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Published: Feb. 4, 2005
Updated: Aug. 18 2005
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仕事の御用命は永井まで かながわ戯曲セミナー
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Aug.15 mon.  「東京地方は雷」

■朝、わりと早く眼が覚めて、このノートを書き、それから小説。少し進む。18日に「新潮」のM君に渡すと言ってしまった手前、それまでになんとかする。こんなことを書いても、ああそうですかと言われるだろうが、なにか作るとき、展開が決まっていて、最後はこうなるとわかっていると、そこまでどう持ってゆくかを書くのが、とてもつまらない気持ちになる。今回の小説はそういう感じだ。たいていは、書きはじめてから人が動き、最終的に、どういうわけか、ここで落ち着いたという書き方だ。それで20年間ぐらい劇を書いてきたのだった。エッセイだって、とにかく書きはじめる。最終的になんとなくまとまる。
■でも、まあ、人生ってやつはそうはいかず、ラストはきまって死ぬ。ここからだけは逃れられない。そのことに気がつくのが遅かったな。そうだったのか。もっと早く誰か教えてくれればいいのに。「死」に対してまじめに向き合ってこなかった。それが書き方につながっているのかもしれない。そんなことを考えながら書いている。夕方、「一冊の本」(朝日新聞社)の連載を書く。ずっと読んでいる横光利一の『機械』だが、いっこうに前に進まない。今月は一気に「読み」を進めるぞと思って書き出すのだが、進んでもまあ、三行ぐらいでしょうか。もう10年近くこれを書いているかと思うと、もうそのことが自分で笑えてくる。なにげなく読もうと決めた『機械』である。だけど、これだけ細かく読み、さらに、忙しいときは読めないが時間があると一通り読み直してから原稿を書いているので、どうしたってその影響を受けてしまう。それはいかがなものか。あと、やっぱり書きはじめるとき、自分が死ぬことを想定していなかった。いつ死ぬかなんてわからないのだ。死ぬ前に連載を終えなければと思う。
■午後から、いまにも降り出しそうなほど、雷が鳴って、空がどんよりしているのに、いっこうに東京地方は雨が落ちてこなかった。暗くなってから窓の外を見ると、ビルに雷の光が反射しているのがわかる。すぐそばに雷が落ちているような気配だ。その一瞬、明るく光る町が面白かった。

(9:05 aug.16 2005)


Aug.14 sun.  「六〇年目の夏だという」

■小説に苦しむ週末だった。うまく書けない。それでも、土曜日(13日)はまた小説の舞台になっている町を歩き、図書館に行って資料を探す。わからなかったことがいくつか解決した。新聞の縮刷版を読むのはやっぱり面白い。単純に広告を読むだけでも価値があって、その時代を知ることになるのだが、こうした面白さがネットにはないのではなかろうか。どんどん更新され、ニュースは消えてゆく。いま、という時間をネットは速報してくれるが、過去が保存されないのがつまらない。だけど、これからもしかしたら記録する効率的な方法が生み出される可能性はある。コンピュータは驚くべき速度で様々なことが実現していく。新聞の縮刷版はほんとに面白いよな。紙メディアをばかにしてはいけません。そもそも新聞が好きだし。
■日曜日(14日)はさらに小説に苦しんでいたが、夜、ラストソングス(鈴木謙一、鈴木将一郎、上村聡)の三人と、永井が来て、「
RISING SUN ROCK FESTIVAL in EZO」の打ち合わせをした。なにか、なごむ。三人が北海道で披露してくれるネタを見せてもらった。三人らしい。そのあと、このあいだ永井がコピーして揃えてくれた、八〇年代に僕がやっていた舞台のビデオをみんなで見たのだった。自分でも、こんなことをやっていたかと驚くばかりだ。もう20年前だから記憶ははるかに遠ざかる。ぜんぜん覚えていなかったりした。そして、八〇年代に舞台をやっていた時間と現在を比べると、はるかに遊園地再生事業団の活動期間のほうが長くなっている。ただ、まだ若かったというのはかなり意味があり、時間の密度は高かった。そういうものだろうな。
■そんな折、永井が事務所に届いた「
Quick Japan」(太田出版)を持ってきてくれたが、いとうせいこう君の特集が載っているのは奇妙な符合だ。というのも、八〇年代のビデオを見ながら、いとう君、若いなあとつくづく思ったからだ。あと、「現代詩手帖」(思潮社)「詩と思想」(土曜美術出版社)「現代思想」「ユリイカ・8月臨時増刊号」(青土社)などの雑誌をぱらぱら拾い読み。いろいろな現在。「戦後60年」は任意の点だが、あらためて、様々な意味での想像力について考える。戦争は遠い出来事。よくわからねえ。そして戦争は、ごく身近な百円ショップにも売られているような現在だ。

■そういえば、筑摩書房から出した『牛乳の作法』は今年の暮れに文庫化される。ゲラが届いたので確認すると、編集をしてくれるIさんの赤がかなり入っており、ものすごく単純なまちがいがいっぱいある。失敗した。そしてIさんは、おそらくネットを使って調べているのだろうが、そういった意味でのネットはすごいよ。「
google」ってものの偉大さを、また感じるのである。それでもって、すでに帰省ラッシュははじまっている。週末、都内の道はすいていた。まだ夏は続く。

(10:28 aug.15 2005)


Aug.12 fri.  「小説を書くことなど」

■予定していた枚数は120枚ぐらいだが、もう少し長いものになりそうだ。だったら書き上がってから短くシャープに刈りこめばいい。書くだけ書いてみる。それから小説の舞台になっている土地をもう一度歩こうと思ったのは、気分をまた盛り上げるつもりもあったし、正確を期するためと、見ておかなければ書けないことがいくつかあるからだ。で、「新潮社クラブ」は今回、同じ建物の一階にあたる部屋。すぐそばに庭があって、ときおり近所のネコが歩いている。どちらかというと、一階のほうが書きやすかった(開高健も出現しなかったし)。ペースもかなり上がる。ただ、やっぱり肩があたたまるというか、からだが小説に集中するのに少し時間がかかったのは、少しブランクができてしまったからだろう。友部さんの詩について思いのたけをぶつけて書いたのです。思いのたけだな。精力を注いだ。小説に戻るのに少し時間がかかった。それでも、また書きはじめると、小説世界を創造してゆくよろこびがよみがえってくる。書いているうち、いろいろ思いつくこともあって、世界がふくらむ。書くことの楽しみだ。手が勝手にでたらめなことをつぎつぎ書いてゆく感じだ。
■あ、そういえば、このあいだ青山真治さんの小説が近々、「新潮」に掲載されるはずだと書いたが、「新潮社クラブ」に置いてあった最新号の「新潮」を見たら、もう掲載されていた。家にも届いていたはずだが、忙しくて封を切ってなかったのだ。小説を書き終わったら読もうと思う。少し読むと、どうやら、『ユリイカ』『
helpless』の世界のようだった。
■杉並区の教育委員会が、扶桑社の歴史教科書を採用するというニュース。気分が悪くなる。とはいうものの、その扶桑社版歴史教科書を読んでいないので、手に入れ、家永三郎さんの執筆した歴史教科書などと比べて読みたいと思った。なにが問題かはっきりさせたい。あと、「教科書検定」というやつですよ、もっとも本質的な問題は。ところで、「自虐史観」という言葉は誰が作ったんだろう。戦後の文脈で考えてみると、まず、広島、長崎の被爆をはじめとするナイーブな被害者意識というのが最初にありそれはきわめて、戦後民主主義的だった。それに反発して一部の知識人が、加害者としての日本人について強調しはじめたのは、ニューレフトの登場以後ではなかったか。そうした言説をかつてよく読んだ。そうした言説にも様々なことばがあり、一様には語れない。ひとくくりにはできない。いま、「自虐史観」と呼ばれているのは、どの言説のことだ。言説の歴史をはっきりたしかめもせず、単純に「自虐史観」という言葉を使う者が、それでなにもかもわかったようにふるまう態度がいやだよ。

■そういえば、大阪である「ショートショートフィルムフェスティヴァル」という催しで、『
be found dead』のうち、二作だけが上映されるというのを、南波さんのブログではじめて知ったわけだが、あれ、二本だけやっても、なにがなんだかわからないのじゃないだろうか。だいたい「詩人」の存在がよくわからないよ。上映されるのはありがたいものの、少し複雑な気持ちになったっていうか……、まあ、いいか。あの映画を作ってからもう一年以上になるのか。腰が痛かったのと、京都の大学とのかねあいで死にそうだった記憶だけがある。「川」を作っているときは最悪だったな。腰が痛くてほとんど演出していないのがだめだよ。もし次に作ることがあったら、体調を万全にしていどみたいものだ。

(12:22 aug.13 2005)


Aug.10 wed.  「夏の音楽。戦争」

■「新潮クラブ」(正しくは新潮社クラブ)にこもっています。小説はだいぶ進みました。まもなく完成予定で、秋の遅い時期には発表できるかと思います。お楽しみに。120枚程度の、これ、中編ということになるのだろうか。わりと短い小説です。音楽の話がかなり出てきますが、それだけではありません。まあ、音楽は、大事なテーマになっていますが、もっとべつのことを書こうと思って筆を進めています(繰り返すようですが、キーボードを叩いているのですが)。
■音楽で思い出すのは、いま話題の、
iTunes Music Storeのこと。桑原茂一さんの日記で、あまりにストックされ買うことができる楽曲に限りがあることへの不満が書かれていた。僕は最初からあきらめていたところがある。アメリカのiTunes Music Storeを調べるとかなり様々な楽曲が収録されているが、まだ日本のそれは、提供されている音楽のリストが貧しい。これからでしょうか。だけど、Jポップの売れているようなアーティストの曲ばかりやけに宣伝されていているし、ウルフルズってなんだよ。なにか探そうと思って検索するとなんにも出てこない。ほんと、ネットのそうしたサービスってほとんど期待できないことがあり、Bフレッツに契約している人向けの映画配信サービスとかそんなものを見ると、べつにそれ、見たくないよってことだ。それが一般的ってことなのだろうか。でも、テレビの映画放送のほうがずっといい。あんなサービス、なくたって困らない。
■で、
iTunes Music Storeでは、まだ、なにも買っていない。ここで買うより、アマゾンでアルバム買ったほうが、時間的なずれは生じてしまうものの、そのほうがずっと品揃えがいいし、アメリカのアマゾンに行くと、こんなマイナーなものもあるのかと思うことはしばしばある。桑原茂一さんに教えられたことのひとつに音楽はジャンルでないということがある。「いい音楽」は、どんなジャンルでもいいということだ。そもそもジャンルってなんだよ。あれほど杜撰な分類ってものはないでしょう。まあ、目安にはなる。それで探すことはあるし、好き嫌いは誰だってある。とにかく、いい音楽を。もっとiTunes Music Storeが成長するのを期待している。松崎しげるの『愛のメモリー』は10位に転落していた。どこまで『愛のメモリー』がランクに存在するか、いま私はきわめて注目している。

■それでも小説だ。まもなくだ。実際のところ、ほんとうにそれは、まもなくなのである。

(4:37 aug.11 2005)


Aug.8 mon.  「なんて素晴らしい夏」

■原稿を書いているうちに、気がつくと二日ほどたっていた。
■ほんとはきょうからまた「新潮クラブ」にこもる予定だったが、原稿を書いていたので一日遅くすることにした。原稿は友部さんの詩について。思いのたけを書きました。そして小説を書き上げるのが今年の夏の目標だ。書き上げて、それから北海道に行き、「
RISING SUN ROCK FESTIVAL in EZO」に出演するとしたら、なんて素晴らしい夏だろう。白水社のW君からメールがあり、あることについての打診とともに、W君も「RISING SUN ROCK FESTIVAL in EZO」に来るとあった。出演者も様々だが、遊びに来る人もいろいろで、なんだかやたら楽しみだ。
■「群像」で予定されている、青山真治さんとの対談だが、面白いほど予定があわないのだった。かなり先の号に掲載されるはずだが、十月には、青山さんはもう映画の撮影に入ってしまうという。九月には僕のほうが、前半、大学の発表公演があって時間が取れず、後半になると撮影の準備で青山さんの時間がない。で、「
RISING SUN ROCK FESTIVAL in EZO」の直後に対談をしたいと思ったのは、なにしろ対談のテーマが「ロックと文学」だからだ。そのころ私は、『ボブ・ディラン・グレイテスト・ヒッツ第三集』という小説を書き上げており、さらに、北海道ですっかりロックな状態になっていると思われる。こんなにタイミングのいい時期があるだろうか。それにしても青山さんは精力的に仕事をしている。小説は、もう一本、たしか近々、「新潮」に発表されるはずだし、また撮影に入るのか。刺激を受けるのである。

■それにしても、突然の解散だったな。よく人気のあるバンドが突然解散し、ファンが驚くようなことがあるが、ニュースを聞いて、それと同じような感触で受け止める者がいるのではないかと、私にはそれが不安だ。「衆議院、解散しちゃうんだあ。でも、また、いつか、一緒にやってくれるよね」といった訳のわからないことを口にしないだろうか。ま、一緒にやらないとまずいですけどね。このあいだ家に来た、「マレビトの会」に出演しているマスヤが話していたが、マスヤの京都の知人が、「京都御所って、誰が住んでたの?」とものすごい質問をあるときもらしたという。しかもそのマスヤが、「え、皇居って、江戸城だったんだ」とその直後に言ったのである。マスヤは同志社を出てるしそれなりの教育を受けてきたと思うのだが、これはいかがなものか。いま、歴史教科書が議論されているが、それも大切だとは思うものの、そんなことより、もっと基本的ななにかを問題にすべきだという気がする。
■といったわけで、私はまた、「新潮クラブ」にこもります。小説に集中する予定なので、このノートは更新しないでしょう。つい更新してしまうんだよな、いつも。それではまた、次の機会に。

(10:25 aug.9 2005)


Aug.6 sat.  「追放された魂のように」

■夜、TVドラマを作っているO君がやってきて、「
RISING SUN ROCK FESTIVAL in EZO」の打ち合わせをする。O君も出演者である。そして、ここには書けないんだけど、スペシャルゲストも多数なので、私もたいへん驚いている。ものすごく楽しい催しになりそうである。
■古本屋で横光利一の『機械』の初版を見つけて買ったのだった。奥付を見ると第一刷は「昭和六年四月五日印刷、昭和六年四月十日發行」になっている。発行が、「白水社」だったので少し驚いたが、「機械」をはじめ、短編がいくつも並び、少し読むと、各短編の冒頭からしてきわめて横光利一らしい。よくわからない叙述だ。これがいわば、心理小説ってやつなのだろうか。笑い出しそうになる。それで、そうした心性をどう考えていいか以前から気になっていたが、単に「面白いものを見つける視線」や、「それを面白いと感じて批評するセンス」だけではないことを感じ、そしてひとつ気がついたことがある。たとえば、ここに西脇順三郎の詩がある。その一部だ。
なぜ私はダンテを読みながら
深沢に住む人々の生垣を
徘徊しなければならないのか
追放された魂のように。
 なにを言っているのだこれは。と、これを読んでやはり私は申し訳ないが笑い出しそうになってしまったのだった。そして、この詩が発表された当時、読む者はそれとはまったく異なる驚きをもって迎えたにちがいないと想像する。では、いま「笑っている私」と、「この詩に驚きを持った人たち」に、なにか異なることが起こっているのかといえば、きっとそうではない。おそらく同じなのだろうと思う。それを読むことでなにものかが、同じように意識に発生したのだ。要するに、「なにを言っているのだという驚き」である。ただ、あらわれが異なっただけだ。「反応がちがう」と書くと、それもちがうと思う。「受け止め方がちがう」わけでもなく、繰り返すが、それはきっと同じだ。私がなんでも「笑って受け止める」のかというと、もちろんそうではない。つい「笑ってしまう」ものがある。そして、はじめてこの詩に接し「驚き」を持った人たちにしても、「笑ってしまう者」にしても、その時点で、この詩がすぐれているのは、意識にひっかかるからだ。なにしろ、「ダンテを読みながら深沢あたりを徘徊している人がいる」のである。驚くしかないじゃないか。先に書いた「反応がちがうとも異なる」という言葉を補足すると、つまり、「反応」より、「笑いの種類のちがい」にこそ、意味があるのだと思う。「批評の笑い」ではないのだきっと。もっと肯定的な笑いだ。やはり、驚きである。ここが重要なことだ。で、あらためてこの四行を仔細に読むと、私が笑ったのは最初の三行だと気がつく。
なぜ私はダンテを読みながら
深沢に住む人々の生垣を
徘徊しなければならないのか
 おそらく、これを書いた時点で西脇順三郎も笑っていたと思う。あるいは「途方にくれていた」と書いてもいい。そして、「追放された魂のように」と付加することでようやく救われた。けれど、いま「追放された魂のように」の一行は笑いたくない。なぜならその笑いは凡庸だからだ。さらに「追放された魂のように」に感動する者が、いまでももしいたとしたら、それもまた、きわめて凡庸だ。言葉の鮮度の問題ではない。救われようとすることが有効ではなく、「途方にくれることをどこまでも肯定する」のが、いまではもっとも有効だからだ。
■そんなことを考えていた。小説も少し書く。それから思潮社の編集者の方から「現代詩文庫」に入る友部正人さんの詩についての原稿の催促があったので、もう書きはじめてはいたが、急いで続きを書く。まだずいぶん締め切りは先だろうと思っていると、それはすぐやってくる。驚くんだよ、こればかりは毎回。で、この原稿はかなり緊張するわけですね。いろいろな意味で緊張するのだ。

■きのう、「遠い場所にいて、ときどきその人から来る便りを読むと、いまの僕の生活とはまったく異なる風景がその便りから見えてくる。しかし、それもまた、明らかに私の外側に存在する真実として否定することができない思いをする」と書いたが、ここの左下にある「"■"リングス」の、T君の「Matatabi Online」を読むたび、そのことを思うのだ。でも、あまりこってりしたラーメンばかり食べるのはいかがかと思うのである。あれは、どう考えてもからだに悪そうだからだ。

(13:12 aug.7 2005)


Aug.5 fri.  「駒場東大前」

■松田正隆という人は劇に対してとても誠実な人だと思う。別役実さんが、新装版の『ベケットと「いじめ」』(白水社)のあとがきで、ベケットの演劇に対する悪意について書いていたが、悪意を抱くのもまた演劇への意識の強さだと思うものの、どこか、「演劇表現」に疑いがあったのが不条理演劇だとするなら、松田さんは「劇」に向かって大きな「信」を持っているのではないか。松田さんが主宰する「マレビトの会」の『王女A』を、東大駒場前にある「あごら劇場」で観たのだった。長文詩のように語られるせりふには、かつての松田さんの劇のようにはドラマはない。現代詩が、その批評の言葉で語るなら、「シニフィアン」を主とし、むしろ「シニフィアン」だけで構成されることで言葉が錯綜し、それゆえより強いメッセージを表出してしまうとすれば、『王女A』の言葉たちには「シニフィエ」が強く言葉に漂うのを感じ、だとするならこれは、きわめて「演劇」的なのだろう。つまり、「戦争」「アウシュビッツ」「天皇」、あるいは、「排除される者たち」や「異族」について語らずにいられない松田さんがいて、スタイルが変わっても、しかし演劇という表現による迷いのないメッセージとして言葉はあった。美術装置はボルタンスキーの『死んだスイス人の資料』の引用であり、ここにもメッセージ性は強くある。
■僕とはまったく資質のちがう作家だが、演劇への「信」のおきかたを見ていると、どういうわけか僕には信ずるに値し、つまり、こういう人もいなくちゃいけないのじゃないかといった思いにさせられるのだ。遠い場所にいて、ときどきその人から来る便りを読むと、いまの僕の生活とはまったく異なる風景がその便りから見えてくる。しかし、それもまた、明らかに私の外側に存在する真実として否定することができない思いをするように。だから逆に、「メッセージ」を「メッセージ」があるゆえに演劇として評価するような過去の評価軸で語る者がいるとすれば、それを否定したいのは、それではあんまりにも単純すぎて演劇を貧しくさせると思うからだ。僕は松田さんの誠実さを信じている。ただ、それを演じる俳優たちがこのメッセージをどこまで受容でき、それが身体化されているかがひどく難しいと思える。深刻に演じようとすれば、俳優はきっとそれをするが、果たしてそれが、「いまのからだ」としての「あらわれ」になっているか疑わしく思える点にある。つまり、単純に言えば、ときどき「うそ」を感じたということだ。ここむつかしいだろうな。
■松田さんは京都の大学で、きわめて熱心に学生に教えているし、学生からも慕われている。今回の舞台にも卒業生が二人、出演していた。終演後、その二人、マスヤとヤマグチ、それから、たまたま観に来ていた早稲田の学生で僕の授業に出ている文芸専修のK君を連れ、僕の家で深夜の2時ぐらいまで話しをしていたのだった。楽しかったな。なんとも気持ちのいい三人なのだが、K君は京都の出身で、以前も聞いたことがあったが、松田さんが教え、僕も教えていた京都の大学の近くに実家があるという。三人とも関西人かよ。

(14:44 aug.6 2005)


Aug.4 thurs.  「さらにレコード ver.2」

■アップル社が、いよいよ日本でも、
iTunes Music Storeのサービスをはじめたのだな。で、ストアのサイトに、ストアできょう売れているランキングがあるが、その第三位に、松崎しげるの「愛のメモリー」が入っているのがよく理解できない。そんなに人気があったのか、「愛のメモリー」。だけど、松崎しげるという人は、皆、口には出さないが意外と好感度の高い人なのではなかろうか。左利きなのに、どこかにゆくと、そこにあるギターはたいてい右利き用なので、右でもギターが弾けるように練習し、歌って人を楽しませたという、サービス精神の高いしげるである。で、僕も、iTunes Music Storeで、マービン・ゲイでも買おうかなと思ったのだった。

■「レコード」の件について何通かメールをもらった。青山真治さんのメールには、「現在のDJの方々とは立場を異にする、という政治的正当性を強調するためにも死語の使用を提案しようと思います」とあり、ところがその言葉とは裏腹に、きわめて端的に、「LP」とあった。たしかに、「LP」は死語だが、長いあいだ僕も、「LP」だったので、これはこれでしっくりくるなあ(12インチに限ることになる。7インチは「EP」)。あるいは、よく音楽のことでメールをくれるUさんは、「公約数的な言葉に絞り込むよりも、思い切って素数的な言葉を作り出すのはどうでしょうか」と言い、それもまた、ひどく端的だが、「ビニ盤」だ。「ビニ本」を思い出したが、考えてみれば、「ビニ本」も死語だな。Uさんは知っているのだろうか。ああ、「ビニ本」。知らない人はこちらをどうぞ(18歳以下の方はごらんにならないほうがいいと思われます)。そして、Yさんは、アメリカで英語を習っていたときのエピソードを書いてくれた。
 ビニールという呼称はアナログレコードの材料が塩化ビニールであることから海外でビニール又はヴァイナル(Vinyl)と呼ばれるようになった。という説が私は有力であると思います。
 アナログレコードの俗語=ビニール(ヴァイナル)
 これは、私がアメリカにて語学学校へ通っていた時の話なのですが、そこの先生に 自分がアナログレコードを集めている事を話す時に、「ビニール(ヴァイナル)を集めています」と言ったら通じはしましたが、その方が50才を過ぎていたせいもあってか、その言い方は新鮮だと言われました。「若い人はレコードの事をヴァイナルと言いますね」と言っていました。
 へえ、そうなのか。て、ことは、あの盤のことを「ビニール」と呼ぶようになったのは、アメリカでも最近のことになるのか。なんか、ここ最近だという印象があったもんな、日本でも「ビニール」という言葉が使われるようになったのは。青山さんの言う、「現在のDJの方々とは立場を異にする」の、「DJの方々の立場」はこっちのことか。納得した。あと、「ビニール」は「ヴァイナル」と発音するのですね。日本語になってしまった英語では、しばしば、発音がわからない。以前、カナダ人が、「コウチャ」と早口で言うので、なぜ「紅茶」のことを口にするんだこのカナダ人は、しかも日本語で、と思ったが、それが「カルチャー」のことだと知るためには紙に綴りを書いてもらわなくてはならなかった。
■といったわけで、質問するとすぐにメールをいただき、ほんとうにありがたい次第です。それで私はまた、小説を書いていた。
Mac Powerの原稿は書き上げて、アメリカにいるT編集長にメールで送る。書いてばかりの人生である。というか、それが、まあ仕事なわけですが、書いているか、本を読んでいるか、どっちかの夏。なにか書いていないといまは精神的に落ちつかないのもあって、なにかしら、キーボードを叩いている。
■で、きょうは二度ほど短い睡眠を取ったのだが、どちらも、ひどい夢で眼が覚めた。一度目は、なぜか井土紀州監督の映画撮影に同行し、戦場に行くという夢。クルマで走って目撃したのは処刑だ。道路脇で布をかぶせられた人が首を切り落とされるという処刑が執行されている。いやな夢だった。二度目の夢では、舞台を見にゆくが、劇場が海のそばにある。船でそこまでゆく。波が荒くて怖い。そして、舞台の制作をしている人に理不尽なことを言われ、ひどく腹を立てる。こんなに記憶がはっきりした夢を見るのも久しぶりだ。

(6:03 aug.5 2005)


Aug.3 wed.  「レコード」

■いま疑問に思っているのは、CDではないレコード、いわゆる12インチや7インチの音盤を、「アナログレコード」と表記すべきか、「ビニールレコード」と書くべきか、どっちがいま、正しいのかだ。あるいは一般的にわかりやすいのはどっちなのか(あるいはもっと異なるわかりやすい言葉があるだろうか)。誰かたしかなことを教えていただきたい。これ、小説を書きながら悩んでいる。で、まあ、自分の感覚に素直に書くのがいわば表現というか、自分のなかから出てこないものは、表現ではないだろうから、するっと出たほうを優先すればいいとはいうものの、じゃあ、人にそれを語るとき出てくるのは、「CDじゃない、あの、プレイヤーで針を落として聴くレコード盤てやつ」になるが、これは単に「説明」であって、「表現」じゃない。しかも、ここで「プレイヤー」と書いたそれを、「ターンテーブル」と表記すべきかどうかでまた悩む。
■で、さらにいうなら、「説明」は、話す対象者をかなり絞る。そこでなにか加減を見るというか、相手に合わせて「説明」の程度を推し量る。横光利一の『機械』を読むと、そこはネームプレート製作所なので、化学薬品の名前など専門的な言葉がいくつか出てくる。読んでもなにもわからない。ただ、なにかそれが、かなり重要なことになっているのだなといったことはわかって、べつに小説自体の価値を下げたり、読むのに支障があるわけではないのだ。ただ、仔細に読むと、そうした言葉(=名詞)が『機械』という小説の、ある種の「新しさ」として当時、存在していたのだろうと想像される。となると、横光利一には、あの化学薬品の名前だの、化学式が重要だった。そこを理解しないと『機械』の存在の意味さえわからなくなる。で、関係ないけどいま、「一冊の本」で連載しているこの『機械』を単行本にまとめる際には、小説にするのがいいのじゃないかと不意に思いついたのだった。あれ、エッセイとしてまとめても面白いかどうかが疑わしく、誰が、あの五十枚足らずの小説を、十年近くかけて読むことの全体が冗談であると理解してくれるか不安なのだ。「読んでいる私」というこの愚鈍さが小説にならないだろうか。
■あ、いや、なにを書いてたんだっけ。そうそう、「レコード」の表記であった。「レコード」は、こうして結局、「レコード」でいい気がするが、するとどうも、もの足りない。なにをその言葉で表現したいかというと、「CDやデジタルなものがあたりまえの時代にわざわざアナログなレコード盤ってやつで音楽を聴こうとする人が買い求める、それ」についてだからだ。それを「表現(=言葉)」にしたい。説明書ではなく、書こうとしているのは小説である。演劇でもそうなんだけど、表現に値するってのは、そもそも、うまく伝えられない、記号化できない、なにか模糊とした、そういったことだろ。

■そういえば、文芸専修の前期の授業の最後、質問を受けて次々応えてゆくということをしたのはすでに書いたが、きのう、ワークショップの軽い打ち上げのとき、授業を聴講しさらにワークショップにも参加している人からそれをしているときの僕が生き生きしているといわれ、毎週、それでいいのじゃないかと提案された。でもそれはやりたくない。たしかに楽しいがそれをすると、ただ単に「楽」だからだ。提案されてはじめて意識できたように思う。授業に必要なのは準備である(そこで考えを整理する)。「楽」は否定しないが、「楽」ばっかりだと、ばかになるからいやだよ。つまり「出す」ことを通じて、「入れる」にならないなら、この仕事をすることが僕にとってはあまり意味のないことになってしまう。
■文芸専修で思い出したが、課題のレポートの提出率は、文章の巧拙、内容の面白さに差はあるにしても、かなり高かった。なにしろ、正式に受講していないいわゆるモグリという学生までがレポートを提出しており、それが、ナカガワとシノハラだが、それぞれ読ませる。っていうか、なんで書くのか、提出するのかもうこうなるとよくわからない。でも、面白かった。シノハラは以前、いまはアイルランドに行っているO先生の授業の課題で僕の舞台について文章を書き、それを読ませてもらったときから、うまいと思っていたが、今回のレポートもやたら文章がうまい。かなりの長文だが読ませるのだ。感心した。文章のはしばしに、書くことの喜びを感じる。

(9:58 aug.4 2005)


Aug.2 tue.  「くらくらする日」

■少し調子が悪いなと朝からいやな予感がしていたのだった。午後、ある書類を提出するため学校に行った。で、その帰り、文学部のキャンパスの門をクルマで出ようとしたとき、警備員さんに挨拶をして前方不注意になったのだ。あやうく、自転車に乗る親子連れにぶつけそうになった。いよいよいやな予感は高まる。それできょうはまた横浜だ。先週、ワークショップが台風のため中止になったので、きょうに振り替えになった。いやな予感がするので安全運転で第三京浜を横浜まで向かう。調子が上がらない。で、ワークショップ。同じ台本を使ってそれぞれの班が異なる演出で発表するという課題だ。班ごとにいろいろ考え、その条件のなかで動く。このあたりの段階になると、僕はあまり、演劇ということを考えていなくて、むしろ、美術作品に近いものを求めている気がする。インスタレーションとか、パフォーマンスといった種類の表現だ。だから、ワークショップの開催場所になってる
BankArt Studio NYKのなかの、屏風のような形態をした透明なチラシ入れを使った班の発表は、そのアイデアがよかったが、「同じ台本を使う」という条件を無視して異なることをし、その意味がわからない。これ、稽古だったら強く批判するところだが、ワークショップなので、まあ、簡単に流す。もちろん、ほかの班も多少の台本変更はあるものの、いろいろ考えていて、もっと時間があればよくなったはずである。時間がないというより、時間の配分に僕が失敗したかな。
■以前も書いたようにワークショップを数多くやってきて、自分のなかで新鮮味をなくしており、もっとワークショップそのものについて考える必要を痛感。来週から
BankArt Studio NYKのワークショップをチェルフィッチュの岡田君がやるというので、見学に行こうかと考えた。終わってから、運河のすぐそば、BankArt Studio NYKに付随してあるちょっとしたカフェっていうか、バーっていうか、なんていうんだこういうの、ま、そうした席で参加者たちと談笑。もっと長く話していたかったし、もっと一人一人と話したかったが、終電がなくなるというので、ばらばらと解散である。またメールでもくれればと思うのだ。で、帰り、永井を中目黒まで送ったが、やはり運転には注意した。第三京浜を降り、環八を走っているころにはかなり調子が悪くなっていた。無事に帰ってこられてよかった。じつは、ワークショップ中もかなりだめな状態だったので、ときおり、くらっと来ていたのだ。
■そのくらくらした状態で家に戻ったが、なにかに取り憑かれたように小説を書く。むしろ、そのくらくらした意識の状態がいいのかもしれず、不思議と筆が進むのである(まあ、キーボードを打っているのですが)。でも、
Mac Powerの原稿があるのだ。いまアメリカにいるT編集長から原稿の催促がメールで届く。なおさらくらくらする。京都の大学で教えていたマスヤからもメールがあった。松田正隆さんの「マレビトの会」の公演で、東京に来ているという。見に行ってやらねばと思う。

(10:21 aug.3 2005)


Aug.1 mon.  「寂しさの歌」

■Eさんという、未知の方からメールで、おおはた雄一さんというミュージシャンのライブを紹介してもらったが、ライブが開かれるお店のサイトに行くと、夏向きの涼しい音楽が流れてきた。しかし、なにが人をして、「それは夏向きである」と思わせるのだろう。しかも世界的に「夏向きという観念」が通用するかも謎だ。まるで亜熱帯になってしまったかのような東京の湿度と、そうではない国の夏では、また異なるので、ずいぶん「夏向き」の趣も変わるだろう。あるいは「夏」という概念のない地域も世界的にみればかなり多いはずだし。あとなぜか夏は「花火」ということになっている。家の近くの神宮の森では花火大会が開かれ、夜、用事で新宿にゆくと、そこから流れてきたのだろう浴衣の人たちの姿が見られた。
■あるいは、私はいま高校野球の宮崎県代表「聖心ウルスラ学園」に注目している。「ウルスラ」というのは、「5世紀頃ケルン市に侵入したフン族の残虐な行為に対し、信仰と貞潔を守るために死をもって抵抗した聖女ウルスラ殉教者のことです」と、その学校のサイトを見て知ったわけだが、そのような学校も試合となると、なにかのはずみで相手チームに「死球」を与えたり、牽制球でアウトにする「刺殺」をしたりするだろうし、あろうことか「盗塁」までするのだろうと想像する。応援席では、「必勝」というハチマキをし、相手チームに対して「ピッチャーびびってんぞお」などと野次を飛ばすのではないか。それはウルスラとしていかがなものかと思うのだ。
■静岡県の今年の代表は静清工という学校だ。チームのキャプテンの名前は、具志飛馬君である。ライトを守っているのは、又平アンドリュー知也君だ。やはり、スポーツは名前なのだな。ジュビロ磐田にはカレン・ロバーツという選手がいるが、彼が21歳以下の日本代表に入っているのがよくわからない。サッカーで思い出すのは、セルジオ越後さんの日本語だ。いくら長く住んでいてもなかなか日本語がうまくならないのはどうなんだと思っていたが、考え方を最近、変えることにした。ラモスにしても、いまはレッズにいて日本代表でもあるサントスも、彼らの日本語にはある共通したものがあり、あれは、立派な日本語で、つまり、「ブラジルなまり」と考えれば納得がゆくのである。関西弁とあまり変わらない。

■学校の事務的な仕事をする。さらに小説を書く。戦争のことを考える。政府は憲法を変えようとしてるんだってさ。新聞を読むのが憂鬱になる。「寂しさの歌」のなかで金子光晴は歌ったのだった。
あとから、あとから湧きあがり、閉ざす雲煙とともに、
この国では、
さびしさ丈がいつも新鮮だ。

(17:44 aug.2 2005)


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