Sep.30 sat. 「稽古と親睦」
■夕方から稽古だが、その直前に、シアターガイドの取材を受けた。取材をしてくれるのは、よく僕のことを記事にしてくれるライターのTさんだ。Tさんにはじめて取材を受けたのがなんの雑誌で(ことによるとやはりシアターガイドだったか)、いつのことだったか正確な記憶はないが、はっきり覚えているのは、そのときTさんが二時間遅刻したことだ。その後も遅刻しなかったためしがない。きょうも五分ほど遅れてきたものの、ものすごい進歩である。たいへんな成長である。だって、二時間だったのだ。それが五分になったのだ。で、もちろん、『鵺/NUE』の話をする。Tさんだと話がしやすい。そこが彼女のいいところだ。こちらのこともよくわかっているし、その上でこの作品がどういう位置にあるかを見定めてから質問してくれるから、こちらも、質問に応答しつつ、まだ自分でも整理できていなかったことを気づかされることになる。楽しいインタビューの時間だった。
■さて、稽古。おぼろげながら輪郭ができてきたのと、ようやく集団としてのまとまりができてきた。いちばん若い半田君は、やっぱり若いだけに、こうしてやってみなと演出するとぐっと変化するのがよくわかり、それが見ていて気持ちがいい。いまはまだ僕は、はじめて一緒に仕事をさせていただく方たちの魅力を探している。だんだんわかってきた。もちろんきっと得意技ともいうべき方向がそれぞれの方にあるのだろうけど、でも、それとは異なるなにかを見つけられたらとじっと見ているのだ。さて、全体をざっくり作ってゆく作業はきょうまで。いよいよ10月になる。もっと細かく作ってゆこう。とことん考えぬいていい舞台にしたいが、仕事は次から次へとやってくる。芝居のことだけ考えていたいがそうもいかず、なにより不安なのが大学だ。稽古場にスケジュール表が張り出されている。何日かOFFの日があるが、その日は僕が大学の授業があって稽古のできない日である。初日に近づくにつれぜんぜん休みがなくなる。まあ、しょうがない。
■稽古が終わってから、はじめての親睦会。若松さん、上杉さん、中川さんとよくしゃべった。若松さんの天井桟敷時代の話は面白い。寺山修司という人はなんということを考えていたのだろう。上杉さんは僕より一歳上だが、するとどうしたって、映画体験などほぼ重なる。いちばん多感な時期にアメリカンニューシネマだ。すると、『俺たちに明日はない』『真夜中のカウボーイ』『スケアクロウ』といったことになる。上杉さんが、熱弁。僕も言葉に力が入る。あのあたりの、男と男の関係というのは、むろん、ゲイとは関係が薄い(『俺たちに明日はない』はちょっとちがうが)とはいえ、なにか特別な性格をもっていると話す上杉さんの言葉を聞いて思ったが、たとえば『真夜中のカウボーイ』のジョン・ボイドとダスティ・ホフマンのありようは、そのまま、ベトナム戦争におけるアメリカのおかれた状態を反映しているのじゃないかと考えた。で、ベトナム戦争によってアメリカ映画は敏感に反応していたと、それは当時、小学生だった僕にはわからなかったが、少し年齢が上になってから気がついた。とするなら、九〇年の湾岸戦争、そしてイラク戦争を通じアメリカ映画はそれと向き合っているのか疑問だ。どこか反応がにぶいように感じる。もちろんマイケル・ムーアのような人はいるにしても、単純に書けば、「戦争反対」と直接的な言葉は軽く出てしまうが、映画のもっと深いところで時代と対峙する姿勢が感じられない。とはいえ、アメリカ映画をぜんぶ観ているわけでもないので(輸入されない映画だってあるわけだし)、断言できないが。あと、中川さんとは家がすごく近いとわかった。それと中川さんのおじいさんは、かつて政治犯として獄中にあったころものすごく勉強したとの話で、それでドイツ語も勉強しちゃったのか、ブレヒトを訳したのかと思うと、獄中もなかなかにいいと思ったりして。そして半田君は七〇年代の歌謡曲にものすごく詳しい。話し出したら止まらない。その知識は七〇年代の歌謡曲ばかりではなく、ちょっとした蘊蓄王である。
■いい親睦会だった。まあ、緊張感を失ってはいけないが、これからの稽古がよりいい時間になりそうな予感がする。緊張感と集中力は切らさないようにしよう。そうした稽古場にする。それでこれからは細かく稽古。いい舞台にしたい。いい舞台にすることが、俳優たちに対して僕ができるいちばんの感謝になると思うのだ。それから、「復刊ドットコム」に、僕の『彼岸からの言葉』をリクエストしてくれた方だろうか、Iさんという方からメールをもらい、リクエスト数が規定に達したので「復刊ドットコム」より出版社との交渉に入ると連絡があったという。じつは、何人かの編集者の知人から、うちで復刊しませんかとメールをもらっているが、「復刊ドットコム」のありようが興味深くて、成り行きをしばらく見ていたいのである。それはつまり、ネットがどのように動くかを知りたいという興味だし、そしてIさんのような方がリクエストしてくれたという、そのことに感動もする。見事、復刊したら、それはとてもいい感じじゃないですか。成り行きが楽しみである。
(11:04 Oct, 1 2006)
Sep.29 fri. 「時間がないので手短に」
■とはいうものの、稽古のことは少しでも書いておきたい。
■きょうから、世田谷パブリックシアターの稽古場Aに移っての稽古だ。睡眠異常がまた発生して、少し眠かったが、稽古中は大丈夫だった。ただ、稽古が終わってからの、衣装打ち合わせ、映像打ち合わせのときは、さすがに疲れていて、少し虚ろだった。さて、稽古だ。数日お休みだった下総君が復帰。動線など、すでに作ったところなど、微妙に修正するのに少し時間がかかってしまった。まだ、ひとつひとつ場面を深めるところまではいっていないが、まあ、まだ稽古ははじまったばかり。とはいえ、気がつけば九月も終わり、もう本番まで一ヶ月と少し。時間がないんだな。焦るよな。それぞれ、出自の異なる方による舞台で、せりふの発し方、立ち方、動きなど、整合感がないが、それはまた、俳優それぞれが、遠慮しているところもあるのではないか。もっと距離が縮まればきっとなじんでくるに違いない。若松さんは面白いなあ。しかも、動線とか、けっこう自由だし。上杉さんはどこか、うわーっとしたエネルギーがあって、たとえば、僕がよくやっている鈴木とか上村とはまったくちがう動きだ。いろいろな演技体系があるのはもちろん知っているが、そこで発せられるのは、僕が書いた戯曲とはまた異なる劇だ。それが面白い。戯曲を書いた時点で完成していたら、舞台にする必要がないのが現代演劇だ。ドラマからパフォーマンスへ。たとえ戯曲という枠組みがあっても、そこからこぼれるものがあるから、現在の演劇は面白いはずだ。そしてまた、だからといって、八〇年代的な壊し方(ずらし方)とも異なるものが、いま生まれているのではないか。そんなことを考える稽古場だ。様々な俳優と稽古するのは面白い。いろいろ発見がある。
■疲れた。睡眠不足もあったがひどく疲れた。家に戻って少しテレビを見てから眠る。午前四時にまた起床。それで、『考える水、その他の石』のあとがきを書く。18枚になった。ああ、この先、休みもないし、舞台の取材、「ユリイカ」の対談、大学の準備とか、いろいろあって、ひどく憂鬱だ。とにかくねえ、稽古の時だけでも、体力と気力が充実していればと思うのである。あ、ただひとつ、うれしいことがあったのは、岡崎次郎さんの絶版になっていた『マルクスに凭れて六十年』をネットにある古書店で発見したことだ。きのうはなかったんだよ。きょうになって突然、出てきた。探すもんだねえ。というわけで、きのう、「復刊ドットコム」のことを書いて、覗いてみたら、どかどかっとリクエストしていただいた。こちら。ありがとう。復刊の道は近い。わからないけど。
(7:13 Sep, 30 2006)
Sep.28 thurs. 「稽古は休みだが仕事をする」
■一日中、『考える水、その他の石』のゲラチェックをしていたので、一歩も外にでなかった。ゲラのチェックをしているのか、本文を読み返しているのかよくわからない始末で、読みこんでしまい、あ、そうじゃない、直しをしなければと思い直してまた、チェックを入れる。それほど大幅な直しはないが、少し文章に手を入れ、「読みやすさ」をこころがけたのだ。あるいは「改行」を増やすなど。それにしても「劇評」ではひどいことを書いていたりして、こりゃあ、敵を作ったんじゃないかと反省しきりだ。ただ、悪口や皮肉ばかりではなく、よかった舞台はしっかり評価しているのである。
■でも、批評っぽい原稿が多いが、かなり冗談である。なにくわぬ顔をして冗談を書いている。ほんと、でったらめなことを書いているのだ。取りあげた舞台の方には申し訳ないほどの冗談だ。でも、太田省吾さんの『水の駅』など、もう単純に感動している。それから「ボーナストラック」としてこのノートからの抜粋もあるが、ネットのノートとはいえそれなりに読める文章になっているような気がする。よかった。それと、読点(「。」のこと)がない、とにかく、だらだらした文章があって、これ、嫌悪感を持つ人にはきっと、非難されるだろうな。『サーチエンジン・システムクラッシュ』もそうだったし、あれなんか、単純に文章が下手だと評されたこともある。ま、いいけど。っていうか、非難するおまえの文章が下手だよって、話になるのだが。
■それから、白水社から新装版が出るにあたって、あたらしい「あとがき」を短めに書こうと思っているうち、10枚ぐらいになっていた。800字とかですませたかったのだがなあ。書いていたらそうなっていた。きょうは稽古が休みで、このあと10月8日までOFFがないが、そんなわけで仕事はしていた。駒場の講義のための資料をアマゾンなどでどんどん注文しているが、届いても封を開けていない始末だ、読むひまがない。時間がないぞ。今月は30日までか。すぐ9月が終わる。焦燥する。日本ハムがパ・リーグを一位通過のニュースは明るいできごとだった。いろいろ考えることが錯綜し、落ち着かないことことのうえない。ただ、稽古だよなあ。いい舞台にしたいのだ。細かくやってゆこう。ていねいに演出しよう。このあいだ、『東京大学「地下文化論」講義』は「アサヒ芸能」で取りあげてもらったが、「hanako」でも紹介してくれるとの話。それ、かなり傾向のちがう雑誌だ。どういったことになっているのだ。
■あ、それで思いだしたが、『彼岸からの言葉』がいま、入手困難で(って、もちろん絶版になっているし、文庫版もどこにもない)、一部で、高価で販売されているのを人づてに聞き、なんだか腹立たしい気分になったのだ。角川書店は復刊するつもりはないのか。人から教えてもらったが、「復刊ドットコム」でも、要望が出ているというので、見に行った。もう少しだ。要望があと少しで100に達する。高価で取引されているくらいだったら、なんとか復刊できないものか。あと21人の希望があれば交渉してくれるみたいだ。もし、ここを読んでいる人がいたら、リクエストしてあげてください。ただなあ、前、角川の人にあったら、いつかしますよといったきり、ちっとも復刊する気がなさそうだった。おまえは、古本屋の回し者か。俺、コピーして売ろうかとすら思ったよ。なにより、あの本の著作権は俺にあるはずで、角川がなにを言おうと、俺が出すといったら、出せるはずだ。で、3000円ぐらいで売るって言うのはどうだって、商売する気かよ。
(7:00 Sep, 29 2006)
Sep.27 wed. 「稽古、そして渋谷で」
■稽古は夕方からなので、昼間は、『考える水、その他の石』のゲラチェックをしていた。このノートは一日おきのペースになっている。だいたいが、毎日書いているのが異常なのであって、まあ、人はたいていブログをこれくらいのペースで書いているだろう。いや、すべてのブログを読んでいるわけではないので(っていうか、ふつうそんなことはできないし)、よくわからないが、きっとそうにちがいない。多くのブログには「コメント欄」というやつがあり、しばしば、このネット社会において「炎上」という事態が起こるものの、誰が作ったんだ、コメントが大量につけられる状態を表現するのに「炎上」という言葉を。あれがいやだね。で、あるネットニュースにもコメント欄があって、ニュースに対してコメントが多数寄せられる。そのなかで気になったのは、ネットにおける発言者(主に「ネウヨ」と称する単なる保守な者ら)について「リテラシー度が高い」と評価するコメントがあったことだが、それはうそだね。ま、いいか。
■そんな日、早稲田の学生たちから『エンドゲーム』の感想が送られてきた。とても読み応えがある。それも紹介したいと思うが、長くなるので、またにしよう。とにかく「感想を」と書いたらすぐにメールしてくれてとてもうれしかったのです。さらに、ある知人から長文のメールがあった。少し深刻な内容だ。その人は二年前に離婚したのだが、重いメールの内容のうち、次の部分で、私は申し訳ないが爆笑してしまったのだった。
「離婚して辛酸を舐めたり舐めなかったり」
なめたのか、なめなかったのか、どっちなんだ。ほんとに申し訳ないと思いつつ、笑ってしまった。でもメールの全体的な内容ではその人の現在の心境などつづられ、それをどう受けとめてあげたらいいかなど、考えることがむつかしかった。こういうときうまいアドヴァイスができないのだ、俺は。というか、こういったとき、なにかまじめに助言したり、生き方、人のあり方について語ろうとすればそれが自分でうそに感じてしまう。それというのも、私自身が、そんなに人に意見するような生き方をしていないからだ。ほんと、ふざけてるからなあ、俺。ふざけて生きているのが申し訳ない。「生きていてすいません」と語った作家の言葉を借りるなら、「ふざけて生きていてすいません」だ。
■で、『資本論も読む』のとき、読んでいたのは大月書店版の『資本論』だったが、その翻訳は岡崎次郎さんである。『資本論も読む』を単行本にしたときも、さらに言えば、連載中も翻訳者については書こうと思いつつあまり触れなかった。でも、もっと知っておくべきだったと教えられたのは、朝倉喬司さんの文章を読んだからだ。この文章はほんとにいい。そして、岡崎次郎という学者の生き方、あるいは、死に方に、打たれる思いがした。
■そしてきょうの夜、稽古が終わってから、今度刊行される僕を特集してくれる「ユリイカ」のために、青山真治さんと対談をさせていただいた。久しぶりに青山さんと話しができてとてもよかったな。このところ疑問に思っていたことなど、青山さんから考える手がかりをもらえた。二時間ぐらい渋谷で話しをしたのだ。で、話は前後するが、その対談に向かう途中、渋谷に少し早く着いたので、同行してくれた永井とふたり、コンビニに入って肉まんとあんまんを買った。渋谷の町を肉まんを食べながら私は、約束の場所まで歩いた。この年になって、ものを食べながら通りを歩くのはいかがなものかと思いつつ、歩きながら食べる肉まんがうまいんだからしょうがない。むかしはよく、お肉屋さんを商店街で見つけると、コロッケを買って歩きながら食べたものだ。あれが美味い。でも、やっぱりこの歳になってねえ、歩きながらものを食べるのはまずいのだが、対談のきっかけで青山さんが、「だめ」というキーワードをあげたので、その直前の「肉まんを食べている私」というものをどうしたって想起せずにいられず、思いだして赤面していたのである。だめだなあ。僕なんかより、ずっとしっかり者の青山さんが、自らのことを「だめ」と言うのを聞き、ちっとも小説を書かない自分の「だめ」が、いよいよ、「だめ」に思えてきた。ああ、「新潮」のM君はどうしているだろう。「群像」のYさんにも迷惑をかけっぱなしだ。だめだなあ。ほんとにだめだ。
■家に戻って、メールをチェックして、先に書いた、『エンドゲーム』の感想や、「離婚して辛酸を舐めたり舐めなかったり」を読んだわけだけど、そのあと、永井からメールがあって、そこに今後のスケジュールがびっしり書かれていた。そして、「明日のお休み以降は10/8(日)までOFFはございません」とあった。がっかりだ。あ、きのうはなにをしていたんだっけ。稽古があったな。稽古は少しずつ進行。ちょっとずつだが形が整ってきた。まだこれから。
(11:17 Sep, 28 2006)
Sep.25 mon. 「短信」
■雨の火曜日である。もちろん夕方から、パブリックシアターの稽古場を使った稽古である。
■稽古の報告、月曜日(25日)にあった、世田谷パブリックシアター・トラムで公演中の『エンドゲーム』のポストトークに出て、早稲田の岡室さんとベケットについて話ができたのも貴重な経験で、話しつつ、岡室さんにいろいろなことを教えてもらったことなど、書きたいことはいくらでもあるが、いま、11月刊行予定の、『考える水、その他の石』(白水社)のゲラの直しの仕事があって、ゆっくりノートが書けないのだ。『考える水、その他の石』は、もう10年ぐらい前に出した本の再刊である。劇評などが多くて、あまり多くの人の目に触れられていなかったが、今回は、そのなかから「笑い」について僕が触れた部分を編集し直して再刊することになっている。白水社のW君がつけた、帯の言葉が「かっこいい笑いとはなにか」とある。で、たしかに笑いについて書いた文章もかなりあるが、劇評など、「笑い」とは無縁なところもかなりあって、買った人が怒らないかそれが心配だ。ただ、ずっと書きつづけているウェブ日記(このページなど)から、「笑い」に関わる部分を抜粋してボーナストラックとして収録するので、「笑いに関する文章」の比重は高くなっている。だからってわけでもないが、以前、買った方も、また買っていただくとありがたい。
■そして、駒場の授業について、白夜書房のE君からさらにメール。より具体的なアイデアがあって、あ、なるほどと感心した。それで光明が見えてきたが、ゲラのチェックがあって、もっとゆっくり考えたいもののそれがままならぬ。稽古とこのゲラ。そして大学の準備。でも、せっぱつまると、意外にいいアイデアが浮かぶものだ。それにしても、『エンドゲーム』のポストトークは僕にとってはためになった。話しているうちに考えたこともあったが、わからないことがあると、岡室さんに質問すれば即座に答えてもらえる。さすが研究者。打てば響く。舞台上から客席を見ると早稲田の学生の顔もちらほら見えた。終わってから話がしたかった。あるいはメールをくれたらうれしい。『エンドゲーム』を彼らはどう見たか。ベケットについての彼らの意識はどうなのか。かつて現代演劇の先端だったベケットはいま、どのように受容されているのか、それが知りたかった。そのあと、演出をしている佐藤信さんと少しお話をする。佐藤さんとももっとゆっくり話しがしたい。
■といったわけで、いろいろなことをもっと書きたいが、きょうはここまで。雨はいやだねえ。日増しに先のスケジュールのことで憂鬱になっているが雨が追い打ちをかける。もう完全な秋なのだな。風が冷たくなってきた。稽古場で煙草が吸えるとトイレの休憩以外は、集中して稽古ができる。これでなくちゃな。それだったら俺は、いくらでも稽古をしていいのだ。
(2:45 Sep, 27 2006)
Sep.23 sat. 「また稽古ははじまっている」
■金曜日(22日)から、『鵺/NUE』の稽古がはじまったのだった。大学の発表公演が終わって少しは余裕があると思ったらほとんど時間がないまま、また稽古だ。今回は、遊園地再生事業団の公演ではなく、世田谷パブリックシアターが主催する「現代能楽集シリーズ」の一環なので、世田谷の方にたいへんお世話になっている。すべて段取りを整えていただいているし、もう僕は、ただ稽古場に行けばいいような状態なのに、初日の稽古に遅刻しご迷惑をおかけした。思いのほか道が渋滞していたのだ。道がすいていると30分くらいで三軒茶屋に着くが、道は生き物のように、時間、曜日、なにかのトラブル(事故、工事)で渋滞率が変化する。ま、言い訳ですが。
■初日の稽古は読み合わせから。初めて舞台を一緒にさせてもらう俳優さんたちが多い。僕からもっと、今回の舞台について説明をし今回の舞台を理解してもらう必要があったと思われるが、うまく話せなかった。演出家としてそれはいかがなものか。いたってシャイなものですから、うまく初めての人と仕事ができないのだ。少しずつコミュニケーションを深めてゆこう。とはいえ、稽古の期間はそれほど長くはなく、でも、初めてであう者同士、短い期間とはいえ、つながりが深まればそれが舞台ににじむだろうと思うのだ。そして、僕の演出の方針は、特にこうしたプロデュース形式の場合、集団の表現の総体というより、俳優個々の方の魅力を存分に引き出せたらと思っている。そこに僕の考え方によって表現を整理する。もちろん、「魅力」と書いてもかなり抽象的で、僕の考えている「魅力」と、俳優が考える「自分の魅力」はちがうかもしれない。そこで信頼してほしいと思うのだ。僕の眼を信じてもらいたい。なにかいままでなかった魅力を引き出せたら僕にとっての、望外の喜び。
■本読みをしたところでは、約1時間45分。想定通りだ。本読みを終えてきょうの稽古は終わりにした。顔合わせだったが、もう少し、コミュニケーションの時間を作るべきだったかな。なにか遊びを考えておけばよかったとか、そういった、仮の集団の結束を固めるなにか。上杉さんとは少し話をしたが、若松さんとはあまり話ができなかった。でも、とてもおだやかな雰囲気の方だ。むかしから舞台や映画で知っているあの若松さんのイメージがどうしたってあるから、少し怖かったんだけど、なにかきっかけを作って話しをする、というより、いろいろな話を聞かせてもらいたいのだ。下総君とは、『モーターサイクル・ドン・キホーテ』でも一緒だったし、芝居をしているとき彼が問題にする戯曲に書かれたことの整合性を彼のなかできちんと整理しないと、からだが動かないという感じは前回でだいぶわかったので、逆にどんどん質問してもらうと僕も、この戯曲に関してより演出のヒントになる。上村、鈴木は、何回か舞台をやっているからだいぶわかっているつもりだ。で、田中と半田君はまだ若い。二人に細かい演出をするのは、彼らのためにも必要だと思う。ほとんどはじめて舞台を経験する、半田君はまだからだが固くなっている。少しずつ、舞台表現を身につけると彼の将来にも、なんらかの役にたつと思う。そして、中川安奈さんはびっくりするほどスタイルがいいので驚かされた。楽しんでこの世界を表現してくれそうな印象だ。
■遊園地再生事業団でやる舞台とはまた、異なる緊張で、僕はまた、しばらく疲れる日々が続く。精神的な疲労である。心の安寧をどこにもってゆこうかと。精神のバランスをどこで保とうかと思う。しかも、早稲田と駒場の授業がびっしり入っている。
■特に駒場のほうは、また本にするというので、プレッシャーはあって、その勉強もしてゆかないといけないが時間がない。白夜書房のE君から講義のアイデアを送ってもらったが、ゲストを呼ぶという案があってだとしたらスケジュールもあるだろうから早く決めなくてはいけないものの、全体のことを考えると、「ノイズ文化論」として、なにか一環したものができるかはわからない。『東京大学「地下文化論」講義』も、まあ、一環していたかどうかわからないが、「八〇年代」を語る上で材料をいろいろ用意し、それをばらばらに並べつつ俯瞰したところがあるが、「ノイズ文化論」は、「抑圧する者によって排除されるノイズについての話」という漠然とした考えはあっても、核心がもうひとつ曖昧だ。困った。『ネオリベ化する公共圏』(明石書店)のような問題もあるし、あるいは、公園のベンチに関するこういうニュースについても公共圏とアート、そしてホームレスの問題として考えるべきだろう。あるいは、「性同一性障害」「ジェンダーフリーとバックラッシュ」「監視カメラ問題をいかに笑うか」……、で、『東京大学「地下文化論」講義』で、「八〇年代が生み出した、ある種の清潔感(それは七〇年代への反発として生まれた部分もあるが)」と、やはり八〇年代に生まれた「差異化のゲーム」といったものが、現在、歪んだ形で反復されていないかどうか。つまり、「禁煙」に関する神経質な社会の反応をはじめ(ホームレス排除の社会的風潮)は、「清潔感」の現在的なありようだろう。「差異化のゲーム」は、「社会の格差を大きくすることにつながっていないか」といったことも考えられる。あと、「ノイズミュージックって、なぜ、ノイズだったのかという思想について」は興味もあって佐々木敦さんの本を少し読んでいる。それで、その本にあった一九二〇年代ぐらいからの音源を集めたコンピレーションCDをアメリカの中古CD屋に注文したがまだ届かない。ただなあ、『東京大学「地下文化論」講義』でもそうだったが、けっこう音楽を講義中に流したが、それって音楽だけにほとんど記録できなかったんだなあ。トレバー・ホーンが八〇年代にプロデュースしたZTTの話など、ぜんぜん触れられてない。なんか、「おたく」に話が片寄りすぎた傾向もあったな。
■で、それはいいんだけど、そういった各論について勉強する時間がないんだよ。まだ、あるようにも思えるしな。研究者じゃないけれど、その勉強をしっかりしないとまた、しどろもどろの講義になるだろう。ほんとうに困っている。
■で、本日は稽古二日目。もう立ち稽古。なんとなく、漠然とした動きを決めながら本を読む作業だ。上杉さんはいま本番中ということもあって、疲れていたのじゃないだろうか。それをいきなり立ち稽古ってことで、大変そうに見えた。それから上杉さんや、下総君から質問も出て、少しずつ、稽古場が動き出した感じはある。やっぱり上杉さんの迫力はすごいし、若松さんのなんだかわからない表現力がすごく面白い。大人の芝居は好きだな。上村、田中らは、まだ若い。でも大人の芝居を観て、観ることこそ勉強になると思う。こういう俳優としての存在もあるのだなということの発見。
■で、きょうは鈴木がNGで稽古場に来られなかったので、早稲田の学生を呼んで代役をやってもらった。このあいだの発表会に出た、モリモトとイガラシである。モリモトは芝居がしっかりしている(なにせ文学座の養成所に行っていた経験があるし)、イガラシは甘い二枚目なのでみんなから、「それじゃおまえ、ジャニーズだよ」と理不尽な批判をされている。きょうはイガラシが代役をしてくれた。イガラシはすごい、初見の台本なのに、すべての漢字をすらすらと読めた。それが正しいかどうかはともかく、すらすら読んだ。モリモトも代役をやりたそうだった。二人に助けられた。このあと、田中が何日かNGの日があって、そこで悩むのは代役で学生を呼ぶのは簡単かもしれないが、ことによると学生のほうがうまい恐れがあるからだ。そうなるともう本末転倒である。きょう稽古で観ていて、ありゃって気にもなった田中の芝居だ。もっと細かく稽古してぜったいよくする。どうしよう、NGの日、代役入れるかどうか。
■もちろん、まだ稽古は二日目。アウトラインと、立って動き、アクションを入れることで俳優たちにはイメージをつかんでもらう。少しずつ積み上げてゆこうと思うのである。時間はもちろんあまり贅沢には使えないが。
■そうだ、昼間、ベケットの『エンド・ゲーム』を観たのだ。よかった。で、驚かされたのは、書かないほうがいいと思うが、配役のことだった。ぜんぜん、予想していなかったなあ。そうか、そうだったのか。そして、装置がとてもきれいで、きわめてシャープに構築されていた。この世界がまたべつの様相をもって出現する。そしてやっぱりベケットは面白いとあらためて確認。その面白さは、不条理劇がもつ本来的な、人の生の、根源への問い直しではないだろうか。もちろん様々な「劇の方法」が、それを表現してきたと思うが、「不条理劇」と呼ばれた一潮流だけにおさまらず、ベケットの書いたその筆致のなかに、またほかとは決定的に異なる本質があるのではないか。それはたまたま、「不条理劇」と呼ばれたが、っていうのも、どんな言葉でこの劇を語ったらいいかわからなかったからだろう。それはベケットに固有の、ベケットだからこそ持っていた筆のさばきを丹念に読むことでしか、わからないものではないか。
■人の生の普遍性へのまなざし、人のありように対する残酷なまでの客観的な視点、だがそれでも、そこに注がれるシニカルな目は、本人は意識していなかったかもしれないが、それがシニカルだからこそ、本質的な切なさにつながると思えてならないと、いま読める。『エンドゲーム』の世界に漂う終末感は、「世界」をアナロジーにして描かれた人の姿だ。だから、最後のハムの独白は悲しい。ただ、岡室美奈子さんが新たに翻訳した戯曲を読んだときかなり期待しちゃったからな、うーん、舞台では、そのせりふというより、そこに至る組み立てが軽くなっているように思えた。それも演出の狙いかな。軽いことで、世界は救われるのだろうか。
■ベケットは面白い。また、べつの読みができる。いまだからこそ。ポストトークに呼ばれて岡室さんとお話をする。その対話のなかで、またベケット魅力を発見できたらとてもいいと思う。
(7:57 Sep, 24 2006)
Sep.19 tue. 「歌を聴きに」
■吉祥寺のスターパインズカフェへ、松倉のライブを見にゆく。ピアノを渡辺勝さんが弾いてくださり、それでライブがはじまる。松倉のライブを見るのも一年ぶりぐらいだ。ピアノの渡辺勝さんをはじめ、この一年で、松倉が知己を得た方々と共演するライブだ。時間は短かったが、バックの方の音に助けられたいいライブだった。少しずつ進歩していると思う。それはとてもゆっくりだが、ほんの少しの前進だと見ていて思った。やっぱり、松倉が好きな高田渡さんの楽曲を歌うと、いいわけです。詩がいいし、そこに深さがあるが、松倉のオリジナルも悪くはないとは思うものの、まだ言葉が浅い。
■さらに自作の歌は鼻歌で作るとのことで、どうしても、単調になる。もっとソウルっぽいものとか、ジャズっぽい歌も聴きたくなるし、これからは歌の幅を広げてゆけばと、ライブのあと、少しダメ出しをした。それから、ライブがはじまった最初の何曲か、うまく歌おうとしているのが気になった。ずーっと歌っていればいやでもうまくなるから、いまはまだ、松倉らしくのびのびとやればいい。本人は緊張していたというが、緊張をべつの力にできれば。経験のある俳優や、ミュージシャンだってみんな緊張するだろう。緊張がなくなったらきっとだめだ。だが、その圧迫される意識をいい方向に表現できるから、プロなんだと思う。
■まだ、時間はかかるかもしれないが、いい歌い手になってほしい。いろいろな人が励ましに来て、そして歌を楽しんでいるように思えた。京都の大学時代、松倉も教えてもらっていた舞踊家の山田せつ子さんもいらしていた。中川五郎さんもいらしていた。渡さんの歌をカヴァーで松倉が歌ったときバックでギターを弾いくださったのは青柳さんという方で、高田渡さんのバックで長いあいだ演奏していた方だそうだ。そういった方が、松倉のためならと演奏してくれるってだけで、なんという幸福か。それも、おそらく、松倉の歌う声に、なんらかの魅力を感じてくれたからだろう。ほかの方から聞いたが、メジャー系の音楽の方面から声をかけられているという話もあるそうで、だが、ここで、どの道を行くかは松倉の判断だ。松倉がやりたいことをするのがいちばんだと思うし、メジャーになるために、松倉がそれにあわせて変化するとも思えぬのだ。だから、いまのままで、たとえば、アカペラで歌うだけでも多くの人に聴いてもらえる歌い手になれたらいい。
■自慢じゃないけれど、と書くと、嘘くさくなるので自慢だと思われてもいいが、まだ売れていなかった松尾スズキと大人計画を見て、こりゃ面白いと思ってはじめてメディアで取りあげたのはこの私だ。青年団も、この方法はすごいとやはり誰よりも早く原稿にしたのはおそらく私だ(11月刊行予定の『考える水、その他の石』にその原稿は掲載されているはずである)。私は、私の勘を信じる。大学の授業、「テキストを読む」で松倉を発見したのは数年前。この人はなにかがある。きっと勘はあたる。まあ、進歩はとても遅いが、長い目で見てやってほしい。
■さて、月曜日(18日)。スペースシャワーというCSのテレビ局に行くため、ほんとうに久しぶりに六本木に行ったのだった。スネオヘアー君が司会をし、いとうせいこう君もレギュラーで出ている番組に呼ばれたのだった。テレビに出るのは気恥ずかしいと、先日、書いたばかりだが、いとう君に会いたかったのですぐに出ると決めたわけである。いとう君がむかし、スペースシャワーで司会をしていた番組に出たのは、もう10数年前だ。そのころスペースシャワーというテレビ局は六本木にはなかったはずである。それを話すと、いとう君がきっぱり、「八九年ですね」と言った。そしてすぐに、「15年前ですよ」と彼は続けたが、計算が合わないよ。えーと、17年前ってことか。ってことは、僕もいとう君も若かったな。しかし生番組で時間がないとわかっている状況は、ほんとに焦る。終わってから、失敗したとひどく落ち込んだ。
■ゲストは二組あり、僕の先に出たのは、ハナレグミの永積君だ。初対面。でも、最近は、音楽業界っていうか、テレビ関連の様々なことと、さっぱり縁がないので、ひどく緊張する。やっぱ苦手だな。しかも生放送。番組的に不適切な発言をしてしまうんじゃないかとても不安だった。まあ、無事終了。失敗したなあ。面白いことを話そうとしてやけに力が入ってそのことに落ち込む。だけど、まあ、楽しかった。終わってから、いとう君と六本木のカフェでひさしぶりに長話をする。面白かった。
■そのなかで、いとう君が話していたことに、桜井圭介君と対談をした話があった。趣旨を簡単にまとめると、様々な表現領域のなかで、「ダンス」だけが、これまで「サブカルチャー」がなかったという鋭い指摘だ。カウンターカルチャーとしての「舞踏」はあったが、「サブカルチャー」はない。で、あとで考えてみたのは、音楽に顕著だが、そのジャンルにおいて、「サブカルチャー」がいきなり金になったからこそ、音楽産業としてサブカルチャーが盛んになったという想像だ。演劇もしかり。だが、ダンスではいっさいそんなことはなかった。それがここにきて、ダンスにおける表現が、どうやら金になるらしいという現象が出現しているのではないか。すべては、経済的な構造のなかで動いていると思えてならない。で、それは、悪いわけでもないし、資本主義的な経済運動において、おこるべくして、おこる。ただ、そのとき、音楽でもそうだろうし、演劇でもそうだが、良質なサブカルチャーとは無縁の、わけのわからないものも同時に出現する覚悟を決めておかないとだめだろう。だから、資本へのゆるやかな対抗はきっと必要になる。
■いとう君と話してわかったことだが、どうやらみうらじゅんさんの家と、僕の家は、とても近い場所にあるらしい。だけど、サングラスをかけた長髪のあんな怪しい男を俺は見たことがない。いとう君もこの近くをふらふら歩いているという。五年住んでいるが、いまだに気がつかない。会っても、僕はみうらさんには面識がないので、だからなんだってことにはなるのだが。
■僕は正直、ダンスにおけるサブカルチャーにあまりいい感触を持っていない。それは演劇でも同様のことがあって、簡単にまとめると、「なぜお笑いをやらないのだ」ということになる。「だめな身体」が、観客の前で、「表現」となるのは、そうとう訓練していなくてはならないと思う。「おどらないでも表現になる技術」。そしてまた、「サブカルチャー」と「芸能」はきっぱりちがう。なぜなら、芸能まで許されたら、「よさこい」だってダンスとして括られてしまうではないか。ここで語られれるべきダンスの身体は、バレエという西洋的な舞踊という文脈のなかで、それをずらすように成立しているのであり、「よさこい」や「盆踊り」は、また特別な(僕には興味がいだけない)だめなからだだが、それはそれで、別世界のことだ。どこまでが、「サブカルチャー」で、どこからが、「芸能」かについてその境界が曖昧だ。受け手の側に一任されているのが現在的か。かつてのように、権威のある先生によってそれを隔てる状況はなくなっている印象を持つ。それはそれで正しい傾向だ。けれど、あまりに、ぐだぐだになっても、どうかと思うわけだ。
■京都造形芸術大学のなかにある、「舞台芸術センター」から、来年の遊園地再生事業団による東京で公演した舞台を、また京都でやりませんかという打診。まだ、具体的なことははっきりしていない。こちらもあまり確定した内容がない。ただ、タイトルは『ニュータウン入口』(仮題)にするつもりだ。今回もまた、プレビュー公演を含めての一年近くにわたる作り方の試み。『ニュータウン入口』は、ポスト戦後以降を象徴する、八〇年代以降に計画されたニュータウンを舞台にしたドラマ。そのドラマの新しい作り方を考えている。それで少し書いたのは次のようなメモだ。
ポスト戦後としての現在を象徴するトポスとしてのニュータウンが、「都市的」なるものを、またべつの様相で照らし出す。そこで家族はどのように形成されているか。人と人はどのようにニュータウンで関係しているのか。ニュータウンとして開発された土地の磁場はなにを人にもたらすか。それはとりもなおさず、この国のいまを映し出す。様々な現在がその町に反映している。
そうした現在を「演劇」はどのように再現できるだろう。なにも現象しないかのように見える日常的な風景の背後に、グロテスクな人のドラマがあるなら、それを演劇は、いかにして表現できるか。現代口語演劇が保守化する傾向にあらがい、またべつの劇の言葉は、そうした風景のなかから生まれてくる。そこにニュータウンがある。
思いつきを書いたほんとにメモ程度のものだけど、ここからさらに先を考えようと思うし、またべつの表現を考えている。方法の発明もしたいと思う。で、この公演のためには、またオーディションをやる。また新しい俳優たちに出会えるのじゃないかとそれが楽しみだ。時間がかかってもいいから、ワークショップ形式のオーディションをしたい。またべつのことを考えるために。
(15:43 Sep, 20 2006)
Sep.17 sun. 「また、ひとつの舞台を終えて」
■舞台は無事、金曜日(15日)の夜に終えることができました。劇場に足を運んでいただいたみなさん、ほんとうに感謝しております。拙い学生の表現ではありましたが、なにか、心に残るものが、たとえば、現代演劇の俳優は、声がぜんぜん出ていないじゃないかとか、古典や、ダンスは、からだに負荷をかけさせる表現がずいしょにあったにもかかわらず、現代演劇だけ、ずっと、だらだらしていたのはいかがなものかといった、感想は多々あろうかと思いますが、まあ、それも時代のある一側面。もっとだらだらにしたい気持ちもあったのですが、「だらだら」も訓練を積み、稽古を重ねないとだめです。で、「演劇ワークショップ」の発表公演のことはまたあとで書きます。
■そうこうしているうちに二日が経ったが、土曜日(16日)はほとんど仕事ができないまま、ぐったりしていた。一日ぼんやり過ごした。本を少し読む。太田光・中沢新一『憲法九条を世界遺産に』(集英社新書)はとても刺激的な対談だ。爆笑問題の太田君とは面識がないけれど、以前、深夜に放送されていた彼が司会をする、本の執筆者を呼んでトークをする番組に声をかけられたことがあった。テレビに出るのが気恥ずかしくて断ってしまったのだ。もしこの本を先に読んでいたら気恥ずかしさをこらえて出ていたと思う。まず、『憲法九条を世界遺産に』は、こんなやりとりから対談がはじまる。中沢さんの、「感情的な判断に押されて、無思考のまま重大な決断をくだしてはいけないんじゃないか」という言葉に呼応して太田君はこう発言する。
イラクの人質事件では、それを強く感じましたね。あのとき、自己責任という言葉がわーっと吹き荒れて、人質の家族、自分の子供の命を救ってほしいという願いですら、口に出せなくなってしまった。国ではなく、国民が率先して、人質になった人や家族をバッシングしましたよね。そんな空気に違和感を抱いている人も、下手なことを言うと、自分もバッシングを受けるんじゃないかと黙ってしまった。その空気は、ある一方向にワーッと流れていく戦前の雰囲気にすごく似ているんじゃないかと思いました。
こうした認識を多くの者が抱いていながら、しかし言葉にすることを躊躇していただろうし、あの事件のとき、全体的な流れとしては「自己責任」という言葉で、まさに「感情的な判断に押されて、無思考のまま重大な決断」をくだしていた。それと同じようなレベルで一国の首相が「自己責任」という言葉を使ったときの、言葉の「軽さ」にひどく驚かされたのだ。で、先に書いた「出ればよかった」と思ったのは、なにもこの本が決定的な問題ではなく、太田君は笑いの人として面白いとずっと感じていたからだ。それがまずはじめにある。そのあとにこの本がある。そうでなければ意味がない。
■きょうの午後は青山へ。また髪を切ってくれる店で、坊主頭にしてもらった。さっぱりした。店は日曜日のせいもあって混んでいた。順番を待っているあいだ、棚にあった、『STUDIO VOICE』の最新号を読んだ。「映像」を特集していて、いろいろ面白かったのだが、なかに、「ビデオインスタレーション」について書かれた小さな記事があって興味深かった。「ビデオインスタレーション」の作品は、いまや、どこの美術展に行ってもたいてい展示されているが、そのとき映像が「鑑賞者の身体を前景化する」とあって、すぐにかっこで補足の言葉が書かれ、それが、「つまり疲れさせる」と書かれる。あはははは。誰が書いた文章か記憶にないがそこで笑ったな。美術展において、ビデオでなにか鑑賞する場合、ひどく人を戸惑わせることはあり、なにしろ、じっと観ているのががまんならないからだ。映画館にゆけば椅子に腰をおろして鑑賞するのは当然だが、美術展は、ほかも観たくなるので、じっともしていられず、ビデオ作品とどう接すればいいかよくわからない。「疲れ」のというか、「鑑賞者の身体の前景化」は、そのとき発生するジレンマだ。
■そのほか、『STUDIO VOICE』には様々な情報があるし、記事があっていろいろ楽しんだが、正直なところ、そのうちのいくつかの文章が甘いと感じるのは否めず、だからこそ桜井圭介君がダンスについて書いた文章を読むとほっとする。そこで桜井君は、訓練された堅牢で強靱な身体を持つ者を、身体表現におけるエリートとして定義し、それを「帝国」と書く。それに対置されるのは、「だめな身体」である。「帝国」に対抗する、「マルチチュード」(ネグリがその著書『帝国』において、「帝国」に対抗する「変革の主体」として提示した概念)としての「だめな身体」について桜井君が書こうとしている意味はすごくよくわかる。それで、いろいろ考えていたら、「だめ」にも様々な姿があって、結局、「魅力的なだめな身体」であるかどうかが問われるように思う。その「魅力」をどのように判断するかが次に問題になってくるのは、芸術は数値化できないからだろう。いったい、「魅力的」とはなにかだ。
■それというのも、スポーツの世界では、「ものすごい人」は、やっぱり、ものすごいとしか言いようがないことがひとつある。イチローは今年もまた200本安打を達成してしまった。160キロ台の速球を投げるピッチャーや、百メートルを九秒台で走ってしまう人をどう考えるか。「オリンピック」という「帝国」の最たる祭典において、イアンソープがその強靱な身体をもって次々と世界記録を塗り替えた大会で、ひとつの事件があった。ある国の水泳選手が観客から盛大な拍手を受けたのだった。その国には50メートルプールがないという。それはそれは、「だめな身体」を持った水泳選手が、他の国の代表から圧倒的に遅れてゴールしたが、無事に泳ぎ切ることができるかどうかさえ危ぶまれるなか、観客席から拍手が起こり、ゴールした直後、それは最高潮に達した。そこにあったのは、「帝国」にやすやすと絡めとられた「だめな身体」だ。では、オリンピックの「競泳」において、「帝国」に対抗すべき、マルチチュードになるのは何者だろう。現在の状況においてきっぱり書けば、アフリカの選手と、アフリカ系アメリカ人しかいない。だがそれは、やはり鍛え上げられた強靱な身体だ。「魅力的なだめな身体」と書いたときの、「魅力的とはなにか」という問いは、競泳に置き換えるなら、強靱な身体を持った「黒い肌」を、プールで泳ぐその「黒い肌」を、魅力的と感じるかどうかが問われるのと構造的には同じではないか。「対抗」としての「だめ」が、ダンスにおいて、あるいは演劇においてこれだけ顕現してくると、それがあたりまえになり、するとどうしたって「魅力的かどうか」という「問い」がより重要性を増してくる。
■さて、早稲田大学第二文学部表現芸術専修「演劇ワークショップ」の発表公演の話だ。
■まあ、全体的にいろいろ反省点はあったが、これもまた経験。言い訳にしかならないのは、時間がほんとうになく、それは最初からわかっていたから、いかにその時間のなかで、ゴドーの世界をべつの姿で表現するか現在的に考えてゆくと、きわめて典型としてある「いま」を通俗的に表現しようとしたものの、もっとあったなと、終わってから思う。元々、持っている個々の力量に頼る部分はあったけれど、ただ、まったく経験のなかった学生が最初とは見ちがえるほど成長していたのは驚く。それぞれのからだがあるなあ。それを統一してゆくには時間がなかったものの、わりと細かにやった男1と男2は、さらに細かく作ってゆくことができただろうと悔いが残る。あとはわりと好き勝手にやってもらったが(手が回らなかったので、って、今年、去年より稽古時間が短かったんじゃないだろうか)、それでも、気になることはずいぶんあって、まったく声が出ない者、わりと芝居の経験があるらしいが、なまじ芝居をやっているだけになにか間違えているところは、どう演出したらいいかよくわからなかった。まあ、勢い、ひどいことを口走りそうになって、「ほんと下手だなあ。芝居はもう、やめたほうがいいよ」と言いそうになるのをぐっとこらえる。だけど、女子高生やカップルの女を演じた学生などは単純にうまかった。みんな、きっといいところがあるんだ、あるにちがいない、魅力があるに決まっていると、我慢して見つつ、ただ、Aクラスの全体の世界ができればと苦労した。それも含め、演出が力不足なのは、嫌われてもいいから、学生のためを思って、厳しいことを言うべきだったかと、その「厳しいことを言うパワー」が出てこなかったことだ。
■だからここでもやっぱり、「だめな身体」の問題になるのだな。特に僕のクラスは、それをどう表現しようか考えており、それはつまるところ、いかに「芝居させないか」になる。むつかしいのは、芝居してもいい者と、芝居してはいけない者がいることだ。その人が持っている固有の身体だ。僕の演劇観における、「身体」と「表現」についてはじめにきちんと講義をしてからはじめればよかったが、その時間がなかった。わかりやすい形式が「現代演劇」にはない。で、いま思いついたが、こういうときこそ、「メソッド」はほんとうに便利だ。時間がないこうした舞台において、そのメソッドに、学生のからだをはめこんでいけばいいんだ。合理的である。それでさらに思いだしたのは、この稽古を通して、あらためて「不合理の擁護」について考えたことだ。私はしばしば、「いかに不合理を擁護するか」について発言し、あるいは書いている。だけど、近代人であるところの私たちは、そもそも、「不合理に耐えられない」のだという発見だ。ぜんぜん耐えられないはずのものである。ほっとけば、からだは自然と、「合理」のほうに向かう。だからこそ、「舞台芸術」はすごいと思わざるをえないのは、こんなに不合理な表現形式でありながら、テクノロジーがこれほど進化したこの時代にも残っていることであり、そこにはつまり、不合理のなかになにか人をひきつける魅力があることを意味する。でなかったら、誰が、こんなに不合理な舞台の仕事をやろうなんて考えるだろう。
■で、ベケットの専門家であり、早稲田の教員もしている、というか、僕を早稲田に呼んでくれた岡室さんが観に来られ、「もっと、ベケットを演出してください」と励まされた。じつは、この公演を通じて、あらためて僕は、ベケットの魅力を感じていたのである。面白いなベケット。今年が生誕百年であり、それに関連するイヴェントとして、「国際サミュエル・ベケットシンポジウム 東京2006」がある。時間があれば僕も聴講に行きたいが、『鵺/NUE』の稽古がもうはじまってしまうのだな。まったく忙しい。
■で、稽古と本番があり、それもたしかに大変だったが、なにに疲れたといって、打ち上げで私はほとほと疲れた。この打ち上げで私は、巷間よくいわれるところの、いわゆる、もてもてぶりだったのである。ある種のキャバクラ状態だ。夜の10時頃から、朝の5時近くまで、打ち上げは7時間ぐらい続いたと思うが、そこで想像していただきたい。そのあいだずっと、学生が僕のからだにぴたっとくっついていたらどういったことになるかだ。もちろん女である。両側からくっついてくる。背後からも来る。ものすごい接近戦である。そりゃあ、うれしくないわけはないが、私は仮にも大学の教員である。第二の植草にはなりたくないわけである。そこで私情を押し殺し、なんとか、離れたいと思うが、離れない。なにしろ、一次会の会場から、二次会の会場に向かうには、つまり公道を歩くわけだが、そのときぐらい離れていてもいいはずだが、一人はそのあいだも、びたっとくっついているという姿をですね、知らない人が見たら、あからさまに怪しいわけだ。で、TAが気をきかして、二次会の途中、僕をべつのグループに入れてくれたので、ほかの学生たちと話ができたが、そのときだ、少し離れた位置からその学生がやはり私の手を握っており、私は、片方の腕だけ背後のほうに伸ばして手を握り、学生たちに芝居の話をするという、きわめて不自然な状態だったわけである。それを見ていた学生のサトウが、「なにを話しても説得力がありませんよ」というが、それはまったくその通り。なにしろどんなにまじめに話しても、私は女と手をつないでいる状態だ。
■そうこうするうち、その学生がまた、隣に座ってしまった。そこで、男の学生を呼んで、あいだに入れと言ったが、呼んだモリモトが、座った途端に「おかまバー」の店員の演技をはじめ、それに呼応してほかの男たちまでもが「おかまバー」の状態になってですね、「あらあ、先生、最近ずいぶんごぶさたじゃないの」とかなんとか言うので、気が狂いそうになった。だが、ちょっとでも油断すると、くだんの学生が僕の手を握っている。で、その学生が、冗談になるような女だったらいいが、冗談にならないような、そういう学生で、つまり、なんていうんですか、あのう、要するに、セクシーなわけだ。これはまずいだろう。人に見られたら、どう考えても、植草的なことになっているのである。俺は手鏡なんか持ってないよ。さらに問題なのは、こういった状態が、まあ、悪い気はしないということがあって、いよいよ、事態は複雑である。だが、人目は気になるし、くっつかれているからだの半分は、緊張させているし、打ち上げだというのに、まったく、くつろげない。そこにまた、モリモトがやってくる。「あらあ、先生、最近ずいぶんごぶさたじゃないの」。もうほんとうに気が狂いそうだ。
■久しぶりに長いノートを書いた。その余裕がようやくできた。いろいろ大変だったが、やっぱり、大学の発表公演は面白かった。いつもの舞台とはまた異なる面白さだ。いろいろな学生たちともまた新しく出会うことができた。それでひとまず、この舞台は一区切り。またべつのことへ。勉強もしなくちゃな。小説も書こう。まだ先は長い。というか、先がどうなっているか、見えないからこそ楽しみだ。
(6:54 Sep, 18 2006)