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Published: Feb. 4, 2005
Updated: Dec. 1 2005
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仕事の御用命は永井まで 松倉ライブ告知
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Nov.30 wed.  「単行本ラッシュ」

■よく早稲田のある学生からメールをもらう。とてもうれしいが、このところのメールの表題が、すごいことになっている。「そういやあ」「お疲れまんもす」「おっしゃー!!!」「わーい」「マッチの火」「特に用件はない」。これが、普通に考えたときのメールに記される表題として社会的に通用するだろうか。少しあきれているのだった。で、「吾妻橋ダンスクロッシング」の手伝いをしたいらしいのだが、「お疲れまんもす」とか、「特に用件はない」とメールに書いてくる者に任せていいものかどうか、こうなると疑問にすら思えてくるのだった。
■ようやく、来年世田谷パブリックシアターの企画で上演される現代能楽集『鵺』のプロットを書き上げた。わりとするする書き上げることができて、やればできるじゃないかという話だったのである。ただ、ここから戯曲にするためには様々な資料(過去の戯曲)を探さなくてはならないのだ。12月はこの仕事があるがまだ先だと思っていたら、もう11月も終わるのだな。ニュースでは「姉歯」のことがしきりに取り上げられている。なぜ、いまごろという感がぬぐえない。いちおうかつて建築を勉強していたこともあって少し興味がわく。それと、楽天とTBSのニュースを見て思うのは、楽天がやたら、放送メディアとの協調とか、業務提携を申し出ているが、テレビとネットはあきらかに異なるメディアではないか。提携するというのがよくわからない。テレビってのは楽である。スイッチを入れてチャンネルを変えれば好きなものが簡単に見られるといった意味では、きわめて受動的だ。そこがきっとメディアとしての親しみやすさなのだろう。そこへゆくとネットは能動的にさせられる。そもそも、サーチエンジンでなにかを探すって態度がもう、能動的ではないか。本質がちがう。なにをどうやったら提携できるというのだ。双方向放送ってのがそもそも怪しくてですね、テレビを見ながらそんな面倒なことをしたくないというのが視聴者の正しい態度だ。たた、見ていたいんだよな、見ながらべつのことをしていてもいいし、音だけ聴いていてもそれですむ、このよさがテレビだ。だから楽天の情熱がわからない。
■というわけで、『チェーホフの戦争』(青土社)、『資本論も読む』(WAVE出版)、そして、「
MacPower」の連載がまとめられた単行本が立て続けに刊行される。それぞれ特色があり、ぜんぜんちがうといってもいいような本になるだろう。どうか、お楽しみに。『チェーホフの戦争』『資本論も読む』は年内。来年の初頭に、「MacPower」の連載をまとめたエッセイ集が出る。T編集長ときのうタイトルをいろいろ考えたが、「キーワード」は、「レンダリング」だった。内容を読んでいただければ、なぜ、この言葉にこだわったかわかってらもえるが、まずT編集長から出たのは、『レンダリング社会』という書名案だ。さらに、『レンダリング日本』『我が国のレンダリング』など30個ぐらい案が出たが、結局、そのなかで、もっとも頭が悪そうだという理由で、『レンダリングタワー』という書名になってしまった。いいのか、これで。そのゲラチェックと「あとがき」の締め切りもすぐである。一週間ないんだよ。あせる。

「吾妻橋ダンスクロッシング」の稽古もまもなくはじまる。まだ、ほとんどなにも考えていない。やろうと思っていたことを最初に、桜井君からだめが出たからな。ただ、南波さんによる「テキストで踊る」の路線は変えない。それをどうやるかだ。悩む。考えることいろいろ。このあいだ、「演劇大学」で黒沢美香さんのダンスをビデオで観たが、ほんとにでたらめだった。ものすごかった。ただ、この「でたらめ」という「枠組み」はもうすでに、黒沢さんはじめ、多くの方がやっていると考えれば、それをやってもしょうがないしな。しかもそれは、「ダンス」というやはり「枠組み」があってこその「でたらめ」だ。だが、黒沢さんがすごいのは踊れるという前提があるからこそだ。いよいよ悩むが、なんとかなるだろう。

(5:32 dec.1 2005)


Nov.29 tue.  「銀杏並木」

駒場東大の銀杏 ■火曜日は駒場の授業である。今回は、八〇年代の笑いということに絞って話をし、「モンティ・パイソン」や「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」の映像を見る。で、まずは「道化」というものの面白さを、たとえば、由利通さんの映像を見せて堪能してもらったあと、しかし、八〇年代に入って、もちろんモンティ・パイソンは六〇年代の産物だが、そこにあった笑いの技法、作り方にあこがれてそれをこの国で生み出そうとしたとき、「道化」とはまた異なる身体が必要だったことなどを話す。そのためには、八〇年代になってやっと、その笑いを表現できる土壌が生まれたこと、そのための身体が出現したことなどを「八〇年代の可能性」として笑いの側面から話していったのだった。もちろん「笑い」にとっては「道化」が主流なんだと思う。だが、それだけではない笑いによって過去を清算しようとしたラジカルの営みについて話す。以前から、「モンティ・パイソン」と「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」については話したいと思っていたが、どう話せばいいか考えていたのだ。そこで、八〇年代になって「過去の笑いが凡庸」になり、笑いに刺激をもたらすためには、新しい身体(=非道化なるもの)が必要であり、八〇年代になってようやくそれが許される時代、その可能性が生まれる時代が来たことに、八〇年代について話す手がかりがあると昨夜の深夜三時頃に思いついたのだ。
■この授業は発見だ。なにがあの現象を生んだか、考え、思いつくことが面白くてしょうがない。それにしても駒場のキャンパスの銀杏並木はものすごくきれいに色づいていた。授業が終わったあと、いろいろみんなと話す。最近、頼まれた仕事を断ったことを白夜書房のE君に話すと、「成長しましたね」と言われた。まったくだ。だから、最近出た「モンティパイソン正伝」の仕事も最初から断ればよかったんだよな。あれ、俺が書いてもあまり意味がなかったものなあ。翻訳の奥山さんの解説や本文だけで、ものすごくいい本なんだから。
■さらに、WAVE出版のTさん、早稲田のKとKを家に呼んでお茶を飲む。Tさんとは仕事の話。二人のKとは、いろいろ話ができて楽しかった。さらに、そのあと、「
MacPower」の編集長のTさんと、デザイナーのSさんに会って、連載をまとめた単行本の打ち合わせ。オペラシティの53階にあるイタリアレストランで食事。来年の一月に出版予定である。いろいろ話してこれもまた楽しい。そのあと、このあいだの火曜日に「帽子をなくすととんでもないことになるからな事件」のあった、オペラシティのなかのカフェに行く。あの笑っていた店の人がやっぱりいて、ちゃんとこちらのことも覚えていてくれた。あのとき、なんだかわからないが笑いのつぼにはまったという。僕はその人を見ているだけでなんだか楽しくなった。食事がやたら豪華だったんで苦しくなっていた。

■家に戻ったのは午後11時過ぎ。眠いので原稿はあしたにしようと思ったが、『資本論も読む』の「あとがき」を書き上げメールで送る。「考えない」の「意味のない写真」もメールで転送。勤勉だった。「群像」のYさんからメール。来週の火曜日にまた会うことになった。こんどは、神泉にある「うなぎ屋」で食事をしながら小説の話をすることになりそうだ。いろいろ声をかけてもらえるのは幸いである。「新潮」に渡す小説も直さなくてはいけないのだな。それにしても銀杏並木はきれいだった。

(3:56 nov.30 2005)


Nov.28 mon.  「札幌から帰ってきた」

■北海道から帰ってきた。家に戻ってメールチェックをすると仕事の話がいくつか。完全にそれは無理というのもある。あるいは、無理そうだけど、やらなくちゃならない仕事もあるし、大学の授業は毎週きまってあるのだから、その準備はしなくてはならないのだな。人に会う時間もとらなくてはいけないし、そのやりくりが大変である。
■27日(日)は、午後12時から夕方の7時までワークショップだった。こんなに長いワークショップをやったことがない。まずは、「見る」ことから。で、長いと想像していた七時間だが意外とすぐに終わってしまう。やろうと思っていたことをはしょりながら進行。みんな熱心だったのでやりやすかった。もっと詳しく書きたいもののそれはまたいずれ。その後、食事会へと札幌のすすきのという土地に行く。名前をよく聞く札幌の繁華街。豚しゃぶの店だった。それで札幌で演劇をやっている人と長時間話をしたのだな。面白かった。僕はやっぱり演出家というより、作家だと思うので、「演出」に対してそれほど意識していたわけではないし、むしろ「演出をする」という行為に照れがあるのだが、考え方を、変えようと思ったのは、そうしていろいろな人と話をすることから生まれる。あるいは、こうして地方に呼ばれる仕事では、僕のような者は「質問に応える」のが仕事だと感じる。たいてい地方では質問をしようと待ちかまえている人がいるのだ。それにきちんと応えるのは疲れるが、でも、それに応えることもまた考えることだ。質問されてはじめて気がつかされることもあるのだし。
■そうして札幌の夜は過ぎてゆく。「演出家」という存在についてより意識的になった。あんまり考えてなかったんだな。演劇論などを読んで原理を考えるのは研究するような態度になってしまうのかもしれない。実践の場ではいろいろな人が数多くのことをしている。しかもいま、また異なる種類の波が起こっている。札幌で地元の演出家、そして岡田君たちに会えてよかったと思う。また刺激されたのだった。

■で、この旅のために持って行った
iPodが意外にいいので新しい発見だった。いいじゃないか、iPod。みくびっているところがあったがこれも発見である。いまさらだけど。音楽を聴く環境はどんどん変わってゆく。飛行機だと札幌東京間はあっというまだ。東京から京都に行くよりぜんぜん速い。といったわけで、札幌から帰ってぐったりしたが、いやがおうでも仕事をする。
■それから、ウイーンを旅をしてきたという未知の方から、そこで見つけた少々風変わりな「牛の彫刻作品」の写真を送ってもらったが、それも落ち着いたらぜひとも紹介したい。落ち着かないんだけどね。あしたまでに『資本論も読む』の再校のゲラチェックってことになっているが、その不可能性にいま茫然としているのだった。

(2:23 nov.29 2005)


Nov.26 sat.  「札幌にいる」

札幌市電 ■25日の、朝九時四〇分の飛行機で羽田から千歳空港へ。札幌で、演出家協会が主催する「演劇大学」というものが開かれ、僕も呼ばれたのだった。期間になっている数日のあいだに、何人かの演出家、振付家がワークショップをする。僕も一日担当することになっている。千歳空港からJRに乗って四〇分ほどで札幌だ。雪が降ったというニュースを聞いたのはもうしばらく前だったが、電車に乗っていると日の光が強くて暑いほど。雪はまったく積もっていない。
■寝不足だったこともあって少し疲れ、そのままタクシーで札幌駅からホテルに行く。きょうは交流会があって、参加する演出家たちが集まることは知っていたが、たしかな時間とか、場所についてはっきり把握していなかったので、事前に制作の永井に渡されていた予定表を、ホテルの部屋で見て驚く。そこには夕方の五時から交流会の予定が記されているが、備考欄に、「舞台映像持参の上」とあった。忘れたのだった。何年か前にパリで演劇のシンポジュウムに参加したがそのときもやはりビデオを持ってくるように言われていたのに忘れたし、さらに二、三年前だったと思うが、大阪市立大学でやはりシンポジュウムに呼ばれたときもビデオを忘れた。こうなるともう、うっかりというレベルの問題ではないのではないか。ビデオは忘れるようにできているのだった。
■で、夕方から交流会が開かれ、岡田利規君をはじめ、黒沢美香さん、深津篤史君、青井陽治さん、羊屋白玉さんらが、ビデオで自作を見せては解説するという進行で会は進む。幸いなことに最後が僕の番だ。映像がないのでぜんぶ言葉で説明する。とても残念だ。ほんとうなら北海道に用意されるはずだったビデオは制作の永井が編集してくれたものだし、この企画をはじめに白玉さんからうかがったとき、やはりビデオの話になり、パリでは忘れたんですとすでに話してあったのだ。しかしこうして旅をするときは、飛行機のチケットをどうするか、着替えなどの準備、風邪薬の用意、搭乗時間の確認、着替えをそろえ、旅先で読むにちょうどいい本、そして今回の場合はとくべつに、東京で上映が終わってしまったゴダールの新作『アワー・ミュージック』が土曜日(26日、その日、僕はなにもすることがない)から札幌で上映されるというのでその劇場の場所や上映時間をネットで調べたのだった。そんなにやることがいっぱいあると、ビデオを忘れてもしょうがないじゃないか。いっぺんにそんなにたくさんのことができるわけがない。
■ビデオ、DVDによる、作品の紹介もないまま、「遊園地再生事業団」というこの奇妙な名前の出発がなんだったかをはじめ、なにを考えて自分の作品を作っているかなどの話をした。まあ、なんとか話だけで時間をもたす。でも作品を見せたかった。ほんとうに残念である。終わってから札幌の繁華街で食事会。魚介類がとても美味しかった。それでいろいろ話しをする。もう数日前から来ているというチェルフィッチュの岡田君や、北海道の方たちとの話が面白くてもっと話していたかった。

■で、きょう(26日)は朝の九時になぜか目をさます。ぼんやりした意識でホテルの朝食をとる。すごく眠い。部屋に戻って少し仕事をするが、部屋の掃除をしてもらおうと思い、外をぶらぶらする。さすがに風が冷たい。それから、「考える人」の連載のための「意味のない写真」を撮ろうとあたりを散策。「意味のない写真」は、そう意識してとれるものではなく、偶然、出会ったときにはじめて発見されるのだな。なかなかいいものを撮影できなかった。途中、喫茶店に入って本を読む。もういいだろうと思ってホテルに戻ると、「一冊の本」のゲラがFAXでフロントに届いていた。その直しをする。それを終え、また本を読んだが夕方まで眠ることにした。夜、映画館へ。地方に来て映画を観るのはなぜかいい。ずいぶん以前、劇作家大会で盛岡に行ったときも映画を観た。札幌の「シアターキノ」という映画館は、いわゆるミニシアターと呼ばれるような劇場だ。成瀬巳喜男の特集もやっているようだった。むかしは「名画座」というのが東京にはたくさんあって、いつもどこかで旧作の映画が観られたものだった。観たなあ、そのころは。一ヶ月に50本は観ていた。死ぬほど時間があったころのこと。
■映画を観ようと思っていたので携帯電話の電源を切っていたら、「演劇大学」の方から留守電が入っており、あとになって気がついた。ジンギスカンを食べに行くという連絡である。しまった、映画を観たあとラーメン屋に入ってしまった。残念なことになっていたのだ。ホテルに戻って、このノートを書いたり、本を読んだりで、誰とも会わなかった。
■少し前に、白夜書房のE君が貸してくれた『下流社会』(光文社新書)という本を、あらためて自分で買って再読したが、なにより気になったのはこれが売れているらしいことだ。新宿の紀伊國屋書店では新書のコーナーにだーっとスペースをとって平積みされていた。これが売れるということは、社会の階層化が進行していることを多くの人が感じていることを思わせるが、私は思うにこれを読む人の多くは、本書にあるところの「上流」の人たちだろう。それを自覚し、確認したくて読んでいるのではないか。いまこれが売れるっていうのはそういうことのように感じる。で、いろいろ資料を並べて「上流」について書かれているが、たとえば、「趣味」としては、「スキー」「サイクリング」「キャンプ」など、どうやらアウトドア志向なのだった。縁がないなあ、俺は。あきらかに、私は「上流」ではない。
■あるいはいま読んでいるのは、松本健一の『三島由紀夫の二・二六事件』だが、それで言われてみればそうかと納得したのは、「二・二六事件」のあった年、三島由紀夫は十一歳だった。しかも事件のあった場所のすぐそばにいた。しばらく忘れていたが私はなぜか、その年のころ、ある種の「二・二六事件」マニアだった。もちろん北一輝の思想についてはなにも知らないが、子どもが、その事件に興味を持つというのはいわば「革命」というものへの憧憬だったような気がする。「思想」ではなく、「行為」に対する、ごく単純な夢想だ。

■久しぶりに大笑いしたのは、火曜日の駒場の授業を終えたあとの出来事だ。もぐりに来ていた、早稲田のKとS、さらに三坂を連れて初台のオペラシティの中にあるカフェでしばらく話しをしたあと、原稿のことも気になって帰ることにし、レジで支払いをしようとしていたとき、店員の一人がいままで僕たちがいた席に僕のニット帽が忘れられているのに気がついてくれた。「忘れてますよ」と持ってきてくれたので、「あ、どうも」と返事をすると、ニット帽をかぶり、そして、「帽子を忘れたらとんでもないことになるからな」と、そのとき思ったことをなにげなく口にしたのだった。すると、驚いたことに、それを聞いていたレジの係の店員が笑ったのだった。その笑いが止まらない。べつに僕は笑わそうと思ったわけではなく、ただ、思ったことを「帽子を忘れたらとんでもないことになるからな」と口にしただけである。だが、さらに笑う。その状況の全体が面白くて、僕も笑った。KもSも、そして三坂も笑う。さらになんだかわからないことになって笑いが止まらない。レジの係の人は、レジを開けっ放しにしたまま、しゃがみこむような姿勢で笑っている。なにがなんだかわからない。笑ったなあ。なかなか支払いが終わらないのだ。
■札幌はさすがに外に出るとひどく冷える。ただ、どこに入っても建物のなかはやけに暖かい。町には市電が走っている。遠くに見える山には雪が少し残っている。

(1:22 nov.27 2005)


Nov.23 mon.  「とにかく仕事をする日」

■新潮社のN君から「考える人」の連載原稿についてメールがあった。忘れていた。さらに、森達也さんの対談集のためにゲラを戻すのを忘れており、そうかと思うと、『
MacPower』の連載をまとめて単行本にすることになっているので、T編集長と電話で少し話す。驚くほど忙しい。やっていないことばかりだ。北海道に行っている場合じゃないような気がしてきた。むこうでも原稿を書くことになるだろうな。というわけでひとつひとつ仕事を片付けようと思って、『チェーホフを読む』のゲラのチェックと「あとがき」を書く。ぜんぜん終わらない。そのあいまに、「よりみちパンセ」の消失してしまった部分を思い出しながら書き、そしていろいろしているうちに一日は過ぎてゆく。早いな。しかもよりにもよって今週の水曜日は「演ぶゼミ」で授業をすることに、もう半年ぐらい前から決まっていたのだった。どうしてこんなことになってしまったかわからない。とにかく仕事をする。

(1:37 nov.22 2005)


Nov.20 sun.  「ワークショップのことなど」

■早稲田の「演劇ワークショップ」の授業についてきのう書いたことについて学生からメールをもらった。それで少し考えることがあり、日頃、なにかの機会にやっているワークショップとは異なることを思い出した。つまりこれは、大学の授業なのだな。
 どうしたらいいか、毎回誰が来るのか予想がつかない状況の中で、「表現を深める」ことの意味というか、もちろんみんな、何かを表現することに対して興味があったり、考えてみようと思う気持ちを持っているから「ワークショップ」と題されたこの授業を取っているのだと思うのですが、でも、「何をする授業なのか」があまり、やっているわたしたち学生の側ではっきりしていないのが、「表現を深める」ことに結びつかない原因であるような気がします。
 そうだなあ、この作業を通じてなにを獲得しようとしているかを、僕が授業ではっきり指示していないのかもしれない。学生のメールにもあったように、「毎回誰が来るのか予想がつかない状況」というばたばたしたなかで、まず、この授業からなにを学ぶかしっかり把握されていないのだな。後期のこの授業では、まずはじめに、「新宿」というテーマを与えた。そこから表現を作ることがまずある。しかし、いまは、メンバーが揃わない状況で、その日にいる人数でなにをするか考えるのに精一杯だ。当初の目標とするところなどなにも見えなくなっている。これは、「観察」と「考察」、そして「表現」のためにあり、前提となるのは「俳優はクリエイター」であるという考えだ。
■で、これまで様々なところでやってきたワークショップになると、各グループが事前に打ち合わせをしたり、終わってからあらためて集まって相談したりということがあったが、この授業には、そうした結束力はまったくない。欠席したら同じグループに迷惑がかかるといった考えもまったくない。大学の授業だから仕方がないといえばいえるが、でも、京都の大学は規模も小さかったこともあったせいか、グループワークは比較的できていた。大きな大学だからなのかな、グループワークがうまくいかない理由のひとつは。「何をする授業なのか」という疑問を抱えた「からだ」は、当然のように堅くなる。もう一度、考え直そう。だらだら続けていても仕方がないかもしれない。外部でやるワークショップでこうした課題を出すと、次々と小道具など用意してくるからなあ。なかにはきちんと衣装までそろえるグループもあった。それと同じだと思ったらおおまちがいなのだな。作品を作るのだという意志、表現を高めるのだという意志が感じられない。まあ、もっと単純に言えば、ほかのグループより面白いこと、いいものを作るという気持ちが通じてこない。
■だが、これはこれでいいのかもしれない。ここまでしかできないのだとわかっただけでも、なんらかの価値があるかもしれない。「新宿」というテーマを与えられ、その町をきちんと見たかどうか。考えを深めたか。その「視線」が試されていることに気がついているかどうか。しかも、それは「新宿」でも、「渋谷」でも、なんなら「所沢」でもよかったのだ。どこでもいいが、それを見る目がどうなっているかをいま作業するなかで試されているのだが。

■青土社から出る『チェーホフの戦争』の再校が出て、そのチェックをする。もっとよくなるんじゃないかと読めば読むほど、悩む。このあいだ、友部さんがいま読んでいるというので、俺、あの本になにを書いたっけなと『茫然とする技術』(筑摩文庫)を読み返したのだった。そしたら、あきらかに一カ所、まちがいを発見し、取り返しのつかない致命的なエラーだ。なんべんもゲラチェックなどしたはずなんだがなあ。どうして間違っていることにすら気がつかなかったのだろう。このあと、『資本論も読む』の再校もチェックしなければいけないんだけど、もうへとへとだ。間違えないようにと神経がすりへる。やること山積。二冊のあとがきも書かなくちゃいけないのだな。現代能楽集『鵺』のもっと細かいプロット(あるいは構成案)も締め切りがすぐだ。「よりみちパンセ」と小説もある。大学の授業の準備だってあるんだ。つくづく札幌に行くのが憂鬱になる。寒いしね。あと、12月には「吾妻橋ダンスクロッシング」もあるのだな。仕事を引き受けすぎた。
■ゴダールの新作の上映はもう終わってしまったのだろうか。情報にもうとい(いま調べたらもう終わっていた)。なにか刺激を受けて仕事するにもはずみになるかと思っていたが、わからないまま、日々は過ぎてゆく。ライジング・サンにも来てあの貴重なビデオを持ってきてくれたO君のブログを見たら、また、あのビデオ上映会を「新宿ロストプラスワン」で開催するらしい。面白そうだな。詳しくはO君のブログで。O君からメールをもらったのはかなり前で、そこでまた来年も、ライジングサンであれをやりましょうとあった。やりたいのはやまやまだが、また呼ばれるかどうかはわからない。呼ばれたらまた同じメンバーで参加したい。楽しかったからな。あ、そういえば、O君が友部さんの新しいCD『
Speak Japanese, American』を買ったとのこと。よかったと書いてくれて、人ごとながら、なんだか僕までもうれしくなった。
■しかし、そのCDのなかの『楕円の日の丸』は、以前、ライブで聴いたときははたしか朗読ではなかった気がするのだが、そのこと、このあいだ友部さんに聴けばよかった。CD屋のK君からもその新譜については以前、メールをもらったのだ。それから10月の吉祥寺でのライブには、銀杏の峯田君が来る予定だったとの話。なぜ、来なかったんだ、峯田よ。といったわけで、家では友部さんとディランばかり聴いている。夕方クルマに乗るとJーWaveを聴くのは習慣みたいなものだが、そのなかに、「トヨタ・ミックスマシーン」という枠があって、そのミックスを聴いていると自分でも作りたくなる。あと、せっかくパナソニックのデジタルビデオカメラがあって、
PowerMacG5があって、Final Cut Proの使い方も去年のあの地獄のような映画作りのなかで覚えたんだから、なにか5分くらいのなんでもない映画を作ってみたいと思った。こんどはエロチックなものを作るというのはどうだろう。いや、露骨なものではなく、どこかエロチックなもの。でも世の中、いま「露骨」だからね。つまりは新しいセクシーだ。

(4:38 nov.21 2005)


Nov.18 fri.  「この数日」

■水曜日(16日)のことから。友部正人さんにお招きいただき、横浜の
BankArt1929に行った。BankArtではちょうどいま、「BankArt Life」という現代美術などの催しが開かれている。その概要について書くと長くなるので、紹介サイトをごらんいただきたい。そうした美術作品が展示されるなかで友部さんのライブがあって、ふつうのホールやライブハウスで歌を聴くのとはまたちがうおもむきがあった。
■で、ライブの途中、会場が
BankArt1929から、BankArt NYKへ移動するのだが、その移動のあいだも友部さんは歌っていた。観客はそれを聴きながら歩いてゆく。歌ったのは、「フーテンのノリ」だ。その歌には、「おまわりは火の手が大嫌い」というような言葉があり、六〇年代末の時代を物語のように歌う詩だが、歩いていると町にはやたら警察がいてその現在の風景と、歌が微妙な色合いを出していて僕にはとても面白かった。どういうかげんか、そのあいだ僕は歌っている友部さんと並んで歩いているようなかっこうになって、なんですか、この、うれしさは。「フーテンのノリ」は九分以上ある曲だが、それをギターを弾いて歌い、そしてハモニカを吹き、友部さんは、BankArt NYKの三階まで上がってゆく。ついていった僕はもうその時点で息が切れているわけですが、三階(僕ははじめてそこに行った)に着いてようやく「フーテンのノリ」を歌い終わったかと思うと、またすぐに次の曲「Speak Japanese American」を歌い出した。さすがにフルマラソンを三時間台で走ってしまう人である。とても楽しかった。仕事がたてこんでいて今回は来られないかと思っていたが、来てよかった。
■ライブが終わったあと友部さんから、「一緒に走ろう」と言われたが、「それは無理です」と応えた。あきらかに無理である。だってねえ。でも、こっそり一人で走ろうかという気持ちにもなったのだった。なにしろ、僕は京都の大学をやめてからというもの、どんどん体重が増えている。あきらかに運動不足だ。京都で教えているころは、毎週の新幹線で通うことなどいろいろあり、みるみる痩せていったが、早稲田は近いからもうほんとにそれだけでも教えるのに負担がない。まして駒場にいたっては、歩いても行けるんじゃないかという距離だ。歌のあいまに、「
BankArt Life展」の作品を見ることができ、それでいろいろ考えることもあった。もちろん興味のわく作品と、そうでもない作品もあったが、このところ考えている「八〇年代」についてのまたべつの側面からのアプローチというか、「考えるヒント」を発見した。BankArt NYKはやっぱりいいロケーションだな。建物のなかの感じもとてもいい。もっと大勢の人が来ればいいのに。帰り、友部さんの新しいCD『Speak Japanese, American』にも参加しているマーガレット・ズロースというバンドの平井君の家が、僕の帰り道の途中なので平井夫妻をクルマで送った。こんどの日曜日に結婚式をあげるという。クルマのなかでいろいろ話しができて楽しかった。

■というわけで、木曜日(17日)ときょうは早稲田の授業だ。「演劇ワークショップ」の授業の出席率が低く、エチュードでなにか作ろうという試みがだ、なんというか、ぜんぜん深まらないのだった。グループワークができないことに驚かされる。これはもっとべつのやり方を考えないとだめなのだろうか。でも、モチベーションの高い学生も何人かいるから、その学生たちをどうフォローしてゆくかだ。そのあと、二文の「演劇論で読む演劇」は「佐藤信」をテーマにする。今回は、佐藤さんの『演劇論集・眼球しゃぶり』のなかの、表題にもなっている「眼球しゃぶり」を全員で読み合わせ。まるで読書会のような状況になった。懐かしいなあこの感じは。高校生のときにやった読書会以来だよ、これは。
■終わってから学生たちの何人かと研究室に行って話しをした。ほんとは二人部屋だが、なぜか一緒の部屋を使っていた教員の方が10月ぐらいに大学を辞職なさったということで、僕がひとりで使っているから気が楽だ。学生たちといろいろ話しているうちに夜もずいぶん遅くなった。外に出ると寒い。来週、北海道に行くのが憂鬱になってきた。
■それにしても横浜はいいなあと思うのだ。町もいいが、チェルフィッチュの岡田君のような表現は、ことによったら横浜という町を背景に作られたのではないかと想像する。それは京都にも通じるが、なにか余計な情報やら、雑音やらにじゃまされずにものを作ることができる環境が町にある気がする。東京はだめだ。いま、演劇は、京都と横浜である。いや、もっとあるのかもしれない。どこか遠く、東京がどうしても中心になってしまう演劇シーンに影響されない、もっと異なる舞台が作られているのではないか。

(4:45 nov.19 2005)


「富士日記2」二〇〇五年十一月前半はこちら →