をアップしてくれないだろうか。そんなことはどうでもいいのだが。
■大学の授業を無事に終え、そして、岸田戯曲賞の選考も終われば一息つく。u-ench.comのトップページであるところの、「PAPERS」をなんとか更新しなくてはとも思うが、もう、デザインからなにから一新しようかと思っているのだ。そいでもってそっちもスタイルシートを使って更新を楽にしょう。まあ、やることはいろいろあるのだな。読みたい本も数多い。それにしても、学生が授業で発表してくれたカントルの、その発表そのものが、なにか刺激的で、新しいことをしたいと思うが、体調が万全じゃないってのはだめだ。からだが弱っていると、人はなんだか保守化する。これでもかってほどの、なりふりかまわぬ傍若無人さに欠けてしまうようなところがある。そうはゆくか、このやろう、また、『ニュータウン入口』ででったらめなことをやるよ俺は。そんなことを、えー、いろいろ、戯曲を読んで、思ったりもし。あ、井上ひさしさんは、選考会に来られるのだろうか。もしいらっしゃらなかったらすごく残念だ。
(8:26 Jan, 22 2007)