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Published: Feb. 21, 2003
Updated: Dec. 18 2003
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 *戯曲を読もう。「テキスト・リーディング・ワークショップ」のお知らせ。案内はこちら。 → CLICK
  (ENBUゼミの「短期集中講座」のページに直リンクさせてもらいました)

Dec.17 wed.  「戯曲を読む」

■午後、目が覚めて見ていた夢が気になったのでノートにメモする。このところ「夢ノート」を作っているのだった。

■それから少し本を読み、夕方家を出て曙橋へ。「テキスト・リーディング・ワークショップ」である。きょう読むのは松田正隆の『雲母坂』だ。一年ほど前、京都の大学の二年生の発表公演で上演された。休憩なしで二時間半ちかくあった。三時間とってあるこのワークショップの時間内で読みきれるか不安だったが、僕の解説などふくめ、ぴったり時間内におさまった。
■近未来という時間設定になっているらしいのは、芝居の途中でわかる仕掛けになっており、これはおそらく、物語にリアリティを持たせるためではないか。といのも、よく読めばこの物語は荒唐無稽ともいっていいでたらめさがあるからだ。生活感ともいうべきディテールはごくごく日常的で、芝居の冒頭、「トウキョー」の郊外での話は現在といってもいいようなやりとりだ。ト書きにも「時間」の設定はない。それから、九州の離れ小島に舞台が移されてから次第に物語が現実から乖離してゆく。それは神話的であり、マジックリアリズムめいてくる。松田正隆は長崎とその周辺の言葉を駆使した作品によって、あるとき、その土地を発見したと思われるが、『雲母坂』は、それをさらに深化させ、深化させるというより、それが本来、持っている資質かのように、それまでの家庭劇風の作品とは異なり一気にここである種の政治劇としてスケールの大きな世界を作りだそうとする。
■ここには、参照されたのだろういくつかの素材が作品中にあらわれ、それはたとえば隠れキリシタン的宗教観、あるいは土着的アニミズムであり、それが「天皇を中心とするこの国の政治」とダイレクトに対抗するものとしておかれ、それが九州近辺の離れ小島、いわば「周縁」に設定されていることによって神話的世界の奥行きを生む。「衝突」の根底にあるのは、六〇年代的な革命思想(ならずものの革命)にも結びついているのを感じるが、この国に過去からずっと続いているであろうもうひとつの反抗の歴史として流れている思想を表徴するのは、たとえば、島の人間が「後醍醐天皇の末裔」であるというせりふに垣間見え、その歴史観は、網野善彦『無縁・公界・楽』『異形の王権』が参照先になったと想像させるし、あるいはしばしば出てくる革命における武器としての「つぶて」はやはり網野も書いている中世日本を代表する学問的に重要な「アイテム」だが、中沢厚の『石にやどるもの』をも彷彿させる。あるいは、中沢新一さんがひと頃よく書いていた、「悪党的思考」にもあてはまる。その思想的なパラダイムはポスト構造主義ではなかろうかと考えていたが、しかし読むべきは、劇作家として、そうした思想的、学問的成果をいかにして「劇」として形象化するかという作家の手つきである。そうでなければ、戯曲として読む意味がない。

■松田正隆はかなりうまい。そして、全体をつらぬくのはロマンチシズムではないか。まだ見ぬ革命へのロマン。かつて唐十郎に傾倒していたのをかいま見せるのはしばしば現れる、「アングラ演劇的リリシズム」であり、それは独白に顕著だ。けれどまた、チェーホフ的な人間のドラマ、岩松了に見られるような性的人間の表現が丹念に描かれ、つまり、天皇、宗教という形而上の世界と、性をダイレクトに描く形而下が、ひとつの舞台に形象するのは、前半の淡々としたドラマと、後半の群像劇的なドラマとが、ひとつの作品にモザイク状に配置されていることによって、ある特別な劇世界を形作っている。二つの異なる世界観を結びつけるのが「アングラ演劇的リリシズム」だ。そしてロマンチシズム。むしろ、それが際だって感じられた。それをどう認識するかがこの物語の最終的な評価になるのではないか。
■あるいは、「リリシズム」の扱い方だ。そこに安易にもたれかかれば、陳腐な「アングラ演劇的リリシズム」の再生産でしかなくなるが、そこからも松田正隆は巧みに逃れているように読めた。ここには、形而上と形而下によって、日常の社会を挟み込んでそれを切り取る手つきが見られ、それがおそらく、松田正隆の本領だろう。チェーホフ的な劇の巧みな書き手としての松田正隆によるこれは野心作ともいうべき戯曲だ。
■だから、「作家性」を強く感じた。この世界をもっと深化させることで、またべつの劇世界が開示されるのではないかといった予感をさせる。きわめて「演劇的」である。それは小説とも異なる、演劇だからこそ描くことのできる、ある特別な神話であり、世界観だ。演劇でしか成立しない「なにものか」である。

■そういえば、このあいだわたしは、「あらかわ遊園」というさみしい遊園地に行ったのだった。デジカメで素朴な観覧車を撮影。それを遊園地再生事業団の来年の年賀状にする予定。デザイナーの斉藤さんにデータを送ったが、けっこう大きなデータだったがさすがBフレッツは速い。あっというまに送信。世の中はどんどん便利になってゆく。神話的思考はどこにいってしまったのだろう。

(10:35 dec.18 2003)


Dec.16 tue.  「ペドロ・コスタ監督と会う」

■夕方からペドロ・コスタ監督との対談がある。青山通りがすごく混んでいた。間に合わないんじゃないかと思ったが約束通りの時間に、待ち合わせ場所の青山にある紀伊国屋スーパーの前に到着。監督は遅れてくるとのこと。スーパーのすぐ脇の道を住宅街のなかに入ってゆくが、そこはかつて学生のころ、友人の自宅があって来たことのある場所だと思い出し、とはいってもすっかりあたりは変わり、友だちの家がどこだったかまったくわからなかった。近くのカフェに移動。
■ペドロ・コスタ監督は少し遅れて到着。緊張しつつも、通訳の方を通じていくつもの話を聞かせてもらった。そのとき監督は、何冊もの雑誌を手にしており、コンビニにでも行って興味を持って買ったのかと思ったがそうではなく、つまり、ここに来るまでに五、六本の取材をこなしてきたのだとあとでわかる。記憶とメモだけを頼りに内容を紹介すると、コスタ監督の発言がまちがって伝わる恐れがあるので避けるが、内容はとりあえず対談が掲載される雑誌「
InterComunication」を読んでもらいたい。面白かったのは、「InterComunication」の表紙にある言葉をコスタ監督がやけに注目し、そこにこだわり、その「New Contexts of the Post-Digital World」が、「ヘビー」だと口にしていたことだ。あと、すごくよく喋る人で、きょうこんなに取材してきたはずなのに、まだ話すことがあるとばかりに話す。タフだし、作品を見て感じた集中力ってやつがすごいのだとあらためて思う。鎌倉に行き小津安二郎ゆかりの場所を訪ねたり、原節子の映画を撮りたいと原邸の近くまで行ったというし、手にしていたデジタルビデオで近くの薬局を30分撮り続けたという。きょうもまた、とてもいい一日だった。
■そういえばきのうアテネ・フランセで開かれたコスタ監督の『骨』の上映会が満員の盛況で、しかも男が多いのが印象に残った。で、映画の上映が始まる直前、喫煙場所で煙草を吸っていると若い男が二人会話しているのが耳に入り、会話のあいだ、おそらく文學界の対談のことを話しているらしく、「アベとハスミがさあ」といった言葉遣いをしており、むかしからこの手の人はいて、たとえば「ツカの演劇ってのは」とか言う者がいたが、いまでもそうなのだな。ある種類の人たちに対し、「その姓を呼び捨てにする」ということだが、呼び捨てにされるくらいでないとだめなのかもしれない、というのは冗談にしても、ただ、この場合、二文字、三文字の人がそう呼ばれる傾向にあるのではないかと思い、だから僕だったら、「ミヤザワアキオが」とフルネームで呼びすてにしないと、収まりが悪いのではないかと想像され、青山さんもやっぱり、「アオヤマシンジが」と呼ばれているにちがいなく、まちがっても、「シンジがさあ」と、おまえは青山真治の父親かといったことにはならないだろう。

■ふだんからビデオをもっと活用しようと思うのは、舞台の上で表現されるものとドキュメンタリーな映像によってなにか生み出せないか考えているからだ。ひとつのある、「もの」や「こと」に集中し、それを映像に収め、そのことから舞台ができないか。戯曲を書くのとはまた異なる作業としてビデオによる記録について考えている。
■だから、稽古を一年間やると以前書いたけれど、それも、一年間の季節の変化をすべて俳優とともに映像に記録したいと思ったからだ。テオ・アンゲロプロス監督の『旅芸人の記録』じゃないけれど、ともかく創る過程そのものが作品になればいいと思っている。小さなことからはじめよう。だから、2005年の本公演までに、プレ公演を何度か計画している。短い戯曲を書き、それを上演する試み。たとえば、きのうのノートに書いた、『トーキョー/不在/ハムレット』のプロットのなかの、「ハムレットを待つ二人の男」だけの短い劇を上演するとか、「ハムレットの父親の幽霊が出るという子どもたちの噂」だけの劇があってもいい。そんな計画である。創る過程そのものが作品になる。
■あ、そうだ、だからいまパリにいる小浜にも自分の周辺をビデオで撮影してもらえたらいい。ハムレットの台詞をセーヌ川のほとりで読んでいる滑舌の悪い小浜の映像も面白いのではないか。あるいは、フランス人にフランス語で「ハムレット」のなにかの台詞を読んでもらう映像とかね。ペドロ・コスタ監督にも「ハムレット」のなにかの台詞を読んでもらえばよかった。今後、会う人には必ず、「ハムレット」を読んでもらおうかと思った。

(15:15 dec.17 2003)


Dec.15 mon.  「北関東に興味をもっている」

■昼間、「論座」(朝日新聞社)という雑誌の「読書きのうきょう」という原稿を書いていたが思いのほか早く書き終えたのは、このノートのおかげである。ほぼ引用しあとは構成するのと、枚数に制限があるので短くするために書き直すという作業。こうしてまめに「富士日記」を書いているのはあながち無駄ではないのだった。
■それで夕方、お茶の水のアテネ・フランセへ、ペドロ・コスタ監督の『骨』という作品を観にゆく。映画も楽しみだったが、映画終了後にあるペドロ・コスタ監督と青山真治さんの対談も楽しみだったというか、青山さんに会いたかったのだ。メールの返事を書こう書こうと思いつつ怠けていたし、ちょっとでも話したかった。で、あしたはペドロ・コスタ監督と対談もするので、『骨』は観ておかなければならない。
■「群像」で青山さんと対談したときも話したが、僕は映画をいっぺん観てもよくわからないまま、あとになって気がつくとか、人に教えられてわかることが多いのだが、『骨』はまず、登場人物の区別がつかないという決定的な、映画初心者みたいなことになっていたのがもうだめである。ただ、『ヴァンダの部屋』でも感じた、絶望的な現実がどうしてこんなに美しい映像になってしまうのか。「穢」が一気に、「聖」になる奇蹟のようなものがストーリーとはまったく関係なく出現する。あるいは、青山さんも対談で話していた音響の使い方が印象に残った。音楽ではなく、それはノイズで、町の声であり、工事現場の音であり、たとえば、ヴァンダの咳の音だ。特に『ヴァンダの部屋』の部屋でヴァンダはしきりに咳をし、「咳」という人間の発する「音」はなぜそれを聞く者に不安を与えるのか。あれは意図されたものか印象に残った。しかも、俳優がわざとらしく「咳をする芝居」をしているのとは決定的に異なる単なる生理的な「音」だ。そうした細部やある一点に徹底的に映画監督の意識は集中してゆく。僕だったらすぐに他に逃げてしまうだろうと思い、それとはまったく異なる表現の質は、俺にはできないなあと思いつつ、なぜできないのか考える。

■二人の映画監督の対談のなかで、青山さんがペドロ・コスタ監督の作品について語った、ここには「プロレタリアート」という言葉の語源としての「生きるのに耐える者」という言葉の意味における、「プロレタリアートがある」という意味の発言が印象に残った。
■すべてのプログラムが終わってから、青山さんに会って少し言葉を交わす。気がつくと、阿部和重君や、やはり作家の中原昌也さんがいる。青山真治、阿部和重、中原昌也と、これからなにかを変えてゆく、きっと変えてゆくであろう新しい世代の書き手たちが一同に介している。壮観である。彼らに刺激を受けるし、対談をはじめ青山さんとゆっくり話をする機会ができ、阿部君の小説を読みとこのところ喚起されることが多く、俺も負けてはおられぬとなにかよくわからない、気持ちのたかぶりを感じるのだ。
■僕の舞台『トーキョー・ボディ』に出ていてた淵野と田中夢が来ていた。田中夢を青山さんに紹介するべきだったと少し後悔した。いい作品に出てもらいたい。あとは徹底的に実践で鍛える。

■2005年の新作のタイトルは、『トーキョー/不在/ハムレット』(仮題)である。それは次のような話になる。
 そこはトーキョーという北関東(埼玉北部)に位置する小都市だが、ハムレットは不在だった。この町の創世神話に伝わるトーキョーを最初に作った一族の末裔としてのハムレットという名前の男。いまだに来ないハムレットを待っている二人の男がいて、ハムレットに伝えるべきことのある女がいる。ハムレットに宛てた長い手紙を書いている者もいれば、ハムレットからメールを受け取った者もいた。なかにはハムレットの目撃者もいたが、ほんとうかどうか本人の供述も曖昧だ。インターネットの掲示板にハムレットの名前で書かれた投稿が出たがほんとうのハムレットが書いたのかわからない。事件現場にはいくつかの死体。容疑者としてハムレットの名前があがる。子どもたちのあいだに流れる噂はハムレットの父親の幽霊が出る場所の話だ。ハムレットを慕う女がいた。ハムレットは不在だ。この町にハムレットの姿はない。いつか来るかもしれないハムレットを待っている二人の男は、道路を建設する仕事に従事し、ただその日のために働いていた。ハムレットこそが救世主だと訴える者らもいたが、それもまた眉唾。夕べ、ハムレットの相手をしたという風俗の女の言葉も信用できない。追われるハムレットはどこにも姿を現さない。ほんとうにハムレットはやってくるのだろうか。そしてまた、ハムレットにかかわる者の一人が死んだ。昨夜午前二時過ぎ、町の外れにある橋のたもとで、死因は鋭利な刃物で斬りつけられものとみなされた。また一人。そしてまた。
 もちろん、ハイナー・ミュラーに影響を受けているのは一目瞭然だが、そこに仕掛けをほどこすことで、またべつのハムレットの物語を再構築するつもりだ。まだ思いつきによる概略に過ぎないが、シェークスピアの「ハムレット」の再読を通じ、また新たな神話世界が出現すればという試みである。少しずつ戯曲を書いてゆこう。小説も書くよ、俺は。

■そういえば、雑誌「
en-taxi」のTさんから、またべつの種類の店に連れて行ってもらうと誘いがあった。小説のために必要な取材だ。時間を作ろう。つい部屋にこもりがちになるが、外に出て行くことでもまた刺激を受けたいと思っている。早急に計画をたてよう。ネットで僕も行きたい場所をいろいろ調べた。ダンス批評家の桜井圭介君から「牛久の巨大仏」を観に行こうと誘いのメールももらったし、出かけることに意義があるのだ。「巨大仏」を観ることになんの意味があるのかよくわからないものの。

(4:49 dec.16 2003)


Dec.14 sun.  「禁煙について」

■少し空白ができてしまった。原稿を書いていたからだが、まあ、それをいったらいつでも原稿は書いているし、「忙しい」という言葉がうそくさくなるほどいつだって忙しい、というより、そういうふうに生きている、とでもいうのでしょうか、ただただ働いている。
○12日(金)
 丸一日、原稿を書いていた。深夜というか、未明と書いていいのか、目が覚めてからずっと「チェーホフを読む」を書きつづけやっとまとまったのが夜九時ごろだ。一息ついた。とはいえ、ずっと書きつづけていたというわけでもなく、途中、「群像」の編集部からFAXがあり、見ればまちがいのFAXなのでその旨伝えようと電話すると、僕の担当をしてくださるYさんにつながり、それからまたしばらく、『シンセミア』の話になった。いくらでも話すことができるという希に見る小説で、仕掛けられた謎を解きあうなど面白くてしょうがない。きょう「群像」のYさんからもたらされた読みは、中心になって動いている「パン屋」の一家が、ある有名な、この国の人間だったら誰でも知っている家族と同じ構成になっているという話で、言われてみるとその通りだし、よく見れば名前が……。これが意味するのはなにか。たとえば「戦後」と呼ばれる時間が醸成するあらゆる種類の表現の「質」を「終焉」させることにあるのではないかなどいろいろ考えていたがいや原稿を書かねばいけない話している場合ではないと思いつつまた長話になった。

○13日(土)
 午前中、「ユリイカ」のYさんから電話があった。(すでに書き上げた)「チェーホフを読む」のゲラをこれから送るので午後三時までに直して返送してほしいとのことだった。やはり早起きだったわたしは、髪を切ってもらう店に予約をしたのが午後三時で、それまで少し眠ろうかと思っていたが眠れなくなった。FAXで届いたゲラを直す。ゲラを直し終えて青山へ。表参道にクルマを路駐し、髪を切ってくれる店でまた坊主にしてもらった。さっぱりした。近くで少し早い夕食をとる。
■「國文学」という雑誌の最新号は柄谷行人さんの特集だが、冒頭にインタビューがありそこでやはり「禁煙」が問題にされているのを読んで、少し笑いそうになったものの、「禁煙」についてあらためて考えた。『日本近代文学の起源』という柄谷さんの著作について話は進行する。「私はろくに調べなくても直感的にわかることが多いんです。しかし、昔はそれを裏づける作業をやらなかった。だから、今から思うと、そこがだめですね。とはいえ、最近は禁煙もしたし、調べる根気も余裕も出てきて、ひとつひとつ調べて確実にしようとしています」という柄谷さんの言葉を受け、インタビュアーの関井光男さんが次のように言うのだった。
 柄谷さんの仕事のスタンスが変わったのは、やはり禁煙が大きいと思うんです。禁煙しないと、図書館でものを調べることができないですからね。
 そうすると、映画批評、演劇批評をする喫煙者は仕事がまったくできないことになる。映画館や劇場に行けなくなってしまい、喫煙者はまったく映画も舞台も観られないことになるが、喫煙者のなかには、「禁止された場所では喫煙しなくても平気」という人がいるから不思議だ。じつは私がそうだった。許されている場所ならものすごく喫煙するが、禁止された場所では吸いたいとも思わなくなるというほどに、「喫煙」とは恣意的な行為のことである。そういえば、クルマを運転しているときもタバコを吸おうと思わない。というか、クルマのなかを禁煙とあるとき決めて以来、まったく吸っていないし、それで苦痛を感じないのはどうしたことだ。
■テレビでサッカーを観、あとは少し本を読む。2005年の舞台のことを考えていたのは、ある場所に提出する企画書のようなものを書かなくてはいけないからだ。少しずつ案ができてきた。タイトルもほぼ決まっているし、少しずつ戯曲を書こうかという勢いだ。

(1:50 dec.15 2003)


Dec.11 thurs.  「消しゴムの記憶」

■私は意外なことに早起きだった。10日など、午前六時半に目が覚め、午前中のうちに「一冊の本」の原稿を書きあげ、夕方から「テキスト・リーディング・ワークショップ」があるから、「チェーホフを読む」に取りかからねばならないのだが、つい本を読む。そこへ「ユリイカ」のYさんから電話。原稿を書けばいいものを、つい長話したのは、阿部和重君の『シンセミア』についてだ。いまちょっとした『シンセミア』ブームである。どこで、っていうか、わたしが。
■Yさんが言うように、中上健次の「路地/新宮/熊野」以後、文学のトポス探しをする作家たちにとって、この作品は、ひとつの解答だ。「文学のトポス」という考え方はすべて「路地」で終わった、有効ではなくなったと僕はなにかに書いたが、またべつの言い方をすれば、「路地はどこにでもある」ということになり、「神町」という実在するほんとうはなんでもないのだろう土地を、阿部君の強度の高い筆致がある特別の姿にする。あらためて「路地はどこにでもある」のだと思った。「路地」に代わるなにかを探すのではなく、「どこだって路地」なのだろう。そのことの意味が少しわかった気がする。『文學界』の最新号には、蓮實重彦さんと、阿部君の映画に関する対談が掲載されていたが、映画の話のはずがいきなり『シンセミア』の話題になっていた。原稿も書かずにそれもまた、読んでしまった。
■今週の「テキスト・リーディング・ワークショップ」は鐘下辰男君が文学座のために書いた、『寒花』だ。重かった。ずっしりとした重さが部屋に漂う三時間である。こういうこともなくちゃいけない人生だ。ワークショップで人生を知るのもなんだが。しかも戯曲が長くて時間を超過。一回で読めないんじゃないかとはらはらした。来週はまた重めに、松田正隆の『雲母坂』である。鐘下君とはまた異なるタイプの作家だ。

■すっかり疲れて家に戻り、「チェーホフを読む」に取りかかる。進まない。いったん眠ってまた早起き。
■「群像」のために書いた短編小説のゲラが届いていたので、直しを入れたが、直しているうち、書き足したくなったり、削ったりで、思いのほか時間がかかる。夕方、不意に眠くなる。「チェーホフを読む」を書かなくてはと思いつつ、「論座」の原稿もあるし、気ばかりあせる。あせってはいたが眠いので仮眠のつもりが目が覚めたらもう、深夜だ。しまった、眠りすぎた。そういえば、「小説新潮」が届いていたのでなにかと思ったら、放送作家の高橋洋二が自分の見てきたこの20年の「放送業界」について書いた文章を寄せており、印象に残ったのは、いまのテレビについて、「テレビが好きな人だけのものになっている」という指摘があり、それが鋭いと思った。
■高橋がもう20年仕事をしていることを知って少し驚く。となると、いまは「トリビアの泉」を書いている三木聡もそれくらいになるのだろうな。むかし、なにかの台本を三人で書いていたのは、たしか文化放送のロビーで、高橋と僕は、水性ペンで書き、高橋はゆっくりていねいに、僕はものすごい速度でまちがった箇所などぐしゃぐしゃっと黒く塗りつぶして書いていたが、三木は鉛筆だった。書きまちがえると消しゴムを使って丹念に直していた。その消しゴムのかすが机にたまって、ちょっと、おまえさ、それ、消しゴムのカスなんとかしろよと言った記憶がある。

(1:18 dec.12 2003)


Dec.9 tue.  「回顧する」

■東京に戻ってきたら早速、「一冊の本」のOさんから原稿の催促である。年末進行である。誰が年末なのか。印刷所が年末なのだろうと思いつつも、しかし、年末ですので早じまいしますというほど、この国の経済は悠長なことを言っていられるのだろうかという気がするものの、あ、年末かよと、「年末進行」で季節を知るのだった。
■朝日新聞の夕刊に、「回顧2003・文学」というのがあって、何人かの評者が阿部和重君の『シンセミア』を取り上げており、まったくだと共感したのは、まあ、ほんとになんていうか、すごいからだ。とにかく読め。青山真治さんの『
Helpless』が文芸誌に発表されたのは今年ではなかったのだろうか。『Helpless』は映画も好きだし、小説も好きなのだが。あと、評者のひとり福田和也さんがスガ秀実さんの『革命的な、あまりに革命的な』を取り上げていたのが印象に残った。で、この欄を読んで思ったのだが、「文学」という括りに「戯曲」がないことが不可解で、むろん、「演劇」とか「舞台」ということで回顧されるのは知っているが、「詩」や「小説」、あるいは「評論」はあっても、舞台と切り離した「戯曲」は文学として読まれないのだと奇異に感じるが、そう感じることはおかしいだろうか。
■というわけで、年末なのであり、回顧である。俺は今年、なにをやっていただろう。一月に『トーキョー・ボディ』をやったほか、これといってなにもしていないじゃないか。でも、「チェーホフを読む」をはじめ、連載はしているのだな。戯曲をまじめに読んだ年だ。あと大学で教えていたし、ワークショップをやっていた。大学でずいぶん消耗した気がする。そういえば、京都に行ったら学生たちから「顔色が悪い」とやたら言われた。言われつづけているうちに、だんだん不安になってくるのだ。どこかからだがおかしいのではないか。そんなこんなで47歳。そしてニュースを見れば、その日は歴史的な一日になっていた。

(11:26 dec.10 2003)


Dec.8 mon.  「京都を歩く」

■学生のKたちが公演する『寿歌』は夕方の六時からなので、それまで時間がある。午後、京都を歩く。京都御所の近くのホテルに宿泊していたので、少し歩いて久しぶりに御所に入り散策すると、あらためて、御所の広大さに驚かされる。「広大な土地」だったら、どこにだってあるし、北海道などに行けばもっと大きな土地があると想像するが、御所の作りに仕掛けがあるように感じたのだ。それを意図してだろう、遠くにある御所本体の建物の見える位置、つまり、丸太町通り方向から中に入ると、建物に続く道の左右にある木々の並びがやけにパースがかかって見え、広さに対する感覚を麻痺させる設計になっているのではないか。
■御所をしばらく歩いてから、寺町通りに出る。御池方向へ下がると、途中、寺町二条の三月書房に寄る。小さな店だが、しばらくいても退屈しない。買おうと思った本が幾冊かあったが荷物になるのでやめる。また来年の春にしよう。というか、東京で探せばいいのだが、どういう仕組みか50パーセント引きなどになっている。さらに歩く。
オパール店内■市役所前まで来て、御池通りを渡ると、河原町通りを下がり、久しぶりに、
OPALというカフェに入った。本を読んで時間をつぶす。午後のこの時間はあまり人がいないので本を読むのにも集中できていい。音楽もいい。席はたいていゆったりとしたソファですわりごごちがいい。以前は、ここで本を読むのが苦痛で、それというのも、まあ、たいていのカフェがそうだが照明が暗く、眼がだめだったというか、字が読めなかった。これもみんな眼鏡のおかげである。もともとそれが商売なので本は読んでいたが、眼鏡を作ってからより読めるようになった。そういえば、桜井君が、最近の舞台は暗いと思っていた時期があったそうだ。それがやはり、眼鏡を作ってから明るくなったという。批評家としていかがなものか。笑ったなあ。

■ふと気がつくともう時間がない。河原町通りからタクシーを拾って大学に急ぐ。意外に道がすいていた。余裕で到着してしまい、時間があるので、大学のロビーで一年生らと話をしていたら松倉が来た。少し話す。六時から、『寿歌』開演。はじめて観たのは、たしか八〇年ごろだったから、もう20年以上も過去の劇である。以前も書いたことがあったと思うが、二年生の一人の関西の言葉が異常に面白く、そのKという学生に『寿歌』をやれとすすめたのは、あのとき耳にした関西の言葉がやけに印象に残っていたからだ。たしかに、いくつかの場面で時間に耐えられなかった部分を感じつつも、これはおそらく、様々な意味で、八〇年代を刻印する舞台としていまも上演されるべき価値のある作品ではないか。もう少し演出を考え、解釈を変えれば、いまこそ上演すべき劇になる可能性も感じた。
■Kに声をかけ、って、もう面倒なので川崎という名前の学生だが、彼女と金子という学生、さらに枡谷が出演し、村川という映像コースの学生が演出している。観ていてなにやらうれしい気分になったのは、この四人が僕はとても好きだからだ。彼らが舞台を作っているというだけでうれしい。しばしば、松倉のことをここに書くが、ほかにも、四年生の牛尾はちょっとどうかっていうくらい面白い。あと、三年生の荒木。写真日記のページのトップにある男たちの中央にいる山田君もいいしなあ、なんというか、私はもう、教員としてみんなを平等に扱うことが面倒になってきたので、いいと思う学生はとにかく支援したい。噂によれば、牛尾は、太田さんから、「きみはあと三年芝居を続ければ、室井滋になれる」と言われたらしい。ぜったいいいんだよ、牛尾。俺は一年の時から目をつけていたのだ。あと、二年前の発表公演で藤井という学生も私は発見した。みんな東京に連れてきて舞台作ろうかという気分だ、俺はいま。
■それとは逆に、学生じゃなかったら蹴りのひとつも入れてやろうかと思うやつもいないわけではないが、さすがにそれはしませんね。終わってから白川通り沿いにあるイタリア料理屋風の居酒屋に入って遅くまでみんなと話をする。楽しかった。ホテルに戻ったのはもう午前0時を回っていた。

(17:21 dec.9 2003)


Dec.7 sun.  「京都である」

■昼過ぎに京都に着いた。いったんホテルに寄って荷物を預ける。それから御所の近くのバス停から204番のバスに乗って大学に向かう。久しぶりの京都である。左手に御所の森。鴨川を渡る。これから『現代能楽集』(作・演出=川村毅)を観、あしたは学生のKたちが公演する『寿歌』を観て、東京に戻るのは9日だ。東京に戻ったら原稿の締め切りが次々と来るだろう。
■『現代能楽集』には手塚とおる君が出ている。例によって大学内にある、
Studio21での公演だが、そこに、元宝塚の麻実れいさんやら、舞踏家の笠井叡さんが出ているというのも不思議な感じがするっていうか、すごく贅沢な話だ。しかもそのあと、やはり大学内にある春秋座で、大駱駝鑑の公演がある。すごいことになっていた。
■学生たちにもちらっと会ったが、終演後、手塚君と、大学の近くにあるカフェ「猫町」で長話。久しぶりに手塚君とゆっくり話ができてとてもよかった。そういえば手塚君が出てくるのを待っているとき、駱駝鑑の舞踏手たちが、
Studio21の前でタバコを吸っていたのが奇妙な風景だ。白塗りである。タバコを吸っているのである。京都の風はやけに冷たい。白塗りで半裸の彼らは寒そうにしていた。デジカメを持ってきていなかったのをひどく後悔した。

■ホテルに戻ってメールチェックをすると、以前まで僕の演出助手をしていた宮森からメールがあり、いま宮森は舞台の稽古をしているらしいが、きょう、さっきまで僕もいた大学で稽古をしていたという。奇遇である。昼間、京都で稽古し、夜は神戸に移動してさらに稽古するというが、つまり、大宮あたりで稽古していて、そのあと横浜で稽古するようなものだよ、その移動は。「なにも稽古場で三都物語をやらなくてもいいじゃないか、とも思いますが、小さな劇団ゆえ、仕方ないようです。遊園地がいかに恵まれた環境にあったか、改めて知りました」とメールにあったが、僕ら(=遊園地再生事業団)も稽古場を転々としていた時期もあったし、宮森がいたころはかなり恵まれていた時期ではないだろうか。でも、舞台を作るためにはそれぞれ、ほんといやになるほど面倒なことがどこにでもある。
■メールチェックするまではかなり苦労した。というのも、
iBookでモデムの切り替えをしようとすると、なにかのライブラリーファイルがないのでコントロールパネルの「モデム」が開けないとメッセージが出る。このあいだiBookが壊れたときシステムを入れ替えたが、それを元の環境に戻そうとバックアップを取ってあった「機能拡張」にしたからだろう。推測するに使用中の不可視ファイルのバックアップが取れていなかったと思われる。幸いにも、入れ替えたときのまっさらな「機能拡張」をそのまま保存してあったので、それにすると問題は解決。古い「機能拡張」から必要なものをコピー。システムが元に戻ってネットへの接続も可能になった。と書いても、Macの環境にない人には、いや、Macを使っている人でも、わからない人には、なんのことやらわからないと思うが、とにかく、治ったのだからいい。
■これまで、
Macに限らず、Windowsでも、どれだけトラブルに見舞われたかしれず、そのつど対処し解決してゆくのもだんだん面白くなってゆくもので、いまではたいていのことはなんとかなるのだった。

■あしたの「寿歌」の公演は夕方からだ。昼間は時間があるので少し観光をしよう。レンタカーを借りたくなったが、京都はバスがいい。

(7:25 dec.8 2003)


Dec.5 fri.  「似ているものを探す」

■最新号の「群像」が届いたので、見れば、青山真治さんとの対談が掲載されていた。ああ、そういうことか、説明をちゃんと聞いていなかったのか、今月は「対談」が載り、来月号になると小説が掲載されるということだったか。いつ撮ったのかわからないが、対談の冒頭に青山さんと僕の写真が掲載されており、撮られた記憶がないと書けば、阿部和重君の小説、『シンセミア』の盗撮の話をつい思い出す。
■対談で僕の小説に関して青山さんは、「描写」が細かいことについて「驚愕した」という意味のことを言ってくれたのだが、たとえば、『シンセミア』で、「盗撮」についてしばしば(というか、この小説全体が「盗撮」がポイントになっている)書かれても、その手段についてほとんど描写されず、僕だったら、事細かに、盗撮の仕組み(どこにどうやってカメラを仕込み、どう気づかれないようにするか)を描写してしまいそうだと思い、しかし、『シンセミア』の圧倒的な筆致を目にするとそんなことはとるに足らないことだと思えてくる。
■とにかくねえ、『シンセミア』はものすごく面白いよ。刺激された。小説とはなにをどう書いてもいいのだと、あらためて思い知らされるし、同時にその自由を生かして強度な小説世界を構築する仕事は誰もができることじゃないと、まざまざと見せつけられる。ただごとならない仕事である。

■で、「群像」に『シンセミア』の書評が出ていた。そこで評者は『シンセミア』が、デビット・リンチの『ツイン・ピークス』に似ていると書いており、まあ、言われてみるとたしかにそうだが、ここでやっぱり気づかされるのは、「人は似たものを探す」ということだった。前提になるのはなにかに出会ったとき人は「解釈せずにいられない生き物」だということであり、その場合、もっとも簡単なというか、単純な解釈が、「似たもの」を探すことだ。そしてもう一歩踏み込んで、「似たものとの差異」をようやく問題にする。
■たとえば初対面の人に会うとまず人がしがちなのが、自分の知っている誰と似ているかを探し、でも、ちょっと、口元が違うかなといったことを口にする。「似たもの」を発見したからといって意味はないというか、そんなことは誰にでもできるので、なにかをきちんと評価し、批評を書いたりする際には、そこからまず逃れようと僕は思う。ただ、「似たものを探す解釈」において試されるのは、評者の教養である。たとえば、『サーチエンジン・システムクラッシュ』を、村上春樹の『羊をめぐる冒険』に似ていると思った者がいるとしよう。すると評者は、その程度の人物なのだと言葉にその人が反映してしまう。僕は思うに、『サーチエンジン・システムクラッシュ』は、アントニオ・タブッキの『インド夜想曲』に似ているし、ことによったら作者はあれを真似して書いたふしがあるばかりか、ミラン・クンデラの『冗談』を読んだことがあの作品を書く動機だったかもしれないのだし、中上健次と、翻訳されたフォークナーの影響を文体に感じるがどうだろう。
■このあいだあった、「かながわ戯曲賞&ドラマリーディング」の公開審査でも、可能な限り「似たもの」を口にしないように心がけたつもりだが(なにしろ、教養が試されるし)、どうもねえ、「不条理劇」的なる作品が多いので、別役さんとのちがいを発言してしまいがちで、「別役さんだったら、ここはこう書くんだろうな」をしばしば言った。失敗である。

(14:29 dec.6 2003)


Dec.4 thurs.  「迅速な処理」

■二日前に修理を依頼したくだんの、
iBookだが、依頼したその日の夜に引き取りに来て、中一日あけて、きょう修理が終了したと届いたのだった。ロジックボードを交換したという。快調。アップルのサポート体制は見事だった。処理の迅速さに驚かされた。Power Macにバックアップしてあったデータ類をまた転送し、ほぼ元通りに復元できた。
■そんなわけで、ノートが一日、空白になったが、水曜日の夜は一ヶ月ぶりの「テキスト・リーディング・ワークショップ」だった。人がずいぶん入れ替わっていた。何人かは前回と同様のメンバーだ。『ソウル市民』(作・平田オリザ)を読む。みんな、テンポがやけによく、間をあけないし、台詞の速度もやけにてきぱきしているので、青年団で見る『ソウル市民』とは(当然ながら)異なる印象になった。すると、人の出入りがせわしく感じるのだ。もし演出するとしたら、僕もまた、もっとゆっくりやらせるだろうし、舞台上に流れる時間をゆったりしたものにするだろう。ただ、こうして戯曲を読むと、なんでもない一時間半という舞台に再現された時間は、やはりリアルではなく、劇として作られていることを知ることができる。青年団の舞台がリアルと言われるのは、それをそう感じさせない演出である。人がこんなに出たり入ったりするだろうか。そして、ト書きに「空白」とある、あの舞台上に誰もいなくなる演出(戯曲にも指定されている)は、そこに20秒とか、30秒と指定があっても、ほんとうはどれだけの時間が流れているかわからない。「舞台上に流れている時間」「見ている者にとっての時間」「実際の時間」がすべて異なるはずで、観る者にめまいを起こさせる劇の技法がここにはある。
■そして、『ソウル市民』はきわめて政治的な劇だが、テンポよく読むとやけに笑えるというのもまた不思議で、一九〇九年のソウルに住む日本人たちの姿が相対化され、それはつまり、「ばかな日本人」である。だが「ばかな日本人」を生みだしたのもまた政治である。戯曲の読みが早く終わったので作品の背景になっている歴史のことなど話をする。ただ必要なのは、テーマやストーリーだけでこの作品を評価するのではなく、そうしたテーマをどういった作法で描いたか、なぜその技法かといった、作品が状況のなかにある意味を理解することだろう。

■家に戻ったあと、連載原稿を書く。「資本論を読む」はいよいよ第一巻を読み終えて、読み終えてから三回分ほど書いたのは、第一巻を読み終えたことについてまとめようとしたからだ。だが、まとまらない。一巻ごとに「物語の終わり」や、「以後、次回に続く」といった「読み物」みたいなことはもちろん書かれてはおらず、すっとなんとなく二巻になる。あらためて第一巻の終わりを読む。「剰余価値」について、数式によって分析された読むのにひどく困難な箇所だが、この手つきこそが経済学者としてのマルクスだ。けれど、マルクスはまたひどい皮肉屋であってそこが面白いが、『資本論』は副題に「経済学批判」とあるように既存の「経済学」を徹底した態度で読み、そして批判する。ここに『資本論』の本領がある。つまり「批判する精神」だ。「批判する」とは単なる直感によるものであってはいけない。どこまでも精緻に、分析的に例証し、それを適切な言葉によって叙述する営みだとマルクスが教えてくれる。
■だから、通俗化し、コンパクトにまとめられた「マルクス主義」と呼ばれるものとは異なる多くのものを、『資本論』から教えられ、この「読み」からどれだけ学んだかわからない。だが、原稿はなかなか書けない。書けずにただ途方に暮れていた。
■その途方感の背景には、舞台に対しての面倒なあれこれがあり、それで憂鬱になっていることが大きい。で、三坂に相談のメールを送ったがそれが火曜日の深夜で火曜の深夜から水曜日の朝にかけて心配した三坂が、メールを何度か送ってくれたり、電話までしてくれたが、そのころ私はのんきにもう眠っていたのだった。心配をかけて申し訳ないことをした。眠ったら少し憂鬱が晴れていたものの、原稿は書けず、テキスト・リーディング・ワークショップに行き、で、また原稿を書いたというわけだ。

■もちろん『資本論』のほかにも、いろいろ読む。あっちこっちへと飛び飛びの読書。そういえば、以前書いた、『ヴァンダの部屋』という映画のペドロ・コスタ監督と「季刊インターコミュニケーション」という雑誌で対談することになった。外国の表現者と話をする機会を持つのはうれしい。いま世界のあらゆる場所で表現者たちはなにを問題にしているのか。パリにいる小浜の日記を読んでもいろいろなことを示唆される。狭い範囲で舞台ひとつ作るのに憂鬱になっているのもばかばかしいのだ。

(10:36 dec.5 2003)


Dec.2 tue.  「12月になっていた」

■基本的にこのノートは毎日書くと決めているのだが(まあ、素振りですね、野球でいえば)、いつも使っている
iBookが壊れたのだった。なにか書いている途中、不意にスリープしたときのように画面が暗くなった。でもHDDは動いているようだったので、おかしいと思って再起動。起動時はモニターにアイコンなど出て問題がないが、しばらく使っているとおかしくなるのだ。いろいろ試す。システムがいかれたのか、それともハードか。システムだったらなんとかなると思い、とりあえず、Power Macにデータをバックアップしてからシステムの入れ替えをしたが、そのあいだは、画面がしっかりしていたので、やっぱりシステムのエラーかと思ったがその後も思わしくなく、Macを使っている人ならよく知られた様々な対処法を試みる。PRAMクリアなどいろいろだ。
■結局、だめだった。一晩、この作業にかかってしまった。で、朝になって営業開始と同時にサポートセンターに電話。修理してもらうと費用はどれくらいになるかという質問をし、あんまり高いのであれば、新しい
iBookにしようかと思ったが、さほどでもないようなので、悩んだ結果、修理してもらうことにした。アップルのサポートの人は親切だった。あと、これで次回のMac Powerの連載に書くことを思いついたので、ほぼ5万円という修理費は高くないのではないか。こういうときコンピュータ雑誌に連載していると助かるのである。
■そんなことをしていて、このノートの更新はできなかったし、何人かの方へのメールの返事も書けなかったばかりか、「資本論を読む」の原稿もまだだ。一息つくひまもなく原稿である。てなわけでこれは
Power Mac G4で書いている。何人かの方から「Mac Power」の連載への感想をいただいた。今回のテーマは「即納」だが、感想を送ってくれた一人、三坂は、Power Mac G5を注文してから届くまで半年かかったそうで、しかも注文時にお金を払う仕組みだったという。それはきっと高くついたっていうか、そのあとすぐに値下げになったし、新しい機種も出たしで、こういうことも経験を積んでくるとMacを買うタイミングについては学習せざるをえないし、しかも、アップルはいろいろなことが秘密なのでそれを様々な情報源から漏れてくる「うわさ」の類から予測するのもまた、Macを使う楽しみになるから始末に悪い。発表時、俺はぜったいこれ、「即納」されないし、するとそのうち価格が下がると情報を分析していたが案の定そうだったか。だから、ここや、ここここ、あるいは、こことかいろいろ探り分析するのがMacを使う楽しみなのですね、おそらく。

■でも、そんなことはどうでもいいことなのだ。二〇〇五年の一月に公演のある遊園地再生事業団だが、出演者のことでいきなり挫折。ある方のスケジュールがあわないと連絡があった。だから、舞台は人を憂鬱にさせる。こういった様々な面倒があるからだ。だから小説を書くってわけでもなく、小説は小説としての表現の意味がある。戯曲をせっせと書いていればいいことがあるかもしれないな。いい戯曲を書くことが仕事である。いい舞台を作るのが仕事である。
iBookが使えなくて落ちこみ、このノートを書くのもいやな気分になっていたが、そんなことぐらいで落ちこむのもばからしい。日々精進。ただただ、前へ。イラクでは日本人が殺された。メールでそれに関するある話を教えてくれた方がいた。ニュースを聞きながら、いま表現に値するものはなにかを愚鈍に考える。戯曲の審査をする仕事はほんとにためになり刺激されたが、そのこともふまえつつ、次のことを考えている。

(2:22 dec.3 2003)


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