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富士日記

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louis_vuitton
夏の鏡
夏の花

Published: Feb. 21, 2003
Updated: Aug. 31, 2003
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 | PAPERS | 京都その観光と生活 | 市松生活 | からだ | トーキョー・ボディ | send mail |



Aug.30 sat.  「新宿フィールドワーク」

■ワークショップ四日目。新宿をフィールドワークしてそれをもとに「作品」を作るといういつもやっている課題だが、今回はルールがひとつあって、作品のタイトルがあらかじめ用意されており、『新宿××事件』という「劇」をやる。この「××」の部分を各班で考えるのがこの課題の趣旨。
■フィールドワークの段階で、発見したもの、面白いと思ったもの、興味をひかれたものなど、各自が感じたことをもとに各班で話し合いキーワードを決める。それが「××」になるのだった。で、これまでこういう課題をやると僕と各班との面談で話を聞き、それから僕のアドバイスがあり、作業を進めるのが恒例だったが、今回はレポート発表形式として、全員のまえで自分たちの発見を報告、さらに、では話し合いはどう進展しているかを話してもらったり、こちらから質問、応答という段取りでやってみる。先の「新宿××事件」のやり方といい、発表報告といい、はじめてやる試み。なかなかいけるんじゃないかと感触を持ったが、レポート発表はまだ未成熟。そのためには、そのことだけで、まとめる時間が必要だった。時間がない。
■で、レポートを聞いていると、何人かがいいところに目を付けている印象を持ったが、どうしても視界が狭められていたり、最初から「新宿」という町のイメージにとらわれている者もいた。だから逆に、新宿といえば、生まれてから32年間、伊勢丹とか高島屋とか、ちょっとハイクラスな新宿しかしらなかった者が、歌舞伎町にやたら刺激されたという話は面白かった。だってそれは、「新宿」に対するふつうのイメージ、「風俗の町」「暴力の町」「欲望の町」とはまったく異なる感性だったからだ。

■どんなものができてくるか楽しみだ。だけど時間がなあ。時間が少ないのは申し訳ない。まあ、完成品というより、可能性を感じさせてもらえるものがあったらそれで成功だと思っている。
■そういえば、きのう(29日)の「美術館に行ったことをもとに作品を作る」は、これまで何度かやったこの課題の発表の質とは異なる作品がいくつかあって面白かった。とくにペインティングを使うチームが多く、これがねえ、単純に床が汚れるわけだけど、それが「美術作品」になっているかどうかはともかく、「表現意志」ということでは、面白かった。最初二日の課題では「発想力」が少しこわばっている感じがしたが、この課題は様々な表現スタイルがあったのは収穫か。なかでも、新聞紙をつなげ大きな一枚の紙にして部屋を囲んでゆく班の発表が、その大きな新聞紙がそれだけで面白かったのはよかった。
■そういえばペインティング系の班はそのたび、床が汚れ、すぐに床をモップやぞうきんで拭いたが、すぐ次のやる班がやっぱりペインティング系で、また汚れるという、じゃあ、なんでいまきれいにしたのかと、腹が立つより、面白かった。

■何人か見学者、手伝いが来て、その四人を連れて西新宿の「もーやんカレー」へ行ったが、店が混んで入れないのでカレー弁当を買って僕の家で食べる。芝居の話などする。みんなが帰ったあと、あきらめかけていた「
MacPower」の原稿を書く。書けてしまった。着々と原稿は書いている。あとは共同通信から頼まれた、『レイアウトの法則』の書評が難関だ。面白そうな本なのだ。少し読んだがこれからだ。こつこつ仕事をする日々。

(4:19 aug.31 2003)



Aug.28 thurs.  「ワークショップは中休み」

■大学のいま二年生で、このあいだの『アイスクリームマン』にも出たKからメールがあった。
■授業の最初のころやったエチュード作りでKの関西弁がちょっとどうなんだってくらい面白く、逆に『アイスクリームマン』では東京の言葉を口にするのが部分的にたいへんそうだった。それでもなお、Kの面白さは捨てがたく、八〇年代を代表する劇、北村想の『寿歌』をやれと薦めたのだが、メールによると、三年生の映像コースMが演出、それに舞台の四年生Mと、映像二年生のKとで、12月1日、2日に上演することになったという。それはなんだかうれしい。
■見に行きたいなあ。12月かあ。10月から11月は、卒業発表公演がいくつもあり京都になんどか行くことになりそうだ。で、11月の後半から神奈川県の文化財団が主催する戯曲賞の選考をするので12月に京都に出かける余力が残っているか不安である、っていうか、選考当日がこの12月1日、2日あたりではなかったか。しかしこの四人でやる舞台は魅力的だ。見たいと思いつつも、思いもかけぬ忙しさに、なんだか途方にくれるのである。

■ワークショップは中休み。原稿を書く。「考える人」(新潮社)の連載原稿を書き上げ、いきおいで「
MacPower」も書いてしまおうと思ったが、うーん、なにを書くかだ。コンピュータといってもどういった切り口が面白いか考える。悩む。
■で、あとは本を読んでいたが、これがねえ、あるノンフィクションだがエンターテイメント小説とも読める痛快さだ。とにかく笑える。まじめに書いているのか、ふざけているのかよくわからない。原稿を書かねばと思いつつ面白いのでついつい読んでしまう。
■メールをチェックすると青土社のYさんから。きのう「ユリイカ」(青土社)が届いたばかりだし、連載原稿をついこのあいだ死にものぐるいで書いたつもりだが、もう来週のあたまには二回目の原稿をという催促だった。で、いい気になって原稿を引き受けていたが九月は忙しいのだと思い出した。というのも、九月中旬、京都から神戸に行って、うちの大学の映像コース二年生の住む神戸の町に取材旅行に行くのだった。数年前、衝撃的な事件のあったあの町だ。さらに、いまやっている夏のワークショップとはべつに、ワークショップを一週間にいっぺんはやらなければならないしで、そういえば今週中にはおそらく『資本論を読む』の締め切りだろう。

■気晴らしにポール・ボウルズの短編小説を読んだら面白かった。なんでもない話のようでありながら、どこか奇妙でゆがみ、幻想めいている。モロッコかどこかあのあたりに住んでいたポール・ボウルズは、毎夜、町の酒場に出かけた。そこで出会った土地の人の話を聞き、それを小説に書いていたとなにかで読んだことがある。ポール・ボウルズもまた「聞く人」だった。だがそれは、あきらかに小説である。聞き書きといった種類の文芸ではない。聞いたその話が、ポール・ボウルズの手を通じて「書かれたもの」になってゆく。だからそれは「周縁の文学」ともあきらかにちがう。ポール・ボウルズの小説である。
■もう秋でしょうか。原稿を今週中にまとめて書こうと思うと、なにやら夏休みの宿題にあせっている小学生だ。いや、それとちっとも変わらないまま、ずーっと仕事をしてきたような気がする。

(3:35 aug.29 2003)



Aug.27 wed.  「ワークショップ三日目」

■ワークショップの一環としてまた今年も「東京現代美術館」に行った。去年は「横尾忠則展」だったが、今年はまずいちばんの展示が「ジブリ」である。どうなんだ。で、「ジブリ」は見ないようにし、「田中一光展」と「常設展」を見ることにしたが、こんなに人の多い東京現代美術館ははじめてというほどの人の数で、それはまことに小さき人たちだった。子どもである。いいんだけど。
■しかし、美術館という静謐さに欠けるのが難点で、平日の昼間からにぎわっている美術展といえば京都での「高野山展」を思い出す。やっぱり品川の原美術館にすべきだったかと後悔したが、大人数で見にゆく美術館ではないな、あそこは。するとわれわれが原美術館における「子ども」になってしまうという、「関係の変容」が出現する。となると、目黒の庭園美術館がよかったかとも思い、それにしても原美術館のサイトはきれいである。関係ないけど。
■グラフィック・デザイナーの田中一光さんの作品展の大半は「ポスター」だった。で、たとえば演劇のポスターなど見ると、デザインを鑑賞するというより、この時代に劇団民藝がサルトルの芝居をやっていたのかとか、安部公房の演劇作品「人さらい」のポスターを見れば面白そうだなあと、ただふつうに演劇のポスターを見る人になっている。さらに田中さんが西武系列の仕事を一手にやっていたことに驚かされ、たとえばセゾンカードのロゴとか、「
LOFT」のロゴ、西武美術館のポスター、セゾン劇場の公演ポスターを見ているうちやはりデザインの鑑賞ではなく、もっとべつのこと、たとえば西武のメセナ(「企業がパートナーシップの精神にもとづいて行う芸術文化支援」)問題など、つい考えてしまうのだった。そう考えてしまう自分が面白い、というか、それを喚起する媒体としての「デザイン」とは、いったいなんであるかが興味深い展示だった。

■そのあといつものように「常設展」を見た。どうしていつも「常設展」は面白いのか不思議である。
■二時間ほどとった鑑賞の時間を終え、AからFまでわけたチームごとに、きょうのことをもとにした作品づくりの打ち合わせをする。さらに僕との面談みたいなことをやってきょうのワークショップはおわり。疲れた。
■家に戻ると、「チェーホフを読む」の連載がはじまった「ユリイカ」の最新号が届いていた。今回の特集は「ブックデザイン批判」というタイトルだ。私は無類の「本の装丁愛好家」なので、この特集は見逃せない。愛好家として、どーんとその批判を受け止めよう。といってもその「批判」という言葉には微妙なニュアンスが隠されている気がする。

(3:31 aug.28 2003)



Aug.25 mon.  「また今年もワークショップ」

■毎日新聞の連載に朝まで苦しみようやく書けたのが午前八時。それから眠って午後から毎年恒例になっている夏のワークショップである。ほんとは土曜日から日曜日にかけて、「考える人」「週刊SPA!」「トリッパー」の原稿が書ける予定だったが、だめでした。「毎日」の原稿が書けるといったん眠ってから午後家を出る。
■ワークショップは今年も去年とおなじくらいの参加者。もう一年になるかと思うと不思議な気分だが、いやだなあと思いつつも時間は刻々と過ぎてしまうのであった。二人ずつで組を作って簡単なドラマのようなことをやったがゆっくり動く二人がいて、そのゆっくり動く様が、太田さんの舞台を思い出させ、それというのもその一人が、太田さんの舞台によく出ているというか、元転形劇場の安藤さんにどことなく似ているからだと途中で気がついた。
■『水の駅』を見たのはもう何年前になるだろうか。まだ客席の灯りが消えないころ少女(安藤さん)がゆっくり舞台の中央に向かって歩いてくる姿を思い出す。客入れのあいだずっと舞台中央にある水道から水がしたたり落ちその音がする。水道まで安藤さんは10分ぐらいかけてゆっくり歩いてくるのだった。それはゆっくりというのを通り越した歩きで、ただごとならないことがいままさに起こっているのだと思った。ようやく水道までたどり着いた安藤さんは手にしていたバスケットのなかからコップをやはりゆっくりした仕草で取り出すと、したたる水に差し出す。水道の音が消える。サティの「ジムノペティ」が流れる。この瞬間、僕は、これまでの観劇経験のなかでもっとも美しい瞬間に出会えたと思ったのだった。

■その作品を演出した太田さんに呼ばれて大学で仕事をすることになるとは、『水の駅』を観たころ想像もしていなかった。表現に関して質問することで答えを得、それが役に立つこともあるかもしれないが、しかし言葉にできることはさほど大切ではないのではないか。っていうか、僕は質問するのが苦手だし、しかも相手は太田さんで、なにしろ、あまりしゃべらない無言劇の人である。ただ大学でなにが得したといって太田さんのことを比較的長い時間「見ている」ことができたことで、その何気ない言動、演劇に対する姿勢、芝居に対するふるまいから学ぶことがどれだけ多いかしれない。
■それに似たことは過去にもあり、同様の存在の人が一人いた。「見ている」ことによって学ぶことはぜったいにあると思えるのだし、それは新しいことでもなんでもなく、古くからある「学び方」のひとつではないだろうか。学校のような制度とはまったく異なる種類のそれは、「言語化できないなにか」「記述できないなにものか」に価値があって、そうではない場所で学ぶ技法だ。僕の幸運は、そうして学ぶに値する人に出会えたことだった。こんなに幸運なことはまずない。なにしろ、まさか出会えるとは思いもよらなかった人たちだったんだから。
■ワークショップはひとつの学ぶ方法としてきっと価値はあり新しい方法がまだあるはずだが、ついルーティーンなことをしてしまう。「言語化できないなにか」「記述できないなにものか」を学ぶ場所にしたいものの、そのための異なる方法がなにかあるにちがいないと思いつつ、新しいことが思い浮かばない。そもそもワークショップに新鮮さを感じなくなっているのがいけない。職業的にできてしまうというか、教える技法に慣れすぎた。ここは「俳優養成所」ではけっしてないという考えを強く持ちつつ、だとしたら、もっと面白いことができるにちがいない。かといって、寺山修司のような「秘儀的な演劇トレーニング」にはしたくはないのだし(といってもあれはあれで、寺山修司的な冗談の一環だった気がするが)、もっとなにかあるにちがいないと思いつつ、ついそれは「技法化」されてしまう。

■そんなわけで、今週はワークショップだ。桜井君からメールがあってこの週末、ニブロールを観に新潟に行かないかという誘いだったが、ワークショップだったんだ。三坂も踊るはずのニブロールを観たかったがしょうがない。しかも向こうで温泉にも入るという。うらやましい。

(11:28 aug.26 2003)



Aug.23 sat.  「夏が終わるんだか、どうなんだか」

■留守番電話を久しぶりに再生したら柏書房のHさん、「
relux」の編集の方から何度か連絡をもらっていると知ったのだが、このところ人との連絡はもっぱらメールになっていたので、留守番電話を再生するというか、そもそも、留守番電話に用件が入っているかどうかすら確認しなくなっていた。ふつうの電話の意味がよくわからなくなっている。学生のあいだでは携帯電話しか持っていないのがいまやふつうではないか。
■こうした現象が意味するものはなにかを考える。いろいろ本を読んでいると、ふと気がつけば様々な領域の学問が、サブカルチャーの分析を通じて世界を捉え直していることを教えられ、たとえば、レゲエという音楽の、音楽そのものや流通、どのようにそれが浸透してゆくかといった過程を通じてポストコロニアル的に世界を再読する傾向はもっともだが、興味をひかれたのは「レイブ」についての読み、というより、そこから意味づけられる「レイブ」の象徴性だ。もっとも僕は直接それに参加することはこれまでなかったので、なんとも身体性の薄い認識しかないが、「いまのからだ」を考える上でこれは見逃せないものではないかと、「学問」に教えられるのもなんだかあれだし、いまさら「レイブ」でもないもんだと思いつつ注目している、というか、そこから刺激されるなにかが生まれてくる予感がし、こういうことはたいていあたるのだった。
■以前、「レイブ」についてアドバイスのメールをもらったことがあり、それはニューエイジとの関わり、その文脈からの視点ではなかったかと、記憶をたどるが、そのメールで紹介された記事が載っている雑誌を買ったのはもう一年以上前だっただろうか。そのことをもっと考えれば『トーキョー・ボディ』にも反映されたかもしれないし、同時に、そうした思考はどこか無意識のなかで発生し、『トーキョー・ボディ』に反映されている部分もあったかもしれない。ま、とりあえず、さらに考えよう。あと、ずいぶんまえ、桜井君たちと敢行した「東京のからだを見に行くツアー」をまた開催したいものだ。あれはたしか、『サーチエンジン・システムクラッシュ』を書いたころだからもう四年も前になるのだな。そのときのことを小説でずいぶん参照した。四年で「東京のからだ」にはなにか変化があっただろうか。

■原稿を書いた「
SWITCH」が届いていた。写真がきれいな雑誌だ。あれ、待てよ、きのうN君の奥さんが「STUDIO VOICE」の編集者と書いたが、「SWITCH」じゃなかったかな。あれ、ごっちゃになってるな、雑誌が。だって似てるだろう、「SWITCH」と「STUDIO VOICE」。似てないかな。それはともかく、高校野球が終わればもう秋になるはずだが、ようやく夏が来たような天気だ。

(7:40 aug.24 2003)



Aug.22 fri.  「ほぼこの一週間」

■「からだ」のこと、「
MATRIX」のこと、さらに「フォークナー」についてなどメールをいろいろもらった。うれしかったがその件についてはまた次にする。きょうは長くなりそうだからだ。

■水曜日(20日)のことから書こう。
■ほぼ一日家にいなかったのは僕としては珍しいできごとだ。夜、新潮社のN君とM君に会い食事することになっていたその日の午後、銀座であった試写会に行くと、驚いたことに
STUDIO VOICEの編集者でもあるN君の奥さんに会った。で、いまN君家ではクルマ購入が最大の関心事になっているのか、奥さんがいきなりクルマの話をはじめ、それというのも、僕が乗っているVWゴルフを購入しようかどうか迷っているからで、それは夜、西麻布の沖縄料理屋でN君たちに会ったときも話題になった。
■で、話を戻すと、試写会のあと、かつて『知覚の庭』に役者として出ておりいまは「週刊SPA!」の編集者をしている山崎と会って夕方まで話をする。そのとき、山崎は原稿に関して、「ふだんどおりの宮沢さんの調子で」というが、どの「ふだん」か、よくわからないのだった。しばしばこれは言われる言葉だがそのたび困惑する。演劇について書くときと、エッセイはかなり異なるし、このノートの「ふだん」も、お金をもらって書く原稿とはかなり異なる。で、いきおい最近はなにを書いても「ユリイカ」に書いた「チェーホフを読む」のように評論めくが、山崎は、というか「週刊SPA!」はそれを求めていないだろう。むしろでたらめなことを書いたエッセイのテイストを求めていると思うが、あれはあれで、評論を書くのと同様たいへんだし、むしろ無理矢理にでも笑わそうと苦しむ。「チェーホフを読む」の25枚は一日で書けたが、でたらめを意図したエッセイを一日で25枚書こうと思ったら「チェーホフを読む」以上に過酷な仕事だ。もっと死ぬ思いをするというか、ほんとうに死ぬ。
■で、思ったんだけど、「文章を書いてお金をもらう」ことはただごとならぬ事態だ、と書けば単純な話になるが、マルクスが言う「命懸けの跳躍」なわけだけれど「書く自由」ということでいえば「週刊SPA!」というメディアに映画評を書くなら「週刊SPA!」が求めるものがあって「ふだんどおりに」とはいえ「自由」はないのだし、「朝日新聞」にエッセイを連載していたときに感じたタブーとそれは同じ種類のものだ。過去に比べると書くことに窮屈さを感じるのはなぜだろう。「命懸けの跳躍」は必要だが、そうはいっても資本主義に馴致されて無自覚なまま、様々にはりめぐらされたコードにからめとられることなく、「書く」ことを仕事にするためには、最近読んだ本にあったミシェル・ド・セルトーが説く意味での「戦術」が必要ではなかろうか。ある本からの引用。「ある本」がなにかは恥ずかしいので書かない。
「戦術」とは自分に固有の空間をもっていない状態で、しかし計算された行動によって何とかそこで生きたり、障害を切り抜けたりすることを指している。「戦術」はもっぱら他者の場所で行使される。戦術は日常生活におけるありあわせのモノを何とか使い回して、他者の(権)力の場で生き残る方法なのである。それは他者のルールによってなされるゲームの空間において、そのルールの裏をかこうとする試みである。「それは弱者の技なのだ」。自分自身のもの(自分に固有のもの)をもたないで、とりあえず既成の力と表象が織りなす網の目をかいくぐりながら抵抗することで、他者の(権)力による監視や儀礼=慣行の強制から一時的に逸脱することが戦術と呼ばれる。
 とはいうものの、この「戦術」がどうもちまちました感があるのはいなめない。ここでは「弱者」という前提がある。重い意味がある。引用部分のあとに例として書かれている「スペインに植民地化された地域におけるインディオ」は言葉の意味においてまさに「弱者」だが、ではいま、ここ、この国で、「弱者」はどう存在しているか曖昧でならないのだ。むろん、身体に障害を持った人たち、老人、幼児といった「弱者」がいることは承知の上だが、では引用した文脈における「弱者」の基準をいまどこに設けたらいいか。「弱者」のようでいて、ときとして「権力」にもなる存在として、人があるように思えてならない。それはいま、「労働者」「大衆」「市民」といった種類の言葉が曖昧、というより、むしろ無効であるのとよく似ている。ただ、先に書いた文脈(どのメディアになにをどう書いていったらいいか)に沿って考えれば、ミシェル・ド・セルトーが説く「戦術」は有効だと思え、「他者のルールによってなされるゲームの空間において、そのルールの裏をかこうとする試み」はそのこと自体がまたべつのゲームとして興味を引かれる。

■で、N君、M君と沖縄料理の店で食事。料理はおいしかった。話も面白かった。N君はちょっとどうかと思うほど沖縄に詳しい。沖縄に行こうという話になった。いいだろうな、沖縄。あと面白かったのは、いまは「新潮」の編集部にいるM君だが、以前は「フォーカス」にいて、そこで学んだことが大きかったという話だ。それまで新潮社にいるというだけである意味もてはやされることが多かったが、「フォーカス」の名刺を出すと、誰からもいい顔をされなかったという。それはいい経験だ。そのM君から単発の仕事の依頼。「モンティパイソン・スピークス!」の書評。「新潮」においてサブカルチャー系の本をとりあげるのは画期的だ。家に戻ったのは11時を過ぎていたと思うが古本屋に注文した本が届いていた。

『フォークナー全集』


『フォークナー全集』。全27巻。富山房書店。

■木曜日(21日)はほとんど家を出なかった。本を読んだり、コーネリアスのDVDを観たり、スタンリー・キューブリックのサントラを聴いていた。というのも、キューブリックのサントラは以前京都で買ったはずだがどこにも見あたらずあらためて買い直したからで、ないとなると、人は聴きたくなるものだ。
■キューブリックの『時計仕掛けのオレンジ』は中学生のときにリアルタイムで観た記憶があるが、いなかの映画館というのは昔から思いもかけない二本立てをやっていたりするもので、それが『イージー・ライダー』だったんじゃないかと思って調べると、『時計仕掛けのオレンジ』は71年に製作され、『イージー・ライダー』は69年だ。しかしどちらもリアルタイムで観ているはずだから、となるとこれはおかしい。『イージー・ライダー』は当時かなり話題になっていた。新聞で記事を読んで観に行った。サントラもすぐに買ったのではなかったか。探せば家のどこかにアナログがあるはずだが分類されていないアナログレコードの棚はもうなにがなんだかわからないのだった。
■新聞で読んだといえば、小学生のとき、当時大ヒットした『帰ってきたヨッパライ』を大島渚が映画化したのを新聞で知った。東京では公開されるだろうが、いなかの映画館に来るかどうかを心配している、という、いま考えるとよくわからない小学生だったわけだが、大都市圏でも一週間ほどで公開が中止され、いなかの映画館にはとうとう来なかった。そのときから「大島渚」という名前が気になっており、高校生のころキネマ旬報社から出た「世界の映画監督シリーズ」の「大島渚」の巻や、佐藤忠男の『大島渚の世界』を手に入れ繰り返し何度も読んだ。「世界の映画監督シリーズ」の「大島渚」の巻はすりきれるほど読み、なかでもそこに所収されていた大島の初期のシナリオ『青春の深き淵より』のシナリオの文体に刺激された。いなかには大島渚の過去の映画を観る環境などまったくなく、一本も観ていないのにもう半分は観た気がしていたのだし、本などに載せられたスティール写真から想像をふくらませるしかなかった。大学に入って東京に出てくると、「池袋文芸地下」や「銀座並木座」など、都内にあるいくつもの名画座をまわって何本か観ることができたが、それでも『帰ってきたヨッパライ』を観る機会にめぐまれず、かなり後年になってようやく閉館になる以前の「旧池袋文芸座」で観たのだった。
■と、昔話はこのへんで終わりにしよう。長くなってしょうがない。でもいまの人にかつて大島渚の存在そのものにあった「かっこよさ」は伝わらないだろうし、どうして僕がこんなにも大島渚に情熱をもつか不思議がられるのではないか。長くなる。それはまたいつか書く。

■金曜日(22日)。夜、
MacPowerの編集長をなさっているTさんに会う。連載の打ち合わせを兼ねた食事。東京オペラシティの52階にある天ぷらや。コンピュータ関連の話をいろいろして楽しかった。Macの雑誌もいろいろあるが、話を聞いて、たとえば、MacFanとはまた異なるコンセプトで作っているのだと知った。どちらかといえばMacPowerの編集方針に好感を持った。
■この雑誌ならではの原稿を書こうと思う。
■てなわけで、「一冊の本」(朝日新聞社)「Jノベル」(実業之日本社)「毎日新聞」(毎日新聞)「考える人」(新潮社)とこれまで続けていた連載に、「ユリイカ」(青土社)「週刊SPA!」(扶桑社)「
MacPower」と、連載が七本になった。大丈夫だろうか。

WindowsXPをインストールしているコンピュータの調子がすこぶる悪いというか、起動しなくなった。なにがだめかだいたいわかったので、修復しようと思うが機材のトラブルなので交換にまた金がかかる。いやになる。

(4:57 aug.23 2003)



Aug.18 mon.  「目が覚めたら夕方だった」

■小説を書く仕事はほんとうにたいへんな作業だというあたりまえのことをフォークナーを読みながら思い知らされるが、まあ、なにをするのもたいへんではあるものの、世の中では小説にしろ、舞台にしろ、簡単に書いたり作ってしまおうとする人がいて、いやしかし、それはそれでうらやましい「無自覚な暴力的表現意志」とも呼ぶべきふるまいだし、大江健三郎が(っていうか、それもやっぱりなにかの引用だった記憶もあるが)「見る前に跳べ」と書き、それが許される時期が人にはきっとあって許されるからそうしてしまうにちがいないとしても、でもやはり、表現することの耐えがたき困難さを自覚してから、いかに「書き」「作り」「描く」かといった、「うたがい」を持つことではじめてなにかできるのじゃないか。
■ところが、「うたがい」もなく、あるいは「無自覚な暴力的表現意志」がそうであることによってすぐれた方向にゆくのならまだしも、ただ「表現してしまった」ときの救いのなさは、無自覚であるぶん、より悲劇的で、しかし僕のように、「書かない」「書けない」よりはずっとましだとも思いもする。なぜなら彼らは「書けてしまう」からだ。うらやましいよな、それにしても。たとえそれが、大学時代の友人から送られてきた小説のようにめまいのする代物だったとしてもだ。
■フォークナーの『アブサロム、アブサロム!』のなかでひとつだけ、笑ってしまった箇所がある。ジュリーブとクェンティンという二人の青年が物語の主人公トーマス・サトペンと彼が捨てた妻とのあいだにできたボンという青年について語っているときのことだ。
 フランス人の砂糖農場主だったサトペンの最初の義父が、サトペンにスペイン人だといった女とのあいだにつくった(その女は、馬のしっぽみたいにこわい、白髪まじりの黒髪をもじゃもじゃにし、羊皮紙色の皮膚をし、なに一つ忘れないみたいなのでそこだけは年齢がわからない、執念深そうな、瞼のたるんだ黒い眼をした、痩せた野暮ったい女だった、とこれもまたジュリーブとクェンティンが勝手に想像したことだが、これもまた本当だっただろうが)その女との間につくった娘である、ハイチ生まれのボンの母親はすでにその話をしてしまったのでいう必要がなかったからなに一つ彼らには語らず、
 ふたりの勝手な想像ぶりはいったいなんだ。しかも「これもまた本当だっただろうが」ということになぜなるのかよくわからない。中上健次はフォークナーに影響されたとあるが、しかしどれだけ読んでいたか疑わしいという話を数日前の新聞で読んだのは、和歌山県の熊野で毎年開かれる中上健次に関するシンポジュウムの紹介で、しかし、中上が「読んだ」と口にすれば、あるいは「読んだ気になった」のなら、それはもうそれだけで、「読んだ」ことになるところにこそ、中上健次の中上健次らしさがあるのではないか。といったことを考えつつ、フォークナーを読んでいるとこれは「聞く人の小説」だということに気づかされるのだしその「聞く人(=クェンティン)」は「これもまたジュリーブとクェンティンが勝手に想像したことだが」とあるように「そうだと聞いた」と彼が口にすればそれはすでに「聞いた話(=事実)」になるのだろうと思えた。
 小説とはそのような営為ではなかっただろうか。
 亡くなられた後藤明生さんは生前、「小説を読んだから、小説を書く」といった意味のことをしばしば書いているが、「読むこと」によって、小説を書くことの「耐えがたき困難さ」を思い知らされる小説を書き残した作家としてのフォークナーがいて、それを乗り越えて「書いてしまった」、あるいは、「耐えがたき困難さ」を上まわる「暴力的な表現意志」を持った二人の、フォークナーに影響を受けた作家、中上健次とガルシア・マルケスがいて、二人の姿はまるで、『アブサロム、アブサロム!』で勝手な想像(=暴力的な表現意志)をする「クェンティン」と「ジュリーブ」だ。

■夕方から映画の試写会があったが、目が覚めたらその夕方だった。全国的に洗濯ものが乾かないと人を嘆かせる日々がつづく。やけに冷えた昨夜、風邪をひいた。いろいろメールをもらいその返事をまとめて書く。主に仕事。読みたいと思っていた本の書評の仕事がきた。あ、そういえば外に出ないとはいえ、先週は神保町と秋葉原に行ったのだった。そのことはまた次に書こう。

(0:25 aug.19 2003)



Aug.16 sat.  「からだのこと」 ver.2

■うちの大学の舞台芸術センターが出している演劇誌「舞台芸術」の最新号に桜井圭介君が寄稿しており、掲載前に読んでほしいとメールをもらった。もう二ヶ月ぐらい前の話になる。とても興味深く、あるいは現在のダンスシーンを知る上でためになったが、それを感想として言葉にするのがむつかしかったのだ。さらに、桜井君のメールには「村上隆問題」も書かれておりそれを取り上げて書こうと予告していながらあっというまの二ヶ月である。
■ダンスの、というより、僕の視点はどうしても「身体問題」になってしまうが、桜井君が対談形式で書いた「舞台芸術」の原稿は、つまるところ「身体の強度の現在性とはどこに存在するか」になるのではないかと感じ、たとえば「なにもしない」が、この国の演劇の文脈で一定の有効性を持ったのは歴史的な解釈の上での話であって、「あえてなにもしない」という観点から同論考のなかで桜井君も触れている柄本明という俳優の「滑舌の悪さ」は、果たしてそもそも、そうした俳優であったかは疑問で、あれは「意図された技術」としてそうしているのではないかと思うのは、論述としてはルール違反になるが、柄本さんが「身体訓練」において(たとえば猛烈に走る)鈴木忠志に劣らぬ「強度」を目指しているのを裏側で知っているからだし、新劇の正統なところから劇を出発させている事情もある。あるいは、かつて太田省吾さんが僕の舞台に出ていた山崎一について「ノバ」のCMでしか認識していないことでそうした種類の俳優が演じることに難色を示したのは、山崎君が早稲田小劇場(またしても鈴木忠志)出身であることを単に知らなかったからだ。それは現象だけを見て誰もが(たとえ太田さんでも)俳優を認識してしまうという、演劇の事情を示してそれもまた興味深く、その背景には、野田MAPをはじめとした多くの舞台にテレビを活躍の中心にしている俳優たちが出るといった、あるいは、それと同様の傾向が数多く見られることと共鳴しているのだと考えられ、微細な差異、かつて演劇に携わっていたか、そうでないか、など、よく見えないというこの国の演劇事情がある。
■だからなおさら、桜井君が提起する「身体の強度の現在性」はあらためて考えるに値するのだと思った。それも過去の演劇の「強度」とは異なる位置から論考しなくてはいけないのであって、たとえば、ニブロール、珍しいキノコ舞踊団に見られるところの「かわいらしさ」、あるいは、「子ども性」とも深く関わってくるのだし、マーケットのないこの国における過去からつづく「強度」への憧憬、あるいはヨーロッパ的伝統を背景にした「強度」に対するこの国からの精一杯の提起であると同時に、『
MATRIX 』について触れた「オタク」や「現代美術としてのフィギュア」を世界市場のなかで考えるか、それは果たして、ヨーロッパを中心にした「ダンス・マーケット」、あるいは、「ダンスの歴史性」と、どう向かい合うことができるかという問題になるとも考えられる。おそらく伝統的なバレーから進化したコンテンポラリーダンスは「オタク」など眼中にないだろう。同時にそれを発信しているこの国の多くの者、とくにダンスの関係者にとってもあれは「身体の問題とは無縁」だと考えているにちがいない。ダンスとはあまり縁がないが、僕もまた、そう感じている者の一人である。
■だが、『
MATRIX』を見ることで多少なりとも考えが変わったとすれば、いつかダンスもまた『MATRIX』を無視できない時期が来るに違いない予感がするからで、そのとき「伝統的ダンス」の崩壊がはじまると思いたいが、それほど、「伝統」は「やわ」ではない。市川猿之助が時代の潮流に乗って「新しい歌舞伎」を目指しながらも陳腐な舞台を作ってしまったことを視野に入れつつ、しかしあながち、『MATRIX』に有効性がないとも思えないのは、コンテンポラリーダンスが、「身体性」から少しずつ、「ヴィジュアルアート」へ、「テクノロジーアート」へ(フォーサイスの新作の噂はそれを例証する)時代の要請とも言える変容を示していることにも現れてはいないか。

■まあ、『
MATRIX』は極端な例だが、「仮想現実」というテクノロジー的な概念の導入は少なからず「身体の問題」へと浸透していると想像でき、それでもなお、桜井君が書くのは、「身体の強度の現在性」を保証し、担保となっているのはもっと生理的な、たとえば「痛み」であること、その痛みをたとえば「リストカット」の観念性と、「カラダをナイフで切れば血が出る」ことでようやくカラダを実感することにあるのだろう。
■私事ですが、『サーチエンジン・システムクラッシュ』という小説は、「生きているか死んでいるかわからない」という「身体の曖昧さ」、あるいは「浮遊するからだ」の現在性をテーマにしていたが、小説のラスト近くに暴力場面があり、そのことの意味についてインタビューされたときようやく気がついたのは、それを書いたのは「暴力による痛み」によってはじめて、「からだを実感することができた主人公」の新たな発見だと気がついた。たとえば、タンスのカドに足の小指をぶつけるのはかなり痛いが、そこには「対話性」がない。「暴力を受ける」という他者との関わりによってはじめて「痛みの実感」が生まれるとするなら、「身体の強度の現在性」を保証するのは、孤立した(あるいは引きこもり的な、曖昧な共感の共同体における閉鎖性)とは異なる他者との接触によって生まれることでようやく知るものだろう。「リストカット」には「対話性」も「他者性」も希薄だ。自己との対話しか存在しないとすれば、それだけでは、「からだの認識」はできない。
■だから、桜井君の原稿にあった「黒田育世の『Shoku 』。黒田が向かい合わせの女の子に延々と頭をはたかれてるシーンがあったけど、その黒田の抵抗することも出来ずに立ち尽くす身体の所在なさはちょっと恐かった。あれは、『きのう夢で知らない女の子に叩かれ続けました』的な作りになっていて、たたかれ続ける理由・根拠を欠いているんだよね。だから所在ない」は、所在ないどころか(とはいっても私は未見)、きわめて「身体の現在的な強度」ではなかったか。というか、「叩かれつつ所在ない」ところで内的に自己の身体を認識しているとでもいうか。
■つまるところ、では、「強度」と、「自己の身体の認識」に対する、「反応」や「応答」が問題になるのであり、なぐりかえせばよかったものを、なぜそれができなかったかについて私だったら考えたかも知れないのだし、所在なさとは、柄本明による「なにもしないからだ」、「意図した滑舌の悪さ」にも通じて、ある時点まではきわめて現在性(=有効性)をはらんでいた。暴力が「物理的なそれ」ばかりではないのは、「演劇における言葉」とも通じる。「他者性」をいかにとりもどし、自分のからだをあらためて発見するかという問いとして、桜井君の文章を僕は興味深く読んだ。『
MATRIX reloaded』のアクションシーンは退屈と書いたこともまた、それと響きあっているように思える。CGにおけるアクションは「他者性」が希薄だよね。なにしろ、本気でなぐりあってないよあれ。本気になれよ、敵を目の前にしたアクションを見せろよと私は言いたかったのだった。

(9:07 aug.17 2003)



Aug.14 thurs.  「ひどく冷える」

■何日か前にここで、『
MATRIX reloaded』のアクションシーンは退屈と書いたが、書き方が粗雑だったと反省した。これじゃ演劇に関してネットに「感想文らしきもの」を書くカラオケ大会の参加者と一緒になってしまうので補足しておかなければと思ったので書くわけだが、つまるところあれはなぜアニメではなく、限りなく実写に近づけたCG技法を使ったかだ。もちろんCGの技法を極限に近づけ進化させたことの意義はあるだろうが、その使い方としてアクションシーン、ことにカーチェイスで使うことに意味があっただろうか。それはCG技法にとってどれほどの意味があるかだ。あるいは、ぱっと思いついたところで書けば、キートンがすべて吹き替えもせずぎりぎりのところで自分のからだを使い死と隣り合わせの場所で撮影をしたことと対局の位置にあることの退屈さだ。
■バスター・キートンはおそらく人間がからだを使って可能なすべてのことができる希有な存在であった。たとえば、有名な「ビリヤード」のシーンがある。爆薬が仕掛けられた玉がまぎれそれがどれか観客にはわかっている。あの無表情さでビリヤードをするキートンはなにも知らぬまま玉を突く。玉がこんこんこんとあたって盤上を散るが見事に「爆薬が仕掛けられた玉」にだけは当たらないすごさ。そして玉の大半がポケットに落ち最後に二つの玉が残る。一つは爆薬の仕掛けれた玉。それに向かって玉を突くキートン。ところが打った球が、ぴょんとはねて、爆薬の仕掛けられた玉の上を通過しポケットに落ちるという神業。あるいはオートバイの曲乗り。風の中を30度ぐらいの角度で前のめりになって進んでゆくキートン。晩年のキートンを描いたドキュメンタリーに仲間とポーカーを楽しむ姿がある。何度もキートンは、「降りた」といって、数枚のカードの束を空中に放り投げるが、それを空中であらためてつかみなおし、「やっぱり降りるのはやめた」という。
■スラップスティックコメディーの衰退はこうした喜劇人がいなくなったことによる。吹き替えでスラップスティックを撮影することのつまらなさに誰もが気がついたのだ。むろん「アナログ」であることがいいとけっして言っているのではなく、技法のひとつとしてCGが映画を進化させることは否定しないし、むろんCGだから可能だった興味深い場面がなかったわけではない。ワイヤーアクションの面白さもある。けれど、アクションシーンにはアクションシーンとしての「思想」と「矜持」があってしかるべきだろう。アニメだったら説得力があったはずだ。実写であること(それに可能な限り近づけること)の意味がわからない。

■「
relux」という雑誌の取材を受けた。グラビアページで休日の姿を撮るという企画。「休日には仲間たちとヨットに乗る」とか、「プールで泳ぐ」「バードウォッチングをする」「ゴルフコースを回る」といった趣味があればいいが、休日と仕事の境界があいまいなので撮影するにふさわしい姿がないのだった。で、家で撮影などする。
■三坂からメールがあって、「丸山眞男」が「丸山眞夫」になっていると指摘された。訂正。あるいは、以前ビデオを送ってくれたH君からDVD情報のメールをもらい、ノーマン・マクラレンの作品集と、この夏に出る予定のケミカルブラザーズやスパイク・ジョーンズ、ミシェル・ゴンドリー、クリス・カニンガムの作品集もおすすめとのこと。どちらも興味深い。いろいろ教えてくれる人がいてほんとうにありがたい話だ。
■で、三坂から、糸圭秀実(=スガヒデミ)の『革命的な、あまりに革命的な』について書かれた三ツ野陽介の「革命は続いているか」という文章を教えてもらった。面白かったが、文中、ネグリらが書いた『<帝国>』について糸圭秀実(=スガヒデミ)さんが「冗談」としても読めると書いているとあったのと同様、『革命的な、あまりに革命的な』もまた「六八革命の最大の実践」としての「冗談」であるという視点が抜け落ちていると思った。あるいは「敵がいない」という認識もまた「敵がいないという認識に馴致させられたコードそのものが敵である」というコードに対する闘争の認識が欠如してはいないか。なにしろ『<帝国>』の、「それはいたるところに存在すると同時に、どこにも存在しないのである。つまり<帝国>とはどこにもない場所なのであり、あるいはもっと正確にいえば非−場なのである」っていうのは「何も言っていない」のと同様でそれをわざわざ引く意味がわからない。あるいはある小説の引用。「悪」を倒すために爆弾を作る山崎に対してべつの登場人物がなぜ爆弾を作るか、その標的について質問する。
「悪者です。悪者を、この革命爆弾でやっつけてやります」
「なるほど。……して、悪者とは?」
「……たとえば政治家とか?」
「お前、今の総理大臣の名前、知ってるか?」
「………」
 山崎は押し黙り、作業を再開した。
 爆弾を作る山崎が押し黙ったのは、単に「ばか」だからだ。
 まもなく、黒色火薬の製作と鉄パイプの密閉が完了した。アナログ時計を用いた発火装置も完成した。あとはその発火装置を取り付けるだけで、いつでも爆発させられる。
「やった、完成だ! 僕は闘士だ! 革命家だ!」
 山崎は、はしゃいでいた。
「吹っ飛びますよ! 悪者は皆殺しです!」
 はしゃいでいたが、醒めてもいた。
「……あーあー、楽しかった」と言った。
 結局その爆弾は、悪者を吹き飛ばすことはなかった。そもそも俺たちは、悪者の居場所を知らない。
 悪者の居場所を知らない「俺たち」も、やっぱり「ばか」である。単なる「ばか」だ。「ばか」は「敵」が具体物としてあると錯覚する。「(よく見えない)コード」との闘争。だからいまもなお、「文学」は存在している。

■さらに、『革命的な、あまりに革命的な』で検索をかけてこのページにたどりついたというHさんという未知の方、しかも僕のことなどまったく知らないだろう方からメールをもらった。「新宿騒乱事件」は六八年の11月と僕は書いたが、10月だとの指摘。そのとおりであった。あとHさんへの返信はここに書きにくいひどく政治的な内容なので個人的にメールすることにした。東京はひどく冷える。異常気象もいまや凡庸なできごと。

(6:45 aug.15 2003)



Aug.13 wed.  「死んだ気になって」

■人間、死んだ気になればなんでもできるものである。
■ユリイカの連載「チェーホフを読む」。堂々の25枚。一日で書きあげた。夜の10時までにメールで送ればゲラが出るとのことだったが、夕方には書き終えていたものの、もう原稿に集中するのに疲れ、頭がぼーっとしていたので推敲は少し休憩してからにすることにした。夕方、予約してあった青山の髪を切る店でまた坊主頭にしてもらった。原稿を書いているときも高校野球をちらちら。コネーリアスのDVDを見ていたりもしたが、死んだ気になれば人はなんでもできるのだとあらためて知ったのだった。
■今回、ほとんど
iBookで書いたのも珍しく、というのも、テキスト専用と決めていたWindowsXPがインストールされたマシンが仕事場にあり、しかし仕事場は禁煙と決めているからで、どうも足が向かず、ついエアコンのよくきいた居間でタバコを吸いながら書いていたのだった。書きましたね、25枚。夜11時頃FAXでゲラをおくっていただいたあと深夜に、ユリイカ編集部のというか、青土社のYさんからメールで感想を送っていただき、おおむね好評だったものの、ゲラを確認すると「てにをは」や「文脈」などのミスがおおくて赤面。あせっていたんだ。俺は死にものぐるいだったんだ。

■というわけでひとまず充実感。正直なところ書けるとは思っていなかった。さらに、毎月この「死んだ気になる日」がやってくるのかと思うと気が遠くなる。ほかにも、「
Mac Power」「SPA!」の映画評、ことによったら新潮社の「波」で連載を書かせてもらえる可能性があるのであって、連載が月7本になるという非常事態になってきた。でもまあ、ユリイカの25枚を一日で書いたことを思えばもう怖いものなどなにもないのだ。「死んだ気になれば」という条件があるが。
■というわけで、ほとんど家にいたが、坊主頭にしてもらうために青山には行った。疲れた頭にシャンプーをしてもらうとこの上なく気持ちがよかった。でもってさらに俺はこのノートを書いているという。どこまでも書くことが好きとしかいいようがない。好きなんだよ、俺は、書くことが。
■『ソーホーのマルクス』がペリカン便で届く。舞台上に現れたマルクスの第一声がすごい。
「すばらしいぞ、聴衆が来ていてくれるじゃないか!」
 で、社会性、政治性の高い作品だが各所に「笑い」が仕込まれ訳者の「解説」によると観客は合計83カ所で笑っていたという。数えている人も数えている人だが、笑う環境にはなにか理由があるか、さらに戯曲を読もう。

■「チェーホフを読む」のゲラに目を通してからしばらく放心。それでも本を読むことにした。このノートも。あと、「会いませんか」という編集者からの誘いがたくさんあってとてもうれしい。コーネリアスのDVDなど感想はまたいつか。いまはまだ放心状態である。

(4:06 aug.14 2003)



Aug.12 tue.  「テキスト・リーディングワークショップ」

■いまユリイカではじまる連載「チェーホフを読む」の原稿を書くので死ぬ思いをしているわけだが、「テキスト・リーディングワークショップ」について問い合わせをいくつかメールでもらい、ほかにも情報が知りたい人がいるのではないかと思ってそれだけは書いておこう。「テキスト・リーディングワークショップ」とは次のような勉強会である。
 戯曲を読もう。戯曲とはすなわち演劇を上演するための台本のことだが、これは「テキスト=戯曲」をただただ読むワークショップである。一人で読むのももちろんいいが、人と一緒に声を出し、その声を聞くこと、戯曲をたっぷり味わうことで、演劇世界をもっと多様に理解することが可能だ。あるいはあまり手にする機会のない戯曲(ジャン・ジュネ『屏風』、アルフレッド・ジャリ『ユビュ王』、ペーター・ヴァイス『マラーの迫害と暗殺』)や名前は知っているが読んだことのない戯曲(ギリシア悲劇『オイディプス王』、近松門左衛門『曽根崎心中』)、もちろん西洋ばかりではなく日本にだって上演される機会の少ない古典作品がまだ無数に存在する。太宰治だって戯曲を書いている。三島由紀夫はどうだ。あるいはよく知られたいまの劇作家の作品(たとえば野田秀樹)も自分で声に出して読めばまた読み方にもきっと変化がある。シェークスピア、ブレヒト、チェーホフ、ベケット、ハイナ・ミュラー、岸田國士、田中千禾夫、別役実、太田省吾、唐十郎、佐藤信、岩松了……と数え上げていったらきりがないが、声を出して読み、そこになにが書かれているか理解し、議論し、誤読し、勝手な解釈をし、テキストを存分に味わうのが「テキスト・リーディングワークショップ」だ。俳優志望者ばかりではなく、演劇に少しでも興味のある人、言葉に興味のある人たちに多数参加してもらいたい。入口までは案内した。ドアを開けるのはきみの仕事だ。
 最後の一行は、『
MATRIX』のせりふでした。詳細はENBUゼミのサイトに八月の後半から告知されるはずだからそちらを参照していただきたいものの、PAPERSのトップページも更新して情報を載せようと思いつつ、いま、そんなことができるわけがないじゃないか。あしたまでに「チェーホフを読む」を25枚だ。ほんとうに書けるのだろうか。

(3:54 aug.13 2003)



Aug.11 mon.  「書くに値する映画としてのマトリックス」

■私事で恐縮ですが、二年ほど前『草の上のキューブ』というハッカー小説を書いた。言い訳めいたことを珍しく書かせてもらえれば、「中上健次的な風土のなかにハッカーがごくふつうに生活している」というアイデアはもう10数年ほど前に思いついており、たしか電話でいとうせいこう君に話したことがあったものの、「ハッキング」を勉強するのに10年くらいかかってしまったのだった。
■で、映画『
MATRIX』は公開当時、世間がやたら話題にしているので決して観るまいと決めていた。やはり10年以上前の『ブレードランナー』以来、これといって刺激されるSF映画がなかったという事情もある。あと、クローネンバーグの『スキャナーズ』とか。古いねどうも。そしてこのあいだ書いたとおりビデオで『MATRIX』を観、あ、これを観てから『草の上のキューブ』は書くべきだったと正直思った。なんだよ、こんな映画がもう作られていたのか、先を越されたと思ったのだった。
■で、きょう最新作にあたる『
MATRIX reloaded』を観た。話題のアクションシーンはものすごく退屈。書くに値する映画としての『MATRIX』は全体を覆い尽くす世界観にある。よく書かれたり発言されているように、ここにあるのは要するに見事と言うべき「オタクぶり」なのだが、それと同時に雑多な宗教観、政治観、メディア観、テクノロジー観、そしてハッカー文化が、リミックスされていることによって、現在性ともいうべき精神世界が仮構されていることだ。つまりはさらに新たな「ニューエイジ」がここに出現しておりそれは「オウム」をも凌駕していることの驚きだ。
■そして、それを補完し、担保となっている「オタク」という存在がある。

■物語の骨格はエンターテイメントの王道であり、陳腐と言ってもいい構造と「カタストロフ」「ラブ」にあふれているし、「救世主」というキリスト教的概念やグノーシス主義やら、仏教的思想がないまぜになって語られると、途中、禅問答の真似なのかと思われる場面など西洋人の東洋趣味かよ、なんて陳腐なせりふだこりゃと思いこそすれ、「現実」を逆手に取った「疑似現実」にするアイデアには興味を引かれ、「疑似現実」の側、つまり映像的には「現実的な日常」に侵入するのは「ハッカー」と言っていいか、「クラッカー」と言っていいか、それらを含みこんだ世界像のイメージを一変させる。なかでも興味深かったのは、『
MATRIX reloaded』に現れる「バックドア」だ。「バックドア」と称される「裏口」とも呼ぶべき場所は「ハッカーする側」にもその位置が明確に把握できないことによって、「ここではないどこかべつの曖昧な空間」として存在し、そこに位置することによって「自己の存在」そのものが危ういものになるのだとしたら、それは「生きているか死んでいるかわからないありよう」だ。ハッカー用語である「バックドア」の映像的な処理はいくつも扉のある無機的にデザインされた廊下で、これは『草の上のキューブ』で僕が書いたコンピュータの内部によく似ている。
■これで音楽が「テクノ」や「アシッド」「トランス」だとしたら現在性としての新しい精神世界は完璧に体現されたことになり、だって「ザイオン」における人々のダンスはあれあきらかに「レイブ」だろう。そこには陶酔感があり、祭儀性があり、底辺に流れる思想は「祝祭的享楽としての革命」のイメージだ。イメージを補完するものとしての「秘儀性」が存在することで「ザイオン」は形成されあきらかにそれは「ニューエイジ」のものだ。たしかに『
MATRIX』は、日本のアニメに影響された「オタク的」なる映画だろうが、また逆に言えば、「オタク」の心性にあるのは、意識的か、無意識か、なによりも「精神世界」への親和性であることを『MATRIX』が示してより興味深かった。つまり雑誌「ムー」的な世界。どこかにいあるであろう、仲間たち、救世主と呼ばれる者に出会うという物語は、「ムー」の投稿欄だし、「ネオ」といった仮の名前はネットにおけるハンドルと同様、「ムー」の出会いの手続きを思わせる。
■くりかえすようだが「アクションシーン」は退屈である。『
MATRIX reloaded』のカーチェイスなんか笑えることは笑えるが退屈このうえない。あるいは、「プログラム」について、「不正なプログラム」について語る「予言者」、「ソース」のありかを求めるキアヌ・リーブスら、それを導く「キーマン」、「バックドア」の存在など、これ、コンピュータというか、ハッキング、クラッキングの知識がない者はどう理解したのか奇妙でならない。あと「風の谷のナウシカ」的な影響があるのではと思ったのは、「予言者」によって示される「救世主」の出現によって人類が救われるビジョンはほぼ同じだということなわけだけれど、ではディックの影響はあったか、ウィリアム・ギブスンの影響はあったかとなると少々うたがわしい。
■といろいろ書いてきたが、いや、まだ書くべきことはあるが長くなるのでまたにする。かなり刺激的だったと正直に書こう。だってこれだけ映画について「テクスト解釈的」な興味をひかれたのは久しぶりだったのだから。

■昼間、神奈川の芸術文化財団の主催する「戯曲賞」の選考(11月)に関する打ち合わせがある。選考委員で黒テントの加藤直さんとお会いして話を聞かせていただく。戯曲を読もう。10月から「テキスト・リーディングワークショップ」もはじまるし、今年の後半はとことん戯曲を読むのだった。
■あと、「
MacPower」という雑誌から連載の依頼。Macについて書くのは面白そうだ。それと驚いたのは注文したばかりなのに、「amazon」からコーネリアスのDVDが届いた。早いな。
■久しぶりに新宿の町を歩いた。気持ちのいいくらいの夏だった。帰り、西新宿を家まで歩こうとしたら100円で乗れる「西新宿循環バス」というのがあったのでそれに乗って家まで戻る。新宿プリンスホテル、都庁、パークハイアットなど、いろいろ見ることができて楽しいバスだった。

(4:10 aug.12 2003)



Aug.10 sun.  「不可能を自覚すること自体が禁煙なんだ」

■毎月送っていただいている「早稲田文学」の最新号で二人の作家、奥泉光さんと、いとうせいこう君による「小説的グルーブ」と題された早稲田での講演の記録が載せられており、これがすこぶる面白い。まず、奥泉さんの発言からはじまる。
 こんにちは、奥泉です。今日は第一部がぼくの講演、第二部がいとうさんとの対談という具合にプログラムが組まれていますが……すでに壇上にいとうさんがいるわけでして。非常に妙な感じがします(笑)。
 さて、今日は「小説的グルーブ」というタイトルで、いわゆる文学に関わっていろいろ話をしようと思うわけですが、そもそも「文学的である」というのはどういうことなのか。むろんいろんな定義や考え方があるんでしょうけれど、「対話的」であること、「対話的」に他者とかかわるということが、「文学的である」ことの根本的な定義だとぼくは思うわけなんですね。
 そうしますと、こうやって一方的に高いところから喋る事態というのは、きわめて「非文学的」な感じがする。「書く」という営みは、書きながら読むわけで、いわば自己のなかに分裂をもちこんで、対談していく。「読む」という行為も同じです。「書く」「読む」ことのうちには「対話性」の孕まれる契機がある。しかし「語る」のは違うんですよね。応答がない場所で一方的に語ることは、ほとんど「対話的」ではない。「語る」営み事態が、有り体に言って文学的じゃないと思うわけです。と、そういう次第で、第一部は終了です。
 それで、いとう君が答える。
「早いなあ!」
 これには参りました。さらに「禁煙」に関する柄谷行人さんの話になる。奥泉さんが禁煙をはじめて二ヶ月になったときそのことを柄谷さんに話した。柄谷さんは「その二ヶ月間キミは小説を書いたのか」と言った。それで奥泉さんが「書いてます」と答えたところ柄谷さんはさらに言ったという。
「それはいい小説なのか!」
 で、さらに半年後に会ってまだ禁煙していることを話し「依然として吸いたいんですよね」と言うと、柄谷さんは「きみは一生その苦しみから逃れられないんだ」と答えそしてさらに言い放った。
「そうだ。禁煙は不可能なんだ。その不可能を自覚すること自体が禁煙なんだ」
 いとう君も言っているが、わけがわからない。この対談は面白い。すぐさま書店に行って「早稲田文学」を買おう。「言語のコード」、その「コード」をどう壊すか。しかしそれが目的ではなく「コードを壊す方法」こそが問題でありそれが「政治」であるといった話などとてもためになる。

■むかし東中野に住んでいたころよく行った「蘭燈園」というラーメン店があった。そこの「チャーシューネギそば」がすごく美味しかったのでまた食べたかったのだが山手通り東中野周辺が拡張工事をしいまでは店のおもかげもない。つぶれてしまったか、どこかに移転したか想像していたがネットで検索してみればなにかわかるのじゃないかとふと思ったら、願ってもない検索結果が出てきた。さらにここに店を紹介するページも。しかし福島はなあ。
■小説など読んで過ごす一日。一歩も外に出なかった。小説を少し書く。よくメールをくれるS君はもう『28』が完成しているとかんちがいしているようだが、まだなのであった。こつこつ書こう。こつこつ書き進める。なにごとも「こつこつ」が大事なのだな。

(5:16 aug.11 2003)



Aug.9 sat.  「その後のサブライム」

■きのう書いた、「サプライズ」と「サブライム」についてフランスに留学しフランス演劇を研究しているY君からメールをもらった。とてもためになる示唆だ。少し長い引用になる。
 サブライム(sublime)とサプライズ(surprise)についてですが、なるほど、と思って語源を調べてみたら、全然違いました。sublimeはラテン語のsublimisが語源で、これは空高くにある、巨大な、というような意味です。一方surpriseの方はラテン語起源ではなくて、16世紀頃にできたフランス語の造語でした。
 サブライム/崇高については、ぼくもそれほど詳しいわけではありませんが、 基本的な参照項として、カントの『判断力批判』の中に「崇高の分析論」(第一部第二章)というのがあります。ここで取り上げられているのは、主に「でっかい自然」です。これはやがてルソーの思想とともにロマン派に引き継がれて、風景画などのような自然を主題とする芸術作品が確立する契機になりました。たとえばロマン派のユゴーはドラマという概念を定義するのに「グロテスクと崇高」の併存、という表現を使っています。
 美学の領域では崇高というのは近頃けっこう重要なトピックになっているようですが、確かに日本でそれほど批評用語として一般的に確立しているわけではない気はしますね。そもそも日本で「人間の力を超えた恐ろしい自然」というのが主題になった芸術作品というのはあまりないような気もします。
 「「サプライズ」にはそうさせる者の「意図」を感じ、「サブライム」には「意図」はなく、むしろ結果としてそれが発生するのではないか、あるいは受け取る側に主体があると考えられる」というのは全くその通りで、そもそもsurpriseという言葉はsurprendre「突然捕まえる」という動詞からできた言葉なので、「捕まえる」側の主体がはっきりと措定されているのに対して、崇高の方には人間の想像の範囲に収まるような意図があるわけではないからこそ驚き恐れるわけです。
 では「人間の想像の範囲に収まらないもの」を人間がどうやって表現しうるのか、というのが芸術論の袋小路なのですが。そこでカント以来いろいろに語られてきた「天才」という概念がでてくるわけです。
 とてもわかりやすい解説でうれしかったがとりわけサプライズなのは、「サプライズ」が「16世紀頃にできたフランス語の造語」だという部分だ。そもそも英語じゃないわけか。それが流布して英語にも使われたということだろうか。
 さらなるサプライズは数日前に僕の引用のまちがいを指摘してくれた東大の史料編纂室のMさんは、このY君の高校以来の親友だということで、世の中は狭いっていうかなんというか。いろいろな人からのメールで様々なことを教えられる。ありがたい。

■数年前に話題になったが公開当時あまり世間がさわぐのであえて観るのを避けていたアメリカ映画をビデオで観る。陳腐なせりふにおどろく。けれど詳細な分析をしたい気持ちにさせる現在性を感じもさせそれは話題になった撮影技法や映像手法というよりもっと異なるテクスト解釈的なもので、僕がそうして映画に関心を抱くのもめずらしい。長くなるのでまたにする。
■ブレヒトやミュラーの戯曲を翻訳している岩淵達治さんが演出した朗読劇が一年ほど前にあったのをネットで知った。ハワード・ジンによる『ソーホーのマルクス』という作品。岩淵さんが翻訳の監修ばかりか演出もしさらに朗読もしていたのだった。見たかったな。で、戯曲を手に入れようと思ったが発行している出版社が某書房だと知って少し悩む(なぜ悩むかについてはわかる人だけわかればよろしい)。まあ、買うことにしよう。
■東京では台風の影響はあまりなかった。

■郵便ポストに投げ入れの広告があり「日田天領水」というものの販売である。なにかよくわからない。ひとまずからだにいいらしいが、どうも怪しいのは、「怪文書」に近い文体だからだ。大分県日田市のサイトを調べても「日田天領水」については一切語られていないのも奇妙で、最近はやりの健康テレビ番組ではよく取り上げられているようだが、ああいいったものはどうもねえ。広告を読む。
10日(日曜日)16時55分・日本テレビロンブー龍で紹介、笑点の前です。
 という書き出しがそもそもおかしい。いきなりこう書いてあるのだ。その他文法的におかしい文章がさらに続く。しかしこんなふうに人はなかなか文章を書けない。これはこれで文法を破壊する新しい文体かという印象。

(3:46 aug.10 2003)



Aug.8 fri.  「サブライム」

■小説をほんの少し書く。『28』。新潮社のN君からメールがあってこんど会おうという話になっており、雑誌「新潮」のM君も来るからそれまでに渡せたら、というか、ばーんと渡してびっくりさせたい。人はなぜ「(いい意味で)びっくりさせること」に快感をもつのだろう。演劇の大半もすきあらばびっくりさせようとしてはいないか。僕もその傾向はあるが、観客もまた「びっくりさせられること」を期待しているふしがあり、エンターテイメントにしろ、芸術にしろ同様で、言葉として「びっくり」は様々に言い換えられ、しかしつまるところ「びっくり」なのであって、寺山修司の「実験」はもう「びっくり」の連続である。エンターテイメントの「趣向」もまた同様。
■「びっくり問題研究会」というのを作ってそこらあたりを検討したい気分になるが、英語で「サプライズ」になるだろうそれは、しかし以前トーマス・ピンチョンという作家について書かれた文章にあった「サブライム」についての検討にもなる。
「<サブライム>という美学上の概念はデリダ、クリスティヴァ、リオタールなどがよく使うにもかかわらず、意外に日本の批評家ないし文学理論家が取り上げていないのではないだろうか」「<サブライム>とは、限りなく大きなもの、強力なもの、底知れぬもの、驚異の念を起こさせるもの、未知なるもの、不確定なものに対して人間が抱く気持ち(驚き、怖れ、敬虔の情など)であり、また、それをどのようにして言語化するか(言語に絶して沈黙するしかない場合も含めて)の文体上の特質をあらわす概念である」
 というのが、翻訳家の志村正雄氏の解説だが、「サプライズ」か「サブライム」か。しかもこの二つの言葉は音がよく似ており「ラテン語の○○が語源で」とかいった話になったとき、なにかから派生した言葉ではといったことを想像させるが(専門家ではないのでよく知らない)、だからなんだとはいうものの、「びっくり」にもおそらくこのふたつがあると考えることができるのだった。そして「サプライズ」にはそうさせる者の「意図」を感じ、「サブライム」には「意図」はなく、むしろ結果としてそれが発生するのではないか、あるいは受け取る側に主体があると考えられる。
 きのう「笑いを作る意志が希薄」と書いたがおそらく「サプライズ」の意志より、いかにしたら「サブライム」を生み出すことができるかに僕のもの作りの志向が変容しているからだ。とはいえ、「モンティ・パイソン」には「サプライズ」と同時に、「サブライム」もあったと思う。そして調べると「モンティ・パイソン・フライングサーカス」のテレビシリーズがはじまったのは一九六九年だがあれもまた「六八革命」の産物ではないか。
 あと、全然、関係ないが、以前文學界のOさんから送っていただいた『チェーホフ全集』にぱらぱら目を通すと「手帖」というやつがかなり面白い。公開を前提としていないそれは思いついたことをメモしておくための文字通り「手帖」だが唐突に「小さな、きらきら光る眼をした老人」とかある。ほかに思いついたのだろう戯曲のせりふが書かれていたりと、チェーホフの創作の方法がつまっていて興味深い。笑ったのは次の一節。
イワンにはソフィアが気に入らない、リンゴ臭いから。
 なんだか全然、わからない。というか、チェーホフについて私は無知である。「われわれより愚昧で汚穢なもの、それが民衆である。(ところがわれわれは民衆である)」とチェーホフが「手帖」に書いている。

■ゴダールの『映画史』のDVDを買う。全八章・五枚組。四時間二八分。総合監修・浅田彰。DVD版にはメディアの特性を生かした「映画史事典」付き。手にして幸福な気分になる。きょうはスイカも食べて幸福な気分はよりましたが外は台風の影響で雨と風。土曜日はもっとひどくなるだろう。

(8:15 aug.9 2003)



Aug.7 thurs.  「うつろな日」

■以前まで住んでいた豪徳寺で食事をしたあと、古本屋をのぞくと数年前に出した本『スチャダラ2010』が百円均一の棚にあった。いやな気分になって、するとあの舞台をやったことそのものがいやな記憶になってくる。
■その直後、ある方と会って舞台の企画について話をしたが、その方の希望は「笑い」である。それを求められるのは僕の経歴からいって当然だし、声をかけてもらったのはとてもうれしいが、豪徳寺の古本屋のことがあった直後なのでまったく気乗りしなくなっていた。「笑い」は好きだが「笑い」を作る情熱というものがいまの僕には希薄である。その方の話を聞きながらもうつろである。申し訳ないと思いつつただただ、うつろだった。
■豪徳寺の二軒ある古本屋で演劇の本などを数冊買う。
■ところがどうにも「うつろ」が尾を引いてしまい、家に戻ってもうつろになっている。きのうまでの旺盛な読書力ががくっとさがる。これはいけない。こういうときはただ眠るに限る。眠ってしまえばたいていのことは忘れるものなのだ。きのう書いた『モンティ・パイソン・スピークス!』(イースト・プレス)で語られているエピソードに印象深いものがあった。フォークランド紛争のとき英軍の駆逐艦シェフィールドがミサイルによって撃沈され、救助を待つ乗組員たちがモンティ・パイソンの映画『ライフ・オブ・ブライアン』のエンディング曲「オールウェイズ・ルック・オン・ザ・ブライト・サイド・オブ・ライフ」(ナイキのCMに使われた歌)を歌ったという。そのあとに語り出すマイケル・ペイリンの発言がすごくいい。愛国的な歌ではなく、「オールウェイズ・ルック・オン・ザ・ブライト・サイド・オブ・ライフ」を歌ったところにこの話の意義がある。あした引用しよう。というか、ぜひ本書にあたっていただきたい。

(4:00 aug.8 2003)



Aug.6 wed.  「八・一五革命伝説」

■Mさんという未知の方からメールをいただいた。東大の史料編纂所で働いている方だという。さすがに「史料編纂」を仕事にしているだけに僕の引用のまちがいをきちっと指摘してくださった。
 7月29日・31日付のノートの、スガ秀美氏の著作に触れてお書きになっている部分も大変面白く読んだのですが、引用されておられますスガ秀美氏の著書の、「世界革命」 の部分、ウォーラーステインもスガ氏の著書も確認していないのですが、『共産党宣言』云々からして、一八八四年ではなく、一八四八年ではないでしょうか。
 原文を確認したらその通りだった。指摘していただきうれしかった。すっかり色あせ本棚の奥にあった『共産党宣言』をたしかめてもその通りで、たまたま手にしていた岩波新書の梅本克己『唯物史観と現代』(高校の時に読んでいた)の冒頭にも「マルクス死後、世界史の上に転換が現れるごとに、マルクス主義は崩壊したといわれ、それと一緒に唯物史観の崩壊ということも何度となくいわれてきた。その度ごとにマルクスの予測は外れたとくりかえされてきたわけだが、実際のところ、外れたという点だけからいえば、マルクスの予測は一八四八年の『共産党宣言』以来外れっぱなしである」とあって、あきらかに僕の引用のまちがいだ。Mさんは書いていらっしゃる。「どうでもよいことは承知の上ですが、なにぶん史料を校訂するのが仕事なので、どうしても気になってしまいました」。いや、どうでもいいことではけっしてない。ありがとうございました。
 それにしても誰が読んでいるかわからないなあ、こうなると。浮ついた気持ちで引用はできないのであった。
 ところで、この翻訳『共産党宣言』のそもそもの「共産党」という概念だがあるネットで読んだ論文によれば丸山眞男の言葉を引用して「党」そのものが、明治以降の公民権運動のなかで「発見」された言葉だとあった。『共産党宣言』の「党」も、そのまま適用するのはいまになってみれば再考するべきであり、数年前、『共産主義者宣言』として新訳が出たのは記憶に新しい。
 さらに丸山眞男のことで書けば、松本健一著『丸山眞男 八・一五革命伝説』(河出書房新社)をいま途中まで読んでいるところだ。全共闘世代にあたる著者による「戦後民主主義者・丸山眞男」に対する批判的な「再読」(というか、松本健一は丸山の教え子であると同時にたびたび批評もしてきた)の側面を持った本書は、丸山が一九四五年八月一五日(つまり日本が米軍を中心とする連合軍に敗戦した日)をいかにして「八・一五革命」「無血革命」と認識したか、あるいは丸山による「新憲法」の最大の着目点、その新しさを「戦争廃棄、軍備力廃棄の第九条」ではなく、「国民主権」という側面から見ていたことを裏付けてゆくのは興味深い。

■では、私の父の「八・一五革命伝説」のことも書いておかなければいけないのではないか。というか、書いておきたい。
■当時、東京のある工場に勤務していた父はその日、工場の上層部から「きょう、天皇陛下によるとても重要なラジオ放送があるので、全員、広場に集まって聞くように」と命令された。それを聞いた父は「くだらねえ」と思ったという。この無自覚なアナーキストは「天皇」になんの感慨も抱いていないばかりか形だけでも聞いているふりをすればいいものを(そういう者もきっといたにきまっている)、はなから無視する。「どうせ、あれだろ、また、もっとがんばって働いてくださいとかそういう話だろ、くだらない、負けるよ、勝つわけないじゃないか、こんな戦争」と考え、命令に背いて放送のある時間、押入のなかに隠れて眠っていた。
■目が覚めて押入から出てくると、女たちが泣いている。女ばかりではなく、いい大人まで泣いているのがおかしいと質問したら「日本が戦争に負けたと天皇陛下がラジオで仰った」という。そこへ工場の上級生と呼ばれる者がやってきて父に、「貴様、なにをしてたんだ、押入で寝ているとはなにごとだ」と言っていきなり殴りかかってきた。殴られた父はすぐさま反撃し上級生を殴ると、「戦争は終わったんだ、上級生も、下級生もあるもんか」とさらに殴りかかったという。これが私の父の「八・一五革命」だ。そういう父だからこそ、六〇年代末の「六八革命」のころなど「ならずものの革命」「祝祭的享楽としての革命」をどうも共感を持って見ていたふしがあるものの、話を聞いたことはないが、一九六〇年の安保闘争はそれに反対する知識人・学生らと無縁な位置にあった父は遠い出来事としてまったく無関心に見ていたのではないか。ここに吉本隆明的な書き方をすれば「大衆の原像」がある。父による「八・一五革命」から五十八年目の夏。
■政治的問題としての靖国参拝などに父はまったく興味がないだろう。「くだらねえ」ときっと言うに決まっている。

■夕方、なぜか小田急線沿線の町、経堂にゆく。古本屋を物色。興味ある本、ほしかった本が何冊かあったので買う。あと編集者のE君から『モンティ・パイソン・スピークス!』という本を贈っていただいた。すごく面白い。

(5:55 aug.7 2003)



Aug.5 tue.  「考える時間がようやく持てる日々」

■未来社から出ているブレヒトの戯曲集を第三巻までまとめて買う。残りはまたいつかにしよう(全部で八巻。さらに別巻)。さらに、『ハンガリー事件と日本』(小島亮・現代思潮社)を買って少し読んでいたらこれはどこかで読んだことがあるという既視感に襲われたのだが本棚を探ったら同名の中公新書『ハンガリー事件と日本』があって著者も同じ方であった。中公新書版は一九八七年に出ており、現代思潮社版は今年の四月に発行されている。よく見れば帯に「待望の復刊!」とあった。同じ本だよ。現代思潮社版はハードカバーになっている。既視感ではなく、単にかつて読んだことがあったというだけの話。
■当時、日本戦後思想史好きとして面白く読んだが、同時に、いまこの時期(一九八七年)に「ハンガリー事件」(一九五六年、ハンガリーのプタペストで起った反政府暴動にソ連軍が武力で介入し、ハンガリー人民をソ連の戦車が蹂躙し銃を向けた流血事件)とそこから発生した一連の思想の歴史的動向を論じることに多少奇異な感じと共感がないまぜになった感想を中公新書発行のころ持ったのを記憶している。しかも著者は僕と同年齢。若いのになあという印象を抱いた。ということもあって読後、手紙を書こうと思ったほど。あと、一九五六年という時間の刻印が大事で、なにしろそれは僕が生まれた年なのだ。
■現代思潮社版の「新版あとがき――『長い六〇年代へ』」の一部に、糸圭秀実(=スガヒデミ)さんの『革命的な、あまりに革命的な』に通じるものを感じた。
 本書は、一九五〇年代半ばに始まる思想的変動を分析したものであったが、ポスト・モダニストが嘲笑を武器にして登場し、日本の支配的思潮の一角に食い込んだのは一九七〇年代半ばであったと言えるだろうが、もし然りなら、この二〇年間ほどを「長い六〇年代」として対象化し、知識史的な概念化ができるような気がする。そして、日本版ポスト・モダニズムの起源は、一九六〇年代の末期、とりわけ学園紛争の時期に求められるなら、この時代の思想史的な徹底究明こそ現前の思想状況を再検討する直接的な場所になるように考えられる。まったく偶然にも「ハンガリー事件」に続いて世界を震撼させた「チェコ事件」(六八年・引用者註)が勃発した時期に他ならず、私の学的出発は、この「長い六〇年代」の終わり方を決定した六〇年代末の日本の思想を考え直す作業から始めることになるだろう。
 それは早く読みたい。著者が「ポスト・モダニスト」として具体的に誰の思想をさしているのかわからないが、「六八革命」と「ポスト・モダニズム」は地続きという印象を僕は抱き、だとしたら、源流である「全共闘運動」、あるいは世界的に見た「六八革命」についての詳細な研究をもっと読みたい。引用部にある「この時代の思想史的な徹底究明こそ現前の思想状況を再検討する直接的な場所になるように考えられる」にまったく同感だからだ。

■「一冊の本」の原稿を書く。横光利一の『機械』を読むという連載だがもうすでに六年ぐらい書いていることにあらためてあきれた。終わるのにまだ二年はかかるな。「資本論を読む」は25年かかる計算になっているのだった。25年後の世界はどうなっているか想像ができず『資本論』という書物の意味もかなり異なっているだろう。
■八月に入って時間に余裕がだいぶできてきた。落ち着いてものを考えられる。去年のいまごろは坪内逍遙の原稿で死にそうな思いをしていたが、人間、死にそうな思いをしたほうがいいとつづくづく思った。夜、レアル・マドリードとFC東京の試合をテレビで見る。そのためにきょうほんとは人と会う約束をしていたが延期してもらった。もうしわけない。それにしてもなぜFC東京なのだろう。

(6:38 aug.6 2003)



Aug.4 mon.  「夏は修行の季節である」

■神奈川県に入り秦野あたりから東名高速道路はひどく渋滞していた。
■で、どこらあたりでしょう、急に道がすくのだがこれがわからない。いったいいままで詰まっていたクルマはどこに行ってしまったかよくわからないくらい急に快適に走ることができるのだった。お盆の帰省ラッシュで高速がひどく渋滞しているニュースをこれまで人ごととして見ていたが、ああ、これかあ、これが何時間も続いたらたまらんなあと思いつつ、のろのろ走るクルマの群れのなかにいた。それから首都高に入って池尻で降り山手通りをゆけばよかったものを、用賀で高速を降り環状八号線で甲州街道に出ようとしたのが失敗。環八がやたら渋滞。夕方に戻ってくるのはまちがいだったのだ。
■というわけで私はまた東京に戻ってきた。東京と京都を行ったり来たり。さすがに慣れましたね、こうした生活も。ホテル住まいもあたりまえになった。

■ところでクルマ生活というものをどう考えていいかだ。これはあきらかに環境破壊をしている。タバコの煙なんか問題にならないくらい空気を汚染しているにきまっているではないか。目の前でタバコを吸っている人は気になるがクルマから排出されるガスが大気中に漂っているのはよく見えないので嫌煙する方々はクルマのことはさほど気にせずタバコには神経質になる。つまりばかである。嫌煙家はクルマにもいっさい乗ってはいけない。
■あと、クルマの免許を取るのは、まあ、二十歳前後ということになっているが、そういう人間はだめである。断言しよう。二十歳前後にクルマに夢中になるような人間にろくな者はいない。で、愚かな女たちは若いときクルマの魔力にひきつけられ、クルマを運転する男とつきあってしまったりするがそれが人生の失敗のはじまりである。クルマになんか興味のない若い男をこそ見つけださなければいけない。そういう者をこそ私はたたえたい。クルマの免許なんか四十歳を過ぎても簡単に取れるが人生にとって大事なことは若いときしか身につかないのだ。といっても若いときクルマに夢中になりその後それを極めたF1レーサーはすごい。極める人のすごさはどんな世界にもあるのはあたりまえの話だが。
■そういえば、『アイスクリームマン』の稽古中、衣装を選んでいるときだった。衣装担当の者が探してきた服を身につけた祢津という学生が、ぱっとしない衣装に対し「これじゃあ、クルマだけいいもの乗ってる男だよ」と言ったのは、言い得て妙で面白かった。やけにいいクルマ(BMWとかね)に乗っているが着ているものはダサイとか、ポルシェに乗っていながらモーニング娘をがんがんかけているとか、ものごとにはバランスってものが必要だ。トータリティってことがあるだろう。六畳一間のアパートに住み住んでいるアパート前の駐車場にベンツを停めるってのはいったいなんだそのかっこわるさは。無意味なことを書いてしまった。徳大寺有常か、俺は。

■というわけで、閑話休題。
■そうだ、夏は修行の季節であった。先送りされている課題を少しずつ片づけていかなければと思う夏。糸圭秀実(=スガヒデミ)さんの『革命的な、あまりに革命的な』に書かれた「六八革命」のことを考えていたら、それからすでに三十五年が経っているという時間が驚くべきことで、一九六八年からほぼ同じ時間の過去、「二・二六事件」は起きていることを考えると、六八年の時点で「二・二六事件」はそれほど過去ではないといまの私は感じるのが奇妙だ。三十五年前の六八年の11月「新宿騒乱事件」があった。これがちょっと重要なのです。糸圭秀実(=スガヒデミ)さんの書く「六八革命」をひとつの伝説として「小説ノート」で書こうとしている物語は出発するのだとあらためて思った。資料集めもこの夏の課題のひとつ。
■あと、井上紀州監督の『
LEFT ALONE』が観たいのだがどこかで上演されないのだろうか。五月にアテネフランセで上映されたが四月から七月はもう大学のことで精一杯だったのだ。あと、情報に疎かったってのもありますが。で、思ったんだけど、大きな文字の『ぴあ』というのを誰か作ってくれないだろうか。最近、『ぴあ』を読もうとすると目眩がしてくるのだ。早い話が老眼ってことなんだけど、これからの高齢化社会において「大きな文字の情報誌」はきっと必要になる。そこにビジネスチャンスは存在する。
■まあ、とにかく、夏はぼちぼちと、修行の季節である。

(7:59 aug.5 2003)



Aug.3 sun.  「びわ湖ホールへ」

■昼、京都のホテルを出てびわ湖ホールへゆく。ダムタイプの公演だ。4回生のYも行くというので待ち合わせてクルマで行くことにした。烏丸丸太町から御池通りを東に進み、鴨川を渡ると川端通りにつきあたる。そこを右折。三条で左折すると、そのまま東へ、国道一号線につながっているのだが、ということはつまり、かつての東海道は京都に入ると三条になるということなのだろうか。以前、「京都その観光と生活」でも書いたと記憶するが三条京阪という駅の近くに、御所に向かって土下座している人の像がある。あれは東海道を旅をしてきた土下座の人が、そこで三条大橋を、というか鴨川を目にして「ああ京に着いたのだなあ」と、万感の思いで御所の方角につまりは天皇に向かって土下座したのだろう。
■国道一号線を琵琶湖の方角に向かうと大津の町である。その先、まさに琵琶湖に面して「びわ湖ホール」がある。道がすいていたのでことのほか早く到着。僕はダムタイプを観たらすぐに名神高速を使って帰るつもりなので、あらかじめガソリンを満タンにする。ガソリンスタンドといえばたいてい若いバイトがいるものだが、琵琶湖の近くにあったガソリンスタンドにはなぜか老人をはじめ大人ばかりいた。まあ、僕も大人ですが。時間があったので、びわ湖ホールのカフェでYとダンスの話などする。たとえば「なぜゆっくり動くか」という疑問。「ゆっくり動く」と、なにか表現されているかに見えてしまうことに対して学生たちは無自覚ではないか。たとえば、『水の駅』をはじめ、太田さんの作品には無言劇など「ゆっくりした所作」がしばしばあるが、そこにはそのことの必然性や意志、表現に昇華する俳優の「からだ」がくっきり存在する。「形」だけまねしたところで「表現」にはならないのではないか。
■これまで学生の発表公演をいくつか見、そのことが気になっていたのだ。「ゆっくりきれいに歩く」というだけでは条件を満たしてないと感じる。解体社を観て思ったのもそのことでたしかに美学的な形態として完成された側面を感じつつ、「美」とはそれだけではないだろう。では「からだ」による「美」とはどのようなものをいうのか。と、そんなことを考えているうちにダムタイプの『ヴォヤージュ』の開演だ。

■開演まえ、カフェにいると、批評家の内野さんや、うちの大学の学生、さらに山田せつ子さんらと会った。あと終演の直後、浅田彰さんの姿も目撃したような気がする。
■さてダムタイプだが、私はダムタイプのいい観客ではないのだった。生で観たのはもう10年以上前、青山のスパイラルホールだ。作品名も忘れている。ビデオで何作品か観たがそれは補足程度の意味でしかない。ただ刺激を受けたくてきょうの公演を見に来たのだが様々な意味で整合性の高い舞台だと思いつつもうひとつ刺激を強く受けるもの、というか、つまりがつんとやられるものが希薄だった。それより「整合性の高さ」、というのは、たとえば、物販されているビデオ、あるいは写真集のようなもの、本、CD、つまり写真、言葉、音楽など、それらすべてが作品化され、それらを通じて「ダムタイプ」という「トータルな表現媒体」、いわば「ダムタイプ・ブランド」とも呼ぶべきものになっているという意味でのトータルな表現の高さだ。それが舞台を超えてまたべつの次元に表現を引き上げているのはまさに現在的だ。
■ダムタイプのプロフィールにしばしば書かれるのが「ビジュアル・アート」「ダンス」「建築」「音楽」「映像」「コンピュータ・プログラム」という領域にまたがった、あるいは領域を超えた共同作業による「マルチメディア・アート」といった表現による規定だ。かつての作品に対する僕の印象はそうであり、記憶にあったのもそうだったが、『ヴォヤージュ』はむしろ、ダンス作品の色合いが濃いと感じ、すると、そこではパフォーマーの「からだ」がより意味を強く持たざるえず、それを補足するように映像や音楽が使われる印象を受けた。では「身体の劇」として「身体」そのものがメッセージになっているか考えると、前述した、「なぜゆっくり動くのか」、「ゆっくり動くからだが表現に昇華しているか」といった疑問と同様のものを感じた。いわば「身体の強度」は存在したかだ。メッセージを「言葉にする」のがひどくあたりまえになるのだとしたら、演劇やダンスは、まず「からだ」から発する必要があり、それはどのような姿をいま求められるか。
■とはいうものの、たとえば「演劇という文脈」では「なにもしない」もまた、それはそれで文脈上、(なにもしないという強い意志において)強度を感じるのであり、『ヴォヤージュ』にあったのはそれとも異なる「曖昧な触感」だ。だから素朴な感想として「きれいだった」と、たとえば、緑の円形の布の上に女が横たわり同時にそれと同様の姿で横たわっている女の映像が映し出される場面を「きれい」と言葉にする以外にになく、だったらいいのか、それはほんとうに「美」になるのか。でも素朴に言葉にしたい。きれいだった。心地よい時間を味わった。そう感じている自分に多少の疑問をいだきつつ。

それはそうと、Wさんという方からメールをいただき添付されていた画像におどろいた。以前書いたことがあると思うがSONYエリクソンの携帯電話「
SO505i」で撮ったという。これが関西でもっともスタンダードな飲み物「ひやしあめ」だ。夏、関西人は「ひやしあめ」がないと生きてゆけない。伏見稲荷の近くで撮影したとのこと。べつにSONYエリクソンの宣伝をするわけではないが、それにしても携帯電話でこのクオリティの写真が撮れるかと思うと驚かされる。このところデジタルビデオカメラで静止画を撮っていたがさすがに大きくて、なにか見つけたときさっと撮影することができなかったのだが、このクオリティが携帯電話でできるとしたらSO505iの機動性はすてがたい。あと機種のデザインもいいし。と、まあ、ダムタイプとまったく関係なくただ物欲。
■あと、2日は大学の「オープンキャンパス」のあと京都に泊まったが、失敗したと思ったのは土曜の夜、琵琶湖で花火大会があったという話を山田せつ子さんに聞いたからだ。なぜ京都にホテルをとってしまったのだろう。琵琶湖の周辺でよかったはずなのだ。花火大会が見られたのだなあ。
■大津インターから名神、東名を乗り継いで静岡の両親が住む家に。ここで一泊。あした東京へ。東京に戻ったら死んだ気になって仕事をする。戯曲を書く。小説を書く。「チェーホフを読む」も書こう。それから次の舞台のこともじっくり考える。そういった意味ではダムタイプから受けた刺激は少なからずあったのだった。

■さすがに夏になりました。じっとりとした湿度。日本の夏。それはそれで心地よい。

(8:07 aug.4 2003)



Aug.1 fri.  「オープンキャンパス」

■朝まで、連載の「資本論を読む」を書いていた。書き上げてメールで送信。それにしても締め切りはすぐくるのだった。午前七時になって朝食を食べてから眠る。午後まで眠ったが目が覚めないのでシャワーを浴び、ホテルのすぐそばにあるスターバックスでコーヒーを飲んで大学へ。オープンキャンパスの日である。各学科がブースを出してにぎやかだ。毎年恒例の光景。というわけで僕はワークショップ。今年は参加人数がとても少ない。「歩く」のを中心にした内容で三時間。やけにおとなしい受講生たちだった。このあいだの「コミュニケーション入学」によるワークショップは「試験」という位置づけだったので受験者たちの意気込みがすごかった。それに比べると低温度。
■夕方ホテルにもどると「
SWITCH」という雑誌に書いた原稿のゲラが届いておりほとんど直すところがないのでその旨編集部に電話した。そういえば小説を書かないかという、とある雑誌の方からメールがあり、とりあえず会いましょうという内容。東京にいるとほとんど人に会わぬまま日々が過ぎてしまうので未知の人と会う機会があったら積極的に外に出ようと思うが、人と会うのがいやとかそういったことではなく、ほっとくと面倒になって会わなくなるし、僕が外に出て家に戻ると家庭内が暗くなるのでそれもまた面倒、というか、なんか自由じゃないわけだ。
■夕方、相談がしたいという四回生のマスヤと牛尾と食事をして長話をする。直前までものすごく眠かったが二人と話をしていると眠気もさめた。この二人と話をしているととても落ち着けて楽しい。二人とも今後も芝居を続けてゆくかどうかまだ悩んでいる。「続けてゆけ」と無責任なことは言えないし、僕の経験がまったく一般性のない、「まあ、なんとかなるのではなかろうか」という、よくわからない生き方だったので話に説得力が皆無だ。二人に限らずこのところ四回生から相談されることが多くなった。うまく話ができない。これまで僕の舞台に何人もの若い俳優たちが出演したが、その後も活動をしている者もいれば、いつのまにか舞台から遠ざかってしまった者もいる。小劇場の演劇をやってゆく構造はひどく脆弱で、運がよければ続けていけるといった曖昧な構造だ。もう少し粘って持続していればいい俳優に、女優になれたんじゃないかという者も数多くいる。むろん、「運」ばかりではない。たとえばさしあたっての生活を考えやめてしまった者らと、バイトしてでも続けてゆく者がいるとしたら、それは単に「生き方」の問題になるのだろう。舞台よりもっとわりのいい仕事、安定した仕事はきっとあるし、それを選択するか、安定は望めなくても舞台で生きてゆくか。どちらが正しいと断言もできない。どちらを選択するかは本人の意志だ。

■京都は本格的な夏になっていた。日差しが強い。じっとりとした湿度。

(6:02 aug.2 2003)