富士日記タイトル写真
富士日記

PAPERS

2 | 3<first harf> |
3<last harf>
河津桜
たんぽぽ

Published: Feb. 16, 2003
Updated: Apr. 29, 2003
Copyright (C)2003 by the U-ench.com



 | PAPERS | 京都その観光と生活 | 市松生活 | からだ | トーキョー・ボディ | send mail |



Apr.27 sun.  「よくしゃべった日」

■選挙に行く。その後、仕事で原宿へ。日曜日の原宿はたいへんな数の人だがこれもあたりまえの風景だ。

■車道からラフォーレ原宿の下の駐車場にクルマで入ろうとするが、歩道をたえまなく人が通って前に進めない。どうしたものかと思っていると、駐車場の係の人が来、歩行者をさえぎってくれた。申し訳ない思いでクルマを進める。というわけで、ラフォーレ原宿で開かれたイヴェント「
TALK dictionary deluxe」に参加したのだった。しゃべったなあ。すごくしゃべってしまった。どうしてこんなにしゃべったのか反省しつつ帰途についたのである。客席の最前列に、たびたびここでも書いているT君がいたり、何人か知り合いの顔を発見したが、あとで知って驚いたのは三坂が来ていたことだ。どこでどうやってかぎつけたのだあいつは。となると、来月、世田谷文学館でやる講演にも来てしまうのではないか。さらに六月の早稲田大学演劇博物館の講演も来るにちがいない。
■で、「
TALK dictionary deluxe」には細野晴臣さんも参加なさっていたのだけれど、細野さんの話しぶりが僕には面白くてしょうがなかった。物静かで上品なたたずまいの、どこか深いところからにじみだすようなおかしみ。とてもうらやましい。
■あれだけしゃべっていながら書くのもなんだが、終わったあとひどく疲れた。いろいろ疲れた。あと、ラフォーレ原宿の楽屋がやけに古びたのを感じた。ここで舞台をやっていたのは八〇年代。姿はほとんど変わっていないが確実に古びており、余計に時間を感じさせる。

■そういえば松尾スズキからメールが来たのだった。返事を書こうと思いつつ、疲れてだめだった。

(23:33 apr.28 2003)



Apr.26 sat.  「断固休む」

■連休である。
■連休中にやっておかなくてはいけないことが意外に多いことを思い出した。原稿が二つ。ひとつは「チェーホフを読む」だからこれがかなり困難な仕事だ。そして「資本論を読む」。さらに大学の舞台表現の発表公演のために戯曲を改作する仕事があって、過去の作品だが、むしろ新作を書くような気持ちで書き直そうと計画している。というのもできるだけ多くの学生に出てもらいたいと思っているからだ。原稿のほか、あといろいろ。
■30日に精神科医で作家の、なだいなださんとお会いする。「本とコンピュータ」の対談。なださんの本を編集者の方からたくさん送っていただいた。どれも興味深いが、最近考えていたこととリンクする話が多いように感じ、そういうことを考えていたらたまたま対談の話があり、シンクロニシティってものは存在するのだと思った。マルクスをいま再読しているが、やっぱりフロイトをですね、しっかり読むべきではないかとあらためて思う。

■きのう予告した、下北沢の輸入雑貨店「ボンベイジュース」を開いているSさんからのメールを紹介しよう。「スイスでマリファナ解禁」のニュースにいち早く反応してくださった。
 スイスで大麻合法化の国民投票を実施するんですね。当然というか羨ましいというかいまさらというか。。。商業的な栽培に関しては案外厳しいオランダの代わりに、スイスで大麻種子メーカーが栽培を行っているという話を聞いていましたし、先日、イギリスでも大麻の実質的な解禁(禁止薬物指定ランクの格下げ)があり、スイスはとっくに実質合法化されているのかと思っていました。
 日本にいて「マリファナ」、あるいは「大麻」という言葉が持つ一般的なイメージとはほど遠いものがヨーロッパにあることをSさんのメールの文から教えられ驚かされる。これはもう、かなり異なるなにかだ。僕はスイスの「大麻合法化の国民投票」を大きな問題として書いたがことによるとヨーロッパではもっとあたりまえのこととして、冷静に受け止められているのではないか。
 さて、ここでもアメリカなんですが、その流れに逆行しているようです。僕の店ではパイプなどいかがわしい関係の喫煙具を扱っており、半分くらいはアメリカからの輸入品です。最近、何社か連絡がつかなくなったので、おかしいなと思ったところ、アメリカ各地で喫煙具メーカーが手入れを受け、バットを持った警官隊が突入し、モノをかたっぱしから破壊したあげく、逮捕、家財没収ということが頻繁に行われているそうです。それも、ある程度規模の大きいところを見せしめで徹底的にやっつけ、中小業者の自主廃業を狙うというやり方だそうで。
 この背景には「禁煙ファシズム」も関係しているだろう。ある映像作家が語っていたところによると、煙草を吸っているだけでも、アメリカのある種類の方々はまるで「マリファナ」を吸っているかのような目で見るという。
 僕は大麻=平和とか、愛とか、そういう安易な考え方は嫌いなのですが、それにしても、こんなとこでもアメリカかよと思いました。末端が本質をあらわしていることは多々あるもので、パイプを壊したバットがトマホークと重なります。
 いいかたは悪いかも知れませんが、大麻なんてどうってことないもんです。酒や煙草と同じレベルの嗜好品だと思ってます。そういう、どうでもいいものをほっとけるかどうか、というところにその国の大人度が出ているわけで、些細な部分での大人度が戦争という重大局面でより色濃く出てしまいますよね。
 これには全面的に共感する。想像するに、9・11以降、アメリカのこうした硬直はいよいよ進行しているのではないか。むろんアメリカ人のすべてがそうだとは思わないものの、総体としての国の無意識はその方向に進んでいる印象を受けていたが、Sさんの話を聞いていっそうその感が強くなった。まずいことがすでに起こっているよそこで。「ファシズム」にしろ、「スターリニズム」にしろ、なぜかやけに「健康」や「良識」が好きだ。「帝国」とはそのようなものなのだろうか。Sさんのメールはとても示唆的だった。ありがとうございます。

■今週の京都行きはやけに疲れたな。帰ってきたとき、先週などなにごともなかったようにビデオを見ようといった気分になったがくたくたになってなにもする気が起こらない。仕事がたまっているのになにをしているのだと思いつつ、きょうは休みだと決めたのである。
■そういえば今週は京都も天気がよくなかった。それが疲れさせる原因だったのか。天気に左右されていたらやっていけないが。で、断固休もうと考え、テレビでサッカーなどぼんやり見る。本を読むのは休みにならないのは因果な商売で、本を読んでいるとどうも仕事っぽくなる。となると「休み」とはいったいなんだ。「休むぞー休むぞー」と力一杯休むのはいかがなものか。「たまの休日」という言葉にふさわしいのは、「釣りにゆく」とか「ゴルフコースを回る」といったことになるのでしょうか。あと「ボーリング」はどうか。「バッティングセンター」はどうだ。
■しかし私は「釣り」も「ボーリング」もまったく興味がないし、まして「ゴルフ」なんかもってのほかである。となると、「ぐだぐだ眠っている」という方法があるのだが、ある時期を境に、これもできなくなってしまい、ぐだぐだがだめだとすると、どうやって休めばいいか悩むのだ。で、勢いこのノートが長くなるのである。

■そういえば週刊誌によると、「たまちゃんを想う会」の実体は、言葉が適切かどうかわからないが、「カルト宗教集団」だというではないか。あざらしのことなんかある意味どうでもいいことだけれど、つくづく、「たまちゃん」が連中に捕獲されないでよかったと思った。で、埼玉県に再び「たまちゃん出現」というニュース。報道を見ていたらとてつもなくだらない。笑えるからいいとする。ほんと笑えたよ、埼玉県知事のコメント。

(13:04 apr.27 2003)



Apr.25 fri.  「とうとう結論が出ました」

■とうとう私は話を切りだしたのだった。
■進退問題である。いろいろ考えた結論として、このまま大学で教えていれば、ことによると大学の人間として生きられるとどこか安心してしまうのではないか、あるいは、以前も書いたことだが、集団でものを作る仕事はうまくなった気がするものの、「書くこと」がおろそかになっていないかと、戯曲をはじめ、小説にしろ、様々な文章について考える。まあ、20年以上、ほとんど「書くこと」で生活してきた者としては、むろん、プロフェッショナルな仕事を「経験」で出来るわけですが、それだけでは納得がいかないから、この仕事を続けているし、これまでの仕事にまだ満足できないから書こうという意志を持ち続けられる。
■満足したくはないのだった。
■あと、人に疲れた。大学では無数の人に会わなくてはいけない。もちろん会っていると楽しい学生らもいるが、みんなに均等にといったふうにはなれません。それを可能な限り均等にやっているのはかなりエネルギーのいることだったのだ。むろん、他者であるところの「学生たち」と出会うことによってある部分鍛えられたこともたくさんあるが。

■学科長の太田さんに時間を作ってもらい話をする。太田さん沈黙。で、結論を書けば、「もう一年やる」ということになったのだった。つまり来年の春からの前期を担当してそれが最後だ。ゴールデンウイークの前に話をすることができてよかった。ぐずぐず言い出せないまま、また来年に持ち越すところだった。というか、私はこういうことがもっとも苦手であり、これまで考えてみるとあらゆることの終わりは、曖昧なまま、ぐずぐずに終わらせていったが、もういい歳である、きっぱりけじめをつけることにした。
■申し訳ないのは充分承知だし、大学のほかの教員から刺激されること、教えられることも多かった。だから、大学をやめたあとも、すっぱり縁を切るというのではなく、たとえば東京に出て芝居を続けたいという学生がいたら、何らかの形で援助できればいいと考える。むろん経済的な援助のようなことは実質無理だが、なにかできるだろう。僕の舞台に呼ぶこともできる。というか、面白い学生もたくさんいるので、むしろこちらから声をかけたいくらいだ。
■きっぱり言い出せたこと、話を切り出すことができたことが、自分にとって大きな意味があった。今年を入れるともう2年。最後までしっかりした授業にしたい。

■二年生の授業できょうは岩松了さんの戯曲『アイスクリームマン』を使ってリーディング。終わって昼休みを使い、このあいだの松倉のライブについての合評会がある。合評会も太田さんとの話も終わり、外に出たところで、松倉に会ったので、四回生のYも誘って「
prints」というカフェで話をする。カフェだが庭もあって庭の席に腰を下ろす。ゆったりとした時間だった。春の午後だった。気持ちがよかった。
■二人と別れ、ホテルに預かってもらっている荷物を受け取って東京に帰るため、新幹線に乗る。車中、やたらうるさい子どもがいてストレスがたまりいつもの10倍は疲れた。東京に着き新宿駅からは歩いて家に。なぜか疲れる。でも金曜日の夜だ。いい感じの夜である。

■下北沢にある、少し失礼な言い方になってしまうがある特別な「輸入雑貨」を取り扱っている店の方からメールをもらってうれしかった。お店の方は「スイスでマリファナ解禁」についての情報に素早く反応してくれた。商売柄だろうか。メールには様々に示唆され、教えられることも多々あった、時間がないので、またあした書くことにしよう。

(4:18 apr.25 2003)



Apr.24 thurs.  「一日中、授業の日」

■一年生の授業に出席しているスイスからの交換留学生から聞いて驚かされたのはまもなくとても重要な国民投票があの国で実施されるという話だ。
■直接民主制のスイスは国民投票でEUに加盟しなかった過去があり、最近になってようやく加盟したものの、なぜ国民はEUに加盟することを拒否したか、なにが論拠か、直接民主制の具体的な現場にしろ、政治体制について私はかなり無知だと、話しをしていろいろ教えられる。もちろん韓国からの留学生もそうだし、Dクラスにいるマレーシアの学生からも教えられることは多い。だが、まもなく実施されるスイスの国民投票はすごかった。
■「マリファナの合法化」に関する国民投票である。反対は2割程度だというから、合法化は目前だ。みんなで行こうスイスに。アルプスだけがスイスじゃないよ。

■そういえば、泊まっているホテルではじめにあてがわれた部屋はエレベーターの音がひどく気になった。べつの部屋にしてくれないかと頼んだところ、かえてもらった部屋がものすごく広いのでなにか得した気分になった。言ってみるもんだよ、部屋の変更。なにしろ、二部屋ある。リビングみたない部屋とベッドの置かれた部屋があり、しかもベッドはダブルなのでやたらでかい。一人で泊まるのが申し訳ないような部屋だ。
■午後からは二年生の授業。一日ぶっとおしで授業するのはさすがに疲れるものの、教えること、あるいは授業を進行することに少しずつ慣れてくるからおそろしい。いったいなんだこれは。ただ、教えつつ自分もまた考えざるえず、話すこと、その話していることを通じて自分なりの発見も少なからずある。ただなあ、教えるプロにはなりたくないのだ。
■授業終了後、舞台コースの四回生のM君とUを連れ、一乗寺の喫茶店で長話をする。舞台の話など。途中、食事。あまり眠っていないし、一日中授業で疲れていたが二人と話をするとやけに元気が出た。面白かったな。久しぶりだこうして学生とゆっくり話すのも。で、そのとき授業を見学していたM君から僕がやけに教員らしくなったと言われ、うれしいといえばうれしいが、どう考えていいか悩む。いわゆる「複雑な気持ち」というやつだ。

■一乗寺から歩いてホテルに戻る。途中、今度は三回生のAに会う。さらにべつの学生にもホテル前でばったり会い、狭いよ、京都は。

(23:41 apr.24 2003)



Apr.23 wed.  「修学旅行生でバスは満員」

■京都は曇り空で少し冷える。全国的にもそうなのだろうか。
■学校まで204番のバスに乗る。修学旅行の中学生が乗っていてひどく混んでいる。いま泊まっているホテルは北大路通りを少し入ったところにあるが、学校までバスで10分もかからない。学校には近いが三条や、四条には遠く、河原町のメディアショップにでも行こうと思うがどうもおっくうになる。
■一回生、Dクラスの授業。なぜか明るい。マレーシアから来ている留学生がいるが、映像コースなのになにかすると面白いのだった。でもまだみんな一年生ということか、なにか考える時間を与えると高校の教室みたいにわーわーうるさくてかなわない。このあいだは、FMラジオをつけてやがった。明るいのも考えものである。

■FMで思い出したが、クルマに乗るとMDを聴くことが多くなったのとはべつに、FMラジオをよく聴くのだった。こんなことはこれまでなかった。J―WAVEがむかしと変わっているので驚く。かつて開局当初のJ―WAVEは「洋楽しかかけない」「英語しかしゃべらない」「音楽中心」といったふざけたラジオ局だったが、いまはAMラジオなみによくしゃべっている。クルマに乗るのが夕方が多いせいか、ピストンなんとかというDJの番組をよく聴くが、「普通に面白い」。ときどき笑う。ただピストンさん以外のしゃべり手は聴いていられない。ふざけるなと言いたくなるときがあるのだった。
■それにしても音楽があまりかからないのだ。「洋楽しかかけない」のもどうかと思ってはいたものの、だからってJポップ一辺倒なのもいかがなものか。音楽を聴く空間としてのクルマは奇妙である。走りながら聴いているとたしかに気持ちがいいから困るね。人から聞いたところによれば、いまやクルマ世界では、
iPodからFMの電波を飛ばして受信し音楽を聴くということになっているらしい。やっぱり買うかなあ、iPod。物欲ってやつはきりがないからいやだがよって書きながら、そこでマルセル・モースの「贈与論」のことを思いだし、たまたま中沢新一さんの本に「純粋贈与」と「商品」の差異の話があったので、考えてみると、マルクスが『資本論』の冒頭、いきなり抽象性のかなり高い「商品」についての論を持ってきたことの意味がおぼろげながらわかった気がし、それを書こうと思うが、長くなるのでまたにする。
■で、京都では自転車。きょうも学校の帰りホテルまで自転車を走らせた。気持ちがよかった。五月になれば、京都はもっと気持ちがいいだろう。

■夕方、雨になっていた。いやな天気が続く。連休はきっと気持ちのいい日になるだろう。

(0:50 apr.24 2003)



Apr.22 tue.  「静かな能動者」

■紹介しようと思いながら、つい先延ばしになり、あまつさえ忘れてしまっていたのは、Oさんという方からいただいたメールだ。
■今年の3月8日のことを教えてくれた。「反戦パレード」があった日のことだ。参加したOさんが、3月8日のことを自分のサイトでレポートしている。戦争がいちおう終結したことになっていたとしても、レポートの価値がないわけではないし、むしろ、いまだからこそ読むべきではないか。かつて知人たちがなにかの「運動」に熱心だったにもかかわらず、不意にそのことを口にしなくなり、あれはいったいなんだったのだということは、しばしばあった。
■考えることをやめてはいけないのだろうし、ことによるとインターネットは「考える持続」のための方法論になりはしないか。むろん盛り上がっていた掲示板になにも書きこまれなくなるといったことはあるが、「書きこむ」といった能動的な態度だけが積極性ではないだろうし、受動的な態度もまた、積極性になりうる。どこかで誰かが読んでくれるかもしれない。見つけだしてくれるかもしれない。見つけてくれたのは、どこかにいる、誰なのかまったくわからない、静かな能動者だ。

■ネット上の日記は不思議なもので、たとえば以前まで参宮橋に住んでいて、池袋サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアーにも参加してくれたT君の日記がこのところずっと更新されていないことが、なんだか心配になるのだった。顔を合わせたり、メールもやりとりし、話もしたこともあるという理由だけではないだろう。まったく知らない人だったとしてもそうだ。
■あるいは、更新されていないサイトを発見したときのあの寂しさはなんだ。更新が二年前といったページを見るとやけにさみしくなる。サーチエンジンで見つけだしたサイトで、そこにある情報は資料として使うには十分だが、見れば三年前からなにも更新されていないと知ったとたん、なにがあったのか、背景をつい想像したくなる。
■まあ、単に飽きたとか、仕事が忙しくなったとか、恋をしたといった大半は単純な理由なのだろうが、そこらへんのいいかげんさ、曖昧さ、根拠の希薄さは、手軽に参入できることの裏返しだ。ある論者が、インターネットで集結した反戦運動の「集団性の希薄さ」、あるいはだからこその「脆弱さ」「運動の弱さ」を、「スターバックスコーヒーの客は連帯しない」という言葉を使って論拠にしていた。うまいことをいうと思ったが、反面、戦争に反対する「連帯」「運動」に対してはじめから異議を持っており、そこにたどり着くために論を進めた印象が強かった。つまり、インターネットの本質を「スターバックス」だけで語れるかという問題であり、たとえば
Linuxのような「オープンソース運動」に見られる「バザール形式」は、「スターバックス」の客にはやっぱり無理だろう。ネットは「バザール形式」によってもの作りに新しい方法を見つけた。それがまた異なる「運動」や「連帯」になる可能性はきっとある。

■夕方の新幹線で京都へ。
■意外に東京にいる時間が長く感じる。京都に行かなくてはいけない日だがそれほどあせることもなく、一泊して翌日の朝が授業なので、まあ京都まで間に合う最終の新幹線に乗ればいいと考えると、火曜日も長い。中途半端なのは行かなくてはいけないという目的の時間があって気分が落ち着かないことだ。なにか不思議な時間として過ぎてゆく。

(15:22 apr.23 2003)



Apr.21 mon.  「折り返し点」

■つい最近発見したものを写真で紹介したい。

東京オリンピック50キロ競歩折り返し点


 以前も、「東京オリンピックマラソン折り返し点」を紹介したが、あれは甲州街道沿いの調布付近にあった。今度の「折り返し点」は同じ甲州街道でも府中の手前だ。マラソンがどこかメジャーなのに比べ、「競歩」は地味で、まさかこんなところに折り返し点を示す表示があるとは思わなかったので見つけたときはうれしかった。
 モニュメントはなぜ面白いのだろう。見つけるとうれしくなるのはなぜだろう。ひとことで言うと、「だからなに」ということなのですよ、たとえ、京都三条にある「池田屋跡」のモニュメントを見つけたところで、だからなにという気がするものの、ついつい、そうか、ここがなあ、例の幕末の、あの池田屋事件の、などと思ったりするから不思議だ。ただ私は「由来好き」なのでつい先日も解体社の公演を観にオーストラリア大使館に行く途中、坂があり、坂の名前と「名前の由来」が書かれた表示があるとつい読んでしまう。開演に間に合わなくなってしまうかもしれないのに読まずにいられない魅力が「由来」にはあるのだった。
 考えてみると、「折り返し点」という存在はなにかのメタファーに感じさせるところがある。もっと先まで行きたくても、そこでくるっと引き返さなくちゃいけないのだ。けれど同じ風景もべつの視点から見ればまた異なったものに見える。それが意味するところはなにかと考えつつ。しかし、英語にすると「ターニング・ポイント」かい。それはひどく凡庸だ。

■それはそうと、ひどい病院に行ってしまった。ひどい病院だ。長時間待たされる。診察中、携帯で電話していた医師は処方箋を書き忘れ、清算をすませても薬が出ない。調べてもらうと医師が行方不明になっている。病院名を書きたいが差し障りがあるのでローマ字の略記号で書いておくことにしよう。
JR東京総合病院
 えー、あくまで略記号である。そこへゆくと、中目黒にある東京共済病院の中沢先生はいい医師だった。すごくよかった。熱が上がるので風呂に入らないという老人に中沢先生は「入らなきゃだめだよ」と少し怒った調子で言うのだが、「熱が上がる」とくり返す老人に先生はさらに言ったのだった。「熱なんか、計るからあがるんだ」。僕はいっぺんでこの先生が好きになった。しばらく中沢先生に持病のぜんそくを診てもらっていたが、いまは発作がまったく出なくなったので先生のところにゆくこともない。またなにか、でたらめなことを言ってくれないだろうか。残念だ。

■以前まで、うちの大学の舞台芸術センターにいたHさんに会った。いまは柏書房という会社で編集の仕事をしている。本の企画の打ち合わせ。10月に刊行予定である。さらに具体的になったらまたここに書こう。これまでとはちょっと色合いの異なる本になるだろう。そうだ、岩崎書店のHさんにもお会いして絵本の話も進めなくてはいけない。ほんとうに申し訳ないのだ。
■不義理いろいろ。仕事いろいろ。そういえば、11月に韓国の演劇祭のようなものに出席することになり、韓国に行く。楽しみだが、メンバーのなかにガジラの鐘下君がいないのは残念だ。作品の質などまったく異なるが、なぜか、鐘下君と話があうのだった。パリで鐘下君はユーロに関して小学生なみの計算ができなかった。面白かったなあ、鐘下君。
■とにかく仕事をしよう。で、毎日新聞の連載を書き上げた。

(13:39 apr.22 2003)



Apr.20 sun.  「名前について」

■天気がよくて気温の高い日が続いていたが、少し曇り空の日曜日だ。空気が冷えると寒いとすら感じる。
■雨が降りそうで降らないのできょうは曇りだった、というのは、高校のときに考えた冗談である。クラスで当番がその日の記録をすることになっていたが、「雨が降りそうで降らなかったのできょうは曇りだった」とあたりまえのことを書いて、そのあたりまえさという「語法」が気に入ったが、『彼岸からの言葉』(絶版)という僕の初めて出したエッセイ集には、それを子どものときに書いた日記の一部だと創作して書いた。ほんとうのことだけど、状況や設定を創作するというか、うそを書く手法を覚えたのは『彼岸からの言葉』のころだ。
■しばしばそれを使う。手のうちをあかすのはなんだが、うちの父親が「憂鬱」という言葉を知らなかったのでいつも明るかったという話を書いたことがある。親戚の者から、「ああいった、本当の話がやっぱり面白いよ」と、エッセイについて意見されたが、あれはうそである。父親が「憂鬱」という言葉を知っているかどうかなんて私も知らないのだ。ほんとうらしく感じたのならそれはそれで成功だろう。元になっているのはシェークスピアの『ヴェニスの商人』だ。アントーニオーニが憂鬱だ、気がふさぐと、しきりに言うのが面白かったので、しかし、「憂鬱」という意識の状態は、「憂鬱」という言葉があってはじめて出現したのではないかと考え、ではその言葉を知らない人はどうなってしまうかということを想像していたのだった。

■考えてみれば、病はたいていの場合、名前を与えられるとどこか安堵感が出現するものではないか。
■よくわからない病気になってしまったとしよう。それをずばり、医師から「SARSです」と言われれば、ああ、よかった、俺、SARSなのかと、ほっとするところがある。なにかわからなければいよいよ不安だ。そして病気の名前が出現してほっとしたのもつかのま、今度は「SARS」の恐怖にさらされる。だから、ある日熱が出て、ほっとくと左手が上がってしまい、左手で挙手しているという症状になったとしよう。よくわからない病気だ。経験したことがない。なにしろ左手で挙手してしまう。医師に相談する。医師は少し考えてから言う。「ああ、これね、心配ないですよ、ただのポコペンです」。そう教えられ、「なんだ、そうか、ポコペンか。これがポコペンかよ。そうかそうか、で、ポコペンて、なんだ」ということになって、まあ、それはそれで問題である。
■しばしば書いたことだが、一昨年の秋、ある事件があってそれまで経験したこともない精神状態に陥った。よく理解できない不安感に支配された。どうかなってしまうんじゃないかとひどく戸惑ったが、その後、精神科医の診断を受け、「軽いパニック障害です」と言われたことで、なにかほっとしたのは考えてみれば不思議な話だ。いったいなんだったんでしょうか、あれは。「パニック障害」について私は無知だ。ところがそう診断されたことで気持ちの整理がついたというか、みょうに落ち着いたのは奇妙だった。精神科医おそるべしだ。というか、「名前」、おそるべしである。
■といったようなことを、ソシュールって学者は考えていたのかもしれない。

(12:31 apr.22 2003)



Apr.19 sat.  「オーガニックってやつ」

■休みだが早起きだったのは、午前10時から鍼治療があるからだ。腰が痛いとか動けないといったことではなく暇をみてのからだのメンテナンス。とはいえ、右の肩から肩胛骨の下あたりの筋が異常にこっていて、これもクルマの運転のハンドル操作によって生じていると思うが、あの運動を、たとえば車庫入れのときなど頻繁にするととたんに痛くなる。背中ばかりではなく、そこから筋を引っ張って胸にまで達し、呼吸が苦しいような症状になる。
■で、首から肩、肩胛骨の下、脇のあたりを中心に鍼を打ってもらったが腰も少し打つとものすごく痛い。一月にいっぺんは鍼治療。ひどくなる前にメンテナンス。べつに「健康主義」ではないし、たとえば「禁煙ファシズム」には断固反対だが、さしあたってからだの調子をよくしておかないと仕事にさしさわりがあるからメンテナンスしている。それが結果的にからだ全体の調子も整えてくれる。あと、やっぱり治療する中田先生から受けるわけのわからないパワーがどうにもいいのだった。
■まあ、僕はワークショップなど、考え方として西洋的でない、どちらかというと東洋型、あるいは仏教型の考えを基本にしているとはいうものの、だからってねえ、妙な宗教色はつけたくないし、しかし東洋医療にある「自然治癒力」みたいなものの力は信じており、俳優に対してもまた、その人の内部にあるチカラを信じてワークショップをやっているつもりだ。

■京都に行って気になったのは、「オーガニック」という言葉をしばしば目にしたことだ。ああ、なんとなく京都っぽい。まあ、東京でもきっとあるにちがいないが、いろいろ定義できる言葉らしく、「自然農法」とか「有機農法」によって育てられた野菜類で作られた料理に、「オーガニックサラダ」などと名付けるのだろう。一乗寺の恵文社にいったときも、丸ごと一冊、「オーガニック」な本があった。オーガニックレストランにも入ってしまった。豆カレーを食べた。それも「オーガニック」だ。
■まちがったこととは思わないが、いきなり「オーガニック」と言葉にされると「なにをいってやがんで」という気にもなるので、とことん不健康に生きてやりたくもなる。ただコンビニの弁当は食べない。保存料や着色料が大量に含まれ危険だからというより、単に、まずいからだ。米がまずいよ、コンビニ弁当。どうせいつか死ぬから生きているあいだはうまいものを食べたい。
■ただ妊娠中の方はよく考えるべきだ。妊娠中、コンビニの弁当を食べ続けるなんて、もってのほかだ。っていうか、一個の生命をからだに宿した人は、かなりの覚悟を持って「からだ」に意識的にあるべきだと思う。素人考えながらそう思う。ただ「オーガニック」だからいいわけではなく、「オーガニックな野菜」の栽培において使われる肥料類の安全性に疑問を持つ人たちもいるらしい。僕がいやなのはね、そこから、感傷的、情緒的な運動を感じるからで、元を正せば、資本の原理によってコンビニ弁当が作られる流通システムが存在し、資本を補完する政治システムへの対抗になっていない印象を受け、むしろ、単なる流行思想のようにただよっているところだ。「無農薬野菜」や「有機農法」ってのはいまにはじまったことではなく、かつてからあったにも関わらず「オーガニック」って言葉でぱっとなにか火がつくってその軽薄さがいやだよ、俺は。むろんまじめにそのことを考えて農業に従事している人が存在しているのも知っているが、そのためには「政治」としっかり向かいあうことだろう、結局のところ。
■そうした意識もないまま「オーガニック」という言葉だけが一人歩きする。むしろそれ自体が「資本のシステム」のなかで流通する「商品」になっている。くだらない。

■午後、「ユリイカ」のYさんに会う。いよいよ「チェーホフを読む」を書かねばならない。またたいへんなことをはじめてしまう。

(1:58 apr.20 2003)



Apr.18 fri.  「土曜日の午後のバス」

■じつはこの18日のノートは一度書き上げ、アップもしたがそれも深夜で、目撃した人は少ないと思いつつ、19日分を書くときまちがって消してしまった。いまになるともうなにを書いたか忘れた。記憶をたどりつつ18日のことを書く。

■二年生中心の授業が午前中にある。睡眠をよくとったのでなんだかよくわからない調子のよさだった。それを終えると東京に戻るのだが不思議なのはこの金曜日がやたら充実していることだ。午前中授業、午後東京に戻り、その新幹線のなかでやけに本が読めるし、東京に戻ってからも、さらに時間がたっぷりあるように感じて活動的ですらあり映画を観よう、ビデオを観ようと意欲的になるという不思議な状態だ。移動がべつに疲れない。新幹線の移動に慣れたのもあるがそれだけでは説明にならないのだった。
■思うにこれは、「土曜日の午後」という状態ではないか。
■高校生のころ、あしたが休みという土曜日の午後、学校から帰るバスの気持ちよさがいまでも忘れられない。それとよく似ているのがいまの金曜日だ。金曜日の午後の新幹線だ。で、このところどうも、私の意識は七〇年代になっており、ついついあの時代を追憶してしまうのだった。『ヒポクラテスたち』を再見したことがきっかけだったかもしれないし、その後、東陽一の『サード』を再見していよいよそうなり、これで藤田敏八の『八月の濡れた砂』なんか観た日にゃいよいよノスタルジックになってしまうだろう。だめだ。
■京都で「ほんやら洞」という喫茶店に行ったのも七〇年代追想に追いうちをかける。友部正人さんの、「音楽」というより、「詩」に出会ったのも七〇年代でそのころ僕はまだ、中学生だった。友部さんの「詩」にある言葉を通じて世界を見はじめたのではなかったか。そこからボブ・ディランへ、金子光晴へ、現代詩へと言葉に出会っていったが、たとえば友部さんの詩にあるリリシズムから、意識的に逃れようとした時期もあり、それをきれいさっぱり忘れてものを作っていたつもりが、やっぱり十代のある時期に出会ってしまった言葉の影響はからだからどうにも抜けず、意識の深い場所にそれはきちんと保存されている。それを追想する。どうも変だ。

■土曜日の午後のバスはとても気持ちがよかった。あの「よろこびの記憶の再現」をしようとしているのかもしれない。だが、そこはもう戻れない場所であり、「記憶の再現」をする「からだ」は、現在のものでしかない。この「からだ」からの再現を忘れてしまったら、それは単なる追憶でしかない。

(12:50 apr.20 2003)



Apr.17 thurs.  「授業の一日」

■午前中は一年生の授業だった。歩くことでドラマを作る課題を発表してもらう。いろいろあって面白いが、ある意味の大胆さに欠ける。まだ緊張しているかもしれない。でも何人か面白い人がいた。
■スイスからの交換留学生と少し話をする。積極的に話しかけてくれるのはうれしい。かなり日本語が話せるのでどこで習ったか疑問に思って質問すると、つきあっていた日本人の彼女からだという。ああ、これが大事なんだなあ。というか、早道か。以前、ある俳優からもそんな話を聞かされ、彼は若いころ、渋谷にあるストリップ劇場で幕間に寸劇をやっていたそうだがそこで知り合った外国人ストリッパーとつきあって英語を覚えた。まあ、その人と留学生はかなり環境が異なるものの、媒介しているものの種類は同じだ。「恋愛とはいったいなんであるか」といったことをこれまでまじめに考えたことがないが、同じ国の人間だとしても相手の言語を共有するといった関係のあり方が「恋愛」にはありはしないか。いつのまにか、相手と文化圏を共有しあっているといったような。
■というか、共有できないと恋愛は成り立たないのか。よくわからない。「恋愛」と「エロス」についてまじめに考えてこなかったのだ。特に後者は人の本質に関わることだが、まじめではなかったのは、まずいことだったといまになって思うのである。

■午後、二年生中心の授業(中心とわざわざ書くのは、三年生、四年生も受講しているからだ)。先週に引き続き同じ課題の発表。三人で班になり台本も書いて短い劇を作らせた。三人でできる単純な構造をヒントとして教え、それを手がかりに作る作業。ヒントから発想豊かにいろいろな劇ができるので面白かった。四年生、三年生で受講していない学生らが多数見学に来ていた。二年生ら緊張。それを通してある意味、他者と出会う。だから授業はいつだって公開中。
■考えてみたら、関西では、「二年生」という呼び方ではなく、「二回生」と呼ぶのがスタンダードだ。どうして関西はこうなのか、なにか、起源があるのだろうか。
■というわけで一日中授業。少し疲れる。授業が終わるとまた自転車でホテルに戻る。

(21:30 apr.19 2003)



Apr.16 wed.  「自転車で京都を走る、あるいは土を掘る女」

■先週とはちがうホテルだった。
■学校にはいまこれを書いているホテルのほうが近いし、部屋が広いのでさらに居心地がいい。で、天気のいい気持ちのいい朝だった。午前中、一年生の授業。うちの学科は、「映像コース」「舞台コース」にわかれているが一年生の前期は映像・舞台の全員を4つのクラスにわけて様々な授業を受けるので映像コースの学生もいる。4つにわけたDクラス。不思議なことにDクラスは毎年明るいのだった。なぜかそうなる。きょうもやけに明るかった。
■午後、学校においてある自転車でホテルまで戻る。白川通りをあがり、北大路通りを西へ。ものすごく気持ちがいい。京都を自転車で走るのは東京を走るのとはなにかちがう。やけに自転車が似合う町だ。水曜日の午後をどうしようか考えていたが天気がよかったらやっぱりどこかを回ろうと思った。住んでしまうと、たとえ京都とはいっても、やはり生活空間になってしまうが、こうしてホテル住まいでそこにいるのは去年までとはまた異なる感覚がある。どこかに行きたくなるのは、べつの土地に来た感じが強くなるからだろう。

■夕方、一乗寺の恵文社へ。本好きにとってたまらない店である。なにがどう異なるか、リンクしたサイトを見てもよくわからない気がするのは、やはり店の空気だろうか。品揃えももちろん独特で、やっぱりこういう書店は東京では営業が不可能なのだろう。で、棚を見ていろいろ興味を持ったがここで本を買うと帰りに荷物が重くなると思い、なにも買わずに店を出たが、それでも十分堪能した。楽しくてしょうがない。
■ホテルの近くの公園で本を読んでいると、さすがに冷えてきた。公園にはサッカーボールを蹴っている子供がいる。黙々となにか土を掘っている女がいて気になった。ガーデニング用の土を持って帰ろうということだろうか。ビデオを持っていれば撮影したのに残念だ。黙々と掘っていたのだ、女は。
■まずい、こうして書いているうちにいよいよ
iBookのバッテリーがなくなってきた。いろいろ紹介したいメールもあったしサッカーのことも書きたかったがまたにする。

(22:45 apr.16 2003)



Apr.15 tue.  「のんきな軍隊」

■また三坂の話になって申し訳ないというか、もう三坂はいいよと思うかもしれないが、「偶然」についての話として読んでほしい。
■いま三坂は、数人で一軒の建物を借りるという共同生活をしているそうだが、その家のリビングにコンピュータがありネットに接続する環境になっている。三坂は自分のコンピュータのブラウザの設定で、起動すると「富士日記」につながる設定にしているが、リビングのコンピュータの設定も三坂がやったのでいつものくせで、「富士日記」が開くようにしてしまった。するとそれを見た同居人の一人が僕の名前に見覚えがあり、というのもその人の知人が僕のことをよく知っているからだ。
■そのころ、寝屋川のYさんからもメールが来たのだった。
 わたしの大学時代の友人に、元「ぱぱぼっくす」というバンドのドラマーの「たまちゃん」というひとがいるのですが、(私のWebでも被写体になってもらったりしているひとです)彼女は今月のあたまから東京で暮らしているのですが、このあいだ日曜日に携帯にメールがきまして、「私の同居人の人が宮沢さん関係の人みたいだよ。あっちゃんともこないだ京都のイベントで話したよと言ってたよ」という内容で、まったく思い当たらないので、「誰ですか」と返事を返したところ、「富士日記にでてくる、”三坂”さんという方です」と返ってきました。ひんぱんに名前をお見かけしているので、一瞬ふつうに受け止めかけましたが、日に日にたまげてきました。
 なんというか、たまげるのがふつうだと思う。まあ、偶然もそうだけど、よりによって三坂ってことはないじゃないか。こいうとき人は「世の中は狭い」と口にするが、もしかすると「類は友を呼ぶ」ってことかもしれない。確率としては高かったのだ。かなり低い確率だが、可能性としてないわけではない確率。だけどやっぱり驚きますねこれは。しかも「たまちゃん」である。
■筑摩書房を退社された打越さんからメールがあった。近刊『牛乳の作法』のなかで、
Willem Dafoeのことをやっぱり「ウィリアム・デフォー」と表記してしまったのを打越さんのメールで思い出した。重版になったら直すとのこと。失敗した。

■で、夜、京都に向かう。また授業だ。失敗したのは、携帯と、
iBookの電源コードを忘れてきたことだ。これを書いていてもいつバッテリー切れになるか気がきではない。
■京都までの新幹線のなかでずっと週刊誌を読んでいたが石原都知事についての記事に夢中になる。ナショナリストとしての印象の強い人物だが、ことによるとただ単に文学者なのではないか。文学者が政治をやってしまった。国政から手を引いたのは金権体質と、その背景にあるもの、言葉にしづらいが、鈴木宗男に代表されるいわゆる地方議員らの「田舎者性」みたいなものが『太陽の季節』の作家にはがまんならなかったからだろう。湘南ボーイだったわけでしょあの人は。石原首相待望論があるが、ならないな、そういった意味で、あの人は。東京都知事というステータスがもっとも居心地がいいのではないか。リアルな政治家より、虚構性の高い文学者。なにをやってもひとまず安心かもしれないと思った。
■しばらく前、北朝鮮がミサイルを発射したことがニュースになり、それを防衛庁が把握していないと問題になったが、むしろ私は「のんきな軍隊」だと思って好感をいだいたのだった。いいなあ、「のんきな軍隊」。だめだろうな。弱いんだろうな。北朝鮮の軍事パレードを見ていると統制のとれたその動きがものすごく強そうに感じさせる。気味が悪い。あの壮大なマスゲームのようにうすきみ悪い。「のんきな軍隊」はだめでしょうが、のんきだから、まあ、あってもなくてもいいかもしれない。のんきじゃなくなったら困るのだが。

(7:49 apr.16 2003)



Apr.14 mon.  「不思議な仕事」

■香川県にいらっしゃるNさんという方からメールをもらった。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』について。
 ところで、旧版のタイトル『ライ麦畑でつかまえて』ですが、これって意訳であると同時に、「つかまえて」を「捕まえ手」と読めば、ズバリ直訳なんですよね。「『ライ麦畑』で『捕まえ手』をする」のが、まさしくホールデンの夢なわけで。そういうふうに考えると、あのタイトルって暗号的だなあ、という感じが以前からしていたのです。
 なるほど。たしかにそうだ。見事な洞察。「捕まえ手」から「つかまえて」という言葉に置き換えることを思いつき、旧版のタイトルになったと想像することもできるが、しかし、直訳だとするなら『ライ麦畑の捕まえ手』にならなくてはいけないはずで、そこから、「の」を、「で」にし、しかも「ひらがな」にすると魅力的なタイトルになるというひらめきがあったのではないかとさらに想像できる。いや、あくまで想像。
 ほかに、『トーキョー・ボディ』でカメラのスイッチャー(って、舞台を見ていない人はなんのことかと思うでしょうが)をやった浅野から「鈴木問題」についてメール。それもなかなかに興味深い内容だった。この対談のなかで「鈴木問題」が語られている。

■リフォーム会社の方が来て工事をしていった。いまだBフレッツ問題は片づいていなのであって、配線を探すために床に穴を開ける工事の段階だ。その後、NTT―MEの方が再調査に来、ここらあたりにプールボックスがあると断言して帰っていったので床に穴を開けたが、ありませんでした。やっぱりプロジェクトXを8時間ぐらい見させなければだめか。ただ管はあり、そこから電話回線が出ているのでNTT―MEに電話しその旨伝えると、大丈夫だろう、その管から光ファイバーの線をだせばいいという話なのでまんざら無駄な工事ではなかった。
■だが、まだ信用はならんぞ。なにしろNTT―MEだ。
■工事のあいだただ見ているのもあれだし、工事しているわきで「一冊の本」の連載を書いていた。意外に集中するものである。集中といえば、以前はファミレスなどに行かないと原稿が書けなかったが最近は、ああいった場所でものを考えることができず、もっぱら原稿は家で書く。しかも居間に
iBookを持ち込んで書くのだが、どうしてかというと、仕事部屋を「禁煙」にしたからである。誰が決めたわけでもなく自分でそう決めた。するとどうも仕事部屋に行く回数が減り、さらにiBookがあるものだから、ついこのノートなど居間で書いてしまい、居間のテーブルの周辺に資料となる本がうずたかく積み上がって散らかり放題だ。なぜ仕事部屋を禁煙にしたかもうこうなるとよく意味がわからない。
■工事が終わり、いつでも床下を見られるためのトビラまで付けて工事の方は帰っていった。丁寧な仕事に感心した。それにひきかえ、あのNTT―MEの者どもはなにごとだ。なかったじゃないかプールボックス。Bフレッツの道は遠い。

■夜になって、原稿の続きを書いていると、「一冊の本」のOさんから電話があった。原稿の催促もあるが、こんど会いましょうとのこと。Oさんは、「小説トリッパー」が本来の仕事で、小説を書きなさいという話である。ほんとうにだめだなあ、なにをしているんだ俺は。京都で観光などしている場合じゃないのではないか。美味しいものを食べている場合でもないし、クルマで都内を走り道をだいぶ覚えたと喜んでいる場合でもない。時間はいつだってたっぷりあるはずで、それが自由業者のいいところだが、逆に言うと、自由業者はいつでも仕事中だ。小説には締め切りがないが、それもまた逆に言えば、いつでも締め切りをかかえていることを意味する。不思議な仕事だ。

(11:52 apr.15 2003)



Apr.13 sun.  「うなぎを食べる」

■東京は天気がいい。午後、世田谷線の松陰神社前まで行って、「一二三(ひふみ)」という鰻屋で食事をする。豪徳寺に住んでいたころからよく来ていた店。うな重の「松」を頼む。おいしい。なによりこの店がいいのは母屋とはべつに「はなれ」という古い日本家屋があってそこで食べられることだ。注文してから45分待つ。待つのがいいところだ。


一二三のうなぎ


 天気がよかったので松陰神社の周囲をデジカメでいろいろ撮る。植物たちの写真。また「写真日記」にしようと思った。帰り、都知事選の投票。

(14:48 apr.14 2003)



Apr.12 sat.  「キャッチャー・イン・ザ・ライ」

■否定的にしろ、肯定的にしろ、村上春樹さんが作品を発表するたび様々な種類の論評が出、作品をきっかけに「いま」を語ろうとする状況が生まれるのは、いまの文学状況の中にあって貴重なできごとかもしれないと第三者みたいな目で軽薄なことを考える。だけど、どう考えたらいいか戸惑うのが村上春樹という人の存在だ。私は、圧倒的な好感をもつわけでもなければ、ある種類の批評家や作家のように徹底的に否定するつもりもない。「現象」ばかり強調される感はあるが、小説家の先達としての敬意は少なからずある。なにしろ旺盛に仕事をしている人だ。
■白水社の和久田君から村上春樹による翻訳、『
The Catcher in the Rye』を送ってもらった。いうまでもなく、J・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の話題の新訳である。僕が読んだのは同じく白水社から出ている一九七八年の版(野崎孝訳)で、いつよんだのかよく覚えていない。二〇年以上前の話になる。しかしある部分だけは、ときどき読んでいた。
「とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしてるところが目に見えてくるんだよ。何千っていう子どもたちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない――誰もって大人はだよ――僕のほかにはね。で、僕はあぶない崖のふちに立っているんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ。――つまり子どもたちは走っているときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう、そんなときに僕は、どっからか、さっととび出して来て、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げていることは知ってるよ。でも、僕がほんとうになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げていることは知ってるけどさ」(野崎孝訳)
 では、同じ部分の村上訳がどうなっているかは読んでのお楽しみということで、引用しないし感想も書かないが、この部分にある「ライ麦畑のつかまえ役」が原題『
The Catcher in the Rye』の正しい日本語訳なのだろうが、「ライ麦畑のつかまえ役」では、これほど広範に読まれたかどうか。なんというか、このままでは日本語の書名としてはどうもぱっとしない。それを『ライ麦畑でつかまえて』にした野崎訳はずるいけどすごくうまいと思う。
 新訳のタイトルは、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』で、これはこれでやっぱりうまい、というか、村上春樹的だと思えた。
 で、私などふたつの翻訳を評価するほどの者じゃないわけで、なにしろ原書にあたりもせずに評価などできっこないが、「村上春樹訳」には「村上春樹」がどうしたって前面に出てくることで当のサリンジャーについて、作品そのものについて曖昧な印象になってしまう。ただ、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(つまり新版)の最後のページにある「訳者」による言葉がサリンジャーをはっきり示していて興味深かった。
 本書には訳者の解説が加えられる予定でしたが、原著者の要請により、また契約の条項に基づき、それが不可能になりました。残念ですが、ご理解いただければ深甚です。
 いくつかの作品を発表したあと隠遁してしまったサリンジャーらしい「要請」だという印象を受けたのと、あと、ここにはいろいろな意味が含まれていると思った。野崎訳版にはなぜか「解説」がある。サリンジャーのそうした一面を物語るエピソードが記されている。サリンジャー自身が書いた自分の「経歴」についての言葉だ。
 ぼくもこれまで、二、三の雑誌に略歴を書いたことがあるにはありますけれども、果たして正直なことを書いたかどうか、保証の限りではありません。
 これ、すごくかっこいいと思う。サリンジャーの生年月日として公表されているのは、「一九一九年一月一日」と、ふざけたような日付だ。ほんとうなのか。アメリカにはほかに、トーマス・ピンチョンというとんでもない作家がいる。その存在は謎めいている。「ピンチョンを見た」というだけで話題になる。いいなあ。『悪魔の詩』のサルマン・ラシュディは、なにしろその作品でイランのホメイニ師によって「死刑」を宣告され、必然的に身を隠す必要があったが、サリンジャーやピンチョンはよくわからない。だからなおさら(語弊があるかもしれないが)、かっこいい。

■Wさんという方からメールをいただいた。
 4月3日の富士日記について、少し気になる点がありました。
 それは「ウィリアム・デフォー」という表記です。彼の名は「ウィレム・デフォー(Willem Dafoe」です。矢内原さんのメールを引用していらっしゃるので、それをコピー&ペーストして宮沢さんもさらに誤記なさっているだけ? とも思ったのですが、お二人とも書き間違えただけかも知れませんが、もしかして勘違いなさっていらっしゃたら?と思いながらも指摘してしまいました。(おせっかいお許し下さいね)
 いやちっともおせっかいじゃない。ありがとう。さらにWさんは何人かの俳優の名前をあげ、外国人の名前のカタカナ表記について、変化することがあることを教えてくれたが、たしかにそうで、「スタンリー・キューブリック」も、「スタンリー・カブリック」だった時期があると記憶するし、そもそも、日本語に表記するのが困難な固有名詞などをカタカナにするところに、翻訳のむつかしさの一面はあるのだろうと思った。日本人にとって発音できないような「音」のある言語の固有名詞をどう表記したらいいのだろう。
■というようなわけで、翻訳つながりで話がまとまりました。
■サリンジャーやピンチョンのことを考えているうち、小説を書くことを刺激される。そういえば、「文學界」のOさんから、編集長になったと知らせがあった。Oさんらしい誌面になるといいと思った。いや、きっとなる。「新潮45」のNさんといい、小説を待ってくれているあいだにみんな編集長になってしまったらどうするかだ。ほんとうに申し訳ない話である。

(11:04 apr.13 2003)



Apr.11 fri.  「非対称世界をまのあたりにして」

■一限目から二年生中心の授業。早起き。ホテル暮らしもなかなかによい。きょうは東京に戻る日だ。帰りの新幹線のなかで読んでいた中沢新一さんの『熊から王へ』(講談社選書メチエ)は、『人類最古の哲学』と同様、神話学入門のシリーズの一冊だが、その一節を読んだら、なにかもう、わきあがってくる感情がどうにも抑えられず困った。
■世界はかつてすべてが「対称的」に存在した。神話がそれを教えてくれる。
■『熊から王へ』で中沢さんは、「対称的世界」が「非対称世界」になってゆく状態を熊と人間が関わるある神話を通じて読み解いてくれる。「非対称世界」となるきっかけとして人間が剣を手にしたことを例にあげるが、それはまさに、人間が「高度な技術」を手にすることを象徴し、かつてあったはずの、自然と人間の対称的な世界が崩れたことを示す。人間は生きてゆくために動物を、たとえば熊を狩猟する。しかし神話的思考を持った太古の人々は、対称性を失わぬよう、狩猟した熊の肉や毛皮を、熊からの贈り物として考え、熊に礼を尽くし、様々な儀式によって、熊をはじめとする動物、自然への尊敬を忘れてはいなかったし、狩猟においても人間と熊は対等な位置にあって、それは対等な状況における戦いでもあった。だが、人間は剣を手にしてしまった。「対称的な世界」が崩れてゆく。神話はその非対称世界のことも語り出してくれるのだが、それはまさに、現在の世界を予見しているかのようでもあった。剣を手にしてしまった人間に対し熊は、対称世界を取り戻そうと訴えるかのように自分のからだを犠牲にしてまで語りかけてくるという神話物語が存在する。中沢さんはそのことを次のように解説してくれた。
 高度な武器や開発の技術が、自然の世界にもたらした悲劇的な非対称の状況をはねのけるためには、武力においてはとうていかなわない熊が選択できる道とは、自爆しかなかったのです。それほどの犠牲を払っても、世界にもたらされた不幸の原因である非対称を、除去することはできないのです。
 いま、非対称世界がもたらした最大の不幸を世界中が目の当たりにしている。バグダッドが陥落したというニュースは非対称がさらに大きくなってゆく姿を映像としてみせられているかのようで、9・11の事件の悲劇はまたくり返されるし、パレスチナではまた、少年や少女が爆薬を身につけて悲惨な事件が生まれることを予感させ、引用部分を読みながら、どうにもやりきれない気持ちになった。
 アメリカは圧倒的な戦闘力を世界に誇示した。非対称世界はますます拡大している。

■一限目の授業に話を戻す。
■七月に発表公演のある実習だ。四月中はごく基礎的なことをし学生たちを把握しようという計画。きょうはエチュードを作らせ発表してもらう。今年もそれぞれ個性的で面白いがなかでも香川県出身の学生の関西弁が異常な面白さだった。これは、というかこの人はこの言葉だから面白いのではないかと思い、しかし発表公演するとき僕の過去の戯曲をやるとしたら、どうしたって東京の言葉になる。言葉にからだを押し込むことになってしまうのではないか。むつかしいところである。
■今年は去年より受講者が少なく、全員を把握しやすい。またたいへんな目に遭うのはわかっているものの。で、授業が終わって研究室に戻ってから、二年生の授業をいま四年生で卒業のための単位数が少ない者が受講しているとわかった。でも来ていない。困ったやつらだ。まあ、本人の問題だとはいうものの、なんとか授業に顔を出せば少なくとも前期の僕は点数をあげるのに、なにをしているのだこいつらは。それに比べたら、四年生の何人かが見学に来て、しかも単位も取れないとわかっていながら舞台に出たいと言うのは、舞台がやりたいという切実ともいえる気持ちが感じられてうれしかった。
■たしかに単位を取って卒業するのは目標の一つだろう。けれど、実習授業がいくつもありそれに単位と関係なく参加できるような融通がきくのだったら、これほど面白い学校はないのではないか。なにしろいろいろなタイプの演出家たち、それも現役でばりばりやっている演出家、振付家、劇作家たちが担当している。面白いにきまっている。

■学校を出てホテルに戻る。京都の東に位置する白川通りを北上し、修学院道というあたりまでバスに乗ってみた。バスの運賃が一六〇円だったので驚く。交通費の高い京都では異常に安い。バス停から北山通りを西へ少し歩くとホテルの手前に川がある。橋の上から桜が見えた。

 ホテルのすぐそばを川が流れ、その背後には背の低い山がある。すごく環境のいい場所にあると、昼間に見てはじめてわかった。時間があったら修学院にも行ってみよう。今年はあまり時間がないが、少しずつでも観光しようと思っているのだ。対称世界はきっともう戻ってくることはないかもしれないが、少しでも自然に触れ、自然に対して畏敬をもつことで、神話的思考からあらためて歩き出せたらと思うのだ。

■ホテルをチェックアウトし東京に戻る。
■東京に着いたのは夕方だった。新宿から初台の家まで歩いて帰ったが、途中、スターバックス的なカフェが何軒か新しくできているのに気がついた。東京の姿はどんどん変わる。このあいだ書いた「ほんやら洞」の甲斐さんの新しい写真集『京都の子どもたち』(京都新聞出版センター)を見るとそれぞれの写真に撮影の時間が記されているのに背景になっている町が時代がちがってもあまり変わっていないのが奇妙だ。
■これは京都の町のせいか。それとも、写真家の目か。

(6:26 apr.12 2003)



Apr.10 thurs.  「授業初日」

■やけに早く眼が醒めてしまった。
■それでも五時間は眠ったし、目覚めはいい。丸一日授業である。なんとかもつだろうと考えながら、メールのチェックなどする。午前中は一年生の授業。午後から二年生の授業だった。それぞれの年ごと、新しく入ってくる一年生の印象は異なるが、去年はスリランカの留学生、今年はスイスからの交換留学生がいて、それはそれで面白い。いつもの年と同じスタイルの授業で、僕が少し飽きているのがいけない。もっと考えるべきだが、どうも気分がのらず学生に申し訳ない状態だ。
■やっていることに「飽きた」というより、「教え方を考える」のに飽きたというか、ワークショップをはじめたころ、なにをやらせるか次々とアイデアが浮かんだのはやっぱり新鮮だったからであり、それに手応えを感じていたからだろう。しかし人は飽きるようにできていつつも、それに耐えないと生きてはいけないわけで、「飽きました」と言って死んでは困るのである。というエッセイをどこかに書いたな、むかし。

■人は「言葉にならないなにか」によって生きているのではないか。しかしそれを言葉にしなくてはいけないと思った時点で苦しみが生まれる。以前、俳優の手塚とおる君から聞いた話で笑ったのは、ある結婚している女優のできごとだ。女優が、夫にむかってなにを思ったか知らないが、「あなたにはなにか夢中になれるものはないの?」と質問したという。言葉は陳腐だ。「夢中になれるもの」はありふれた言葉だが、これはいわば、「生き方」を問うような質問である。夫はしばらく黙っていた。長い沈黙があった。やがて夫は、ぽつりと言った。「ない」。そのまま立ち上がって家を出、クルマでどこかに行ってしまったという。まあ、笑ったわけですね。手塚君の話が面白かったこともあって。
■しかしこれはきつい問いかけだと思う。「夢中になれること」といった単純なことだけで人は生きてはいないし、それがなければいけない理由もない。自分でも言葉にできない「なにものか」に突き動かされて生きているかもしれないのだ。だけど、不安になる。なにかしていなければいけないと考える。この場合の「なにか」は、明確に、言葉にすることが可能な、単純な「なにか」でなければいけないことになっているらしい。三坂からメールがあった。いろいろなところに出現することをここに書いたことに対し、なにかしていないと不安になるとあった。
■映画や舞台、あるいは美術展など、いろいろ見ている三坂がえらいと僕には思えて書いたが、三坂はその逆で、「不安」についてメールに書いていた。三坂の「まだ、足りない」はなんだろう。はたから見たら十分足りているんじゃないかと思えるがまだ足りないらしい。人それぞれ、その量に差異はあるだろうが、誰もがこのことで不安になっている。「まだ、足りない」。まあ、僕だってそれがまったくないわけではない。だからおそらく、「足りない」と自分が考えているその部分を、「言葉にならないなにものか」が埋めているはずだ。だから生きている。それに気がつかない。気がつくことができない。むしろ、「言葉にできるもの」の量を減らし、「言葉にならないなにものか」の量を増やすほうがずっと豊かになれるのではないか。そんなことを思いつつ京都の町を見ているのだった。

■大学の昼休み、松倉と偶然会ったので話をする。
■きのうやったライブに至るまでの大変だったできごとや、歌うと声がつぶれてしまうこと、そうしているうちに、歌うことそのものが嫌いになってしまうという話などを聞く。ひどく個人的なできごとまで話してくれたのはうれしかったが、それでも表現し、それを発表するとき、やっぱり大人でなければならないと思いつつもですね、松倉から「子ども性」が失われたら魅力が半分になってしまう。大人が見ててやらなくちゃだめだと感じた。なんというか、その話をしているときの松倉が、単純にこの人をあらわしており、もう、ほんとうに、どこの世界からやってきたのかこの子どもはって感じですよ。ライブでやりたかったことを、一生懸命、話してくれる松倉の言葉は、言葉でありながら、「言葉にならないなにものか」でしかない。「ソーセージのなってる国があんねん」って、なにを言い出したんだおまえは。
■一年のとき、僕の授業で「テキストを読む」という課題があった。松倉の発表がすごくよかったけれど、そのときの声にしても、話をしてくれる声も、歌う声も、そこに松倉のいいところがあるが、それをうまく人に伝えるには、どんな方法があるか考える。むつかしい。で、ひとつ考えたのは、デモテープを作ろうということだった。単純にギター一本と松倉の歌をテープに吹き込み誰かに聴いてもらおうと思ったのだ。声を聞いてもらいたい。たとえば、鈴木慶一さんがいるな、って、考えていたら、ミュージシャンの知り合いがかなりいることを思い出した。誰か興味を持ってくれないだろうか。

■午後の授業が終わったとたん、不意に眠くなる。すぐホテルに帰って眠ってしまった。とても悲しい夢で目が覚めた。

(0:43 apr.11 2003)



Apr.9 wed.  「京都にて」

■京都に着いたのはまだ昼の一時を過ぎた頃だった。
■松倉のライブは三時半からなのではじめにホテルにチェックインして荷物を置き手ぶらで行くことにする。地下鉄で「松ヶ崎」という駅まで。京都駅から南北に走っている市営地下鉄で「北大路」の先まで行くのははじめてだ。ホテルは松ヶ崎から東に歩いて15分ほどの場所だった。京都は少し冷える。
■タクシーで大学へ。松倉のライブを見る。無言劇があるなど、去年の秋にやったときとは趣が異なり、正直、去年のライブのほうがよかった。やっている者ら全員が生き生きとしていた。それに比べるとどこか窮屈そうに感じた。なにより松倉の歌がもっと聞きたかったのだ俺は。ただ、なにかべつの表現をしようという意志は感じ、前回のライブが荒削りながら、ある種、はじめてなにかに取り組む者らの大胆さに充ちていたとしたら、今回は「表現することに意識的になった者」による表現がそれを薄くさせていたということか。
■で、意志がうまく機能しなかったとしても、そのことにもっと意識的になって次につなげることが表現を鍛えることになるだろう。ただ、くり返すようだが松倉の歌をもっと聞きたかった。それでもなおかつ、ほかにやろうとする表現もまた、共存できたはずなのだ。

■しかし、きょうなにより驚いたのは、東京から三坂が来ていたことだ。
■どこにも出現する三坂が京都にまで姿を現した。ライブが終わってから「宮沢さん」と声をかけられ一瞬、唖然とした。たしかにこのノートで見に来てくれとは言ったがあれは関西在住者らに向けての言葉だったので、東京から来るとは思いもしなかった。学生たちはバラシがあり、打ち上げは夜九時からだというので、三坂を誘って久しぶりにほんやら洞に行った。店主であり写真家の甲斐さんがいらっしゃって、新しい甲斐さんの写真集『京都の子どもたち』を買う。三坂といろいろ話をしたが、興味深かったのは、ライブの直前、大森一樹監督に会っていたそうで、きのう書いた西塚肇さんという俳優のその後を質問してくれたという。大森さんもわからないとのこと。
■ほんやら洞の近くで三坂と別れ、僕はいったん、ホテルに戻ることにした。わかれぎわ三坂は、「OPALの店長に挨拶してきます」と言い、聞き流して歩き出したがよくよく考えるとこいつ誰とも知り合いだよ、驚いたよ。

■夜、白川通り沿いの居酒屋で打ち上げ。学生たちとずいぶん話しをした。また始まるのだな、忙しい日々が。

(8:04 apr.10 2003)



Apr.8 tue.  「睡眠異常と詩を読むことなど」

■まだ東京にいる。
■戦争のニュースに不愉快になっている。
■朝、やけに早く目が覚めてしまった。睡眠異常。教育テレビでやっている健康番組の「睡眠」に関する話を切実に見たりするのだ。ノートの更新をしたり本を読んでいたが午後になって眠る。目が覚めたらもう暗くなっていた。『本とコンピュータ』誌からの依頼で精神科医で作家のなだいなださんとの対談の話がある。名前はよく存じあげているがほとんど文章を読ませていただいたことがないので、予習する必要があると思い、『権威と権力』(岩波新書)を買うため新宿へ。予習というかこのタイトルに惹かれたのが大きくてですね、集団でものを作るときずっと考えているのがこのことだ。なにかヒントが見つかるかもしれないという思いで買ったのである。雑誌の棚に目をやると「現代誌手帖」の特集が友部正人だった。それも買う。
■特集の友部正人年譜に一部記載されていない部分がある。柳町光男の『十九歳の地図』に出演していることだ。主人公とはちがう社の新聞の配達員として走っていた。ものすごい距離を走っていた。ただただ走っていたのを記憶している。で、特集とは関係ないがべつのページにあった、田口犬男の『アルマジロジック』という詩が面白かった。

■さらにそれとはまったく関係なく、『十九歳の地図』に西塚肇という俳優が出演しており、ほかに、東陽一の『サード』では「短歌」という役で印象深かった。ネットで調べた限りでは『ヒポクラテスたち』に出たあとの消息がわからない。このあいだ『ヒポクラテスたち』をビデオで再見して思い出した。すごくいい俳優だと思っていたが、その後どこにも見かけない。俳優をやめてしまったのだろうか。
■映画ばかりではなく、小劇場でもそうしたことはよくあり、印象に残った俳優がその後舞台でいっこうに見なくなってしまうことがこれまでどれだけあったか。まあ、小劇場の場合、劇団自体なくなっていることもしばしばあるから、なんともいえないのと同時に、次々と俳優は出現するから把握するのさえ困難だ。あるいは、大久保鷹さんのような人もいる。状況劇場に出ていたがその後、行方知れずになっていた。そして復活。『トーキョー・ボディ』のオーディションには360人もの応募があった。これもまた氷山の一角。この何十倍もの数の舞台に立ちたい者はいるし、きっとどこかで舞台に立っている。たとえ『トーキョー・ボディ』に出られなくてもそれは単なる偶然、きっとその人にとって大切な作品や、演出家に出会う可能性はある。
■それはなんでしょうか。「運」という言葉を使いたくないが、やっぱり「運」、なにか奇妙なめぐりあわせは必ずあるにちがいないものの、それだけで条件をすべて満たしているわけではない。俳優としての魅力も必要だし、やはり、俳優としてしっかり訓練してきたかどうかという実力は試される。もちろんどんな世界でも。どんな俳優と出会えるか、どんな新しい人から刺激を受けるかは、オーディションやワークショップをするときのいちばんの魅力だ。『トーキョー・ボディ』に出た淵野と小橋はでかかった。身長が190センチくらいあった。二人並ぶと壮観だった。そんな人に会うだけもでもすごいじゃないか。

■また京都に行くのだな。東京と京都を行ったり来たり。そこでまたなにか発見することがあるだろうかと考えつつ。

(5:25 apr.9 2003)



Apr.7 mon.  「うれしいメール」

■うれしいメールがいくつか。たとえば、閉館した扇町ミュージアムスクエアにいた吉田さんから、松倉の公演に来てくれるとメールがあった。よかった。以前ここで「だれかYさんに伝えてくれないか」と書いたらたくさんの人からメールが来たとのこと。ほんとうに感謝する。くりかえすが、八日(19時開演)、九日(15時30分開演)、京都造形芸術大学studio21にて上演される。できるだけ多くの人に観てもらいたい。
■ほかに去年敢行した『池袋サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー』にも参加してくれたコピーライターのO君は、「鈴木姓と関西問題」について教えてくれた。
 僕は、高校まで大阪で育ち、大学時代は京都に住んでいましたが、直接の知り合いということでいえば、「鈴木くん(さん)」は、京都精華大学在籍時、一年後輩の洋画科に一人いただけ。ちなみに、その男は、大阪府枚方市(京阪沿線)出身でした。「鈴木姓」とちがって、「田中姓」はわりと多かったような気がします。
 やっぱりそうだったか。考えてみるとどうもおかしいのだが、おかしいといえば、『月の教室』をやった静岡県袋井市周辺にはやたら「鈴木姓」が多くてあの舞台には七人ぐらい「鈴木姓」がいたのではなかったか。なにごとだあれは。
 ほかに、『トーキョー・ボディ』に出ていた久保の友だちだというTさんという人から舞台の劇評のようなものを送ってもらいうれしかった。うれしいメールいろいろ。ほんとうにありがたい。

■このところ二日にいっぺんの更新になっている。
■戦争の音を遠くに聞きながら日々が過ぎてゆく。
■あるいはもっと身近な場所に存在する様々な政治的な課題をネット上で知ることができ(たとえば障害者介護に対する法案の改悪など)、そこで問われるに主題にどうコミットメントできるか、というか、いままでまったく目を向けていなかった者がいまごろになって目を向けることのある種の軽薄さを戒めつつも、現実は様々に動いていることを認識できるかどうか、それがまた、自分にとって周囲五メートルの範囲にあるのだと認識できるかどうか、実感できるのかどうか。それを語り出すには僕なりの方法があるとするならば、もっと深く意識する必要がある。いま、そこで、見たくない現実が発生しているがいやでもそれは現実であって、無数にそれはあり、しっかり見つめることから生まれるまたべつの表現はきっとある。
■むろん、陳腐な過去の表現にはきっとならない。僕の視線が見つめるだろういまという現実。

■四月になったら「東京、京都、行ったり来たり」というタイトルのノートにするつもりだった。以前も書いたが新たにデザインするのが面倒になっており、だめだなあ、もう飽きちゃったよ、Webデザインってやつに。九七年からPAPERSははじめているがあのころの夢中になってデザインしていた情熱はなんだったのかだ。メディアをひとつ与えられた気がしてそれがとてもうれしかった。デザインする作業の面白さを中心にしつつも要にあるのはメディアだ。雑誌を作るとか、自主製作映画を作るのに似たよろこびの感覚。やっぱりそこには単なるアマチュアという問題がある。これで生きていこうという決意がない。趣味は飽きるのだった。職業というより、「生き方」として、演劇や文学はある。飽きるという感覚すらおきない。そもそも、僕のような者がWebデザインに関わろうとすることがおかしいのであって、しょせんは素人、突き詰めようという覚悟がない。
■で、大げさな話になりますが、結局、「生き方」をどうするかといことなのだな。なにをするにしても。作家にとって「書くこと」は生きることだ。けっして職業ではない。そういうふうにしか生きられない。だから書き続けている。このノートもまた、その一環。人から見れば、なにを好きこのんでと思われるだろうし意味があるのか疑問視されるにちがいないが、ただ書きたいのだ。書くことしかできない。

■六日は、都内の桜見物に行こうとクルマを走らせたが、かつて住んでいたこともある府中にいった。桜のきれいな場所があると記憶していたからだ。文字通りの「桜通り」を中心に、「府中市民桜祭り」という催しをやっていた。桜を満喫。すごくよかった。府中を選んだのは妙な勘のはたらきようである。花見をして酒を飲むのは僕には向いていないが桜を眺めているのはこころがなごむ。だけどあまりの桜の満開ぶりには狂気のようなあやうさもまた感じる。
■七日。一日中家にいて本など読む。ほっとくと家から出ない。まあ、いまはそういう仕事ということもある。家にいないとものが書けないからだ。三坂の日記を読んだらあきれるほどいろいろなところに出没しているので驚く。かつては僕もこんなだった。放送の仕事をしていたときは深夜も多かったしほとんど家にいなかった。天気もよくなったので外に出ようと思いつつ、どうもおっくうになるけれど、京都の仕事があってこれからはいやでも外に出なくてはいけない。東京と京都の往復。それもだいぶ慣れ、まるでビジネスマンのような活躍ぶりだが新幹線のなかでの読書や妄想もそれはそれで意味がある。
■京都で宿泊するのは北のほうにあるホテルらしい。調べたら駐車場もあるので毎回だったら死にそうだが、たまにはクルマで行ってみるのも悪くないと思った。

(7:06 apr.8 2003)



Apr.5 sat.  「京都へ ver.2」

■今週、以前も書いた松倉のライブが、8日(19時開演)、9日(15時30分開演)にある。無料。京都造形芸術大学studio21にて。都合の合う人はみんな観に来るように。というか、観て欲しい。頼む、観てくれ。僕は9日に観る予定だ。

■大学で一年生のためのガイダンスがある。朝10時少し前の「のぞみ」で京都に向かう。着いたのは昼の12時過ぎだった。東京を出るときは強い雨が降っていたが京都は小降り。傘を持っている人があまりいないところを見ると、降ってきたばかりではないか。
■地下鉄で烏丸今出川に出る。まだ時間が少しあったので御所と同志社のあたりをぶらぶらした。去年の暮れ以来の京都だ。ヨーロッパ企画という劇団に所属し『トーキョー・ボディ』にも出ていた京都の本多君から少し前に封書が届き写真がいろいろ入っていた。稽古のとき着ていた赤いカーディガンがみんなからひどく不評だった。東京ではそんなものはどこにも売っていないと言われて途中から着なくなったが、河原町で赤いカーディガンが売られている店の写真がなかにある。「京都ではふつうです」とメモがあって笑った。
■時間が来たのでタクシーで大学に向かう。運転手さんが京都の桜のことを話してくれたが、どうやら咲いたばかりらしい。東京より遅いようだ。「この雨で散っちゃわんとええけど」と運転手さん。大学は入学式の直後だ。スーツ姿の新入生たち。サークルの勧誘をする在校生たち。

■映像舞台芸術学科の一年生のガイダンスが開かれる部屋に着くと、林海象さんがいた。で、林さんと話をしていてふと気がついたのは新入生のなかに、『月の教室』に出ていたS君がいることだ。驚いた。ガイダンスは各教員の挨拶や科目選択の解説などがあり、それから恒例の、学生の自己紹介がある。S君は、つまり「鈴木」という姓なのだが、自己紹介で「クラスに3人は鈴木がいるのがあたりまえだった」と話し、たしかにS君以外に「鈴木」という姓の者はいない。言われてみると過去にも「鈴木」という姓の者は学科にいなかったような気がする。関西では「鈴木」はポピュラーな姓ではないのだろうか。さかのぼれば、藤原氏にいたるはずの「鈴木姓」だが、その影響は関西まで届かなかったということか。
■あと映像コースに『トーキョー・ボディ』のオーディションに来ていた男がいてそれも驚く。
■新二年生が何人か来ていた。僕の授業を取ったという。今年の授業計画では「リーディング」をやることになっていたが、映像コースの二年生K君が「公演をやりましょう」と熱心に言う。一年のときの授業や、去年の二年生の公演などを見、「からだ」で表現すること、「舞台」そのものに興味を持ってくれたのならうれしい。最初の授業で相談しようと思った。で、夜、銀閣寺に行く途中、哲学の道にあるレストランのような店で映像舞台芸術学科の教員の懇親会があり、そこでも学科長の太田さんからリーディングではなく公演をやるよう言われた。今年から東京と京都を通うことにしたので、どうやって稽古をすすめていくか考える。うまい方法がある気がする。というか、さすがに3年目になると教え方もうまくなるのだ。大学とワークショップではやり方が異なる。「やり方」を覚えてなんになるかわからないが、学生と接触して受ける刺激も少なからずあり、また教えることを通じて、演劇、あるいは表現すること自体を学ぶ。まだきっと見つけるものがあるはずだ。
■哲学の道の桜はやっぱりきれいだった。暖かい昼間、明るい時間にもう一度、見に来ようと思う。

■夜、9時過ぎの「のぞみ」で東京に戻った。
■京都も寒かったが東京駅のホームも冷える。家に戻ったのはもう深夜12時近くになっていたが、借りていた大森一樹の『ヒポクラテスたち』のビデオを観る。それで思い出したのは映画の舞台になっているのが京都だということだ。古尾谷雅人が演じる主人公は医学部に通う学生で、府立医大にいた大森一樹の学生時代が色濃く反映された作品を見ていると、だとすれば、ここは京都のどのあたりかなど、ついさっきまでいた町のことを思い出す。鴨川が映れば、これはどこにカメラを置いたかなどめぼしがつくのも不思議な気分だ。
■で、やっぱり『ヒポクラテスたち』の古尾谷雅人はとてもいい。もちろん共演している柄本明さんは当時からすごくうまいが、それとはべつの魅力にあふれている。それはおそらく、「職業的俳優」とは異なる種類の魅力で、ある一瞬の奇跡のように、それを出現させることが俳優にはあるのではないかと、この作品の古尾谷雅人には感じるのだ。もちろんその後、古尾谷雅人は職業的俳優として生きることを選択し、それはそれで成功していたのだろうが、この瞬間の、『ヒポクラテスたち』という映画でのその人は、もっとべつの輝き方をしていると思えてならなかった。作品と俳優との幸福な出会いを感じた。

(2:31 apr.7 2003)



Apr.3 thurs.  「外国もいい。島がいい」

■ニブロールの矢内原さんのメールにあった「ニューヨーク事情」を紹介しよう。むこうでいろいろな演劇、ダンスを見ているようだが、なかでも次の舞台は僕も観てみたいと思った。
 ウォースターグループの、「Brace UP!」というタイトルのチェーホフの「三人姉妹」は一番おもしろかったように思います。ウィリアム・デフォー(有名なところではやっぱりプラトーンに出演していた)が本当にかっこよかった。あんな有名なのに、こんなアンダーグランドみたいな演劇にでて、しかも、しかも、ダンス踊っていました。しかも、上手です。
 ウィリアム・デフォーですよ。スクリーンでしか知らないあの方がアンダーグラウンドな演劇に出ているのは興味深いものの、『牛乳の作法』でも触れた「ジョンと釣りをする」というテレビ番組でジョン・ルーリーと釣りをしておりそのくだらなさといったらなかった。そこに、「ある文化圏」を予感したのだが、つまりハーベイ・カイテル、ジム・ジャームッシュといった人たちに共通するもの。ウィリアム・デフォーもその一人だと薄々思っていたのだった。
 NYもテレビをつければ戦争のことをやっていますが街はいたって平和です。でも、土曜日はデモがあるのでわりとお休みのところが目立つかもしれません。私は遠くからそのデモをみているとなんだか不思議な気分になります。戦争やってる国にいるんだなと思うのですが、戦争は終わってほしいのですが、デモに参加する気にはなれなくて遠くからみているだけです。
 だって、私がここ最近考えることといえば、
 ーー東京よりNYのほうがみんなが着てる服がかっこわるいなあ。
 ーーCDをもってヘッドホンをして電車のなかでリズムとってんのはほとんど黒人だなあ。
 ーー私のまわりにはコロンビア人が多くて外人みたいな顔してて英語しゃべれないんだなあ。
 ーーチャイナタウンにいくと公園にものすごく人がいてタバコをすっているのに比べて、セントラルパークはなんて健康馬鹿が多いんだろう。
 本当に、本当にくだらないことしか思いつかないのです。こんな無責任な私に何ができるんでしょうか? こんなことで、振付について考えることができるんだろうか? 大丈夫かな? ただ思うのは私は日本人なんだと、日本という文化を外側から見るいい機会なのかもしれない、だからといって着物、ゲタ、寿司みたいなことはできないので、もう少しソロでどんな振付ができるのか考えてみたいと思う。来週はビル・ヤングとケビン・ウインという振付家がやっているカンパニーをみにいきます。そうして演劇も一本ラママシアターでおこなわれているものを見にいきます。
 でもいいよな外国。ニューヨークというか、アメリカは禁煙地帯が多いのであまり行こうと思わないが、なんにしろ外国は刺激される。なぜなら日本じゃないからだ。むかし矢沢永吉さんがハワイに別荘を建て友だちを呼んだという。窓からハワイの海が見える。友だちに言ったという。「な、日本とは思えないだろ」。あたりまえである。なにしろハワイなんだから。『地獄の黙示録』を友だちと見に行った矢沢さんは上映中に友だちに質問したという。「どっちが悪者なんだ?」。
 パリはよかった。煙草は吸い放題だ。マクドナルドが一軒しかないのがすばらしくスターバックスはない。カフェは無数にあって煙草が吸える。夜は10時まで明るい。あるいは島。ノシコンバというマダガスカル北部の島で見た原猿・レムールと島の人たちが交流する姿は、まさに中沢新一さんが『人類最古の哲学』に書いている「神話的」な風景だった。

■で、原稿を書いていたのだった。
■今回はもうだめだろうとさすがにかんねんしたがなんとか書いた。八枚。書き出せばなんとかなるものだし、それにしても、『資本論』がやけに面白くなった。全五十二章あるうちの第四章のはじめを今月は少し読んだが、「商品」の分析の項の難かしさに比べたらずっと読みやすいというか、この文体、マルクスの語法に慣れたのかもしれないと思いつつ夢中になって読んだのはつまり「剰余価値」のくだり。「資本」の謎を解いてゆくマルクスの分析の面白さだ。まあ、どんな入門書を読んでも「剰余価値」はマルクス経済学の中心概念のひとつとして取り上げられるが、やはり『資本論』にあたって読むことにこそ意味がある。と思う。しかし先は長い。『資本論』の道は遠いのだった。
■で、人間、ばかな仕組みでできていると思うのは、原稿が書き上がったら眠気が醒めたことだ。書き出すまではもう眠くて仕方がなかったのに、どうしたことだ。ばかな仕組みでできている。

■禁煙で思い出したが、『考える人』(新潮社)の最新号が届いたので少し読むと、小谷野敦さんの原稿がまさにそのことを書いており、それを「禁煙ファシズム」と表現している。まったくだ。あと、筑摩文庫から出る『茫然とする技術』の見本が届いた。とてもいい装丁だ。松尾スズキの解説も泣かせる。来週の月曜には店頭に並ぶはずである。さあ、すぐに買おう。二冊は買おう。

(15:35 apr.4 2003)



Apr.1 tue.  「世の中は三日見ぬ間に桜かな」

■気がついたらまたそんな時期になったかと思うのが『資本論を読む』の締め切りが来たことで、このノートに書く私の日常といったら、「締め切りの話」ばかりだ。「Jノベル」のTさんからメールだった。考えてみたら日々なにをしているか、「富士日記」と書きながらちっとも日記ではなく、勉強ノートかこれはといったものになっており、書くのを伏せておかなければならない日常なのかというと、そんなことはない。
■ふと「熊野」にゆかなければという思いになる。
■京都もいいが、あの町はかなり都市化され、というか観光化されており、奈良にはまだ素朴さが残っているものの、やっぱり「熊野」の自然を感じたい。神話性を残した場所としての「熊野」、あるいは地図を見ると、奈良県と三重県の境界あたりがいま足を踏み入れる場所のような気がするのは、なにやら恐ろしそうだからだ。謎めいた土地である。ってそこに住んでいる人が聞いたら怒ると思う。子どものころ、住んでいた町から少し山の中までゆき、そこで見つめていた自然がもたらすものはとても大切な財産になっていると、いまだから感じる。単なる都市に暮らす者の感傷や、情緒的な自然回帰への思いではない。もっと学ぶべきものが自然のなかには大量にあるはずだ。「神話的思考」からすれば。

■かといって「アウトドア志向」といったような、あれではけっしてない。いやだよ、カヌーに乗ったり、キャンプするのは。
■ここは都市だ。
■なりゆきで初台に住んでしまった。初台に住むなんて考えてもいなかった。どうしてこんな都心なのかと思うものの、東京都内だったらどこもさほどの変化はないし、自然を求めようと思いはじめたらきりがない。
■原稿を書かなくては。もう桜は満開だ。桜も見ぬまま、原稿で一日が終わってしまう。

(11:41 apr.3 2003)